花の色は うつりにけりな いたづらに

【斜面】ずくなしの花 信州の代表的な方言に「ずく」を挙げる人は多いだろう。労を惜しまないことを「ずくを出す」と言うように前向きに使うのが信州らしさのようだ。けれど「怠け者」に「ずくなし」を用いる地域となると、東北や関東などにも広がる◆新潟県ではこの時季、「ずくなしの花」が咲くという。大人の背丈より少し高めの木の枝に、ラッパのように開いた小さなピンクの花が房状にびっしりと付く。山野の谷間に自生するタニウツギのことだ。街路樹や庭木にも利用され、信州でも見かける◆新潟出身の知り合いに聞くと、切り花にしたくても水を吸う力がないので「ずくなし」なのだそうだ。全国には、火葬場で骨を拾う箸に材を使ったことから「死人花(しびとばな)」、満開時に山が燃えるように見えるので「火事花」と伝わる地域があり、家に持ち込むのを嫌う人もいるらしい◆対照的に「田植え花」や「イワシ花」と呼んで、農作業や漁の目安にしてきた地域がある。若葉を摘んで、日常の食材や茶葉の代用、飢饉(ききん)の備えに利用した地域では「糧(かて)の木」の名が残る。子どもたちが頭の飾りにしたとして「かんざし花」の名もある◆さまざまな呼び名は、それだけ日本人の暮らしのすぐそばにあり、密接に関わってきた証しだろう。長野市街地で街路に植わるタニウツギが見頃を迎えている。枝をしならせるほどにピンクの花を咲かせた姿を「ずくなし」とは呼べない。むしろ、ずくを出したからこその美しさに思える。(信濃毎日新聞・2026/05/16)

 本日のコラム「斜面」は信濃毎日新聞です。桐生悠々という人が所属していた新聞社でもありました。もちろん、現実の新聞紙上には昔日の面影は見られません、と断言しては大変に失礼に当たるし、それでもなお、どこかに新聞人の矜持が見て取れそうな気がして、ぼくは読み続けてきました。本日の「コラム」は非政治的なものであるからこそか、とても面白く読むことができました。新聞コラムというものの性格は一概には語れないものですけれど、個別性と普遍性を備えた主題(記事)が出れば、ぼくなどは言うことはありません。地域に限定される問題であって、よく見れば各地域に共通して認められる問題に通底しているという、そんなテーマに触れられれば、望外の喜び。もっと言えば、地域性(個別性・地域文化)と地域共通性(普遍性・文明性)というような捉え方ができる「書きぶり」に出逢えれば、いうことなしです(Nothing more to say.)。今の時代、この劣島のいたるところで「文化と文明」の葛藤が見られるからです。まるで「味噌汁」に「マクドナルド」のような取り合わせ、ですね。

 閑話として。同紙の沿革(《「沿」は前に因って変わらない、「革」は旧を改め新しくする意》物事の移り変わり。今日までの歴史。変遷。)(デジタル大辞泉)です。「信濃毎日新聞(しなのまいにちしんぶん、英: The Shinano Mainichi Shimbun)は、長野県長野市と松本市に本社を置く信濃毎日新聞株式会社が発行する朝刊単独の地方新聞である。通称は信毎(しんまい)。/長野県を代表する県紙であり、発行部数は37万8903部、県内普及率は42.2%(2024年10月時点)。/1873年(明治6年)7月5日に『長野新報』として創刊。1881年より現在の題号となる。第二次世界大戦前は、山路愛山、風見章、桐生悠々などが主筆を務めた」(Wikipedia)                                        とあるように、創刊初期にはそうそうたるメンバーが「主筆」を務めていたこともあって、なかなかの健筆をふるっていたものでした。明治開花期は「新聞の黎明期」でもあり、その幕開けと同時に歩んできたという点では、日本の地方紙の代表格だったとも言えます。ここでは触れませんが、この新聞社にも「災禍」や「過誤(誤報問題など)」が付いて回りました。

 閑話休題。ここに「ずく」という語が述べられています。「信州の代表的な方言に『ずく』を挙げる人は多いだろう」と。「ずくを出す」は労をいとわないこと、反対に「ずくなし」は「怠け者」の意で使うところもあるというから、日本語は多彩でしたね。明治中頃から「標準語」「共通語」なるものが作られ、それを「国語(共通語=日本における、一種のエスペラントだった)」として全国一律に普及を図ったのが学校教育でした。いわゆる近代国家にふさわしい「国語(「日本語」ではないことに注意)」の誕生は明治期に始まったのです。日本で最初の「国語教室」なる看板が掲げられたのは東京大学の上田萬年氏の研究室だったという。彼は国費留学生としてドイツに留学し、国の共通語としての「ドイツ語」の普及に驚嘆したといわれます。

 この時期は「近代文学」の勃興と隆盛の時期でもあり、漱石や子規、あるいは鴎外や二葉亭などの書く文章は、「国語=共通語」の伝播に大きな役割を果たしたのでした。それはそれで重要な意味を持っていましたが、ぼくが指摘したいのは次のことです、それ以前には各地各地域で育(はぐく)まれていた言葉(方言)は実に多様であって、この島国ではそれぞれの「地域語(おそらく数百はあるといっても過大な表現ではないでしょう)」が豊かに使われていた事実を知って驚くのです。言語もまた、文化(生活)の代表格だとするなら、この劣島社会は多元文化の「宝庫」だったと言ったら、言葉が過ぎるでしょうか。(左上は上田萬年著「国語のため」冨山房刊、1897年)

 この「ずく」も、無数の事例の一つにすぎません。ぼく自身はまず使ったことはない「ことば」で、おふくろがしばしば使っていて耳に残っているのに「きずつない」がありました。京都の「方言」とされるもので「きずまりな」という意味のようですが、あるいは「心苦しい」などといったものだったでしょうか。でも、「ずく」はこれとは関係がなさそうです。あえていうなら、「付く」あるいは「尽く」ではないかなどと考えたりします。それとも違うかもしれません。

[接尾]《動詞五(四)段型活用。動詞「つ(付)く」から》名詞またはそれに準ずる語に付いて動詞をつくり、そのような状態になる、そういうようすが強くなるという意を表す。「秋―・く」「元気―・く」「おじけ―・く」[下接語] 相対尽く・意地尽く・因縁尽く・腕尽く・面白(おもしろ)尽く・金(かね)尽く・勘定尽く・義理尽く・金銭尽く・計算尽く・権柄(けんぺい)尽く・承知尽く・相談尽く・算盤(そろばん)尽く・損得尽く・談合尽く・力尽く・得心尽く・納得尽く・欲得尽く」)(デジタル大辞泉)

 「新潟県ではこの時季、「ずくなしの花」が咲くという。大人の背丈より少し高めの木の枝に、ラッパのように開いた小さなピンクの花が房状にびっしりと付く。山野の谷間に自生するタニウツギのことだ」(「斜面」)この樹木はあまり見たことがありません。もちろん、これまでに出かけた地方では見かけた記憶がありますし、写真で確認すると、何処にでも育っていそうな樹木に見えたりします。たくさん種類のある「ウツギ」の仲間だそうですから、さもありなん。スイカズラ科の一族の「タニウツギ」で、花の形も「ウノハナ(空木・ウツギ)」に似てるようにも見えます。 

 この花は縁起の良くない花として忌避される人もいる。いろいろな理由からのことでしょうが、庭木にしてはよろしくないともいわれるのも、なんとも不思議ですね。反対にこの木・花を尊重する地域や人々がいるのですから、この島社会は単一民族でもなければ単一言語社会でも、単一感情地帯でもないことが、こんなところにも証明されるようです。「中央集権制(centralized system)」というものは、地域性や地域文化を壊して進められたことを思えば、その是非に関しても何か大事な事柄が忘れられた感がしてきます。「村」を潰して「町」に、町を集めて「市」にするような、ある種の集権制は、「便利」や「効率」の名においてなされてきたのですが、その間に貴重な「歴史」「文化」を喪失したことに心が及ばなかったとするなら、この先もまた、同じ轍を踏みそうですね。

++++++++++++++++++

タニウツギ Weigela hortensis タニウツギは北海道西部から本州の中国地方までの主に日本海側から脊梁山地に生育する落葉性の低木。名前の通り、谷沿いの二次林などに多い。新芽を食べることもあるので、特に有毒物質を含んでいるようではないが、牛や馬にはあまり食べられないのか、放牧地との境界などに繁茂していることが多い。樹皮には厚いコルク層が形成されるので、火入れには抵抗性があるのかもしれない。春にたくさんの花を房状に咲かせて美しいので、観賞用に栽培されることもある。開花期が田植えシーズンと重なる地域では、田植え花とか、早乙女花等と呼んでいる。サオトメバナは、花を取って開いた方を下にして水に浮かべた様子を早乙女が菅笠をかぶって田植えしている姿に例えたものであるという。(ヘッダー写真も)

◎ タニウツギの特徴 タニウツギは、スイカズラ科タニウツギ属の落葉低木。タニウツギ属は、中国や朝鮮半島にも分布していますが、12種のうち10種が日本に自生しています。北海道から本州の日本海側や、瀬戸内海側の山地で多く見られる木です。タニウツギという名前は、山の中の谷や渓流沿いで枝を下垂させるように伸ばして咲く姿に由来します。/タニウツギは、5月~6月にピンク色の花を数個ずつまとめて咲かせます。花は2~4cm程のろうと状で、基部は細く、先が広がって5裂しています。花色と咲き方が美しいことから、観賞用に栽培され、斑入りなどの園芸種も作出されています。葉は、先の尖った卵型で、触ると柔らかく、葉脈がはっきりと見えるのが特徴です。枝を横に広げるような樹形も美しく、花がない時期でも楽しめる庭木です。/タニウツギ属の仲間には、タニウツギやヤブウツギのように咲き始めから花色がピンク色の種類と、ハコネウツギやニシキウツギのように咲き始めの花は白く、徐々にピンク色に変化していく種類があります。(LOVE GREEN:https://lovegreen.net/library/garden-tree/defoliation/p125555/

++++++++++++++++++

 ぼくはほとんど関心を持たないのですけれど、時には、あるいは人によっては「花言葉(flower meaning)」がとても重宝されているようです。いずれ、商売人が考え付いたセールスポイント(拡販主義)がもたらした商慣習だったかもしれません。その「花言葉」、「タニウツギ」の場合は「豊麗(豊かで美しいこと)」だそうです。なんでや?といいたくなりますね。小ぶりの花をたくさんつけるからというらしいのが理由です。この命名もまた、人によって異なるでしょうから、「豊麗」ではなく、「妖艶」としたらどうですか。当たり前なのかもしれませんけれど、どうも、花の姿は女性に準(なぞら)えるのが常道で、「男らしい」などという花言葉はなさそうですね。ここにもまた、隠された「歴史」があるのかもしれません。「タニウツギの花言葉『豊麗』は、豊かで美しいという意味で、この花が枝いっぱいに華麗な花を咲かせる姿から連想されました」(LOVE GREEN・同上)「花屋」さんによっては「異名」が用いられることもありますので、それぞれが好みに応じて、勝手にどうぞ、と言っておきます。

*************

 ここでキーボード叩きを終わろうとしたのですが、突然、我が意識の裡に小野小町が現れました。(いかにも「豊麗」を絵に描いたような女性だったかどうか、ぼくは知りませんが)なかなかの美貌の持ち主だったとされています。今なお人気抜群で、新幹線どころか、お米の名前にもなっているのは周知の事実です。不思議なことに、まるで弘法大師のように、各地にその痕跡(端麗ぶり)を記されております。

 「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

どういう歌か、どうぞご随意にお読みくださいと申しておきます。意味も何も分からないままで、ぼくたちは子どもの頃、「百人一首」で、こんな「妖艶な女性」の、これまた艶(なまめ)かしい歌を暗記していたのですから、驚きますね。詰まりは、小町さんだからこそ「寄る年波には勝てませんね」と、高齢化を嘆いているのか、それとも受け入れているのか、ぼくはよく理解できない歌ではあります。これを紀貫之という歌詠みは「「あはれなるようにて強からず。いはばよき女の悩める所あるに似たり」(「古今集 序」)と書いています。「よき女の悩める所ある」とは、その昔、学校でどういう解釈を教師たちはしてくれたか、すっかり記憶が失せています。「豊麗」も老化すれば、目も当てられないということでしたか。小町も年を取れば、「わが身世にふるながめせしまに」、お米になるという「変わりよう」でした。どうでもいいことか、お米の命名にも圧倒的に「女性系」優位ですね、まるで現時「天皇制」の「団系男子に限る」という偏頗な差別主義とは別個の女性上司が見られるのは、ぼくには奇異に感ぜられますね。それでは、「筋骨隆々 チバニアン」、「アントニオ猪木」などという男名の「お米」を食する気になりますか。

◎ 小野小町【おののこまち】= 平安前期の歌人。六歌仙,三十六歌仙の一人。生没年不詳。《古今和歌集》の代表的歌人で恋愛歌に秀作がある。伝の詳細は不明で,《古今集》などに残る,文屋康秀,凡河内躬恒,在原業平,安倍清行,小野貞樹,僧遍昭らとの歌の贈答が,事跡を知る根本資料となっている。後世歌才すぐれた絶世の美女として説話化され,小町塚や小町誕生の井戸などその伝説は全国にわたる。その文芸化された好例は小町物と呼ばれる謡曲である。《古今集》等に約60首入集。家集《小町集》は後人の撰。(百科事典マイペディア)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~