【小社会】意見の相違 古くから人々が引かれてきたのも分かる気がする。樹上いっぱいに広がる爽やかな薄紫の花。いかにも初夏らしい。かつて清少納言も随筆「枕草子」に記した。「楝(あふち)の花いとをかし」(センダンの花はとても趣がある)。◆通勤路のセンダンが満開になり、見ほれている。下から見上げるのもいいが、少し離れて眺めるのも風情がある。花がかすみのように映る。一昨日の本紙には高知市内にある「桜センダン」が載っていた。こちらは記事の通り、まるで雲のようだ。◆センダンは街路や公園の樹木として知られるが、建築や家具の材としても使われる。薬にもなる。それほど身近なのに花言葉はなぜか「意見の相違」という(田中潔著「知っておきたい100の木」)。◆もっとも、ことしは花の時季に合わせるかのように、大きな意見の相違が話題になっている。確定した刑事裁判をやり直す再審制度の見直し論議。裁判所の再審開始決定に対し検察が行使する「抗告」を巡って、与党・自民党と法務省が衝突する。◆抗告を繰り返すと再審は一向に始まらず、冤罪(えんざい)被害者は救われない。抗告を維持したい法務省側と禁止を明確にしたい自民党の勢力。数多くの冤罪事件を省みれば、選択すべき道は明らかなのだが。◆「楝の花いとをかし」は秋冬にもいえる。落葉した枝に鈴なりの実。やがて鳥がついばみ、種を運ぶ。意見の相違も克服して実を結べば、未来につながるだろう。(高知新聞・2026/05/10)

表題句は芭蕉作。「元禄7年5月13日、51歳。江戸を発って最後の上方への旅の途次、箱根あたりでの作か。梅雨空の蒸し暑い中、体力の無い芭蕉にとって決して楽な旅ではなかった。栴檀の花曇りは身に堪えるものであったろう」(「芭蕉翁行状記」・https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/donmiri.htm)

静岡三嶋大社に、この句碑があります。なかなかの大物石碑で、横の案内板には、この句作の動機が語られています。「樗(オウチ)」とは栴檀(せんだん)とのこと。1694年(元禄7年)、松尾芭蕉は三嶋大社に参拝に訪れ、神池の近くで栴檀を見て、「江戸に残してきた病床の妻『すて』の身を案じて詠んだ」と言われています。それぞれがご当地贔屓(ひいき)として、俳聖を持ち出すのは、一種の「故郷自慢」でもあるのでしょうか。ぼくには真偽のほどはわかりませんが、最晩年の芭蕉にはいくつかの「きふさぎ(気塞ぎ)」があったことが知られています。そんな煩いを抱えていた芭蕉が、箱根越えの途次に「どんみりと」曇った空のもと、樗や雨を思えば、こんな句ができると、差しさわりのない愚論を述べておきます。俳聖はこの句作の二か月ほど後の10月8日、大坂の門弟宅で生涯を終えています。病中吟として「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が残されました。重苦しい雰囲気がその句から感じられるといえば、それは下手な勘繰りと批判されるでしょうか。

この「栴檀(せんだん)」、別名「楝」「樗」、いずれも「おうち」「あふち」と読みます。どういう次第なのか、拙宅にも「おうち」の幼木が数本あります。放置しておくと、とても庭木としては面倒みられないほどの高木・大木になるといわれ、毎年のように根元近くで切り落としていますので、花の盛りを見たことがありません。切り取るのも惜しい気がして、一本だけは残してあります。さて、どうなりますか。他所で見たのですが、柑橘類の花に似た、小さな白と紫の花をたくさんつけ、その眺めは見事という気もします。
この「樗」という字を持った作家に「高山樗牛」がいました。山形出身の早逝した作家。彼には出世作として「滝口入道」があります。ぼくは小学生のころ、四六時中、この小説の舞台になった「滝口寺(↖)」に遊んだことがありました。嵐山小倉山(小倉百人一首の、その地)にあり、とても朽ち果てた寺という印象でした。当時は、このお寺の由来も「滝口入道」も知らないままで、遊び惚けていたことを、ぼくは後年、とても嘆くことになります。その「樗牛」の筆名(号)は、どこから来たかを調べてみようとしたことがありました。

それはともかく、若くして「肺結核」を患った樗牛は療養のために静岡県清水に赴きます。とってつけたような気もしますが、静岡にも名の知れた「栴檀」が方々にあったことはよく知られているし、芭蕉の「三嶋大社」に関しては上で触れた通りです。樗牛は当地で亡くなります。享年31。「楝」という字を使った唱歌に関しては「夏は来ぬ」の「4番」中に出てきます。「楝散る 川辺の宿の 門遠く 水鶏(クイナ)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ」と。この「楝(おうち)」は万葉以来の漢字ですね。どうでもいいことばかりが脳裏をかけ巡ります。おそらく、学校では、まず教えない、扱わない「余計なもの」にこそ、ぼくは興味を持ってきたといえばどうでしょうか。小倉山(亀山・嵐山)は、ぼくの遊び場でした。いろいろな歴史が埋(うず)もれている、たくさんの墓や石碑が林立していた気もします。それこそ、時代・歴史の地層で成り立っている「丘」のようなところでした。足下には「天龍寺」があり、そこから嵐山・渡月橋は歩一歩の近間でありました。

◎ 高山樗牛 (たかやまちょぎゅう) 生没年:1871-1902(明治4-35)= 明治期の美学者,倫理学者,文芸評論家。山形県鶴岡生れ。本名林次郎。旧姓斎藤,幼いとき高山家へ入籍。第二高等中学(後の第二高等学校)を経て1896年東京帝大文科大学哲学科を卒業。94年在学中《読売新聞》の懸賞小説に《平家物語》に材を取った悲恋物語《滝口入道》が入選し注目されたが,樗牛自身は学問の活性化をめざしてエッセイストの道を選んだ。96年第二高等学校教授となったが,翌年辞任して博文館に入社,雑誌《太陽》の主筆として,鋭い批評文を精力的に書いた。日本主義から,ニーチェ賛美,〈美的生活〉の提唱,日蓮研究へとめまぐるしく主張は変化したが,本能に基づくロマン的な意志の確立という姿勢は一貫している。〈吾人(ごじん)は須(すべか)らく現代を超越せざるべからず〉(《無題録》)の名文句で知られるが,留学直前に病で倒れ,美学・美術史の研究を緒に就かせたままで永眠,墓所は遺言どおり静岡県清水区日蓮宗竜華寺にある。(改定新版世界大百科事典)
◎ せん‐だん【×栴×檀/×楝】読み方:せんだん=1 センダン科の落葉高木。暖地に自生する。樹皮は松に似て暗褐色。葉は羽状複葉で縁にぎざぎざがあり、互生する。初夏に淡紫色の5弁花を多数つけ、秋に黄色の丸い実を結ぶ。漢方で樹皮を苦楝皮(くれんぴ)といい駆虫薬にする。おうち。あみのき。《季 花=夏 実=秋》「―の花散る那覇(なは)に入学す/久女」2 ビャクダンの別名。

◎ おうち〔あふち〕【×楝/×樗】読み方:おうち1 センダンの古名。《季 花=夏 実=秋》「大仏の下に―の花の数/虚子」2 襲(かさね)の色目の名。表は薄紫、裏は青。一説に、表は紫、裏は薄紫。夏に用いた。(デジタル大辞泉)
◎どんみり=[副]色合いなどが濁っているさま。また、空の曇っているさま。どんより。(同上)
◎ おぐら‐やまをぐら‥【小倉山】( 「おぐらのやま」とも ) = [ 一 ] 京都市右京区、保津川渓谷の出口付近の東岸にある山。嵐山と対する。紅葉の名所。標高二八四メートル。天龍寺・二尊院がある。小椋山。雄蔵山。亀山。歌枕。[初出の実例]「夕月夜をぐらの山に鳴く鹿の声のうちにや秋はくるらん〈紀貫之〉」(出典:古今和歌集(905‐914)秋・三一二)[ 二 ] 嵐山のこと。(精選版日本国語大辞典)
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「徒然に日乗」(1088~1094)

◎2026年05月10日(日)快晴の一日だった。▼昼前に買い物で茂原まで。▼帰宅後、自宅内に。イラン戦争の行方が皆目わからなくなっている。ただ今停戦中だといい、13日から「米中首脳会談」が開かれるので、そのためには「戦争継続中」はまずいので、形式だけは「停戦」としているのだろう。いずれにしても、戦争は永続するし、ホルムズ海峡封鎖は続行したままだから、日本への石油タンカーは入ってこない期間が長引くだけ。いよいよ「経済危機」が現実味を帯びて来ている。(1094)
◎2026年05月09日(土)終日自宅に。▼使用中の印刷機を削除(アンインストール)した。何年使っただろうか。自動更新もうまくいかない状態で、もう補償期限も過ぎたので、新しいものにと考えていたところ。簡単にアンインストールができなかったのはどうしてだったか。このところ、すっかり猫の寝床になっていた。二月初めまでは何とか機能していたのだが。とにかく、新規に同じ機種の新しいモデルを購入することにするかどうか、いま思案中。。最近は、ハガキ印刷だけでしか使用していない。他の資料等の印刷に使うことがなくなったので、最も軽便な機種があれば好都合なのだが。▼イラン戦争の終点が見えない。開戦からもう70日が経過して、さらに泥沼が深まりつつある。日本の「輸入原油」は色々な面で問題を生み出している。差し当たっては「ナフサ不足」だという。すでに息切れした中小業者も出てきているし、今後はさらにその影響は拡大するだろう。仮に「停戦」か「戦争中止」になったとして、ただちに石油タンカー航行が可能になるものではない。半年も一年もかかるといわれている。現在の「政治不在」をどうするのか。(1093)

◎2026年05月08日(金)久しぶりに外作業。裏庭の斜面部分に伸びている孟宗竹を伐採。足場が悪く、草ぼうぼうの中、なかなかに苦労しながら、一本は切り倒したが、残りはまだ数本。明日以降に終わらせたい。しばらく庭掃除をしていなかったので、竹の落ち葉や杉や檜の落ち葉も方々に散乱。その半分程度の掃除をした。また、段ボール類が相当数溜まっていたので、その償却も同時に。気が付けば、2時間以上は作業を続けていただろうか。なかなか無理がきかず、疲れ切って作業を中止した。(1092)(右は「滝口寺」)
◎2026年05月07日(木)まずますの好天だった。昼過ぎに買い物で茂原まで。相変わらずの値上がりが続いている。ホルムズ海峡封鎖が長引くことが決定的になり、投棄された機雷除去に半年ほどの時間を要するという。加えて、数度の為替介入にもかかわらず、まったくの効果なしで、円高は一瞬で元の木阿弥(160円前後)。長期金利は2.5%と危険水域に張り付いたまま。金融財政無策を税金投入で糊塗としているうちに、新年度の補正予算は不可避となり、その大部分は赤字国債となれば、「日本の投げ売り」が必至となる状況。半端ならざる経済破綻が起こりつつあると思う。(1091)

◎2026年05月06日(水)連休最後の日らしい。終日曇りがちで、時には雨滴がぱらついたりした。▼昼前には少し近所をドライブ。普段と変わらない交通量で、五月の風に吹かれて房総中心部を走る。帰路には、いつも通りに茂原のスーパーで買い物。昨日の疲れが残っているのか、外での作業をする気力が湧いて来ない。相当な老骨であるのが自分でもよくわかる。▼イラン戦争の新たなステージが始まったのか。「和平協定」はどこかへ行ってしまったようで、なおこの先も展望のない「対峙」が続くだろう。問題はイスラエルにあるのだから、戦争の行方は定かならずというのである。米大統領は訪中を間近に控え、面倒を起こしたくない気配がありあり。中国に借りを作っているということだ。米中の対面はどうなるかも、これもまた「世界の平和」には大いなる不安材料だろう。(1090)

◎2026年05月05日(火)「こどもの日」、この来歴を考えていけば、いろいろと不都合な部分が明らかになってくる。極端に聞こえるだろうが、「男尊女卑」の歴史を呼び覚ますことになる。「男の子の日」ではなく、本当の「こどもの日」になるには、まずいかなる子どもも、解放される必要があるだろう。▼見知らぬ夫婦が訪ねてこられた。拙宅の遥か先にある森の中の住人だが、拙宅の前の林(土地)を購入し、それに小屋などを立てるので、草取りをしていたという。「何卒よろしくとの挨拶」だった。「中田」と名乗られた。二人とも都内への勤務だという。▼午前中に庭の何本かの木の剪定をした。桜が4本(うちの一本は枯れていたので伐採)、さらに紅葉や南天(三本)など。まだまだやりたかったが、かなり気温も高く、疲れが出てきたので中止。▼昼前に買い物で茂原まで。店内は「こどもの日」のイベントで賑わっていた。なんでもない食料品などを少しばかり買ったのだが、会計は7千円を超えていた。物価高騰、その原因である「円安」の昂進と石油輸入不可という危機到来の前兆がすでに始まっているのだろう。「イラン戦争」は文字通りに「泥沼状態」がさらに長引く恐れがある。この国の「経済破綻」は「目の前」のような気がしている。(1089)
◎2026年05月04日(月)本日は「みどりの日」というらしい。快晴、終日自宅に。ほとんど何もしないままで過ごす。大型連休も半ばを過ぎて、残すところ二日間。▼新しい本を通販で購入するも、なかなか読書体制に入る気がせず。たぶん、ネット番組の見過ぎのせいだと思う。目は悪くなり、体重は増えてくるし、ろくなことがない。しかも家の外は30℃近くもある。都内では真夏日を記録したところもあるという。本当に夏と冬の二季の国になったようだ。(1088)
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