祈るべき天とおもえど天の病む

【水や空】狂気の隠し場所 よくよく見れば「脳」や「胸」という字には「凶」が含まれる。詩人の吉野弘さんに「同類」という短い詩がある。〈脳も胸も、その図(はか)らいも/凶器の隠し場所〉▲脳内に、胸の内に、人は口には出せない言葉、つまり本音を隠し持つことがある。皆がそうだとしても、その場しのぎの建前を並べたあとに別の場面で本音を漏らし、人の心をえぐるとすれば、その言葉は凶器だろう▲胎児性の水俣病患者の介護を巡る問題で、患者側から支援を求められた石原宏高環境相は4月末、患者と対立する熊本県水俣市の市長に、要望を「伝える」と述べた。自分が仲立ちする、市長と話をしてみる。そんな意味だと普通は受け取るだろう▲翌日の会見では「本人(患者)が目の前にいらっしゃったのでそう発言したが、現実には難しい」と言葉を翻す。患者側は環境省に抗議文を提出した▲その場を丸く収めようとついつい、いい顔をしちゃいましてね…という釈明が通用する立場ではあるまい。示すべきは国の責任であり、責任への自覚であって、言葉の凶器であるわけがない▲水俣病を題材にした「苦海浄土」の作家、石牟礼(いしむれ)道子さんに〈祈るべき天とおもえど天の病む〉という句がある。すがるべき政治が頼りにならない、という失望はどうやら今も昔も変わりない。(徹)(長崎新聞・2026/05/09)

 (ヘッダー写真:「水俣湾での漁猟の様子」Photo by W. Eugene Smith © Aileen Mioko Smith

⁂「週のはじめに愚考する」(118)~ こういう「二枚舌」政治家ばかりだというほかないような、この国の政治家の水準、まさに葛・愚図そのもので、ここに「政治家一丁上がり(「唐様で書く三代目」)ですね。こんな手合いばかりが政治家になるというのは何の因果なんですか。有権者も政治家になろうなどという輩も、少しは真面目に考えた方がいい。こんなことをシエラ、また「破滅(ruin)」ですよ。「世に盗人の種が尽きない」のと同じように、「(人間失格)政治家の種も尽きない」のは、この上ない、国民の不幸・不運でもあります。件(くだん)の御仁は「環境大臣」ではなく「環境破壊大臣」と名義を変えた方がいいでしょう。コラム氏は「脳」「胸」などを指して「狂気の隠し場所」とされますけれど、ぼくは、この手の人間には「本音」も「建前」もない、薄情専一なのだと思う。「地位と金」には人に数倍する執着があるのも不思議でもないでしょう。空虚の穴埋めというわけです。「口から出まかせ」しか言えないのが現代日本の政治家の標準なんでしょうね。

 この「日替わり発言」大臣の親は先年なくなった元都知事だった。知事時代、完膚なきまでに「都の学校教育」の姿態を破壊した張本人。彼の環境長官就任期間は1976年から一年間。同じく、長男が環境大臣に就いていたのは2012年から二年間。そして三男が就任したのが2025年11月の現内閣発足時においてでした。この間、すでに半世紀が経過している。親父から三代の環境大臣が同じ家系出身ですから、前代未聞、快挙という以上に、これは椿事も椿事、恐るべき愚挙でしょう。まさに、政治は彼等には「家業(稼業)」であって、虚言・失言や侮蔑発言もまた「家業(稼業)」の売り(セールスポイント)になっていました。人の苦しみ、命の尊厳を何とも思っていないくせに、「自分は偉い」とふんぞりかえる、そんな劣性遺伝子が、大なり小なり政治家にはついて回るのだが、そのような愚劣な輩が首相や大臣を務める国民の不幸の止むときはないと、つくづくぼくは思ってしまう。

 ~~~ 1977年、当時の環境庁長官だった石原慎太郎氏が熊本県・水俣市を訪れました。胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん/「見てください。いま」/懇談で水俣患者の女性から抗議文を突きつけられます。「患者に対し、「知能指数が低い」と発言した石原長官は最終的に土下座し謝罪します。」石原慎太郎 環境庁長官(当時)/「いま会った患者さんたちもかなりIQというか知能指数が低いわけですよね。この手紙は非常にしっかりした文章というか、あるタイプの文章に思いますけど、これは彼女たちが書いたものですかね」/患者に対し、「知能指数が低い」と発言した石原長官は最終的に土下座し謝罪します。(TBSテレビ・2024年5月14日(火) 14:28)

 新聞などは「土下座して謝罪」というけれど、実は「謝罪」なんか一つもしていないのがわかるはずなのに、そうは書かない。「土下座して謝罪」だか、「謝罪して土下座」だか、そんなことは彼らには何でもないことで、その場を取り繕う「儀式(芝居)」みたいなもの。その証拠に、この御仁もまた、その後も生きている間、「居丈高に尊大である」とは、こういことだという見本を示し続けました。彼の「けちなプライド(自惚れともいう)」が、自分に対して「謝罪」しろよ、などというはずもないでしょう。そんな彼に対して、マスメディアは(一部だったかどうか)「憂国の士」と持ち上げたもので、心底からぼくは呆れたね。(いらぬお世話かもしれませんけれど、彼は家庭にあっては「DVの権化」のような存在だったことは、彼自身が告白しています)

 「この親にして、この子あり(like father, like son.)」は真実ですね。長男の振る舞いもひどいものでしたが、ここでは胸糞が悪いので書きません。この元都知事は、しばしば物議をかもす発言をしました。ということは人間自体が物議をかもすようにできていた、いわば「偏見の塊(a bundle of prejudice)」だったということ。この輩を、高い支持率で何度も知事に当選させたのですから、選挙民の愚かさは万古不易というべきでしょうね。現都知事だって「学歴詐称」を疑われていますが、選挙民を煙に巻いて、いけシャーシャーとしている。もちろん、ぼくもその愚かな「不易」組の一人であることを否定はしませんが。

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 水俣病公式認定から70年、現環境大臣の「被害者侮蔑発言」の場面も、翌日の「釈明」会見報道も、ぼくは見ました。頭が空っぽで、官僚に命じられたままの発言をもって旨とする人間が、時には勇み足で「自分の口から、受け狙い」を語ると、きっと物議をかもす、失敗する。その理由はどこにあって、いったい、それはどういうことなんですか。いつだってそうだったし、今もなお、首相を筆頭に、いかに他人を誤魔化そうか、自分をどう売り込もうかという「二重基準」を背負って「職務」に励んでいるふりをする。ただ在任(罪人)日数を数えているだけなのか。お粗末としか言いようがありません。これが「日本の実力」ですね。それでも半世紀以上も前の政治家(のいくらかは)は自らの発言や行動には「責任」を持っていた節があったと思われます。それが「時代が変わった」ということなのでしょう、どんなに悪事を働いても、「責任」という十字架を持ち合わせていないのだ。残念というだけでは済まない、政治や政治家が「国民」を蔑視し、「嘲笑」の対象にしているとしか思えないことがあまりにも多すぎる。

 石原家三代に及ぶ環境庁トップは、きっと石牟礼道子さんの「苦海浄土」をただの一行も読んだことがなかったと、ぼくは断言できます。読んでいて、なお数々の「被害者侮辱」を繰り返したとすれば、それは大いなる「悪面皮」「非人間」だったと思う。縦(よ)しんば、読んだことがなくとも、人間に対する尊敬の念を十分に持っている、そんなことは当たり前ではないかと言えないのは、いつでも繰り返しているように、この国の近代「学校教育」の犯罪的所業、つまりは「優劣」識別機能の駆動のせいであるといっても間違いはないでしょう。この国は今なお、「幕藩体制」下にあるとしか思われないのです。それほどに、「大小」、「優劣」「名門意識」が何よりも重視され、逆に「人倫」の頽廃や差別感情が剥き出しなる現実には注意が深く及ばない、そこに、ぼくは「時代」や「世相」の、つまるところは人間の有する深すぎる「闇」を感じてしまう。言葉を失うばかりの酷さ、醜悪さだというほかありません。

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 以下は「水俣病公式認定70年当日のコラム「水や空」です。5月1日に駄文を書こうとしていて、別口に移って、そのまま保存していたもの。ここに、「蛇足」として、そのまま出しておきます。

【水や空】公式確認70年 補償交渉で冷たい「ゼロ回答」を聞かされた患者の叫びが克明に記録されている。「銭は1銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、42人死んでもらう」-石牟礼道子さんの「苦海浄土 わが水俣病」から▲呪詛(じゅそ)の言葉は続く。「奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。あと100人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」▲同じ苦しみを味わってもらう-。それが患者たちの真意でも望みでもなかったことは想像に難くない。自分たちに突き付けられたあまりの無理解と無責任は、こう突き放すしかなかったのだろう▲きょうから5月。「風薫る季節」の始まりは水俣病公式確認の節目の日でもある。1956年のこの日、熊本県水俣市の保健所に「原因不明の奇病」が初めて報告されてきょうで70年▲〈二審も患者と認めず〉-ちょうど1週間前の紙面に、水俣病の患者認定申請を退ける裁判の記事があった。原告の7人は〈公式確認の56年前後に生まれた〉人たちという。〈国の厳しい基準の下、患者認定された人は…申請者の1割に満たない〉と解説記事に▲70年は短い時間ではない。だが、水俣病は現在進行形のままだ。(智)(長崎新聞・2026/05/01)

◎ 石牟礼道子(いしむれみちこ)(1927―2018)= 小説家。熊本県天草に生まれ、まもなく水俣(みなまた)に移住した。父は石工。神経を病んだ祖母に守りされて不知火(しらぬい)海を見て育つ。商業実務学校卒業後、1947年(昭和22)結婚、平凡な主婦であったが、しだいに姿をあらわにしてくる水俣病への関心を深め、詩人、谷川雁(がん)のサークル村にも加わりつつ『苦海浄土(くがいじょうど)――わが水俣病』(1969)をまとめあげる。方言を駆使した語り体で、表現をもたない患者の代弁者として水俣病を描ききり、視線は日本近代の総体に対する批判にまで及んでいる。(↷)

(↻)続く『天の魚』(1974)、『椿(つばき)の海の記』(1976)で、水俣病患者を描いた三部作を完成させる。その後も『草のことづて』(1977)、『石牟礼道子歳時記』(1978)、『西南役(せいなんのえき)伝説』(1980)、『おえん遊行』(1984)、エッセイ集『陽(ひ)のかなしみ』(1986)、『乳の潮』(1988)、自伝的エッセイ『不知火ひかり凪(なぎ)』(1989)、時代小説『十六夜(いざよい)橋』(1992。紫式部文学賞)、エッセイ『葛(くず)のしとね』(1994)、自伝エッセイ集『蝉和郎(せみわろう)』(1996)、『形見の声――母層としての風土』(1996)、神話的な世界を描いた小説『水はみどろの宮』、『天湖(てんこ)』(ともに1997)、天草・島原の乱に材をとった大河小説『アニマの鳥』(1999)、水俣病を語り続けた著者の評論集『潮の呼ぶ声』(2000)、『煤(すす)の中のマリア――島原・椎葉(しいば)・不知火紀行』(2001)など、エッセイ、文明批評、小説を発表してきた。テーマは一貫して、高速化する近代に失われた風土の魂を救出する道の模索である。2001年(平成13)朝日賞受賞。(日本大百科全書ニッポニカ)

 《88歳の思想史家・渡辺京二が語る「作家・石牟礼道子の自宅に通った40年」 作家・石牟礼道子さんが、2018年2月10日未明3時過ぎに亡くなってから1年が経つ。/『椿の海の記』『西南役伝説』『春の城』『天湖』など、数多くの作品があるが、なかでも『苦海浄土 わが水俣病』は、1969年の刊行時から反響を呼び、2011年には池澤夏樹さん責任編集の「世界文学全集」に日本人作家の長編として唯一収録された。/当初『海と空のあいだに』と題されたこの小説の原稿を郷土文化雑誌の編集者として受け取ったのが、評論家・思想史家の渡辺京二さんだ。(後略)》「文春オンライン」・: 文藝春秋 2019年3月号

◎ 渡辺京二(ワタナベキョウジ)(1930-2022)= 1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。日本近代史家。主な著書に『北一輝』(毎日出版文化賞)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞)、『日本近世の起源』、『江戸という幻景』、『黒船前夜』(大佛次郎賞)、『未踏の野を過ぎて』、『もうひとつのこの世』、『万象の訪れ』、『幻影の明治』、『無名の人生』、『日本詩歌思出草』、『バテレンの世紀』(読売文学賞)、『小さきものの近代』他。2022年没。(著者プロフィール 新潮社)

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