諸君らに聊かの気節ありやなしや

【斜面】反骨の政治家は… 日本から政党が消えたのは1940(昭和15)年。戦争の時代に勝者となるには政治権力の結集が不可欠だと、各党は進んで解散し、大政翼賛の渦へなだれ込む。ただ、これに抵抗する人々もいた。37人が衆院会派「同交会」を結成する◆鳩山一郎や尾崎行雄、芦田均、片山哲ら、戦後政治で活躍する面々が加わっている。しかし多くは42年の翼賛選挙で落選の憂き目に遭った。楠精一郎著「大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち」が同じ志の3人を加えて歩みを紹介している◆流れに逆らうには強い決意と胆力が要る。信州からは3人の名が見える。国民主権を説き戦後は吉田茂内閣の大臣になる安曇野市出身の植原悦二郎、松本市長を兼務した百瀬渡、長野市長を務めた丸山弁三郎。「長野県人がみせた反骨」と同書は書く。先人の胸中に思いをはせた◆さて、今の政治家はいかに。大所帯となった衆院の自民党議員に注目している。元首相や大臣、党役員らが発起人となり、高市早苗首相の政策を後押しする有志の議連ができるという。党内の派閥復活を警戒し首相主導の政治に結束を促す狙いが透ける◆人気の首相が24年に編著、出版した「国力研究」を名称に掲げる。飛び込む議員は多いだろう。かつての派閥は多くが消えポストは首相の胸三寸。面従腹背の人もいよう。有志の政治活動とはいえ、異論を排すのなら自民らしくない。反骨の人材も見当たらないなら寂しく、そして危うい。(信濃毎日新聞・2026/05/09)

 本日の信濃毎日新聞・コラム【斜面】は「反骨の政治家は…」であります。日米開戦の直前、「無謀な戦争」の時代をさらに切り開くためには「大同小異」とばかり、時の政治勢力は大小となく、時の勢いに流されて、一蓮托生の思いを遂げようとしていた。「各党は進んで解散し、大政翼賛の渦へなだれ込む」(「斜面」)時代の勢いが書かれていた。まるで符節を合(がっ)するかのように、「時は来たる」と現首相が季節外れの「鬨(とき)の声」を挙げたのが、本年4月12日でした。八十余年を隔てて、いったんは途切れていたかに思われた「国家主義(ファシズム)」という「割符(わりふ)」が、再び結びつこうとしているかに思えます。

 まるで血迷った如くに昂然として叫(おら)ぶのでした。「どのような国を作り上げたいのか、理想の姿を物語るものが憲法です」 「理想の日本国を文字にして、歴史という書物の新たなページに刻もう。そのページをめくるべきかどうか、国民に堂々と問おうではありませんか。立党から70年、時は来ました」(朝日新聞・2026/05/04)憲法をまるでおのれの日記かエッセイのように誤読・誤解しているのは隠しようもありません。

 憲法改正の大義を掲げて、「憲法もアップデートせねば」と首相は述べたが、まるで時代おくれの「パソコンソフト」の如くに「矮小化」、いや「弊履」然と「現行憲法」をあしざまにするのです。そのおのれの姿態が見えないのですからだから、なんとも話にならぬ。遵守義務(「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」第九十九条)がある政治家、それも首相自身が、憲法を自家薬籠中の物扱い、まさしくその精神を「換骨奪胎(かんこつだったい)」しようとさえしているのです。「時が来た」とは、電工憲法は時代おくれの「古物」なのだから、ならば「さらに昔の姿に戻す」と時代逆流の宿願を語るのでしょう。現下、この国の政治勢力の情勢は十中八九は「政権与党」に与している。大同団結の掛け声は密にかけられているのです。八割を超える議席数を占めるのが、ほぼ与党だとみられます。「日本から政党が消えたのは1940(昭和15)年」ですから、現時点で、ほぼそのような「一国一党」状態の一歩手前ともいうべき事態にあるといえます。

 以下、やや旧聞に属しますけれども、一読に資するために引用しておきます。

  検証 戦争責任
「日本から政党が消えたのは1940(昭和15)年」で「国内の政治・経済・社会体制と外交政策の「革新」を求める動きは、昭和初期からくすぶり続けてきたが、四〇年に入って本格化する。近衛側近の有馬頼寧、風見章らは「近衛新党」を目指し、近衛は六月二十四日、「枢密院議長を拝辞し、新体制の確立のために微力を捧げたい」との声明を発表した。/陸軍も、近衛の新体制運動に期待した。ドイツ躍進の根源はナチスの一党独裁体制にあると考え、日本もナチスのような一国一党体制を敷き、日本に国家総動員体制を確立する必要がある、と考えたのである」「近衛首相を総裁とする大政翼賛会(たいせいよくさんかい)が発足したのは、一九四〇年(昭和十五年)十月のことだった」「国民も近衛の再登場を熱狂的に歓迎した。新聞各紙も「バスに乗り遅れるな」とばかり、新体制運動を支持し、三国同盟の締結を促した。読売新聞は、近衛内閣に「従来の半自由主義的な中途半端な考え方や方法では駄目だ」と注文をつけた。三国同盟が締結された当日の朝日新聞は、「いまぞ成れり“歴史の誓” めぐる酒盃(しゅはい)、万歳の怒涛(どとう)」と書いた。/内閣総辞職に追い込まれた米内は当時、知人あての手紙に「魔性の歴史というものは人々の脳裡(のうり)に幾千となく蜃気楼(しんきろう)を現わし……時代政治屋に狂態の踊りを踊らせる」と書いた。「時代政治屋」とは、近衛や松岡らを指していたのである。」(「ナチスを見習った大政翼賛会」読売新聞)
https://www.yomiuri.co.jp/sengo/war-responsibility/chapter2/chapter2-6.html

 今の時期、日本の政治は1940年10月に向かって逆流(backflow)、遡上(upstream travel)している。詰まりは「先祖返り」です。女性宰相は言宣言した、「ジャパン・イズ・バック」と。目指すは「大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)」時代であるのは明らかです。これを時代錯誤というのですが、それがなぜだか『日本劣島を強く豊かに』する方途だというのですから、まともに扱えない代物だと、ぼくには思われてくる。しかし、彼女にはたくさんのお手本と味方が付いているらしい。「さあ働かう!」という大政翼賛会のスローガンを、この政治家は「働いて働いて…」と眠りにある亡霊を呼び覚ますかのように叫び続けています。憲法改正が日程に上っていると、誰が言うのですか。どこをどのように改正するから、賛成だという世論が過半数を超えたというけれど、ぼくには「本当に?」、あるいは「そういうものか」という感想は湧くし、変えたければどうぞという、半分投げやりの気分があることをも隠さない。後で喚(わめ)きますよ、という話ですから。

◎ 大政翼賛会(たいせいよくさんかい)日中戦争・太平洋戦争期に政府主導で全国におかれた国民組織。新体制運動のなかで,第2次近衛内閣が新体制準備会の審議と9月27日の閣議決定にもとづいて,1940年(昭和15)10月12日に組織した。「大政翼賛の臣道実践」をスローガンとした。総裁は近衛文麿。機構は中央本部事務局,中央協力会議のもとに各自治体レベルの支部および協力会議が設置された。翼賛会の性格をめぐっては発足当初から議論があり,翼賛会が政治性をもつことは憲法違反のおそれがあるとされたため,41年2月には政治運動の中心としての性格を否定し,公事結社と称した。また地方支部の人事をめぐって内務省と翼賛会の間に対立がおき,41年4月には改組と職員の大幅入替えが行われ,内務官僚主導の精神運動組織,上意下達の機関となり,傘下にさまざまな団体をかかえ,町内会・隣組などが下部組織に編入された。45年6月国民義勇隊の設置にともなって解散した。(山川 日本史小辞典 改訂新版)

◎ 大政翼賛会(たいせいよくさんかい、旧字体: 大政翼󠄂贊會、英語: Imperial Rule Assistance Association)は、1940年(昭和15年)10月12日から1945年(昭和20年)6月13日まで存在した日本の政治結社。公事結社(公益のみを目的とする結社。…日本独自の概念である)として扱われる。「大政」は、天下国家の政治、「天皇陛下のなさる政治」という意味の美称、「翼賛」は、力を添えて(天子を)たすけること。/1930年代の日本において、不況や既成政党への不信感が渦巻く中で、ナチス・ドイツに倣ってファシズム(一国一党制による国家社会主義)へ政治体制を移行することによって、事態を打開しようとする動きが起こる。1937年から、近衛文麿内閣総理大臣を党首に担いでの新党結成運動がおこり、1940年に大政翼賛会が発足する。しかし、一国一党制への違憲論などにより一党独裁という当初の目的は薄れ、政府による社会統制を補助する国民運動体としての役割を担うにとどまった。(Wikipedia)

 とんでもない人物が首相を務めている「国の姿」という意味では、もはや「ナチス」時代に比肩しうるでしょう。目的を達成するためなら法律違反は言うまでもなく、憲法違反すら厭わないで「悪事を働く」、そんな人間が「正義」を語り「平和」を語るとは片腹痛いどころの騒ぎではないのです。自分は「危ない橋を渡っている」という自覚は十分に持っているからこそ、記者会見の場から逃げ回っているのではないでしょうか。ネット時代の不正の典型である「SNSによる誹謗中傷」画像の大量発信(公設第一秘書兼事務所代表が業者を通して発注したとされる)には一切無関係であり、事実無根であるというなら、週刊誌報道に対して断固とした法的措置を執らないのが不思議です。あれほどの「疑惑報道」がなされているにもかかわらず、「名誉棄損」なり「損害賠償」なりを求めて提訴すべきであるのは、公人たる「首相」の義務でもあるでしょう。あるカルト集団とかかわりがあると、一議員から指摘されたその場で、「名誉棄損」だと抗弁はしたが、一切の法的措置を執らなかったのは、なぜか。

 なによりも問題視しなければならないのは、大手新聞・テレビ(「公共放送」を名乗る某TVは特に酷いですね)の「首相の不祥事」に対する、あからさまな黙殺・容認です。すでにこの国のメディアは、率先して「大政翼賛」に参じているまぎれもない証拠でしょう。「アメリカのイラン攻撃」に発する石油危機は先の展望が開かれないままで「泥沼化」し、この国には円安・物価高・長期金利上昇という三重苦が生じている。いずれ日を置かずに、日本売り(国債の投げ売り)に端を発する、空前の「経済破綻」が迫っているのに、殺傷武器の輸出や戦争準備(国防費の増額)のための「狼煙」を上げ続けているのも、間違いなく、自らの政治責任からの醜い逃亡であることは間違いないでしょう。(左は「大政翼賛会」の記章。すでにいくばくかの「政治家たち」は胸につけているのではないのかな)

 政治・行政・経済、そして「権力の番犬(Watchdog of power)」たる職務を放棄している言論(人)に対して、言わなくてもいい一言を。「諸君らに聊かの気節ありやなしや」と。いまさら、問うも虚しい限りですね。「気骨と節度」があったなら、いくらなんでも、こんな無様なことにはならなっただろうし。

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