代悲白頭翁(劉希夷)
洛陽城東桃李花、飛來飛去落誰家。洛陽女兒惜顏色、行逢落花長歎息。今年花落顏色改、明年花開復誰在。已見松柏摧爲薪、更聞桑田變成海。古人無復洛城東、今人還對落花風。年年歳歳花相似、歳歳年年人不同。寄言全盛紅顏子、應憐半死白頭翁。此翁白頭眞可憐、伊昔紅顏美少年。公子王孫芳樹下、清歌妙舞落花前。光祿池臺開錦繡、將軍樓閣畫神仙。一朝臥病無相識、三春行樂在誰邊。宛轉蛾眉能幾時、須臾鶴髮亂如絲。但看舊來歌舞處、唯有黃昏鳥雀悲。

いつの時代でも「老若」「男女」の人生の悲喜・悲哀、あるいは俗にいうと「喜怒哀楽(emotion)」が詩になり歌になってきました。「オブラート」に包んだり、丸裸にしたりしながら。ぼくにはそのような「感情」や「想念」を詠みこみ、謳い上げる詩趣・風趣もなければ、文学・文芸の嗜(たしな)みも皆無に近いと、我ながら「憮然たる」思いがします。詰まりは名歌名詩を前に呆然自失の体であります。それでも、若いころから「漢詩」は好んで読んでいたように記憶している。ひたすら好きな詩文だけを読み漁ってきたということです。

この「代悲白頭翁」をいつ・どこで読んだのかさっぱり忘れてはいますが、たぶん教科書が初めで、次いで、左に揚げた「「新唐詩選」(三好達治・吉川幸次郎共著)だったような気もします。この時期はなぜだか、吉川幸次郎さんに入れ揚げていた。大学に入りたてのころ、吉川さんは東京に出てきて「講演会」を持たれたが、珍しいことに、ぼくはそれに参加したほどでした。どんな話だったか、今ではすっかり記憶の彼方になりましたが、その風貌だけは忘れていません。変な話ですが、講演を聴きながら、「このような人が亡くなると、その学識はすべて消滅してしまう」というような、漠然とした「脅威」を感じたことでした。
「新唐詩選」(岩波新書・1955年刊)の中で「代悲白頭翁」の解説を担当したのは三好さんでした。手元に「新唐詩選」がない(探すのが面倒なだけ)ので、あいまいな記憶のままで記すと、人生の無常を謳ったにしては「切迫感」「緊張感」が足りない、いかにもさっぱりしているという評言だったと思う。当たり前の話で、これを書いた当時、劉希夷は20代だったでしょう。なかなかの秀才で「科挙」の試験に合格した(進士)が、仕官しないで各地を放浪したとされています。20歳代で「人生無常」を痛感しないとは限りませんけれど、多くの場合、「若い感情・感覚」を通してみた「老境」「衰弱」「老醜」があるばかりで、この詩にもそれが表れて(若者によって、晒されて)いると、ぼくには読めました。
例によって、余計な注釈も解釈もつけません。繰り返し読むばかりで、それでぼくは満足します。わからなところはそのまま残り、でも、何か伝わる気もしてくるから、いい加減なものですね。「今を盛りに咲いている花も、きっと散り敷いてしまう」「若さの全盛期にある青年(青春)」もまた、「應憐半死白頭翁(まさに憐れむべし、死に瀕している白髪頭を)」といわれるに違いありません。その老衰の白髪頭だって、かつては「伊(こ)れ昔 紅顔の美少年」だった。

この国では「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」がいたずらに好まれてきたきらいがあります。「毎年、花は同じように咲く、それに反して人間は同じではない」と。しかし、よくよく考え(見)れば、似たように花は咲くけれど、去年のものとは違う。人もまた代替わりがあったとしても、先代とよく似たような容貌を世間に隠さないで生きているのだ。命あるものは、瞬間ごとに老いていき、衰えていく。「ハナニアラシノタトエモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(井伏鱒二「厄除け詩集」)とは、劉希夷は詠まなかった。「枯れてはいない」のですね。
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◎ よしかわ‐こうじろう【吉川幸次郎】中国文学者。兵庫県出身。京都大学教授。中国古典文学の研究にすぐれた業績をあげる。著「陶淵明伝」「杜甫私記」「元雑劇研究」など。明治三七~昭和五五年(一九〇四‐八〇)中国文学者。兵庫県出身。京都大学教授。中国古典古典文学の研究にすぐれた業績をあげる。著「陶淵明伝」「杜甫私記」「元雑劇研究」など。明治三七~昭和五五年(一九〇四‐八〇)(精選版日本国語大辞典)

◎ 劉希夷(りゅうきい)Liu Xi-yi= [生]永徽2(651) [没]永隆1(680)? 中国,初唐の詩人。汝州 (河南省臨汝県) の人。字,廷之。庭之もしくは廷之が名であるともいう。上元2 (675) 年進士に及第したというほかは,伝不明。琵琶をよくし,大酒飲みで奔放な生活をおくり,30歳にならぬうちに殺された。盧照鄰,駱賓王のあとをうけて,長編の七言歌行が多く,当時の宮廷詩とは趣を異にしたが,従軍詩,閨情詩にすぐれた作品を残した。現存するのは 35首のみであるが,『唐詩選』に採録された『代悲白頭翁』『公子行』の2首が特に有名。(ブリタニカ国際大百科事典)(左画、ヘッダーと同じもの・代悲白頭翁:圖源網絡)
(「幼くして父を失い、母と共に外祖父の下に身を寄せ20歳頃まで過ごした。容姿は優れており、物事にこだわらない性格で素行が悪かった。酒と音楽を好み、琵琶の名手であった。675年(上元2年)進士となるが仕官せずに各地を遊覧した。/“年年歳歳花相似 歳歳年年人不同”で有名な詩「代悲白頭翁」が代表作。この詩を発表前に聞いた母の兄弟である宋之問は、非常に気にいって詩を譲るよう頼んだが、劉希夷はこれを断った。怒った宋之問は下僕に彼を殺させたという説がある。詩集4巻がある」)(Wikipedia)
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(参考)
白頭翁代 劉希夷(りゅうきい)
洛陽城東桃李(とうり)の花
飛び来たり飛び去って誰が家にか落つ
洛陽の女兒顔色を惜しみ
行くゆく落花に逢いて長嘆息す
今年花落ちて顔色改まり
明年花開いて復た誰か在る
已に見る松柏の摧(くだ)かれて薪と爲るを
更に聞く桑田の変じて海と成るを
古人また洛城の東に無く
今人還た対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す全盛の紅顔子
応に憐れむべし半死の白頭翁
此翁白頭真に憐れむべし
伊(こ)れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹の下
清歌妙舞す落花の前
光禄の池台錦繍を開き
将軍の楼閣神仙を画く
一朝病に臥して相識(そうしき)無く
三春の行楽誰が辺りにか在る
宛転娥眉能く幾時ぞ
須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ)乱れて糸の如し
但だ看る古来歌舞の地
惟黄昏鳥雀の悲しむ有るのみ
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