
この一か月以上、バンクシーの新たな「彫像」の出現にぼくは神経を奪われていました。深い理由などなんにもありません。いかにもバンクシーらしい表現の仕方を今度もまた見せてくれた、そんな率直な感想しかわかなかった。新聞記事で「像」見た瞬間に、咄嗟に浮かんだのは、自らの掲げた「旗」で前が見えなくなって、まさに奈落に向かって「墜落寸前(もう一歩)」の人物」だということです。「人物」はどこの誰でもいいでしょう。あえて言うなら「政治家」、それも権力行使者です。どこの国であっても構わない「我が国ファースト(一番)」と旗を掲げたはいいが、それに眼が晦(くら)まされて、墜落寸前です。次の瞬間には真っ逆さまに落ちているはず。

この国の首相を「稀にみる権勢欲旺盛な無能者」(「天は二物を与えず」)とみてきました「この劣島を強く豊かに」(ぼくには意味不明です)「世界の真ん中で咲き誇れ」(あり得ない夢想です)と、高らかに「嬌声」を発しながら、軽薄にも大時代の狼煙(のろし)を上げ続け、また、その首相の任にあるにしては、無類の無能者を「圧倒的な数(これまた無思慮な)の支持者」が背中を押し続けているという、実に目にはしたくない(ぼくにとって)風景を見せられています。多くの虚報・誤報が正しければ(言語矛盾です)、この国には「救世主(女神)が出現」した、幸運かつ麗しくも豊かな国(国柄・国体)であります。しかし、すべての虚報が「真実」であろうとも、現実は現実、いくつもの犯罪を疑われる行為を身に纏(まと)いつつ、それを隠蔽するのに躍起になって、国民の前に堂々と姿を現せないで逃げ回っている、その卑屈な仕草・振る舞いは滑稽であり悲愴でもあります。外では媚態、うちでは「弁慶」という、典型的な弱虫です。それを、なぜだか必死に防衛擁護する「親衛隊(SS)」、それがマスメディアなんですね。そんな宰相を持った国民も同様に「滑稽であり悲愴」であることは間違いありません。
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《バンクシー、ロンドン中心部の新作彫像は自分の作品だと認める オーレリア・フォスター(ロンドン) 世界的な覆面芸術家バンクシーは4月30日、ロンドン中心部に前日、突如として登場した大きい像が自分の作品だと認めた。バンクシーのサインが台座に刻まれたこの像は、スーツ姿の男が大きな旗を掲げている姿のもので、手に持った旗で顔が完全に覆い隠され、前へ歩こうとして台座を踏み外している様子が描かれている。/像がいきなり設置されたセント・ジェイムズ地区のウォータールー・プレイスは、帝国主義や軍事的優位を称えるために1800年代に設計された。バンクシーは今回の像を、国王エドワード7世やフローレンス・ナイチンゲール、クリミア戦争記念碑などの像の近くに置いた。/バンクシーの代理人はBBCに対し、像が設置されたのは29日早朝のことだと明らかにした。その後、バンクシー本人が30日午後、自分のインスタグラムの自分のアカウントに動画を投稿した。(中略)

BBCのポッドキャストシリーズ「バンクシー・ストーリー」を作ったジェイムズ・ピーク氏は今回の像について、「胸を張って威張り散らす権力者が、旗によって完全に視界を遮られ、そのために台座から足を踏み外そうとしているという、見事な批評が表現されている」と指摘。「一瞬が、完全に切り取られている。一般的な彫像では実際見られないものだ」とも述べた。/バンクシーが「またしても見事なクーデターを成し遂げた(中略)ここに置いたという配置の妙が、圧倒的だ」ともピーク氏は評した。/「いったいどうやって、こんなことができたのか分からない。これほど警備の厳しい場所に、どうやって荷台の低いトラックを乗り入れて、巨大な樹脂製の像を設置できたのか」/設置場所についてピーク氏は、「イギリスには、征服を繰り返した帝国主義的な過去がある。そのことを、私たちは直視しないとならない。バンクシーが心底忌み嫌う過激なナショナリズムも、その一部だ」と話し、「(バンクシーの)作品は、その一つ一つが社会運動だ」とも述べた。
インスタグラムではバンクシーの投稿に対し、「皆が忘れた頃に現れて、誰にも気づかれずにフルパワーで到着するのが大好きだ」というコメントが書き込まれた。別のユーザーは「長年のバンクシー・コレクターとして、今回の作品は本当に響く。巨大なモニュメントのようなエネルギーがありつつ、その意図は残酷なほどシンプルだ。自分の旗のせいで何も見えなくなったスーツ姿の男。まさにバンクシーだ。最初は静かだが、一度見たら忘れられない」と書いた。》

(❶ヘッダー写真「この像が4月29日、ロンドン中心部ウォータールー・プレイスの台座に登場した」)(❷左上写真「台座に刻まれたバンクシーの署名」)(❸右斜め上写真「長年の歴史を持つ会員制社交クラブ『アシーニアム・クラブ』の建物の前に、バンクシーの像は置かれた。修繕中の建物の前面には金色の女神アテナの像が置かれている」)(❹右写真「像の写真に大勢が集まり次々と写真を撮った。(04月30日、ロンドン)」)(いずれもBBC・2026/05/01より)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c8e8lzeg4y3o) (英語記事 Banksy confirms he’s behind statue in central London)
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永田町、あるいは霞が関の大通りの真ん中に「嬌態」を演じる権力者の姿態(「虚像」)を晒す、そんな「疾走する芸術家」はただの一人も存在はしません。この国の現実は「平和」「長閑(のどか)」、あるいは、毎日が「小春日和」とでもいうほかない、べた凪(なぎ)の状態です。どんな緊急事態が突発しても、「大丈夫だあ」「我が国は神の国です」「神州不滅」といえば治まる、それこそ未曽有のおめでたい国なのでしょうか。今のこの時代に「天皇親政」を祈願するという、ぼくには想像すらできない、時代錯誤を地で行く首相たち。その多くは「付和雷同」であって、いささかでも事変もどきがあれば、支持者であることを即座に捨て去る輩ばかり。まさに、首相人気は「紙風船」なんですな。
「私は、日本(ニッポン)と日本人(ニッポンジン)の底力を信じてやみません。日本(ニッポン)の誇るべき国柄(クニガラ)を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代を顧み、わが国の伝統や歴史の重みをかみしめながら、将来に思いを致す機会としたいと思います」(「昭和100年記念式典」首相式辞より)(註 何を根拠に、かかる「作文」を書くだけでなく、国民に向かって読み上げるのでしょうか。まるで「紙芝居」風の心ない技です。山埜記)

(*「国柄」は「国体」と同義とされます。「国体(こくたい、旧字体: 國體)とは、国家の状態、国柄のこと。または、国のあり方、国家の根本体制のこと。あるいは主権の所在によって区別される国家の形態のこと。国体という語は、必ずしも一定の意味を持たないが、国体明徴運動後の1938年当時においては、万世一系の天皇が日本にに君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い、臣民も天皇の事業を協賛し、義は君臣であれども情は親子のごとく、忠孝一致によって国家の進運を扶持する、日本独自の事実を意味したという。/国体論は、幕末に水戸学によって打ち立てられ、明治憲法と教育勅語により定式化された。国体は、天皇が永久に統治権を総攬する日本独自の国柄という意味をもち、不可侵のものとして国民に畏怖された」(Wikipedia)

現行憲法を改正し、大日本帝国憲法時代に「グレードダウン(Japn Is Back.)」(回帰・後退:regression)させたいというのが現首相の宿願であることを隠さない、「おめでたさ」です。おそらく、そうなれば、国民の多くは(あまり賢くなさそうでもありますが)、「下駄の雪」よろしく、唯々諾々と「尻馬に乗る」とはぼくには思われない。「ごっこ遊び」をする民衆の姿を見ていると、「下駄の雪になるものか、なってたまるか」という伸びやかな「覚悟」ができつつある、そう考えられてきます。「主権在民」を否定するような総理大臣、そんな人物が崇(あが)める「国体(天皇制)」主義をこそ克服し、大なる犠牲を強いられてなお、孜々営々(ししえいえい)と今日の「民主国家」を作り上げるべく務めてきたのが、無辜無量の民衆(国民)ではなかったでしょうか。(そんなことはあり得ないでしょうけれど、もしも、ひょっとしたら、この「首相」、自分は国における「第一人者(国王)」だとみなしている節があるから、困ってしまうのです。過日の「昭和100年記念式典」における振る舞いは、怖いものなしの傍若無人ぶりでした。その批判の際に、「不敬(disrespect)」という語を使ったように、ぼくには考えられない「主催者」ぶりでありました)
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本日は、早くに、以下のような3本の「コラム」について駄弁ろうかと思っていたのですが、バンクシーの「風刺」、いや「批判」精神がぼくを使嗾(しそう)し、そんなことでいいんですかい、と唆(そそのか)し続けたという次第です。「天に神はいまし、すべて事もなく(God’s in his heaven, all’s right with the world)」(ブラウニング)、「赤毛のアン」は今どこにいるのでしょうか。
【三山春秋】▼1万年前、ただの野生の草に過ぎなかったが、ほんの数千年のうちに世界中で生育した。生存と繁殖という進化の基準に照らすと歴史上で指折りの成功を収めた―▼『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)は、人間が狩猟から農耕に移行後、朝から晩まで手がかかる小麦の世話に明け暮れるようになったと分析。人間が小麦を栽培化したのではなく、小麦が人間を家畜化したと喝破している▼われわれは小麦に支配されているのか。確かにそんな気もする。うどん、おきりこみに焼きまんじゅう―。粉もの文化の中で育ってきた県民の皆さんの中にもうなずかれる方がいるのでは▼きょうは「コナモンの日」。日常食べてきた麺類に対し、個人的に焼きまんじゅうはハレの日の食べ物のイメージがある。子どもの頃、いつもより多めの小遣いを握りしめ向かった地域のお祭り。屋台からの甘く香ばしい匂いは、にぎわう様子とともに脳裏に刻まれている▼先日前橋で行われた焼きまんじゅうフェスで、そんな昔の記憶がよみがえった。みそだれの香り漂う会場では、各店のブースの前に長蛇の列。やはり焼きまんじゅうには非日常、祭りの風景がよく似合う▼とあらためて感じていたところ、普段使いのセブン―イレブンで販売が始まった。早速食べてみた。確かに焼きまんじゅうだ。手軽に食べられて便利だが、はて、ハレとケの境界はいずこへ…。(上毛新聞・2026/05/07)

このような「コナモンの日」を茶化すつもりは毛頭ありません。平和であればこその一幕ですから、大いにこの状況を堅持すべきだとさえ考えている。「子どもの頃、いつもより多めの小遣いを握りしめ向かった地域のお祭り。屋台からの甘く香ばしい匂いは、にぎわう様子とともに脳裏に刻まれている」 「みそだれの香り漂う会場では、各店のブースの前に長蛇の列。やはり焼きまんじゅうには非日常、祭りの風景がよく似合う▼とあらためて感じていたところ、普段使いのセブン―イレブンで販売が始まった。早速食べてみた。確かに焼きまんじゅうだ。手軽に食べられて便利だが、はて、ハレとケの境界はいずこへ…。」(「三山春秋」)
【いばらき春秋】1カ月ぶりに帰った実家は見る影もなく草が茂っていた。シルバー人材センターに剪定(せんてい)を頼み、桜の頃までは整った庭だったはずだが、植物の生命力には恐れ入る。里山の新緑は目に優しいが、足元の雑草の勢いは目に痛い▼「私もやるわ」と連れ合いが草刈り機を手に取った。県北の山あいに2台のエンジン音がこだまする。ふと見上げれば、1羽のツバメがひらりと宙を舞い、キジの鳴き声が汽笛のように響き渡った▼ひと仕事終えても、まだ汗が噴き出すほどではない。次回の草刈りは梅雨前後か。その頃には爽やかな空気は雲散霧消し、不快な汗にまみれる過酷な作業になるだろう▼祝日がこの時期に集中したのは戦後の法改正による。1951年ごろ、映画業界が宣伝に用いた「ゴールデンウイーク」の呼称が定着した。週休2日制などの普及を経て、今や大型連休は国民の習慣となった▼しかし、近年の気候変動が連休の価値を変えつつある。40度以上の「酷暑日」が現実となる今、初夏の連休こそが、屋外で健やかに動ける「黄金」の時季として輝きを増しているのではないか▼八十八夜を過ぎ、奥久慈では茶摘みが始まる。頬をなでる風がすがすがしいうちに、新茶の香りを求めて足を延ばしたい。(山)(茨城新聞・2026/05/07)

ぼくにとっては、除草作業は毎年数回に及ぶ年中行事と化しているので、コラム氏の「里山の新緑は目に優しいが、足元の雑草の勢いは目に痛い」という気持ちに同情を禁じえません。除草すれば、その出番を待っていた、次の草類が勢い込んで生えてきてくれます。「除草」は草類と人間との「土地獲得」競争であるでしょう。農薬を使わないなら、なおのこと、この競争は休めない。怯(ひる)んだら負けですね。そして「県北の山あいに2台のエンジン音がこだまする。ふと見上げれば、1羽のツバメがひらりと宙を舞い、キジの鳴き声が汽笛のように響き渡った▼ひと仕事終えても、まだ汗が噴き出すほどではない。次回の草刈りは梅雨前後か」(「いばらき春秋」)とは、いかにも甘いですね。一週間もすれば、青々と新しい草が、コラム氏をお迎えしてくれるはずです。
【日報抄】〈地を這(は)っても 帰らなければならぬ 杖(つえ)をついても 帰らなければならぬ〉。福島県浪江町は2011年の福島第1原発事故で全町避難を強いられた。町内の一角に、この詩を彫り込んだ碑が立つ▼言葉の主は地元で長く詩人として活動してきた根本昌幸さん。ご当地ソングや幼稚園の園歌の作詞を手掛けたこともある。避難生活が続く中、生まれ故郷に何としても戻るという強い決意を記した▼「望郷」という言葉だけでは言い尽くせない、血を吐くような思いが伝わってくる。原発事故がもたらした理不尽への怒りと悲しみが消えることはなかったようだ。町内では一部地域で帰還が認められるようになったが、根本さんは戻ることなく21年に74歳で世を去った▼過去の作品を広く集めた「全詩集」が先ごろ出版された。事故が起きる前は昆虫をテーマにした詩集を出したこともある。地元の自然や風土、人に温かな視線を向けた作品が目立つ。そんなふるさとを、あの事故が奪い去った▼新潟県にも、浪江町を含めた福島県から多くの人々が避難した。事故直後のピーク時には、9千人余りに上った。ことし3月末時点でも、約1700人がふるさとへの思いを抱えながら、本県に身を寄せている▼根本さんの碑の下には、生前の免許証が埋められた。「みうらひろこ」の筆名で詩人として活動する妻の洋子(ひろこ)さんは言う。「風に乗ってでも帰って来られるように…。そんな思いを込めたんです」。風は詩人の魂を運んでくれるだろうか。(新潟日報・2026/05/07)

十五年たっても、ではありません。時がたつほどに、失ったものの「かけがえのなさ」を知らされるのです。原子力発電を「国策」として、なりふり構わずに設置を進めてきた国家というものが、どれほど国民の犠牲をいとわないか、それをここでも嫌というほど見せつけられているのです。許しがたい「暴力」ですし、その暴力の主体に企業はすり寄って、「国家の一部でござい」とふんぞり返っている。それを前後左右から擁護してきたのもまた、政治や行政であった。「『望郷』という言葉だけでは言い尽くせない、血を吐くような思いが伝わってくる。原発事故がもたらした理不尽への怒りと悲しみが消えることはなかったようだ。町内では一部地域で帰還が認められるようになったが、根本さんは戻ることなく21年に74歳で世を去った」(「日報抄」)無念の犠牲を強いられた方々に、「合掌」です。
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