【新生】「世界の世話やき」 「時は来た」と、先月の自民党大会で高市早苗首相が、憲法改正に意欲を示した。大会で発表された党の新ビジョンでは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」との憲法前文の前提が、ロシアによるウクライナ侵攻で崩れたことを必要性の理由に挙げている▼この前文に対して高市氏は、2000年の衆院憲法調査会でも「この非常におめでたい一文を真っ先に変えたい」と主張していた▼憲法の基軸にある国際協調による平和主義について、熊本市出身の山室信一・京都大名誉教授は幕末以来の日本の思想家にも源流があるとしている。『憲法9条の思想水脈』(朝日新聞出版)でその筆頭に挙げているのが、熊本藩士で「明治維新の陰の指南役」と称された横井小楠だ▼小楠は日本の使命として、「世界の世話やきにならなければならない。一発で一万も二万も戦死するというような事は必ず止めさせなければ」と、大量破壊兵器による現代の戦争を予見したような言葉を残している▼その平和主義のパートナーとして米国を挙げ、「一和協同して、然[しか]る後に各国を説き、遂[つい]に四海の戦争を止めん」とも訴えていた▼高市氏は3月の日米首脳会談で「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」と持ち上げて、「私は諸外国に働きかけて、しっかりと応援したい」と述べた。これは「平和を愛するトランプ大統領の公正と信義に信頼して」、「世界の世話やき」を果たすことを表明した言葉だったのか、どうか。きょうは憲法記念日。(熊本日日新聞・2026/05/03)

⁂「週のはじめに愚考する」(117)~ 現行「日本国憲法」を目の敵にするような人間が首相を務めるというのは、笑えない「冗談」、ではすまない、ウルトラジョークだと思う。本日は「憲法記念日」です。これまでにも、この駄文録では何度も触れてきた「憲法」に関して、いろいろなことが語られてきましたが、要は「政治権力」の越権行為や逸脱・暴走を戒めるための最高法規です。だから、だれかれの区別なく、「国民」たるものには憲法順守が求めらてきました。
熊日新聞コラム「新生」の中に現首相の発言が出てきます。 「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』と、この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」(「高市議員(2000年9月 衆院・憲法調査会))「憲法前文」を嘲笑(あざわら)う人が「首相」であるという、嘲笑えない「現実」に、ぼくたちは、その日を生きています。強烈な「自家撞着(self-contradiction)」(「自己矛盾」)のようなものを感じないでしょうか。
(蛇足 コラムの中で横井小楠のことが書かれています。熊本という同郷の誼(よしみ)だということでしょうが、ぼくは小楠からたくさんのことを学んだ。時代の状況を考えれば、この劣島という狭い世界を衝く抜けて、世界視野の「政論(「有道論」)」を持っていた人として、まことに稀有の存在だったと思う。若いころに「小楠論」を書いたこともある。忘れてはいけない人物でしたね。機会を見つけて、駄文を綴りたいと、長く思い続けている)

◎ 横井小楠(よこいしょうなん)(1809―1869)= 幕末維新期の思想家、政治家。熊本藩士。名は時存(ときあり)、小楠は号。藩校時習館に学んで朱子学的教養を身につけ、実学にも関心を寄せた。1839年(天保10)江戸に遊学、佐藤一斎(さとういっさい)、藤田東湖(ふじたとうこ)らと交渉をもったが、過失あり帰藩逼塞(ひっそく)を命ぜられた。ペリー来航時攘夷(じょうい)論を唱えたが、その後世界地理書『海国図志』(ブリッジマン著、魏源編集)を読んで開国通商による富国強兵論を主張するに至った。1858年(安政5)福井藩主松平慶永(まつだいらよしなが)の招聘(しょうへい)を受け藩校明道館で講学、ついで江戸へ行き、政事総裁職となった慶永の補佐にあたり、開国貿易、殖産興業、海軍強化策などを説いた。1862年(文久2)刺客に襲われた際の挙動が士道に背くとして藩から帰国を命ぜられ、知行(ちぎょう)没収、士籍剥奪(はくだつ)の処分を受け蟄居(ちっきょ)。明治政権成立後、徴士、参与、制度局判事となり、岩倉具視(いわくらともみ)の信任を受けたが、病気のためたいした活動はできなかった。しかも洋風化の中心としてキリスト教を広めるとみた旧攘夷(じょうい)派のため暗殺される。彼は外国語に通じなかったがよく西洋文物を理解し、勝海舟(かつかいしゅう)、坂本龍馬(さかもとりょうま)らを敬服させたが、その教養の根底には政治と学問とを連続したものとみなす朱子学の理念が強く流れていたといわれる。(日本大百科事典(ニッポニカ)
「独立した主権国家の国民としてのプライドにかけて『日本の心と言葉を持った憲法』へと書き直すべきだと思っている」「まず、前文には、目指すべき国家像を書き込む。『国家はどうあるべきか』『国民はどうあるべきか』を冒頭に示すのだ」「日本国は自衛の為の戦力(国防軍)を持てる」「日本国民は、国防の義務を負う。有事の際(中略)私権の一部制限に協力する」(「高市氏の論文(2004年))などと、とても勇ましい憲法改正論を展開している。(【報道特集】・TBS・2026年5月2日(土))(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2640528?display=1)「日本の心と言葉を持った憲法」とは、『日本列島を強く豊かに』とかいう、やたらに国家だけを強調する、観念過剰憲法だというのですか。「主権国家」とは「徒(いたずら)に米国尊重、迎合至上主義」を言うのでしょうか。

そして、今や総理大臣になったのだから、まさに「時は来た(The time has come.)」と叫んだ次第で、何の違和感もないというところでしょうが、さて、どうしたものか。この人は、その場その場で「向こう受けする言辞」を吐き出してきただけであり、ある意味では「腰が軽い(軽躁な)」「口も軽い(出任せ)」というほかない振る舞いに満ちている人だと、ぼくは見てきました。「憲法」と雖(いえど)も、それこそ「不磨の大典(「明治憲法」の美称とされた表現)」などではありません。それゆえ、修正すべきところが出てくるのは避けられない。ぼくもいくつかの条文の見直しは必要だと考えているものです。何年も前に国会に呼ばれて憲法調査会だったかで発言した際にも「改正条項」に触れたことがありました。(左写真は「あんたのバラード」???)

しかし、「憲法前文」を「この非常におめでたい一文」、これこそ真っ先に抹消したいというほどの、まさしく「憲法蔑視」「前文敵視」を隠さない人間は、「首相」になるべきではなかったのではないでしょうか。「独立した主権国家の国民としてのプライド」という「まともな矜持」を今も、当時も持っている・いたというのでしょうか。米国随従は誰の目にも明らか、だからこそ、その「独立」の第一歩を標(しる》すべき立場にあるにもかかわらず、さらに「盲従」の歩を進めているという自覚(反省)もないのですから、何をか況(いわん)や、です。(右写真では国旗と自民党(ロゴ)が並べられているけれども、自衛官は「自民党」に向かって国歌を歌唱しているんですね。「ファッショ」を誇示しているのでしょうか)

《自民党は12日、高市早苗首相(党総裁)の就任後としては初めてとなる党大会を都内のホテルで開いた。首相は「日本人の手による自主的な憲法改正は党是だ。時は来た」と主張。「改正の発議にめどが立った状態で来年の党大会を迎えたい」と語り、国会での改憲議論を加速するべきだとの認識を示した。具体的な改憲項目は言及しなかった。/首相は改憲について、「議論のための議論であってはならない。国民の負託に応えるためには、決断のための議論を行うべきだ」と述べた。改憲の発議には衆参両院で3分の2の賛成が必要で、自民は衆院で単独で3分の2を超えるが、参院では半数に満たない。与党内での議論はまとまっておらず、野党からの賛同のめどは立っていない。期限に言及することで、首相は党内外の動きを促す狙いがある。》(朝日新聞・2026/04/12)
「右へ右へと、草木も靡(なび)く」(異説「佐渡情話」)
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ここで、一人の「芸人」を紹介しておきたい。「松本ヒロ」さん。鹿児島出身の「芸人」(「誰もが言えないこと、言いたくても言えないこと」をいうのが「芸人」だと、故立川談志氏に言われての「芸人」人生だという)。もう一つの勲章は、あまりにもキワドイ政治ネタの速射砲なので、テレビ界が敬遠、いまや「テレビで会えない芸人」という称号で、番を張っています。彼の出し物(特異・得意演目)「憲法くん」は、よく演じられる「一人芸」であり、ぼくはこれまで何度聴いたことか。現首相との比較を云々したいのではありません。「憲法」とはなんであるかという、「基本の基」を笑いながら教えられるという意味で、まれな「芸人」の秀逸な「芸」だと、ぼくはいつも感心しながら笑ってきた、。いや、笑いながら感心してきたものです。
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《笑い、闘志と希望生む 松元ヒロさん 連載企画「憲法 マイストーリー」第1回 「こんにちは、憲法くんです」「憲法くんは、個人の自由が奪われないように、国を治める人たちが自分勝手な政治を行わないように、歯止めをかけているのです」/コメディアンの松元ヒロさん(1952年生まれ)による、この一人芝居「憲法くん」は20年続いてきた。7分間で憲法の制定過程や役割を説き、前文を全て朗読する。作家の故井上ひさしさんは「感動した。あらゆるところでやってほしい」と語った。/2017年も月に2~3回は演じたが、こんなせりふを加えている。「変なうわさを耳にしたんですけど、本当ですか。私がリストラされるかもしれないという話」 ▽焼け跡から 自民党が9条など改憲4項目の論点とりまとめを公表する前日の17年12月19日夜。松元さんは東京・池袋にある東京芸術劇場プレイハウスのステージに立った。834の客席はほぼ満員で、その多くが40代以上だ。(中略)》

《「直近の時事ネタをテンポよく続けた後は、母校鹿児島実業高のネタに。松元さんは駅伝選手として活躍した。「当時、高校には二つのグループがあったんですよ。グラウンドを走るグループと非行に走るグループ」/大笑いの客に「憲法くん」が絵本となり、出版されたことを伝える。/「本には焼け跡の絵があります。二つの原爆を落とされ、(第2次大戦で)310万の日本人が死にました。アジアでは2千万人です。こんな戦争が二度とあってはならないからできたんですよ、日本国憲法は」/「押し付けられたという人がいるけど、マグナカルタや米独立宣言、フランス人権宣言などのいいところを集めたんですよ。例えば、ご祝儀は押し付けられたからいらないと言う人がいますか。日本独自の憲法がほしいなんて、了見が狭いよ。『日本会議』は『地球会議』になりなさい」と畳み掛ける。1時間50分、笑いを取り続けた。(後略)》(共同通信・2018年10月18日 14時44分)(https://www.47news.jp/2881381.html)
(⁂ 松元ヒロさん「憲法くん」ダイジェスト:https://www.youtube.com/watch?v=Pw8kAKmOODc)
(ヘッダー写真「東京芸術劇場プレイハウスのステージに立つ松元ヒロさん」)(2017年12月19日:撮影・稲葉拓哉)
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(参考文献: 「文部省 あたらしい憲法の話」)

《これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。
みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。(↷)

みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、一つ一つ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。(↷)

それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。》(1947(昭和22)年8月2日文部省検査済)
◎ あたらしい憲法のはなし=旧文部省が1947年8月に発行した社会科教科書。同年5月3日に施行された憲法の基本原則である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義などについて解説している。文体はですます調で挿絵が多用され「天皇陛下」や「地方自治」といった章もある。当時のものはB6に近いサイズで53ページ。童話屋(東京)が2001年に復刊した本は、今も年間2万~3万部売れているという。(共同通信ニュース用語解説
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