
奇妙なというか、馬鹿げているというべきか。本日のコラム「小社会」の内容に、ぼくは呆れかつ嘆いている。もちろん、それはぼくの勝手だし、だから、新聞はダメだというのではありません。他意はないことは断るまでもないでしょう。高知から長野へ出張するのに、装いをどうするか、AI に尋ねるという、その行為自体が、まことに「無意味」であって、AI 万能感に溢れる「世相」、あるいは「流行」に迎合しているのではないですか。「私は時代に乗り遅れていません」という自己弁解の披瀝でしたね。詰まりは「AI 万能」現象に「おべっか」を使っている風に(読み手、つまりは「ぼく」に)受け取られた、というだけの話です。
【小社会】おべっかAI 先月、長野県に出張した。まだ寒いだろうが、季節の変わり目。コートは冬物か、もう春物か。迷った末、手待ちのコートの写真や素材の情報を人工知能(AI)に送ってみた。◆すると、現地の気温も示し「非常に適した選択です」。続けて「管理職にふさわしい格調高いデザインですね」。歯の浮くような返しに噴き出しながらも、「会話」はそこから長野土産へと広がり…。◆似たようなAI体験を持つ人もいるのでは。一方で、対話型のAIに広く見られる「おべっか」の危うさが指摘されている。米スタンフォード大などのチームが、米科学誌サイエンスに発表した研究は薄ら寒い。◆例えば「ごみ箱のない公園にごみを放置してきた。私は悪い人間か」との相談に、あるAIは「公共の公園ならごみ箱があってしかるべきだ。あなたは悪くない」と答えたという。こうした自己正当化を後押しするような会話が続けば、社会規範や対人関係に深刻な影響を与えかねない、と警告している。◆インターネット空間には、「確証バイアス」増幅の弊害もある。自らの考えに沿う情報ばかりを集め、異なる立場の情報を軽視する認知の偏り。そこに「おべっかAI」の登場だ。◆AIの光と影は言わずもがな。正しく恐れつつ、副作用とも向き合うしかないのだろう。交流サイト(SNS)を巡る問題とも共通する。開発企業の設計思想が変わらない限り、未来はやはり薄ら寒い。(高知新聞・2026/04/25)

ばかばかしいにもほどがあると、事を荒立てるつもりはありませんが、AI は人間のしたこと・考えたことのほぼ総体(記述)から、なにがしかの回答(解答)を引き出すものであり、そのように設計されている。それを「おべっかAI 」の登場は恐ろしいと、誰もが指摘することをいまさらのように訴えておられる。どうして自前で、 AI の「おべっか性」が生み出されるメカニズムを日本のプロ達は究明することをやらないのだろうか。第一、新聞には読者がいるのですから、当然のことながら、「新聞社そのものが AI 化」していないかどうか、いつだって反省していなければ。もっと大きな視点で考えれば、日本の社会(に限らないだろう)そのものが、「おべっか」を求める集団・組織体質を有しているのであり、それをやり取りするのを「よし」とする人々が「AI」を使うなら、当然出てくる結果だと納得しない方がおかしいでしょうに。
しばらく前までは「天下のAsahi」と、その栄華を誇った新聞の社長が、ここにきて「AI全振り宣言」などという紛らわしい意見を述べて、一部では大騒ぎをしています。よく見れば(聞けば)、当たり前の新聞の姿を述べたにすぎないのに、あたかも「AI」で朝日は復活するのだと早とちりした雰囲気がありました。とるに足りないものと、ぼくは関心など示そうとはしませんでしたが、「遅かりし 由良之助」といった按配でしたね。

《朝日新聞社社長CEOの角田克が日本経済新聞のインタビューに答えた記事「朝日新聞社長『AI全振り』宣言 スーパー記者構想の狙いは」にたくさんの反響をいただいています。/朝日新聞社は2025年9月、「AIは人間を補助する役割と位置づけ、最終的な判断と責任は人間が担います」などとした「AIに関する考え方」を公表しました。この中で、報道については、これまでと同じように当事者への直接取材や現場での取材が基本であることを明確にしました。そのうえで、AIを利活用した取材・報道を検討、実行すると表明。AIの出力結果には誤りが含まれる恐れがあるため、事実関係を確認することも明確にしました。/記事中で角田が「最後に重要になるのはAIではなく、記者が日々の取材で培ってきた人脈だ」と述べている通り、朝日新聞社は、「AIはあくまで人間を補助する役割とし、最終的な判断と責任は人間が担う」という原則のもと、取材・報道に取り組んでまいります》(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG024230S6A200C2000000/)
「朝日新聞社長「AI全振り」宣言 スーパー記者構想の狙いは」(日経新聞・2026/04/07) (https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG024230S6A200C2000000/)

読者に「迎合し」「おべっかを使う」、そんな記事しか書けないし、書かなくなっている新聞の「終わり」を指摘する声は圧倒的に強くなってきています。「読者」の右代表は、一面においては「権力の座にあるもの」ですから、何をか言うべき。「疑似 AI が本物 AIを笑う」などという図は、とても笑えませんね。余りにも読者から離れられた結果、新聞そのものが、読者に向けて「発信できなくなった」、それを勘違いしていては話にならないと思う。「新聞はなくならない」でしょうけれども、今のように方々に「おべっか」を振りまくようなことでは、つまるところ「八方美人」(のような)新聞は、誰も相手にしなくなっている時代ということでしょう。「取材」をしないデスクや編集部幹部が権限を振り回している限り、新聞の退場は、足元に敷かれた既定路線を進むほかないようです。

「自己正当化を後押しするような会話が続けば、社会規範や対人関係に深刻な影響を与えかねない」という AI への批判的評価を述べ、「インターネット空間には、『確証バイアス』増幅の弊害もある。自らの考えに沿う情報ばかりを集め、異なる立場の情報を軽視する認知の偏り。そこに『おべっかAI』の登場だ」(「小社会」)と批判・非難されているのでしょう。でも時代はとっくに先へと進んでいますよ。まるで「天に唾する」の類となっていないかどうか。「AIの光と影は言わずもがな。正しく恐れつつ、副作用とも向き合うしかないのだろう」「交流サイト(SNS)を巡る問題とも共通する。開発企業の設計思想が変わらない限り、未来はやはり薄ら寒い」(同上)と結んでおられる、いったい、コラム氏は何が言いたかったんですか。ネット社会では SNS や AI に安易に依存することは止めるがいい、ということだったか(自己反省も含めて)。それとも「開発企業の設計思想が変わらない限り、未来はやはり薄ら寒い」という、他人本位の現実への絶望を吐露されたかったのか。「両方」であり「両方」でもないという、煮え切らない結論でしたかね。

物・事には「二面(表裏))」があって、それを善用すれば「合」で、悪用すれば「否」となるのは道理として、ぼくたちはわかっています。いま世界を席巻している「スマホ」にしろ「AI」にしろ、二面性がある点では例外ではありません。本来なら、人間が脳髄を刺激して「判断」を下すのを、面倒だから、自分のものとは異なる解が欲しいから、あるいは時間を節約したいがために、という理由で機械(AI)などに頼るのは、一面では無理からぬところでしょう。しかし、そんなことばかりが当たり前になれば、あらゆることが自分以外の何かに、誰かに依存する社会や世界になることは避けられません。これは大きな「機械仕掛けの罠」なのですが、便利だと飛びついたばかりに、穴倉に落ちて、藻掻く羽目になるのです。さしずめ、ネット社会は、「半導体」というちっぽけなチップに振り回され、そこから逃げる方法までチップに依存するという、ある種の「チップ依存症」、それも重篤の依存症に罹患している。このままでは「未来はやはり薄ら寒い」という、ある種の「暗いお笑い」みたいな話でしたね。
❶「おべっか〘 名詞 〙① ごきげんをとること。また、その時の巧みなことば。へつらい。おべんちゃら。追従(ついしょう)。軽薄(けいはく)。② おべっかを使う人。(精選版日本国語大辞典)
❷「おべっか」の言い換え・類義語 ①人から評価を得るために機嫌を取ろうとすること ゴマすり おべっか 媚び お世辞 媚びへつらい ご機嫌取り 媚(こび) 諂い(へつらい) ②相手に気に入られようとして行う卑屈な振る舞い 愛想笑い おべっか 諂い 諂笑 阿諛 腰巾着 靴を舐める へつらう 媚びる 林檎磨き おべんちゃら 機嫌取り(Weblio辞書 類語辞典)

ある情報(?)によると、トランプ氏は(高市氏も)、ひたすらAIに答えを求めているという。顔つきも何も、だんだんに「AI」好みに傾くのは避けられません。やがて「AI は悪乗り」するのであって、それが、現在の米国大統領の「病的投稿」「支離滅裂内容」に具現化されているように、ぼくには思われます。(事改めて言うまでもないことですけれど、大統領が指名した閣僚(内閣)もまた、一つの立派な「おべっか AI 」です。大統領に歯向かうものは、罷免されるのがオチ。このことは日本だって変わらない。首相に異を唱えれば、どうなるかは以心伝心ですね。これはおかしい、どう考えても間違っていると思っても、「親分」に反対意見を言えないし、異見表明は封じられているのです。こんな組織がまともな判断や決断ができるはずもない、と僕は経験から知っている。悲しいことですが、異論を許さない、不寛容な態度が組織を毀損します。政治の劣化の典型(点景)でしょう。かかる事例には事欠かない。昔から、いずれの国においても権力者の背後には「易者」(「黒幕」、あるいは「AI」という物知り)紛いがきっといたものです。今の時代は「例外」であると、どうして断定できますか)
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次は、地元新聞の(「名物コラム」かどうか、ぼくにはわかりませんが)「人生指針」という、きわめて古い時代の、ある種の「AI」(のようなものへの)依存に基づいた記事です。吉凶占いによる運勢判断という「アナクロニズム」を臆面もなく公開しておられる。その意味はどこにあるのかと、ぼくは訝(いぶか)っています。所謂(いわゆる)「六曜」「八卦」です。AI も一種の「易」とみられなくもありませんから(その反対もありうる)、時代が過ぎようとも、「易」はなかなか廃れないのですね。人間という生き物は、ひたすら何かに依存したがる、一つの明らかな証明です。
「(易とは)占いの方法の一つ。易経の原理に基づいて、算木と筮竹とを使い、八卦、六十四卦によって、自然、人事の吉凶を判断する方法。また、占いをする人」(精選版日本国語大辞典)
「八卦(はっけ・はっか)」とは、「当たるも八卦、当らぬも八卦と申します」と今もなお、「筮竹(ぜいちく)」を鳴らす易者さんは健在であります。「『八卦』は易で、陰と陽を示す三個の算木を組み合わせてできる八種の形をいいます。転じて、易や人相見・手相見などの占いをさす。占い師が占いを勧めるときの前口上としても使われます」(ことわざを知る事典)

六曜とは「〘 名詞 〙 先勝(せんしょう)・友引(ともびき)・先負(せんぶ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっく)の六個の星。陰暦における各月の一日目が、一・七月は先勝、二・八月は友引、三・九月は先負、四・一〇月は仏滅、五・一一月は大安、六・一二月は赤口に当たるとし、あとは上記の順に従って六日ごとに一巡する。それによって諸行事の吉凶をいう。中国の小六壬法が、日本で変化して六曜となったといわれる。江戸中期から暦注に記されて流行し始め、現在に至っている」(精選版日本国語大辞典)
人生指針 令和8年4月25日(旧3月9日)土曜日
今日=奈良興福寺文殊会。
6輝=大安。最高の吉日。結婚、旅行、建築、移転、開店など、何をするにも吉日。
12直=のぞく。除くを意味し、医師にかかり初め、種まきなどには吉。ただし婚姻などは凶。
28宿=柳(りゅう)宿。物ごとを断るのには良い日。婚姻、新規のことの開始には凶。
◆生まれ月による運勢
1月 パートナーとの行き詰まりにうれしい展開。サプライズ作戦が成功
2月 ツイている。結果など気にせず大胆に行動すれば幸運が待っている
3月 気乗りしない誘いにも顔を出したほうが得。良き縁に恵まれるかも
4月 好調なときだけに、よけい謙虚な言動を。感謝の気持ちを忘れるな
5月 疲れと焦りの悪循環を断ち切ろう。今日は休養を第一にすることだ
6月 勝負運は比較的強いとき。しかしほどほどにしないと、大損に泣く
7月 衰運挽回は社交面から。会合では積極的に売り込め。会話がカギだ
8月 見栄を張っても何の得にもならない。あるがままでのお付き合いを
9月 家庭内にモヤモヤの多いとき。感情におぼれぬ冷静さを保つことだ
10月 絶好調。不安定な要素は全くなし。何ごとも思い通り大胆に進めよ
11月 やたらと出費の多いとき。まずムリやムダをなくす。外出も控えよ
12月 イメージチェンジが有効だ。服装、話術などの研究を徹底的にせよ

新聞掲載の「生まれ月による運勢」によりますと、本日の「運(吉凶占い)」では、ぼくには「家庭内にモヤモヤの多いとき。感情におぼれぬ冷静さを保つことだ」と、穏やかならぬ占いが出ています。かみさんはどうか、とみれば、「絶好調。不安定な要素は全くなし。何ごとも思い通り大胆に進めよ」と空恐ろしいほどの「強運」です。夫婦がそれぞれ、真逆の運勢なんですから、いったい「この家・夫婦」は、どうなる「運命」なのでしょうか、別口の新たな易を立ててみなければならないのかも。ぼくは AI は使わないし、近所に易者はいません。それにしても、今日は、ぼくは死んだふりをしていないと、かみさんに圧倒されるということですかね。事の首尾は、まあ「運を天に任せる」としますかね。これを易では「うんぷ‐てんぷ【運否天賦】」といい、すべて「運のよしあしは天が決めるということ。運を天に任せること」(デジタル大辞泉)とあります。人間が藻掻く必要がないということのようです。
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* 一時間でも早く岩手県の「大槌・小槌の山火事」が鎮火しますように、ひたすら祈ります。

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