鳥海の雪映る田を植ゑのこす

 残雪の鳥海山と共演 芋川・桜づつみ(由利本荘市) 秋田の春・桜日和 芋川の両岸には約10キロにわたって約2千本の桜が植えられている。同市の館前橋近くでは、午前中から市民や観光客らが訪れ、写真を撮ったり、桜をじっくりと観賞したりしていた。/大館市から訪れた90代の女性は「桜並木とバックの鳥海山がすごくきれいだ。車から見るのと実際に現地に来て眺めるのではまた雰囲気が違ってよかった。桜の季節に、雲一つない状態で鳥海山の頂上まで見たのは初めてかもしれない」と話した。(秋田魁新報・2026/04/14)

 (ヘッダー写真は「季節限定の逆さ鳥海が出現 庄内地方に田植えシーズン到来告げる」(朝日新聞・2023年5月8日 11時00分)

 「山形、秋田の両県にまたがる鳥海山(2236メートル)の山肌に「種まきじいさん」が姿を現した。残雪に囲まれた地形が腰を曲げて畑に種をまく人の姿に見え、農作業の本格化を告げる春の風物詩となっている。(後略)(山形新聞・2026/ 04/15)

 「米どころの庄内地域で田植え作業が始まっている。好天に恵まれた5日は、残雪の鳥海山をバックに、「逆さ鳥海」が映る水田で、農家が豊作を願いながら作業に励んでいた。(後略)」(山形新聞・2025/-5/06)

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 このところ、各地方紙の桜便りに束の間の旅風情を楽しんでいます。大勢の見物客がいない、一枚の写真にぼくは見惚れている。遥かかなたの「鳥海山」を背景に、秋田・山形の季節は移りゆきます。両県とも何度か野暮用で出かけたものでしたが、こんなにゆっくりと「景色」を目にする余裕は持てませんでした。高校時代まで住んでいた京都の住まいはの、背景は「愛宕山」(標高924メートル)(右写真)。毎日朝夕となく、愛宕山(あたごさん)を望みながらの明け暮れだったことを懐かしく思い出しています。山が動いたという人がいましたが、動いてもらっては困るという反発心もまた、ぼくにはあります。鳥海山を主人公にした「写真」、この「静止画像」を目にしつつ、春は過ぎ、夏に向かう。

 芭蕉は遥かの昔、「行く春や近江の人と惜しみけり」と詠みました。「志賀唐崎に舟を浮べて人々春を惜しみけるに」と前書きに。元禄3(1690)年3月、俳聖47歳の作。「おくのほそ道」の東北行にも触れたのですが、それは別の機会に。彼が旅に誘われた理由が、この年になると少しはわかる気もしています。

 表題句は秋櫻子さんの作です。はじめは短歌(窪田空穂氏に師事)、その後俳句に(虚子のもとに)。やがて写生派の虚子と別れ、抒情の回復を図る。稼業の産婦人科医でもありましたし、頻繁に旅に出ておら得r他。まさに超人的な多忙の中での句作でした。表題句はスケールの大きさと(田植えのという)人事の取り合わせです。植え残したのはどうしてでしょうか。「鳥海」の姿をわずかでも留めておきたかったからでしょうか。

◎ 水原秋桜子 (みずはらしゅうおうし) 生没年:1892-1981(明治25-昭和56)= 俳人。東京生れ。本名豊。別号喜雨亭。1918年東大医学部卒。家業の産婦人科病院を継ぐ。22年,富安風生(とみやすふうせい)らと東大俳句会を再興し,高浜虚子に師事した。短歌的抒情を導入,感動を調べで表現する清新典雅な自然諷詠に新風を樹立,山口誓子,阿波野青畝,高野素十と共に4Sと呼ばれて昭和初期の《ホトトギス》に黄金時代を築いた。28年,昭和医専の教授となる。30年には第1句集《葛飾》を上梓,みずみずしい抒情世界は青年俳人を魅了し,新興俳句の口火となり,石田波郷,加藤楸邨らの俳人を育てた。しかし主観や抒情を重んじる傾向は虚子の客観写生と対立,31年主宰誌《馬酔木(あしび)》に論文〈自然の真と文芸上の真〉を発表して《ホトトギス》を離脱した。35年有季定型の立場をとり,以後《馬酔木》により俳壇の重鎮として俳句の発展に尽力した。幅広い教養と洗練された美意識に基づく自然諷詠を本領とし,晩年は身辺諷詠に円熟を示した。〈啄木鳥(きつつき)や落葉をいそぐ牧の木々〉(《葛飾》)。(改定新版世界大百科事典) 

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「働いて…」は、こういうことだった

【桜紀行】飯舘三千本の復興桜(福島県飯舘村) 福島県飯舘村伊丹沢の会田征男さん(81)、ツタ枝さん(79)夫妻が1998(平成10)年から、自宅の桑畑に桜の苗木を植えてきた。ソメイヨシノやオオヤマザクラなど計約3千本が山里を薄紅色に染めている。/東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされても飯舘の自宅に通い、樹木を手入れしてきた。村に帰還後は「村民が集える場にしたい」との願いを込めて、ボランティアと一緒に管理を続けている。
 18日午後5時から同8時までライトアップする。19日午前10時から午後3時まで桜祭りを催し、出店やバンド演奏などが繰り広げられる。/【アクセス】飯舘村役場から車で約5分。(福島民報・2026/04/18)(ヘッダー写真も)

 桜は人をある種の酩酊状態(intoxicated state)に誘うのでしょうか。もちろん花見客は言うまでもありません。それ以上に「桜を植える・育てる」人の気持ちが、わずかながらもわかる気もします。福島ヘは何度か出かけたことがありました。震災直後の夏にも郡山まで行って、その状況を遠見した。先輩(三年前に亡くなられた)が相馬におられ、その後の復興状況を直接に伺ってもいました。おそらく、この先、あるいはぼくの福島行きはかなわないだろうと考えていますが、いろいろな情報を得ての、現段階の感想を言わせてもらえれば、人が去り、人が住まなくなる地域として、あるいは「福島」は多くの証言を「現代の歴史」に刻み続けるのだろうと思う。各地の桜模様が、今春も繰り広げられましたが、地震に遭遇し、原発事故に襲われつつ、なおも生き延びている、「命」の健気さ、蘇生力の強靭さを、ぼく自身の支えとして、荒れ果てる寸前の拙宅の庭に心を移して、「木魂(樹木に宿る精霊・木の精)」の前で瞬間でも「虚心」になれればと願っています。(上の写真は昨年の同時期のもの:福島民報・2025/04/22)

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⁂ 週初に愚考する(115)~ 《1972(昭和47)年6月17日、8年近くの長期政権を担った佐藤栄作首相が退陣表明の記者会見に臨んだ。「テレビは真実を伝えるが、偏向している新聞は大嫌いだ」「帰ってください」などと発言。記者が抗議して総退席した後も一人テレビカメラに向かう異例の会見となった》(共同通信・2019年06月17日 08時00分)

 この場面をよく覚えています。権力者の「引き際」というのか、あるいは末路というべきか。この首相に対して、ぼくは一貫して「横柄」「不遜」「権高」という印象しか持てなかった。理由はよくわからないが、いわば「肌合いが合わない」(という表現は、彼我の人間力の差からは適切な物言いではないでしょうが)、そういう感覚しか持てなかったのは事実。「沖縄返還(本土復帰)」を成し遂げた首相と高く評価されますが、その内実は「密約」その他の虚偽がありすぎたのも事実。また、余談ですが、「ノーベル平和賞」を授賞された際の政治的駆け引きも、いかにもこの人物らしいと、ぼくは嫌な気分になったことも。今なおその嫌な感じが残り続けている。その雰囲気を、当代の米国現大統領、日本首相にも感じている。

 このS 総理の本音は「断固として批判は許さない」という狭量さ(narrow-minded)、小心翼々(timid)だったでしょう。こういう人間が政治家になるとどうなるか、その「去り際」において、鮮やかに人間性のけち臭さが晒された、器の小ささを如実に示した、「一場の寸劇」、実に醜悪でしたね。「横柄さ」「虚言癖」に関して、現首相と比較するつもりはありません。けれども、権力志向の旺盛な(唯我的)人間に、どこかで共通する「性格」「特質」「傾向」「偏向」があると思われます。その第一は「他からの批判は断固として拒否」という最も政治家に必要な度量(generosity)というものの「欠如(lack)」でしょう。「我執」「我臭」がありすぎます。見るだけで、その臭気が芬々としているのを感じるのですよ。

【金口木舌】空虚な空間 情報収集がてらスマートフォンでX(旧ツイッター)を眺めていると、高市早苗首相の投稿に時々出くわす。フォローしているわけではないが、つい読んでしまう▼内容は日々の首相動静や政府の施策など。ロックバンド「ディープ・パープル」のメンバーと面談したという投稿が話題となったが、首相のSNS多用には記者会見や国会審議にもっと時間を割くべきだという異論もある▼SNSならば既存メディアを介さず、議会の洗礼をくぐり抜け、効率よく政府・与党の方針が伝わると考えているなら勘違い。議会や記者の質問や追及を避けてばかりでは、国民の理解も広がらない▼首相とメディアの関係で引き合いに出されるのが1972年6月の佐藤栄作首相の退任会見。「新聞は偏向している。私がテレビを通じて国民に直接話したい」という理由で会見場から記者を締め出した▼テレビカメラに向かって話す佐藤首相の前には、がらんとした空間が広がっていた。Xで情報を発する高市首相の周囲に広がる空虚なネット空間を想像する。生身の人間に直接語りかけ、反論を聞く機会を増やしてはどうか。(琉球新報・2026/04/19)

 「首相のSNS多用には記者会見や国会審議にもっと時間を割くべきだという異論もある▼SNSならば既存メディアを介さず、議会の洗礼をくぐり抜け、効率よく政府・与党の方針が伝わると考えているなら勘違い。議会や記者の質問や追及を避けてばかりでは、国民の理解も広がらない」(「金口木舌」)といっても、聞く耳を持たないのですから、始末に悪いですね。この自己主張が自己欺瞞に裏打ちされている人間ほど、誠意や寛容から距離のある人間はいないと、ぼくは経験から学んできました。「自分は偉い」と思うって、どういうことなんですか。「偉い」ということの実態がわかりません、ぼくには。

 首相が就任したのが昨秋、以来、半年が過ぎましたが、この間、首相はどういうことをしたか、ぼくには思い当たらない。驚くほどの自己主張・自己弁護は目立ちましたが、「働いて…」という「口上(speech)」は、この人にとっては口から出まかせだったことが今にしてわかります。目立ちたがりの批判嫌い、これではまともな、地に足のついた政治ができないのは道理です。そして、ここにきてあまりにも「横柄な態度」が目につくのが「間違いを認めない」「自説を曲げない」という政治家失格の、無責任な態度でしょう。細かいことは言いません。過日の自民党大会で「現職自衛官」が「国歌(君が代)」を斉唱した問題でも、「私は知らない」「法的に問題はない」「自衛隊法違反にあたらず」と、判で押した反応しかできないままです。明らかな「イハン・いはん・違反」ですよ。自分で勝手に決めるものではないでしょう。この「不誠実な無反応」に対して、他の閣僚も右へ倣えです。早い段階から、この首相が辞めない限り「国難」は続くと、ぼくはいっていましたが、今でも、一層強く思っている。

 当たり前のことですね、どんな人にも「他者の評価」はついて回ります。「毀誉褒貶(きよほうへん)(public criticism)」というものでしょう。誉(ほ)める人がいれば貶(けな)す人もいる。「毀」と「貶」はどちらも欠点を衝く批判・非難を指す。また「誉」と「褒」はどちらも「ほめる」です。いかなる人間でも、いずれか一方だけということはないでしょう。

 少し意味合いが違うかもしれませんけれど、「蓼食う虫も好き好き」といいますからね。「蓼(たで)」とは「タデ科植物の総称」で、「香辛料」として利用される。「辛い蓼を好んで食う虫があるように、人の好みはさまざまで、いちがいにはいえないというたとえ」(精選版日本国語大辞典)「位、人臣を極める」ような人物への「好き嫌い」の程度は、常人とは比較を絶して大きな意味があるでしょう。一国の権力者が「蓼(たで)」というつもりもありません(いや、ちょっとはあるか)。しかし、我が意に反して「悪政」「苛政」を施そうとするなら、たとえ「蟷螂之斧」と評されようとも、身の程は顧みつつ、批判の声は上げ続けるべきだと思っている。

(*「とうろう【蟷螂】 が 斧(おの)を=もって[=取(と)りて・怒(いか)らせて]隆車(りゅうしゃ)[=龍車(りゅうしゃ)]に向(む)かう=(カマキリが、前足をふりあげて、高く大きい車に立ち向かうの意 ) 弱者が、自分の力をかえりみないで、強者に立ち向かう。無謀で、身のほどをわきまえないことのたとえ。蟷螂手をあげて隆車に向かう。蟷螂車をさえぎる。蟷螂が斧。蟷螂の斧」(精選版日本国語大辞典)

 「議会や記者の質問や追及を避けてばかりでは、国民の理解も広がらない」「Xで情報を発する高市首相の周囲に広がる空虚なネット空間を想像する。生身の人間に直接語りかけ、反論を聞く機会を増やしてはどうか」とコラム氏は温情を掛けられるが、もう遅いでしょう。「国民の理解」はもういい、抜き打ち選挙の「民意(大勝)」だけで、何でもできると、議会も無用と言い出す始末です。米大統領に「侮蔑されて」も、それを意に介さないほど「異常心理」に覆われているのでしょうか。今やるべき喫緊の課題は何か。少なくとも「憲法改正」や「スパイ防止法」などという、国論を二分するような問題でないことは確か。この御仁、目が覚めないで「女性初」の二弾目、三弾目を狙っているのでしょうか。困った方だ。いずれ、早い段階で「私は辞める」とSNSで囁くのかもしれません。 「乞う、ご期待!」ですな。

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