「小さな不便は国の危機」です

 新芽きらきら、爽やかな香り! 高知県仁淀川町で一番茶の収穫始まる 県内有数の茶どころの仁淀川町で14日、一番茶の収穫が始まった。仁淀川沿いの段々畑では緑黄色の新芽がきらきら。生産者らが手際よく刈り取ると、爽やかな香りが広がった。/県によると、 2025年の仁淀川町の茶農家は142戸で、生産量は県内2番目に多いという。/黄色の新芽が輝く仁淀川沿いの段々畑 この日は池川茶業組合の農家ら10人が同町大板の茶畑(約50アール)で摘採機などを使って作業。刈り取ったみずみずしい新芽約400キロを町内の加工場に運んだ。/今年は少雨で芽立ちが遅い畑があるものの、霜害は昨年より少なく生育は順調という。同組合の一番茶収穫は5月10日ごろまで続き、36トンの収量を見込む。/24年の県民1世帯当たりの緑茶購入額は1535円(全国平均3194円)で全国46位。品原伸組合長(37)は「一番茶は春先の優しい日差しで育ち、渋みが少なく甘みとうまみが強い。茶葉を使ったプリンなどもあるので、ぜひお茶に触れてほしい」と話していた。茶葉は今月20日ごろから販売する。(伊野部重智)(高知新聞・2026/04/16)(ヘッダー写真も)

 毎日、朝のお茶は欠かせません。起床すると、猫に食事などをやりつつ、お湯を沸かし、日本茶を入れる。それは午前3時であろうが、5時であろうが変わらない、ぼくの日課です。まあ、ある種の「位置について」かもしれませんね。今朝も、飽きもしないで、性懲りもなく「駄文」を書いているのが午前5時。喫茶の習慣はもう半世紀も続いているでしょうか。必ず日本茶です。ゆっくり「一服*」、お茶を飲みながら、日の出を見たり、鳥の鳴き声を聞いたり。慌ただしいのは嫌いですから、まあ、お茶はぼくの一粒の「精神安定剤」、あるいは一服の「清涼剤」かもしれない。時には面倒なことや忙(せわ)しない出来事に遭遇するのですが、だから「お茶を濁す」ということがあるかもしれない。「いいかげんに言ったりしたりしてその場をごまかす」(デジタル大辞泉)そんな面倒なことがぼくに起こるというのは滅多にありませんけれど、とにかく、「おーい、お茶」です。かみさんはまだ寝ています。

 (*いっ‐ぷく【一服】読み方:いっぷく [名](スル)1 茶やタバコを1回のむこと。また、その量。2 茶やタバコをのんで、休息すること。ひと休み。「ここらで—しよう」3 粉薬1回分。「朝夕—ずつ服用」4 取引相場で、相場がしばらく安定した状態を保つこと。「—感」(デジタル大辞泉)

 「三遍回って煙草にしょ」というのもありました。「《夜回りで、三度見回ってから休憩しようの意から》休むことを急がず、念を入れて手落ちのないように気をつけよう」(デジタル大辞泉)今では全く使われなくなりましたね。不思議なというか、とても知恵のあることわざだと、ぼくは感心したこと覚えています。「仕事の段取りをつける」ということだったと思います。

 ある時期までは、毎年のように静岡・伊東や伊豆あたりに出かけては農家からお茶を買っていました。ほとんど同じお茶屋さんからでした。今も変わらないでしょうが、東海道新幹線に乗車していると、ぼくには富士山よりも掛川や富士当たりのお茶畑を見るのが楽しみでした。見事なものでしたね。「丹精を籠める(心を込めて物事に当たる)」というのは、あのような農作業(仕事)をいうのでしょうか。

 これも、二十年ほど前になりますが、ある小さな国立の学校、それは静岡県の安倍川の西側、内牧という地域にありましたが、そこを訪問し、その時に「これは生徒たちが育てたお茶です」といって、学校自家製の「お茶」をいただいたことがあります。どこの学校もそうだとは思われませんで、その学校に特有の「教育(授業)(カリキュラム)」の一環にお茶の栽培が組み込まれていたのでした。「園長(所長)」のお招きで、子どもたちとも話しをしながら、いろいろなことを考えさせられたことがあった。正式名称は「駿府学園 静岡少年鑑別所」、ぼくは入所した経験はありませんが、何かとかかわりがあった学校の一つだった。(今でも、卒業生の何人かは、職員・教官として、各地の「学校」に務めているはずです)その敷地内に広大な茶畑があり、園生たちが「丹精をこめて」育てていたのでした。再び「丹誠」という語を使いたくなりました。文字通り、手づくり、手を掛けるという作業は「人間教育」にも大きくかかわる事柄ではないでしょうか。

 「田植え」と同じように「茶摘み」にも長い歴史がある農作業で、主として女性の仕事だったと思われます。「生産」(「産む」)に携わることは、神事につながる貴重な機会だったでしょう。「茜襷(あかねだすき)に菅の傘」と謳われた作業は、田植え同様、今ではすべてが機械仕事になりました。それは当たり前のことで、合理化は機械化でという、現代農業の工業化現象でもあるのでしょう。お茶好き人間の願いからすれば、毎朝、心おきなく「一杯のお茶」が飲める、この「ゆとり」だけは奪われたくない。でも、その根元から、驚くべき物価高騰の波をまともに受けているのも、この「お茶」です。半端じゃない値上がりですよ。必要以上に「苦いお茶」になるようで、苦々しい思いがしています。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【有明抄】小さな不便 新品を買うことはできるが、古いものを修理することはできない。「これは国の危機だ」と米国の人気コラムニスト、アンディ・ルーニーが嘆いていた。1980年代のことである◆車の窓が開かない。蛇口が水漏れしている。トースターが壊れた…。世の人びとは、そんな「小さな不便」に助けを求めている。なのに、ほころびをさっとつくろってくれる洋服屋も、丁寧に庭の芝刈りをしてくれる職人もいない。〈だれも些(さ)細(さい)な仕事はもうしなくなった〉◆そんな一節を思い出したのは、東京の飲食店での出来事。高齢の夫婦がタッチパネルの注文に戸惑っていた。店員に声をかけても説明が要領を得ない。片言の日本語が聞き取りにくかったのかもしれない。「あんたじゃ話にならん」と別のスタッフを呼ぼうとしたが、店内は外国人の店員ばかり◆世間で取るに足らないと見られている仕事ほど、社会を支えているものである。「きつい」「給料が安い」と敬遠され、人手が足りない。頼みは外国人労働者だが、最長5年間働ける「特定技能1号」の受け入れ数が上限に近い業種もある。すでに満杯の外食産業は13日から新規受け入れが停止された◆暮らしを「ひと任せ」にしているうち、小さな不便がやがて取り返しのつかない不便になる。ルーニーならずとも「これは国の危機だ」と叫びたくなる。(桑)(佐賀新聞・2026/04/17)

 「新品を買うことはできるが、古いものを修理することはできない」「これは国の危機だ」まさしく我が意を得たりというべきか。先ごろ、かみさん愛用の車の車検を受けた。その際に、バックライトのカヴァーの一部が破損していた(ブロックかなにかでこすったらしい)ので、その部分だけを修理してもらおうとしたら、バックライト装置そのものを取り換える必要があるという。よくある、一個の部品だけを修理しないで「基盤全体」を交換するというやつ。修理代込みで数万円もした。間をおかないでもう一方の同じ部分も、驚くほどの高価な取り換えを余儀なくされました。(かみさんは運転は決して上手ではない、下手ですね』ぼくが乗っている車のトランクのダンパー部分が故障しているらしいので、修理したい、どれくらいかかるかと尋ねたら、部品がないので修理不能だといわれた。時代は鬼気・危機迫る事態を迎えています。

 その昔、都内本郷に住んでいたころ、真空管アンプやをステレオ装置の部品を、散歩をかねて秋葉原に行って、そこで買ってきて、見よう見まねで、音響機器を自作していた時代が懐かしくなります。はんだごてを使って溶接する作業にも興味を持つようになった。今では、部品そのものが扱われなくなって、「基盤」をそっくり取り換えるという。そして、実に奇妙にも思われるのですが、今は「真空管アンプ」は、とてつもない高価な贅沢品の典型のようになっています。貧乏学生には「垂涎の的」だった「(ラックスの)SQ-38FD」なるアンプ、先輩の耳鼻科のお医者さんが所有していて、それこそ、その音を聴くたびに、いつかこれを自分も持ちたいものと、恋焦がれてもいました。当時の三年分の年間授業料に相当していたのではなかったか。今を去る、六十数年前のことでした。

 修理ではなく買い替え、これが時代のトレンドでしょう。やがて、その風潮は人間をはじめとする命(いきもの)そのものにも及ぶのです。もう及んでいるでいるところもある。確かに「小さな不便」が修理可能だった時代を知っている人間からすれば、修理できるのにしないという、いかにも貧しい環境(物を大事にしない)風潮が方々で蔓延している時代と社会で生きている、歪んだ環境にいることを痛感するのです。ネットで、どんな古いものでも電気製品であれば、とにかく「修理に挑戦する」職人(技術屋)さんが話題になっているようです。部品がなければ、自作するという。こんな職人はどこにもいた時代が、懐かしいだけでなく、かえって、人間の生活だったという感覚がぼくの中に、まだ息づいているのです。今は「一個のパーツ」の寄せ集めではなく、全体が「一個のパーツ」である、そんな時代でしょうか。

 「便利は不便と隣り合わせ(Convenience is always accompanied by inconvenience.)」です。

 よく「使い捨て」などどいわれた時代が始まった当座、大変なことが起こっているという実感がありましたが、今では、その風潮は諸事万般に及んで、無駄や浪費の極みを目指していると思うほどに、この社会は危ない方向に進んでいるのでしょう。ものを大事にしないところで、ひとが大事にされるはずもないといいたくなります。ぼくは自分では「物持ちがいい方」だと思い込んでいます。買ったものは捨てない、手元にあるものも簡単には処分しない。だからなんでも溜まる一方です。最も長く保存しているものには本がある。それこそ学生時代に購入したものから、ほとんど処分していません。65年は所持しています。

 次に古いものは「かみさん」で、もう55年近くななるでしょう。(こんな言い方はかみさんに失礼だし、知れば怒られる。でも事実はそうで、逆にかみさんも同じことが言える。彼女は何でも棄てるほうですから、ぼくもやがて…と思いつつ、ここまで来ました。まだ油断はできませんが)「小さな不便」は修理(入院・手術)しては保存し続けました。というわけで、「小さな不便」は「自分で治す」か、それが無理なら、修理屋さんにお願いする。それでもだめなら、そのまま所有しておく、それがぼくの「処世術(Die Kunst des Lebens)」です。いつか、何かの役に立つかもしれないと思うからです。レストアが当節のはやりになることを願っています。

 いらなくなったから捨てる、邪魔だから処分する、この便利と不便、必要と不必要などの境目がつかなくなると、ついには静物(無機)と生物(有機)の境界も失われ、有用か無用か、役に立つか経たないか、好きか嫌いか、そんな怪しい判断(感情)で、どんどんと「無用」「無役」が増やされ、捨てられていくのです。いとも簡単に(であるとは思わないが)「いのち(命)」を奪うことに、苦悩も躊躇もないとすれば、それはもはや人間業ではないというべきでしょう。自分の勝手で「戦争」をはじめて、「好き放題の人殺し」をするような人間が大国の大統領ですからね。時代は終末です。

 (左上「本のカヴァー写真」は村上春樹著「猫を捨てる」です。「時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。―村上文学のあるルーツ。」文藝春秋, 2020刊)

 暴露するのではありません。高名な画家の奈良美智さん。彼はまだ小学生のころ、父親と自分と愛犬と一緒にドライブに出かけ、名前は忘れましたが、ある山の中で降りて、しばらく犬と遊んでいた。犬が喜んで遠くへ行った、その隙に、父親と急いで車に乗って、犬を置き去りにしたという。絵を描きだして後、ある時期からどういうわけか、自分の絵に犬が出てくるようになったといわれている(弁解がましいですな。ことの発端(責任)は父親でしょうね。もっと別の方法を考えられなかったというのは、ぼくには理解できません)。「犬」の画家、奈良さんの「原点」、否「原罪」というか、こんなことがあったんですね。その話を知って以来、奈良美智の絵を見る、ぼくの鑑賞姿勢は変わったと思う。どうして「騙(だま)し打ち」のように犬を捨てたか、「家で飼っていて、吠えて吠えて仕方がなかった。近所の手前もあり、…」ということでした。父親にぼくは問いたいですね、いまさらのように。

 犬や猫は「捨てるものではない」という、そんな「初歩」がなっていないんじゃないですか。こんな事例は「枚挙に遑(いとま)なし」というほどに、この国もまた「焼きが回った」というほかありません。犬猫などをペットとみるのは、どうなんでしょうか。不遜というか横柄というか)。ぼくはペットショップ廃止(禁止)を唱えている人間です。

 コラム氏が言うように、たしかに「これは国の危機だ」といいたくなりますが、そんな呑気な話ではなく、人類の危機であり、「いのちのきき(生命の危機)」であるとぼくなどには思われてきます。事態は深刻の度を加えているのではないですか。

*********

アンドリュー・エイトケン・ルーニー(Andrew Aitken Rooney)(1919年1月14日 – 2011年11月4日)は、アメリカのラジオおよびテレビの脚本家で、1978年から2011年までCBSニュース番組「60ミニッツ」の一部として毎週放送された「アンディ・ルーニーとの数分間」で最もよく知られていた。彼が「 60ミニッツ」にレギュラー出演したのは2011年10月2日が最後で、その1か月後に92歳で亡くなった。(Wikipedia)

◎ 耐久消費財= 想定耐用年数がおおむね1年以上で比較的購入価格が高い商品。具体的には、自動車や家具、家電製品、パソコンなどが挙げられる。想定耐用年数が1年未満または比較的購入価格が低いものは非耐久消費財といい食料品などが該当する。また、衣類や靴、カバンなど耐用年数の比較的短い商品を半耐久消費財とする分類方法もある。個人事業主や法人など家計以外で購入された場合には、減価償却を伴う固定資産として扱う。内閣府の消費動向調査では、世帯別や属性別に主要耐久消費財の普及率や保有数量、買替え状況などを調査している。(imidas)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII