Kindness is not just for others’ sake.

【明窓】春に思う ダンゴムシと助けられる力 自宅の玄関横に座り、一服しながら足元の砂利を見ると、ダンゴムシが動いていた。ほおに当たる風は暖かい。春の訪れを感じる▼桜が咲き誇った今月1日に新聞社の入社式に参加した。「石見神楽の記事を書きたい」「子どものためになる仕事がしたい」。よどみなく語る新入社員に驚いた。30年前、同じ場所で自分が何を話したのか覚えていない。目標は社会でいろいろな人に会う中で見つかった気がする。経験から言えるのは焦らなくてもいいということ。若い頃に壁にぶつかって悩み、迷った日々は将来の肥やしになる▼壁は自らつくることもある。真面目な人、優しい人ほど壁をつくって、突然心が折れるという内容の記事を読んだ。必要なのは「助けてもらう力」。特別な才能ではない。あいさつする。「ありがとう」を言葉にする。「でも」より「やってみます」と言う。相談相手に結果を伝える。積み重ねが人との距離を少しずつ変える▼個人的に決めていることがある。うそはつかない、間違ったことをした時は謝る。幼少期に親や先生から口酸っぱく言われた。当たり前と言われるかもしれないが、実践するのは難しい。できない大人を見てきた▼うららかな春の日差しと裏腹に生活環境の変化で心身のバランスを崩しやすい季節。ダンゴムシのように丸まりたい時もある。焦らず、ゆっくりと。人に助けてもらう。その力を身に付けたい。(添)(山陰中央新報・2026/04/15)(右下写真も)

 このところ、ずっと鬱屈した気分に覆われていました。いろいろと気に病むことばかりが起こるのが世の習いと、いまさらのように思いいたるのです。特に、先月23日から「行方不明」が伝えられていた、京都府南丹市園部の小学五年生とみられる男児の「遺体」が発見されたという一報が、昨夕流れました。一面識もない小学生の事件だった(と想定される)が、いたたまれない気分に襲われていました。ぼくは、若いころから学校の教師をしようと、漠然とではあったが、考えていたし、そのために大学で教員資格を取った。卒業後は京都に帰り、田舎(山間部)の中学校の教師になることを思い描いていた。それも、園部あたりの学校でやろうか、と考えていたのでした。土地勘があったり、園部でなければという理由は特になかったが、親元からは近かったし、山の中の学校という感覚には、その当時の「生活綴り方教育」を実践していた教師たちがまだ健在だったことも関わっていたでしょう。何かと世話になった(迷惑をかけたという意味)中学校時代の教師たちもその近辺に住まわれていた、そんな因縁も作用しての「園部」だったかもしれない。

 (ヘッダー写真:「困っている人を発見!どうする?」<grape>:https://grapee.jp/411462

 大学を卒業しても、ぼくは田舎に戻らないまま、学生生活を続けて、やがてある学校に教員として採用された。それでも、ぼくはいつかは京都の田舎の山間部の学校で教師をしようと、ずっと考えていた。この駄文収録で、今回の事案が起こった地域のすぐ近所で「村八分」という住民同士による「諍(いさか)い」が起こり、やがて裁判沙汰になった結果、「八分」にした住民が裁判で敗訴した事件に触れたことがありました。(「村がなくても、「村八分」は残る」(「人権と特権」:2026/09/21掲載分)今回の園部における問題を知り、この「村八分」事件を想起し、とても「奇遇」としか思われませんでした。その地区がどうというのではなく、遠く隔てられた時間経過の中で、偶然に発生した事件が重なっただけだったでしょう。それでも、ぼくは「園部」駅付近の情景を思い出したりしていた。「長閑(のどか)」を絵にかいたような地域だったが、その空気の中で人々の暮らしがあったのです。(「発見された遺体」は行方不明とされた当人だと判明したとの報道に接しました。ご冥福を祈るばかりです)(左写真は、新藤兼人監督「「らくがき黒板」出演の児童たち(1959年撮影、(C)近代映画協会)(中國新聞・ 2020/2/12)

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 本日のコラム「明窓」に、ぼくは自らの歩みを重ねていました。殺伐とした事件や事故に遭遇するばかりの明け暮れとはいえ、そんなものは嘆くに値しないとは言えませんが、それにしても遥かに離れた地域で起こった「不幸」「不遇」に対してぼくは必要以上に動揺していたかもしれません。そして、新年度の通例でしょうか、コラム氏は「30年後の新しい人」に対して思いやりと優しい助言を合わせて述べておられる。「目標は社会でいろいろな人に会う中で見つかった気がする。経験から言えるのは焦らなくてもいいということ」「若い頃に壁にぶつかって悩み、迷った日々は将来の肥やしになる」と、いかにも、スマートな「格好いいこと」をおっしゃっている。果たしてぼくに「壁」のようなものがあっただろうかと、奇妙なことも思い浮かんできます。組織そのものがぼくには「壁」だったと思う。誰かに命じるのも命じられるのも、死ぬほどいやだったから、もともとが「組織」にはふさわしくない人間だったと自分ではわかっていました。だから、いつだって「無所属(インディーズ)」、それがぼくの偽らない心持ちでした。

 ぼくにとって幸いなことに、有り余る「教室(授業)」、それも向学心に燃えるような情熱を持っているとは全く言えない、そんな学生で満杯の「教室」がありました。一クラス300人をはるかに超える、そんな反教育的教室を放置したままの学校でしたから、教育環境は劣悪そのものだったし、教える側の教育に向ける無関心もひどいものだった。そのことには学生時代に感じていたよりもっと酷(ひど)いものだと直ちにわかりました。そんな学校のスタッフの一人になったのですから、前途は多難だった。大教室では、それこそ毎日が「講演会」という趣でしたね。学生諸君には気の毒なことでしたけれど、そんな悪い環境で、何ができるか、そんなことばかり考えていたように思います。コラム氏とはややニュアンスが異なるかもしれません。ぼくはしばしば「いい人とは、どういう人ですか」と学生に尋ねることがありました。ぼくには実に単純明快な「問い」と「答え」だったと思いました。けれども、多くの学生諸君は「頭をひねる」ばかりでした。どうして?、なんでやねん?と実に奇妙な感覚を持ったことを記憶しています。犬や猫にも分かるようなことだったでしょうよ。

 「情けは人の為ならず」という俚諺(りげん)があります。その解説は「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということ。誤って、親切にするのはその人のためにならないの意に用いることがある」(デジタル大辞泉)とありました。誤解がはなはだしい例としてよく出されますが、何のことはないんですね。大事なことは、「情けを掛ける」時の「人」は誰かという問題です。日本語の「人(ひと)」には、第一義は「他人」という指示内容があります。しかし、加えて、その「人(他人)」は、自分をも指していることが多いんですよ。自分の部屋に親が黙って入ってしまった時など「勝手に人(他人)の部屋に入らないでよ」ということがあります。自分の部屋だけれど、親からすれば「他人」の部屋ですから、「人の部屋に…」というのでしょう。「情けは人の…」場合はどうですか。「人」は「自分」であると同時に「他人」を意味するとするなら、①「自分のためだけではない」であり、②「他人のためだけではない」③両方のため、という意味も生まれることになるでしょう。(日本語の「私」には「自他共存」状態にあると言ったらどうでしょう。あるいは「自他不分離」でもあるでしょうね。「自分であると同時に、他人でもある」そんな「渡し」を、ぼくたちは生きているんですね)

 言葉使い(表現とその意味するもの)は時代によって変わることはいくらもある、というより、変わるのが当たり前とも言えます。「情けを掛ける(相手の心情を自分の心に思い描く)(ぼくのよく使う表現では「惻隠の情」があります)」とは、他人のためにも自分のためにもなるということを言っているのですが、自分のためになるなら(それを狙って)他人に親切にするというのはどうですか、「アカンでしょ」という、疑問というよりは、「打算が働く」のはよくないですね、要は、そんな程度の事柄ではないかと考えています。同じような意味合いで「人を思うは身を思う」があります。この場合の「人」は「他人」であり、「身」は「我が身」ですね。同じことですよ、自分だけいい思いをするのは、具合が悪いんじゃないですかと、問われている気がしませんか。つねづね学生諸君に尋ねていた、「(あなたが考える)いい人とは、どんな人でしょうか」という答えは一つではないでしょう。いろいろな意味が含まれているのが言葉というもの。それを狭く、固定してとらえるのは言葉を使う姿勢としては褒められませんね。その点では、学校は狭すぎます、ミリ単位を「後生大事に」、振り翳(かざ)していますからね。

 これと似たような、いかにも誤解されそうな表現(俚諺)に「転ばぬ先の杖」というのがあります。「前もって用心していれば、失敗することがないというたとえ」(デジタル大辞泉)という。そんなことが本当にありますか。似た表現の「備えあれば患いなし」に重なります。いかにも慎重に人生の階段を上る人専用のことわざでしょうか。しかし、とぼくは考えてみる。「転んでわかる痛さ」というものがあり、「備えはあっても憂いは残る」のだという経験もまた真実でしょう、そんな減らず口をたたいてみたくなるのです。わざわざ言わなくても、ぼくは「経験」をとても重んじてきました。スキーの滑走法を書いた本をいくら読んでもうまくは滑れないし、バッハの伝記を何冊読もうが、彼の音楽の演奏には役には立たない。「習うより慣れろ(Learning by Doing)」とか、「百聞は一見に如かず(Seeing is Believing)」という「ことわざ」は、先人の経験から得られた「知恵のエキス」が生み出した表現ではないですか。ぼくは、それを本当に重んじてきました、教えられてきたのです。(右写真:BBC・2019年8月15日:https://www.bbc.com/japanese/video-49353674

 「焦らず、ゆっくりと。人に助けてもらう。その力を身に付けたい」とコラム氏は一文を結んでいる。「焦らず、ゆっくりと」は、ぼくも同じです。「人に助けてもらう」について、ぼくは言いたい「(自分のできる範囲で)困っている人を助けられる力を身に付けたい」と。「助けられる人」にぼくはなりたいし、諸君にもなってほしいと、暇があれば口にしていました。ぼくの実感では、それほどに「困っている人には近づかない、関わらない」そんな人が、思いのほか多くいたように思われたからでした。「見て見ぬふりをする(Turn a blind eye)」だったでしょうか。翻って、今はどうでしょうか。「袖すり合うも他生の縁」というのも、仏教系ですね。

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