雨の日には歌え(笑え)、ないですか

【海潮音】携帯電話に知らない番号からの電話があった場合、いったんは出ずにやり過ごすことにしている。誰かからだと想像がつく場面はこの限りではないが、知らない番号は大抵は営業か詐欺まがいの電話で閉口している◆留守番電話もほとんど放っておく。若い頃は「もし大事な用事だったら」と不安に駆られたが、本当に一大事なら何度も電話があるはずだと鷹揚(おうよう)に構えると、ストレスも減った。経験上、留守電に残る「他府県の警察官」や「有料サイトの料金督促」からは2度目の着信がない◆交流サイト(SNS)も始めた当初は友人や知人の近況が知れて重宝した。今では同年代も次第に更新頻度が減っていき、完全に離れてしまった人が多い。人の写真を勝手に借用したなりすまし、乗っ取りも後を絶たず、情報の真偽判定に疲れてしまったからではないか◆SNS上でロマンス詐欺に遭い高額の蓄えを失った事件の報道を目にするにつれ、やるせない気分になる。知らない人とつながれるのはSNSの面白さの最たるものだったが、悲しいことにネット上の「知らない人」はもはやリスクでしかない◆コロナ禍も終わり、リアルでの人との結びつきが無性にありがたい。なんて言い訳を作り、今夜も赤ちょうちんののれんをくぐる。(井)(日本海新聞・2026/04/07)

 日常生活で不自由や不便を感じたことがないといえば、嘘。いつだって困ったことは起こる。しかし「スマホ(携帯電話)」を持たないが故の「面倒」「支障」は当方の落ち度(非礼)ではないから気にならない。不正防止のためという理由で、ネットで特定のアドレスにログインする際の方式がさらに煩瑣になる傾向にある。小生が困るのが「QRコード読み取り」が要求されるとき(一度だって読み取った経験がない)(ガソリンスタンドのセルフ給油みたいなものか)。そのためにスマホを持とうとは思わないから、旧式のログイン(手続き)方式があればそれを利用するし、ダメならそんな組織(企業)とは付き合わないだけ。

 金融関係にはこの手(QR式)が多い。▼固定電話でも不埒な輩から電話は来る。受話器を取った瞬間に「可笑しい」「怪しい」と直感したら、間髪入れずに切る。「直観・直感」が鈍磨したら終わり。音声で流れるのは、それだけで切断。これで間違った(失敗した)ことは、今のところはない。「あと2時間で,この電話が使えなくなる」というのが時々ある。生の声と音声と二通りで。どちらも即、切断する。時には、あまりにも癪だから、「切りたいなら、どうぞ」と返す。▼メールでも怪しいのはいっぱい来るが、一切放置か無視(ジャンクとして削除)。

 電話やメールで人生の大事が済んでしまうのは「便利」ではなく、「安易」なのだと思う。便利は不便の裏表だとぼくは知っている。スマホ万能は「時代の流れ」かもしれぬが、ぼくはそんな流れに「掉さす(流れに乗っかる)」ことはしない、できない人間なんだ。

◎ ながれ【流】 に 棹(さお)さす= 流れに棹をつきさして船を進め下るように、好都合なことが重なり、物事が思うままに進むたとえ。(精選版日本国語大辞典)

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 ここからの駄弁は、さらに無駄の度合いが進みます。

 (ボールペンの先端の丸い玉は金属やセラミック製の球体で、航空機や戦艦等の硬度を要求される部品として開発された、その残り滓(かす)であった。「スマホ」もよく似ている。軍事技術の開発途上の「余りもの(余技)」みたいなもの。当初から「電話・通信機器機能」として開発されたものではなく、開発費稼ぎのために、民生用品として販売されたものだ。

 人間にとって、とても大事な能力(素質)は「注意力」だと考えて生きてきた。注意とは「自分のすること・やっていることに意識をつなぐ、つまりは集注すること」である。反対に「不注意」「注意力散漫」は、間違いや過ちを生み出す理由(原因)にもなる。運転中の「信号無視」が死亡事故に直結する。「雨が降っても、降らなくても」自分は自分でありたい。雨降りには「不愉快」で、好天では「気分さわやか」というような人を、「気分屋」「お天気屋」と称する。人間は「悲しいから泣く」のではなく、「泣くから悲しい」のだと、ぼくは経験から学んだ。「自分は成功したから満足なのだ」ではなく、「自分は満足していたから成功したのだ」と言えないか。

ジェームズランゲ‐せつ【ジェームズランゲ説】《James-Lange theory》= アメリカの心理学者ジェームズ(W.James)とデンマークの心理学者ランゲ(C.Lange)とによって、1884~1885年の同じころ唱えられた情動の本質についての説。刺激→情動→身体変化ではなく、刺激→身体変化→情動という道筋を考えたもの。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という表現で象徴されている。(デジタル大辞泉)

 デカルトは「情動(emotion)」のあるものを、人間に生起する「六つの基本情念」といった。「驚異 (Admiration)」「愛 (Amour)」憎 (Haine)」欲望 (Désir)」「喜び (Joie)」「悲しみ (Tristesse)」であり、動物以上に人間に生じる「身体の反応」でもある。「喜怒哀楽」「愛憎」など言うが、この「情動」を彼は「情念(passions)」と名付けた。外部の刺激に対する身体的反応であること(passive)からの命名である。

雨に唄えば (あめにうたえば)(Singin’ in the Rain)= ジーン・ケリー,スタンリー・ドーネン共同監督・振付によるアメリカのミュージカル映画。1952年製作。トーキーの出現によって変貌する1927年(最初のトーキー映画《ジャズ・シンガー》が公開された年である)のハリウッドを舞台に,映画製作の内幕(悪声のスターが失脚し,美声の一少女が幸運をつかむ等々)が,〈ジャズ・エージ〉の風俗とともに描かれ,単純な〈ボーイ・ミーツ・ガール〉形式のミュージカル・コメディとはひと味異なるくふうが凝らされている。主演のジーン・ケリーが,恋を得た喜びに,どしゃ降りの夜更けの街角でずぶぬれになって歌い踊りまくるナンバー〈雨に唄えば〉は,クレーン撮影を駆使した画面の躍動感とともに,〈MGMミュージカル〉の数々の名場面の中でも白眉とされ,その後いろいろな映画に引用されたり,パロディ化されたりしている(例えば《時計じかけのオレンジ》1971)。〈MGMミュージカル〉を育てた名プロデューサー,アーサー・フリードがみずから作詞した名曲の集大成としても知られる。封切当時よりも年とともに評価が高まり,〈映画史上のベスト・テン〉といった催しには必ず選出される名作の1本になっている。(改定新版世界大百科事典)(⁂Singin’ in the Rainhttps://www.youtube.com/watch?v=swloMVFALXw

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