日報抄】朝ドラ主題歌で注目度を上げた夫婦デュオのハンバートハンバートには「虎」という曲がある。〈人の胸に届くような〉歌を作りたいのに〈光ることば見つからない〉〈メロディひとつできやしない〉と思うに任せぬ苦悩を歌う▼もがいた挙げ句〈酒だ酒だ〉と昼間から飲み〈虎にもなれずに溺れる〉と創作活動に伴う鬱屈(うっくつ)を吐き出す。日々コラムを書く身にも通じる。昼間から会社で酒は飲めないけれど▼言葉を紡ぐ作業は、正直になろうとするほど難しくもなる。大仰ではなく、舌足らずでもなく、的確に真意を表現できたらいい。己の非才を棚に上げるつもりはないが、このところ政治を巡るうさんくさい言葉がどうにも気になる▼政府は「国民会議」で社会保障について「国民的な議論」をするという。参加者は限定的だ。ここで言う国民って誰なのか。「過度な」緊縮財政を見直し「責任ある」積極財政を推進するという方針も、何だか浮いて聞こえる▼1100兆円を超える国債発行残高は過度な緊縮で生まれたのか。財源の裏付けなく防衛費増額や消費減税を掲げるのは、責任ある政治なのか。明快なスローガンは時に気を付けねばならない▼首相は「謙虚」な国会運営に徹し「丁寧」に対応するとした一方で、予算の年度内成立を譲る気配はなく、早々に予算審議を収束する日程を示してきた。聞こえのいい言葉の使い捨てなら捨て置けない。知事の「県民に信を問う」とした言葉の顚末(てんまつ)を知る新潟県民としては、なおのこと。(新潟日報・2026/03/04)
毎日、飽きもしないで新聞コラムを乱読し、「何をいまさら」とか、「物事の真贋を見抜かなきゃ」とか、偉そうなことをほざいてはいますが、なに、所詮は「天に唾する(てん【天】 を 仰(あお)いで唾(つばき)する)」の類で、「他人を害しようとしてかえって自身が災いを招くことのたとえ。天に唾す。天に向かって唾を吐く」(精選版日本国語大辞典)、そんな愚かさをぼく自身は忘れていないつもり。つまり、「自分のことを棚に上げて」ものをいう習慣はぼくにはないという意味です。「たな【棚】 へ=上(あ)げる[=ほうり上(あ)げる・ほかす・置(お)く]、「物を棚へ上げておくの意。手をつけないでそっとしておく。特に、自分の不利や欠点など、不都合なことにはわざとふれないでおくことにいう。棚に上げる」(同前)ならば、どうしてそんな割の合わない小言を言うんですかと問われるかもしれませんね。おそらく「人の振り見て我がが振り直せ」ということになるのですかねえ。「他人の行為の善悪を見て、自分の行為を反省し改めよ。人の上見て我が身を思え」(同前)(蛇足 新潟新聞社はお堅いというか、不自由というか。社内でお酒はだめなんですか?よく言うでしょう。「酒中に真あり(In wine there is truth.)」と、言いたいけれど言えないもどかしさなら、お酒がぐっと後押ししてくれますよ)
ぼくにはそんな経験はあるはずもないことでしたが、「人の振り見て」という、この戒めは直ちに「人の不倫みて、我が不倫直せ」に通じているように思いました。不倫というのは「不義」という意味で、社会倫理からは許されないという約束違反行為です。「倫(りん)」とは「人倫」をさし、第一に「仲間」「ともがら」です、そしてその仲間内の「約束事」。「人間として守るべき道義」を指し示す。それに反する行為を「不倫」といったのですが、後々には、特に「男女の仲」に関して強調されたんですね。この社会は特に古くから儒教の影響を受けてきましたから、いつだって「五倫五常(五常五倫)」などという「道徳」観(説)が民の心にのしかかっていました。

「五倫」は「オリンピック」ではなく。「父子の親(しん)、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」という社会的地位(関係)の「あり方(道)」(道義)を特に言いました。「親子は一世、君臣二世、夫婦は三世、間男は四世(止せ)」とも言いましたよ。また「五常」とは「仁、義、礼、智、信」という、儒教最高の「五徳目」です。今問題にされている首相の倫理感覚(意識)は、ぼくから見れば驚くほど「怪しい」し「疑わしい」ですな。まるで空っぽじゃないかな。彼女は両親からから常々、「教育勅語」を諳(そら)んじるほどに教えられ、自身もそれをとても大事にしているといっています。しかし、そんなことは「嘘」でしたね。ちっとも大事にしていなことばかり。ある関係者に言わせれば、ただ今、中央教育審議会だったか、教育課程審議会だったかで「学習指導要領」改定が議論されており、あるいは新規に「教育勅語」が学習指導要領にそって「教科書」に書かれるだろうといわれています。学校で「教育勅語を必修にする」という意味です。そうなれば、今以上に「ばれなければいい」「嘘も方便」「好きなことを、好きなようにして、何が悪い」などと嘯(うそぶ)く、まことに勝手で都合のいいように、自らの「振る舞い」を正当化する、「首相」のような腐った人間が作られるでしょうね。

見つからなければいい、見つかったら、しらを切ればいい。いよいよになれば、黙秘(沈黙)するんだよ、さらに…。そんな倫理がこの社会の「骨や肉」を作ることになるでしょう。ぼくが改めて驚くのは、315人の自民党国会議員全員が「当選のご褒美(ねぎらい)」を首相からもらったと報じられているるし、その金の配り方が問題だといわれておりながら、だれ一人、「こんなものはもらえるか」「瞬時に突っ返した」という議員がいるという報道がされないことです。ということは、実は何人かいるんですが、それは書かないことにと、誰かに頼まれたのかな。つまりは、マスメディア関係者ももらったんだろうなあ、「カタログギフト」を。だったら、なんとも卑しい、卑しすぎますな。議員はみんな、だんまりを決め込んで「もらっている」ことを「暗黙の了解」「公然の秘密」としている。「みなまで言わせるな」という論法かもしれない。嫌な国になりましたね。それとも、これはもらえないと、突き返したが、それは裏口から(世間に知られないように)だったのでしょうか。総理大臣であるべきではない、あってはいけない人間は言うまでもないこと、自民党国会議員の全てもまた、「同じ穴の狢(むじな)」(狢さんには申し訳ない。どうして狢というのか、ぼくにはよくわかりません。「狢」とは「穴熊」の異称とされる)だということが天下に公然たる事実として明かされたことになります。

本日の「日報抄」を再読三読してほしいですね。「己の非才を棚に上げるつもりはないが、このところ政治を巡るうさんくさい言葉がどうにも気になる」「政府は『国民会議』で社会保障について『国民的な議論』をするという。参加者は限定的だ。ここで言う国民って誰なのか」(註 すべて政治家ばかり。こんな「国民」ってあるものか。:https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kokuminkaigi/contents/20260226/02_siryou2.pdf)「『過度な』緊縮財政を見直し『責任ある』積極財政を推進するという方針も、何だか浮いて聞こえる」「1100兆円を超える国債発行残高は過度な緊縮で生まれたのか。財源の裏付けなく防衛費増額や消費減税を掲げるのは、責任ある政治なのか」「首相は『謙虚』な国会運営に徹し『丁寧』に対応するとした一方で、予算の年度内成立を譲る気配はなく、早々に予算審議を収束する日程を示してきた」コラム氏の怒りが手に取るようにわかるといえば、どうですか。しかし「酒中に真あり」ですぞ、ここでいっぱい、溜まっているうっ憤を晴らしタラどうですか。「それも首相は女か」とかね。(右のような「議連」があります。*https://sekkyokuzaisei.jp/ 70名で活動しているそうです)
「騙(だま)したお前が悪いのか」、「嘘を信じた自分が馬鹿なのよ」、そんな「開き直り」が、永田町から聞こえてきそうです。故元首相も「根っからの嘘つき」でしたが、現首相は、その「根っからの嘘つき」を、一人の側近としてみていましたから「門前の小娘、習わぬ経を読む」、あるいは、そんなたまではない、きっと「一枚上手の、嘘つき」かもしれません。(下の図表をとくとご覧ください。一般会計(歳出)額と特例国債(赤字国債)発行額は、年を追って増加しています。所謂「アベノミックス」大判振る舞い時代からの推移です。予算額が年々増えているにもかかわらず、「過度の緊縮財政」と言い抜けるど根性、この不見識さは類例を見ません。「馬鹿」としか言いようのないでたらめ(嘘)でしょ)(出典は大蔵省作成図です)


ヴェルディの「リゴレット」に「女心の歌」という、よく知られた曲があります。おおよその歌詞は以下の通り。「女は気まぐれだ 風になびく羽根のように 言うことも変わる、そして考えも(変わる)」「いつも感じの良い 愛らしい表情で 泣いているときも笑っているときも、それには嘘がある」(https://tsvocalschool.com/classic/la-donna-e-mobile/)1851年、初演。この「女心の歌」は、ヴェルディにとっても会心(快心)の作とされたものといいます。どんな意味でしょうか。歌曲「リゴレット(Rigoletto)」に託されたメタファーは何だったか。(ここで、この歌劇を引用する、いかなる他意もありません。久しぶりに多くのテナーやソプラノの歌声を聞きたくなったからでした。ぼくはこの歌劇を、いろいろなレコードで聞きあさりました。誰がいいということもありませんが、やはりデル・モナコでしたか。ソプラノはマリアカラスでしたね。彼女の最晩年のリサイタルを聴いたことがあります。もう半世紀以上も前のこと。同じタイトルで「女心の歌」、日本ではバーブ佐竹さんのものがありますね。よく聞きました。「どうせ私をだますなら、だまし続けてほしかった」という、不条理にも切ない、不倫の匂いが芬々とする、実に頽廃的な歌でした。大学入学したての頃、新宿や池袋で、よくこの流行歌が流れていたことを覚えています。ぼくには立ち入り禁止の世界でしたね。

◎ リゴレット(Rigoletto)= イタリアの作曲家ベルディの三幕からなるオペラ。1851年ベネチア初演。フランスの作家ユゴーの戯曲『王は楽しむ』に取材したピアーベFrancesco Maria Piave(1810―1876)の台本による因果応報を主題とした悲劇で、ベルディの代表作の一つであるとともに、人物の性格描写と旋律的創意との強固な結び付き、また音楽のもつ劇的効果の高さにおいて、後世に多大な影響を及ぼした。領主マントバ公爵に仕える道化リゴレットは、漁色家の主人を唆して女あさりを手伝うが、公爵に娘をもてあそばれたモンテローネ伯爵に、おまえにも父親の怒りがわかるときがくるだろうと呪(のろ)いをかけられ、愛娘ジルダの身を案じて不安に駆られる。そのジルダは、学生に化けて言い寄ってきたマントバ公爵を愛するようになり、やがて公爵邸に連れ去られる。憤怒(ふんぬ)に燃えたリゴレットは殺し屋スパフスチレに公爵の暗殺を依頼するが、それを知ったジルダは愛する公爵の身代わりとなって殺され、リゴレットが悲嘆に暮れるうちに幕となる。単独で歌われるアリアも多く、第一幕の「あれか、これか」「慕わしい人の名は」、第二幕の「悪魔め、鬼め」、第三幕の「女心の歌」などはとくに名高い。日本初演は1919年(大正8)原信子(のぶこ)(1893―1979)、清水金太郎(1889―1932)らによる抄演。(日本大百科事典ニッポニカ)
《La donna è mobile》
La donna è mobile
qual piuma al vento,
muta d’accento
e di pensiero.
女は気まぐれ
風になびく羽のように
言葉が変わる
考え方も
Sempre un amabile
leggiadro viso,
in pianto o in riso,
è mensognero.
いつも可愛らしい
愛らしい表情も
涙も笑顔も
嘘偽り(以下略)
(ヴェルディ《リゴレット》「女心の歌」デル=モナコ(テノール):https://www.youtube.com/watch?v=mzfU65NPWsw&list=RDmzfU65NPWsw&start_radio=1)
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女性はすべからく「嘘つき」だとか、「間違いが明らかになっても、決して誤らないもの」だというつもりはありません。そんないい加減な人間は、男女問わずにたくさんいすぎるからです。ただ、為政者、しかも一国の首相が、赤子でもわかる「嘘」をついて、ごまかし続けているという、その風潮にぼくは我慢できませんね。「法的には何の問題もない」と言い張っているけれど、実は法的にも問題ありだけれど、それを感じないか、認めない人間の質(人品骨柄)の問題(評価)が問われているのだという、自覚は皆無。「女性初の首相」と、世間も大騒ぎしますが、何のことはない、今なお男社会の真っ盛り、しかもその「男社会のど真ん中」で、女であることを剥き出しにして、「我が人生に悔いはなし」とでも驕(おご)っているんじゃないんですか。醜悪極まりない振る舞いだと、ぼくには思われますね。
もちろん、彼女と「リゴレット」とは何の関係もありません。「女心の歌」の「歌心」が過剰にあるのかもしれぬという気はしますけれど。それはそれで、ぼくは嫌ですね、とても「ふしだら」という感じがするものですから。「 ふしだら」とは「1 けじめがなく、だらしないこと。また、そのさま。2 品行が悪いこと。身持ちが悪いこと。また、そのさま」と辞書(デジタル大辞泉)は解説します。誰のことを指してるんでしょうか。日本の「財政破綻」の兆しが明らかになりつつあります。スタグフレーションが急激に進行するのだろうか。
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高市首相カタログギフト配布、党支部と議員個人を使い分け? 25年の国会答弁「党支部と議員は別」と矛盾 高市早苗首相(自民党総裁)は、自民の全衆院議員315人に当選祝いとして3万円相当のカタログギフトを配布したのは「法令上問題がない」と繰り返す。一方、本人が支部長を務める党支部のお金を充てたとの説明が波紋を描く。昨年の「党支部と議員は別」との答弁と矛盾するからだ。政党支部の在り方が焦点になる企業・団体献金の議論で自民は消極的。「政治とカネ」問題に甘い姿勢や、旧態依然の金権体質を物語る。
▶ 高市首相のギフト配布、識者の見方は 「違法ではないが倫理的、道義的に問題」「政治活動に資するのか」
首相側の説明では、衆院選当選のねぎらいの気持ちで、カタログギフトの「品物」を寄付した。総額900万円超の資金は、奈良県第2選挙区支部から支出し、政治資金収支報告書には寄付と記載するという。
政治資金規正法は、個人が公職の候補者の政治活動に関し、寄付を禁止。物品なら可能だが、金銭や有価証券は禁じる。政党支部から政治家への寄付は問題ない。首相がカタログ配布を「支部の活動」「品物」と強調するのは、法の網をかいくぐる狙いがある。
代表を務める政治家の「第二の財布」と批判されてきた政党支部。首相はギフトののし紙に「御祝 高市早苗」と記し、支部と自身が一体となり贈ったことを暗に認めている。
昨年12月、支部が上限を超す献金を受けていたことが判明した際は、異なる説明をした。支部と議員は別の主体とした上で「支部への献金は高市早苗の献金かというとそうじゃない」と述べ、責任を回避した。「(党支部と個人を)都合良く使い分けるのは政治不信につながる」。2月27日の衆院予算委員会で中道改革連合の小川淳也代表はこう苦言を呈した。
配布の目的でも疑問が残る。民主主義に資する政治活動に使うのが政治資金。首相は27日の答弁で「飯会苦手女」と自称し、その代替で配ったと説明。支部が全議員対象の政治活動として行う必要性は、説明が尽くされていない。
派閥裏金事件に端を発した企業・団体献金の規制強化は、与野党で結論を出せていない。献金の受け手を政党本部と都道府県単位に制限する他党の案に対し、自民は7千を超える支部の「きめ細かい政治活動が影響を受ける」と制限に反対してきた。首相を例にしても、支部は政治力の源泉で手放したくないのが本音だ。
「永田町の論理に終止符を打たねばならない」。1月の記者会見で「脱永田町」を掲げた首相。カタログ配布では「昭和の中小企業のおやじ社長」と反省のそぶりを見せた。周辺はため息をつく。「永田町文化に漬かっていると見られても仕方ない」 (山口新太郎、小川勝也、坂本公司)(西日本新聞・2026/03/03)

カタログの一部を見て、これのどこが政治活動に役立つのかと思いましたが、それは、ぼくが世間知らずで、政治にはベッドも布団も枕も、温泉も黒毛和牛の高級肉も、当たり前に必要なんでしょうね。近鉄百貨店は顧客名入りの「領収書」を出さないんですか。ご常連さんだから、出しづらいというのですか。ホテルが、ある政治家に出した「領収書」をついに公開しなかった事例が、数年前にありました。顧客は「桜を見る会」主催者とかなんとか言いましたよ。つまり「悪の継承」者たちということかな。「醜悪」と言おうか、「凄惨」と言おうか。



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