「時間は娘の死を解決しない」

  「徒然日乗(とぜんにちじょう)」と題して、取るに足りない日々の「明け暮れ」を飽きもしないで書いています。もう何年になるでしょうか。元来、ぼくは飽きっぽい、注意散漫な性分で、何事も長続きはしないし、物事に習熟するという面倒をとても厭ってきた人間です。その「質(たち)」は今もって寸分も変わっていません。俗に「三日坊主(unsteady worker)」といいます。「物事に飽きやすく、長続きしないこと。また、その人」(デジタル大辞泉)と辞書に解説されている。まさに、ぼくは「その人」でした。この「駄文集録」を何年も続けてきて痛感すること、思わされること、気づくことは少なくありません。つまりは「三日坊主の効用」ということです。誰だって、朝食を食べることに「三日坊主」はないでしょう。よほどのことがない限り、たとえ戦時下、戦火のもとでさえ、人々は「おはよう」とあいさつを交わし、「いただきます」と食卓を囲む、それが日常であり、人間の生活というものでしょう。平時のうちの非常時であり、非常時の中の平時ということです。それは、二つで一つ。

 自分は 「三日坊主」であることを忘れないで、「徒然(つれづれ)」に「日乗(にちじょう)(日記・日録)」を駄弁るのは、ぼくには、まあ「朝ご飯」を摂ることに等しく、「おはよう」というに等しいものと、何の抵抗もなしに(とはいきませんが)続けてきました。そんな明け暮れを何の努力もなしに続けてきて、今、ぼくはつらつら思うところがあります。取るに足りないことの積み重ね、繰り返し、それが「日常」「茶飯」ですから、そのような平々凡々とした一日の連続にあって、あるいは時間が止まったのではないかと感じさせられる出来事に、たまさか襲われることがあります。それが天変地異であったり、大きな事件や事故に遭遇することであったりということでしょう。そんな「命の分かれ目」のような出来事に直面してなお、その命を生き永らえさせるのもまた「日常茶飯」ではないかということです。親がなくなった時でも、誰かがご飯の準備をし、「いただきます」と手を合わせる。食べ終われば「ご馳走さま」と、また手を合わせる。人間の危機を救うのもまた「日常茶飯」であるということをぼくは実感するのです。「日常茶飯事」があってこその、生活だということを深く思わされている。

 こんなことを書けば叱られるかもしれませんが、ある日、突然の不幸に襲われ、深い悲しみに突き落とされることがあっても、人は生活を立て直す、そんな復元力を蔵しているのではないでしょうか。昨日今日と、いくつもの新聞コラムを通読していて、ぼくは今更のように、息をのむ思いをしたり、「無事、これ奇跡」と思ってみたり、「明日は我が身」と肝に銘じたり。すべてを紹介(引用)したくなりますけれど、以下の三編に、本日を限定しておきます。「いばらき春秋」を中に挟んで、「日報抄」と「滴一滴」が,横だか縦だかに並んでいます。いかにも「平凡な日常」は「悲しみ」や「苦しみ」に責められているような気がします。この三編に共通するのは「親子の情愛」というものでしょうか。しばしば「親子の絆(きずな)」といい語が使われます。ある時期から「大流行」し出しました。それをとやかく言う筋合いはぼくにはありません。

 けれども、「絆」とい言葉にはもっと注意を払いたいとぼくは考えるのです。「ハン」「バン」「きずな」「つな(ぐ)」「ほだ(す)」と読んでいます。その示すところは「きずな。ほだし。牛馬などのをつなぎとめるもの」「つなぐ。ほだす。つなぎとめる。束縛する」(漢字辞典ON LINE)とあります。どこに問題があるのかと不思議に思われるでしょう。解釈はそれぞれの好みでいいのかもしれません。ぼくはこの「絆」という漢字を見ると、何よりも「ほだす」という意味合いを強く感じてしまいます。「つなぎとめる」「自由を束縛される」「縛る」という具合に、です。「情に絆(ほだ)される」というのは、けっしていい意味ばかりではなく、むしろ「堅苦しい」「不自由な」「理非曲直とは無関係に」という感覚を持ってしまいます。よく似たことばに「柵(しがらみ)」があります。「引き留め、まとわりつくもの。じゃまをするもの」(同上)とあります。「柵(しがらみ)がない」などというでしょう。(ぼくは余計なことを駄弁っています)元来が動詞であって「しがらむ(柵む・笧む)」の変形、「 絡(から)みつく。まとわりつく。また、絡みつける」であって、なかなか割り切れない、厄介な関係を指すようです。

 ぼくがこの単語に熟知するようになったのは、学生時代に鴎外を読んでからでした。1898年10月に出版された雑誌で、その動機を、鴎外は「「文壇の流れにしがらみをかける」勢いで、このの誌名になったとされます。流れに掉さすのではなく、「柵をかける」と。面倒なことになりそうなので、この部分はここまでに。要するに「柵(しがらみ)」も「絆(きずな)」も、似た者同士であって、どこかに「不自由」「束縛」を予想させはしませんかと、それだけを言いたかっただけ。

【日報抄】あの日、何度も何度も電話をかけたが、つながらなかった。福島県南相馬市で暮らす娘の安否が心配だった。「津波でみんないなくなった。家もなくなった」。2日後の朝、娘の夫の父親から電話があった▼東日本大震災からあすで15年になる。上越市の渡辺稔さんと喜久枝さんの長女で、当時32歳だった千鶴さんの行方は今も分かっていない。娘の近くにいたいと、2人は15年間、月命日に南相馬市を訪れている▼上越の自宅の仏壇には、ウエディングドレス姿の千鶴さんの写真が飾られている。がれきの中から見つかった娘の携帯電話に、奇跡的にデータが残っていた。「ちーちゃん、ただいま」。喜久枝さんは毎日、笑顔の娘に語りかける▼警察庁の調べでは、大震災により今も2519人が行方不明のままだ。昨秋、その2519人の家族に、希望の光が差した。宮城県南三陸町で2023年に見つかった骨の一部が、約100キロ離れた岩手県山田町で津波に遭った6歳女児のものと判明したというニュースだ▼もしかしたら-。渡辺さん夫妻も警察からの連絡を待つ。「死ぬ前に会いたいの。私たちも年だから」。つながることのなかった娘の携帯電話を見つめ、喜久枝さんはつぶやく▼80歳に手が届く年齢になった夫妻は、年金生活のため南相馬へは一般道で片道7時間以上をかけて通う。稔さんの愛車のメーターは25万キロを超え、昨年手放した。今年は喜久枝さんの軽自動車で向かう。再会できる日を信じて、2人は通い続ける。(新潟日報・2026/03/10)

 「親子の情」は、時には「盲目」になりやすいことがあるという意味で、もっと互いが「自立」した関係に立つとどうでしょうか。そんな埒もないことが言ってみたかっただけです。「東日本大震災」から十五年が経過しました。でも、ある人々にとって、「十五年」は時間の長さなどではなく、亡くなった人々との「混じりけのない情愛」につながれつづけてきた時間だったと思います。

 「『死ぬ前に会いたいの。私たちも年だから』。つながることのなかった娘の携帯電話を見つめ、喜久枝さんはつぶやく▼80歳に手が届く年齢になった夫妻は、年金生活のため南相馬へは一般道で片道7時間以上をかけて通う。稔さんの愛車のメーターは25万キロを超え、昨年手放した」(「日報抄」)

【いばらき春秋】娘のかばんから弁当箱を取り出すと、手紙が入っているのに気付いた。学校で書かされたのかもしれない。毎日、弁当を作ってくれた母親への感謝をつづっていた▼中学卒業式の朝。その日からしばらく弁当はなくなる。手紙を妻に渡すと、早起きして作ってきた苦労を誇り、「感謝が足りない」と冗談を言って笑った▼東日本大震災からあすで15年。大きな揺れが襲った午後2時46分、生後2カ月の娘が寝ていたそばに冷蔵庫が倒れた。寝かせていた場所がもう少し近かったらと、思い出すたびにぞっとする▼その娘が義務教育を終えた。式後の保護者会で先生が「本日の第2の主役は皆さん」とたたえてくれた。子の卒業は〝親の卒業〟でもあると。娘を支えた15年の出来事が次々と頭に浮かび、当時を思い出した▼震災を経験していない子どもたち、震災を知らない子どもたちが増えている。年を経るにつれ、3月11日を迎えるたびに、「風化」の2文字が鮮明になってゆく▼娘の手紙には父への感謝もあった。「夜遅く、仕事で疲れているのに(弁当箱を)洗ってくれた」。寝起きで機嫌が悪い娘に小言を言ってよくけんかになった。生きているのが奇跡のように感じた日々を思い出し再び感謝する。(島)(茨城新聞・2026/03/10)

 「震災を経験していない子どもたち、震災を知らない子どもたちが増えている。年を経るにつれ、3月11日を迎えるたびに、『風化』の2文字が鮮明になってゆく」(「いばらき春秋」)しばしば、世間では「風化」を嘆くことがあります。「原爆投下」「沖縄地上戦」をはじめとする、数々の事件や事故、あるいは災害によって「致命傷」「大災厄」を経験しても、やがて、その記憶は忘れ去られてしまうという、記憶の喪失を嘆く意味合いで「風化」が語られてきました。もちろんそうではありますが、人間の記憶というものは頼りないものだとするなら、それも致し方がないという気もします。しかし、ある人々にとって、決定的な出来事の記憶は「風化」することはないということもできます。また「風化」という語には別の意味合いも含まれていることを、ぼくたちは忘れるべきではないというべきかもしれません。

1 地表の岩石が、日射・空気・水・生物などの作用で、しだいに破壊されること。また、その作用。2 記憶や印象が月日とともに薄れていくこと。「戦争体験が—する」3 徳によって教化すること。「一世の—に関係する有用の人となることを得べし」〈中村訳・西国立志編〉4 「風解(ふうかい)」に同じ。(デジタル大辞泉)

 ここで、異なことを言おうとしているのは、「日報抄」「滴一滴」で悲しみに襲われた人々の、その深い悲しみが、ぼくのような、一面ではそのような「悲劇」とは無関係であると思われる人間にさえも、「悲しみ」の深さを教えてくれているということに気付いてほしいと願っているからです。あえて言えば、「かけがえのない家族を奪われた」、その悲しみの深さが有する「風化の力」が、他者をして悲しみの列に招いてくれる、そのことによって「忘れ去られる」ことから、ぼくたちの記憶が救い出されるのです。「この十数年間、小谷さんは『時間は娘の死を解決しない』と訴えてきた」(「滴一滴」)、この亀岡市の事件を、なぜだかぼくはよく覚えています。このような「残された者の悲しみ」に引き寄せられるようにして知遇を得た(自動車事故の被害者遺族)方は何人もいます。「人ごとではなく自分事として捉えてほしい」「大切な人とともに暮らせる時間は決して当たり前じゃない」と訴えられておられる被害者遺族の叫びは、間違いなく、ぼくのところに届いている。一面では記憶を失うという「風化」に耐えながら、もう一方で「記憶をつなぎとめる」もう一つの「風化の力」を、ぼくは信じているのです。ここにも、過去の出来事(歴史)に対する責任の所在(責任の取り方)があるということでしょう。

【滴一滴】交通事故遺族の願い 「雨降るんやったら、新しい靴履いていかへんわ」。天気予報は夕方雨。小学2年生の娘は買ってやったばかりの靴を履かずに登校していった。それが元気な姿を見た最後だった▼「最愛の娘を奪われて」と題した講演会が先月、岡山市内であった。2012年春、小谷真樹さん=京都府亀岡市=の次女真緒さん(当時7歳)ら集団登校する児童らの列に少年の車が突っ込み、身重の母親を含む10人が死傷した▼少年は無免許の上に徹夜だったが罰則の重い危険運転致死傷罪は適用されず、遺族の無念は残った。この十数年間、小谷さんは「時間は娘の死を解決しない」と訴えてきた▼曖昧さに疑問の声がつきまとう危険運転致死傷罪の要件について、法制審議会が高速度と飲酒の数値基準を新設した改正要綱をまとめた。今国会に提出される予定だ▼法律の柔軟な見直しとともに小谷さんには受け止めてもらいたい思いが二つある。「人ごとではなく自分事として捉えてほしい」こと。そして「大切な人とともに暮らせる時間は決して当たり前じゃない」こと。それが犯罪被害根絶の原点だと思うからだ▼昨年の交通事故死者は2547人。政府は年間死者数の目標を2千人以下としたが小谷さんはこう問いかける。「その中の1人が自分の大切な人でもいいと思っている人はいるでしょうか」と。(山陽新聞・2026/03/09)

 北朝鮮に拉致された五人の方々が帰国された直後(2002/09)、ぼくが担当していた授業に、被害者の一人であったYさんのご両親に来ていただき、「拉致問題」の「ありさま」を語ってもらったことがありました。そのしばらく後に、いつくかの新聞等から原稿依頼があった。原稿を書くのはあまり好きではなかったので、多くは断ったが、一紙に、どういうわけだか拙論を寄せたことがありました。たった一言、拉致問題は自分には無関係と思えばそれで済むでしょうが、しかし「どういう問題なのか」、被害者や家族の方々の思いはどういうものかと、無知である自分にも問題意識が芽生えるなら、その時、事は「自分の問題」になる、そんなことを書いた、「自分の問題」にするというのは、対象(事件や事故など)に疑問を持つことです。疑問を持てば、なんだって問題は自分に近づく、自分の問題になります。ある人が残した言葉で、「もっとも強い精神は、最も遠い道を歩く」という意味のものがあります。

 疑いを通して、問題が自分の中に育つということであり、その精神、これを批判精神といってもいいでしょう、それがなければ、人間は単なる「暗記のお化け」でしかありません。これを覚えろといわれるのは、覚えたら忘れろというに等しい。「批判」精神とは、他人の口真似をする(独断論)のでも、誰も信じられないようになる(懐疑論)のでなく、みずからの疑問の力によって問題に対面することです。「おかしいことはおかしい」ということができるためには、なにが、どうして、おかしいのかと自分で問題を煮詰めなければならないでしょう。逆に、疑わなければ、なんだって、自分の中を通過してしまいます。まるで学校の「試験問題」みたいなもので、終わってしまえば、すっかり忘れる、そうしなければ次の課題を覚えられないのです。そんなことのくり返しで、人間は賢くはならないと思いますよ。

 ある識者は「歴史とは思い出すこと」であるといい「歴史は想い出なんだ」といいました。亡き子の片方の靴(形見)があれば、細大漏らさず、子どもに「面晤」(「面語」)できるのです。また西洋のある歴史家は「歴史とは(現在と)過去との対話である」といいました。どちらにも共通しているのは「過去(形見)」を自分の中に持つことです。「風化させてはいけない」といえるためは、自分は歴史の中に生きているという意識(想い)を持ち続けることでしょう。「桶狭間の戦い」「関ヶ原の戦い」は、私に何の関係があるかというのは、その通りです。が、満州事変以降の「日中戦争」に何の関係があるか、「私はまだ生まれていなかった」と、時の首相が言うにおいて、もはや論外の無知・無識というほかありません。戦争当時、自分は生まれていなかったのだから、そんなものに責任なんかあるものですかと、言い放った時の彼女(現首相)の表情を覚えています。今、深刻な問題になっている両者の関係に触れて、「中国」の政治権力者に、これと同じこと(「私には関係ないこと」)が言えるでしょうか。

 犬・猫にも、他の多くの動物にも(脳細胞があるという意味です)、(大事な)過去の記憶は残るものです。人間は「過去を忘れた振りをする動物」なんですか。つまり、都合の悪いことは知らないふり。どこかで誰かが言っていそうですね、「人間は過去を忘れたふりをする生き物だ」(<Humans are animals that pretend to forget the past.>)とね。この傾向は、特にこの社会の「政治家」に多いのではないかな。いやらしいですね。過去を忘れるといいましたが、今から八十一年前の本日、度重なる「東京大空襲」の第一回目が敢行され、およそ十万人の犠牲者が出たとされる歴史的大参加の日でありました。今、この悔いの為政者は、何がなくとも「大アメリカ」といわぬばかりのすり寄りかち大抱擁です。確実に、この国は箍(たが)が外れてしまったという思いが強くなるばかりです。

 アメリカの横暴は極まるところなく拡大し、今では中東のイランに不法・無法な侵略攻撃を仕掛けている、その国の不正・不義に何一言の批判も口にすらできない、この国の腐り切った閣僚・大臣(政治家)の存在をどう始末するべきでしょうか。ベトナム戦争を思い、アフガニスタン戦争を思い、イラク戦争を思い、ガザやイラクの殺戮を思うにつけ、アメリカは「自由の国」か、「民主主義の国」かと、わが目と耳を疑い、わが心に穴が開くのをいかんともしがたく、それをいささかも禁じ得ない自分に驚くばかりです。

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◎ 東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)= 第2次世界大戦中,1945年3月10日のアメリカ軍による東京の下町を中心とした地域に対する大規模な空襲。爆撃機ボーイングB-29を主力とするアメリカ陸軍航空隊の日本本土空襲は,マリアナ諸島に基地が完成した 1944年11月から本格化した。東京は 1945年3月10日,4月13日,5月25日の 3回にわたる大空襲を中心に前後 102回の空襲を受けた。3月10日午前0時8分から始まった空襲は,日本爆撃作戦の転機を画したもので,従来の軍事施設に対する昼間精密爆撃とは異なり,戦闘員・非戦闘員無差別の,木造家屋密集地帯に対する夜間焼夷弾爆撃であった。爆撃機約 300機が来襲し,約 1700tの焼夷弾を投下,10日早暁にかけて大規模な火災による旋風が発生し,東京の全建物の 4分の1が破壊された。8万人以上(一説には 10万人以上)が一夜にして焼殺され,100万人が家を失った。(ブリタニカ国際大百科事典)(左写真は「浅草花川戸(1945年3月10日) 命懸けで撮った東京大空襲<一枚のものがたり>石川光陽:東京新聞デジタル)(東京新聞・2025年3月1日 07時23分)

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われは女ぞ。一人稱にてのみ物書かばや 

 昨日、触れられなかったので。3月8日は「国際女性デー(International Women’s Day)」でした。国連で制定されたのが1975年のことでしたから、以来、半世紀以上が経過しました。この「女性デー」が制定された経緯について、ぼくは早くから知っていた。友人に「近代日本文学(主に田山花袋)」の研究者がおり、特にその人は「青鞜(せいとう)」をはじめとする明治以降の女性解放史に造詣が深く、この領域の第一人者と目されてきた方です。偶然ではありますが、彼女とは大学の同級生(学部は異なりました。後にわかったこと)であり、小生担当の授業にも長く参加されてきたこともあって、ぼくは「一人の学生」として、「男尊女卑」「女性抑圧」の旧弊に断固立ち向かったたくさんの女性(解放運動)の先駆者たちの仕事を、まさに対面(といめん)で教えられてきました。平塚雷鳥や与謝野晶子。あるいは伊藤野枝の諸氏は言うまでもありません。ことに雑誌「青鞜」に結集した女性たちの活動をつぶさに見ることができたのは幸いでした。

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 いくつかの、昨日付の新聞「コラム」を紹介してみたくなりました。いかなる風の吹き回しか、産経新聞が「国際女性デー」に深い関心を寄せている。いいことですが、この後が怖いという気もします。一言で「女性問題」といっても、その内容は多岐にわたり、かつ複雑でもあります。この国の近代化の歩みの埒外に置かれてきた「女性の権利」問題は、今もなお、十分に尊重されていないのは厳然たる事実でしょう。先人たちの血の滲(にじ)むような、人生を賭けた働きがもたらしたものを、決して過小評価してはならないのは言うまでもありません。

【産経抄】「解放」試みた歌人を思う、きょう「国際女性デー」  歌人の与謝野鉄幹が明治32年に興した同人結社「新詩社」には、才華を競い合う3人の女性がいた。後に妻となる晶子、山川登美子、増田雅子である。晶子と登美子は強い友情で結ばれた上、ともに鉄幹を恋慕する仲でもあった。▼歌にみえる熱情の発露は対照的である。晶子の<やは肌のあつき血汐(ちしお)にふれも見でさびしからずや道を説く君>と、登美子の<それとなく紅(あか)き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ>。まっすぐに思いをぶつける前者に対し、後者は切ない。▼恋心はみんな友(晶子)に譲り、自分の心に背いて悲しんで恋を忘れよう―と。登美子は親の勧めた縁談を受け入れ、他家に嫁した。ほどなくして夫と死別し、再び創作に励んでいる。晶子らと合同歌集『恋衣』を発表するのは同38年、29歳の若さで逝くのはその4年後である。▼恋愛観にいまほどの自由はない。しかも登美子は旧武家の生まれで、旧習の縛りが強かった。歌の中とはいえ、秘めた思いを解き放つには多くの燃料を要したろう。きょう8日は「国際女性デー」。その趣旨とは異なるものの、女性の「解放」を試みた先人の歩みに頭を垂れる。▼この3月末で役割を終えるはずだった女性活躍推進法は、法改正で10年の延長となる。国会議員も官民の管理職も、女性の占める割合は先進国の中で見劣りする。男女の賃金差もまだ小さくない。10年後こそ、同法におさらばと言える世にせねば。▼登美子にはこんな一首もある。<をみなにてまたも来む世ぞ生(うま)れまし花もなつかし月もなつかし>。来世も女性に生まれたいものだと。時代の制約にしおれず、誇り高く生涯を駆け抜けた人のようである。現代にありせば、どんな応援歌を女性に送るだろうか。(産経新聞・2026/03/08)

  「男尊女卑(subjection of women)」という表現を使うことは、以前ほど容易ではないという機運もあるようですが、実態は、さてどうですか。いたるところで「男尊女卑」が温存されているし、墨守されているともいえるのが、この社会の現実だと、ぼくには思われます。それは決して表面的なことではなく、むしそ個々人の内面の深部に「刻印」されているとさえ言いたくなります。時の総理大臣が「選択的夫婦別姓(別氏)」に断固反対しているという、この事実をどう受け止めるか。驚くべき姑息な姿勢で(通称使用の法定化)、「男尊女卑」を厳守しようとしているとしか思われないのです。(「男尊女卑」= 男性を重くみて、女性を軽んじること。また、そのような考え方や風習)(デジタル大辞泉)(右の表は読売新聞・2025/12/03)

 女性の権利尊重の観点からではなく、むしろ「保守派の支持をねらったもの」とされているが、実に本末転倒の、きわめて姑息は「保身」の論理(理屈)でしかないというべきでしょう。多くのところでみられる議論において、「男尊女卑」という表現は使われていないけれど、出てくる発言や意見は、まさに「男尊女卑」そのものというばかりです。(ぼくもその「因習にとらわれている一人であるのを認めた上で、)この国は制度面でも文化面でも「牢固たる男尊女卑」社会だとみています。もちろん、それはいいことだからというのではありません。夫婦別姓導入に反対するのは、それがために「家制度」が壊れるからとか、「夫婦別姓は日本の伝統」という。本当だろうか、とぼくは頭を傾(かし)げます。明治憲法下の旧民法(1898年)に始まる制度ですから、たかだか「120数年」の「家制度」「家父長制度」です。それがいろいろと「人権」の視点から見て不都合であるなら、根本から変えようとするのが政治の選択・判断でもあるでしょうに。

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◎ 青鞜【せいとう】= 1911年,平塚らいてうが主唱して結成した青鞜社の機関誌。野上弥生子,長谷川時雨,伊藤野枝,田村俊子,岡本かの子,神近市子らが参加。これらの人びとを〈青鞜派〉と呼ぶ。《青鞜》は初め女性文芸雑誌であったが,のち伊藤野枝を中心として,貞操問題や堕胎問題といった婦人問題の啓蒙誌となり,新しい女性の目ざめと解放に貢献した。1916年廃刊。なお青鞜はブルーストッキングの訳。日本のフェミニズムに大きく貢献した。(百科事典マイペディア)

◎ 山川登美子(やまかわとみこ)(1879―1909)= 歌人。福井県生まれ。本名とみ。大阪の梅花女学校卒業、新詩社に加入、白百合(しらゆり)の称を得た。与謝野鉄幹(よさのてっかん)への思慕を絶ち結婚したが、2年で夫と死別。日本女子大学に入学し、歌集『恋衣(こいごろも)』(茅野雅子(ちのまさこ)、与謝野晶子(あきこ)と共著。1905)を刊行した。『明星』での再起もむなしく肺患を発して中退、郷里小浜(おばま)に帰り療養、薄幸のなかに没した。発心寺の山川家墓地に埋葬。清純哀切、浪漫(ろうまん)味の濃い歌風で出発したが、晩年には現実的なものに移った。(日本大百科全書ニッポニカ)

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 「遠のく選択的夫婦別姓 高市政権、旧姓法制化目指す―不便解消狙い、与野党に賛否 自民党が衆議選で圧勝し、選択夫婦別姓制度の導入は当面絶望的な状況となった。政府・与党は、戸籍上の夫婦同姓を堅持した上で、旧姓の通称使用を法制化する法案を今国会に提出する方針。高市早苗首相(自民総裁)は公的な書類などに旧姓のみを記載できる「旧姓単記」の実現に向けた検討を指示したが、具体的な制度設計はこれからだ。/首相は旧姓の法制化で「改姓による不便」を解消できるとの立場。第2次内閣発足に際し、関係閣僚に対し「旧姓の単記も可能とする基盤整備の検討」を指示した。別姓の是非を議論してきた党のワーキングチームが昨年6月にまとめた「基本的考え方」に沿った内容だ。党内の保守系議員は「別姓を求める声は静まる」と述べ、別姓論議に終止符が打たれるとの期待を示した」(↷)

 「選択的別姓導入を巡る国会の議論はこう着状態が続いてきた。2024年の衆院選で自民、公明両党の与党が少数に転落すると、一時的に導入機運が高まった。昨年の通常国会では28年ぶりに衆院法務委員会で別姓導入法案が審議されたが、採決には至らなかった。/導入を訴えてきた立憲民主党と公明が結成した中道改革連合は先の衆院選で議席を3分の1以下に減らすなど国会内の「別姓」勢力は縮小。導入の道は当面開かれそうもない。」(時事通信・2026/03/05)

 (左の図表は「時事メディカル」)(2024/08/08 05:00)(https://medical.jiji.com/topics/3548

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【談話室】▼▽今年の1月半ば、国内外の女性活躍事情に詳しい専門家と意見交換する機会があった。高市早苗首相が通常国会冒頭で衆院を解散する意向だと報じられた頃である。「高市人気」の投票への影響が共通の関心事だった。▼▽女性として初めて日本の首相に就いて以来、常に注目の的。彼女が愛用しているバッグやペンなどと同じ物を欲しがる人が増え、「サナエ売れ」なる言葉まで生まれた。件(くだん)の専門家によれば、経済界で主要なポジションにある女性の間でも、支持する向きは多いのだという。▼▽高市氏は旧姓の通称使用の早期法制化に意欲を示す。選択的夫婦別姓制度の早期導入を求める経済界の立場とは、相いれない。ただ、政策的な志向は異なっても、男性中心だった政治の世界で、苦労しながら首相に上り詰めた彼女に対するシンパシー(共感)が強いらしい。▼▽選挙戦で高市人気は沸騰した。華やかかつ親しみやすいイメージで、未来への希望を明確に語る姿は、若者の心もつかんだ。他方、首相が重んじる「伝統的な家族観」には、女性の活躍を阻んできた側面もある。女性たちが真に望む変革が進むかどうか。冷静に見なければ。(山形新聞・2026/03/08)

 山形新聞コラム「談話室」の筆者は女性でしょうか。ぼくにはそうは思われません。「選挙戦で高市人気は沸騰した。華やかかつ親しみやすいイメージで、未来への希望を明確に語る姿は、若者の心もつかんだ。他方、首相が重んじる『伝統的な家族観』には、女性の活躍を阻んできた側面もある。女性たちが真に望む変革が進むかどうか。冷静に見なければ」(「談話室」)ここでいわれている「伝統的な家族観」とは「家父長制」であり、そこには、女性の権利は一顧だにされてこなかったという「前歴・前史」があります。現首相がどこに本音を隠しているかは定かではありませんが、「伝統的な家族観」を尊重する姿勢は隠さないのですから、女性でありながら女性を尊重しているかとなると、ぼくは大いに疑わしいというほかない。昨日の「国際女性デー」に際して首相はメッセージを寄せている。要するに、彼女は本音と建前を都合よく使い分ける「右顧左眄型」政治家だとぼくは断じますから、彼女の建前に傾く・陥る発言には常に「眉唾」です。

◎ かぞく‐せいど【家族制度】〘 名詞 〙 社会制度によって規定される家族形態。家父長権を持つ家長の下に統率される大家族形態、一夫一婦とその子で構成される小家族形態など。狭義では、日本の場合、家族制度の一発展段階と考えられる「家」の制度(戸主が家族を統率し、家督相続によりその地位を継承していく制度)をさす。家制。家族制。(精選版日本国語大辞典)

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 「3月8日は「国際女性デー」 3月8日は「国際女性デー(International Women’s Day)」と呼ばれる、国連が定めた記念日です。女性たちの成果を称えると同時に、教育・雇用・政治参加などに残る格差や不平等、暴力の問題を考える日とされています。国際女性デーは、SDGs(持続可能な開発目標)の目標5「ジェンダー平等を達成しよう」とも深く関わり、女性の権利とエンパワーメントを推進する世界的な取り組みの契機となっています。  2026年の国際女性デーのテーマ 2026年、UN Women(国連女性機関)は「権利、正義。行動。すべての女性と少女のために。」をテーマに、差別的な法律や慣習をなくし、誰もが平等に権利を守られる社会づくりを呼びかけています。女性の権利が男性の約64%にとどまる現状をふまえ、誰もが安心して権利を享受できる社会に向けてともに行動することが強く求められています。出典:International Women’s Day 2026: Rights. Justice. Action. For ALL Women and Girls. | UN Women – Headquarters」(https://www.plan-international.jp/girlslab/meaning-womensday/

【小社会】目にした現実 日本で女性が初めて参政権を得た衆院選はちょうど80年前、1946年の春に行われた。誕生した女性議員は39人。その中にもんぺ姿で初登院した27歳、園田天光光さんがいた。◆戦争が終わった前年の秋。東京の上野駅に大勢の餓死者がいるとラジオで聞き、父親と一緒に駆けつけた。引き揚げ者や戦災孤児でごった返している。地下道に下りると臭気が鼻をつく。遺体が並び「新聞紙が掛けてある死体はいいほうで…」(著書「女は胆力」)。◆目にした現実が政治家になるきっかけになった。帰り道の新宿駅。父に促され、初めて人前で声を張り上げた。「戦災を生き延びたせっかくの命。餓死してはあいすまん」。賛同する人々で「餓死防衛同盟」ができ、衆院選へ背中を押された。◆46年の衆院選で、当選者に占める女性の割合は8・4%だった。ただ、これを上回れない低迷は今世紀まで続いた。11年前に亡くなった園田さんは生前、「これほど伸び悩むとは思わなかった。残念ですね」。◆世界の男女格差報告でも下位に沈む日本の政治分野で、昨年は初の女性首相が誕生した。ジェンダー平等推進の象徴として効果が高いとされる一方、女性閣僚は2人だけ。先の衆院選では当選者のうち女性は14・6%と前回を下回った。政治はなお本気度が問われる。◆幅広い立場で目にした現実を政策に生かす多様性は、80年たっても道半ばにある。きょうは国際女性デー。(高知新聞・2026/03/08)

 園田直という政治家はよく知っていました。現自民党の実力者でもあった。議員生活の最後は衆議院副議長を務めた。その園田氏が家族を有しながら「白亜の恋」とかなんとか、いまでいう「不倫」を堂々とやってのけたのでした。ぼくは園田直という政治家がどんな人品であったかということを、彼の秘書を務めていた人から伺ったことがあるので、これぞまさに「日本男児」「家父長の権化」という印象を持ちました。天光光さんと結婚していて、なお別の女性と同棲・同居もしていたという、とんでもない国会議員だった。(もちろん、彼だけではなかったことは言うまでもない)またそんな不倫まみれの夫を許していた天光光さんにも、何か一言を、という気もします。女性解放運動の「闘士たち」のかなりな数の人たちが「男女関係」や「夫婦関係」に、決して潔くなかったという事実をどう見るべきでしょうか。たとえば平塚雷鳥さん、伊藤野枝さんなどなど、「青鞜」に参じた女性はもちろん、その後の女性の権利解放・獲得運動の先駆者だった人(神近市子氏など)たちは、さまざな醜聞を異性との間で起こしました。それをとやかく論(あげつら)うのは「野暮」といわれるなら、そんなもんですか、とぼくは言うばかり。

◎ 松谷天光光(まつたに-てんこうこう)(1919-2015)= 昭和時代後期の政治家。大正8年1月23日生まれ。昭和21年衆議院議員に当選。社会党にはいり,24年労働者農民党から出馬して3選された。民主党代議士で妻子をもつ園田直と恋におち,同年結婚,話題となる。のち夫が転じた改進党(のち自民党)にうつった。平成25年女性の地位向上につくしたとして後藤新平賞。平成27年1月29日死去。96歳。東京出身。東京女子大卒,早大卒。(デジタル版日本人名大事典+Plus)

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 そぞろごと

山の動く日來たる。
かく云へども人われを信ぜじ。
山は姑(しばらく)眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(をなご)今ぞ目覺めて動くなる。

  ○

一人稱(いちにんしよう)にてのみ物書かばや。
われは女(をなご)ぞ。
一人稱にてのみ物書かばや。
われは。われは。

  ○

額(ひたひ)にも肩にも
わが髮ぞほつるる。
しをたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち。
ほとつくため息は火の如く且つ狂ほし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまたそし(ママ)譏るらん。

 (以下略)
(「青鞜 第一卷第一號」青鞜社
   1911(明治44)年9月1日発行)

◎ 平塚らいてう【ひらつからいちょう】= 婦人運動家,評論家。東京生れ。らいてうは雷鳥をかなにした筆名で本名は明(はる)。日本女子大学卒。1908年森田草平との心中未遂事件(煤煙事件)を起こす。1911年《青鞜》を創刊し,〈元始,女性は太陽であった〉に始まる発刊の辞を掲げた。やがて《青鞜》は婦人運動誌の色彩を持つようになる。1913年,《女としての樋口一葉》《新しい女》などを収めた《円窓(まるまど)より》を刊行するが発禁処分となる。1918年与謝野晶子と母性保護論争を行い注目される。1920年市川房枝らと新婦人協会を結成し,婦人参政権運動に取り組む。第2次大戦後は恒久平和実現に向けて活動した。生没年:1886-1971(明治19-昭和46)(百科事典マイペディア)

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「徒然に日乗」(1025~1031)

◎2026年03月08日(日)終日、自宅内に。風が強かったが、好天は続いた。▼燃やせるゴミ(段ボールや紙類)がかかり溜まっていたので、風が少し収まるのを待って焼却開始。自作の焼却炉(大谷石で作ったもの)が大いに役に立っている。以前から、植木の枝や枯葉など、刈り取った草類などもすべてこの焼却炉で処分してきた。この数年、体力にやや衰えが来たせいもあり、大きな木の枝などは除去できていないが、今春は、できれば少し大型のチェーンソーを購入して、枝葉の伐採をやってみるつもり。仮払い機の調子も整えて、本格的な外作業に備えたいと考えている。▼冬季の寒さもあって、猫たちのマダニ駆除の手当てをしばらく休んでいたが、温度も高くなり、本日から、始めることにした。使用する「薬剤」は「フロントライン」、月に一回当て、猫たちの前足のつけ根(関節)、背中にある窪み部分に薬剤を垂らす。昨日と本日の2日間で10匹に適用、残りは数匹。なかなかおとなしく薬をつけさせないのがほとんどで、苦心している。本日、マダニらしいものを早速に2匹は駆除した。油断ならない。いくつかの種類があって、感染源とされる、きわめて危険なのがどれなのか、ぼくにはよくわからないので、困っているが。(1031)

◎2026年03月07日(土)好天が続いた一日。あまりにも陽気がよかったので、買い物がてら、少しドライブをしてみた。茂原から、勝浦方面に向かい、途中で長南街中を走り抜けて、長柄町役場前まで。どれくらい走行したか。時間があればもっと走ってみたかったほどに、ドライブにはもってこいのコースだった。信号がそれほどない道路がほとんどだったので、11回目の車検を済ませたばかりの古参自家用車だが、リッターあたり8キロ超も走行している。さらに伸びる気がするからうれしくなる。自宅にたくさんの猫がいるので、夫婦でドライブすることができないのは残念。▼イラン攻撃開始から一週間。先の展望が全く見通せないままで、米国は「無条件降伏」を求めており。勝手に攻撃し、指導者を殺害し、そして完全に降伏しろという要求を突きつける、こんな暴挙を白昼堂々と世界に見せつける、まるで漫画のような話だ。それにしてもアメリカの権力者の一貫性のなさは、きわめて深刻。日本磯のでたらめな攻撃がいつ向かってくるか。複数の国では、正常な判断力を持たないものが最高権力者だという、この時代の不幸・不運をつらつら感じる。(1030)

◎2026年03月06日(金)天気が持ち直し、好天の一日だった。昼前に灯油を購入(18㍑×2)し、その足で食料品を買うために茂原まで。▼途中、街道筋(国道14号線・茂原街道)のGSではガソリン価格の高騰ぶりが垣間見られた。数日前までは140円/1ℓだったものが、同じ系列(販売店)で150円を超えて表示されていた。帰宅後、原油先物(WTI)を確認すると、1バレルが87ドル台に跳ね上がっていた。1973年の秋の「オイルショック」を思い出した。ネット番組を見ていたら、「トイレットペパーを買いだめした人たちがいる」という話題が出ていた。この先、いったいどうなるのだろうか。▼首相が19日に訪米するようだが、最も危惧していた事態が生まれる可能性が高くなったと思う。自衛隊の海外派兵である。ホルムズ海峡が事実上封鎖状態にあり、我が国への原油を積載したタンカーが通行できない状態にあるともいわれているのだ。「存立危機事態」「集団的自衛権候」の現実が直近で発生している。▼お昼頃だったか、今年になって初めて「鶯の初鳴き」(ぼくにとって)を聞いた。例年より遅いのか早いのか。(1029)

◎2026年03月05日(木)昨日からは一転して、好天が続いた。終日、自宅に留まる。▼イラン攻撃に始まった中東戦争はさらに激化し、長期化の兆しが出てきたと思われる。ホルムズ海峡が閉鎖されたという報道があれば、それはないという情報も流れている。戦場地から離れたスリランカでイランの戦艦が攻撃されたとされる。少なくとも、石油輸出の船舶に危機が生じているのだから、日本にとっては致命的な悪影響を受けるだろう。「【イスタンブール共同】イラン革命防衛隊は5日、ペルシャ湾で米国のタンカーにミサイル攻撃した。タンカーは炎上したという。イラン国営テレビが報じた」(共同通信・2026年03月05日 17時16分)▼こちら(国内戦争か)もかなり深刻な問題である。教員不足。「公立校教員4317人不足 4年前から7割増加、校長が担任兼務も 文部科学省は5日、全国の公立学校のうち2828校で、2025年度の始業日(4月1日)時点に配置されるはずだった教員に計4317人の不足が生じていたと発表した。産休や病気休職で発生した欠員を補充できないことが要因。不足人数は21年度の前回調査と比較して1759人増えた。文科省は人材確保のため対策を打ち出してきたが、効果が出ていない実態が浮かんだ」(毎日新聞・2026/03/05)「百年河清を俟つ」というほどに、学校教育の課題は累積したままという現実。教育現場は窒息し寸前で、敏感な教師や子供は現場からの逃走を緯線からつづけているのだ。それでも学校は「旧態依然」のまま。(1028)

◎2026年03月04日(水)午前10時前に、数日前に終了していた「車検証」等を受け取りに。その足でいつもの茂原市内のスーパーで買い物。夕方からは雨と風が始まり、予報では明日も寒くなるとか。もう十日もすれば桜が開花との予報も出ている。明日は「啓蟄」初日。春の彼岸(3月20日)まで続く。暖かくなってくると、まずはマダニなど、あるいは冬眠から覚めたであろう蛇にも要注意だ。これまでに、数匹の猫たちが被害にあっている。猫用のワクチンも血清もないというので、ひたすら被害にあわないよう、猫たちに言い聞かせるばかり。今月から、また「マダニ」感染予防の「フロントライン」を点滴する必要がある。▼長期金利が上がり、円安が進み、株価も大幅な下げが続いている。一説によるとホルムズ海峡の封鎖が始まったとされ、原油輸送の生命線が制せられることになれば、さて、…。加えて、「存立危機事態」になると集団的自衛権行使になるだろう。机上の空論ではなく、現実の「戦時体制」を迎えることになるかもしれないのだが、その危機感はどこにも感じられない、平和ボケなのか。▼午後6時過ぎに、大阪のS君から電話。3月20日(春分の日)(金)に、ゼミ卒業生たちで訪問したいという。詳細は追ってということに。((1027)

◎2026年03月03日(火)[カイロ 2日 ロイター] – イ​ランの精鋭部隊「イスラム革‌命防衛隊(IRGC)」の司令官は2日、エネルギー輸送の要衝であるホルムズ海峡を閉​鎖したと明らかにし、同海峡​を通過しようとする船舶は⁠「炎上させる」と警告した。イラ​ンのメディアが報じた。イランが​先月28日に、「ホルムズ海峡の通過を一切許可しない」と船舶に通告して以来、​最も明確な警告となる。/同司令​官は国営メディアを通じて「(ホルムズ海‌峡⁠は)封鎖されている。もし通過を試みる者がいれば、革命防衛隊と正規海軍の英雄たちが船舶に火を放​つだろう​」と述⁠べた。/米国とイスラエルの軍事攻撃で最高指導者​ハメネイ師が殺害され​たこと⁠に対する措置としている。ホルムズ海峡は世界の原油輸送量の約20%が⁠通過​。閉鎖により原油価​格が急騰する恐れがある」(ロイター・2026年3月3日午前 5:29)米国からの報道によれば、「封鎖」はされていないという。どうやら、相当に長期戦になるようだ。イランは国の存亡をかけるのだから、かなりの抵抗をするだろうし、イランの友好国も沈黙(傍観)しているとは思われない。わが国にとってもけっして対岸の火事ではないどころか、生活の中核を襲われる危険性が迫っているにもかかわらず、相も変わらず「能天気」(官民ともに)。▼朝から雨続き。気温は下がらず。関東地方の一部では降雪も見られるという予報だったが。(1026)

◎2026年03月02日(月)先月の半ば過ぎに帰宅しなくなっていた猫家の近くの交通量の多い道路で車に引かれたと思っていた猫が、昨夕、二週間ぶりくらいに、家に帰ってきた。確かに車に引かれた猫を見たが、家の子ではなかったことになる。何んとも奇妙な経験をしたのだが、彼はい自宅傍の秘密の場所で、隠れていたのだろうか。極端に痩せている感じもしなかったし、体回りも汚れているようには見えなかった。いろいろな仕草などを見ると、確かに「COO(クー)」という名の子だ。それにしても、無事でよかったという思いと、多くのカラスに「ついばまれていた猫」はどこの子だったのだろうかという気持ちの割り切れなさが、今に残っている。▼午前中に役場まで高齢者医療保険料の第8期(今年度最終分)の支払いに出向く。年間での負担量は約三十万円。それにしても高額に過ぎると思うほかない。その帰途、茂原まで出向いて買い物を済ませ、最後に近くのHCで猫のドライフードを購入、予定していたものとは違うものを買ってきてしまった。最近は、いくつもの「不注意(間違い)」を繰り返している。よほど気を付けないと、と自らに言い聞かせている。 (1025)

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P. M., do not sell out our country

⁂「週のはじめに愚考する」(109)~ 「ああ、をとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刄をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までを育てしや(以下略)」与謝野晶子氏の「君死にたまふこと勿れ」を出したについて他意はありません。彼女が、招集された弟の生きて帰らんことをひたすら願ったという、詠まれた「心情」を想ってみたかっただけ。「戦争」を始めようとする人間たちは「戦場」には赴かず、「おほみづからはい出まさね かたみに人の血を流し」です。「戦争」、それには今昔にいかなる差もないでしょう。

 もう一つ、大塚楠緒子(くすおこ)さんの「お百度詣」も併せて読んでみたくなった。彼女は「夫」の無事をひたすらに祈る。「国」と「夫」のどちらを取ると問われて、泣くばかりだったという時代、「たゞ答へずに泣かんのみ お百度まうであゝ咎ありや」(雑誌「太陽」明治38年発表)さて、今日はどうでしょうか。この点において、「国家」というものはなんぼのものでしょうかと、ぼくは激しく問うものです。(右上写真「B-1爆撃機が(3月)1日の夜に『イランの深層部』を攻撃し、『弾道ミサイル能力を弱体化させた』と発表しました」(TBSテレビ)

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◎ 与謝野晶子【よさのあきこ】= 歌人。堺生れ。旧姓鳳(ほう)。本名しょう。堺女学校卒。1900年与謝野鉄幹の新詩社の社友となり《明星》に短歌を発表。翌年処女歌集《みだれ髪》を出して世の注目を集めた。同年鉄幹と結婚,《明星》の中心的存在となった。初期の情熱的な歌風宇は次第に唯美的・幻想的となり,《小扇》,《毒草》(鉄幹と共著),《恋ごろも》(山川登美子らと共著),《舞姫》などの歌集を出した。日露戦争中の反戦的な詩〈君死にたまふことなかれ〉も反響を呼んだ。また古典の現代語訳を試み《新訳源氏物語》を刊行。大正期には広く女性問題,社会問題等の評論にも活躍,《青鞜》運動を助けたり,母性保護論争に参加するなどした。遺歌集《白桜集》がある。(百科事典マイペディア)

◎ 大塚楠緒子【おおつかくすおこ】= 小説家,歌人,詩人。東京生れ。本名,久寿雄。1890年,少女時代から竹柏園に入門,佐佐木弘綱,佐佐木信綱に師事。小説《離鴛鴦》《空薫(そらだき)》,また日露戦争に対する女性の心情をうたい,与謝野晶子《君死に給ふことなかれ》とともに反響をよんだ新体詩《お百度詣で》など。樋口一葉のあとを継ぐ女流作家と期待されたが,早世したため,十分にはその才能を開花させることができなかった。文体に,夫の友人夏目漱石の影響が著しく,その恋人だとの一説があった。その漱石の手向けの句〈有る程の菊抛げ入れよ棺の中〉は有名。(百科事典マイペディア)

「お百度詣」

ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
ふたあし國を思へども、
三足(あし)ふたゝび夫おもふ、
女心に咎ありや。

朝日に匂ふ日の本の、
國は世界に唯一つ。
妻と呼ばれて契りてし、
人も此世に唯ひとり。

かくて御國(みくに)と我夫(わがつま)と
いづれ重しととはれなば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度まうであゝ咎ありや

 ぼくはアメリカの大統領にも、日本の首相にも言いたい。「君たち(首相・大統領よ)、国を売りたまふこと勿れ(”do not sell out our country.”)と。昔から、無謀な戦争を始め、国に敗戦をもたらすような「権力者」をして「売国奴(traitor)」(「国賊」)と言い慣わしてきました。「売国の行為をする者をののしっていう語」(デジタル大辞泉)その伝でいうなら、日本の現首相に対して、それに加えるに「内股膏薬(うちまたこうやく)」という名称を贈呈したい。その心は「…」、みなまで言うな、でしょう。「右顧左眄(うこさべん)」「左見右見(ともこうみ)」の人」とも。自らの信念はなくとも、だからこそ、人の何十倍も「見栄」「虚栄」「自惚れ」「誇示」を有している、そのためにこそ総理大臣になりたかったんです。この厭らしい性質を英語では<vanity>の一語で表現できます。アメリカの大統領も同じ「重篤な難病」に罹患しています。自分一個の範囲にとどめておくなら、被害はそれほど広がらないけれど、間違って国の権力者などになるものだから、世界(国民)は大迷惑をこうむり、あろうことか、殺されなくてもいい命を奪われる人が続出しているのです。死屍累々(ししるいるい)とは、かかる残虐な戦争の犠牲者の姿をいうのでしょうか。

 (左上写真:「イランの核施設を攻撃した戦略爆撃機B2について、中西部ミズーリ州の基地からイランに直行したと報じた。空中給油を繰り返し約37時間飛行したという」時事通信)

 ロシア然り、イスラエル然り、…。なにが悲しくて「人殺し」を買って出るんですか。いかなる正当な理由もなく、他人の家に入り込み、金品強奪はおろか、人命まで奪うことをして「犯罪者(criminal)」「殺人者(murderer)」という。そんな非道な行為を国の権力者が行えば、しかも、より多くの人命を奪えば「英雄」とされるという。それは国という機関・装置が内蔵している「悪の呪い(curse of Evil)」「不可避の機能」の仕業でしょう。他国と争い、勝てば官軍(government army)、負ければ賊軍(rebel army)というのも、国家の有する「悪の采配(仕業)」の結果です。明治の国家肥大膨張という「隆盛の機運」にあって、「弟」や「夫」がを戦場に駆り出され、なおも、その無事を祈り、「君死にたまふこと勿れ」「人を殺すこと勿れ」、「三足(あし)ふたゝび夫おもふ、 女心に咎ありや。」と謳わざるを得なかった「銃後の女性」は、今では「戦争に駆り出される」時代です。男女悪平等という、恐ろしい逆説に遭遇する時代にあって、「(男も女も)君、人を殺すこと勿れ」と、ぼくは叫んでいる、叫び続けている。

(ヘッダー写真「イランに対する大規模な空爆作戦「Operation Epic Fury」では、米空軍の「三大戦略爆撃機」であるB-2 SpiritB-1B LancerB-52 Stratofortressの全機種が投入された事が分かった」ミリレポ・2026/03/05)(https://milirepo.jp/the-us-military-simultaneously-deploys-three-types-of-bombers-b-2-b-1-and-b-52-to-attack-iran/

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イラン戦争は2週目に、トランプ氏「無条件降伏」求める [ベイルート、ワシントン、エルサレム 7日 ロイター] - 米国がイスラエルと協調して始めたイラン攻撃は7日、2週目に入った。トランプ米大統領は6日、イランの「無条件降伏」以外は受け入れないと表明。イスラエルはイランおよびレバノンと新たな攻撃の応酬を繰り広げており、戦争の終結への道筋や時期を巡る不確実性が高まっている。/トランプ氏はイランとの間で「無条件降伏」以外の合意は成立​しないと、自身のソーシャルメディアに投稿。この数時間前には、イランのペゼシュキアン大統領が、国名は伏せつつも複数の国が調停努力を開始したと表明し、‌わずかではあるが外交的解決の期待が一時的に高まっていた。/トランプ氏は「偉大で受け入れ可能な指導者が選出されれば、われわれと多くの素晴らしく勇敢な同盟国やパートナーは、イランを破滅の淵から救い出すために休みなく取り組むだろう」とし、イランの経済活性化に取り組むと語った。/トランプ氏の戦争目的についての説明は二転三転しており、影響はすでにイランの国境をはるかに越えて波及。世界の金融市場を揺るがし、原油価格を高騰させ、地域紛争​は長期化する可能性が高まっている。(Reuter/2026/03/07)(右写真は爆撃によって煙が上がるベイルート市街。3月6日、ベイルートで撮影。REUTERS/Khalil Ashawi)

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無論「NO!」、オイルショック目前です

  原油100ドル目前、ホルムズ海峡の通航停止続けば-数日以内との予想も 世界のエネルギー市場で過去最大級の混乱が始まってから1週間がたったが、原油価格は依然として過去の危機時に見られた水準を大きく下回っている。ただ、エネルギー企業の経営者やトレーダーの間では警戒感が強まりつつあり、中東での戦闘が続くほど危機的状況に近づくとの声が増えている。数日以内に原油価格が1バレル=100ドルに達するとの予測も複数出ている。
  ホルムズ海峡を通過する船舶の往来はほぼ停止しており、エネルギー市場にとって長らく最悪のシナリオと考えられてきた状況が現実のものとなりつつある。湾岸地域に停泊する空の大型原油タンカーの数は減少しており、追加の生産削減を余儀なくされる時期が早まっている。(以下略)(Bloomberg・2026/03/07)

 日本だけの問題ではありませんが、これほど早く「クラッシュ」がやってくるとは思いもよらなかった。イスラエルの唆(そそのか)しでアメリカがイランを侵略し、通告なしの、いきなりの空爆・攻撃で、最高権力者を殺害し、多大の犠牲者を出した途端に、世界に「オイルショック」が蔓延する勢いです。こういう激しい殺戮を平気でできる人間が、この時代に方々にいるということ自体に、人間の残忍性を痛感する。人間の皮をかぶった「獣性」が蠢(うごめ)いているんだと思うと、やり切れない。

 普段、買い物で走る国道14号(茂原街道)沿いのガソリンスタンドでは、年初以来、1ℓ140円台が続いていました。それが昨日、いきなり150円台に跳ね上がっていた。懸案だった暫定税率も廃止され、ようやくの価格低落と思われたとたんの、「戦争勃発」です。どこから見てもアメリカの攻撃(他国への主権侵害=侵略)はいささかの弁解の余地もない、殺人行為で、「戦争犯罪」そのものです。。にもかかわらず、この国の無能・無知首相は、トランポリンの上で、大統領の尻馬に乗って、イランばかりを非難するという「おそ松」くんです。おそらく、彼女の意識には「私は総理大臣だ」という過剰意識が日一日と膨れあがって、その高慢・横柄ぶりは、まさに米国大統領に瓜二つです。似た者同士、いや「同病相憐れむ」ですな、この表現は故元総理の時にも使いました。

 今から半世紀以上も前に突発した「オイルショック」時代(1973年10月)を、図らずも想起しました。この年の春に結婚し、落ち着く間もなく、石油製品の高騰で、それこそ「狂乱物価」の嵐に次ぐ嵐でした。幸いにして、ぼくは嵐に巻き込まれることを潔くしなかったので、やや不自由を感じたものの、瘦せ我慢を貫いて、生活破綻に至らなかった。昨日、あるネット番組で、今回の「石油高騰」のニュースを聞いていて、なんとトイレットペーパーの「買いだめ」に走った人が、すでに出ているという話があった。イラン戦争の今後の展望が開けないので、なんとも言えませんけれども、いくつかの予測を見ると、間もなく、ガソリンは1ℓ180円にはなるだろうとする記事が、いかにも信憑性があるように響きました。大変な勢いで食料品の物価高騰(インフレ)が続く中、大型(放漫膨張)予算(122兆円超)が国会で審議中ですが、それも十分に議論を尽くさないで今月中(年度内)の成立をもくろむ。(昨日の国会審議中に、首相も財務大臣も審議に参加していないという、驚くべく場面を見ました。予算審議に責任者がいないという、この醜態、緊張感のなさがなぜ生み出されているのか、主権者としても大いにかんげるべきところでしょう)(右上は東京新聞「高市首相を国会審議に出したくない与党、その理由は?巨額予算案、議論を間引いて13日にも衆院通過方針」・2026年03月03日)

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◎ 石油危機(せきゆきき)(oil crisis)= 1973年と 1979年に石油輸出機構 OPEC諸国が石油価格を大幅に引き上げたことにより,世界経済全体がきたした大きな混乱をさす。オイルショック oil shockともいう。1973年10月の第4次中東戦争(→十月戦争)を機にアラブ諸国が石油価格を 4倍に引き上げたのが第1次石油危機で,石油消費国はインフレーション,景気後退,国際収支赤字のいわゆるトリレンマに悩まされた。石油依存度の高い日本は特に大きな打撃を受け,「狂乱物価」と呼ばれる物価の大幅な高騰を招いてマイナス成長に陥り,国際収支も赤字となった。国民生活の面でも物不足,買い占め騒ぎが起こった。これに対して政府は石油 2法(→国民生活安定緊急措置法,石油需給適正化法)の策定,アラブ諸国との外交関係強化などの対策を講じた。1978年12月のイラン革命を機に再び石油価格が約 2倍に上昇したのが第2次石油危機である。前回の経験もあり,第1次ほどの大混乱にはならなかったが,やはり世界経済は停滞することとなった。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 今月下旬の訪米で、アメリカ大統領にどんな「カタログギフト」を差し出すのか。黒毛和牛や温泉宿泊券などでないのは確かでしょう。いうまでもなく、防衛費の大幅増は言うまでもありませんが、目玉はホルムズ海峡への「自衛隊派遣(dispatch of the Self-Defense Forces)」でしょう。政府はすでに「邦人(2人)」救出のための派遣を決めている。集団的自衛権を盾にすると、侵略戦争の片棒を担ぐというのですから、義がたつはずもないし、それ以上に、国内経済の疲弊や破綻を放置して、自らの「評判」「人気」にのみ関心を寄せるというその呆れた振る舞いは、とてもではないが、「有事」「国難」時の総理大臣としては失格、どでかい烙印を押すほかないでしょう。一日も早い「退陣」が、この国の「存立危機事態」を何とかしのぐ、最悪の道を歩かなくても済む、最良の方法だと思う。(右の図は読売新聞「防衛予算案、初の9兆円台…対中念頭に対処力を向上」2025/12/27)

 NY原油、一時1バレル92ドル台に上昇 中東の混乱長期化に懸念 6日の米ニューヨーク商業取引所で、原油価格の指標となる米国産WTI原油の先物価格が、一時1バレル=92ドル台をつけ、2023年9月以来、約2年5カ月ぶりの高値をつけた。中東情勢の混乱の長期化への懸念などを受けて上昇し、終値は前日より10ドルほど高い、1バレル=90.9ドルとなった。
 トランプ米大統領は6日、米国とイスラエルが攻撃したイランに対し、自身のSNSに「無条件降伏以外にイランとのディール(合意)はない!」と投稿した。また、英紙フィナンシャル・タイムズは6日、カタールのカアビ・エネルギー相が湾岸諸国のエネルギー輸出業者が、数日以内に生産を停止するとの見方を示したと報じた。
 イランとアラビア半島の間にある、エネルギー輸送の要のホルムズ海峡が事実上封鎖され、周辺で石油タンカーが攻撃を受ける中、原油供給への影響が拡大し、長期化することへの懸念が高騰につながった。WTI原油の先物価格は、米・イスラエルによる攻撃が始まる前の2月27日から、6日までに約35%上昇している。
 米国株式市場では6日、主要企業でつくるダウ工業株平均が、前日の終値から453.19ドル(0.95%)安の4万7501.55ドルで取引を終えた。原油高騰に加え、米労働省が6日朝に発表した雇用統計で、2月の就業者数が前月比9.2万人減となり、市場予想を大幅に下回ったことを受け、売りが広がった。下げ幅は一時、900ドルを超えた。(ニューヨーク=杉山歩)(朝日新聞・2026/03/07)
原油価格80ドルで、ガソリン価格180円台が視野に:ガソリン補助金が復活か 
原油価格上昇は1週間程度で国内ガソリン価格に転嫁され始める イラン情勢による原油価格の大幅上昇を受け、国内ガソリン価格が再び1リットル180円台に乗る見通しとなれば、高市政権は、廃止したばかりのガソリン補助金を再び導入するだろう。
現在審議されている2026年度予算には、ガソリン補助金(燃料油価格激変緩和対策事業)は計上されていない。ガソリン補助金を再び導入する場合には、予備費を活用することが考えられる。
しかし、2026年度予算成立の時期は見通せず、年度内の成立は難しい情勢だ。そのため、足もとのガソリン価格上昇への対応には間に合わない。
そこで、異例ではあるが、この年度末の時期に2025年度の第2次補正予算を編成して、ガソリン補助金の予算を確保することが検討されるのではないか。数千億円~1兆円程度の補正予算規模になると予想するが、その際には財源が議論の対象となるだろう。ただし、議論する時間がないことから、ガソリン補助金は赤字国債の発行で賄われる可能性が高いと考えられる。
その場合、一段の財政悪化が円安を促し、物価高を助長してしまうリスクもあるのではないか。これは、消費税率引き下げやその財源の議論にも影響を与える可能性がある(コラム「原油価格上昇と金融市場の動揺:国内ガソリン価格は再び上昇し、暫定税率廃止の効果は消失か:ガソリン価格200円超えのリスクも」(NRI:野村証券2026年3月2日)

 現下のイラン戦争の推移をみるほかありませんが、石油危機がいかなる事態をもたらすか、きわめて深刻であることは間違いないところ。ただ今、円安はさらに進んで158円台を記録しています(3月6日)。円安が加速し、インフレが昂進するという二重苦に、長期金利の上昇(国債の投げ売り)が加わって、スタグフレーションが一気に爆発します。まさしく、そのような危機が近づいているのは容易に推測できるのですが、新年度予算をとにかく成立させたいという、国民には意味のない、首相の小さな「私欲」「自己顕示」だけで、国家国民を路頭に放り出す愚は避けられないのでしょうか。日本売りが急加速で進行し、もはや立ち上がれないほどのダメージを受ける、その危機のただなかにこの国は迷い混んでいるのです。国難というけれど、現政権そのものが国難を呼び込んでいるのだと、主権者はきっちりとは覚醒しないんですかね。WBCなどというのは、誰かが仕掛けた「目晦(めくら)まし(blindfold)」なんだがなあ。

政府がイラン情勢の悪化を受け、国が備蓄する石油の放出を検討していることが6日、関係者への取材で分かった。石油の国家備蓄を日本単独で放出することも視野に入れている。単独で実施すれば1978年の制度創設後初となる。各国から協調放出の提案があれば協議する。原油輸入の9割を超える中東産の供給不安が長期化する恐れが強まっており、不測の事態に備える。(中略)日本の石油備蓄は消費量ベースで計254日分ある。このうち全国の基地で保有する国家備蓄は146日分だ。国はその一部を対象に情勢を見極め、実施の是非や放出量を慎重に判断する。日本の備蓄はほかに、石油元売りや商社が保有する民間備蓄が101日分、産油国が日本国内で保管する産油国共同備蓄が7日分ある。(共同通信・2026/03/06)

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学校は酸欠(oxygen deficiency)だ

 今から30年も前になるでしょうか、担当していた授業の学生が提出した卒業論文のテーマが「ハーメルンの笛吹男(Rattenfänger von Hameln)」でした。直接的には少子化問題に焦点を当てたものでしたが、その影響は多方面にわたり、余波は顕著になるだろうという、とても面白い内容であったことをよく覚えています。昨年の出生数は(外国籍も含めて)、およそ70万人でした。半世紀前(1975年)には100万余人でしたから、その激減ぶりは誰の目にも明らかでした。出生数の減少の第一の理由は、都市集注の生活が極度に進んでしまったからでした。いわゆる「都市化(urbanization)(civilization)」が巡り巡って「少子化」や「婚姻数減少」をもたらしたというわけです。その原因は様々でしょうが、単純化していえば「生活の個人化(individualization of life)」というか、家族を持たない生活様式が普及してきたからです。その理由をさらに言うなら…、きりがありませんが、結局は「自分流(As you like)」の生き方の追求だったと言い換えてもいいでしょうか。それにも、様々な背景があるのは当然ですが。

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 ◎ ハーメルンの笛吹き男 1284年、ハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。そこで市長は「誰かネズミを退治した者には金貨100枚を与えよう」と言った。ある日、笛持ち、色とりどりの布で作られた派手な衣装を着た笛吹きの男が現れ「ネズミを退治しよう」と持ちかけた。男が広場で笛を吹くと、街じゅうのネズミが彼のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いていき、ネズミを残らず溺死させた。/しかしネズミ退治が終わると、ハーメルンの人々は約束を反故にして報酬を払わなかった。怒った笛吹き男はいったん街から姿を消したが、その日(6月26日)の深夜に再び街の広場に現れた。笛吹き男が笛を吹くと、家から子供たちが出てきて広場へ集まっていった。そして130人もの少年少女は笛吹き男の後に続いて町の外に出て市外の山腹にある洞穴の中に入っていき、洞穴は内側から岩で塞がれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた1人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供のみが残されたと伝えられている。(Wikipedia)

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 この三十年、少子化と高齢化が同時進行する時代に入ったことを、誰もが見届けて、その傾向をはっきりと容認(看過)してきたということです。企業は人手(人材)不足だと大騒ぎをしていましたし、子どもの数が減少して、将来は大変な事態になるという事実を目の当たりにしても、政治も政治家も、官僚も役所も一向に動こうとはしなかったと、ぼくには見えます。多くが「茹で蛙状態」に陥っていたのです。「炭鉱のカナリヤ」が存在しなかったのかもしれません。だから、「教師不足だ、大変だ」と、まるで今更のように空騒ぎしている状況が、ぼくには不思議でならないという以上に、寄ってたかって今のような事態を招いたのではないですかと、言いたいほどです。こうなった理由や背景にはいろいろなことが考えられますし、実際に指摘もされてきました。面倒だから、そのいちいちを繰り返しませんけれど、学校がまれにみる「ブラック職場」「息苦しい環境」だということは犬や猫の目にも明らかでした。それも何十年も前から、でした。教職を志望する学生が減少し出した時期は明らかです。著しく酸素が欠け始めていたのでしょうね。

 最も大きな理由は、教育行政が学校教育改善のための政治方策を出さなかったこと、要するに「政治の不作為(political inaction)」であることは否定できません。敗戦後のある時期から、文部行政の政策は、端的に言うなら「日教組」対策、ありていに言うなら、日教組つぶしでした。組織率が8~9割を誇った組合も、度重なる行政の弾圧・攻撃によって、ついには組織維持すら危うくなるまでに加入者が減少しました。学校教育の主導権をだれが握るかという政治的対立でしたが、結果は明らかでした。教育現場において、いくつもの組合が作られ、その結果、狙い通りに日教組の弱体化は目を覆うばかりになったのでした。

 ある時期、ぼくは一年間、日教組本部(神田一ツ橋)に赴き、学校教育の「現状と(政策)課題」という趣旨で、組合幹部に対する研修会に参加して、自説を述べさせられたことがあります。三十年ほど前になるでしょうか。その際に、組合の「現状」「将来」を考えるともなく考えたことでした。当然、今ある(壊滅)状況が視野に入っていました。組合に対峙すると同時並行で、政府・行政は学習指導要領の法的拘束力の保持、あるいは「国旗国歌」法の制定による、「日の丸・君が代」の学校行事への強制的導入、さらには教育基本法の改定(改悪)にまで事態は進み、教科書改訂による教育内容の変更(変更)というほかないようなものまでが教育現場に持ち込まれてきました。ことに、大阪と東京都の二人の知事は、率先して「教育正常化」という名の弾圧や処分を繰り返しました。学校教育荒廃の A級 戦犯だったと思う。

 いわば「教育正常化」という名において、行政へお抵抗を「処分」によって抑え込み、ついに公立諸学校は文科省を筆頭にした教育行政の末端、下請け機関に仕立てられてきたのでした。その一翼を担わされたのは、現場の管理職たちでした。ぼくは、この状況を長くつぶさに見ることができたし、その弊害を指摘しては来ましたが、聞く耳を持つ責任者はいなかった。このように教育行政の偏向姿勢が著しくなるに応じて、学校現場はたくさんの問題や課題を抱え込むようになり、そして教師も子どもたちも疲弊し、倒れるほどに病んできたのでした。加えるに、詰め込み授業や受験対策教育は一向に改められませんでした。その手に負えない「成績至上主義」は今なお、続いているでしょう。

 全国の教員不足4317人 公立校8%の2828校で 全国の公立小中高校と特別支援学校が2025年度の始業日時点に、全体の8.8%に当たる2828校で計4317人の教員を当初計画通りに配置できなかったことが5日、文部科学省の調査で分かった。前回21年度調査の2558人、5.8%より悪化した。産育休取得者や病気休職者の代わりを補充できず、教員不足に陥る現状が改めて浮き彫りとなった。
 不足がゼロだったのは東京都や高知県など9教育委員会で、島根県と福岡県、熊本市では不足が生じた学校の割合が30%を超えるなど地域間格差が大きかった。前回より状況が改善したのは23教委で、41教委は悪化した。
 調査は都道府県と政令指定都市など68教委に実施し、4月の始業日時点と学校活動が本格化する5月1日時点の状況を集計。始業日時点の不足の内訳は、小学校1398校(7.6%)の1911人、中学校828校(9.1%)の1157人、高校310校(9.0%)の571人、特別支援学校292校(26.1%)の678人だった。/各学校は非正規の臨時的任用教員を充てるなどしている。(共同通信・2026/03/05)

 これほどに、いくつもの危険な、具体的「数値」を把握することが容易であるという明白な状況であったにもかかわらず、そうならないための政策を打たないままでは、日本の学校教育は破壊されてしまうなどと、ばかばかしい「繰り言」を、多くの関係者が言っているようにしか思われません。(ぼくもそのうちに一人だったでしょう)どうして出生数が減少しているのか、その原因や理由は明らかですし、学校教員の慢性的不足も、その原因や社会的背景は誰にも見えているはずでした。なのに、その打開策のために、それに見合った政策や予防策をう出さなかったのは、どう考えても「見て見ぬふり」をしていたとしか思われません。起こるべき結果、今日を待望していたのかもしれない。

 明治初期に開設された学校制度にあっても、当初から教職は魅力ある職業として受け入れられては来ませんでした。昨日も触れた無着成恭さんは山形師範学校卒でした。戦前期は、一貫して師範学校卒でなければ教職に就けなかった。師範学校の授業料は無償で、その代わりに「国策請負人」として教員は要請されたということでしょう。そして、この「教員養成の国営(国家管理)」制度が戦争に突き進んだ国の、一面では誤った政策の遂行に与っていたという意味で、戦後は「開放制教員養成制度」が導入されることになりました。短大・四大を含めて、必要な条件を満たした大学には「教員養成」のための教職課程が設置され、この「課程」で必要な単位を履修すれば、だれもが教員免許を取得できるようになったのです。「開放性(制)」の意味です。右上の図を見てください。

 2000年をピークに教員採用試験(小学校)の倍率が極端に減少する傾向を示しています。一昨年は、それが2倍程度と、「受験者全員合格」水準にまで落ち込みました。その理由や背景は、あまりにも多くありすぎて困るほどで、一言でいうなら、教職が魅力的でなくなってきた、そんな「3K」職場だという姿が明らかにされています。ある時期から(それは戦前からでしたが)、教職はブラック職業の最たるものであり続けたのです。戦前は国定教科書に代表されるように、教える内容が規定され、それに反することは許されませんでした。国が「子どもに教えるべき内容」をこと細かく規定していたのです(「教科書を教える教育」)。戦後のある時期までは、その反動で極めて緩く、自由の幅が教師に認められました(「教科書で教える教育」)が、でも、それへの反動もまた働くもので、日教組の組織力が衰退するのと軌を一にして、教育行政における「行政権能の支配力」は強化されてきたのです。要するに、教員の職場である学校がもともと「ブラック」であったものが、時代の推移とともに「ブラックの度合い」が増してきたということでしょう。

 「教員いまだブラック労働「面談は土日で」「うちの子に特別な宿題を」 深刻な教員不足 文部科学省は4月28日、2022年度の教員勤務実態調査結果(速報値)を公表した。国の指針で残業時間上限の月45時間超に相当する学校内勤務時間「週50時間以上」の教諭は小学校で64.5%、中学校は77.1%に上り、深刻な長時間労働が続く実態が分かった。教員の仕事を手助けする人の配置は徐々に増えているが、担う仕事は依然多く、現場から「教員不足を何とかしてほしい」という切実な声が聞かれた(以下略)」(⇚ 東京新聞・(2023年4月29日付)(https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/work/69498/

 若い人たちが教職を避けるようになったのは、「黒色(ブラック)」が半端なものではないことをを肌身に感じてきたからではないでしょうか。左のデータは2016年と2022年の比較でみられる「学校職場の黒色度」と言ったらどうでしょう。まるで「小人閑居して不善をなす」といわぬばかりに、教師を拘束する時間が時代を経て激しく長くなってきます。

 それと並行して、教員の病気による休職者数の間断のない増加、不登校児童生徒の長期的増加、中途退学者の増大(高校)などなど、あらゆる数値は、学校のブラックさ加減をそれこそ、これでもかというくらいに明白に示しているのです。この数値も、実際は「氷山の一角」でしかないとされます。何んとも、学校という環境は息苦しいところではないでしょうか。ぼく自身、よくぞ生き延びたという思いを新たにしています。

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 いまなお、学校では、頓(とみ)に酸欠状態が続いています。このままではさらに犠牲者は増えるでしょう。たちどころに命(いのち)にかかわる「酸欠」状態。そのような危機状態は、一瞬たりとも放置できないのですが、だれもがそれを危機そのものと捉えていないのは、「酸欠」に馴致(順化)されてしまったからでしょうか。酸素吸入器をつけながら、虫の息で学校に通うというのは、あまりにも黒すぎる冗談(ブラックジョーク)です。

 ただでさえ、人間の集団化が進めば進むほど「酸欠状態」は高まります。「人間は酸素濃度が14%(容積比)以下になると呼吸回数が増し,10%では呼吸困難,7~5%で窒息死に至る」(以下の辞書参照)この説明によると、学校という環境は、「野菜や穀物の貯蔵庫」「下水道マンホールや古井戸,旧坑」「トンネル工事や鉱山の新坑掘進」「地下深所の掘削作業場」等に酷似、あるいは類似しているといわざるを得ません。教師も子どもも、一日も、一時間でも早く、この酸欠状態から抜け出す方途を考えるべきです。常に酸欠状態に置かれ、命を削るような危険を生き伸びて政治家になり官僚になり、企業人になったとしても、そこもまた同じような酸欠状態の惨憺たる環境であるとするなら、人間やもろもろの命が損壊・毀損されないはずはないでしょう。学校教育はもっともっと解放(開放)される必要があります。

 学校があろうがなかろうが、学校に行こうが行くまい(不登校であろう)が、自分を「教え育てる」ことはやめるわけにはいかないのです。それをぼくたちは忘れているんじゃないですか。学校教育は、わずか「百五十年の歴史」しか有していないのですよ。さらに付け加えれば、学校がなくなることはあっても、個々人の教育作用(養育や訓練)がなくなることはあり得ないと思われます。

◎ 酸欠 (さんけつ)(oxygen lack)= 酸素欠乏の略,または通称。空気中の酸素量が,換気不良の場所で,酸素を吸収する物質の存在により,または他のガスによって置換されることにより,通常の状態(容積比で約20.8%,乾き空気では約20.93%)以下になることをいう。換気不良の場所での酸欠状態は,物の燃焼,動植物の呼吸などのほか,有機物の酸化・分解,硫化鉄を含む鉄の存在,空気に触れたことのない水,たとえば岩漿水(がんしようすい)の存在,等によって発生する。野菜や穀物の貯蔵庫(室(むろ))は植物の呼吸により,下水道マンホールや古井戸,旧坑などでは有機物の酸化・分解や,カビの発生,トンネル工事や鉱山の新坑掘進では,周囲の土壌および岩石中に含まれる鉄や有機物,あるいは湧出する岩漿水により,酸素の吸収が行われることが多い。加圧状態で空気が送り込まれているケーソン工事現場での酸欠は,周囲地層中に含まれる酸素吸収物質によって酸素を吸収された空気が,減圧,または常圧にもどされたときに作業場へ逆噴出してくるため,といわれている。また,地下深所の掘削作業場などにおける湧水には,高圧溶解状態の二酸化炭素等を含んだものがあり,これから発生したガスのため,酸素濃度が相対的に減少することに伴う酸欠がある。いずれにしても人間は酸素濃度が14%(容積比)以下になると呼吸回数が増し,10%では呼吸困難,7~5%で窒息死に至る。しかし酸化・分解に伴う酸素消費とこれの見返りとしての二酸化炭素やメタンの生成した状態での窒息死を,生成ガスによる中毒死とすることは当を得ない。/なお,労働安全衛生法に基づく酸素欠乏症防止規則では,空気中の酸素濃度が18%未満の状態を酸素欠乏と定め,酸素欠乏危険作業に当たっての換気,空気呼吸器等の使用を義務づけている。(改定新版世界大百科事典)

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「ほんものの教育をしたい」と誓った

<あのころ>「山びこ学校」刊行 無着成恭氏指導の文集 1951(昭和26)年3月5日、無着成恭編「山びこ学校」が出版され反響を呼んだ。山形県・山元中学校の生徒43人が貧村に生きる家族を克明に記録した「生活つづり方」文集。戦後民主主義教育の典型と評価されベストセラーに。映画にもなったが、地元の恥をさらしたと批判され無着氏は村を去った。(共同通信・2022年03月05日 08時00分)(ヘッダー写真も)

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無着成恭【むちゃくせいきょう】 教育家,僧侶。山形県生れ。山形師範学校,駒沢大学仏教学部卒業。1948年山形県山元村立山元中学校教師となり,生徒の生活記録文を編集した《山びこ学校》を1951年に刊行し,生活綴方の再興と評された。1956年私立明星学園勤務,1970年《続・山びこ学校》を刊行した。1983年千葉県の曹洞宗福泉寺住職。〈新教育〉に基づく社会科学習の非現実性を批判するなど独特な教育評論でも知られ,著書に《無着成恭の詩の授業》(1982年),《無着成恭の昭和教育論》(1989年)などがある。(百科事典マイペディア)

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「山びこ学校」編者で僧侶、無着成恭さん死去…96歳 文集「山びこ学校」の編者で僧侶の無着成恭(むちゃく・せいきょう)さんが21日午前、敗血症性ショックのため千葉県多古町の病院で亡くなった。96歳。山形県出身。葬儀は27日午前11時、多古町一鍬田292の福泉寺で。喪主は長男の成融(せいゆう)さん。/無着さんは戦後まもない1948年、山形県山元村(現・上山市)の山元中学校(廃校)に教員として赴任し、中学生たちに つづ り方を指導。51年には、綴り方をまとめた文集「山びこ学校」を世に出した。作品は、自分の考えをしっかりと生徒へ書かせる手法をとるという当時としては画期的な教育方法として、戦後の教育界に大きな影響を与えた。/また、ラジオの「全国こども電話相談室」の回答者として長年親しまれた。/教員を引退後は僧侶となり、千葉県や大分県などの寺で住職を務めた。(読売新聞・2023/07/25 00:32)(右写真は無着成恭さん・2020年6月22日撮影)

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 この社会の学校教育150年史のなかで、最も評価され、同時に批判されたのは、無着さんの「山びこ学校」ではなかったかと、ぼくは考えます。どんな事柄にも「毀誉褒貶(きよほうへん)」はあるもので、むしろないほうがおかしいとも言えます。それは当然のこととして、それでもなお、「山びこ学校」は教育実践の記録としては秀逸だった、あるいは白眉といってもいいくらいの「仕事」だったと考えています。いうまでもなく、戦後直後の山形県の山元村という寒村で起こりえた、たった一回限りの教師と子どもたちとの「出逢いの記録」でもありました。信じられないことですが、教育が人を育て、育てられた人々が生み出す社会を、今以上により良い方向に導くだけの可能性を持っていたと思われていた、そんな時代に身を挺して生きた教師と子どもたち。発表からすでに75年の時間が流れています。この過ぎ去った時間は、あるいはこの社会を根底から覆して、再生不能にしてしまうのに十分な時間であったかもしれません。まさに「遠い山びこ」というべきでしょう。 (上の写真「当時の山元中学校で教壇に立つ無着成恭さん」朝日新聞・2022/09/21)(https://www.asahi.com/articles/DA3S15423393.html?iref=eve_articlelink01

 常々、教育は教室の中だけで終わるものではないといい続け、それを自らも証明したいと思い続けて、すでに、ぼくは齢・八十を超えました。一人の教師と一人の子どもの出逢い(出会い)は、ある意味では偶然でもあるけれど、それは時には必然に化すということはいくらもあるでしょう。偶然が必然になるとは? 教育は教室で終わらないという意味です。一面では、親子の関係に似ていなくもない。無着さんが教師を始めた当時、心ある教師たちは「生活綴(つづり)方」教育に目覚めつつありました。西に東に、「大正自由教育」の影響を陰に陽に受けながら、困難な時代に直面した学校教育の隙間を狙って、暗い昭和戦前・戦中期に、突然のように花開いたかに見えました。他の強化と異なって、「綴り方」は国定教科書がなかった。教師の裁量工夫に委ねられていたという事情もあったでしょう。もちろん、そこには、それなりに「綴方教育実践の必然性」があったことになります。この国が無謀な戦争に突き進み、亡国の不可避なことを顧みないで英米をはじめとする列強との戦いに明け暮れていた時期、それは「暗い時代」と後に称されますが、学校教育も、その直接の影響と遥かな余燼を避けられないでいたころ、日本の教師たちのいくばくもまた、戦争への加担と軋轢の中で悪戦苦闘を強いられていました。そして、「生活綴方」教師の多くは、やがて「治安維持法」という権力の仕掛けた「罠」、その法網に捉えら、あるいは獄死し、あるいは「教育実践放棄」を余儀なくされたのでした。

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◎ 大正新教育運動(たいしょうしんきょういくうんどう)= 明治末から大正期を通じて展開された教育改革の理論的ならびに実践的な運動。明治中期にヘルバルト派教育理論が定着して,支配的となった注入的,画一的な一斉教授に批判的な立場を共通にもつ。児童の自発性の重視,個性の尊重,生活経験を通じての学習などをうたった諸説が提唱され,実践的に試みられたものもあった。一般に自由主義的とされるこれらの主張は,19世紀以来諸外国で提唱されたものによることが多かったが,当時の教育体制のなかでは,公立学校に広く浸透することは困難で,提唱者の勤務する師範学校付属学校および提唱者が理論の具体化のために創設した私立学校 (たとえば沢柳政太郎の成城小学校,羽仁もと子の自由学園) をおもな実践の場とするにとどまり,かつ児童の編成法や授業の方法など技術改革の域を大きくこえることはなかった。大正末から昭和初めにかけて社会主義的立場からの,より根本的な改革運動も起った。(ブリタニカ国際大百科事典」 

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 そして敗戦。学校教育の再建・再興もまた、困難を極めた。そんな時期に無着さんは寒村の新米教師として赴任します。その後の三年間の子どもたちとの格闘の記録、それが「やまびこ学校」に結実したのでした。それ故に、この記録文集は教師と生徒の合作だったと言えます。別名「作文教育」とも言われた生活綴方は、子どもたちの独創でもなければ、教師一人の作品でもありません。あくまでも教師と子どもとの合作というべきだし、その「共同(joint)」「協同(cooperation)」こそが教育実践の核となるものでしょう。それ故に、「教える」という教師の仕事が成り立つためには、どうしても子どもたちの「学ぶ」が不可欠になります。そのどちらかが欠けたところ、まっとうな「教育」は成立しないといっても過言ではないと思う。別の表現を使うなら、「教える⇔育つ」という交換作業がないところには「教授(instruction)」はあり得ても、「学ぶ」という子どもの側の意志的行為は抑えられてしまいます。子どもの側の学ぶという「内発するエネルギー・欲求」があって初めて、教師の側の「教える」という作用に意味が与えられるのでしょう。こんなことはわかりきっているのですけれど、実践するとなると、途方もない苦心と時間が求められます。今までに、この駄文収録で、嫌になるほどくり返し駄弁って来たことですから、これ以上、何かを言う必要はないでしょう。

 無着成恭とは何者だったか。それを常に問い続けることに、大きな意味があると、ぼくは愚考している。「やまびこ学校」という実践記録は、たった一回、ある時期のある地域の中学校で起こりえた、教師と子どもたち(43人)のかけがえのない出逢いとその持続がもたらしたもので、まさに奇遇であったというほかない記録であり、それ以外ではなかった。「(1対1)✖43」の格闘と共同作業の総合されたもの、それが教室の営み(授業を核とする)の実態ではないでしょうか。たった一回限り、あるいはほんの一瞬の出来事としての創造です。その証拠となるかどうか、あまりにも赤裸々な実践記録を公表したと非難されつつ、無着さんは新たな舞台を求めて東京に出ます。(実際位は、彼は逃げ出したということだったろうか。村を、子どもたちを捨てた、という意味です)もちろん彼、はそこでもまた「(東京における)山びこ学校」を生み出せると考えたはずです。その結果は、無着さんの仕事でしたから、それなりの成果はありましたが、「やまびこ学校」の再来とは似て非なるものだったのは当然だったでしょう。時代も場所も子どもたちも、様変わりしていたのでした。教育環境(学校・教室)が違いすぎていました。その事実は「続・山びこ学校」で証明されています。(ここでも、彼は学校を追われます)

 教育の内容や方法は多様でありますから、「これぞ教育!」という決定版はありません。なにを教育とするかも、人それぞれですから、教育という働きを安易に、あるいは流行にかぶれたままで捉えるのも、たしかに「教育」ではありますが、それだけでは賢明な実践とは言えないでしょう。ぼくは極めて単純に「教育は付き合いに尽きる」ということにしてきました。上でも触れたように、親子の結び付きに似たところがあるとも思っている。もちろん、そればかりではありません。まして「個人」の問題である以上に「国民」「日本人」などという、いかがわしいイデオロギー(夾雑物)が混じってくれば、教育そのものは教条主義に毒されてしまいます。無着さんが示した教育実践の唯一無二の達成は、個人の問題を社会との葛藤の中で取り組もうとしたところにあります。その意味では、成績や順位にとらわれすぎている学校教育は、ある点では、「願わしい教育」というものの腐敗、堕落の象徴でもあるでしょう。

 無着さんは、教師の第一歩を「ほんものの教育がしたい」と念じて踏み出しました。「ほんもの」とは無着さんにとってはどういうものだったか。それはまた、誰にとっても「ほんもの」であることができたでしょうか。よく人は「本当の教育」といいます。現に自分が行っている教育(授業)が「本当」ではなくて、どこかしらに「本当」はあると考えているのかもしれません。でもそれはどうでしょうか。「自分の鼻は低い(偽物)」けれど、別のところに「もっと高い鼻(本物)」があるんです、と言って、他人に通じますか。無着さんの「山びこ学校」は「ほんもの」であったでしょうし、後に、遠く離れて行われた東京都内の一私立学校の教育・実践もまた、まぎれもなく「ほんもの」だったというべきでしょう。いくつも、一人の人間の中に「ほんもの」があるようでいて、実はたった「一つ」なんですね。「現に、今やっていること」、そこにしか「ほんもの」は顔を出さないでしょう。

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