
「徒然日乗(とぜんにちじょう)」と題して、取るに足りない日々の「明け暮れ」を飽きもしないで書いています。もう何年になるでしょうか。元来、ぼくは飽きっぽい、注意散漫な性分で、何事も長続きはしないし、物事に習熟するという面倒をとても厭ってきた人間です。その「質(たち)」は今もって寸分も変わっていません。俗に「三日坊主(unsteady worker)」といいます。「物事に飽きやすく、長続きしないこと。また、その人」(デジタル大辞泉)と辞書に解説されている。まさに、ぼくは「その人」でした。この「駄文集録」を何年も続けてきて痛感すること、思わされること、気づくことは少なくありません。つまりは「三日坊主の効用」ということです。誰だって、朝食を食べることに「三日坊主」はないでしょう。よほどのことがない限り、たとえ戦時下、戦火のもとでさえ、人々は「おはよう」とあいさつを交わし、「いただきます」と食卓を囲む、それが日常であり、人間の生活というものでしょう。平時のうちの非常時であり、非常時の中の平時ということです。それは、二つで一つ。

自分は 「三日坊主」であることを忘れないで、「徒然(つれづれ)」に「日乗(にちじょう)(日記・日録)」を駄弁るのは、ぼくには、まあ「朝ご飯」を摂ることに等しく、「おはよう」というに等しいものと、何の抵抗もなしに(とはいきませんが)続けてきました。そんな明け暮れを何の努力もなしに続けてきて、今、ぼくはつらつら思うところがあります。取るに足りないことの積み重ね、繰り返し、それが「日常」「茶飯」ですから、そのような平々凡々とした一日の連続にあって、あるいは時間が止まったのではないかと感じさせられる出来事に、たまさか襲われることがあります。それが天変地異であったり、大きな事件や事故に遭遇することであったりということでしょう。そんな「命の分かれ目」のような出来事に直面してなお、その命を生き永らえさせるのもまた「日常茶飯」ではないかということです。親がなくなった時でも、誰かがご飯の準備をし、「いただきます」と手を合わせる。食べ終われば「ご馳走さま」と、また手を合わせる。人間の危機を救うのもまた「日常茶飯」であるということをぼくは実感するのです。「日常茶飯事」があってこその、生活だということを深く思わされている。
こんなことを書けば叱られるかもしれませんが、ある日、突然の不幸に襲われ、深い悲しみに突き落とされることがあっても、人は生活を立て直す、そんな復元力を蔵しているのではないでしょうか。昨日今日と、いくつもの新聞コラムを通読していて、ぼくは今更のように、息をのむ思いをしたり、「無事、これ奇跡」と思ってみたり、「明日は我が身」と肝に銘じたり。すべてを紹介(引用)したくなりますけれど、以下の三編に、本日を限定しておきます。「いばらき春秋」を中に挟んで、「日報抄」と「滴一滴」が,横だか縦だかに並んでいます。いかにも「平凡な日常」は「悲しみ」や「苦しみ」に責められているような気がします。この三編に共通するのは「親子の情愛」というものでしょうか。しばしば「親子の絆(きずな)」といい語が使われます。ある時期から「大流行」し出しました。それをとやかく言う筋合いはぼくにはありません。

けれども、「絆」とい言葉にはもっと注意を払いたいとぼくは考えるのです。「ハン」「バン」「きずな」「つな(ぐ)」「ほだ(す)」と読んでいます。その示すところは「きずな。ほだし。牛馬などの足をつなぎとめるもの」「つなぐ。ほだす。つなぎとめる。束縛する」(漢字辞典ON LINE)とあります。どこに問題があるのかと不思議に思われるでしょう。解釈はそれぞれの好みでいいのかもしれません。ぼくはこの「絆」という漢字を見ると、何よりも「ほだす」という意味合いを強く感じてしまいます。「つなぎとめる」「自由を束縛される」「縛る」という具合に、です。「情に絆(ほだ)される」というのは、けっしていい意味ばかりではなく、むしろ「堅苦しい」「不自由な」「理非曲直とは無関係に」という感覚を持ってしまいます。よく似たことばに「柵(しがらみ)」があります。「引き留め、まとわりつくもの。じゃまをするもの」(同上)とあります。「柵(しがらみ)がない」などというでしょう。(ぼくは余計なことを駄弁っています)元来が動詞であって「しがらむ(柵む・笧む)」の変形、「 絡(から)みつく。まとわりつく。また、絡みつける」であって、なかなか割り切れない、厄介な関係を指すようです。
ぼくがこの単語に熟知するようになったのは、学生時代に鴎外を読んでからでした。1898年10月に出版された雑誌で、その動機を、鴎外は「「文壇の流れにしがらみをかける」勢いで、このの誌名になったとされます。流れに掉さすのではなく、「柵をかける」と。面倒なことになりそうなので、この部分はここまでに。要するに「柵(しがらみ)」も「絆(きずな)」も、似た者同士であって、どこかに「不自由」「束縛」を予想させはしませんかと、それだけを言いたかっただけ。
【日報抄】あの日、何度も何度も電話をかけたが、つながらなかった。福島県南相馬市で暮らす娘の安否が心配だった。「津波でみんないなくなった。家もなくなった」。2日後の朝、娘の夫の父親から電話があった▼東日本大震災からあすで15年になる。上越市の渡辺稔さんと喜久枝さんの長女で、当時32歳だった千鶴さんの行方は今も分かっていない。娘の近くにいたいと、2人は15年間、月命日に南相馬市を訪れている▼上越の自宅の仏壇には、ウエディングドレス姿の千鶴さんの写真が飾られている。がれきの中から見つかった娘の携帯電話に、奇跡的にデータが残っていた。「ちーちゃん、ただいま」。喜久枝さんは毎日、笑顔の娘に語りかける▼警察庁の調べでは、大震災により今も2519人が行方不明のままだ。昨秋、その2519人の家族に、希望の光が差した。宮城県南三陸町で2023年に見つかった骨の一部が、約100キロ離れた岩手県山田町で津波に遭った6歳女児のものと判明したというニュースだ▼もしかしたら-。渡辺さん夫妻も警察からの連絡を待つ。「死ぬ前に会いたいの。私たちも年だから」。つながることのなかった娘の携帯電話を見つめ、喜久枝さんはつぶやく▼80歳に手が届く年齢になった夫妻は、年金生活のため南相馬へは一般道で片道7時間以上をかけて通う。稔さんの愛車のメーターは25万キロを超え、昨年手放した。今年は喜久枝さんの軽自動車で向かう。再会できる日を信じて、2人は通い続ける。(新潟日報・2026/03/10)

「親子の情」は、時には「盲目」になりやすいことがあるという意味で、もっと互いが「自立」した関係に立つとどうでしょうか。そんな埒もないことが言ってみたかっただけです。「東日本大震災」から十五年が経過しました。でも、ある人々にとって、「十五年」は時間の長さなどではなく、亡くなった人々との「混じりけのない情愛」につながれつづけてきた時間だったと思います。
「『死ぬ前に会いたいの。私たちも年だから』。つながることのなかった娘の携帯電話を見つめ、喜久枝さんはつぶやく▼80歳に手が届く年齢になった夫妻は、年金生活のため南相馬へは一般道で片道7時間以上をかけて通う。稔さんの愛車のメーターは25万キロを超え、昨年手放した」(「日報抄」)
【いばらき春秋】娘のかばんから弁当箱を取り出すと、手紙が入っているのに気付いた。学校で書かされたのかもしれない。毎日、弁当を作ってくれた母親への感謝をつづっていた▼中学卒業式の朝。その日からしばらく弁当はなくなる。手紙を妻に渡すと、早起きして作ってきた苦労を誇り、「感謝が足りない」と冗談を言って笑った▼東日本大震災からあすで15年。大きな揺れが襲った午後2時46分、生後2カ月の娘が寝ていたそばに冷蔵庫が倒れた。寝かせていた場所がもう少し近かったらと、思い出すたびにぞっとする▼その娘が義務教育を終えた。式後の保護者会で先生が「本日の第2の主役は皆さん」とたたえてくれた。子の卒業は〝親の卒業〟でもあると。娘を支えた15年の出来事が次々と頭に浮かび、当時を思い出した▼震災を経験していない子どもたち、震災を知らない子どもたちが増えている。年を経るにつれ、3月11日を迎えるたびに、「風化」の2文字が鮮明になってゆく▼娘の手紙には父への感謝もあった。「夜遅く、仕事で疲れているのに(弁当箱を)洗ってくれた」。寝起きで機嫌が悪い娘に小言を言ってよくけんかになった。生きているのが奇跡のように感じた日々を思い出し再び感謝する。(島)(茨城新聞・2026/03/10)
「震災を経験していない子どもたち、震災を知らない子どもたちが増えている。年を経るにつれ、3月11日を迎えるたびに、『風化』の2文字が鮮明になってゆく」(「いばらき春秋」)しばしば、世間では「風化」を嘆くことがあります。「原爆投下」「沖縄地上戦」をはじめとする、数々の事件や事故、あるいは災害によって「致命傷」「大災厄」を経験しても、やがて、その記憶は忘れ去られてしまうという、記憶の喪失を嘆く意味合いで「風化」が語られてきました。もちろんそうではありますが、人間の記憶というものは頼りないものだとするなら、それも致し方がないという気もします。しかし、ある人々にとって、決定的な出来事の記憶は「風化」することはないということもできます。また「風化」という語には別の意味合いも含まれていることを、ぼくたちは忘れるべきではないというべきかもしれません。
1 地表の岩石が、日射・空気・水・生物などの作用で、しだいに破壊されること。また、その作用。2 記憶や印象が月日とともに薄れていくこと。「戦争体験が—する」3 徳によって教化すること。「一世の—に関係する有用の人となることを得べし」〈中村訳・西国立志編〉4 「風解(ふうかい)」に同じ。(デジタル大辞泉)

ここで、異なことを言おうとしているのは、「日報抄」「滴一滴」で悲しみに襲われた人々の、その深い悲しみが、ぼくのような、一面ではそのような「悲劇」とは無関係であると思われる人間にさえも、「悲しみ」の深さを教えてくれているということに気付いてほしいと願っているからです。あえて言えば、「かけがえのない家族を奪われた」、その悲しみの深さが有する「風化の力」が、他者をして悲しみの列に招いてくれる、そのことによって「忘れ去られる」ことから、ぼくたちの記憶が救い出されるのです。「この十数年間、小谷さんは『時間は娘の死を解決しない』と訴えてきた」(「滴一滴」)、この亀岡市の事件を、なぜだかぼくはよく覚えています。このような「残された者の悲しみ」に引き寄せられるようにして知遇を得た(自動車事故の被害者遺族)方は何人もいます。「人ごとではなく自分事として捉えてほしい」「大切な人とともに暮らせる時間は決して当たり前じゃない」と訴えられておられる被害者遺族の叫びは、間違いなく、ぼくのところに届いている。一面では記憶を失うという「風化」に耐えながら、もう一方で「記憶をつなぎとめる」もう一つの「風化の力」を、ぼくは信じているのです。ここにも、過去の出来事(歴史)に対する責任の所在(責任の取り方)があるということでしょう。
【滴一滴】交通事故遺族の願い 「雨降るんやったら、新しい靴履いていかへんわ」。天気予報は夕方雨。小学2年生の娘は買ってやったばかりの靴を履かずに登校していった。それが元気な姿を見た最後だった▼「最愛の娘を奪われて」と題した講演会が先月、岡山市内であった。2012年春、小谷真樹さん=京都府亀岡市=の次女真緒さん(当時7歳)ら集団登校する児童らの列に少年の車が突っ込み、身重の母親を含む10人が死傷した▼少年は無免許の上に徹夜だったが罰則の重い危険運転致死傷罪は適用されず、遺族の無念は残った。この十数年間、小谷さんは「時間は娘の死を解決しない」と訴えてきた▼曖昧さに疑問の声がつきまとう危険運転致死傷罪の要件について、法制審議会が高速度と飲酒の数値基準を新設した改正要綱をまとめた。今国会に提出される予定だ▼法律の柔軟な見直しとともに小谷さんには受け止めてもらいたい思いが二つある。「人ごとではなく自分事として捉えてほしい」こと。そして「大切な人とともに暮らせる時間は決して当たり前じゃない」こと。それが犯罪被害根絶の原点だと思うからだ▼昨年の交通事故死者は2547人。政府は年間死者数の目標を2千人以下としたが小谷さんはこう問いかける。「その中の1人が自分の大切な人でもいいと思っている人はいるでしょうか」と。(山陽新聞・2026/03/09)

北朝鮮に拉致された五人の方々が帰国された直後(2002/09)、ぼくが担当していた授業に、被害者の一人であったYさんのご両親に来ていただき、「拉致問題」の「ありさま」を語ってもらったことがありました。そのしばらく後に、いつくかの新聞等から原稿依頼があった。原稿を書くのはあまり好きではなかったので、多くは断ったが、一紙に、どういうわけだか拙論を寄せたことがありました。たった一言、拉致問題は自分には無関係と思えばそれで済むでしょうが、しかし「どういう問題なのか」、被害者や家族の方々の思いはどういうものかと、無知である自分にも問題意識が芽生えるなら、その時、事は「自分の問題」になる、そんなことを書いた、「自分の問題」にするというのは、対象(事件や事故など)に疑問を持つことです。疑問を持てば、なんだって問題は自分に近づく、自分の問題になります。ある人が残した言葉で、「もっとも強い精神は、最も遠い道を歩く」という意味のものがあります。
疑いを通して、問題が自分の中に育つということであり、その精神、これを批判精神といってもいいでしょう、それがなければ、人間は単なる「暗記のお化け」でしかありません。これを覚えろといわれるのは、覚えたら忘れろというに等しい。「批判」精神とは、他人の口真似をする(独断論)のでも、誰も信じられないようになる(懐疑論)のでなく、みずからの疑問の力によって問題に対面することです。「おかしいことはおかしい」ということができるためには、なにが、どうして、おかしいのかと自分で問題を煮詰めなければならないでしょう。逆に、疑わなければ、なんだって、自分の中を通過してしまいます。まるで学校の「試験問題」みたいなもので、終わってしまえば、すっかり忘れる、そうしなければ次の課題を覚えられないのです。そんなことのくり返しで、人間は賢くはならないと思いますよ。

ある識者は「歴史とは思い出すこと」であるといい「歴史は想い出なんだ」といいました。亡き子の片方の靴(形見)があれば、細大漏らさず、子どもに「面晤」(「面語」)できるのです。また西洋のある歴史家は「歴史とは(現在と)過去との対話である」といいました。どちらにも共通しているのは「過去(形見)」を自分の中に持つことです。「風化させてはいけない」といえるためは、自分は歴史の中に生きているという意識(想い)を持ち続けることでしょう。「桶狭間の戦い」「関ヶ原の戦い」は、私に何の関係があるかというのは、その通りです。が、満州事変以降の「日中戦争」に何の関係があるか、「私はまだ生まれていなかった」と、時の首相が言うにおいて、もはや論外の無知・無識というほかありません。戦争当時、自分は生まれていなかったのだから、そんなものに責任なんかあるものですかと、言い放った時の彼女(現首相)の表情を覚えています。今、深刻な問題になっている両者の関係に触れて、「中国」の政治権力者に、これと同じこと(「私には関係ないこと」)が言えるでしょうか。

犬・猫にも、他の多くの動物にも(脳細胞があるという意味です)、(大事な)過去の記憶は残るものです。人間は「過去を忘れた振りをする動物」なんですか。つまり、都合の悪いことは知らないふり。どこかで誰かが言っていそうですね、「人間は過去を忘れたふりをする生き物だ」(<Humans are animals that pretend to forget the past.>)とね。この傾向は、特にこの社会の「政治家」に多いのではないかな。いやらしいですね。過去を忘れるといいましたが、今から八十一年前の本日、度重なる「東京大空襲」の第一回目が敢行され、およそ十万人の犠牲者が出たとされる歴史的大参加の日でありました。今、この悔いの為政者は、何がなくとも「大アメリカ」といわぬばかりのすり寄りかち大抱擁です。確実に、この国は箍(たが)が外れてしまったという思いが強くなるばかりです。
アメリカの横暴は極まるところなく拡大し、今では中東のイランに不法・無法な侵略攻撃を仕掛けている、その国の不正・不義に何一言の批判も口にすらできない、この国の腐り切った閣僚・大臣(政治家)の存在をどう始末するべきでしょうか。ベトナム戦争を思い、アフガニスタン戦争を思い、イラク戦争を思い、ガザやイラクの殺戮を思うにつけ、アメリカは「自由の国」か、「民主主義の国」かと、わが目と耳を疑い、わが心に穴が開くのをいかんともしがたく、それをいささかも禁じ得ない自分に驚くばかりです。
+++++

◎ 東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)= 第2次世界大戦中,1945年3月10日のアメリカ軍による東京の下町を中心とした地域に対する大規模な空襲。爆撃機ボーイングB-29を主力とするアメリカ陸軍航空隊の日本本土空襲は,マリアナ諸島に基地が完成した 1944年11月から本格化した。東京は 1945年3月10日,4月13日,5月25日の 3回にわたる大空襲を中心に前後 102回の空襲を受けた。3月10日午前0時8分から始まった空襲は,日本爆撃作戦の転機を画したもので,従来の軍事施設に対する昼間精密爆撃とは異なり,戦闘員・非戦闘員無差別の,木造家屋密集地帯に対する夜間焼夷弾爆撃であった。爆撃機約 300機が来襲し,約 1700tの焼夷弾を投下,10日早暁にかけて大規模な火災による旋風が発生し,東京の全建物の 4分の1が破壊された。8万人以上(一説には 10万人以上)が一夜にして焼殺され,100万人が家を失った。(ブリタニカ国際大百科事典)(左写真は「浅草花川戸(1945年3月10日) 命懸けで撮った東京大空襲<一枚のものがたり>石川光陽:東京新聞デジタル)(東京新聞・2025年3月1日 07時23分)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




























































