Pictures speak louder than words.

 【ロンドン共同】ロイター通信は13日、正体不明の芸術家バンクシーについて、英南西部ブリストル出身で50代前半の男性ロビン・ガニンガム氏だと独自調査で特定したと報じた。これまでにも英メディアで名前が挙がっていた人物だが、ガニンガム氏が米国で逮捕された際の捜査資料を入手して裏付けた。後に改名しウクライナに入国、作品を残していたという。
 大衆紙が2008年にガニンガム氏がバンクシーだと報じたが、ロイターはより踏み込んだ報道だとしている。バンクシーの弁護士はロイターの報道の多くを「正しいとは認めない」と回答。正体を明かさないことで「迫害を恐れず権力に対して真実を語れるようになり、表現の自由を守ることができる」と訴えた。
 ロイターによると、バンクシーの元仕事仲間が明らかにした過去のエピソードを基に、バンクシーが無名時代の00年9月に米ニューヨークのビル屋上で広告看板に絵を描き、逮捕されていたことが判明した。
 捜査資料にガニンガム氏の自筆サインがあり「看板にユーモアを加えようと決めた」などと、現在の作風を連想させる内容も書かれていた。(共同通信・2026年03月15日 22時42分)

 (ヘッダー写Banksy in Ukraine, November 2022|Banksy Explained

 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」、ことわざなのかなんなのか。暗がりでぬっと立っていたものが、てっきり幽霊だと怖気づいていたが、よくよく見れば枯れ尾花(立ち枯れたススキ)だった、「なあんだ」というばかばかしい次第。こんなのはどうでもいいことで、例の謎の壁画家・バンクシーの「正体」がわかったと大騒ぎしている界隈があります。発端はロイターでしたが、それに飛びついたのが日本のメディアだったから、こちらのほうが「なんだ、やっぱり」と、ぼくはがっかりしている。下手に「正体」などを探さないほうがいいですよ。「殺人犯」でもなければ、「トクリュウ」の一員でもないんですからね。バレそうでいてバレない、バレないものだと誰もが信じているのに、実はすっかり正体がバレていたという、まるで「滓(かす)」みたいなことが多い世の中、あまり無粋なことはしないほうがいいんじゃないでしょうか。バンクシーが世に知られるようになって約20年。その間、何度も「本人」は見つけられたが、しぶとく、今なお「謎の画家」として存在しています。これまでに何人が「バンクシー」と間違えられたのでしょうか。その誰もが「男性」だったというのも、奇妙ですね?(左は岡本一平画)

 その昔、テレビ草創期に大流行した劇映画に「月光仮面」(1958~1959)(左下)がありました。「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」という、不思議な「内容」の主題歌が歌われていました。まさに、今から思えば、日本における「バンクシー」だったんですね。「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」という「鉄則」を持っていた仏のような「月光仮面」、実は職業は「私立探偵(本当の職業は俳優だった)」だったと、はじめからバレていました。「誰もが知らないけれど、誰もが知っている」という弁証法のような存在でした。バンクシーの正体を変に明かさないでほしいですね。彼の弁護士は「迫害を恐れず権力に対して真実を語れるようになり、表現の自由を守ることができる」と語っています。その通りではないでしょうか。「そっとしておけ、大道絵師」というところ。江戸期の謎として今なお探査されている浮世絵師「東洲斎写楽」の活動期間はわずか十か月だったという。身元が割れそうになっていますが、謎は謎のままで、それが何よりでしょう。

 ぼくは昔(幼少のころ)から、「風刺(satire)」が大好きでした。新聞が読めるようになってから、いの一番に開いたのが「政治漫画」だったほど。数限りなく漫画家の名前を挙げることができます。まずは岡本一平さん(妻は岡本かの子、息子は岡本太郎)、横山泰三、近藤日出造、その他の諸氏。それこそ、政治漫画全盛時代といっていい時代がありました。1960年代だったでしょうか。それ以降、あまり熱心に新聞を見なくなったのでよくわかりませんが、今日では、漫画が漫画ではなく「説明」「解説」になってしまったのはどうしてでしょう。

 この傾向は短歌や俳句にも言えます。「まるで説明」です。一例ですが「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 この歌人を知っていますし(彼女は、ぼくの授業に参加されていた。名前が珍しかったので記憶しています)、彼女の師匠も知っていました。また並みいる国文学研究の大家たちが「べた褒め」しているのを、ぼくはしばしば聞かされました。こんな程度で、大ベストセラーですから、読者の程度もたかが知れていると思った。奈良出身の女性首相を盲目的に支持している圧倒的多数の有権者が存在する現状にも、ぼくは同じ「現象」「はやり」を見ます。実に寒いですな。それこそ「寒心に堪えない」という心地がします。(左:攻撃されたウクライナにあるビルの壁に、本人(バンクシー)が投稿したという)

 それはともかく、バンクシーです。「ヘッダー写真」を見てほしい。ぼくはこれを一瞥して、衝撃を受けました。もちろん、写真でしか見ませんでしたが、目に入った途端に絵の「心」がわかった気がしました。

 「ウクライナ、キエフのボロディヤンカにある破壊された建物の壁画 プーチン大統領は柔道の黒帯保持者であり、この事実が視覚的なインパクトをさらに強めている。ここでは、子供はウクライナのメタファーとなっている。過小評価されながらも、機敏で不屈の精神を持つウクライナを象徴しているのだ。この壁画は権力構造を覆し、鋭い風刺でダビデとゴリアテの戦いを鮮やかに描き出している。ウクライナ郵政公社は後にこの壁画を切手に採用し、国家の誇りであると同時に文化的な抵抗の象徴とした」(「バンクシー解説)

 「(2023年)2月20日、ロシアによる侵攻1周年を記念して、ウクライナ郵便局はこの壁画の複製をあしらった切手を発行した。その1週間後、バンクシーは自身のインスタグラムでこの切手の存在を認めた」(https://banksyexplained.com/banksy-in-ukraine-november-2022/

 その通りであるかもしれないし、見当違いということかもしれません。しかし、「ウクライナなど、数日で潰せるさ」と嘯(うそぶ)いていた「殺人鬼の鼻を明かした(へし折った)」と観たくなるところに、風刺画の真骨頂があるのでしょう。このきわめて鋭敏な「発想」にぼくは降参します。簡単に言うと、誤解されそうですが、「弱い者いじめ」をしているつもりが、実は、「強い者いじめになっている」ところに、正義とか人道などという、抹香臭い言葉を使わないで、一瞬に切り取る、「一寸の虫にも五分の魂」と射貫く、この瞬発力と、そこから弾(はじ)き出される、描画力の凄さ。以来、ロシアの侵略を思うときには、ぼくの脳裏には、きっとこの「壁画」が出てきます。

 左の「議会の図」の解説は、「Devolved Parliament, 2009|Banksy Explained」とあります。「退化した」議会には人間ではなく、「おサル議員」が参列している。世界中で垣間見られる「デモクラシー」の腐敗の現場であります。ただ、この「解説」にぼくは賛成しません。おサルから人間が出てきたのですから、「退化した」のは人間でしょ。「風刺(諷刺)(satire)」とは「[名](スル)社会や人物の欠点・罪悪を遠回しに批判すること。また、その批判を嘲笑的に表現すること」「デジタル大辞泉)などと気楽なことを辞書は述べていますが、「遠まわし」でも「嘲笑的に」でもないところに、バンクシー氏の「誠・真・実・慎・信(まこと)」があるとぼくには思われます。説明は不要です。罵倒するのでもなく、非難するでもなく、もちろん愛情を降り注ぐのでもなく、胡麻をするのでもない、単刀直入、一刀両断、歪んだ「人間精神(退化したサル)」に「カツを入れる」具合です。だからこそ、それを見る人間もまた、大いに覚醒し、「正気を取り戻す」のではないでしょうか。

◎バンクシー=神出鬼没の芸術家。英国南西部出身の男性という説が有力だが、女性説や複数説もある。鋭い社会風刺画で知られ、イスラエルとパレスチナの分離壁に、風船を手に空に昇って壁を越えようとする少女を描いた作品が有名。2005年、ロンドンの大英博物館に自分の作品をこっそり展示し、3日間、誰にも気付かれなかった。作品はその後、正式に展示されることに。昨年10月、ロンドンでの競売で自分の絵が約1億5千万円で落札された直後、額縁内にあらかじめ仕掛けておいたシュレッダーで絵を細断し「アート史上最も大胆ないたずら」と話題になった。(共同通信ニュース用語解説)

 右の絵はどうでしょう。「爆弾愛(Bomb Hugger)とあります。今や戦争は男だけがするものでもなければ、男だけが、大人だけが「爆弾」を投げつけるのでもないのでしょう。こよなく爆弾を愛する乙女がいてこそ、独裁者は安心して「殺戮」に勤(いそ)しむことができるのです。何んとも強烈に過ぎる、人間の深部に隠されている憎悪」が、この絵(少女の表情)に明示されているとぼくには思われます。「爆弾を抱えた(ハグしている)少女」は、多くの人たちには知られていないけれども、実際は「悪の権化(The embodiment of evil)」ではないでしょうか。

 元来、「権化」とか「権現」とは、人間救済のために仏が仮の姿を取ってこの世(人間界)に現れること(仮現)を意味します。さらに付加すると、「悪の権化」は、この時代にあっては「爆弾」であり「ミサイル」である「核爆弾」であって、それは、換言すれば、人間の悪心の具現化でしょう。それが今日、日常的に見せつけられている「阿修羅(asura)」、つまりは鬼神(悪魔)の傍若無人に振る舞う世界ではないですか。この「爆弾愛」を見ていると、なぜだか、ぼくは涙をこらえられないのです。ぼくたちはたくさんの無動・非道な「悪魔」とハグしているんですね。「目を覚ませと、呼ぶ声あり(Wachet auf, ruft uns die Stimme)」(バッハ・カンタータ BWV140)(オルガン作品、コラール前奏曲(BWV645)が、ぼくの耳元でなっています。

⁂ J.S. Bach: Wachet auf, ruft uns die Stimme, BWV 140 VII. Chorale. Gloria sei dir gesungen Münchener Bach-Orchester · Karl Richter · Münchener Bach-Chor:VII. Chorale. Gloria sei dir gesungen:https://www.youtube.com/watch?v=X4FGY6SvDo4

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 「今は笑え(Laugh Now, 2003|Banksy Explained)」と左の絵にはあります。世界中で生じている、大人たち(規制・既存の仕組み・体制)の抑圧に耐えている若者の姿だと思われます。ネット時代に「堰を切ったように溢れ出る若者のエネルギー」、それが、一部では「老人は邪魔だ、そこをどけ!」「集団自殺しろ」という、極端な排除になるのでしょうか。「今は笑え、いつか俺たちが支配する」と、まるで「予言(予告)」のような言葉が首からかかっている。ここにも「おサル」が登場するというのは、いかにも暗示的だという気がします。「サルからヒトが進化した(evolved)」のは嘘(誤解)であって、実際は「サルから生まれて、ヒトが退化した(descended)」という歴史の逆説(パラドック)が描かれているんですよね。(「バンクシーの絵の意味は?人気の風刺画について解説」Amalgam ART Gallery・2025/10/30:https://amalgamgallery.com/art_column/banksy-painting/

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 「徒然に日乗」(1032~1038)

◎2026年03月15日(日)終日自宅内に。好天だったが、折からの花粉飛散のために、あまり外には出ないようにしている。気象庁の予報によれば「スギ花粉」の飛散は終わりを見たようだが、代わって「ヒノキ花粉」の飛散が始まるという。自宅の周囲は杉や檜の植林地であり半径1キロ以内もまた、雑木林で、大半が杉のようで、毎年大いに花粉で悩まされている。少し外に出るだけでも目が痛く手痒い、喉も痛い。くしゃみは多発し、時には鼻水までという悲惨なありさま。少しは収まるのだろうか。▼イラン情勢は、さらに混沌としてきたようだ。アメリカに何らの成算もなく、「衝動的に攻撃した」というのが実際で、すべてはイスラエルのN首相の慫慂に、軽々と乗せられたTACOの無思慮というべきか。いよいよ、日本にもホルムズ海峡通貨のタンカー警護の呼びかけがあったが、それ以前に、すでにT首相(警護ための艦船派遣)に話があっただろうし、それを飲んだのかもしれないという気がする。欧州勢を含めて、アメリカの勧誘に消極的な中、日本がアメリカの側に与するとなると、今後のアラブ諸国との関係はおかしなものになるだろう。イラン攻撃の合間にも、イスラエルはガザで残虐な殺戮を繰り返している。アメリカに与するとは、残虐そのもののイスラエルの側に立つことを意味するのだが、はたしてこのような「地政学」を知らしめる取り巻きは首相の傍にいるのだろうか。(1038)

◎2026年03月14日(土)「こうなるだろう」というように事態は悪化しているが、何らかの政策を政府は打てるという気がしない。危機意識がないこと甚だしいというべき。円安、物価高騰に輪をかける「石油危機」の到来、もちろん「長期金利」も上がり続けている。にもかかわらず、122兆円という膨大な「次年度予算」の審議時間を削ってまで衆議院を強行突破した理由は、首相の「見栄」だけだったと思う。自己都合で解散を打ち、自己都合で予算審議を端折ってしまう。どこに「国民の生活と安全・安心の政治」があるのだろうかと、怒りすら覚える。この先の参議院の審議の行方はどうなるか。▼「寒の戻り」というのだろうか、日差しはあったが、風が強く、体感温度はかなり低く感じられた。▼数日前から、パソコンの調子がよくない。Aptio Setup Utility の表示が出て、スムーズに立ち上がらないのだ。時間を置くと、やがて起動はするのだが。(1037)

◎2026年03月13日(金)午前中に買い物で茂原まで。街道沿いのGSではレギュラーは1㍑187円との表示に驚愕もし、疑惑も抱いた。今販売しているガソリンは、かなり前からのものであるはずなのに、どうして昨日今日のタンカー滞留状態が値上げに反映するのだろうか。▼「イラン戦争の出口戦略、トランプ政権内で路線対立=関係筋 [ワシントン 13日 ロイター] – イラン戦争の行方を巡るトランプ米大統領の発言が揺れている背景には、ホワイトハウス内で複雑な駆け引きが繰り広げられていることが関係者の話で明らかになった。いつどのように勝利を宣言する​かを巡って、側近らの間で議論が続いているという。/トランプ氏は昨年、「愚かな」軍事介入を‌避けることを公約に掲げて政権に復帰した。しかし、イランへの攻撃で世界の金融市場が動揺し、原油価格が高騰したことで極めて大きな政治的リスクに直面している」(Reuters・2026/03/13)▼円は160円直前まで下落し、インフレはますます昂進し、加えて、史上最大の次年度予算が強行採決で衆議院を通過したという。未曽有の「財政破綻」が確実にやってくるだろう。(1036)

◎2026年03月12日(木)昼前に、陽気の良さに誘われて、少しドライブをしてきた。少しばかりの遠出であるが、リッターあたりの走行距離が目に見えて伸びている。本日は概(おおむ)ね、8.8㌔を記録していた。まったく信号がないので、さらに伸びるだろう。こうなれば、リッターあたり10㌔まで伸びるのを見てみたい。乗っている車は登録後23年過ぎで、11回の車検を受けたばかり。レギュラーではなく、ハイオクを給油している。帰り際にGSの看板を見みると、なんと187円/㍑、先日給油した時のレギュラーは141円、ハイオクは150円ほどだった。さらに値上がりしそうな勢い。これをきっかけに、インフレは狂乱的に昂進する予感がしている。(1035)

◎2026年03月11日(水)本日は「東日本大震災」から十五年が経過した日です。各地で追悼式が行われていた。福島原発事故(原子炉の爆発)から十五年が経過する中、原発廃止という機運はどこに行ったのか。この国の政治家の感覚がマヒしすぎているのだが、そんな政府や政治家をなぜだか、多くの主権者(有権者)は支持しているのだ。まじめで、誠意のある「国会審議」もどこへ行ったのか、ほとんど議論を封じて、独善政治が突き進んでいるのだが、この先にはとんでもない事態が生み出されると思う。▼自衛隊の海外派遣(派兵)が近々挙行されるだろう。そのイラン戦争は「泥沼」にはまり込んでしまった。「ヴェトナム戦争」の経過を思い出している。泥沼だから、簡単には抜け出ることはできそうにはない。この国は、さてどうするのか。「(CNN) トランプ米大統領は7日、戦争初期にイランの小学校を攻撃し、多数の子どもを死亡させたのはイランだと主張した。/9日になってトランプ氏は、その発言当時、話している内容についてほとんど知らなかったことを認めたうえで、その学校に命中したとみられる巡航ミサイル「トマホーク」はイランを含む他国も使っていると示唆した。イランはトマホークを保有していない。/なぜ政権内の他の人々はイランに責任があるという同様の主張をせず、調査中だとしているのかと記者会見で追及されると、トランプ氏は「私はその件についてよく知らないからだ」と述べた。/トランプ氏は、調査結果を尊重すると付け加えた」(CNN・2026.03.11 Wed)なんという「狂気」か、といいたい。(1034)

◎2026年03月10日(火)午前中に町役場まで「確定申告書」提出に出向いた。昨日下書きをしておいたので、清書して、そのまま出すだけ。もう何十年も続けているが、面倒な作業。給料は入ってこないで「納税」と「社会保険料」「介護保険料」等の出費ばかり。なけなしの財布から「納税」しているのだから、丁寧に正しく税金を使ってもらいたいが、この点に関してはもう、長年にわたって絶望している。役人や政治家に「公費」「税金」というものに対するまともな「意識」「感覚」がないと思うばかり。そもそも「公僕」「公務員」という自覚が甚だ欠場している人間が、政治や行政の世界に屯(たむろ)するのだろう。(1033)

◎2026年03月09日(月)昼前に「確定申告」に必要な書類を作ってもらうために役場へ。帰宅後、申告書の作成にかかる。税制改正が昨年の国会で議論されていたが、その反映か、かなり変更点が出ているのに気が付いた。呑気な話といえばその通り。控除の種類と控除額にいくらかの変更があった。できれば明日中に提出しておきたい。▼中東情勢が一段と緊迫化したことを受け、週明けの9日朝(米東部時間8日夕)、米国産WTI原油の先物価格が一時、1バレル=110ドル台に急騰した。前営業日から2割超の上昇で、約3年8カ月ぶりの高値だ。この水準が続けば、国内のガソリン価格が1リットルあたり200円を超す可能性が出てきた」「WTIの先物価格は、米国・イスラエルによるイラン攻撃前は65ドル前後で推移していた。すでに1.5倍以上値上がりしたことになる。/国内のレギュラーガソリンの平均店頭価格は、昨年末に旧暫定税率(25.1円)が廃止されたこともあり、直近の2日時点で1リットルあたり158.5円と約4年半ぶりの安値をつけている。ただ、これは高騰前の原油価格が反映されたものだ。/ニッセイ基礎研究所の上野剛志・主席エコノミストによると、原油価格が1バレル=110ドルで推移した場合、為替が現状並みの1ドル=158円で変わらないと仮定すると、ガソリン価格は1リットル=205円になる見通しだという。旧暫定税率廃止の効果が帳消しになるばかりか、過去最高価格の186.5円を超えることになる。/原油が100ドルならガソリンが194円、原油が90ドルだと183円になる計算だという。」(日経新聞・2026/03/09)―「円安」は加速し、中期金利上昇し、株価は暴落する。「破局は待ったなし」ということだろうか。(1032)

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「世界は彼(の正体が暴かれるの)を待っている」

 「…覆面ゆえに、『彼はいったい誰なのか?』という探究心と出たがりでない人間性も後ろ盾となり、その人気に拍車がかかる一方…そんな折、2017年12月12日(現地時間)にとうとう驚きの一報(すでに噂にはなっていましたが…)が届けられたのでした。/なんと、作品を描き終えたばかりのバンクシーの姿が、バッチリと写真で捉えられたのです。そして、その直後から世界各国のメディアで報じられていました(日本のメディアはアートに疎いのでしょうか、あまり…)。それがこちらです!./ストリートアートを代名詞的な手書きタイポグラフィーが描かれた石造りの建物の入口、その前に一人の男が立っています。/帽子こそ深めに被っていますが、その顔立ちはくっきりと…。右手にはスプレー、左手にはステンシルの型紙らしき思えるシートが! 自分の背後に人の気配を感じ、さっと振り向いた瞬間のご様子。それを予想外の方向、彼の左斜め90度の位置から撮影した男がいたわけです…。/この表情は明らかにストリートアーティストの振る舞い、そう誰もが感じるはず。で、問題はその男性の背後にある扉に描かれた作品に注目してほしいのです!! そこに書かれている文字は…

「Peace on Earth Terms and conditions apply(地球に平和を 規約と条件付)」

 これはなんと現在、バンクシーのオフィシャルサイトのTOPページに配置してある最新作だったのです(2017年12月14日~は、次の作品に変わっています。なおInstagram@banksyには掲載中)。現在の国際情勢を、アイロニカルに表現したものではないでしょうか…。/これはinstagramの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。(以下略)(「あのBanksyの正体発覚!?…喜ぶべきか喜ばざるべきか 描き終えた直後の姿が激写されました)(By エスクァイア編集部 and Kazushige Ogawa公開日:2017/12/19)(https://www.esquire.com/jp/culture/art/a207628/culture-art-banksy17-12142/

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別の現実の中にいるように見える

⁂「週のはじめに愚考する」(110)~ 先週の「愚考」は「君死に給うふこと勿れ」を捩(もじ)って、「君(たち)、国を売りたまふこと勿れ」と東西の権力者に向かって、明々白々の空砲を打ち、日米の両首脳の「判断力欠如」に大きな危機意識を持っていることを公然と明かしました。今回の「イラン爆撃」がどのような理由でなされたかについて、様々な言説が飛び交っていても、驚くべきことですが、いっかな判然とはしてこないのです。おそらく、当事者においては、そのことは一層顕著だと思われます。米国にはイランを打擲する理由は差し迫ってはなかった。ひとえに極悪非道のネタニヤフの「野望(イラン撲滅)」に乗せられたということでした。それでも、他国からは「攻撃(invasion)」の大義を求められるだろうから、表向きは「イランの核開発の防止」などをもっともらしくでっち上げてはいたが、イランのあらゆる核施設はすでにアメリカが「バンカーバスター《Bunker Buster)」等を使って破壊したと、自らが大々的に宣言していたのに、です。第二期目の大統領の言動は著しく錯乱(confusion)しているとぼくは見ています。もちろん、一期目も「まとも(reasonable)」でなかったのは言うまでもありません。二期目の最初から、あるいは認知能力が相当にダメージを受けていると思われるとも書いてきました。人間の認知能力全体の1%が損傷したとしても、時には、その人の判断力や行動に大きな危機を示すのです。99%の認識行為が正常の範囲にあっても、残りの1%が、破壊的な行動を起こすとするなら、彼は「病者(patient)」だというべきでしょう。

 米国大統領の言動は「常軌を逸している」というほかありません。誰が見ても(といいたいところですが、「誰が見ても」でないところが、実にもどかしい)、彼が正常な判断力を失っていると大多数が診たとしても、「大統領、あなたは気が狂っている(Mr. President, you are insane.)」とは誰も言えないのだから、大統領自身は「自分はまともだ」と思い込んでしまう。しかし、事は重大で、世界の最大野蛮国の権力者がしでかすことは、一国一地域に収まらないから厄介なのだ。彼一人が異常であるのではなく、いわばアメリカ社会のかなりの部分が、彼同様に病んでいる、「同病相憐れむ」という、一つの現象の表れが「TACOが大統領だ」という現実です。再選を狙った大統領選挙に敗れた際に、彼は、岩盤支持者を煽りに煽って連邦議会を襲撃させ、あろうことか「(時の)P 副大統領の殺害」まで叫び出した、その状態は、どう考えても「正常」「健全」ではなかったが、しかし、アメリカ国民(有権者)は、彼を「大統領」に選んだ。すなわち、アメリカ国民の多くもまた「病んでいる」ということだったでしょう。端的に言うなら「彼らはファシズムを病んでいる(They are suffering from fascism.)」んですね。「MAGA」という標語そのものが「アメリカン・ファシズム」の隠れなきアリバイ証明(所在)で、いわば「偉大病」「独善病」「独尊病」を病みに病んでいるのです。

 数日後にこの国の首相が訪米するとされている。彼女も「劣島を強く豊かに」と、「強い」ことへの病的哀訴(偏執)を隠さないでいます。この人間も「言葉の描く世界」にひたすら沈潜しているように思われます。軍備・国防をさらに強固にし、いったいどこと「先端を交えるの」か、ぼくにはよくわからない。まわりまわって、「アメリカと戦う」という蓋然性はあるとは思いますが、そのためには両国をめぐる事態が何回転もしなければ、そういうところにはいかないと思う。しばしばいわれる「中国」が敵国だと、首相やその取り巻きが空想(「満州事変」の再現で、この国が勝利するという「空想」)しているだけで、現実味が満分の一でも、あるのかどうか。一匹のアリがガリヴァーに敵対するようなもので、これまた、「狂っている」「病んでいる」としか思われない。そして、大いに危惧するのは「狂人」と狂人」が相対面すると、いかにも当人たちには「まとも」な話し合いができるという、これまたより深い錯覚の世界にはまり込んでしまう、そのことを恐れます。ともに、「偉大(になりたい)病」「独善(的でありたい)病」「唯我独尊(なんだという妄信)」を病みに病んでいます。

 最もあり得ないことですが、今次のイスラエル・アメリカ両国の「イラク侵攻(攻撃)」は、あからさまな「国際法」違反であり、この国の基本方針でもある「武力による現状変更は認められない」という「国是」を堂々と(あるいは遠慮ししながら)、アメリカ大統領に宣言すべきです。首相は「ロシアウクライナ侵略」に際して出された国家決議に賛成したはず。ロシアは非難するが、アメリカに対しては「力による現状変更」を容認するというのですかな。アメリカに「下卑(げび)る」という、「 問うに落ちず語るに落ちる」とは、かかる不義をいう。かかる醜態を世界に向けて晒してまで、自己保身を図るんだろうか。いかにも醜いね。

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 ぼくは「夢想」しています。<take1>になるか<take2>になるか。言うまでもないことですが、「一矢報いる」ということもあるかもしれないと、夢の中で、さらに「夢」を見ているのです。ありそうもないけれど、国際法違反の側に加担できますかという、この国の遵法精神を旨とする国会議員の「矜持(pride)」も棄てられないじゃん、と総理は考えておられるでしょう。ぼくの予感というより「直観」であり、それは実に明晰です。すでに米国から命じられて、首相は約束(返答)したというのです。「是非、お役に立ちたい」とね。ホルムズ海峡に自衛隊は「出かける」ほうに「賽は投げられた」のではないですか。(総理大臣に成り代わって見た、ぼくの「夢」、その夢の中のお告げ(anticipation)のようなシナリオを、以下に披露しておきます)(satoshi yamano)

(Take One) I am your servant. I will obey any command you give me. Therefore, please, I beg you, employ me for the long term. For example, if you order me to go to the Strait of Hormuz and provide escort for a tanker, I will risk my life and absolutely obey that order.

(Take Two) Please, I'm sorry, this bombing is clearly a violation of international law, so even if you ask me to escort a tanker, I cannot comply. To avoid chaos, the first priority is to halt the attack. As a representative of Japan, I wish to convey this to you, Your Excellency.

* Note:In the sentence above, "I" is <SACO> and "you" is <TACO>. It is an abbreviation for "Trump Always Chickens Out". The name originated from the "TACO theory" proposed by Robert Armstrong, a columnist for the Financial Times. "TACO trading" is actually becoming popular. It is an investment method that aims to profit by timing the fluctuations in stock prices caused by P.T.'s careless remarks. The Trump family is also said to be very keen to make "profits".(S.Y.)

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* 決議 第208回国会  ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議案
 ウクライナをめぐる情勢については、昨年末以来、国境付近におけるロシア軍増強が続く中、我が国を含む国際社会が、緊張の緩和と事態の打開に向けて、懸命な外交努力を重ねてきた。
 しかし、二月二十一日、プーチン・ロシア大統領は、ウクライナの一部である、自称「ドネツク人民共和国」及び「ルハンスク人民共和国」の「独立」を承認する大統領令に署名し、同二十二日、ロシアは、両「共和国」との間での「友好協力相互支援協定」を批准した。そして、同二十四日、ロシアは、ウクライナへの侵略を開始した。
 このようなロシアの行動は、明らかにウクライナの主権及び領土の一体性を侵害し、武力の行使を禁ずる国際法の深刻な違反であり、国連憲章の重大な違反である。
 力による一方的な現状変更は断じて認められない。この事態は、欧州にとどまらず、日本が位置するアジアを含む国際社会の秩序の根幹を揺るがしかねない極めて深刻な事態である。
 本院は、ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難する。そして、ロシアに対し、即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める。/本院は、改めてウクライナ及びウクライナ国民と共にあることを表明する。
 政府においては、本院の意を体し、ウクライナに在住する邦人の安全確保に全力を尽くすとともに、国際社会とも連携し、制裁を含め、事態に迅速かつ厳格な対応を行い、あらゆる外交資源を駆使して、ウクライナの平和を取り戻すことを強く要請する。
 右決議する。(令和4年3月1日)

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 ⁂「なぜこの戦争をしているのか分からない」(https://www.bbc.com/japanese/articles/c3094d5e4pjo

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【分析】トランプ氏、イランで何が起こっているかさえ知らなかった? (CNN) トランプ米大統領は7日、戦争初期にイランの小学校を攻撃し、多数の子どもを死亡させたのはイランだと主張した。/9日になってトランプ氏は、その発言当時、話している内容についてほとんど知らなかったことを認めたうえで、その学校に命中したとみられる巡航ミサイル「トマホーク」はイランを含む他国も使っていると示唆した。イランはトマホークを保有していない。/なぜ政権内の他の人々はイランに責任があるという同様の主張をせず、調査中だとしているのかと記者会見で追及されると、トランプ氏は「私はその件についてよく知らないからだ」と述べた。/トランプ氏は、調査結果を尊重すると付け加えた。

 要点を明確にしよう。トランプ氏は、状況をほとんど知らなかったようであるにもかかわらずこの主張を展開し、この戦争でおそらく最も物議を醸している攻撃についてあまり知らないと言っているのだ。/この攻撃は、トランプ氏が言及した時点ですでに世界中で大々的に報じられており、米国に過失があったとすれば戦争遂行に重大な打撃を与えかねないと一部の共和党議員でさえ懸念するものだった(CNNと専門家による証拠分析と新たに浮上した映像によれば、米軍に責任があった可能性が高い)。/だが、トランプ氏は蚊帳の外だったようだ。(中略)

 トランプ氏はしばしば、精巧に作り上げられた別の現実の中にいるように見える。/だが、国内政策の場合と、極めて激化しやすい地域で戦争を遂行しているさなかにこれほど現実から切り離されているように見えるのとでは、話が違う。/それでもそれが現状のようで、トランプ氏の意思決定が近々、現実に根ざしたものになる兆しは見えない》(CNN・2026.03.11 Wed)(https://www.cnn.co.jp/photo/l/1326525.html)(ヘッダー写真 トランプ米大統領=9日/Mark Schiefelbein/AP)

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イランとの戦争、終結はいつか 「終わると直感したとき」とトランプ氏 (CNN) 米国のトランプ大統領は、イランとの戦争がいつ終結するのかについて、「終わると直感したとき」に分かると述べた。紛争に終止符を打つタイミングが個人的な基準に基づいていることを改めて示した。/13日にFOXラジオの番組で放送された電話インタビューで、戦争が終わったと分かるのはいつかと問われたトランプ氏は、「終わると直感したときだ」と答えた/インタビューの少し前の部分では、紛争がそれほど長くは続かない可能性も示唆。「終わるまでそう長くはかからないと思う」と口にしていた。/米国とイスラエルは、2月28日の攻撃開始以来、イランに対する軍事作戦を現在も継続している。作戦が始まって以降、トランプ氏は紛争がどれくらい続くかについて、様々な見解を示唆してきた》(CNN・2026.03.14 Sat)(https://www.cnn.co.jp/usa/35245041.html

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The world is for the two of us

【金口木舌】問われる「自分ごと」 「自分ごと」。物事や課題を自分のものとして捉える意識で、ビジネスシーンで使われ始めたと言われている。今では各所で多用されているが、耳にするたびにひっかかる▼世界を揺るがす米国とイスラエルのイラン攻撃。日本政府は、トランプ大統領が主導し国際法違反が指摘される先制攻撃への法的評価を避け続ける。共同通信の世論調査では、5割が政府対応を「支持する」。まるで「人ごと」のように▼やりたい放題のトランプ氏、反政府デモを鎮圧し、圧政が指摘されるイランの双方に異を唱えてしかるべきだ。自分とは関係なくとも、苦しむ人々のことを「自分ごと」と考えたい▼だが、国内で不安の声が大きくなったのは、原油価格が急騰し、日経平均株価が歴史的な下げ幅を記録してからだ。その時になって、イランの出来事が国民にとって「自分ごと」となった。これでよいのか▼イランでは米軍の誤爆で小学校が攻撃され児童や職員ら170人超が死亡した。イランによる周辺国への報復攻撃も看過できない。戦禍で傷つく人々に思いを寄せることができるか。私たちの「自分ごと」が問われている。(琉球新報・2026/03/14)

 What happens to the world when there are so many people who only care about their own interests (reputation, status, honor)? You might think it’s someone else’s problem and remain complacent, but before you know it, the fire is burning right at your feet. Even if you realize it, it might be too late, and sacrifices may be unavoidable.

 The world is being harmed and destroyed at will by people who mistakenly believe it revolves around them. So-called “climate change” is a prime example. Self-centeredness means thinking of things in terms of “my house,” “my company,” “my school,” “my community,” “my country,” “my nation”—that’s the order in which things are considered.

 Many people fail to realize that “self” means “one’s own interest,” and that this is a trap that foolishly leads people to believe is irrelevant to others. There was once a popular song called “The World Is for Two,” and indeed, the world is being polluted, destroyed, and harmed by madmen who believe it exists “for themselves (or their own).” At that moment, most people fail to realize that what is “defiled,” “destroyed,” and “harmed” is “their own body,” “their own mind,” and their own rights. They feel unfoundedly secure, believing that they alone will be alright. Let’s begin by acknowledging how foolish we are, unable to even comprehend that “the other side” is seamlessly connected to “this side.”(satoshi yamano)

(⁂ 佐良直美:『世界は二人のために』                                                            (https://www.youtube.com/watch?v=XATUhTNTuzM&list=RDXATUhTNTuzM&start_radio=1)                                    (ぼくにはとても口にできない、「耽溺」「惑溺」の境地を謳っているのでしょうか。困ったものだと、曲の発売当時から思い続けています。「愛・花・恋・夢」だって、ね。 

verse
愛 あなたと二人
花 あなたと二人
恋 あなたと二人
夢 あなたと二人
chorus
二人のため 世界はあるの
二人のため 世界はあるの
(中略)
chorus
二人のため 世界はあるの
二人のため 世界はあるの
二人のため 世界はあるの
二人のため 世界はあるの
outro
二人のため 世界はあるの
二人のため 世界はあるの
歌:佐良直美 (1967年発表)
作詞:山上路夫 作曲:いずみたく
明治製菓「アルファチョコレート」のCMソング。

 ひょっとしたら「世界は自分だけのために」と信じている人がいるかもしれません。でも、間違いなく、その人は「狂人」だというべきでしょう。「朕は国家なり」と言い放ったのはルイ十四世だとされます。「〈フランス〉L’État, c’est moi.》私は国家そのものである。ルイ14世の言葉で、17世紀フランスの絶対主義を象徴する」(デジタル大辞泉)

 権力を握るものは、誰彼なしに「私は国家だ」といいたいでしょうね、ぼくには全くわからない欲望ですが。「自分は国家」だといって、いったい何がしたいのでしょうか。なにがしたいかという、はっきりした内容があるのではなく、自分は絶対権力者だという感情・錯覚意識に浸りたいだけ、そんな気もします。実につまらないというほかに、ぼくには言葉がない。この権力欲に取りつかれると、男女無関係に、一段も二段もギアが上がり、血圧も高まるでしょう。いくら「権力者」であったところで、せいぜいが一年、あるいは四年、無理に無理を重ねても五十年といったところ。なにが悲しくて「他者を支配したいのか」という、その脳細胞の動きは、おそらくご当人にも理解不能だと思う。なぜならば、その時は本人もまた、一個の細胞(情念を支配する神経系)になってしまっているからです。

 「欲望の塊(A bundle of desires)」と名指しされる人たちには、自分がそうであるという自覚はない。「政治」という支配の哲学を隠れ蓑に、独裁を旨として、「自分を偉ぶらせる」ことに奔走するのでしょう。この「欲望の塊」の連想で、学生時代に読んで、その小説のうまさに驚嘆した作品であった、モーパッサンの「脂肪の塊(Boule de Suif)」 (1880年発表)を想起しています。これは彼のデビュー作で、フローベルに激賞された。幼稚だったぼくは、この小説で描かれている「大人」「男と女」「戦争」という、未知の世界に、誤解されそうですが、目を開かれました。もう一つ「港( Le Port.)」、これにも度肝を抜かれました。「脂肪の塊」の背景は普仏戦争時代。「1870~1871年、ドイツ統一をめざすプロイセンと、これを阻もうとするフランスとの間で行われた戦争。スペイン王位継承問題をきっかけに、プロイセンの挑発に乗ったフランス側から開戦したが、プロイセンが圧勝、統一を完成してドイツ帝国の成立を宣言した。敗れたフランスは、アルザス‐ロレーヌを割譲、第二帝政が崩壊して第三共和制が成立した。独仏戦争」(デジタル大辞泉)いくつかの条件が重なって、人間の魂というより、欲の皮の厚さばかりが、気になるような作品でした。

 今も地球上で、戦火・戦禍は絶えません。そして加害が繰り返され、被害者の多くは無辜の民です。どこがどう狂えば、「自分は王様だ」「自分は万能である」と自己偽称できるのでしょうか。「戦争犯罪」を眼前にして、世界は沈黙を守るというのはどういうことでしょう。日本でも、「欲望の塊」は蠢いています。戦争へ、余すところ「一歩」です。

「ホルムズ海峡付近で損傷したマユリー・ナリー号(3月11日)Royal Thai Navy」(Bloomberg・2026年3月13日 )

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Let It Be.(Beatles)(Cover Select)

 「福岡でガソリン200円超え「お手上げだ」 販売制限の可能性も イラン情勢の悪化によるガソリン卸売価格引き上げで、九州各地のガソリンスタンド(GS)で12日、店頭価格が大幅に上昇した。前日から30円近く値上げするなど過去最大の上げ幅となった店も多く、レギュラーガソリン1リットル当たり200円を上回る店も出た。来週にかけ、さらなる引き上げを検討する店もあり、販売制限の可能性も浮上する。関係者からは「価格も在庫も3日先すら見通せない」との悲鳴が漏れる。/九州北部でGSを運営する油屋通商(福岡県筑紫野市)は12日、同県太宰府市の店舗などでレギュラーガソリンを1リットル当たり29円引き上げた。江崎摩耶取締役によると過去最大の上げ幅で、来週以降の納入分はさらに高くなる見通し。大分県など在庫の確保が困難になっている地域もあり、同社は大分の店舗には福岡からガソリンを融通するが、同業他社には販売量を制限する動きも出始めているという。(以下略)」(西日本新聞・2026/03/12)

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 心底から邪悪なイスラエルの首相に唆(そそのか)された、このところ頓に「知的に鈍ってきた米大統領」は、その罠にかかって「自爆」寸前です。ユダヤの手厚い支持がなければ、アメリカ大統領は何一つ思うようにはできなくなっています。そのT 大統領、彼は自分が何をしているか判断がつかなくなっている(とアメリカの報道が教えています)、それをいいことに、彼の取り巻きは次のステップを狙って、狂人大統領を操っているとしか、ぼくには思われないのです。そのような尋常な神経状態にない「虎」のところに、極東の小島の総理大臣はのこのこ出かけていくという。飛んで火にいる春の虫、いや「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」とばかりに、自らの手柄を立てるつもりで「鬼退治に」出かけようというのです。この惨憺たる様を前にして、ぼくのおふくろなら、「無理したらあかんで」というだろうし、ポールのママは<words of wisdom>、そうです、< Let it be>と夢の中で語り掛けるでしょう。

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 グループ全盛時代、ぼくはほとんど真面目に聞こうとはしなかった。初来日で、武道館コンサートが大騒動になったのを真近でみたけれど、ほとんど関心が湧きませんでした。どうしてか、ひとえにぼくの感受性が鈍くできていたからだと思う。東京都内の「田舎大学」の2年生だった。当時、ぼくは「わけしり顔」に西洋古典音楽(クラシック)にイカレテいました。バッハやヘンデル、あるいはバロック時代の作曲家、あるいは教会音楽に、それこそ、向こう見ずもいいところでした。遮二無二(しゃにむに)入れ揚げていた時でもありましたから、彼ら(Beatles)の歌は、まるで騒音に思われたのでした。ところが、グループが解散し、それぞれが独自の道を歩き出したころ(1970年以降)、不思議なことに、ぼくは彼らの歌を聞き出していました。「時代おくれ(outdated)」人間の面目躍如ですね。彼らの活動時代は60年代から70年ころまで、実質、およそ十年ほどだったのは驚きでもありますね。もちろん初期のものの多くは、ぼくの耳が受け付けなかったが、グループ活動期後半のものはしばしば聞いたものでした。さらに年を取ってからはレコードやCDまで購入するようになっていました。どういう風の吹き回しだったか。人並みに老齢期に入ってから、来るもの拒まず、去る者追わずという心境(感覚麻痺)になったのだと思う。

 今でも、時には半日も、彼らの曲を聴いているときがあります。中でも「レット イット ビー(Let It Be)」は最たるものです。曲が作られた経過についてはいろいろ取り沙汰されていますが、それはぼくにはあまり関係・関心がありません。(一説には、グループから抜けるかどうかで悩んでいたポールのところに)14歳の時に亡くなっていた母が夢の中に出てきて「囁いた(呟いた)」、その智慧の言葉が「レットイットビー」だったという、その思いが曲になったとされます。<When I find myself in times of trouble, Mother Mary comes to me. Speaking words of wisdom, Let it be.> ぼくだって夢ぐらいは見るのですが、ほとんど記憶に残らない性分で、今は亡きおふくろも夢枕に立つことがあるのでしょうが、まず記憶していない。しかし、まだ健在だったころ、もちろん早くにぼくは親元を離れていましたから、その多くは電話でしたが、彼女は、何かあるときっと「無理したらあかんえ」「無理せんといてね」と繰り返した、そればかりは鮮烈に覚えています。「今日できることは明日にもできる」という「無理せぬ哲学(処世術)」を作り上げた力はおふくろからの薫陶(くんとう)だったと思う。

 <And in my hour of darkness, She is standing right in front of me. Speaking words of wisdom, Let it be.> 

 たぶん、この何年も、ぼくたちは言いようのない怒りや虞(おそれ)に駆り立てられるようにして、息をつめて生きているような気がする(ぼくだけではないと思いますね)、だからこそ、この歌が心に届くのだろうか。<And when the broken-hearted people living in the world agree, There will be an answer, Let it be.> 「レットイットビー」というのは、人それぞれの気分や状況に応じて受け止められる、一面では「融通無碍(ゆうずうむげ)(unrestricted)」なところがある表現で、だから多くの人は「救われる」「助かる」ということかもしれません。どうしていいかわからない場面に遭遇したとき、Mother Mary が夢の中で<Let it be>と話しかけてくれた。ポールは、それを<words of wisdom>と受け止めたのでした。「なるがままに」「なるにまかせなさい」」、とね。

 ここでぼくは「運を天に任せる」などという表現を使ってみたくなる。あとは「天命を俟(ま)つのみ」という意味です。「困った時の神頼み」でもいいでしょう。人事を尽くそうが尽くすまいが、二進(にっち)も三進(さっち)もいかないと思えばこそ、「神頼み」のほかに何がありますか? <in times of trouble>< in my hour of darkness>そんな時に、亡き母の言葉、「なるがままに」は彼にとっては「叡智の言葉」に思われたのです。

*Let It Be – Music Travel Love & Friends https://www.youtube.com/watch?v=KzqoSeVMGrQ&list=RDKzqoSeVMGrQ&start_radio=1)(このミュージックテープを収録したのはUAE(アラブ首長国連邦)の首都・アブダビ近郊です。最新ニュースによると、アブダビにある最大の石油製油所が操業中止に至ったと報じられています。(左写真は「アラブ首長国連邦(UAE)のルワイス製油所(2018年)Photographer: Christophe Viseux/Bloomberg

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◎ レット・イット・ビー= ①イギリスのロック・バンド、ビートルズの曲。1970年3月に発表した22枚目のシングル曲で、ビートルズ活動中の最後のシングル盤となった。ポール・マッカートニーによるナンバーで、全英第2位・全米第1位を獲得。歌詞中にある「Mother Mary」について、後年ポールは聖母ではなく母のメアリーのことであると語っている。「ローリング・ストーン」誌が選ぶ最も偉大な500曲第20位。原題《Let It Be》。②イギリスのロック・バンド、ビートルズのアルバム。1970年発表。バンドとして最後のオリジナル・アルバムで、①を収録。全英アルバム・チャート3週連続1位。全米チャート4週連続1位を獲得。原題《Let It Be》。③1970年公開のドキュメンタリー映画。原題《Let It Be》。監督:マイケル・リンゼイ=ホッグ、出演:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。第43回米国アカデミー賞歌曲・編曲賞受賞。②をサウンドトラックに使用。(デジタル大辞泉プラス)

  Let it be

When I find myself in times of trouble,
Mother Mary comes to me.
Speaking words of wisdom,
Let it be.

And in my hour of darkness,
She is standing right in front of me.
Speaking words of wisdom,
Let it be.

Let it be, let it be, let it be, let it be
Whisper words of wisdom,
Let it be.

And when the broken-hearted people
living in the world agree,
There will be an answer,
Let it be.

For though they may be parted,
There is still a chance that they will see.
There will be an answer,
Let it be.(The following omitted)

 この曲は、多くの歌い手・演奏家たち(アマチュアもプロも含めて)がカヴァーしています。無数にといっていいでしょう。ぼくはおよそ50以上の、この曲の「カヴァー演奏・歌唱」を、本当によく聞いていますね。そのどれもがぼくの趣向に合っていて、機会あるごとに、気分に応じて、あるいは感情に任せて視聴しています。これは、名曲である隠れもない証拠ですね。その中の、ほんの 1、2を。

① Loud acoustic guitar version(https://www.youtube.com/watch?v=xWPd2zMAh1M&list=RDxWPd2zMAh1M&start_radio=1) 
② Boyce Avenue acoustic cover(https://www.youtube.com/watch?v=Butjn61Uet8&list=RDButjn61Uet8&start_radio=1

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櫂(かい)のしづくも 花と散る

 都内に住んでいたころでしたか、二度・三度と隅田川沿いを歩き、長命寺名物の「桜餅」を所望したことがあります。もう半世紀以上も前のことだったと思う。また、結婚後、かみさんの友人の所有する船(クルーザー)で隅田川だったか、お台場付近だったかを揺られたことがありました。川も海も、水の臭い(匂いではない)が強烈で、辟易したものでした。さらに、その後にも、かみさんの姪の連れ合いが屋形船を借り切りで、隅田川を下りに招待されたことがありました。船の上では天ぷら料理や江戸湾産(江戸前)の肴をふるまわれましたが、この時も川の水の臭いが強烈で、這う這うの体で陸に上がったものでした。ぼくには墨田川や中川、江戸川、荒川などには麗しい思い出はありません。結婚直前、当時かみさんが市川市の国府台に住んでいたので、近くの里見公園に出かけたり、「矢切の渡し」付近を歩いたことがあった。半世紀以上前の、今は昔の物語」です。

 隅田川といえば、合唱曲「花」ですね。武島羽衣と滝廉太郎のコンビで生まれた、日本最初の合唱曲とされるもので、ドイツで本格的に西洋音楽を学んだ滝廉太郎氏が作った歌曲「四季」の第一楽章に当たっていました。かなり以前に、ぼくはこの「歌曲」全曲を聴いたことがありましたが、「花」の圧倒的な人気ぶりに、どうも他の曲の印象はあまり残らなかったという苦い経験があります。

 この「花」はいつも口ずさんではいましたが、突然のライブに圧倒されたのは、自分の結婚式当日の出来事。参列していたかみさんの同級生が四人だったかで、にわかに「女性四部合唱」(輪唱?)し、かみさんがピアノ伴奏をした時の、その歌唱力の鮮やかさ、見事さ(驚くに値しないのかも。彼女たちは声楽専科の音大卒だったし、この「花」は学校の「校歌だ」と言っていたのですから)に、ぼくは感動したものでした。作詞の武島氏は国文学者でした。春爛漫の隅田川堤の桜花を真ん中において、一場の情景を古文調で詠み上げたものでした。彼の師は上田万年(かずとし)氏で、天皇の言葉である「国語」(「日本語」ではありません)誕生に大いに力を尽くした、一大先駆者だった人でした。

 (余話として 「国史」は神話に始まる「天皇の歴史」であり、「国分・国学」は「古事記から始められた天皇の文学だったと、ぼくは考えてきました)(上田さんの女は作家の円地文子さん)

 武島さんの作詞では他に「美しき天然」(1902年発表)などがあります。(「空にさえずる鳥の声 峯より落つる 滝の音 大波小波鞺鞳と 響き絶えせぬ海の音 聞けや人々面白き 此の天然の音楽を  調べ自在に弾き給う 神の御手の尊しや」)(これは本邦初の「ワルツ」とも称されています)

 滝廉太郎氏についてもどこかで触れましたが、23歳で夭逝。ドイツで本格的に西洋音楽を学びつつあったのに、病臥に襲われ、惜しまれつつ亡くなったのでした。いろいろと駄弁りたいところですが、本日はここで止めておきます。

 昨日は東日本大震災、福島原発爆発事故から十五年が経過した、その追悼の日でした。いくつかのネット番組を見ながら、大きな被害に遭われた方々に尽くせぬ想いを寄せ、ぼくは、改めて深い悲しみに襲われていました。また、「イラク戦争」の展望が開けないままに、この国もまた、否応なくアメリカに引き込まれて、戦場に赴く羽目になりそうな気配に、深い怒りをたぎらせたのも昨日でした。原油ショックが、ことにこの国の経済を破壊しそうな勢いで、この先の光明を見出すのも難しい事態にあって、「花」の颯爽として音調に、いささかなりとも、一瞬であっても、息継ぎのつもりで、心のゆとりを回復したいものです。

 息苦しい状況にあって、この「歌曲」が醸し出す調べと、謳われている(昔日の)豊かな景色が、果たして、鬱屈しそうな感情を和らげてくれるでしょうか。いろいろな感慨を催しながら、ここに、引用する次第です。「げに一刻も 千金の」と、「春宵一刻値千金」(しゅんしょういっこく あたいせんきん)」(蘇武「「春夜」)を作詞の中に配置し、今からは想像すらできない、百二十五年前の隅田川付近の「景趣」を射当てているように思われます。

 (武島羽衣 作詞・滝廉太郎 作曲)

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かい)のしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき

見ずやあけぼの 露(つゆ)浴びて
われにもの言ふ 桜木(さくらぎ)を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を

錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき

◎ 武島 羽衣(タケシマ ハゴロモ)= 明治〜昭和期の歌人,詩人,国文学者 日本女子大学名誉教授。生年・明治5年11月2日(1872年) 没年・昭和42(1967)年2月3日 出生地・東京・日本橋 本名・武島 又次郎(タケシマ マタジロウ) 学歴〔年〕・東京帝国大学国文科〔明治29年〕卒,東京帝国大学大学院国文学専攻 経歴・一高時代新体詩を交友会誌に発表。東大在学中の明治28年「帝国文学」の創刊に参加し、編集委員となって「小夜砧」などを発表。大学院で上田万年の指導を受け、30年東京音楽学校教員、43年〜昭和36年日本女子大学教授を務める。その間、東京高師、国学院大学、聖心女子大学、実践女子大学などの講師、教授を歴任。詩人としては明治29年大町桂月との共著「花紅葉」を刊行し、以後も「霓裳(げいしょう)徴吟」などを刊行。他に「修辞学」「賀茂真淵」「国歌評釈」「文学概論」など国文学関係の著書がある。また唱歌の詩に「花」「美しき天然」があり愛唱されている。(20世紀日本人名事典)

◎ 滝 廉太郎(タキ レンタロウ)= 明治期の作曲家,ピアニスト 生年・明治12(1879)年8月24日 没年・明治36(1903)年6月29日 出生地・東京市芝区南佐久間町(現・東京都港区) 出身地・大分県竹田市 学歴〔年〕・東京音楽学校(現・東京芸術大学)専修科〔明治31年〕卒 経歴・芝唱歌会を経て、明治27年高等師範学校附属音楽学校(後の東京音楽学校)に入学。31年東音秋季音楽会でバッハの「イタリア協奏曲」を演奏して注目され、32年より母校の嘱託としてピアノを指導する。34年文部省留学生第1号として渡独、ライプティヒ国立音楽学校に入り、ピアノをタイヒミューラー、対位法をヤダスゾーンに学ぶが、結核となり翌年帰国、23歳の若さで死去。代表作に「荒城の月」「花」「箱根八里」「荒磯」など今日まで愛唱されている歌曲の他、ピアノ組曲「メヌエット」などの器楽曲がある。(20世紀日本人名事典)

⁂ すみだ少年少女合唱団「花」https://www.youtube.com/watch?v=OsYIKYWqDnI&list=RDOsYIKYWqDnI&start_radio=1)                          (⁂ 秋本悠希・歌「花」: https://www.youtube.com/watch?v=jZLmAxyFPX4&list=RDjZLmAxyFPX4&start_radio=1)         (⁂ ひまわり「花」【合唱】:https://www.youtube.com/watch?v=3UyJNhBTXHk&list=RD3UyJNhBTXHk&start_radio=1

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震災で亡くなった・生きた方々に敬意を

【記者コラム】時刻表通りに進まない 駆け込んだ博多駅で列車を逃して電光掲示板を見上げると、意外な言葉が表示されていた。<この卒業は次の列車に乗るための切符です>。吸い込まれるように続きを読んだ。<自分で選んだ行き先を信じて、自分のペースで進んでください>▼受験生向けにJR九州が企画した粋な計らい。コンコースの黒板には<人生は時刻表通りに進むものではありません>。傍らには通行人が記した一言集も掲示され、ハングルで<日本の未来を担う皆さんの前途を祝します>という激励も▼頑張った分だけ、喜びも失望も大きいもの。そんな心模様を映してか、駅を行き交う人たちの足取りは時に軽やかで、時に重い。その足音がメッセージの前で、ふと止まる。知らない誰かを励まし、励まされるために。掲示は13日まで。(西日本新聞・2026/03/11)

 ぼくは一度も使ったことはありませんけれど、「駅の伝言板(掲示板)」には、しばしば見惚(と)れていたことがあります。スマホ万能時代に、まだ健在だというのは、実に意味深ですね。西日本新聞の H 記者のコラム「時刻表通りに進まない」というのは、当たり前に思われますが、きわめて暗示的でありまして、予定(時刻表)は狂うためにあるというようなものでしょう。人生の階段とかエレヴェーター・エスカレーターなどといっても、誰もが乗れるだけのものではないし、仮に乗れたとしても途中下車というか、降ろされてしまう人も出てきます。ぼくのように、そんな階段やエスカレーターに乗ることがなかった人間も、もちろんいるのですから、「向こうのお山のふもとまで、どちらが先に駆けつくか」というような競争ではないことは、「人生」を少し考える人にはとても大事じゃないでしょうか。

 「うさぎとかめ」という童謡は1901年(明治34年)に『幼年唱歌 二編上巻』で発表された。作詞の石原和三郎さんには「金太郎」や「花咲爺(じじい)」などがあり、作曲の納所弁次郎さんには「桃太郎」などがあります。学校教育開始の早い段階で、唱歌が導入されたのですが、それは考えられる以上に強い影響を子どもたちに与えたと思われます。「善因善我」「因果応報」、いうところの「勧善懲悪」などという「徳目」の「注入(インプリンティング))だったのではないでしょうか。それはともかく、人間にはウサギ型とカメ型がいて、いずれも相手を負かすことに鵜の目鷹の目、または戦々恐々としているという風に考えられがちですが、果たしてどうでしょう。第一に、ウサギとカメが駆けっこをするということそのものが荒唐無稽でしょう。「油断大敵」とも、「負けるが勝ち」とも異なる人生の歩き方があるといいたいですね。いつのころだったか、この「ウサギとカメ」を歌っていて気になりだして、それ以降は呑気に歌えなくなった想い出がありました。つまり、「ここらでちょっとひとねむり」しているウサギを横に見ながら歩いていくカメの振る舞いに、ぼくは違和感を感じたからでした。「どうして声をかけて、起こさないのだろうか」と思った。相手の失敗や油断をいいことに「勝つ」というのはあまり美しくないというふうに考えられた。

 そんなことでしたから、多くの「唱歌」はぼくには美しいものではなかった。「桃太郎」など、何も意地悪をしていない「鬼」を「退治」するために出かけていくという、大義のない侵略ではないですか、まるでどこかの暴力大統領のようで、ぼくは好きにはなれませんでした。ぼくは仕事柄、半世紀近く「卒業式」(「入学式」)に付き合ってきました。なによりも「式」というものが大嫌いですから、ぼくはいつだって普段着のままの言動を通しました。ぼくを除いて、他の教員はすべて「皆さん、ご卒業おめでとう」と決まり文句を言いますが、ぼくはそんなことすらできなかった。「卒業? 何がめでたい」という感覚でしたね。口先だけの「常套句」が言えませんでしたね。

 <自分で選んだ行き先を信じて、自分のペースで進んでください>というJR博多駅の計らいはなかなか粋ではないでしょうか。ウサギはカメと競争して、勝って当たり前でしょ、たぶん。カメにはカメの筋があり歩き方があります。「どこまで先に駆けつくか」というところ(勝ち負け)に、人生の意味は存在しないと思います。「勝負」というのはどういうことでしょうか。大人が子どもと勝負して「勝った」というのも大人げないでしょうし、一流とか名門学校に入った、入れなかったという、そんなチャラいことで人生は図れないですよと、ぼくは自分にも、あるいは誰彼にも言い聞かせてきた気がします。ある時の「卒業式」(「入学式」)に、多くのスタッフ(教員)たちは「君たちはエリートだ」などと、本当に歯の浮くような嘘を多用していて、ぼくは落胆しきりでした。こんな連中と席を同じくするというのは、よほどぼくは悪いことをしてきた報いからだと、つくづく情けなくなった。

「(この名門大学に入学された諸君、)入学おめでとう」と何の衒(てら)いも躊躇(ちゅうちょ)もなく言ってのけた連中の心境を思って、ぼくはゾッとしたこともありました。こんな「(ゴミみたいな)一流大学に入ってきて、こんな(クズのような)一流の教師(自分たち)から学べる」、なんという幸せなことか、と言っていたに等しい(悪い冗談)、まさしく「天に唾していた」んでしょうね。正しく言い直すなら「こんなダメな学校によくぞ来てくださって、どうもありがとうございました」でしょうね。ぼくは、いつもそんなつもりで「来てくださって、ありがとう」とお礼を言っていました。

 だから、ぼくはいつだって学生たちに「偉くなろうと思うな」「他者に勝りたいと考えるな」「当たり前に生きることは、思いのほか難しいということを知ってほしい」などというばかりでした。半世紀近くも教師紛(まが)いの仕事をしていて、ぼくは一度として「入学おめでとう」「卒業おめでとう」と口にしたことはなかった。実際に「めでたい」ことはいささかもなかったからです。他の教師たちはずいぶんと立腹していたことだと思います。連中の素振りでよくわかりました。(同じ物言いは「結婚式」においてもありました。ぼくはほとんど他人の結婚式に出たことはないので、想像でいうのですが、外れていないでしょう。「本日は、ご結婚おめでとうございます」と、誰も彼もが祝福する。「結婚」がその日で終わるならいざ知らず、長く続くものと思えばこそ、「何がめでたい」となりませんか。お気の毒、そんな気分にならないか。昔の先輩たちは「結婚は人生の墓場」だなどと言っていました。人を「挙式」に呼んでおいて、こちらの知らないうちに離婚することはいくらもあります。無責任に「おめでとう」といえますか)(「結婚」ではなく、「結婚式」こそが目当てで、呼ばれた側も「式」に祝意を述べるんでしょうねえ。ならば、「入学式」「卒業式」もおなじ水準で、「式」に漕ぎつけて「おめでたい」となるのも道理です)

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 ぼくの印象では、最近の様子では「経済の日経」という看板には偽りがありますが、本日のコラム「春秋」にはぼくは感心させられました。こういうコラムを書く人もいるんですね。余計なことは言わない、再読三読してくだされば、それでいいですよ。「宗教戦争の困難な時代を生きたモンテーニュが『エセー』の終章に、特別なことをしなくても、生きてきただけでこの上なく立派なのだと書いており、同感だ。震災後の15年を生きた人たちに敬意を表したい」 と書かれています。本当にそう思いますね。当たり前に生きる、それは思いのほか難しいと、ぼくはこの何十年も痛感し続けてきました。「すごいことをしたから、人生には価値があり」、「目立った働きもしなかったから、人生には光るものはなかった」と、世間は言うかもしれないけれど、ほとんどすべての人々は、「身の丈に合った人生」を生きようとして、それでもなお悪戦苦闘するのです。思い通りにはいかないんですよ。

 それがモンテーニュの言わんとするところでしょう。「特別なことをしなくても、生きてきただけ」、そこにおいてこそ、「あなたの生き方(人生)」には値打ちがあるんだというのでしょう。「生まれたばかりの赤子」は何もできない、けれどもその存在には大きな意味があると、誰もが見抜く。こんなことは言わずもがなですが、身長がもう五センチ高かったら、自分の人生は異なっていたろうという人がいるでしょうか。たった「五センチ」に人生の価値を賭けるんですかと問いたい。ある精神分析の医者が経験したことでした、彼はウィーン大学病院の医者だった。

 ある時、元高名な刑法学者が、重篤の病で、片足を切断していた。その人が術後、初めてベッドから降りて自分の片足で立つ段になって、さめざめと泣いたので、周りの者は驚いたという。「この先、こんな状態(片足)で生きていかねばならないと思うだけで、情けなくて」と泪の理由を語ったそうです。看護師たちはくだんの精神科医を呼んだのでした。F 医師は患者のそばに立ち、「先生、何か勘違いされていませんか」と尋ねた。「これからマラソンの選手にでもなるなら、先生の嘆きはわかりますけど」といったそうです。元刑法学者は、はっと気が付いたんでしょう。「そうでしたね。ぼくは勘違いをしていました」と、自分の間違いを詫びたといいます。とても印象的な逸話だったので、ぼくはよく覚えていました。

 これ以上、よけいなことは言う必要はないですね。人をだましてまで、自分を生かそう(みせびらかそう)とする、そんな人を見ると、ぼくは回れ右をするのです。ここまで生きてきて、自分自身の生涯は「取るに足りない人生」だったと、ぼくは痛感しているのですが、そのような人生に対してこそ、「それこそが大したものなのだ」と思いたくなるんですね。「駅の伝言板」は特定の人が特定の人に伝言するのが第一義ですけれど、その伝言を第三者が「見て・読んで」、何かを受け取ることがあるというのはいいですね。さらにいいことは「六時間後に消します」とあるところです。いわば「一語一会」ですからね。そのようにして、人はだれかと、知らないままでもつながり、支えられているんですね、きっと。最初のコラム氏は書かれている、「知らない誰かを励まし、励まされるために」と。

【春秋】先週、石巻を訪ねた。歩き回るうち日和山(ひよりやま)という小高い丘に行き着き、眼前に開けた海辺の被災地区の光景に言葉を失った。胸が詰まって、声を出すと涙が出そうだった。15年前の3月11日、ここでどんなことがあったか。知ったような気でいては失礼になると思った。▼方々に気持ちのいい人がいた。宿の食堂で朝6時「おはようございます」と調理のおばちゃんがはきはき言って一日の元気をくれた。陸前高田の津波伝承館では無料施設なのに帰りしな「ありがとうございました」と言われた。大船渡に行って翌朝、川辺で休んでいたら散歩のおばあちゃんにねぎらうような挨拶をされた。▼三陸鉄道の人には乗り継ぎを丁寧に教えてもらった。同乗したたぶん保線の人の、すっとした所作もなぜか印象深い。釜石では偶然入った「ご近所新聞」展で、大槌の人が、転居先で海が見られないのは寂しいけど水門ビューもいいよと笑っていたという記事を読んだ。癒えぬ悲しみを抱える人も、なかにいたかもと思う。▼宗教戦争の困難な時代を生きたモンテーニュが「エセー」の終章に、特別なことをしなくても、生きてきただけでこの上なく立派なのだと書いており、同感だ。震災後の15年を生きた人たちに敬意を表したい。また行って名産を食べたり土産を買ったり、見聞きしたことを人に話したり、自分もできることをしていきたい。(日本経済新聞・2026/03/11)

 墓標(はかじるし・ぼひょう)、あるいは墓碑というものは、「(伝えきれないほどのものを伝えてくれる)伝言板」だと、ぼくには思われてきます。「墓碑は建立する」けれど、それに向かっていささかの敬意すら示さない輩が、あまりにも多すぎます。「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませんから」という墓碑に、なんと唾をかける、嘘を吐きかける輩(政治家を含めて)があることをどうしましょうか。おそらく、イランにおける戦況を考えれば、自衛隊の海外派兵と武力行使は避けられない事態に向かっています。「過ちは繰り返さない」といったのは「私ではない」と現首相なら悪びれもしないで嘯(うそぶ)くでしょう。(「1 とぼけて知らないふりをする。2 偉そうに大きなことを言う。豪語する。3 猛獣などがほえる。鳥などが鳴き声をあげる」)(デジタル大辞泉)

 広島や長崎の「伝言板」(墓標)は、「六時間経過したら消します」というわけにもいかないのです。

 本日は東日本大震災から十五年を経過した日でもあります。

 「物言わぬ慰霊碑のメッセージを後世まで継がねばならない」(「談話室」)(合掌)

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【談話室】▼▽津波被災地に立つ慰霊碑には1万5千人余りの名前が記されている。先日石巻市で手を合わせたその碑には、詩も刻まれていた。「春の足音が近づいていた頃/愛する我が子が/明日をも見れず突然旅立つ」と始まる。▼▽15年前の地震の後、4~6歳の子どもたちが乗った日和幼稚園のバスは、高台にいたにもかかわらず海側に向かってしまう。そこに大津波が押し寄せ、火災も起きた。市内の施設に遺品が展示されている。小さな上履きは、真っ黒に焦げていた。どれだけ苦しかっただろう。▼▽慰霊碑は、同じような悲劇が繰り返されないために伝承を続ける遺族が建てたものだ。詩はこう続く。「暗闇さまよう私の心に/亮光降り注ぎ/再びあなたと私 結ばれる/太陽の下で一緒に見た/梨の花・桜の香り/懐かしく思い出される/あなたの笑顔にまた会いたい」▼▽どれほど時間がたとうと変わらぬ思いだろう。詩には亡くなった4人の名がちりばめられている。「愛梨」「春音」「明日香」「亮太」。幼子たちは、焼け焦げたバスの外で抱き合うような姿で見つかったという。物言わぬ慰霊碑のメッセージを後世まで継がねばならない。(山形新聞・2026/03/11)

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