信じるために 飛び始めるのです

 3月31日(火)、年度最終日。特別に感慨があるはずもない。明日は年度初めですから、まるで「大晦日」と「元日」みたいなもので、ぼくにとっては「今日」と「明日」でしかありません。毎日の中の一日であり、掛け替えのない一瞬であることに変わりはありません。そんな本日に、二十年ほど前の卒業生が訪ねてくる。都内の公立の小学校教師。明日からは別の区立小学校に転勤するという。そのためもあって、会いたくなったと連絡が一週間ほど前にありました。

(生憎、天気予報では劣島を西から東に「前線」を伴った暴風雨が縦断するという。都内も暴走(房総)半島も例外ではない。「無理をしないで」とメールを出して置いたら、「嵐ですか、知りませんでした。頑張ります」という意味不明の返信が届いた。いかにも彼女らしいなあと、「変わってる」が少しも変わらない、そんな「持ち味」に感心したり、可笑しくなったり)

 昨晩、夕飯時にかみさんに尋ねられました。「どうして、こんな辺鄙(へんぴ)なところに皆さん来て下さるの?」ぼくは答えに窮しました。「まあ、物好きなんだろうね。ぼくの衰え具合を、怖いもの見たさに来るんじゃないのかな」というほかなかった。ぼくは、自分の卒業した大学(そこを卒業したかどうか、怪しいが)の元教師の家に行こうなど、微塵も、いささかも、徹頭徹尾、考えたこともなければ、そんなことは想像すらできなかった。だから、多くの卒業生が来て下さるというのは、「やはり、物好きなんだろうなあ」と思うばかりです。

(都内池袋で発生した「ストーカー殺人事件」の報道に接して、この問題を「必死」で考えています 。右上「折々のことば」)

 初めて「教師紛(まが)い」(仕事をしてサラリーを貰う仕事に就く)になったのは1971(昭和46)年でした。いつだってぼくは「不良(inferiority)」だったから、「先生」と称される人間になる・なれるはずもなかったし、自分に与えられた仕事も極めて中途半端でしたから、「どんなときも教師紛い」を自称していました。そんな半端人間にも、いろいろと「職業上の役得」とでもいえるものがある。ぼくは「教育とは付き合いである(Education is a long-lasting relationship.)」といい続けた。教育は教室(学校内)で終わるものではなく、続く限り(途絶えるまで)の「付き合いそのもの」が教育だと思ってきた。もちろん、相手が不在であっても(欠けていても)、「教育」は続きうる。(手本は親子や夫婦関係にあるかもしれぬ)こんな陳腐なことは誰でもいいそうだし、誰も言わないものでしょう。

 ネットなどでは「旧帝大合格」高校ランキングなどという、ぼくには信じられない底なしの「時代錯誤(アナクロニズム)」が今なお世間でもてはやされている(らしい。実感として、そんな愚かしいことが今の時代にあるはずもなかろうとぼくは考えているが、あるんだね実際に)。新聞でさえ、こんな愚劣な風習を煽っている風があります。醜悪極まりなしの醜聞ですよ。どんな意味があるのかさえも思慮しない、かかる愚考が延々と続いてきたのですから、この「学校教育の腐敗」こそが、この国の頽廃・変質の「主因」だと思っている。(ぼくは若いころ、新聞社系列の週刊誌が「大学入学者名簿」のようなものを高校別に、実名で発行していたことに何度も抗議というか、バカなことは止めたらどうだと談判したが、ほとんどまともな返事がなかったのは、当時から腐っていたという証拠ですね)

 ぼくが卒業した京都の公立高校もいかにも堕落したものだと、偶然、京都の新聞を見てしきりに思います。猛烈な進学校になった、それも「旧帝大合格者」が急増しているのだ、と。それがどうした、という直感も反応もないのが、ぼくには信じられません。半世紀も前だったか、履歴書に「最終学歴」を書かない、そんな企業が現れて話題になった。後に続く企業が出なかったので、この会社の新機軸も、おそらく続かなかったでしょう。(「まだ、続いている」とするなら、この企業の業績が今のような為体(ていたらく)ではなかったと思う)それこそ法律で「最終学歴」記入を禁じたらどうです。そうすれば、少なくとも「学歴詐称」は撲滅できるでしょう。「最終学歴 ✖✖市町村立(私立)〇〇中学校」、これでいいんじゃないですか。本当は、そんなものすら余計なことなんだがね。

 御託はともかく、年度仕舞いに相応(ふさわ)しい(と、ぼくには思われたので)、以下、二つのコラムを紹介したくなりました。「有明抄」と「新生面」の二つで、ぼくの、いつも愛読するものです。以前にも書きましたが、読んで「◎」と思えば、時には筆者(記者)に、読めたことのお礼の電話をかけることがあります。もちろん、その反対(「✖」)の時もあります「抗議」の電話をするという意味。本日はどちらでしょうか。

【有明抄】師を胸に 小津安二郎監督の映画で実直な父親を演じた名優笠智衆さんが晩年、サインを求められたときのこと。ニコニコ応じた笠さんは、なぜか〈小津先生〉と大書した。周囲がポカンとしていると、ひとしきり思案してひと言。「デシのデは、どんな字でしたかな?」◆文字をたしかめて、〈小津先生〉の後に続けた。〈の弟子、笠智衆〉。故郷の熊本なまりが消えず、「親兄弟とも話すな」と叱られ続けた大部屋俳優を、名監督は「人間がいい。人間がいいと演技にそれが出る」と抜てきした。その恩を忘れず、終生師と仰いだ。「弟子」と書くことは誇りでもあった◆きょうで3月も終わり、新たな旅立ちのときである。自分の歩みを支えてくれたものを思い返してみる。先日ある大学の先生が「AI(人工知能)を使って書いた卒論が今年になって一気に増えた」と嘆いていた。スマホがあれば、仰ぐべき師など必要のない時代かもしれない◆世の中は、問いかければすぐ答えが返ってくるような問題ばかりではない。答えが一つとは限らず、見つかるかどうかさえわからない。だからこそ、先達の処世訓がつえ代わりになる。「われ以外みなわが師」と◆笠さんはいつも、カメラの向こうで怖い師匠がにらんでいると想像しながら演技したという。「弟子」の2文字に込められた深い自戒をかみしめたい。(桑)(佐賀新聞・2026/03/31)

 「人間がいい。人間がいいと演技にそれが出る」とは小津監督(➡)。目利きという言葉は好きではありませんけれど、人の好さ(悪さ)を見抜くだけの感覚(感受性)(センス)を持つことはとても大切でしょう。小津監督はそれをまっすぐに実行した人でした。「世の中は、問いかければすぐ答えが返ってくるような問題ばかりではない。答えが一つとは限らず、見つかるかどうかさえわからない。だからこそ、先達の処世訓がつえ代わりになる」とある。3+8=11は、狭い頭の中にできる「算数の世界」の話です。買い物だって「おまけ」もあれば「割引」もある。学校で教えることは、生きることにとって「不可欠なもの」では断じてないでしょう。ろくでもないものだから、たくさん詰め込めるとも言えます。「先生、この事実に気がついてください」といいたくもあります。

笠智衆さん) 「AI(人工知能)を使って書いた卒論が今年になって一気に増えた」と書かれていますが、要するに「カンニング」が横行しているという話でしょう。学校が育てているのは、そんな「狡さ(cunning)」ではありませんか。自慢するつもりはありませんけれど、ぼくは「教師紛い時代」には試験を課したことがありません。常に「文章」を書いてもらった。なにを見てもいいという条件で、ある問題(主題)について「論述」してもらうことを一貫してやっていた。それがどうした、というだけのこと。要するに「〇」「✖」で片を付けたくなかったというだけのこと。物事を「白黒」で判別・判断できると考えるの錯覚です。白でありながら、限りなく黒に近いものだってある。白と黒の間には、無数の「段階(程度)」があることを忘れないでもらいたいですね。もちろん「〇・✖」についても同じことを言いたいのです。「純粋な〇」もなければ、「完璧な✖」もないのがこの世の中。

 「先生(せんせい)」は先に生まれた人であり、「後生(こうせい」」は後から生まれたもの、それが「先生」の含意であり「後生」の元意です。だからこそ、時には「後生畏(おそ)るべし」となるのですね。「畏るべし」とは、「畏敬の念」を持つべしということです。これこそが「教育の始まり」(土台)でしょうね。                                         ◎ こうせい【後生】 畏(おそ)るべし= (「論語‐子罕」の「後生可レ畏、焉知来者之不レ如レ今也」による ) 後から生まれてくる者は、これからどれほどの力量を示すかはかり知れないから、おそれなければならない」(精選版日本国語大辞典)「「子曰わく、後生(こうせい)畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや」(ぼくたちはいつだって、後生にとっては「縄文人」「弥生人」みたいな存在なんですね)

【新生面】諦めない元賞金女王 派手なガッツポーズが代名詞になっている元賞金女王のプロゴルファーが「もう、最高」とうれし涙を流した。手や足に痛みが出る病気と闘う大山志保選手が一昨日まで宮崎県で行われた国内ツアーに出場して、4年ぶりに予選を突破した▼発症したのは5年前。病名は公表していないが、ひどい時にはトイレや洗面台にはって行ったこともあるという。今回は約10カ月ぶりのツアー復帰だった。ただ練習量が制限され、今年に入って18ホールをプレーできたのは数えるほどだった▼満身創痍[そうい]の48歳にとって生きのいい若手と渡り合うのは苦しかったろうが、地元宮崎の声援も後押しした。終了後、病気と向き合いながらも「一歩でも前に進みたいという気持ちがずっとあった」と胸の内を明かした▼大山選手は高校時代を含めて7年間、熊本で過ごした。10年前、熊本地震が発生した翌週に国内ツアーで優勝すると、インタビューに「正直、試合よりも熊本で何か手伝いたかった」と語った▼高校の同級生から大山選手のガッツポーズに元気が出たというメッセージが届いて、「熊本を笑顔にしよう」と集中して試合に臨んだことが逆転劇を呼び込んだ。優勝賞金の全額を地域の復興のため、県に寄付した熊本愛あふれる選手の活躍をまだまだ見たい▼あすから新年度。学校や職場など新たな環境となり、人間関係に戸惑うこともあるだろう。でも、大山選手のように諦めない心があれば進めるはずだ。プロのトップ選手も日々もがいている。前を向こう。(熊本日日新聞・2026/03/31)

 二つ目は「新生面」、ご当地「推し」でもあります。ぼくはゴルフはやらないが、「大山志保さん」(生地は宮崎)は素晴らしい選手だと、よく見ていたものです。その彼女の「復活」を見たコラム氏の誠実な書きぶりに動かされました。「10年前、熊本地震が発生した翌週に国内ツアーで優勝すると、インタビューに『正直、試合よりも熊本で何か手伝いたかった』と語った▼高校の同級生から大山選手のガッツポーズに元気が出たというメッセージが届いて、『熊本を笑顔にしよう』と集中して試合に臨んだことが逆転劇を呼び込んだ。優勝賞金の全額を地域の復興のため、県に寄付した…」、ゴルフはゴルフ場だけでは終わらないのは、「授業」と同じじゃないかと、ぼくは教えられたんですね。

 (ただ今、午前6時半過ぎ)天気予報は的中するだろうか。大山さんについては、別の機会にもっと書きたいと思っています。何にしても「新年度」は新しい人(new person)がいるというだけで気持ちは改まる、新たな風が吹くような気分になれました。ぼくも何十回も別れと出逢いを繰り返して、文字通りに「時代」を生きてきました。「今日は倒れた恋人たちも 生まれ変わって歩き出すよ」と謳ったのはみゆきさん。この曲ができる直前に父が倒れたという。だから「時代」は彼女の父親への約束(「契り」)の歌だったとも言えますね。1975年発表。もう一つ、山崎ハコさん、「飛びます」を聴きたくなりました。なんと同年の発表です。奇遇というのでしょうか。

(⁂ 山崎ハコ「 飛びます」https://www.youtube.com/watch?v=cs7sVOO4Eb8&list=RDcs7sVOO4Eb8&start_radio=1

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戦争を煽っている輩がいる、この国に

【金口木舌】原油高と平和な世界 最近はスーパーで買い物をしているとため息が出る。飲料や調味料、乳製品など多くの商品が値上がりしている。購入量を減らしたり割引品を選んだりしないと財布が厳しい▼買い物を終えて車を走らせていると、ため息がさらに深まる。ガソリン価格が高止まりしている。給油所の価格表示は一時200円超となった。車を使う回数を減らさなければと考える▼カーラジオからイラン情勢を伝えるニュースが流れる。情勢悪化で原油の調達が困難になるとか、交戦の終結に向けた協議が進められているとか。遠い国で起きている戦争が、私たちの日々の暮らしを直撃する▼思えばロシアのウクライナ侵攻の影響でエネルギー価格などが高騰した。ひとたび戦争が起こると負の影響が世界中に広がっていく。誰も幸せにならない争いを1日も早く終わらせてもらいたい▼原油価格の高騰を受け、政府はさまざまな施策を打ち出す。国民生活を支えるのと同時に、平和な世界を構築するため存在感を示してはどうか。戦争の終結に力を発揮することができれば、ため息で曇っていた人々の表情も笑顔に変わるはずだ。(琉球新報・2026/03/30)(ヘッダー写真「居ても立ってもいられなくて」「犠牲になるのは市民」イラン攻撃に反対訴え 那覇市で集会)(沖縄タイムス・2026/03/02)

 今月24日、現職自衛官が都内にある中国大使館に刃物をもって侵入、警視庁に逮捕された。それから一週間が経過したけれど、日本の政府責任者が中国当局に「謝罪」した形跡がありません。どういうことだろうか。事件の三日後に防衛大臣が閣議後に会見をし「法と規律を順守すべき自衛官が逮捕されたことは誠に遺憾だ。捜査に全面的に協力しており、事実関係が明らかになり次第、厳正に対処する」と、自分の責任(事の重大さからいうなら「辞任」すべき)を高い高い棚に上げたうえで(自分に責任が及ぶなどと微塵も感じていない風だ)、通り一遍の陳腐な作文(官僚作成)を読み上げた。このフザケタた態度はどこから来るのでしょう。「誠に遺憾」とは、当事国(関係者)が口にすべき言葉、か。「遺憾」とは「思い通りに物事が進まずに心残りがある」とか「期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。また、そのさま」「デジタル大辞泉)をいう。端的には「可愛い自衛官が、お宅の気に障ることをしたようで、お怒りがあるとするなら、まことに残念なことでした」という悪ふざけであって、これは謝罪とは全く関係ありません。(つけたし、大臣や官房長官会見のさなか、横から官僚が、答弁援護のためか、「メモ(カンニングペーパー)」を渡すことがしょっちゅうみられるが、その内容空疎には驚くばかり。あるいはそこには明確な嘘も加えらていることもある。顔色なしの、何のためにいる大臣どもか、だね)

 どう考えても相手の嫌がること、許されないことをしでかして、職責を果たすべき立場の者(この事案の場合、犯罪行為を犯したのが自衛官だから最上の上司は防衛大臣)が「誠に心残りです」というのは「暴言(violent language)」「放言(careless remark)」そのもので、言われた側はどう反応しますか。発言者の「無能」を晒すばかり。このこころない、無反省に発する「発言」は、被害を受けた相手をさらに拳骨で殴りつけるような法外の仕草です。不遜というか、自らを知らない無知な駄言ですが、それに気が付いていないのだから、もう打つ手がない、手の施しようがないということ。この無知無能な大臣(なぜだか、将来の首相候補だという。人材払底の極みだね、この国は)ばかりではありません。すでに崩壊をきたしている小学校の学級委員たちが散々な振る舞いをしているのを見るようで、不愉快を通り越して、即刻、学級閉鎖、いや廃止にしてほしい。学級委員長、または学級担任、あるいは学校長はどこにいるのか。隠れて「モク」をふかしているはずなんだが、自らに責任が及ぶことを最も恐れている、あかんたれ。

 一週間が経過してなお、首相の「謝罪(apology)」が一切ないのはどうしてですか。今回と似た様な事件が起こったらどうしますか。北京にある日本大使館で中国軍の兵士がわが邦大使館員に危害を加える目的で侵入したとして、日本政府は「遺憾です」「残念でした」と言って済ませられるのか。相手がそういっても、黙認していられるか。これは国辱行為ではなく、論外の破廉恥というほかない、場合によって「国交断絶」につながる犯罪行為でしょう。相手国に対して、事件を起こした当事国の最高責任者は「謝罪」「弁解」をしないで済ませるのですか。「この程度の問題」で謝るなんて、「私の沽券(メンツ)にかかわる」とでも考えているとしたら、顔を洗って出直したほうがいい。あるいは「自らの品格・品性」(あるとするなら)や「体面」に傷が付くとでも思っているのなら、ぼくにはいうべき言葉もない。この「国際的犯罪」にダンマリを決め込むのは、それを容認するということです。口にはしないが、「よくやった」と思っているのだろうか。

 どうあっても中国に尻尾を巻きたくない、弱みを見せたくないというなら、その理由を世間(世界)に説明しなければならないでしょう。「台湾有事発言」でも大きな事実誤認があり、政府見解を大きく逸脱しているものだったにもかかわらず、その誤りを認めない、その理由は何ですか。あるとすれば、たった一つ、中国当局を舐めている、中国と一線を交えたい、そんなグロテスクな空想が腐った脳みその中で沸騰しているのかもしれぬ。いったんことがあれば、米国が助けに来ると愚かにも考えている節がある。それは金輪際あり得ないのがわかっていない。(余話です 「国粋」を志(旨)(むね)とされていないのかもしれぬが、この人は「今上陛下」を「こんじょう陛下」と読み下されたことがあった。「きんじょう」とは読まないものなのかしら。どうもお里(馬脚か鹿脚)知れてるでしょ)

 アメリカは日本を助けない。それが理解できないのは、ぼくには奇怪千万。今回の訪米(日米首脳会談)でも、かの地で「首相訪米」はほとんどまともに報じらていませんでした。ニュース価値はなかったというのが米国主要メディアの判断でした。大統領の「真珠湾攻撃」発言を面白おかしく、日本を侮辱し、首相の無知を嘲笑していただけでしたね。この国の幼稚極まるメディアだけが「馬鹿を煽(おだ)てて」、訪米大成功と提灯を持っていたが、提灯の火は消え、張り紙は破れていたのはだれにも分かったほどでした。お粗末のオンパレード。つまるところ、論外の報道だったにもかかわらず、本人はもちろん、取り巻きを含めて誰もがその「誤報」「虚偽の羅列」を自分の目で確かめた形跡がない。とても劣悪な「翼賛体制」だと思えるのですよ、ぼくには。こういったからと、首相を非難していると受け取られると「遺憾です」ね。「君は愚かだ」と事実を指摘して、多くが気が付かない首相の秘密をばらしたと非難されるのも「遺憾」ですね。

 有り体(ありてい)に言うなら、首相は「中国」と一線を交えたがっているのだと思う。まるで「自分が(兵士になって)戦う気になっている」に違いない。だとするなら、相手国の主席と「じゃんけん」でも「にらめっこ」でも「腕相撲」でも「かけっこ」でも、それこそ真剣にやるがいい。相手が乗ってくるなら、だ。ぼくは誰が総理大臣になっても気にはしない、文句は言わないが、人間として欠けているものは埒外。だから、大事なことを隠す(密約する)、平気で嘘をつく、それだけでもう首相の任には副(そ)わない、いかなる資格もないね。加えて、あるいはこれが一番の理由かもしれないが、「今からでも、タバコを止めたらどうだ」、といいたい。偉そうな御託を並べ、国や国民に塗炭の苦しみを舐めさせるのは生意気というもの。その程度の「禁欲」「自制」が働かなければ、何事も始まらないね。無資格営業、無免許運転だな。(「日本の夜明け」は近いという、直感がぼくに働いています。つまり、このような「阿呆」「阿房」が委員長をしている学級は内部崩壊をきたしているということ。「喫煙行為を自制できない」程度の人間が何を言っても始まらないと思う)

 (蛇足 ぼくは、本日からささやかな「心持ち」の存在証明として「自家用車」に「イラン戦争反対」のステッカ―(自書・自画)を張り付けて走行します。また5年前、ロシアがウクライナ侵略を敢行した時、書庫の屋根を「青と黄」の二色のペンキで新しく塗りなおしました。最近やや汚れが目立ってきたので、トタンそのものを新調し、塗装も塗り直して、反戦・非戦の思いを確かめたいと考えている。もちろん、ガザの真っ当な解放をも念じているので、それらも含めての「老人と反・戦争」の意思をを表明します)

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「徒然に日乗」( 1046 ~ 1052)

◎2026年03月29日(日)イラン戦争は泥沼へ突き進んでいる。アメリカの見境のない振る舞いに、世界中が不利益を蒙り、大変な困難を舐めているにもかかわらず、この国はアメリカの尻馬に乗り、まさに国益をも無視して、何をしようとしているのか、恥ずかしい限りの洞察力のなさだ。成果はTを羽交い絞めにしてでも暴挙を止めさせるべきだ。「ジェレミー・ボーエン:トランプは本能に基づいて戦争を仕掛けているが、うまくいっていない ドナルド・トランプ米大統領とベンヤミン・ネタニヤフ・イスラエル首相が米イスラエル両国の戦闘機をイラン爆撃に派遣してから1ヶ月の間、戦争に関するいくつかの古くからの真実がホワイトハウスの執務室の扉を叩いている。/過去から何も学ばなかった結果、ドナルド・トランプは今、厳しい選択を迫られている。イランとの合意が得られなければ、誰も騙せないような勝利宣言をするか、戦争をエスカレートさせるかのどちらかしかない。(中略)トランプ氏にとって予想外だったのは、イラン政権の強固さだった。彼は、1月に米軍がベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領とその妻シリア・フローレス氏を電撃的に拉致したような事態が再び起こることを期待していたようだ。マドゥロ大統領夫妻は現在ニューヨークの刑務所に収監され、裁判を待っている。マドゥロ氏の後任としてデルシー・ロドリゲス氏が大統領に就任し、ワシントンからの指示に従っている。マドゥロに対する勝利の再現を期待することは、ベネズエラとイランの違いを全く理解していないことを示している」(BBC/2026/03/29)(https://www.bbc.com/news/articles/c5y969pnxgvo)(1052)

◎2026年03月28日(土)中国大使館への自衛官の侵入事件に対して、首相はいまだにコメントをしないのはなぜだろう。「物いえば唇寒し」などと考えているのではなかろう。こんな時期だからこそ、心底の「謝罪」があってしかるべき。防衛大臣が「遺憾」といったが、それはどういう意味だか。「[名・形動]期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。また、そのさま」(デジタル大辞泉)とあるように、これは「謝罪」ではないのは馬鹿でもわかろうというもの。刃物をもって侵入し、誰かを傷つける意図があった侵入者なのに、「誠に残念に思う」というのは何事だろう。こんな言葉使いのイロハもわからない人間ばかりだという気もしてくるから、情けない。▼円安がさらに進み、1ドル160円を超えたと、報じられている。物価高騰はさらに続き、長期金利も高まるばかり。この事態に何をしようとしているのか、いささかも判然としない。ダメになるときは何もかもがダメになるのだと思う。「どこまでもついて行きます米の尻」というのが趣味だとしたら、ぼくはそんな国の一員であることを即刻に辞退したい。(1051)

◎2026年03月27日(金)終日自宅に。一日中、曇天模様で、時には雨も落ちてきた。▼「[東京 25日 ロイター] – 木原稔官房長官は25日午前の会見で、東京の中国​大使館に自衛官の男が侵入‌し逮捕されたことを巡り、中国側から申し入れと要請があり、『関連の​国際法および国内法令に従​って関係省庁と連携し、再⁠発防止も含めて適切に対応して​いく』と中国側に説明したこと​を明らかにした。/官房長官によると24日、現職自衛官が中国大使館の敷地内​に侵入し警視庁に逮捕され​た。官房長官は『法を順守すべき自衛官‌が建⁠造物侵入の容疑で逮捕されたことは誠に遺憾』であるとした。/中国外務省は同日、この事案​について日本​側に⁠強く抗議したと明らかにした。/対応策について官房長​官は、大使館で警戒に​当た⁠る警察官を増強配備するなど所要の警戒強化策を講じており、『⁠今​後の捜査で明らか​になる事項も踏まえて再発防止に向け必要な​対応を行っていく』と述べた」(Reuters・2026/03/26)この不祥事について、まず首相が「謝罪」しないのが理解できない。日中関係が悪い時期だからこそ、「謝罪」を、だが、むしろ、関係悪化を自ら招いている節もあるから、張り倒してやりたいほどのお粗末さ。(ここまでくると、国政にかかわる人物たちは、まるで幼稚園のお遊戯会レベル。それぞれが全く別方向を見て、四分五裂状態で、この国はまともに世界に伍していけるはずもなかろうに。「遺憾」とは「[名・形動]期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。また、そのさま」(デジタル大辞泉)。「誤ると、どういうことが起こるのだろうか。「沽券」にかかわるとでも思っているのか。(1050)

◎2026年03月26日(木)終日雨模様。時にはかなり強く降ったりもした。桜開花が方々から届けられているが、とても花見気分にはならないのはなぜだろうか。この国の「堕落」「頽廃」が半端なものではないことが肌身に感じられるから、なおさら、気分が重くなるのだろう。時代の推移というものは、上り一本調子ではないし、堕落し放しということもないだろうことはわかっていながら、あまりにも悲惨な状況にはやや腰が曲がっているのかもしれない。彌生も残り5日間。▼イラン戦争はいよいよ泥沼にはまっていくような気配。ひたすら米国の後ろを追うばかりの日本は、やがて「世界の除け者」「誰も相手にしてくれない孤立者」になるだろう。「世界の中で孤立する日本」、まるで、過去のどこかで見た景色だ。政治家にしっかりせよといって治るなら、こんな事態にはならなかったと思う。物価一つもどうすることもできない能天気ばかりだから、谷底に落ちるのも当然か。「落ちろ」「堕ちろ」「墜ちろ」(1049)

◎2026年03月25日(水)雨模様の一日。十時ころに市原のHCへ、猫の食料を購入するために出向く。雨が落ちて来るようなあいにくの空模様の中、大変な混みようだった。店員に尋ねると、本日は「5%」引きの優待日だという。ここにも物価高騰の現実があるというべきか。▼次年度予算の今月中の成立をもくろむ与党に対して、参議院「野党」勢力は「暫定予算編成」をしなければ審議に応じないと対抗。絶対多数の力が空回りする事態の上に、日米「密約」問題が表に出てきた。醜悪な政治の邪道を突き進んでいるこの国は、対アメリカでは回復不能な「卑屈」政治を取り続けるばかり。それ以前に「力による現状変更」絶対反対は国是とまで言ってきたことを思い出せ。国際法違反の戦争国に加担することを即刻辞めるべきだと思う。(1048)

◎2026年03月24日(火)かみさん用の車、フィットのタイヤ交換のために、自動車工場に車を持って行く。約一時間で3本の交換が終了。▼帰宅後は家にいて、ネットの番組を見ながら、時間を過ごす。(1047)

◎2026年03月23日(月)昨日の陽気が一転して「時々雨」という悪天候だった。午後も遅くなって日が差してはきたが、気温も低いままの一日。▼イラク戦争の行方は混沌としてきた。要はイスラエルの強硬姿勢にアメリカが一貫して引きずられているのだ。まさに「朝令暮改」を絵にかいたような米国大統領の定まらない発言が、一層事態を複雑にし、混乱させている。そんな米国の片棒(尻馬)を担いでいるのが日本。美しくないこと夥しい姿勢。醜悪ですらあるだろう。自衛隊のペルシャ湾派遣をめぐって日米で「いった」「いわない」の悶着があるが、言うまでもなく「密約」なんだから、それをばらしたアメリカの言い分が当たっているだろう。「【ニューヨーク=本間英士】米国のウォルツ国連大使は22日、米CBSテレビの番組で、ホルムズ海峡の航行の安全確保を巡り「日本の首相が海上自衛隊による支援を約束したばかりだ」と発言した。支援の具体的な内容や時期などについては言及しなかった。(中略)」「木原稔官房長官は23日の記者会見で、ウォルツ米国連大使の発言について「日本として具体的な約束をした事実はない」と否定した」とんだ「藪の中」さ。(産経新聞・2026/03/23)(1046)

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「GAFA」は「MAGA」の核になった

⁂ 週初に愚考する(112-b)~アメリカでかかる「議論」が表向きで巻き起こっているという事実は、国民が知らないところで、、きわめて秘密裏に「物事は進んでいる」ということを示しているでしょう。発明や発見は、ある時期から、そのほとんどは「民生用」のためではなく「軍事用」に開発されてきたのであり、その開発のおこぼれが民事に使われてきたとも言えます。本来なら使うことを躊躇する殺傷武器であっても、遠く離れたで執務室でボタン一つで操作できるなら、たぶん、想像を絶する「殺戮(加害)行為」も、心理的苦悩を和らげてくれるでしょう。現に今行われているウクライナ、ガザ、イランなどのそれぞれの戦闘地域で用いられ攻撃兵器のかなりの部分に「AI」が搭載されています。無人機がミサイルを搭載して、至るところに着弾している現実に、ぼくたちの心が震えなくなっているのは、どうしてでしょう。

【余録】人工知能(AI)を無制限に軍事利用させてもいいのか――。米新興企業アンソロピックとトランプ政権の対立劇は、AIの深刻なリスクを浮き彫りにした▲2021年に設立された同社は、AIの安全性を重視する「責任ある開発」を理念とする。昨夏から米軍向けにAIの提供を始めたが、大規模な国民監視や人間が制御しない「完全自律型兵器」に利用されないよう厳しい制限を付けた▲あらゆる軍事目的に使いたいトランプ政権は、この足かせを外すよう同社に圧力をかけ続けてきた。だが、最高経営責任者(CEO)のアモデイ氏は「良心に照らして、要求に応じることはできない」と拒否。今年2月に行われた最終交渉は決裂した▲トランプ大統領による意趣返しで、同社は政府機関との全ての取引を打ち切られた。国家安全保障を脅かす「供給網上のリスク」にも指定され、市場全体から締め出されかねない窮地に陥った。代わりに対話型生成AI「チャットGPT」で知られるオープンAIが「米政府の御用達」となった▲興味深いのはSNSの反応だ。オープンAIへの抗議活動「QuitGPT(GPTをやめる)」が湧き起こった。収益優先で軍事利用に甘い企業と見なされたからだ。アプリを削除する動きも広がった▲トランプ政権が法の支配を踏みにじり、世界で紛争が絶えない中、AIの軍事利用がなし崩しで進む懸念が高まっている。アンソロピックの警鐘を、日本を含む国際社会は重く受け止めるべきだろう。(毎日新聞・2026/03/29) 

 ぼくの個人的感想にすぎませんが、スマホが進化する過程は、生命殺戮兵器の開発と、その使用が一種の非人間化のプロセスに委ねられてきたという思いがとても強烈です。何であれ、生命を葬るという行為が、自らとの関係において間接的になればなるほど、「殺害への抵抗」は少なくなるでしょう。個人の生活範囲で、一本のスマホがどれほど豊かな時間を与えてくれるかを思えば、今からでは遅すぎますが、スマホをネットにつなげるべきではなかったのでしょう。同じことが「AI」の便利さや効率性に目を向けている、その瞬間に信じられないような「苦悶」「苦闘」が続いていたし、これからも続くと思われます。そして、結局は「権力」の一人勝ちを生み出すように、物事は「深く静かに」潜行していくとぼくは見ています。(左写真「アンソロピックのダリオ・アモデイCEO」Photographer: Chris Ratcliffe/Bloomberg)

 今回のアンソロピックと米政府の対立は一見すれば、人間の「良心」の微々たる勝利《優勢)のように見えますが、アンソロピックのCEOの元同僚が、ここぞとばかりに「政府と結託」している状況を見るにつけ、人間の知恵の悪用、あるいは悪用される知恵は、すでに引き返すことができない地点に至っているし、さらに無理にでもその先まで進もうとしている、愚かさの頂点を目指しているとぼくには見えます。

 (註 (ダリオ氏は)2014年11月から2015年10月までBaiduで働いていた。その後、Googleへ転職[8]。2016年、OpenAIに入社。/2021年、ダリオ・アモデイと妹のダニエラ・アモデイは、OpenAIの他の元メンバーとともにAnthropicを設立した。アモデイ兄妹は、2019年にマイクロソフトとOpenAIが行った事業に関する方向性の違いによりOpenAIを去った人々の二人だった。/2023年7月、米国上院司法委員会に対し、兵器の開発と管理にAIがもたらすリスクなど、AIの危険性について警告した)(Wikipedia)

  アンソロピックが米国防総省を提訴、供給網リスクの指定巡り 人工知能(AI)スタートアップの米アンソロピックは、米国のサプライチェーン(供給網)にリスクをもたらすと米国防総省から認定されたことを巡り、同省を提訴した。
  同社は国民の大量監視や完全自律型兵器へのAI利用の是非を巡って国防総省と対立。制限なしでの利用を求める国防総省の要求をアンソロピックが拒否したことで、同省が同社をサプライチェーン上のリスクに指定していた。
  このリスク指定は通常、米国が敵対国とみなす国の企業に適用されるものだ。アンソロピックは今回、この指定に基づき、同省および他の連邦政府機関がAI関連業務を他社に切り替える決定を下したことを不服として異議を唱えている。 
  「これらの措置は前例がなく、違法だ」と同社はサンフランシスコの連邦地裁に提出した訴状で指摘。その上で、政府が強大な権限を行使して企業を罰することを憲法は認めていないなどと述べた。
  トランプ大統領はアンソロピックが要求を拒否したことを非難。政府機関に対し、同社のAIツール「クロード(Claude)」の使用停止を指示していた。
  今回の訴訟では、国防総省のほか、十数の連邦政府機関も被告に含まれている。国防総省は現時点で訴訟に関するコメント要請に応じていない。
  アンソロピックはサプライチェーン上のリスクに指定された後、「クロードに対する前例のない需要が見られる」と明らかにしていた。同社が軍事AI利用の制限を巡り、政府に抵抗していることを支持する動きとみられる。
  一方、競合のOpenAIは、アンソロピックと米国防総省との対立を受けて、同省の機密ネットワークに自社のAIを導入することで合意したと明らかにした。だが、オープンAIのサム・アルトマン最高経営責任者(CEO)はその後、国防総省と契約を急ぎ過ぎたとして、合意に追加条項を盛り込む作業を進めていると述べている。(Bloomberg・2026/03/10)

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《人工知能(AI)分野で競合するOpenAIのサム・アルトマン最高経営責任者(CEO)とアンソロピックのダリオ・アモデイCEOだ。両氏は隣り合って立ったが、気まずい様子で互いに手を握ることを拒んだ。両氏の腕は互い違いに上がり、視線も合っていなかった。アモデイ氏はかつてOpenAIに在籍していたが、同社が商業化に傾き過ぎていると感じ、自らの会社を共同創業するため退社した経緯がある》   《現在、両氏は世界で最も企業評価額の高い未上場のAI企業を率いる。OpenAIの評価額は約5000億ドル(約77兆円)、アンソロピックは3800億ドルとされる。今年に入り、アンソロピックの一連の技術進展を受けて競争は激化した。特に同社の「Claude Code」の普及が拡大しており、市場導入ではOpenAIの「Codex」を上回っている。》(インドで行われたAIサミットで)(Bloomberg・2026年2月20日)

 (下写真「米ニューヨークのマンハッタンで2026年3月28日、手作りのプラカードを掲げてトランプ米大統領に抗議する人たち=田村剛撮影」朝日新聞・2026/03/29 )

 MAGAとGAFA(Big Tech)たちが、一人の狂気じみた大統領を嬲(なぶ)りものにして弄び、「地球」そのものを壊そうと躍起になっていると、ぼくには見える。早くは2016年の大統領選挙から、少なくとも2024年の選挙では足並みをそろえてGAFAは現大統領の足下にはせ参じ、莫大な支援の見返りに、さまざま恩恵を受けてきた。その最終段階に今到達しているともいえるのです。イスラエルの側に立って、大統領を全面的に包囲している、この「AI信者」たちは、お互いが鎬(しのぎ)を削りつつ、宇宙空間を含めて、地球の破壊と、その終焉に大きな力を尽くしていると思われます。

 よりによってこの時期に、権力に抱き着きたくなる面々が見せる「平和と戦争」の綱渡りが、あるいはしばらくは続けられるでしょう。右に転ぶか左に転ぶか、いずれにしても地球は思わない深手を負って、その歴史を突然に閉じることになるのかもしれません。(ブッダロイドは、この問いにどう答えますか?)(米国は中国に接近したがっている理由はどこにあるのでしょうか?)(「愚考」ばかりが続く、彌生の月末であります。山埜・註)

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今は人型ロボット時代なんですか

【天地人】僧衣を着たロボットが静かに合掌する。相談者が「人間関係がうまくいかない」と悩みを打ち明ければ、「相手との距離を見つめ直して」とそのロボットは助言する。◆京都の古刹(こさつ)で2月に公開された人型ロボット「ブッダロイド」は、仏教の教えを踏まえた言葉で人生相談に応じるという。開発したのは京都大などの研究グループ。対話型AI(人工知能)を応用し、僧侶の所作まで再現した。◆合理性と効率を追い求めてきたAIが、無常や慈悲を語る光景を想像すると、戸惑いを覚える。しかし、寺の減少や後継者不足が進む中、ロボットが儀式や相談を担い、人々の心のよりどころとなるとすれば、それも時代の一つのかたちだろう。◆青龍寺(青森市)の元住職・故織田隆玄さんは、こう嘆いていた。「ITが発達して便利な世の中になっているが、生きづらくもなっている。心を病む人が増えている」と。人が人に向き合い、言葉を尽くして教えを伝える場が失われていることへの危機感もあったのだろう。人が語らなくなった教えを、いま機械が語ろうとしているなら、どこか皮肉でもある。◆周りを見渡せば、交流サイト(SNS)を使った詐欺や人間関係のトラブルが後を絶たない。中東やウクライナでの戦争など気がめいるニュースが続く。「どうすれば世の中、良くなるのでしょう」。ついブッダロイドに問いかけたくなる。(東奥日報・2026/03/28)

⁂ 週初に愚考する(112)~ 最近はほとんど都会という「悪場所」「紅灯の巷」に足を踏み入れることがありませんから、世の中の人間模様がどういう具合になっているのか、ぼくは無知に等しい。今から二十年近く前までは勤め先が都心近くだったから、それなりの「世の変遷」「人生紙風船」を目の当たりにしていたという感覚を持っていました。仕事柄、多くの若者と接していた関係からいっても、「おや、どうも波長が合わないぞ」という人にたくさん出会ってきたように思います。もちろん、相手は正真正銘の「ひとさま(人間)」だったことはいささかも疑わなかったが、それでも「言葉が通じない」「付き合いの歩調・歩幅が合わない」、そんな怪訝な思いを持つことはしばしばでした。

 今は「人型ロボットの時代」かと思ってしまいかねない状況が現出しているといいます。ぼくなどのような、明らかな時代おくれ人間からすれば、「鉄腕アトム」を嚆矢として、「人型ロボット」は見るからに「ロボット然」としていたものだという想いこみがありましたが、今日、街中ですれ違っても、「今の人はヒューマノイド」だったかと振り返ってみたくなる、そんなある種の時代相(怖いもの見たさ)の中に多くの人間は生息しているのではないでしょうか。昨日の東奥日報のコラム「天地人」には最新の人型ロボットの話題が出ていました。うかつにも、その発信元は京都だったと思い知らされ、いくつかのニュースソースを探った次第。「合理性と効率を追い求めてきたAIが、無常や慈悲を語る光景を想像すると、戸惑いを覚える」(「天地人」)と、コラム氏は率直な感想も吐露されています。

 京都発の「ブッダロイド」の登場でした。さすがに「宗教の都」「抹香くさい都」でもある、京都ならではの時代状況・背景が「坊さんロボット」を生み出したのでしょう。「寺の減少や後継者不足が進む中、ロボットが儀式や相談を担い、人々の心のよりどころとなるとすれば、それも時代の一つのかたちだろう」と、案外好意的な受け止めをされているのは、どんな事情があってのことだろうかと、やや訝(いぶか)しくも思うものです。ぼくはそれほど「お寺さん」と付き合いをしていませんので、事情には疎い人間ですが、それでも京都の両親の「お墓」を管理してもらっている手前、まったくの疎遠にもならないで、きわめて消極的付き合いに終始してきました。ぼくの想念では、いずれ「お墓」は消滅してゆく運命にあると思われますから、たぶん「ブッダロイド」の世話になることはないでしょう。今の住職だって、考えようによっては、昔から、立派な「ブッダロイド」だとぼく自身は考えていたし、ブッダロイドもやがては、堕落して「高額なお布施」を強要することになりかねないなどと、余計なこと、無粋なことまで考えてしまうのです。

仏教AIヒューマノイドロボット「ブッダロイド」の開発―身体性を獲得した仏教AIと対面での触れ合いを実現― 熊谷誠慈 人と社会の未来研究院教授らの研究開発グループは、株式会社テラバース(代表:古屋俊和)と共同で、多数の宗教AIプロダクトを開発してきました。2021年3月に開発した仏教対話AI「ブッダボット」に続き、2022年9月には仏教AR(拡張現実技術)の「テラ・プラットフォームver1.0」を開発、チャットに加え、視覚・聴覚コミュニケーションを実現しました。/この度、京都大学熊谷ラボ、株式会社テラバース、株式会社XNOVA(代表:八鳥孝志)の研究開発グループは、仏教AIヒューマノイドロボット「ブッダロイド」を共同開発しました。本ロボットは、Unitree Robotics社製のUnitree G1ヒューマノイドロボットに、ブッダボットを搭載した、仏教AIヒューマノイドロボットです。AR技術によって、すでに視覚・聴覚コミュニケーションを実現していましたが、チャットボットやAR、VRでは得られにくかった「身体性」を獲得したことで、対面環境における身体的存在感を伴う相互作用が可能となりました。将来的には、人間の僧侶が行ってきた宗教儀礼の一部を補助・代替していく可能性も想定されます。/本成果は、2026年2月5日開催の国際シンポジウム「University of Zurich – Kyoto University Symposium 2026」にて口頭発表されました》(KYOTO UNIVERSITY・2026年02月25日)(https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2026-02-25

 考えようによっては、坊さんは元来が「仏陀の教え」を丸暗記して「人を見て法を説く」風がありましたから、まんざら「AI 型僧侶」の雰囲気がなかったとも言えないでしょう。「般若心経」にはこう書いてありますから、人間というものは欲をかいて(欲張って)はいけませんと、自分を棚に上げてご高説(借り物なのに)を垂れる始末。たぶん「ブッダロイド」も似たようなものでしょう。人かロボットか、判然としない「人型」に囲まれて、おそらく人類はすでに長く生きてきたし、さらに深くその影響を受けることになるのでしょう。「AI」でなければ「現代」ではないよといわれかねない、危ない風潮は、何も今に始まった現象ではないでしょう。平安時代には「有職故実」などといわれて、過去の知識・慣習の集大成のようなものが重宝され、それに通じている人を大いに尊重もしていた。「人型ロボット」「ブッダロイド」らしき存在の歴史は延々と続いてきているとも言えます。

◎ 有職故実【ゆうそくこじつ】= 古来の儀式・礼法の典型的方式。それを研究する学問。初め有職は有識と書き,歴史や故事に通じた人を,また故実は礼式の手本となる前例を意味した。公家については藤原実頼(さねより)(小野宮流)と藤原師輔(もろすけ)(九条流)が有職の祖とされる。現存最古の儀式書は《内裏式(だいりしき)》。《九条年中行事》《小野宮年中行事》《禁秘抄(きんぴしょう)》などが有名。中世,武家の有職故実も重んじられ伊勢・小笠原氏が有職家として成立。江戸時代塙保己一(はなわほきいち)編の《武家名目抄(みょうもくしょう)》は鎌倉以後の武家故実の書として有名。(百科事典マイペディア)

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 (以下の写真はすべて「人型ロボット」です。全部が「中国製」」であり、不思議なことに「女性」、しかも「若そうな女性」ばかりなのが、ぼくには実に奇妙に思われました。こんな「女性(ロボット)」が街を歩いていたり、自宅に住んでいたりすると、どういう仕儀になるのでしょうか。人とロボットのアマルガムが、いずれ大挙して誕生しそうな時代の流れであり勢いです。あなたの傍に、すでにいるのかもしれないし、乗っているタクシーを運転しているのも「人型」です。ありがたいお経をあげてくれるのも、コンビニのレジに立っているのも、ほとんどが「人型」だという、そんな時代に、ぼくは好んで住みたいとは全く考えません。もちろん、イラクやガザ、ウクライナで盛んに殺戮を繰り返しているのも「殺人ロボ」でしょう。それを動かしているのは「人間の皮を被った畜生」ですよ。何んという時代・社会にぼくたちは生きていることでしょう。「必要は発明の母(Necessity is the mother of invention.)」といいます。そして「発明は必要の父(Invention is the father of necessity.)」とも言います。人間の生み出すものは、いつだって「善悪両用(Everything has two sides, both good and bad.)」なんですね。

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◎ ひとがた‐ロボット【人型ロボット(humanoid robot)】=外見や動作を人間に似せたロボットの総称。二足歩行ロボットなど。また近年、人工知能の急速な発展により、人間と会話をしたり、相手の表情などから感情を読み取ったりする機能をもつものも開発されている。人間型ロボット。ヒューマノイドロボット。(デジタル大辞泉)

アンドロイド(あんどろいど)(android)= ヒューマノイドロボット(人間型ロボット)の一種。ギリシア語のandròs(人間、男性)からの合成語である。ロボットには用途に応じてさまざまな姿をしたものがあるが、そのなかで姿かたちが人間に似ているものをいう。現在では非生物起源で機械仕掛けの人間型ロボットをアンドロイドとよぶ場合が多いが、本来は、化学的、生物学的に合成され、血と肉をもち、人間の姿かたちをした人造人間をさした。アンドロイドが登場する代表的な小説としては、シェリー夫人の『フランケンシュタイン』(1818)、チャペックの『R・U・R(えるうーえる)(ロッサムの万能ロボット会社)』(1921)、のちに『ブレードランナー』(1982)というタイトルで映画化されたディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(1968)などがある。漫画の世界では手塚治虫(おさむ)の『鉄腕アトム』(1951)、平井和正原作、桑田二郎作画による『8マン』(1963)が代表的な作品である。映画では『ターミネーター』(1984)が有名である。アンドロイドはサイボーグと混同される場合があるが、姿こそ人間そっくりであるにせよアンドロイドはあくまでもロボットであり、人間の組織の部分が存在しない。したがって、同じように警官としての意識をもっていても、人間の頭脳をそのまま搭載している、映画『ロボコップ』(1987)の主人公ロボコップはサイボーグであり、電子頭脳に人間の記憶をそっくり移植した8マンはアンドロイドである。(日本大百科全書ニッポニカ)

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 《ブッダの教えもとに悩みに助言 ヒト型ロボット開発 京大教授ら ブッダの教えをもとに、人間の相談や悩みに助言をするヒト型ロボット「ブッダロイド」を開発した、と京都大学などの研究グループが発表した。音声での対話が可能で、二足歩行や合掌などの動作もできる。研究グループは、将来的には、僧侶が行う宗教儀礼の一部を補助したり、代行したりすることが期待できる、としている。/ロボットを開発したのは、京都大「人と社会の未来研究院」の熊谷誠慈教授と、民間企業でつくる研究グループ。熊谷教授らは、2021年に、釈迦と弟子の問答を記した仏教経典を、非生成のAI(人工知能)に学習させて「ブッダボット」をつくった。その後、生成AI「チャットGPT」を活用し、より進化した「ブッダボットプラス」も開発している。/ブッダボットプラスは、文章を書き込む形式で、質問や相談をすると、内容にあった経典や、その解釈、追加の説明を示してくれる。/ このブッダボットプラスを、中国の企業がつくったヒト型ロボットに搭載したのが、ブッダロイドだ。/ 身長約130センチ、重さ約35キロ。言葉をかけると、音声で応答する。ゆっくりと歩くことができ、合掌、お辞儀といった所作も身につけている。(以下略)》(朝日新聞・2026/03/08)

◎ ぶっ‐きょう‥ケウ【仏教】〘 名詞 〙 仏語。仏陀が説いた教え。仏となるための教え。世界三大宗教の一つ。紀元前五世紀、インドのシャカ族出身のゴータマ=シッタルタが悟りをひらいて釈迦牟尼仏となり、教えを説いたことに始まる。人生は苦であると悟り、その原因、解脱(げだつ)の方法、解脱した涅槃(ねはん)の世界を見きわめることを説く。仏陀を中心にした当初、男僧(比丘(びく))・尼僧(比丘尼)が教団を構成し、出家に帰依した在家信者が物質的援助によりこれを支えた。仏陀の亡きあと、教団が分裂し、いくつもの部派に分かれて教学が展開された。紀元前三世紀のアショカ王によりインド各地のみならず東アジアに広く伝播され、紀元前後に大乗仏教が発生した。ここにそれまでの伝統仏教は小乗仏教とよばれ、スリランカ、ミャンマー、タイなど南アジアを中心に広まり、大乗仏教は中央アジア、中国、チベット、朝鮮、日本へと伝わり各地の土俗信仰を取り入れた。大乗仏教の出現とともに釈迦牟尼以外に阿彌陀・薬師・観音・勢至など多数の仏や菩薩が説かれたが、密教の時代になると、それらはすべて大日如来を中心とする曼荼羅の思想にまとめられた。日本には六世紀半ばに伝わり、奈良時代までは学派仏教としての性格が強い。平安初期に成立した天台・真言両宗に至り宗派的性格を生じ、鎌倉時代の諸宗派に至って大衆の宗教へと発展した。明治以後、多数の新興仏教が生まれたが、多くは在家教団の性格が強い。(精選版日本国語大辞典)

 この「ブッダロイド」におけるようなAI技術の利用を「民生に善用する」ものと、単純に言い切ることは現段階でも不可能ですけれど、仮に行ってみると、片方においては、「軍用に悪お湯する」という側面も深く深く進攻しています。この両面は「科学技術」の両面であって、切り離せないものでもあるのです。往々にして、ぼくたちは「善用」を強調しがちですが、「善用」を隠れ蓑、あるいは後ろ盾にして軍事的に様々な方面で用いられているのも事実です。今の耳朶、純粋に科学といわれる領域はおそらく存在が困難で、必ず、そこには技術というものが付いて回るのです。したがって、「技術」というもの、それによって生み出されたものは、いずれにおいても「諸刃の刃(Double-edged sword)」であることを、忘れてはならないでしょう。「核」の所有は、一方では香華供養であるし、他方では抑止(防御)の武器でもあるのです。この矛盾の連鎖から、抜け出せるほど人間は賢くないのも事実でしょう。(左上図は日経新聞・2025年8月7日)

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見返れば寒し日暮の山桜(来山)

 【写真いっぱい】ざわめく花の海 ひょうたん桜見頃 高知県仁淀川町  標高約400メートルの山里に広がるピンクの花の〝海〟が、柔らかな風にざわめく。仁淀川町桜の名木「ひょうたん桜」が、今年も大勢の人を出迎えている。/ひょうたん桜は樹齢500年といわれるエドヒガンで、樹高21メートル、根元周り6メートル。周囲には、種から育った〝子どもたち〟とソメイヨシノなど計約250本が咲きそろい、山肌を染める。仁淀川町観光協会によると、見頃はあと1週間程度という。/40年ほど前からたびたび訪れているという、いの町の70代姉妹が桜に囲まれたベンチに座り、ぽつぽつと言葉を交わしていた。「子どもがちっちゃかった頃は周りの木も小さかったでね」。子が育ち、孫ができ、自身も年を重ねた。ひょうたん桜に会うと、いろいろな思い出がよみがえるという。/だから「今年も会いに来たよ」。雲が流れ、時がゆっくりと過ぎてゆく。(森本敦士)(高知新聞・2026/03/27)
(ヘッダー写真も)(https://www.kochinews.co.jp/article/detail/985524)
 

 《 由来 樹齢約五百年、樹高21m、根元廻り6m、県の天然記念物にも指定されているエドヒガンの古木です。花の萼筒(がくとう)下部(基部)が球状に膨らみ、横から見るとひょうたんの形をしていることから、いつしか「ひょうたん桜」と呼ばれるようになりました。また、「ひょうたん桜」のある地区は元々「大藪」という字名でしたが、この桜にちなんで昭和33年に「桜」と改称されました。見ごろ 見ごろは例年3月下旬~4月上旬です。シーズン中は大変混み合いますので時間に余裕を持ってお越しください。また一方通行のご協力をお願いします 》(仁淀川町)(https://www.town.niyodogawa.lg.jp/life/life_dtl.php?hdnKey=948

 表題句は小西来山(こにし‐らいざん)作。小西来山(1654~1716)「江戸前期の俳人。大坂の人。通称伊右衛門。別号、十万堂・湛々翁(たんたんおう)など西山宗因の直門となり談林風の句を作ったが、のち蕉風に近い句境を示した。句文集「今宮草」「津の玉柏」など」(デジタル大辞泉)(左は「近世畸人伝」岩波文庫版)

 しばしば「花冷え」などと称されて、花見時のある日には、季節が逆戻りしたのではないかと思わせるように「寒さ」がぶり返すことがあります。特に日差しがなくなれば、ひときわ寒さが募る。もちろん、この「日暮れの山桜」は深山幽谷に咲くそれではないのは確かでしょうが、日が傾き加減になれば一層、冷えが感じられてくる、その瞬間をとらえた風景・風情ではないでしょうか。。豪華絢爛でもなければ、桜花爛漫でもない、堂々たつ屹立ぶり「山桜」の佇まいに圧倒されるような静かさをも含まれている、そのような「寒し」かもしれません。

 「近世畸人伝」(伴蒿蹊著とされる)には、「著名な登場人物としては、正編では中江藤樹・貝原益軒・僧鉄眼・小野寺秀和妻・遊女大橋・売茶翁・金蘭斎・柳沢淇園・池大雅・祇園梶子などが登場し、続編には石川丈山・佐川田喜六・僧元政・本阿弥光悦らが登場する」(Wikipedia)小西来山も登場する、もちろん「畸人」として。同じ辞書によると、「酒好きで、酔っているところを見とがめられて入獄させられるが、自ら名前を言わず、3日ほど拘留された。門人があちこち探し求めて来山を助け出し、『大変だったでしょう』と言ったところ、『自炊しなくて済んだので気楽だった』と応じたという」「大晦日、門人から雑煮の具を送られたが、その日のうちに酒の肴として食べてしまった。来山は『我が春は宵にしまふてのけにけり』と一句読んだという」「同書の中で、来山は『ひとへに酒を好む』『すべて文章は上手』『行状にくらべておもへば、老荘者にして、俳諧に息する人にはあらあざりけらし』と評されている」とありました。ぼくにはとても興味のある御仁のようであります。『近世畸人伝』は 岩波文庫で読めますね。

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 学生の頃、それこそ西洋音楽に耽溺・沈没していました。東京に来てから、同級生で、東京生まれで音楽好きな友人がいたこともあり、無知そのままで、いきなり西洋音楽のど真ん中に放り込まれた感があった。好き放題にレコードを買いつつ、暇に明かせて聞き続けていたと思う。(半世紀以上も前だったが、当時のLP一枚が2000円ほどだったから、ぼくにはかなり高価でしたね)もちろん、音楽史に関しては全くの無知識で、文字通り右も左もわからないで、ひたすらレコード屋に通いながら、なけなしの小遣いからレコードを買いためては聞きかじる、そんな野放図な生活を何年続けたでしょうか。やがて、やや見通しがついて、バッハのほうがモーツアルトより先に生まれたとか、彼はドイツ人だが、モーツアルトはウィーン生まれだとか、古典派と浪漫派はこんなに違うのだとか、バロックはバラックと異なり、なかなかに形が整っているのだなどと、いろいろ無用な知識も増えだしていたころ、何冊かの書物に夢中になった。

 その一冊はアンリ・ゲオン(Henri Ghéon)という評論家・劇作家の「モーツアルトとの散歩(Promenades avec Mozart)」(高橋英郎訳、白水社、1964年刊)だった。もちろん、今も家にあるが、本当に夢中になって読んだし、フランスから原書を取り寄せることまでしたものでした。この本を読んでいろいろなことを教えられた。確か「疾走する悲しみ」などという洒落た表現もその一つだったと思う。スタンダールが言い出したらしいが、ゲオンの本で強烈な印象を与えられた。

 「(フルート四重奏曲ニ長調K285)第1楽章(アレグロ)は、1787年の無二の傑作『弦楽五重奏曲ト短調』K516の冒頭部アレグロの最高の力感のうちに見出される新しい音を時として響かせている。それはある種の表現しがたい苦悩で、流れゆく悲しさ(tristesse allante)、言い換えれば、爽快な悲しさ(allegre tristesse)とも言える《テンポ》の速さと対照をなしている。この晴れやかな陰翳という点からみれば、それはモーツァルトにしか存在せず、思うに、彼のアダージオやアンダンテなどのうちのいくつかをよぎる透明な告白よりもずっと特殊なものである」(ゲオンの著作より)(高橋さんの翻訳に疑義があることは知られているが、ぼくはそれを知りつつ、そのままで通しています)

 「疾走する悲しみ」は小林秀雄さんのエッセイでやたらに有名になりましたが、当然、ぼくは小林さんにもイカレテイタ時代でした。彼の数ある評伝の中でも代表作とされた「モオツァルト」(1949年発表)」は、それこそ繰り返し読んだものです。大学に入学した時期、あるいは小林さんの全盛期だったかもしれません。ある雑誌には「考えるヒント」と出して随筆を書かれていたし、ぼくはよちよち歩きの愛読者だったと思う。そこには江戸期の思想家、国学者、儒学者などが並んでいて、ぼくはそこに、宣長や徂徠などに近づく道を見出したと思っている。

 (⁂ モーツァルト:フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 K.285 ~第1楽章 )https://www.youtube.com/watch?v=RC6g44hShu8&list=RDRC6g44hShu8&start_radio=1

 (フルート奏者のオーレル・ニコレに、ぼくはぞっこんでした。当時一世を風靡していたフランスのジャン・ピエール・ランパルとはおよそ対局的な音色を奏でる奏者で、若かったぼくは本当に「音楽」の魅力というものに取りつかれるようになったのは、ニコレに出会ってからだと思う。フルートの華やかさの一方に、くすんだ渋さもまた魅力的に感じられてくる、それを体現していると思われる、彼の演奏の魅力を語ると、これまた際限がないので、それはしない)

 そんななかで、当時もよくわからなかったが、音楽理論を勉強しようとして定評のある書物を読みだしてもいました。その中の一人がアルフレッド・アインシュタインでした。バッハ研究の大家だった。ほとんど歯が立たなかったが、彼の残した言葉(遺言)だけは鮮明に記憶に残り続けました。どこかで、彼は「死ぬというのはモーツアルトが聞けなくなることだ」といっていた。若さしか取り柄のなかったぼくは、この「言葉」に足を掬われたと思った。モーツアルトの音楽が持っているであろう「深い闇」「哀しみ」のようなものを感じたのかもしれません。多くの人はモーツアルトの「明るさ」「輝き」を語るけれど、ぼくはその輝きや明るさを色濃く鮮明にしている、その「暗さ」「悲しさ」「哀しさ」にこそ、彼の本領があるのだと思うようになっていきました。「そうか、モーツアルトが聞けなくなること、それが高名な音楽学者には死を意味しているのか」と、ゾッとする想いで、その言葉を心に焼き付けてきたのではなかったか。(と、こんな取り留めもないことを駄弁っていけば、きりがありませんから、ここで打ち止め)

◎ アルフレッド アインシュタイン(Alfred Einstein)1880.12.30 – 1952.2.13=米国の音楽学者。スミス・カレッジ音楽教授。ミュンヘン生まれ。物理学者アインシュタインの従兄弟。ザントベルガーに師事し「音楽学雑誌」の初代主幹や音楽批評家として活躍したのち米国に帰化。高い学究的態度は現代音楽学者の中にゆるぎない地位をしめる。主著は「イタリアのマドリガル」「ケッヘル作品目録第三版」等。(20世紀西洋人名事典)

 (左上のアインシュタイン著「モーツアルト その人間と作品」に関して、ちょっとした、つまらない「エピソード」があります。この本の翻訳(代表)者は A 氏でした。哲学と文学では造詣の深い方だったが、その人の門下生に当たる人でぼくの先輩(ドイツ語教師だった)がいました。何かの折に、Aさんの訳した何冊かの本を読んだことを話した。どうも翻訳がよくわからなかったので困ったとか何とか、そういうと、先輩は気まずそうな顔をして、実はあれは「ぼくが訳した(下訳した)んです。どうも申し訳ありませんでした」と頭を下げられた。この人も、当時もワグナー研究ではいくつも仕事されていた方だったから、ぼくは、実に赤面することしきりでした)

 書かなくてもいいことを並べてしまいました。高知は仁淀川の「ひょうたん桜」が見事に咲いたという話です。ぼくは、あの桜、この桜という具体的な対象ではなく、数多くの桜を自分なりに見てきて、ある時「はっと気が付いたこと」があったのです。アインシュタインの遺言はすっかり忘れていたと思いますが、五十歳を過ぎてからだったと思うが、「死ぬということ」について折に触れて考える機会が多くなりました。大病したとかというのではなく、いつ寿命が尽きるか、それを少しは考えながら生きていかねばと思ったのかもしれません。恥ずかしい限りですが、ぼくは酒飲みで、それもやや大酒飲みに近い傾向がありました。もちろん、自分ではアル中だと思ったことはなかったのは、のべつに、四六時中酒浸りということが全くなかったからでしたが、その懼(おそ)れはなくはなかったでしょう。だから意識してではなかろうが、ある時期から酒量は増えることはなかったと思う。そして、七十前にして、一切酒を断ってしまいました。

 そんな時期に「ぼくは、あと何回、桜が見られるだろう」と思ったのでした。おそらくアインシュタインの「遺言」がどこかに残っていたのかもしれません。以来、桜の季節になると、しみじみと、これまで見た桜や、桜にまつわる話に引き付けられることが多くなりました。各地の有名な桜を直接見に出かけることはまずなくなった。繁華街の雑踏にまみれるような雰囲気が我慢ならないからでしたが、一人でひっそりと咲いている桜を見る、その深い楽しみをぼくは知るようになった、そちらのほうが強かったでしょう。モールアルトの音楽を聴くと「疾走する悲しみ」が襲ってくると誰彼は言いましたが、桜を見るとき、ぼくは何を考えるだろうかと、あらぬ想像を巡らせもするのです。一枚の「写真」だけでもぼくは大満足します。高知新聞の「ざわめく花の海 ひょうたん桜見頃」を読んでいるだけで、ぼくは「ひょうたん桜」の見事さを感じてしまいます。

 よくよく見れば、この「ひょうたん桜」の周囲には溢れるようなな車と人がいる(ある)。それが目に入らないだけでも幸せですね。そして、拙宅にある名もない桜たちが、およそ十本ばかり、それこそ、ひっそりと咲いて、誰知らず、誰に知られもしないで散る。この風情を一瞬でも見られれば、ぼくは生きているという感覚を確かめることができるのです。家の近くにも市営公園があり、「桜祭り」が広報・宣伝されています。でも、ぼくは出かけることはしないでしょう。よく晴れて穏やかな日があれば、拙宅近くの雑木林に、それこそ誰にも知られないで咲いて散る桜たちに逢ってこようかと考えている。

 若いころ、それこそなぞるようにしてその著書を読んでいた小林秀雄さんが、どこで書かれていたか、倫理的なものは美しいものだし、美というのは哀しいもの(倫理的)だという表現に、ぼくは、あることがらがわかったような気がしたことがある。モーツアルトの「疾走する悲(哀)しみ」も、「桜花」を見ているときにぼくを襲う感情も、どこかで通じ合っているに違いありません、それが「哀しみ」だなどといってしまえば、嘘くさくなるのだが。

 (言わずもがなのことですが。小林さんは最晩年に長年雑誌連載していた「本居宣長」を大部の単著にして完結させた。その折に、彼は連載中は誰も何も言ってくれなくて、とても孤独な作業だった。しかしなぜだか、一冊の大著になったら、とてもよく売れて、著者ながら驚いている。「よく行く鴨倉の「呑み屋」のおかみまでが買ってくれた」といって笑っておられた。「著者としてはまことに光栄で、読まなくても買ってくれればうれしいですよ」と言っていたことが昨日のように思い出されます。ところが、しばらく後になると、何人もの著名な評論家や文学者が「本居宣長」の欠陥や、間違いなどをしきりに論(あげつら)うということが起こった。生前、小林さんは「批評の神様」と崇(あが)められ、懼(おそ)れられていたが、「神様」も冥界に入ると散々な悪口をぶつけられるものだなと、ぼくは苦々しく思ったことでした。

 批判はいつだって自由ですが、死んだことを確認して、死者に石を投げなくてもいいじゃないかという気もしました。名前は出しませんが、この人までもが、こんなことをいうのかと、ぼくはなんというさもしいことかと、つらつらその評論家に仕事ぶりを顧みたことがあったほど。醜い所業というべきではないでしょうか。「連載中は、誰も何も言ってくれなかった。とても孤独な仕事だった」という小林さんの遺言は、ぼくにはとても印象的な響きを持っていました。

◎ 小林秀雄(こばやしひでお)[生]1902.4.11. 東京 [没]1983.3.1. 東京 評論家。 1928年東京大学仏文科卒業。 29年『改造』の懸賞文芸評論に『様々なる意匠』が2位当選。1位で当選した宮本顕治らのプロレタリア文学と新興芸術派の対立を「様々なる意匠」とみてともに退け,リアリズムは言語の概念性を剥奪した独創とともに成り立つと主張,正当な西洋近代文学移入の開祖的存在としてスタートを切った。 33年,林房雄,川端康成,武田鱗太郎らと『文学界』を創刊,『私小説論』 (1935) ,『ドストエフスキイの生活』 (35~37) などを発表。やがて第2次世界大戦の進展とともに日本的伝統美に沈潜,戦後は『モオツァルト』 (46~47) ,『ゴッホの手紙』 (48~52) ,『近代絵画』 (54~58) ,『本居宣長』 (65~78) などを相次いで発表。ほかに『文芸評論』 (1931) ,『歴史と文学』 (41) ,『私の人生観』 (49) ,『考へるヒント』 (59~64) ,対話『人間の建設』 (65) など。 51年日本芸術院賞受賞。 59年芸術院会員。 63年文化功労者。 67年文化勲章受章。(ブリタニカ国際大百科事典)

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Yesterday Once More(昨日を生きる)

 たぶん、25歳ころから、当時、ぼくはある大学の助手というものをしていたのだったが、先輩教師に依頼されて、非常勤講師を務めたのだ。ぼくは都内の医科大学付属の看護学校で授業をするようになった。それは新宿にあった、いまもある学校で、授業は夜間だったと思う。ぼくよりも年長さんと見える学生もいた。担当したのは「教育学」という科目だったと記憶しているが、要するに文化人類学や歴史学のような、何でもありの内容だったという気もしている。そこを数年で止めて、しばらくたってから、その看護学校に勤めておられた看護師(女性教員)から電話があり、実はこの度新しい看護学校を開設するので、手伝ってもらえないかという話だった。江戸川区の中川(青砥)べりにあった。ぼくはその学校で、とうとう、約20年間、学校が閉鎖されるまで授業を担当した。ある時期から入試問題の出題や採点まで担当するようになった。若気の至りでとても恥ずかしい授業ぶりだったが、そこにおいて、ぼくは色々な経験を積んでいたので、これはぼく自身の「学校」だったと改めて思っている。近年も事情はあまり変わらないようだが、看護職は激職で、そんな職場に若い方々が飛び込まれるのかと思えば、無い知恵を振り絞ってでも授業を続けねばと考えることもあった。

 本日、千葉日報の「忙人寸語」を読んで、若いころのつたない経験を思い出した。「アジアからの留学生44人が船橋市内の福祉専門学校を卒業。介護福祉士として県内の高齢者施設に就職する」とある。日常的に車で通る街道筋にもいくつかある「介護施設」も幾か所かは閉じられたりして、この領域の先行きを心配していたのだが、若い人が少ないうえに、厳しい職業だから、さて、どうすればいいのかと、勝手に考えていた。ぼくは大学を早く辞めて、できれば「老人施設(ホーム)」を開所したいなどと、あらぬことを空想していた時期がある。そのために土地も手当てしていたが、事情が許さなくて、その仕事は中断してしまった。「貴重な福祉人材ながら肌の色などから施設利用者に驚かれ、忌避されることもあるとか。(専門学校)教員は『彼らには異国で生活するバイタリティーがある。乗り越えて利用者と関係をつくっていきます』」と、その貴重な働き手に期待している雰囲気が当方に伝わってくる。

 このコラムを読んで、最もうれしくなったのは、ある留学生の決意であった。「困っている人の世話をしようと思った」という。ぼくの直感では、この人は女性です。ぼくは勤め人時代、しばしば学生諸君に「いい人とはどんな人のことですか?」と聞き続けていた。あまりにも単純・素朴な問いだったから、学生たちは困惑し、考え込んでいたのが、不思議だった。いろいろと考えあぐねて、それらしいことを口にするものが大半だったが、ぼくは、これではなあ、と嘆息するばかりだった。実に単純明快であって、いい人とは「困っている人の世話をしよう(と思った)」、これだけのこと。これを職業にするというのであるから、ぼくは感心もし、応援もしたいと思うほどだった。

【忙人寸語】門出 きょう27日は「3×9(さく)=27」の語呂合わせなどから「さくらの日」。公益財団法人日本さくらの会が1992年に制定した▼桜が見守ってきた卒業、入学、就職などさまざまな門出。この時期、人生の節目を迎えるのは日本人だけではない。アジアからの留学生44人が船橋市内の福祉専門学校を卒業。介護福祉士として県内の高齢者施設に就職する▼「社会人になり不安もあるけど元気に頑張る」「勉強や生活のことを親身に教えてくれて感謝」「ここでの学びと出会いは宝物」。留学生が教員に贈ったメッセージは、彼らが決して特別な存在ではないと教えてくれる▼寄せ書きの日本語も丁寧で読みやすい。我(わ)が悪筆が恥ずかしいほど。「施設では記録を取る必要があるので。学生時代は遅刻をしても就職するとまじめに仕事をします」とベテラン教員は保証する▼貴重な福祉人材ながら肌の色などから施設利用者に驚かれ、忌避されることもあるとか。同教員は「彼らには異国で生活するバイタリティーがある。乗り越えて利用者と関係をつくっていきます」▼「日本語学校の時に説明会を聞いて決めた」「困っている人の世話をしようと思った」。留学生たちが介護の道を選んだ理由はさまざま。それでも「いい介護福祉士になる」と決意を口にする。その目の輝きは今春巣立った多くの日本人の若者と変わらない。(千葉日報・2026/03/27)

 ぼくは千葉県に住んでいて、県紙である「千葉日報」にはほとんど触れてこなかった。時には駄文を書こうかなと思わないでもなかったが、ついに本日初めて(ではないかもしれないが)、ここに引用・紹介することにした。三月某日、各地各所で「門出」の日が続く。文字通り<Departure>だ。旅立ちとも出立ともいう。教師になりたてのころ、ある年の卒業生に「餞(はなむけ)」の言葉をせがまれた。とっさに出てきたのが「卒業(終わる)(finir)」とは「始めること(commencement)」というたぶん、フランス語だった。何かを終わることは、新たにに何かを始めることという意味、そんな他愛もないことを話したことがあった。終わりばかりを評価するのでもなく、始めることばかりを強調するのでもない、終わり(過去)は始まり(現在)であり、未来でもあるということを、ぼく自身は今で強く思い込んでいる。

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 この「忙人寸語」を読んでいると、突然ぼくの中に<Yesterday Once More>が鳴りだしたのには、驚いた。「若かったころ私はラジオに耳を傾けた 好きな曲を待ち焦がれていた 歌が流れればあわせて歌った それだけで楽しかった」「とても楽しかった時間 それほど遠い昔ではなかった そんな時間はどこに行ってしまったのだろう しかしまた帰ってきた 付き合いが消えていた昔の友達のように とても好きだった歌の数々」若くして亡くなったカレンさんの声が耳に届く。この曲の意味はどこにあるのか、ぼくにはよくはわからない。でも、それこそ、若いころによく聞いていた曲が、今この時期に聞こえてくるというのは、…。この曲が発表されたのは1973年だった。勝手な推測だが、この社会、この国にも、かつては困っている人を助け、「相身互い身(mutual support)」と支え合った時代があったことを、ぼくに思い出させてくれたのだろう。

 みんなが貧しかった時代、先駈けの功名に走るものも、他者に抜きん出ようという輩もいなかった(少なくとも身近には)し、不登校もいじめもストーカーも、外国人排斥も、まったく見知らぬ世界の出来事だったことを、ぼくは懐かしく、恨めしく思い起こしている。「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだのは菅原道真さん。世の中は変わるものだが、人の心持ちもまた、変わるものかわは。ぼくたちは、いつも今よりも新しい時間を生きていると思っている。でも、本当はいつだって「昨日を、もう一度生きなおしている」のだが、そうな思わないか。<Yesterday Once More

 歴史とか経験というものは、いつだって、すでに過ぎ去ったところから、ところに「生まれる」のだ。ぼくはそう考えている。「未来」というのは「過去」ことだし、「現在」という時間帯(軸)には過去と未来が重なっているのだともいえる。時間とは徐々に進む(前に行く)のではなく、過去を生み出し、歴史を刻んでいるというべきだ。

 <All my best memories Come back clearly to me Some can even make me cry Just like before it’s yesterday once more>(「最良の思い出は はっきりと私の中によみがえる それらのあるものは 以前(昔)のように 私を悲しくさせるけど もう一度過ぎた日を」) 過ぎた日々をうまく思い起こせなければ、ぼくたちは色々な面で生活に支障をきたすことは避けられない。現在の足場は過去にあるのだと、いまさらのように肝に銘じている。

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(⁂ The Carpenters – Yesterday Once More:(https://www.youtube.com/watch?=YTaWayUE5XA&list=RDYTaWayUE5XA&start_radio=1

Yesterday Once More

When I was young
I′d listen to the radio
Waitin' for my favorite songs
When they played I′d sing along
It made me smil

Those were such happy times
And not so long ago
How I wondered where they'd gone
But they're back again
Just like a long lost friend
All the songs I loved so well
Every sha-la-la-la
Every whoa-ooh-whoa
Still shines

All my best memories
Come back clearly to me
Some can even make me cry
Just like before, it's yesterday once more
(The following omitted)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII