
3月31日(火)、年度最終日。特別に感慨があるはずもない。明日は年度初めですから、まるで「大晦日」と「元日」みたいなもので、ぼくにとっては「今日」と「明日」でしかありません。毎日の中の一日であり、掛け替えのない一瞬であることに変わりはありません。そんな本日に、二十年ほど前の卒業生が訪ねてくる。都内の公立の小学校教師。明日からは別の区立小学校に転勤するという。そのためもあって、会いたくなったと連絡が一週間ほど前にありました。
(生憎、天気予報では劣島を西から東に「前線」を伴った暴風雨が縦断するという。都内も暴走(房総)半島も例外ではない。「無理をしないで」とメールを出して置いたら、「嵐ですか、知りませんでした。頑張ります」という意味不明の返信が届いた。いかにも彼女らしいなあと、「変わってる」が少しも変わらない、そんな「持ち味」に感心したり、可笑しくなったり)
昨晩、夕飯時にかみさんに尋ねられました。「どうして、こんな辺鄙(へんぴ)なところに皆さん来て下さるの?」ぼくは答えに窮しました。「まあ、物好きなんだろうね。ぼくの衰え具合を、怖いもの見たさに来るんじゃないのかな」というほかなかった。ぼくは、自分の卒業した大学(そこを卒業したかどうか、怪しいが)の元教師の家に行こうなど、微塵も、いささかも、徹頭徹尾、考えたこともなければ、そんなことは想像すらできなかった。だから、多くの卒業生が来て下さるというのは、「やはり、物好きなんだろうなあ」と思うばかりです。
(都内池袋で発生した「ストーカー殺人事件」の報道に接して、この問題を「必死」で考えています 。右上「折々のことば」)

初めて「教師紛(まが)い」(仕事をしてサラリーを貰う仕事に就く)になったのは1971(昭和46)年でした。いつだってぼくは「不良(inferiority)」だったから、「先生」と称される人間になる・なれるはずもなかったし、自分に与えられた仕事も極めて中途半端でしたから、「どんなときも教師紛い」を自称していました。そんな半端人間にも、いろいろと「職業上の役得」とでもいえるものがある。ぼくは「教育とは付き合いである(Education is a long-lasting relationship.)」といい続けた。教育は教室(学校内)で終わるものではなく、続く限り(途絶えるまで)の「付き合いそのもの」が教育だと思ってきた。もちろん、相手が不在であっても(欠けていても)、「教育」は続きうる。(手本は親子や夫婦関係にあるかもしれぬ)こんな陳腐なことは誰でもいいそうだし、誰も言わないものでしょう。

ネットなどでは「旧帝大合格」高校ランキングなどという、ぼくには信じられない底なしの「時代錯誤(アナクロニズム)」が今なお世間でもてはやされている(らしい。実感として、そんな愚かしいことが今の時代にあるはずもなかろうとぼくは考えているが、あるんだね実際に)。新聞でさえ、こんな愚劣な風習を煽っている風があります。醜悪極まりなしの醜聞ですよ。どんな意味があるのかさえも思慮しない、かかる愚考が延々と続いてきたのですから、この「学校教育の腐敗」こそが、この国の頽廃・変質の「主因」だと思っている。(ぼくは若いころ、新聞社系列の週刊誌が「大学入学者名簿」のようなものを高校別に、実名で発行していたことに何度も抗議というか、バカなことは止めたらどうだと談判したが、ほとんどまともな返事がなかったのは、当時から腐っていたという証拠ですね)

ぼくが卒業した京都の公立高校もいかにも堕落したものだと、偶然、京都の新聞を見てしきりに思います。猛烈な進学校になった、それも「旧帝大合格者」が急増しているのだ、と。それがどうした、という直感も反応もないのが、ぼくには信じられません。半世紀も前だったか、履歴書に「最終学歴」を書かない、そんな企業が現れて話題になった。後に続く企業が出なかったので、この会社の新機軸も、おそらく続かなかったでしょう。(「まだ、続いている」とするなら、この企業の業績が今のような為体(ていたらく)ではなかったと思う)それこそ法律で「最終学歴」記入を禁じたらどうです。そうすれば、少なくとも「学歴詐称」は撲滅できるでしょう。「最終学歴 ✖✖市町村立(私立)〇〇中学校」、これでいいんじゃないですか。本当は、そんなものすら余計なことなんだがね。
御託はともかく、年度仕舞いに相応(ふさわ)しい(と、ぼくには思われたので)、以下、二つのコラムを紹介したくなりました。「有明抄」と「新生面」の二つで、ぼくの、いつも愛読するものです。以前にも書きましたが、読んで「◎」と思えば、時には筆者(記者)に、読めたことのお礼の電話をかけることがあります。もちろん、その反対(「✖」)の時もあります「抗議」の電話をするという意味。本日はどちらでしょうか。
【有明抄】師を胸に 小津安二郎監督の映画で実直な父親を演じた名優笠智衆さんが晩年、サインを求められたときのこと。ニコニコ応じた笠さんは、なぜか〈小津先生〉と大書した。周囲がポカンとしていると、ひとしきり思案してひと言。「デシのデは、どんな字でしたかな?」◆文字をたしかめて、〈小津先生〉の後に続けた。〈の弟子、笠智衆〉。故郷の熊本なまりが消えず、「親兄弟とも話すな」と叱られ続けた大部屋俳優を、名監督は「人間がいい。人間がいいと演技にそれが出る」と抜てきした。その恩を忘れず、終生師と仰いだ。「弟子」と書くことは誇りでもあった◆きょうで3月も終わり、新たな旅立ちのときである。自分の歩みを支えてくれたものを思い返してみる。先日ある大学の先生が「AI(人工知能)を使って書いた卒論が今年になって一気に増えた」と嘆いていた。スマホがあれば、仰ぐべき師など必要のない時代かもしれない◆世の中は、問いかければすぐ答えが返ってくるような問題ばかりではない。答えが一つとは限らず、見つかるかどうかさえわからない。だからこそ、先達の処世訓がつえ代わりになる。「われ以外みなわが師」と◆笠さんはいつも、カメラの向こうで怖い師匠がにらんでいると想像しながら演技したという。「弟子」の2文字に込められた深い自戒をかみしめたい。(桑)(佐賀新聞・2026/03/31)

「人間がいい。人間がいいと演技にそれが出る」とは小津監督(➡)。目利きという言葉は好きではありませんけれど、人の好さ(悪さ)を見抜くだけの感覚(感受性)(センス)を持つことはとても大切でしょう。小津監督はそれをまっすぐに実行した人でした。「世の中は、問いかければすぐ答えが返ってくるような問題ばかりではない。答えが一つとは限らず、見つかるかどうかさえわからない。だからこそ、先達の処世訓がつえ代わりになる」とある。3+8=11は、狭い頭の中にできる「算数の世界」の話です。買い物だって「おまけ」もあれば「割引」もある。学校で教えることは、生きることにとって「不可欠なもの」では断じてないでしょう。ろくでもないものだから、たくさん詰め込めるとも言えます。「先生、この事実に気がついてください」といいたくもあります。

(⇚ 笠智衆さん) 「AI(人工知能)を使って書いた卒論が今年になって一気に増えた」と書かれていますが、要するに「カンニング」が横行しているという話でしょう。学校が育てているのは、そんな「狡さ(cunning)」ではありませんか。自慢するつもりはありませんけれど、ぼくは「教師紛い時代」には試験を課したことがありません。常に「文章」を書いてもらった。なにを見てもいいという条件で、ある問題(主題)について「論述」してもらうことを一貫してやっていた。それがどうした、というだけのこと。要するに「〇」「✖」で片を付けたくなかったというだけのこと。物事を「白黒」で判別・判断できると考えるの錯覚です。白でありながら、限りなく黒に近いものだってある。白と黒の間には、無数の「段階(程度)」があることを忘れないでもらいたいですね。もちろん「〇・✖」についても同じことを言いたいのです。「純粋な〇」もなければ、「完璧な✖」もないのがこの世の中。

「先生(せんせい)」は先に生まれた人であり、「後生(こうせい」」は後から生まれたもの、それが「先生」の含意であり「後生」の元意です。だからこそ、時には「後生畏(おそ)るべし」となるのですね。「畏るべし」とは、「畏敬の念」を持つべしということです。これこそが「教育の始まり」(土台)でしょうね。 ◎ こうせい【後生】 畏(おそ)るべし= (「論語‐子罕」の「後生可レ畏、焉知来者之不レ如レ今也」による ) 後から生まれてくる者は、これからどれほどの力量を示すかはかり知れないから、おそれなければならない」(精選版日本国語大辞典)「「子曰わく、後生(こうせい)畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや」(ぼくたちはいつだって、後生にとっては「縄文人」「弥生人」みたいな存在なんですね)
【新生面】諦めない元賞金女王 派手なガッツポーズが代名詞になっている元賞金女王のプロゴルファーが「もう、最高」とうれし涙を流した。手や足に痛みが出る病気と闘う大山志保選手が一昨日まで宮崎県で行われた国内ツアーに出場して、4年ぶりに予選を突破した▼発症したのは5年前。病名は公表していないが、ひどい時にはトイレや洗面台にはって行ったこともあるという。今回は約10カ月ぶりのツアー復帰だった。ただ練習量が制限され、今年に入って18ホールをプレーできたのは数えるほどだった▼満身創痍[そうい]の48歳にとって生きのいい若手と渡り合うのは苦しかったろうが、地元宮崎の声援も後押しした。終了後、病気と向き合いながらも「一歩でも前に進みたいという気持ちがずっとあった」と胸の内を明かした▼大山選手は高校時代を含めて7年間、熊本で過ごした。10年前、熊本地震が発生した翌週に国内ツアーで優勝すると、インタビューに「正直、試合よりも熊本で何か手伝いたかった」と語った▼高校の同級生から大山選手のガッツポーズに元気が出たというメッセージが届いて、「熊本を笑顔にしよう」と集中して試合に臨んだことが逆転劇を呼び込んだ。優勝賞金の全額を地域の復興のため、県に寄付した熊本愛あふれる選手の活躍をまだまだ見たい▼あすから新年度。学校や職場など新たな環境となり、人間関係に戸惑うこともあるだろう。でも、大山選手のように諦めない心があれば進めるはずだ。プロのトップ選手も日々もがいている。前を向こう。(熊本日日新聞・2026/03/31)

二つ目は「新生面」、ご当地「推し」でもあります。ぼくはゴルフはやらないが、「大山志保さん」(生地は宮崎)は素晴らしい選手だと、よく見ていたものです。その彼女の「復活」を見たコラム氏の誠実な書きぶりに動かされました。「10年前、熊本地震が発生した翌週に国内ツアーで優勝すると、インタビューに『正直、試合よりも熊本で何か手伝いたかった』と語った▼高校の同級生から大山選手のガッツポーズに元気が出たというメッセージが届いて、『熊本を笑顔にしよう』と集中して試合に臨んだことが逆転劇を呼び込んだ。優勝賞金の全額を地域の復興のため、県に寄付した…」、ゴルフはゴルフ場だけでは終わらないのは、「授業」と同じじゃないかと、ぼくは教えられたんですね。

(ただ今、午前6時半過ぎ)天気予報は的中するだろうか。大山さんについては、別の機会にもっと書きたいと思っています。何にしても「新年度」は新しい人(new person)がいるというだけで気持ちは改まる、新たな風が吹くような気分になれました。ぼくも何十回も別れと出逢いを繰り返して、文字通りに「時代」を生きてきました。「今日は倒れた恋人たちも 生まれ変わって歩き出すよ」と謳ったのはみゆきさん。この曲ができる直前に父が倒れたという。だから「時代」は彼女の父親への約束(「契り」)の歌だったとも言えますね。1975年発表。もう一つ、山崎ハコさん、「飛びます」を聴きたくなりました。なんと同年の発表です。奇遇というのでしょうか。
(⁂ 山崎ハコ「 飛びます」:https://www.youtube.com/watch?v=cs7sVOO4Eb8&list=RDcs7sVOO4Eb8&start_radio=1)
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