うねる幹にピンクの花 矢掛・観照寺、臥龍梅見頃 矢掛町横谷の観照寺で、うねるように伸びた幹が竜のように見えることから「臥龍梅(がりゅうばい)」と名付けられた紅梅が見頃を迎えた。黒い幹にピンクの花が映え、参拝客らに春の訪れを告げている。22日には恒例の「梅まつり」が開かれる。
臥龍梅(高さ約3メートル、枝張り約4メートル)は本堂前にあり、樹齢230年以上とされる。見る角度によっては曲がりくねった幹がハート形にも見える。同寺によると、今年は1月下旬からほころび始めた。寒さが和らぐとともに花が徐々に咲き、今月いっぱいは楽しめるという。境内や寺周辺のしだれ梅など約50本も順次開花する見込み。
写真を撮りに訪れた里庄町新庄の田辺毅さん(89)は「年によって異なる花の様子を見るのが楽しい」と話していた。
梅まつりは午前10時から。うどんや焼き芋の販売、梅の種飛ばし大会(午後1時から)などがある。問い合わせは同寺(0866-82-1049)。(浪速祐彦)(山陽新聞・2026/02/20)(ヘッダー写真も)



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「桜伐る馬鹿 梅伐らぬ馬鹿」という。ぼくも何度か指摘されたことがあります。これは「ことわざ」なんでしょうか。小さいころから、桜よりももっと親しくしていたのが梅でした。「梅干し」などの食用品ではなく、梅の木から落ちたものや木になっているものをもいで食べていたのはまだ小学校に入る前。梅で有名なところでは京都の北野天神、ぼくは京都に来た当座はその天神さんのすぐそばに一時住んでいました、堀川中立売。その天神さんの前まで伸びていた嵐電(京福電鉄)の終点は「北野白梅町」でした。ここも、御所と並んで、ぼくの小学生時代のつかの間の「遊び場」だった。その後に移住したのが嵯峨。そして、嵯峨野。嵐電の乗降駅は「車折(くるまざき)」だったし、高校は「常盤」(常盤御前・義経のは母でもある人の墓のあるところ。仁和寺の西隣でした)大学に入学して、およそ10年住んだ本郷(旧帝国大学赤門前・江戸期の加賀屋敷跡地)の家の近くには「湯島天神」があり、季節を問わずにしばしば通ったものです(徒歩5分ほど)。

「学問の神様」と崇(あが)められた菅原道真を祭った東・西の神社(天満宮)のそばに住んでいて、盛んに遊んだにもかかわらず、「学問」への関心も涌かず、能力も皆目育たなかったのは、なぜだったろうか。「湯島通れば思い出す お蔦(つた)主税(ちから)の心意気」という俗謡を、ぼくは盛んに能登半島の田舎で歌っていたことを覚えています。(「湯島の白梅」小畑実・藤原亮子歌 泉鏡花原作の映画の主題歌でした)まだ就学前に、こんな歌を高唱していたのですから、その成長度合いがわかろうというもの。学校では断じて教えないことを好んで、しかも独学していた幼児は、そのまま成長して、きわめて「反・非学問的」になったのは不思議でもなんでもなかったでしょう。以下に「湯島の白梅」の歌詞を出しておきます。佐伯孝夫さん(1902~1980)の作。佐伯さんは特に作曲家の吉田正さんと組んで数限りない作品を残された。
この「湯島の白梅」に描かれた風景や情景は、明治のもっともさかんな時期、明治三十年代を彷彿とさせます。その時期、この本郷近辺にはたくさんの知名の人々がいました。ぼくの好みでいうなら、樋口一葉、啄木、漱石・子規・鴎外・柳田国男・島崎藤村…。それこそ、東京が文明の都市として栄える端緒になっていた気もします。まるで「古い江戸」と「新しい東京」のアマルガムのような雰囲気があったと思う。ぼくが本郷に住みだしたのは1964年、その10月には東京五輪が開かれています。小学校に上がる前から歌っていたこの「歌詞」には、江戸末・明治・大正・昭和がそれぞれに織り込まれていて、まさしく、歴史を感じたのでした。漱石や鴎外の小説の人物が、歩いているという、不思議な心持ちになることもありました。

ぼくはミーちゃんハーちゃんではありますが、何でもかんでも歌謡曲が好きというのではありません。そこに「歴史」が感じられるものでなければ、それほど好まない。惚れた晴れた、噛んだ噛まれた、捨てないで化けて出るよ、などというのは、まったく性には会いません。歌謡曲でとても好きなのは「長崎物語」、これについてはどこかで触れています。「湯島の白梅」には、男女の恋だとか相田とかいうものが主張でしょうが、その背景には「明治」「大勝」「粗油和」がありありと移されています。こういうのは大好きでっでね。(*「湯島の白梅」:https://www.youtube.com/watch?v=Bkh9dcX_lBo&list=RDBkh9dcX_lBo&start_radio=1&rv=9sv5GFiWBlI)

(このYouTubeで歌っている人がどなたか、ぼくは知らない。とにかく60年前に、田舎者が、方々を彷徨していた当時をありありと思い出して、いろいろと想いはあらぬ方向に流れていきます)(中国嫌いの人が聞いたらどう思われるか。日本の演歌の淵源は、おそらく中・韓経由ですな)(左の写真は湯島「女坂」。この「女坂」の裾に何軒かの飲み屋があり、しばしば通ったものでした。ぼくの浮浪者・不良青年の時代のことでした。上野池之端にも怪しげなバーがあり、ぼくには異質の世界を教えられました。顎鬚や脛毛たくさんの「ホステス」さんにかわいがられたものでした)
(一)【女】
湯島通れば 想い出す
お蔦主税の 心意気
知るや白梅 玉垣に
残る二人の 影法師
(二)【男】
忘れられよか 筒井筒(つついづつ)
岸の柳の 縁むすび
かたい契りを 義理ゆえに
水に流すも 江戸育ち
(三)【男女】
青い瓦斯燈(がすとう) 境内(けいだい)を
出れば本郷 切通(きりどお)し
あかぬ別れの 中空(なかぞら)に
鐘は墨絵の 上野山
作詞:佐伯孝夫
作曲:清水保雄
歌唱:小畑実/藤原亮子
制作:滝野細道(JASRAC No.090-0153-1)

北野天神の梅の開花時期の様子はぼくの記憶からはすっかり消えています。でも、湯島天神の白梅(➡)は、盛りの時期に足を運んでいるのですが、その哀れな姿に驚愕したものでした。その当時(今から60年も前のこと)、すっかり老木と化し、自動車の排ガス等の影響もあって、梅花も、申し訳程度についているような具合で、この先、長くないだろうという気分になったことでした。もう何十年も足を向けたことがありませんから、今の様子がわからないのは、かえって幸いかもしれません。「学問の神様」といわれて、今でも受験期には、それこそ各地から天神詣りに千客万来です。(「行きはよいよい帰りは恐い♪」)ぼくは、そんな趣味はなかったから、「神頼み」はしませんでしたが、おふくろは、京都の車崎神社で(ぼくの受験の)「合格祈願」の「お百度参り」をしてくれていたと、かなり後になって聞いたことがあります。親のすること、という意味でぼくは深く感心させられたのでした、ありがたいことでした。

おふくろが植木や花いじりが好きで、梅の種類も実物で教えてもらった記憶がぼくには残っています。梅について語れば、それこそ、桜同様、あるいはそれ以上に面倒なことになるでしょう。梅・桜ともに、その品種は数百はあります。もちろん、梅は中国からが定説で、一方の桜は「亜細亜原産」だとされます。(昨日は「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という端唄に触れています)拙宅にも一本の老木があります。辛うじて、春の花だよりを告げてくれていますけれど、さて、どれくらい生きるか、ぼくと競争のような、衰えようでもあります。その下の土の中から、可愛い苗木が顔を出しています。しっかりと後継ぎは育っているんですね。
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「…材は粘りがあって硬く,細工物に利用される。 天然記念物のウメの多くは,幹が横倒れとなったものから再発根して,新しく幹枝を伸ばし大株に生育した臥竜梅(がりゆうばい)が多く,1株が梅林のように茂る。宮崎県の月知(げつち)梅,座論梅,山口県の余田(よた)臥竜梅,鹿児島県藤川天神の臥竜梅が国の天然記念物に指定され,樹齢も何百年という木が残っている」(世界大百科事典・旧版)(上の写真参照)

◎ ウメ(梅)【ウメ】= 中国原産のバラ科の落葉小高木で,九州には野生があるという。初春,葉に先だって香り高く咲く花は万葉以来愛されてきた。葉は楕円形〜卵形,花は前年の枝の葉腋に1〜3個ついてほとんど柄がなく,径2〜2.5cm,白色〜紅色,花弁は5枚が基本である。庭木,盆栽,切花として観賞する花梅(はなうめ)の品種は,おもに江戸時代に作られ,現在でも300以上がある。大別して,原種に近い野梅(やばい)性,花のつく小枝とがくが緑色をした緑萼(りょくがく)あるいは青軸(あおじく)性,古枝の髄まで赤い紅梅性,アンズと交雑して作られたアンズ性,秋〜冬に小枝が紫紅色になり大輪の花が咲く豊後(ぶんご)性のほか,枝のしだれる枝垂(しだれ)性などの系統がある。果実を収穫する目的で栽培されるものは実梅(みうめ)といわれ,〈白加賀〉〈小梅〉が全国的に有名。おもな産地は和歌山,群馬,長野など。同一品種だけでは実りが悪いので,数品種混植する必要がある。収穫は6月中旬ころからで,果実は梅干,梅酒,梅酢などにされる。昔は未熟な実をふすべた烏梅(うばい)/(からすうめ)や青梅の果肉をはいで乾燥した剥梅(むきうめ)として,媒染剤や薬用にもされた。未熟果はアミグダリンを含み,生食すると有毒である。(百科事典マイペディア)
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本日は、この先に「冬季五輪」や「国会開会」の話題に触れようとしていたのですが、すっかり関心がなくなってしまい、ここでやめておきます。大したことを言えるはずもなく、「冬季五輪がいよいよ閉幕」と聞いて、うれしくなったというだけのこと。どうしてスノボーやフィギュアスケートなどで「日の丸」なんですか、実にばかばかしいと、ぼくは思うばかり。まやかし中継にも、「お涙頂戴」あり、「日本凄い」あり、こんな競技会がなんで「国威発揚」に一役買わされるというのか。そのメディアの報道ぶりの下品で醜悪な態度がしばらくとはいえ、見せつけられないと知っただけで、ぼくは大喜びでした。なにしろ「ラジオ深夜便」さえも、おちおち聞いていられなかったのですから。
(いうまでもありませんが、ぼくはスポーツ競技そのものをとやかく言いたいのではありません。それぞれがスポーツ精神に基づいて敢闘・健闘することに否やはありませんから。それを国と絡める必要がどうしてあるんですか、といささか腑に落ちないだけです。「日の丸」を背負って、フィギュアー(ペア)がついに逆転勝ちで「金メダル」というのでしょうが、ぼくはそんなところに日の丸も国歌もいらないと考える人間です)
加えて、国会が始まり「所信表明」があちこちで流れてきました。聞くともなく聞いていて、虫唾(むしず)が走った。「胃酸過多のため、胃から口に出てくる深い酸っぱい液」です。反吐が出る前に、「演説」は見るのをやめましたよ。この嘘つき宰相(マッチョらしい)の鸚鵡返し「演説」を、誰か止めないのでしょうか。馬鹿の一つ覚えのように「責任ある積極財政」を唱えるが、その実態は、「インフレ増税」任せで「名目GDP」総額を大きく見せるだけのまやかし政治。あの内容浅薄、いや空虚な演説で、議場は「拍手喝采」というのは、どう見ても「極右の国家主義、全体主義」の発現ではないですか。地に落ちた「国会議員」、地獄に落ちた「日本国民」ですな。ぼくも地獄落ちの一人ですけれど、無理ではあっても、一蓮托生だけはご免被るね。
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