【潮流】#ママ戦争止めてくるわ 先日、90代半ばの被爆者と会って体験を聞く中で、あの日から80年を経た現在の心境に話が及んだ。「今の社会の空気が、戦争の前とどこか似ている。怖いです」◆私たちの日常が、今すぐ戦争と直結するとは想像しにくい。でも、戦時一色の日々を肌身で知る女学生当時の記憶と、今の社会の空気が重なる実感があるのなら、杞憂(きゆう)とは片付けたくない。◆その言葉がいつになく心に引っかかったのは、日本の針路を問う衆院選の終盤だったからだと思う。ほぼ同時にX(旧ツイッター)などで、戦争反対の思いを1票に託すよう呼びかける「#ママ戦争止めてくるわ」が流れ始めた。◆エッセイスト清(きよし)繭子さんの投稿が爆発的に拡散。歌手・俳優の小泉今日子さんが所属事務所のアカウントで反応したことから「キョンキョンも!」と話題を呼んだ。一方で「中国に言うべきこと」などの反発も多い。◆実際、「戦争しよう」と意図している候補者はいなかっただろう。でも、ここで日清戦争から130年余にわたる日本の戦争の歴史から学びたい。戦争は往々にして、他国に対する「何するものぞ」という強硬論と、国家権力への批判を許さない世相が過熱した先にある。今の社会の空気は、どの段階にあるか。◆かつてママたちは、かっぽう着姿の「国防婦人会」として戦争遂行の一翼を担った。もし戦争になれば、「止めてくる」と言っていたのに進んで、あるいはあらがいきれず協力に転じるママは必ずいるだろう。報道機関も例外ではない。◆加速が付くほど止められなくなるのが戦争。その影が実像として見え始めるはるか前から、警鐘を鳴らし続けていこう。(中國新聞・2026/02/19)

皮肉でもなんでもなく、「#ママ戦争止めてくるわ」が今回の衆議院選挙で火の手を上げだしていた「T旋風」に、いわば油を注いだ感がありました。「戦争?ばかばかしい」とみなしている人が圧倒的多数だったと思うけれど、「戦争への道を進んでいる」と考える有権者も少なからずいました。細かい分析はしませんが、いつの時代でも圧倒的多数は、声なき声を飲み込んでいるのです。「本当に戦争になる」と信じ込んでいる人などいるはずもないでしょう。まして、自分が戦争の犠牲になるなんて、どこの国の話、って。
いつも言うことですが、「戦争? いったいどことするん?」ということです。相手もいないのに「戦争」が話題になるというのも不思議な話。もちろん、多くの有権者は「敵は中国」とみているかもしれません。しかし、「なぜ中国なのか」ということに関しては、あるいは浅慮は働いているかもしれませんけれど、遠望していっているものはほとんどいないでしょう。「相手がデカすぎる」というのが第一の理由ですが、日本経済の基盤となっている隣国と、わざわざ戦う愚か者はいないでしょう。ぼくはそう考えるが、いや、どこにだって「愚か者はいる」とも言えます。
【衆院選】「#ママ戦争止めてくるわ」SNSで広がった共感 国内の「トレンド1位」にも、投稿者が反響振り返る 「ママ、戦争止めてくるわ」。自民党が圧勝した衆院選の終盤、2人の子どもを育てる清繭子さん=東京都=がX(旧ツイッター)に投稿したつぶやきが、大きな反響を呼んだ。ママの部分を「パパも」「独身男子も」「子どもいないけどおばちゃんも」と変え、ハッシュタグ(検索目印)を付けた投稿が相次ぎ、「#ママ戦争止めてくるわ」が一時、国内の「トレンド1位」になった。清さんは「一市民の私が子どもにかけた言葉を、みんなが希望のある言葉にしてくれた」と語る。 日常の中で、自然と出た言葉だった。 5日夕、下の子を保育園に迎えに行きながら、その足で期日前投票をしようと思い立った。横でゲームに興じる小学生の上の子に、関西弁で声をかけた。「ママ、戦争止めてくるわ。付いてきて」 (中略) 投開票日の8日夜、清さんはXにこう投稿した。 ≪みんなの声があったかすぎて、冷笑も侮蔑も聞こえなかった 私には声があることがわかったから 私だけの声じゃないってわかったから 一人つぶやいた時より、今のほうが 戦争止められる気がしてます 胸がずっと温かいままなんです みんながくれた希望です 明日からもずっと #ママ戦争止めてくるわ≫(神奈川新聞・2026/02/14)(ヘッダー写真も

今日のこの国の形を作ったのは、明治維新や第一次世界大戦後ということも考えられますが、何よりも「満州事変」の歴史の中で、だったとぼくは考えている。いわば、今ある「政・官・財」の強固なトリオを生み出したの対中国侵略戦争においてだったといえる。詳しくは言いませんけれど、対中戦争のさなかに「満州の地」で作られた「産・官・軍」(これは「政官財」の一つのヴァリエーション)は、対英米戦争に敗れて、迎えた「敗戦後日本」の土台となっていたことは明らかです。
今回の選挙キャンペーンで盛んに唱えられた「日本劣島を、強く豊かに」は、この満州事変で唱導された「王道楽土」「五族協和」を謳った「満州帝国」の成立に重なるのではないか。しかし、この「十五年戦争」の悪夢ような「戦争体験」を、「日本列島を、強く豊かに」と叫んでいる人たちは持っていない。だから頭の中で「帝国再建」を描いているし、それ故に、空想は限りなく拡大するのでしょう。

首相や政治家たちだけではなく、その呪文の魔力にしてやられた「あまたの有権者」も、「夢(悪夢)よ、もう一度」という思いを描いていたはずです。描いたというより、描かされたというべきでしょうか。そこには個々人の主体性(判断)なんて微塵もなかったでしょう。そんなものです、とシニカルになるつもりはありません。この情勢、流行こそが「ファシズム」の温床だということです。ほとんどの人は「自分はファシズムに加担している」とは夢にも思わない。それがファシズムです。だから、「#ママ戦争止めてくるわ」もまた、時には「ファシズム」の寝床を準備する「培養液」に早変わりすることもあるのです。

国の将来を嘆いているのでもなければ、憂えているのでもありません。極めて残念ですが、デモクラシーからファシズムは生み出されるという「歴史の法則」に欺くことは、残念ながら、いかなる国も国民もできないという「現実」を熟視するばかりです。「#ママ戦争止めてくるわ」と幼い子どもに呼びかけた、母親の「一声」に多くの大人たちが飛びついたという「風靡(ふうび)」にも、ぼくはいささか寒心に堪えないと、正直に白状しておきます。それを受け取って「「#パパ戦争始めてくるわ」というおっさんたちもいないとも限りません。つまり、「絶対に、ほんまの戦争(殺し殺され合い)はない」と腹に決めておいて、ある種の「シミュレーション」をしているような気がするのです。「机上戦」というか「練習ごっこ」のような雰囲気を感じるのは、自分だけは「戦場に行かない」という奇妙な「独り決め」「期待」があるからでしょう。
自衛隊は国軍にする」と首相一味は張り切っています。軍もそれ相応に増強する(国家予算の三割近くが「国防予算」というのは、戦時体制そのものでしょう。これもまた「満州事変」に倣っているのか)とくれば、不足するのは軍人だと、誰だって気が付く。だから「徴兵制」を敷くのか、いやそれは無理だから「外人部隊(傭兵)」となるのか。こんなあほくさい国の軍隊に入る外国人はいるでしょうか。どこまで行っても、「戦争」は夢、しかも「悪夢」だと気が付かないはずはないんですがね。
「#サナエ 中国叩いてくるわ」という勇ましい、いや忌まわしい「ママ」がいると、そこにはきっと、 「#ママ戦争止めてくるわ」と、わが子の命を守る側に徹底して寄り添うママもいる。「靖国」への参拝が「戦争肯定」の踏み絵になるような、そんな不吉な時代や社会は「平和を希求・懇望する」人にはふさわしくないのではないでしょうか。「#ジイサン戦争の火種を消してくるわ」(これが、ぼくの「鼓腹撃壌」なんだ。一人の平和・生活をかき乱す輩には、渾身の力を持って、毅然として反旗を翻すよ)


IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII





