梅は咲いたか 桜はまだかいな

 茨城県は千葉の隣県。これまでに何度も足を運んだものです。茨城新聞のコラム「いばらき春秋」には、もう何年も目を通していますが、この駄文の中で言及することはほとんどなかった。あったとしても、1回か2回? なぜかと、時々考えますが、答えは明らかです。他紙の「コラム」に比べて、実に奥ゆかしいというか、おとなしい。あるいは控えめ。それは貴重な特質で、目立ちがりの多い新聞では珍しいですね。なかなかに稀有なことと思っています。目立たないというか、出しゃばらないというか。ただし、このコラムはひたすら「土地(郷土)」にこだわる傾向があるようです。「お国自慢」というのではないでしょうが、地域に根差し、地域に誇りを持っているように見受けられるのは、とてもうれしいことかもしれないし、地域新聞なら当たり前といわれるでしょう。その誇りの一つ(代表)が「偕楽園」(☚)でしょうか。記憶はかすかですが、ぼくも訪れことがあります。梅の時期ではなかったことは確か。

 その昔(奈良・平安時代)は、理由があるのでしょうが、梅のほうが桜よりも愛(め)でられていたようで、だからというのではありませんけれど、あえて言うなら、ぼくは質素な佇(たたず)まいの梅に惹かれます。もちろん、桜は好きですが、染井吉野(ソメイヨシノ)だけはご免被るという感覚では一貫しているし、この劣島の桜といえば「染井吉野」がほとんどとくれば、自ずから「桜」よりも「梅」となります。「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という、いわば江戸の俗曲が歌いつがれて、ぼくのような野蛮人の耳にも入ってきました。よく覚えています。少々「色気」が濃厚ですが。「しょんがいな節」として知られているものです。こんな「俗曲」(小唄・端唄)など、学校では絶対に教えてくれません。だから、ぼくはすべて「独学(self-study)」でありました。

”梅は 咲いたか桜はまだかいな 柳やなよなよ風しだい
山吹や浮気で 色ばっかりしょんがいな
あさりとれたか蛤やまだかいな 鮑くよくよ片想いさざえは悋気で 角ばっかりしょんがいな
柳橋から小船を急がせ舟はゆらゆら波しだい 舟から上がって土手八丁吉原へご案内”

 (ここで三味線伴奏で実際の演奏をかけてもいいのですが、いかがでしょう。昨日は「讃美歌(慈しみ深き、友なるイエスは(What a friend we have in Jesus)」でしたから、この変調・転調ぶりはなかなかのものですね)

【いばらき春秋】先週の雪景色がうそのようだ。日本三名園の一つ、偕楽園の梅は既に全体の5割弱が咲き進み、烈公梅のほか遅咲きの白加賀の開花を公式ホームページが伝えている▼季節は駆け足で進んでいるが、永田町はどうか。異例の通常国会冒頭解散から26日後、第2次高市内閣がようやく発足した。首相は衆院の4分の3を占める圧倒的な数の力を獲得したが、国民はまだ何の果実も得ていない▼昨夏の参院選後も自民は石破前首相の進退を巡る党内政局に明け暮れ、2カ月半もの政治空白が生まれた。例年なら予算審議がヤマ場に入る時期、国会の停滞は明らかだ▼選挙速報を見ながら、新沼謙治さんの「津軽恋女」が脳裏をよぎった。「こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪…」。野党に積もった粉雪が高市旋風で舞い上がり、一転して与党に積もったか。しかし巨大与党の土台を支えるのは、実体のない淡い期待感でしかない(茨城新聞・2026/02/19)

 「水戸」を語ればきりがありませんので、本日はやめておきます。「水戸学」などという「国粋学」(尊王攘夷派の聖書・聖典となりました)のお手本のような歴史・皇国史観の本拠でもありました。茨城新聞はおとなしく、郷土に根差した新聞だといったばかりですが、どっこい、本日はなかなかに厳しい「政権」批判の色を帯びているので、ぼくは刮目(かつもく)したというわけです。「エッ、そんなことを書くんですか」と、ね。「第2次高市内閣がようやく発足した。首相は衆院の4分の3を占める圧倒的な数の力を獲得したが、国民はまだ何の果実も得ていない」というのは、その通りですね。多くの新聞は「高市、ヨイショ」に血道をあげているようですが、このコラムはどうですか。「例年なら予算審議がヤマ場に入る時期、国会の停滞は明らかだ」と断定されています。お説ごもっともと言っておきます。

 とはいえ、先行き見えないながらも、首相や内閣・官邸は、逆上(のぼ)せ上って「意気軒高」です。当然といえば当然。国会議席の7割超、自民に「入りたがり(「隠れ自民」)」を加えれば、9割を超える勢いですから、絶対多数。やれないことはないし、かならずやるでしょう。そして、失敗を、…。ぼくが解せないのは「日本劣島を強く 豊かに」というキャッチの中身は何ですか、言葉だけが走っているんですわ。なにを「強く豊かに」するというのでしょうか。この女性の脳みその中には「国」「国家」は入っているけれど、「国民」「個々人」「人間」が入っていないのは明らか。

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◎水戸偕楽園千波
せんば
湖の西北の高台にある。徳川斉昭が開設した公園。斉昭は天保五年(一八三四)植物係長尾景徳に命じ、飢饉と軍旅の用にあてるため常葉
ときわ
神崎
かみさき
に多数の梅樹を植えさせた。のちこの梅林をもとに公園造成計画が進み、同一〇年に斉昭自撰自筆で設立の趣旨を記した「偕楽園記」が完成、同一二年四月造園工事着工、同一三年七月開園した。(日本歴史地名大系)

◎徳川斉昭【とくがわなりあき】= 幕末の常陸(ひたち)水戸藩主。治紀の三子。号は景山(けいざん)。諡号(しごう)烈公。会沢正志斎,藤田東湖らに擁され,1829年襲封。藩校弘道館設立,海防政策実施など藩政改革を推進したが,1844年幕府より謹慎を命じられた。斉昭失脚後は藩内に天狗派(改革派)と保守派の対立による動揺が広まった。1849年藩政関与が許される。強硬な攘夷論者で,1853年のペリー来航にあたり幕府海防参与となったが,井伊直弼と対立。安政の大獄で幽居の身となりそのまま病死。(百科事典マイペディア)

◎ 水戸学【みとがく】= 江戸時代,水戸藩で形成された尊王論を中核とする思想体系。前期・後期に分けて捉える考え方が一般的であるが,狭義には後期だけを水戸学とする。前期は朱子学を基盤とし,2代藩主徳川光圀の起こした《大日本史》編纂(へんさん)事業を通じて大義名分論として展開した。後期は9代徳川斉昭の藩政改革を契機に実践的政治理論に再編され,幕末の錯綜した政治情勢下で反幕・尊王攘夷勢力に強く影響したものの,幕藩体制維持から踏み出し得なかった。代表的学者に前期の安積澹泊(あさかたんぱく),栗山潜鋒,後期の藤田幽谷・藤田東湖父子,会沢正志斎などがある。(百科事典マイペディア)

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 まさかとは思いますが、この首相は「水戸学」の信奉者ではないでしょうね。「(広く水戸学と称されるものは)歴史尊重と国体観の高揚と尊王賤覇(せんぱ)の思想などに特色がある。…、18世紀後半の異国船の接近にみられる西洋諸国の進出と幕藩制の動揺による内憂外患に対する危機意識が、独得の学風形成の根底にあったことは否めない」(日本大百科全書ニッポニカ)と述べられているように、どうやら、この国の権力亡者たちの多くは、国史尊重(その国史の内容は怪しげなものです)、尊王攘夷(「天皇制」尊重かつ外国人排斥)に特化し得るもので、多く「極右(far-right)」と呼称されている立場に重なります。

 もしあるとして、その信条・思想の内容のいちいちは、実は荒唐無稽であったり、首尾一貫性に欠けているのが通常で、中でも「親米右翼」という言葉自体が、矛盾齟齬をきたしているのに、それには全く頓着しないというのですから、思想や教条、つまりは「政見」の真贋が問われるべきでしょう。また、首相自身は「旧統一教会」との親密なかかわりも指摘されています。それを一切無視しているのはなぜか。このカルト集団は「反日・反共」であるのに、なぜ、その集団と親密なかかわりを持つのか、闇(やみ)だらけですな。

 にもかかわらず、そのような「ごちゃまぜの「日本主義」を振りかざして、この国を牛耳ろうとしているのですから、先が思いやられます。ここで、ぼくは「日本浪漫派」という少し前の「極右」の主義主張を思い出しています。これはまったくぼくの勝手な思い付きでしかありません。(右は「旧統一教会と関わりが深い『世界日報』に掲載された高市氏の記事」)(東京新聞・2026/01/16)

◎ 日本浪漫派(にほんろうまんは)= 文芸雑誌。1935年(昭和10)3月から38年3月まで刊行。全29冊。『コギト』誌上に掲載された『「日本浪曼派」広告』によると、創刊当初の同人は、神保光太郎(じんぼこうたろう)、亀井勝一郎(かついちろう)、中島栄次郎、中谷孝雄(なかたにたかお)、緒方隆士(おがたりゅうし)、保田与重郎(やすだよじゅうろう)ら6人であるが、その後、伊東静雄、伊藤佐喜雄(さきお)、芳賀檀(はがまゆみ)、太宰治(だざいおさむ)、檀(だん)一雄、山岸外史(がいし)、緑川貢(みつぐ)らが加わり、終刊近くには50人を超える。保田執筆になる「広告」は、「平俗低徊(ていかい)の文学」としての自然主義的な身辺雑記の写実小説を痛烈に批判し、文学の運動を否定するために進んで文学の運動を開始するといい、それは「卑近」に対する「高邁(こうまい)」の、「流行」に対する「不易」の、「従俗」に対する「本道」の主張で、そのために「真理と誠実の侍女として存在するイロニー」を用いねばならぬとした。保田の「反進歩主義文学論」(1935)と亀井の「生けるユダ(シェストフ論)」(1935)がこの派の志向を示し、小説に、太宰『道化の華』(1935)、緑川『娼婦(しょうふ)』(1935)、檀『衰運』(1935)、伊藤『花宴』(1935~37)その他がある。保田に代表される古代憧憬(しょうけい)は、退廃した、西洋模倣の日本的近代に対する根源的批判を含んでいたが、戦時体制の深化と俗流の日本主義の台頭により、漸次「戦場の美学」へと変質する。復刻版(1971)がある。

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