【春秋】「空の水道」は気まぐれ 頼り過ぎずに節水を 40日40夜の雨による洪水から人や動物が箱舟で逃れる「ノアの箱舟」。英国では昨年末から40日以上雨が続き、旧約聖書の物語のようだとニュースが伝えていた▼降らないのも困りものだ。日本各地では水不足が深刻化している。昨秋から続く記録的少雨でダムは蓄えを減らした。筑後川流域の降水量は1975年以降で最少に。福岡県朝倉市の江川ダムでは、かつて水没した集落の痕跡が姿を現した▼先週末の発表によれば、筑後川水系主要6ダムの貯水率は15%に低下。蛇口から出る水量を減らす減圧給水や川からの取水制限を強めているが、まとまった雨がなければ夜間断水の可能性もある▼列島の上空には「空の水道」が集中している、と気象エッセイスト倉嶋厚さんは書いている。台風や梅雨前線、温帯低気圧、冬の雪雲など四季を通じて水をもたらす気象現象を「空の水道」と呼んだ。ただ狭い国土ゆえ、その「配管」は実に不安定でずれることが多い▼地下の水道管や下水道といったインフラの老朽化が近年は深刻だが、空の配管に手は入れられない。倉嶋さんは、気まぐれな水道に頼り過ぎず、大雨の日こそ水不足を、日照りの日こそ水害対策を考える必要があると提案した▼あすは二十四節気の雨水(うすい)。暦の上では雪が雨へ変わる頃。向こう1カ月の予報では、雨には期待できないようだ。水道を5秒止めれば1リットルの節水になる。日々の心がけを。(西日本新聞・2026/02/18)

各地で水不足が言われています。それでいて、いたるところで今冬は何年ぶりかの豪雪に襲われ、各地で雪害の犠牲者も多く出ています。また、真冬であるにもかかわらず、これまた方々で熊出没情報が飛び交いました。天変地異とは大げさなといわれそうですが、何百年かの後に、「あの時代」は、地球・人類・生物たちの分かれ道だったといわれそうな、そんな大きな地殻・地上変動は自然界(人間界もその一部です)は地球上のいたるところで生じているのではないでしょうか。古今亭志ん生さんの「まくら」に「後悔を先に立たせて後から見れば、杖を突いたり転んだり」というのがありました。うまいことをいうものだと、ぼくは感心した。その通りで、いかに「慧眼(けいがん)」の持ち主でも十年先はおろか、一年先も見通すことはできません。
(ヘッダー写真は「現在の「イエスの方舟」の聖書勉強会=映画「方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~」より )(*「慈しみ深き」森山良子・歌:https://www.youtube.com/watch?v=491lIVCYwF8&list=RD491lIVCYwF8&start_radio=1)
コラム「春秋」氏が触れておられるとおり、明日は「二十四節季」でいう「雨水(うすい)」(2月19日〜3月4日頃)です。これまでの降雪が降雨に変わる境目といいます。また、この期間を「七十二候」では「初候(2月19日〜2月23日頃)土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)冷たい雪が暖かい春の雨に代わり、大地に潤いをあたえる頃。寒さもゆるみ、眠っていた動物も目覚めます」、ついで「次候(2月24日〜2月28日頃)霞始靆(かすみはじめてたなびく)霧やもやのため、遠くの山や景色がほのかに現れては消え、山野の情景に趣が加わる頃。春に出る霧を霞(かすみ)と呼び、夜の霞は朧(おぼろ)と呼ばれます」、そして「末候(2月29日〜3月4日頃)草木萠動(そうもくめばえいずる)足もとや庭木の先にほんのりと薄緑に色づく芽が見られる頃。やわらかい春の日差しの中、草木が芽吹き、新しい命が生まれます」(「暦生活」)と、往時の人々の季節の迎え方を示しています。

何事もなければ、月日はそのように進みゆくでしょうが、まるで「地獄の沙汰」「阿修羅のごとく」のような娑婆でありますから、自然も何も、元通りの秩序を維持することができなくなっているのが、悲しいけれど、ぼくたちの現実です。極端な表現を使うとすれば、「木の葉が沈んで、石ころが浮かぶ」かのような時代社会の荒廃の限りです。コラムに誘われて、ぼくは、久しぶりに「ノアの箱(方)舟」ならぬ、「イエスの方舟」の記憶を呼び覚まされました。あの社会的騒動から、もう半世紀近くが経過したことになります。「イエスの方舟」騒動。昔の出来事ではありましたが、それはただ今、現実の深刻な問題でもあるのでしょう。曰く「信仰の自由」「信教の自由」という問題です。
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「イエスの方舟とは、主宰者の千石剛賢(せんごく たけよし、1923年7月12日 – 2001年12月11日)が開催していた聖書勉強会が母体となった集団である。千石は、1923年(大正12年)に兵庫県加西市の富裕な農家に生まれ、1943年(昭和18年)、20歳で海軍に入隊。終戦後は自営業である刃物工場の経営に失敗し、てきや、レストラン支配人など職を転々としながら教会に通い始める。常に何かに飢え、何かに怒っていた。20代は喧嘩に明け暮れる毎日だった。自分自身の気の短い性格に、いつかは傷害事件を起こしたりして最後は死刑になるのではないかとおびえていた。夫人と再婚後[2]の1952年、大阪で聖書研究会に参加する。1960年にはその研究会会員10名とで東京都国分寺市に移動して「極東キリスト集会」を主宰し共同生活に入る。これが「イエスの方舟」の起源である(略)」

「イエスの方舟に対するマスコミ報道は、『婦人公論』がバッシングの口火を切り、産経新聞が「邪教」キャンペーンを繰り広げ、それに対して『サンデー毎日』が「魔女狩り」として反論した構図である。山口昌男は、マスコミ報道が「聖なる怪物」型の神話に則っており、「奇異なるものを見て、自らの存在感を内から外から脅かす力が何であるかを知り、あわよくば、この怪物が退治されるのを見ることによって安堵の胸を撫で下ろしたいという見世物に対する読者の期待を満たした」と分析している。/なお、イエスの方舟に対する異常なバッシングとその反省から、マスコミはオウム真理教が問題を起こした際に批判を躊躇するようになり、結果として被害を拡大させるに至ったとも言われる。反対にサンデー毎日は、元信者の発言を掲載するなど、オウム真理教に関しては当初から批判的報道を行った。」(Wikipedia)

当時、ぼくはこの事件をまじかで知り、かなり熱心にその「軌跡」を調べたことがありました。結論から言うなら、マスコミの無責任な過剰報道がもたらした社会的騒擾(大山鳴動、鼠一匹も出ず)だったと思う。記事の内容が売れればいい、騒がれればいいという無責任報道姿勢は、事実を哉医局して好き放題にでっち上げ報道をする。この性癖・悪習はメディアに頑強に根付いて、「習い性」になっています。
マスコミというか、マスメディアの多くは(新聞も含めて)、「売らんかな主義」に毒されている。売れればいいという無責任で短絡的な報道は報道の名に値しないのは言うまでもありません。この姿勢は体質となってマスメディアを毒してきたし、今やその毒は身体や精神までも犯し始めています。まさに「病膏肓(やまいこうこう)に入(い)る」状況にあるでしょう。過去には、新聞は「満州事変」等の戦争報道で販路を拡張し、売り上げを伸ばしました。社会的事件を必要以上に、いわば「針小棒大に」報じるという「癖」は已みがたい習癖になってしまいました。選挙報道もしかりで、ひたすら「大騒ぎ」を演出するだけで、事実は二の次、それで事足れりとしているのでしょう。その「イエスの方舟」が一昨年に映画として公開されました。以下がその関連記事です。

〈「イエスの方舟」騒ぎは何だったのか かつて消えた女性たちにカメラが迫る◆映画「方舟にのって」公開 1980年冬、東京・国分寺市で暮らしていた若い女性たちが2年にわたり失踪していると報じられた。女性たちが集まっていたのは聖書研究会「イエスの方舟」。中心人物の千石剛賢氏に「娘を返せ」と迫る家族の声を受け、報道は過熱。しかし、女性たちがメディアと対峙(たいじ)し、「ハーレム」と非難された千石氏が出頭後、不起訴となって、騒ぎは沈静化した。
「おっちゃん」と慕われた千石氏は2001年に死去したが「イエスの方舟」は今も福岡県で健在。女性たちがクラブ「シオンの娘」を経営しながら共同生活を送る。騒ぎは何だったのか。現在の姿をカメラで捉え、過去を振り返るドキュメンタリー映画「方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~」が6日公開された。佐井大紀監督に制作の経緯を聞いた。(時事通信社 松尾圭介)(以下略)(時事通信社・2024/07/10)https://www.jiji.com/jc/v8?id=202407hakobune)〉
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もう何年前になるでしょうか。ある時、誘われて福岡の中州にあった「イエスの方舟 シオンの娘」というクラブに行ったことがありました。世にいう「飲み屋」でした。そこには「おっちゃん(千石イエスさん)」亡き後」もなお、固い信仰に生きる多くの信者たちがおられた。事件報道から何年ぶりかで、ぼくは彼女たちの信仰の一面を見た思いがしました。やがて、その店は閉鎖され(2019年)、今でも同じ福岡古賀市で、それまでと同じように営業と信仰生活を営んでおられるという。なかなかに見極めは困難ですが、ぼくたちの側に「真贋」に対する感受性と深い考察がなければ、再び三度、「イエスの方舟」問題は、いつでも興味の対象、商売のネタにされるでしょう。ために「方舟」は、広大無辺の海の中で難破することを繰り返すでしょう。現下の政治問題でもある「(旧)統一教会」の帰趨はどうなるのでしょうか。「カルト教団」であろうが暴力団であろうが、選挙に資するなら、つるんじゃえというという、空恐ろしい「宗教政治」がまかり通っています。「信教の自由」を悪用した政治に手を染めて、この国はどこへ向かっていくのでしょうか。
慈しみ深(ふか)き 友なるイエスは
罪 咎(とが) 憂(うれ)いを 取り去り給(たも)う
心の嘆きを包まず述べて
などかは降(おろ)さぬ 負(お)える重荷を
慈しみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りて憐(あわれ)む
悩み悲しみに 沈める時も
祈りに応(こた)えて 慰め給わん
慈しみ深き 友なるイエスは
変わらぬ愛もて 導き給う
世の友われらを 棄(す)て去る時も
祈りに応えて 労(いたわ)り給わん(讃美歌312)
(讃美歌312番 「いつくしみ深き」秋本悠希・歌)(https://www.youtube.com/watch?v=Cvixv0uYn1k&list=RDCvixv0uYn1k&start_radio=1&t=66s)
日本国憲法第20条
第1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
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