君はどうして総理大臣になりたいのか

 巧言令色(こうげんれいしょく)と巧偽拙誠(こうぎせっせい)と 

 我ながらウンザリしています。「今日もそれ(政治問題)か」、という呆れる思いがぼくにはある。つまり、「政治向きからは離れたらどうか」というささやき声がしきりにするのです。しかし、そこはそれ、コラムを「出汁(だし)」に、わが衰え著しい脳細胞を、無駄とは知りながら、刺激することを旨として雑文書きなぐりを始めた以上、各紙「コラム」の勢いに流されるのは、一面では仕方がない。加えて、「鼓腹撃壌」を決め込み、「帝力なんぞ我に有らんや」と、権力(政治)にソッポ(外方)を向けて、自分の日常に没頭(埋没)していたいのはやまやまだけれど、若い時の政治的無関心にぼくは痛く懲りたこともあって、それもできないので、否応なし(詮方なし)に、昨日も今日も、この国の衰弱著しい「政(まつりごと)」に悪態をつく羽目になっているのです。それも今少しの辛抱さ、と思いつつ、です。

 熟年結婚をしたが、誰も彼もが賛意を(祝意)を示さないままに、いきなり嵐(衆議院選挙)に襲われ、家もろともに吹き飛ばされ、一つになったと思っていた「家の子郎党」は雲散霧消し、結婚の当事者(共同代表)は表舞台から消えてしまいました。残された一方の郎党もまた、「兵(つわもの)どもの夢の跡」と、まさしくぺんぺん草も生えないような荒れ地に放置されたまま。そしてようやく、家屋敷の瓦解を避けようと、きわめて少数の奇特な家人(サバイバー)たちが「家再建」に乗り出そうとした。その顛末を房総半島の山中に「陸沈(滅亡寸前の身)」しつつ、おおよそのふるまいを見てきました。ありていに言うなら、まさに「四分五裂」の為体(ていたらく)、驚くべき醜態を晒(さら)してしまいました。「これが政党なのか」と、怨嗟や叱責、あるいは罵詈雑言がが、内からも外野からも飛び交っています。結果、昨日、わずか、残党「49人」で(赤穂浪士より2人も多いのを奇化とするか)、討ち入りならぬ「討ち死に」を避けるべく立ち上がろうとしたのです。ここまで落ちて、党や党員の「死に体」は明らかであるにも関わらず、それでもなお、 「死からの復活(Resurrection from the Dead)」を願う政治家たちの「覚悟やいかに」と、ぼくはそう思っている。選挙制度の仕業、圧倒的多数の「氏に票」を出したのだから、「小選挙区制」の弊を、自らの勝ち点にできなかったのは、理由があるにせよ、普段から、のうのうと油断していたということ。そう納得すれば、浮かぶ瀬もあるぜよ。

 そして敗残の兵(つわもの)たちの総大将に、香川の「パーマ屋の息子」が名乗りを上げました。O氏。1971年生まれ。彼が役所をやめ、議員になりたてのころから、ぼくはなぜだか(偶然にも)、彼の挙措をよく見ていました。とにかく、なかなかの自己顕示欲の達者な人物と見えたからでした。そして、「新代表」に決定・選出されたのを機に、改めてOさんの「軌跡」を振り返り見ることにしました。そして、ぼくは一驚を禁じえませんでした。詳細は避けますが、実に「変わり身の早い男」と記録されているではないですか。移り変わりが激しい、その解釈をぼく流に読むと、そうなるのです。それをよく受け止めれば、彼は「機敏(つまりは風見鶏)」でありもすれば、いやどっこい、皮肉にみるなら「右顧左眄(うこさべん)」「物干し竿(ものほしそう)」に映りましょう。率直に言うなら、どうやら彼には「筋金(die-hard)」というか「背骨(backbone)」がなさそうなのです。まるで「軟体動物」のごとく、です。だから、「奈良の女」と相似形だと思った次第でした。

 実にはっきりと物事はいうけれど、まさに、「朝令暮改」「言語明瞭、態度流行」を絵にかいたような御仁でしょう。ご本人は断じてそれを認めないのは、当然です。あくまでもぼく個人の偏った印象ですよ。原発問題しかり、「集団的自衛権」しかり、憲法改正問題しかり。つまり、大向こうを唸らせる結構な発言はするが、指摘されても撤回はしないで、訂正・修正は厭わない(弁解・言い訳の名人)という、ぼくはこれを「無定見(inconstancy)」と見たのです。それは時には「不誠実(inconstancy)」に重なると思う。要するに、人でも物でも、みる目がないという、大きな欠陥を隠し持っているというか。でも世間の人はそうは見ないで、彼の表層を見るだけ。だから、何度も当選を重ねる。政治家の典型です、ね。それ故に、いつだって「表層雪崩(ひょうそうなだれ)」が起きるのでしょう。

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【有明抄】君は総理大臣になれるのか コロナ禍の2020年に話題になった映画がある。題名は「なぜ君は総理大臣になれないのか」。主人公は官僚を辞め、衆院議員に挑戦する一人の青年。初出馬からの17年間を追ったドキュメンタリーだ◆総理大臣になるには政権与党の党首に就くのが王道。だが、この青年は2003年、野党の民主党から香川1区に初めて立候補。地盤、看板、かばんの「3バン」なしで奮闘したものの落選した。2度目の挑戦で比例復活で初当選。民主党が政権を奪取した09年の総選挙では初めて小選挙区で勝利した◆彼はその後も保守王国と呼ばれる香川で比例復活を含めて当選を続け、今回の衆院選で8選を果たした。そしてきのう、野党第1党である「中道」の新代表に選ばれた。小川淳也氏(54)である。自民党が記録的勝利を収める中、小選挙区で勝利した中道の候補7人のうちの1人だ◆健全な民主主義の実現には多様な声を国政に届ける野党の存在が欠かせない。ただ、民主党から中道に至るまでの野党の離合集散は複雑で主義、主張が分かりにくくなっている◆小川氏は初出馬から23年を経て、総理大臣になれる位置まで来た。ただし、中道が政権をとればの条件付き。政権交代はおろか、中道は再び離合集散を繰り返すのではと冷めた見方もある。まずは党再建へ新代表のお手並み拝見。(義)(佐賀新聞・2026/02/14)

【新生面】火中の栗 2017年秋の衆院選を前に希望の党をつくった小池百合子東京都知事の「排除」発言が忘れられない。当時、民進党からの移籍組を「全員受け入れる気はさらさらない」と突き放した▼民進党の前原誠司代表の側近だったのが、きのう中道改革連合の新代表に就いた小川淳也さん。彼を取り上げたドキュメンタリー映画は、逆風にさらされて自民党候補に敗れた香川1区の戦いを描写した▼対照的に、移籍を拒んだ枝野幸男代表率いる立憲民主党は躍進。映画の中で、今後の政治スタンスを聞かれた小川さんは支持者に「前原さんほど右ではない。枝野さんほど左ではない。保守派とリベラル左派の間、まさに『中道』のど真ん中を行きたい」と答えた▼8年余り前のやりとりだ。長く敵同士だった公明党と立憲民主党が中道という名の新党で今回、衆院選に臨むとは思ってもいなかったろう。まして議席数を49まで減らす惨敗を喫するとは▼党の立て直しが急務だ。高市早苗政権を監視する役割も求められる。小川さんは代表選後、国民生活の安定と将来見通しに全力を尽くすと決意を語った。ただ迫力がもう一つの印象だった。対峙[たいじ]しなければならないのは戦後最多の316議席に膨らんだ自民党である▼党首の知名度も分が悪い。相手は愛用品やファッションをまねる「サナ活」という言葉が生まれるほどの人気者。ドキュメンタリー映画のタイトルは『なぜ君は総理大臣になれないのか』だったが、存在感を示さなければ、道は開けてこないかも。(熊本日日新・2026/02/14)

 (言わなくてもいいことですが。映画の画面に「家族」が総出で父親・夫の応援をする風景が見られます。ぼくは、このような「微笑ましさ(を装ったかもしれない)」らしい姿勢には反吐が出る。もちろん、ぼく個人の意見ですが、子どもやかみさん(妻)は「別人格」ではないかと思う。家人が父や夫を応援したいといっても、このような風潮をぼくは忌み嫌いますね。要するに、「公・私」混同(取り違え)と受け取られるからです) 

 (「火中の栗を拾う」というに語には、いくつかの解釈があります。多くは「① 他人のために、自らの身・安全をいとわずに危険を侵す」と捉えられます。②は「《猿におだてられた猫が、いろりの中の栗を拾って大やけどをしたという、ラ‐フォンテーヌの寓話(ぐうわ)から》自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒す(愚か者?)たとえ」デジタル大辞泉)(あえていうなら、ぼくは②のほうに身を置くもの)

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 代表選出後の記者会見で、ある記者から「アメリカの大きな政治的不祥事でもあるエプスタイン事件(文書)」について質問され、「なに、エプスタイン? 不勉強にして知りません」と言ってのけたことに、ぼくはゾッとした。そこにはいくつもの問題があると思ったからです。「善意の人」「正直な男」と受け取れば、どうということもないでしょうが、今アメリカ政界の、大統領を巻き込んだ不祥事(それも人身売買や人権侵害に該当する事件の当事者だった人間にかかわる)そんな深刻な問題を「知りません」と実にあっさりしたもの。この何年も、いや何十年も、米国で問題になり続けているのに、関心を示さないのはどういうことか。ぼくには解せないという以上に、彼には不感症の虞(おそれ)が多分にあると、大いにこころが痛むし寒々しい思いがします。(左写真は「(左から)2000年2月に一緒に撮影されたトランプ氏、この5年後に結婚したメラニア現大統領夫人、故エプスティーン元被告、マックスウェル受刑者」BBC・2025/07/22)

 「君はどうして総理大臣になれないのか」(大島新監督作品・2020年公開)、このようなドキュメントを作った監督の人間観察眼の鋭さを指摘すべきでしょうか。ぼくはそうは見なかった。見栄えはいいし、格好のいいことも口にする。それだけではないかというつもりはありませんけれど、「無定見」は拭(ぬぐ)い切れません。それは「しっかりした考え方や意見を持っていないこと。確固とした見識がないこと。また、そのさま」デジタル大辞泉)ということです。見栄えはいいし、耳当たりのいい言葉がポンポン出てくる。つまり「巧言令色」(口八丁)であり、そうではあってもなお、「巧偽ハ拙誠に如かず」ということであります。あくまでもぼくの印象。

 記者会見で、もう一つ奇異に感じたこの人の特質、それは聞かれた質問に答えるのではなく、自分の見識(内容空疎)をひけらかしたくなるということ。その態度によって、その人は「賢い」のではなく、「賢ぶっている」だけという印象を、ぼくは強く持ちます。「表向きの見栄えはいいけど、裏はゴミダメ」そんなことはまさか、あり得ないでしょうが、その疑いはある。にわか勉強家・学校優等生の一大特質。その臭気は「奈良の女」にも滲み出ています。「巧言令色」の「巧言」とは「心のこもらぬ飾り言葉」であり「令色」とは「表情を愛想よく飾る」ことです。「君子豹変 小人革面」(「易」)「小人は面を革(あらた)む。順にして以て君に從ふなり」、要するに、顔色を変えて従うふりをするということです。(作り笑いの得意な面々、政治家にはごまんといる)

 偉そうな批判をしていますが、彼(Oさん)がどんな「政治家の先輩たちに近づき、そして離れたか」、それを知るだけで、驚くはずです。まるで見境がないといってもいい。彼の感性はじゅぶんに鋭いか、ぼくはそれも疑っています。それはそれとして、二つの政党が「政略結婚」、それも「熟年結婚」を、表向きでは、しました。一方の党の前の相手は「我が世の春」を謳歌し出しているというのに、離縁された古女房(政党)は、結婚・離婚を繰り返した末に、たまたま似た者同士が集まりつくっだ「烏合の衆・政党」とマッチングアプリで出会ったが、それぞれの身の振り方を考えるいとまもなく、「出会いがしら婚」をしたような具合でした。それもつかの間、この無謀な、思い付き「結婚」は跡取り息子・娘たちたちに相続を委ねて、新しい段階に進んだというのでしょう。

 それぞれの「連れ子(義理の兄弟姉妹)」は多数であり、それぞれの親類縁者を入れれば、天文学的数字になります。うまくいくはずもないものを、無理にでも一緒にするということは土台、無茶で無理な話。1+1=マイナ100超。この難問に果たして「正解」はあるか。そして、その上に、願わくば「奈良の女」と「香川の男」が、よもや手を組むことはいでしょうね、とぼくはこの国の行く末を案じつつ、勝手次第にくっついたり離れたりしたら、残された一億の国民は路頭に迷うということを肝に銘じてほしい、と山中、密(ひそか)に念じるのみ、です。(左写真「老いらくの恋」ならぬ「末期の合体」は粉々に砕けてしましました)(折しも、本日は「聖バレンタインデー」だそうです)

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