【産経抄】賢しらぶる「声」に惑うなかれ、高市首相は民意への答えを 何年か前、小紙ウェブサイト「産経ニュース」で音声によるインタビューの連載を担当した。▼取材相手の話を収録し、ネット上で届ける企画だった。簡単なようで、そうでもない。録(と)った音声を取材後に聞き直したところ、雑音だらけで慌てた覚えがある。周りにいる人の声から洗い場の水音まで、あらゆる物音が入っていた。音響の専門家によれば、マイクを置いた位置がよくなかったという。▼「話す人のそばに置かないと、周りの音も拾いますから。人の耳と一緒なんです」と。指摘の通りで、マイクは取材相手と当方の真ん中にあった。音の出どころが周りにいくつもあると、耳と同じくマイクも迷うものらしい。政治の中心に身を置く人も、これに似た境涯だろうか。現代は「危機の時代」といわれる。一国の指導者に迷っている時間はない。▼衆院選が終わり、空前の大勝を収めた高市早苗首相と自民党に対して百論が飛び交う。「数の力で異論を抑え込んではならぬ」との声もある。賛否を伴う政策を進めるにはしかし、議論した上で多数決で決めねばならない。それが民主主義である。圧倒的な「直近の民意」で政治的な力を得た政権が、賢(さか)しらぶる声の一々に足踏みしては選挙が意味を失う。▼「国論を二分」する政治課題を、背負って立つ資格が自分にあるか。高市首相は選挙でそう問いかけ、有権者は決めきれぬ政治との決別を選んだ。強靱(きょうじん)な安保政策を推し進め、インテリジェンス(情報収集)機能を高め、憲法改正を。なすべきことに形を与えるのが示された民意への最も誠実な答えに思える。▼一時期もてはやされた「聞く力」も、声という声をあまねく拾う耳だけでは前に進めない。高市氏の耳は、どうだろう。(産経新聞・2026/02/13)

「現代は『危機の時代』といわれる」「圧倒的な『直近の民意』で政治的な力を得た政権が、賢(さか)しらぶる声の一々に足踏みしては選挙が意味を失う」「強靱(きょうじん)な安保政策を推し進め、インテリジェンス(情報収集)機能を高め、憲法改正を。なすべきことに形を与えるのが示された民意への最も誠実な答えに思える」(【産経抄】⇧)ここでコラム氏がお得意の辛辣な表現を使っています。「賢(さか)しら」とは「利口そうに振る舞うこと。物知りぶること。また、そのさま。かしこだて。「—をする」「—に口を出す」(デジタル大辞泉)偉そうに批判する連中の「怒声」や「うめき声」などには一顧だにするなという応援団の力強い励ましです。しゅそゆにとっては「百人力」ですか。

「歴史的大勝の高市早苗首相は『国旗損壊罪』の制定を目指す▼40年ほど前、海邦国体の会場で日の丸が燃やされた時は刑法の器物損壊罪を適用した。政治への反論を表現の自由として尊重するならば、新たな法制化は必要だろうか」「国が過剰に『正しさ』を強要する時代は息苦しかろう。ここは『オールドメディア』たる新聞の踏ん張りどころ。『働いて働いて』の高市首相ではないが、沖縄戦という軸に立って書いて書いて書き続けるしかない」(【金口木舌】⇩)(左は赤瀬川源平さんの「偽札」の絵です)
二つのコラムは、首相の「選挙に大勝」をめぐって、まるで方向(ベクトル)の違う意見を出しています。首相自身の評価をめぐって、いわば「国論は二分」されているともいえそうです。もちろん、ぼくは「沖縄派」であることを隠さない。
【金口目舌】現代美術家、照屋勇賢さんの作品「さかさまの日の丸」は、「正しいと正しくない」「常と常ならず」の感覚を静かに揺さぶる。正しさって何だっけ▼衆院選やミラノ・コルティナ冬季五輪で日の丸の旗を目にする機会が増えた。選挙戦では「正しい」という言葉も聞いた。歴史的大勝の高市早苗首相は「国旗損壊罪」の制定を目指す▼40年ほど前、海邦国体の会場で日の丸が燃やされた時は刑法の器物損壊罪を適用した。政治への反論を表現の自由として尊重するならば、新たな法制化は必要だろうか。何年も前から「保守層へのヨイショ」とも指摘される▼雪の五輪会場の日の丸を見ながら、作家の故赤瀬川原平さんなら今をどう料理するか考えた。約60年前、アートで作った「模型千円札」が罪に問われた。裁判も含め、本物と偽物の間で展開された芸術行為は「正しさ」「常識」を揺さぶり、挑発した▼国が過剰に「正しさ」を強要する時代は息苦しかろう。ここは「オールドメディア」たる新聞の踏ん張りどころ。「働いて働いて」の高市首相ではないが、沖縄戦という軸に立って書いて書いて書き続けるしかない。(琉球新報・2026/02/13)

「国論」とはどういうものですか?「国民一般の論・意見。世論。『—を二分する』」(デジタル大辞泉)「国論が二分されている問題」にも果敢に挑戦して、前に進めると首相は「解散」の「大義」をかたっている。まるで「後出しじゃんけん」みたいなもので、これもやる、あれもやる、みんな国論が二分されているものだ、と。選挙の結果に関して、ぼくは何も言わない。それが多くの有権者の選択(判断)だったのですから、それをとやかく言うことはしません。しかし、有権者の多くの判断が「正しくない」「誤っていた」ということはいつだってありえるのだし、その圧倒的多数の判断が間違った方向に進む情勢(国情)を「ファシズム(fascism)」というのでしょう。それは否定できません。
ただ今現在の、この国の政治的雰囲気は間違いなしに「ファシズム」であるとぼくは考えています。「極右の国家主義的、全体主義的政治形態。初めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼称であったが、広義にはドイツのナチズムやスペインその他の同様の政治運動をさす。自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする」(同前)少なくとも、この辞書に言うところの「自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする」という部分(政治的傾向)は、まさしくそうであるといえるでしょう。個々の有権者の資質や判断がどうであろうと、けいっか的に「圧倒的多数の民意」が一党に寄せられたのですから、それを「千載一遇」の好機と捉えない政治家はいないでしょう。(「ファシズム」についてものをいうとすれば、おそらくたくさんの言葉を尽くさなければ無理でしょう。しかし、ここは論文を書く場でもありませんので、辞書を引いて、役目済ましをしておきます。いずれ、否応なく、語るべき時が来るでしょうから、その時に譲ります)

本日は、二つの新聞のコラムを引用しました。まさに「右」と「左」に分裂しているかのような印象を受けます。だから、「あなたはどちらの立場に立ちますか」と問われれば、「ぼくは【産経抄】にくみします」、「いいえ、私は金口木舌派です」と、国や権力者に対する「立場」は分かれますからあるもんだに関して両社の意見を聞けば、たぶん「文壇」されることは避けられないでしょうね。問題はその先です。みんながまとまっていれば、政治は簡単でしょうが、はっきりと意見が割れるとき、政治や政治家の出番があると思うのですが、この国も「多数決」が物事を決める手段となるのは、その通りでしょうが、問答無用で「多数決」となるなら、それこそがファシズムの特質がそこに見いだされることになるでしょう。
ファシズムはどこからやってくるのでしょうか。あの山超えて野を超えて、いや海のかなたの異国から。そう思いたいのでしょうが、違います。「私の心の内」「あなたの胸の中」、そこからやってkるのですよ。だからよほどでない限り、ほとんどはそれと気が付かないのですね。もちろん、首相自身も。自分はファシストだとは夢にも思っていないでしょう。気が付いたら、手遅れというか、ファシズムは気分的には完成してしまっている。この国も現状はどのあたりですか。
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◎ ファシズム= 狭義にはイタリアでムッソリーニの指導下にあったファシスト党の,広義には20世紀の全体主義的・国家主義的独裁の運動理念,支配形態。イタリア語ではファシズモfascismo。語源は古代ローマの儀式用の束桿を意味するfasces,転じて〈結束〉〈団体〉の意。第1次世界大戦後の資本主義の一般的危機と,それから起きた社会的・経済的混乱や社会主義革命の危機の切迫感から,その存立基盤に不安を感じた中間層が,カリスマ的指導者に率いられて起こした大衆運動。議会政治や言論・出版・結社等の自由をすべて否定し,反革命運動を推進した。またすべての悪の根元は社会主義・共産主義・ユダヤ人等にあるとし,偏狭な民族主義や排外主義を唱え,しばしば対外侵略政策をとった。ドイツのナチズム(ナチス)や日本の天皇制ファシズムもその例である。ただし,ファシズムを最広義に,〈共同体〉(その大小,出自,体制の相違を問わない)統合の極限的な原理ないし手法と解すれば,これを歴史的事象として清算することはできず,再出現の可能性は常にあると考えなければならない。その政治的・経済的・社会的側面のみならず,思想や文化にわたる機制の解明が必要とされるゆえんである。(百科事典マイペディア)
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