【海潮音】日本はどうして核兵器を持たないのですか? 被爆者に質問した学生服姿の男の子は続けた。ウクライナだって核兵器さえ持っていればロシアに攻められずに済んだ。ユーチューブで○○先生は核兵器を持つべきだと言っているし、自分もそう思う◆じゃあ、君は世界中の国がみんな核兵器を持てばいいと言っているのかい? 被爆者は逆に問いかけたが、男の子は心変わりすることなく去っていった-。昨年8月6日、広島市の平和記念式典後の被爆証言を聞く集まりで、被爆2世の柴田杉子さん(63)=鳥取市=が間近に見た押し問答の顛末(てんまつ)である。先週末、核兵器禁止智頭町実行委員会の講演会で紹介していた◆高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋が「私は核を持つべきだと思っている。最終的に頼れるのは自分たちでしょう」と発言した政界話とは訳が違う。若年層がネット情報を通して核抑止論に傾斜する現実に驚きを覚える◆「核抑止論に関しては若い人と言葉でやりとりしても負けるんですよね。論理的にきちんと自分が説明できるようになりたい」。柴田さんは知識の乏しさを自戒し、改めて誓っていた◆唯一の戦争被爆国として核の脅威にどう立ち向かうか。衆院選の争点でもある。わが事として考えを持つ必要がある。(深)(日本海新聞・2026/02/05)

「金を持っている奴が勝ちですよ、この世の中は」と思う人は少なくありません。まるで、「人生は土俵のない相撲の勝ち負け」と錯覚している人はいつの時代にも存在してきました。でもその「思考力」「想像力」のなさが極めて顕著になってくるのが「社会」や「国」が左前になってきたときでしょう。「倒産まじかの会社」みたいなもので、嘘つき合戦が盛んになります。本当のところを探られたくないから、「やられる前にやってしまえ」という勇ましく聞こえる「先制力」「不意打ち」に頼りたがるのでしょうか。コラム「海潮音」氏が問おうとしているのは何ですか。「唯一の戦争被爆国として核の脅威にどう立ち向かうか。(略)わが事として考えを持つ必要がある」と極めて一般論の披歴で終わっているのはどうしてでしょう。こんなことしか口にできないのは、怠慢ではないですか。歴史の事実と違うとまでは言いませんが、「唯一の戦争被爆国」という「古手形」を使い過ぎていないでしょうか。使ってはいけないといいたいのではありません。時と所を選ばなければ、とそれを指摘したいだけ。犬や猫を相手に「唯一の戦争被爆ですから」と、どんなに力説したところで何になるんですか。説法もまた、人を見て、ですよ。木石に通じる説法は、果たしてあるか。
「日本はどうして核兵器を持たないのですか?」と聞き返すのは、何も学生服姿の男の子だけではないでしょう。この国の為政者(総理大臣や閣僚経験者をはじめとして)、の大半は「核保有すべきである」と思いもし、発言もする。現に、首相補佐官の一人は「核を保有すべき」と発言したというし、その発言は今もって取り消されもしなければ、否定もされていません。総理大臣をはじめとして、内閣閣僚はすべて「発言を受け入れている(内閣の、いわば総意」でしょ)とみなされるし、「その通り」としか言えないでしょう。加えて、政府高官(とは誰のことか、どうして新聞テレビは「実名」を伏せるのですか)から直接聞いた情報であるにもかかわらず、「A」氏はと、名前と肩書をなぜ言付けないのですか。報道の「5W1H」とかいうのがあるらしいが、その基本要素を欠いているのは情報報道の倫理に悖(もと)ります。「名前を伏せる(匿名)」意味はどこにありますねん。「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」といささかでも考えているなら、新聞記者を辞めるるべし。「* 由よらしむべし知しらしむべからず= 《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」(デジタル大辞泉)「転じて、そんな政治は悪性であるというべし」と、自称編纂者は解説しなければ。筆者注)

核兵器を持っているから、攻撃されない、というのは空想だし、無根拠の空論です。核兵器で攻撃されたら、やり返されることはないと、多くの人は単に希望を述べているだけで、「やられたらやり返せ(If someone does something to you, do it again)」という実例を見ないだけの話です。人間の善意も深いけれど、その広さや深さは「悪意」には遠く及ばないと、ぼくは考えるものです。それこそ、広島長崎の「原爆投下」を思えば頷(うなづ)けるでしょう。当時の米国為政者は「日本人は人間の姿をしているサル」とみなしていたし、今だって根っこの部分にはその「蔑視(contempt)」がある。つまり、相手は野良猫だから殺していいという「感情」が、ある種の人間にはあるということです。
「高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋が『私は核を持つべきだと思っている。最終的に頼れるのは自分たちでしょう』と発言した政界話とは訳が違う。若年層がネット情報を通して核抑止論に傾斜する現実に驚きを覚える」という部分に、ぼくは違和感を強く覚えます。核の専門家を自任しているらしい「官邸筋」はいかなる論拠(合理性)に基づいて「核を保有すべき」といったのか。学生服姿の男の子は「「ネット情報による核抑止論」だから駄目なのだというのは、ぼくには不可解です。AであろうがBであろうが、「核保有」はいかなる理由があろうが間違いであると、どうして言えないのか。「核抑止論に関しては若い人と言葉でやりとりしても負けるんですよね。論理的にきちんと自分が説明できるようになりたい」と被爆者は語られたという。つまりは、論争で勝ちたい、負けたくないようにといわれているとするなら、無駄です。「君が言うのは理屈で、理屈なら負けないぞ」といってどうなるんですか。論争に勝とうが負けようが、「核保有の有無・是非」について宗旨替えするのでしょうか。もしそうなら、もっと危ないですね。「論破」は問題のすり替えです。

政府高官(官邸筋)や学生服姿の男の子に欠けているのは「核攻撃・核被爆への想像力」です。(ここで、大江健三郎さんの「核時代の想像力」という著作のこと思い出しました。学生時代に熟読したものです)被爆すれば、被爆当事者はもちろん、その子孫にまで被爆の累(後遺症)が及ぶ。「戦後八十年」の記憶すら持てないチャラい総理大臣や政府高官たちが、どうして歴史の中で「公正」「誠実」を貫けるでしょうか。ぼくたちに決定的に欠けているのは「想像力」です。この時代、我々に欠けているのは、あらゆることに豊かに反応するだろう、そんな想像力だと思う。軍備を強固に整え、敵の攻撃に備えるというのはバカの理屈で、ガリバーのような強敵に小人国はいかにして対峙し得るかという問題の設定自体が間違っています。大相撲の横綱に向かっていく少年みたいなもので、論外ではないですか。その程度ならわかるというのか。「自衛隊」=「軍隊」をどれだけ増強したところで、まずどこと戦うのかが明らかなんですか。能天気な政治家の口癖は「極東情勢」は極めて厳しいという。ぼくは「そうなんですか」と思うばかりです。「厳しさ」に向かうのは武力しかないという浅はかな思考回路がくるっている。

コラム「海潮音」の内容に誘われて、なんだか遠くまで来てしまいました。十七世紀の「オランダ風説書」が脳裏に浮かんでいます。つまり、今日の「核保有論」や軍備増強の根拠になっているのは「風説の流布」の類だと、ぼくは断言したい誘惑に駆られています。少子高齢化の大波に洗われ、加速化する衰退の坂道を転げ落ちる現状は、誰の目にも明らかな、極東のこの小国が身にそわない、「身分不相応な「核保有」や「軍備増強」を急くのは何のためですかと問いたい。あまりの軍事増強費用の巨額に、この国は「金融破綻」さえ起こしかけていると、世界各国の話題になっているこの時期、「有能」でなくてもいい、ごく平凡な正邪・善悪の区別のつく為政者が出てほしい。嘘をつきとおし、自らの責任を部下に押し付けるような「宰相」は、女であれ男であれ、今のこの国には不要ですよ。「くさいの、くさいの飛んでけ~」 次は、いつ、どの場面で「急病」になるんですか?
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「半年のうちに世相は変った。醜しこの御楯みたてといでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋やみやとなる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌いはいにぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ」「人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」(坂口安吾「堕落論」ちくま文庫版)
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