
【明窓】柘榴の花 わが家はアパート住まいで、隣家の庭木を「借景」としている。フェンス越しに柘榴(ざくろ)の木が半分ほど見えるだけだが、四季折々の姿は日々の癒やしだ。この時季は鮮やかな緑葉と赤い花に元気をもらっている▼詩人・三好達治(1900~64年)は<柘榴の朱は格別の趣きがあつて、直接な生命の喜びとでもいふやうなものが、ふさぎ勝ちな前後の気持を押のけて、独自の逼(せま)り方で強く胸に逼つてくる>と、随想『柘榴の花』に記す▼発表したのは戦時中。<兵馬倥偬(こうそう)を極める時局下に、無慙(むざん)な閑談を試みたとがめを蒙(こうむ)るかもしれない>と控えめだが、戦地からの若い友人たちの手紙にも常にこうした閑談があり、それが<日本人としての彼らの心情に微妙に誇張なく調和している>という▼以前、取材した古老に「自分」とは「自然」の「分身」だと諭された。自分の考えや行動が周囲の自然、環境に関わるのだと解釈した。それも踏まえれば三好が作中に記す<自然はあらゆる美の手段をつくして、沈滞する人の心をつねに眠ざめしめようと、人人の心に向つて不断に好機を捉へようとして待ちかまへているもののやうにさへも思はれる>という感想は、今の自分に必要なメッセージが、あちこちにあるということだろう▼あすから6月。祝日がない月で、「海の日」(7月の第3月曜日)まで連休はない。個人的には柘榴に背を押してもらい気張るとする。(衣)(山陰中央新報・2024/05/31)

大学在学中、都内文京区本郷に住んでいて、しばしば上野や浅草方面に出かけました。あるいはその近くにあった鶯谷や入谷などにも足を伸ばした。その入谷には「鬼子母神」があり、なかでも朝顔市が有名でした。ぼくは、そこで朝顔を買ったことはなかったが、その時期になると、方々の電車やバスの中にまで「朝顔」が持ち込まれて、梅雨時の季節を思わせました。また、後年には、勤め先の近くに雑司が谷鬼子母神があり、何度か境内に足を入れたことがあります。別に信仰心からではなく、「鬼子母神」という禍々しい名前に惹かれてのことでした。

その鬼子母神、今は安産や子育ての女神と崇められていますが、もともとは魔性の母親が元型。(由来は辞書参照)その鬼子母神像の右手には柘榴(ザクロ)の花が握られています。なぜだろうと不思議に思ったことでした。その理由もいくつかの説がありますけれど、大方は辞書に書かれています。仏教では柘榴は「吉祥果」と書く。この女神は「吉祥天」を生む。吉祥天の夫は毘沙門天。(こんなことを綴っていけば際限がありません)言いたいことは「鬼子母神」の右手には柘榴があるという一事です。さすれば、柘榴は「神聖」な、あるいは「摩訶不思議」な利益(りやく)があるとされているという証拠にもなるでしょうか。まだ小学校に入る前、ぼくはほんの数回ですが、柘榴の実を食べた記憶があります。うまかったという印象は残らなかった。今はもう廃れてしまった能登半島の家郷にあった専通寺というお寺の境内にあった。それ以来、そもそも柘榴の木を見ることがなくなりました。なぜだろうか。

東京でも千葉でも柘榴は見かけなくなりました。物の本には曰く因縁がある樹だから、庭木などには適していないとも記されているのですが、さてどうでしょう。食用に供されるさまざまな果実があり、木の実もありますから、わざわざ柘榴などを食べることもあるまいと言ったところでしょうか。近年では、ジュースやザクロ酢として重宝されているようです。従前は、この樹皮や実は生薬としても使われていた。
ぼくにとっては、とても懐かしい樹木であり、今では縁の遠くなった樹でもあります。真っ赤に燃え立つ紅色と「子殺し」を繰り返した鬼子母神のイメージが重なり、爽やかな木や花という受け止め方が出来難くなったきらいがあります。
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● ザクロ(ざくろ / 石榴・柘榴)(pomegranate)([学] Punica granatum L.)= ザクロ科(APG分類:ミソハギ科)の落葉小高木。観賞用の1変種ヒメザクロvar. nana hort.は樹高20~30センチメートルの低木。一般に分枝が多く、葉は対生し短柄がある。花は両性花と雌性の退化した雄花とがある。萼(がく)は筒状、多肉質で5~7裂する。花弁は6枚で橙赤(とうせき)色を基本とし、そのほか白色、赤色に白色の絞り、橙黄色などがある。果実は花托(かたく)の発達したもので、ほぼ球形となり、宿存萼がある。果皮は厚く、中に薄い隔膜で仕切られた6個の子室があり、多数の種子が隔膜に沿って配列する。熟果の果皮は黄白色または紫紅色となり、不ぞろいに開裂し、白色、淡紅色あるいは濃桃色の多汁な外種皮をもった種子を現す。(⤵️)

(⤴️)外種皮は甘酸っぱく特殊な風味があり、生食用とするほか、グレナディンgrenadineなどの清涼飲料とする。原産地はイラン。アフガニスタン、パキスタン、インド北西部には種なしの果実を結ぶよい品種がある。アメリカではフロリダ、ジョージア、ルイジアナの地方で、生食用、ジュース用として栽培される。日本へは平安時代に中国を経て入ったと推定されており、花木として重んぜられた。そのため、花はもちろん、果実も熟して割れる美しさを観賞してきた。また、根や茎の皮、果皮を薬用とした。本州以南なら栽培は可能であるが、暖地でよく育つ。繁殖は挿木、取木、株分けなどによる。なお、果樹用品種としては、果皮の割れない形質が重要視される。実のなる実ザクロに対し、八重咲き種は結実せず、花ザクロとよぶ。(日本大百科事典ニッポニカ)

● きしぼ‐じん【鬼子母神】[ 1 ] 仏教で、女神の名。経典によって多少の相違があるが、鬼子母経によれば、千人の子があり、五百は天上、五百は世間にあり、最小の子を愛奴(経によって嬪伽羅という)と名づけ憐愛した。鬼子母は性質邪悪で、常に他人の子どもを殺して食べたため、仏はこれを教化しようと愛奴を隠したので、鬼子母は探し求めることができず、悲嘆にくれた。そこで仏は、汝は千人中ただ一子を失うにさえ悲嘆懊悩するのに、汝に子を食われた親達の胸中はいかばかりか、と説いて、子を返した。以後鬼子母は、仏に帰依し、誓願を立て、産生と保育の神(ときには盗難除の守護)となる。手に吉祥果(ざくろ)を持つ天女の姿をとる。律宗、特に日蓮宗が信仰する。きしぼ。きしも。きぼ。きちもじん。きしもじん。鬼子母善神。( [梵語] Hārītī (訶梨帝)の意訳 )(精選版日本国語大辞典)
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(おまけのような。 三好達治「柘榴の花」)

私は毎年この花をはじめて見るたびに、何か強烈な生命的な感銘を覚えるといつたが、そのやうな場合、私は路上にあつて、その花にむかつて同じやうな感銘を覚えた去年のその同じ季節のある日から、今日のこの日まで、まる一年間の間の生活の要約、その風味とでもいつていい、何か圧縮された鮮明なしかしまた名状のしがたい感懐を覚えるのである。
「ああまた柘榴の花が咲いた、この私の好きな花が今年もまたここに咲いた。ああさうだ、去年もこの橋の袂でこの花を見て、丁度今日のこの時と同じやうな感慨を覚えた。その時私はこの橋を渡つて去年も今日と同じやうな用足しに出かけたのではなかつたらうか。それから早くも一年がたつた。その間に戦況はますます苛烈を極め、私の身辺からも多くの若者たちが出征した。その若者たちは遠い極地の東西南北から交々こもごも私に事情のゆるすかぎりの通信を送つてくれる。その度に私はいつも胸をしめつけられるやうな集注した心持をもつてそれらを読んだ。私自身は病気といふほどの病気もせず、家内の者もまた至極無事に、この平穏ではない世界のさなかに、私の生涯の間に於ても比較的無事平穏な期間に属する静かな生活を送ることができた、さうして一年がたつて、さうしてまた柘榴の花が咲いた。海は毎日同じ声でこの美しい日本の国土に戯れかけてゐる。沖の方に見える伊豆の島は初夏のおぼろめく霞の奥にいつも変りのない姿で浮んでゐる……」
そんなことを考へるともなく考へ感ずるともなく感じながら私は路を急いでゆく。さうして私の心もまた何ものかに促されるやうにその路を急ぐのである。まことに、一つの強い感懐は、いつもこのやうに一つの方角にむかつて私の心を促したてる。さうしてともすれば鈍り勝がちな私の心の重い歩みをせきたてて、前方にむかつて私の背中を押しやるのである。自然はこの時、一つの鮮明な強烈な色彩を藉かりて、突然鋭く私の心の隙間に、一閃の光明を投げ入れた。それは思ひ設けないさまで意味もないただふとした一些事にすぎなかつたが、私の心は初夏のあざやかな朱花に対して既にめざめ「実は、私はいつまでもぼんやり、かうもしてはゐられなかつたのだ」といふ強い不意の驚き――何か悔恨の風味をもつた驚きを覚えないではゐられない。
いつもきまつて、初夏の来るごとに柘榴の花は私の心をせきたてる。いやこれはひとり、柘榴の花のみにかぎつたことではない、自然の繊細な美しさ、例へば山の端に落ちかかる三日月のやうなもの、或は林の小径で拾つた小鳥の羽、或はまた風にあがつて青空の中に見失はれてゆく蒲公英たんぽぽの綿毛、さういふ軽微な微妙なものも、また重々しい大輪の日まはりの花や、はじめにのべた柘榴の花の強烈な色彩と同じく、私の心を促して一つの方角に駆りたてるやうに思はれる。(「柘榴の花」「三好達治全集 第一〇巻」所収 筑摩書房(1964)
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