劣島の各所に「蜃気楼」「貝櫓」「逃げ水」あり

 だるま夕日 宿毛湾染め 冬到来告げる

(だるま夕日シーズン到来。養殖いかだの上、蜃気楼によって雲のように見えるのは九州の島)(宿毛市小筑紫町小浦)


 宿毛湾に風物詩「だるま夕日」のシーズンが到来した。冬はすぐそこ―。/ 宿毛市小筑紫町小浦の岸壁。27日夕、太陽は薄い雲に覆われていたものの、水平線ぎりぎりで真っ赤な姿を現した。やがて養殖いかだの向こう、海面からもう一つの太陽がゆらゆらと上昇。蜃気楼(しんきろう)によって水面から浮いているように見える九州の島が重なったものの、立派な“だるま”になった。/ 水平線近くの空はオレンジ色に染まり、立ち止まって見つめる人もちらほら。散歩中の70代男性は「今年初やないかえ。わしらは子どもの頃から見慣れちょうけんど、やっぱりえいわね」と笑顔を見せていた。/ だるま夕日は、大気と海水の温度差が大きい時季に発生する蜃気楼の一種。同市では例年10月下旬~2月中旬に沿岸各所で見られる。(新妻亮太)(高知新聞・2021.10.29 08:35)

 だるま夕日が宿毛湾を染め 冬到来告げる 蜃気楼の一種 (*これは昨年の写真)

(宿毛湾に冬を告げるだるま夕日)(宿毛市大島)

 高知県宿毛湾の風物詩「だるま夕日」が今年もお目見えした。水平線を赤く染めながら、冬の到来を告げている。/ だるま夕日は大気と海水の温度差が大きくなって生じる蜃気楼(しんきろう)の一種。例年、2月中旬ごろまで楽しめる。/ 観察スポットとして知られる宿毛市大島の咸陽島公園。午後5時すぎともなると、カメラマンや観光客、散歩の住民らが西の海をじっと見つめる。(以下略)(高知新聞・2020.11.10 08:35)

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● 蜃気楼【しんきろう】(mirage)=下層大気の気温傾度が著しく大きい場合に見られる光の異常屈折現象で,地物の位置がずれたり,実在しないものが見えたりする。地面付近の温度が高天より著しく高い場合には,前方の物体が実際の位置より低く,また実像の下に倒立像が見えたりする。地面付近の気温が著しく低い場合には,地物が実際の位置より浮き上がって,また実像の上に倒立像が見えることがある。富山湾の蜃気楼は雪解けの冷水が海面をおおい,その上に陸地から温暖な空気が流れて著しい気温の逆転層ができるために起こる現象である。砂漠にも蜃気楼現象が起こる。(マイペディア)

● かい‐やぐら かひ‥【貝櫓・蜃気楼】=〘名〙 (「蜃」を蛤と理解して、「蜃楼」の訓読)蜃気楼(しんきろう)をいう。貝楼。《季・春》(精選版日本国語大辞典)

● 逃げ水(にげみず)mirage=大気の異常屈折現象の一つ。晴天の日に道路面などが異常な高音になると,それに接する空気が暖められ,地上 1mくらいの間に急激な温度差が起こり,このとき地面付近に動く不明瞭な倒立像がみられる。遠くから見ると道路に水たまりがあるように見えるが,近づいても水たまりはなく,さらに遠くに見え,あたかも水が逃げているように見えることからこの名が生じた。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 浮島(気象)うきしま=海岸で島や岬を眺めたとき、それらと水面との境界が切れ込んで見えたり、場合によっては島や岬が浮き上がって見える現象。暖かい海面上に冷たい空気がある場合、すなわち上冷下暖の状態のときにおこる。逃げ水の現象と同じ仕組みで、島浮き、浮景(ふけい)などともいう。日本の近海ではほとんど毎日のようにこの現象を見ることができる。これに反して、冷たい海面上に暖かい空気がある場合(上暖下冷)には、船が空中に浮き上がって見える。このとき、とくに地平線下のものが浮き上がって目に見えるようになる現象をルーミングloomingという。(ニッポニカ)

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 蜃気楼は、なんといっても富山湾ですね。ぼくは実際に見たことはありませんが、その写真はたくさん所持しています。自然現象が、いたるところで猛威を振るうという日常に馴れきっているこの劣島にあって、いたるところで「蜃気楼」は確認されています。実際にはないのですが、そこに存在しているように見えるという現象で、それはまた「夢」でもあるのでしょう。「こんなすごいものを見たよ」と言っても、誰も信じないで「お前は夢でも見たんだろう」と一笑に付すか、まったく取り合わないで、やり過ごすことがほとんどです。この「蜃気楼」現象だって、最初はそうだったと思われます。「それは目の錯覚だ」と言われれば、確かにそうなんで、錯覚は錯覚であって、見まちがいでもあり、取り違いでもあるのでしょうが、ないものがあるように見える、この現象はたった一人に生じることではないので、ことは厄介です。

 ある一人の人が、この蜃気楼のような「怪異(怪奇)」現象を見た。その前か後に何か「吉凶」に関わるような事態を経験した時、その「現象」と「吉凶」を結び付けて、誰かに、その顛末を語った、それを聴いていた幾人かの取り巻きが「そうなんだ」といたく感動したり、脅威を感じた時、そこにある種の「怪異現象」体験共同体が作り出されます。そこから「新たな宗教」が生まれたというのはどうでしょう。「怪奇現象」も科学的に、論理的に説明がつく自然現象や生理現象であることが分かったとしても、信仰という問題を打破することは困難になります。この島社会ではいくつもの「新興宗教」の発端は、一人の人物の経験談です「奇(くす)し」という言葉があります。「奇しき」とも言いますが、いかにも「神秘的な」「いわく言い難い」体験や出会いをいう時に使われます。やがて、その人は「くすしきひと」「神秘の存在」に祭り上げられる。宗教教団の成り立ちは、いとも単純です。今でも永田町界隈には「ある種の教団」がのさばっているんじゃありませんか。

 ことは「蜃気楼」という自然現象であって、事々しく取り上げるには及ばないのでしょうが、どうも、こんなところから、とんでもない事態が生まれたり、妄信が始まっているのではないかと愚考しているから、どうしても、「あらぬ方向」に駄文は突き進んでいこうとします。具体例を挙げればいいのでしょうが、ただ今はそんな興味も湧いてきそうにありませんので、愚見の一端を書くだけにしておきます。しかし、どんな現象からでも神が出たり仏が現れたりするのですから、人事万端は一筋縄ではいかないのです。「逃げ水」なども、始めはひやりとしますが、何度か経験しているうちに、「ああ、あれか」ということになり、オチがつくものです。因果関係が理解できなければ、「親の因果が子に報い」式に、途方もなく忌まわしい事態を呼び寄せることもある。「奇瑞」「瑞相」「吉兆」というのは、「愛でたい事の前触れ」であり、誰もが相好を崩して喜ぶものというのが相場でした。ところが十数年前に、大阪の名店「船場𠮷兆」という和食店では、とんでもないイカサマ商売をしていたことが発覚しました。それがために破綻廃業の憂き目にあったことでした。それが、よくいわれる「吉兆」じゃなかった。目を凝らしてみると「吉兆」ではなく「𠮷兆」だったんですね。「𠮷」と「吉」では、何かが違うんでしょうね。

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 土佐は宿毛の「ダルマ太陽」から、ずいぶんと遠いところに来てしまいました。「蜃気楼」現象は錯覚ではあっても「夢」ではありません。因果が結びつけられれば「不思議」から「美しい・珍しい景色」へと一足飛びに、人は納得もするのでしょう。しかし「夢」は面倒です。「正夢」といったり「悪夢」といったり。でも、「蜃気楼」も、あるいは「見てみたい」と懇願している人に生じる「夢幻」現象ではないかと、ぼくは愚かにも考えてみるのです。さる年にぼくは宿毛湾に立って、遥かな洋上を見ていた。

 その時、微かに「アメリカ大陸」が見えた気になりました。この地で生まれた小野梓(1852-1886)(左上写真)は号を「東洋」と認めたものでしたが、いかにもという気もしたのです。宿毛の南方海上に「蜃気楼」が立ち上るのを、彼は何度も観たはずです。「天下ノ人称シテ、自由ハ土佐ノ山間ヨリ発シタリ」と宣言したのは植木枝盛(1857ー1892)(右写真)で、明治十一年のことでした。小野と植木、早逝した「民主主義」を希求した英傑が、ともに土佐出身であったのは奇遇であるし、直ぐ前には中江兆民(1847-1901が生まれ出てきます。彼は「日本のルソー」と称された。これらの人々は「自由」「民権」という、まがうことない「蜃気楼」を見てしまったのではなかったか。

 ここで落語の登場です。ぼくはいまでも、飽きないで聴く「噺」があります。そんなに多くはない。ときには無性に聴きたくなるのが「芝浜」です。噺家はどなたでもいい。できれば志ん生か、あるいは志ん朝か。もちろん、本筋では桂三木助さん(三代目)(1902-1961)で、となるのでしょうが、ぼくはいまだに聴いていない。だから志ん生親子で。なかなかの語り達者でした、この二人は。大晦日を前にしての、江戸庶民の活計(たつき)の苦労、職人気質の扱いにくさ、酒に溺れる優しい男(夫)、それを根底で支える妻の賢明さ。夫唱婦随というのか、似たもの夫婦というのか、はたまた「割れ鍋に綴じ蓋」と言おうか。酒に溺れた魚屋、腕のいい商売人だったが、馴染みから愛想を突かされた。回れば回る悪い目は、二進も三進もいかなくなった。それはまた、行商「魚熊さん」の「夢から出た真(まこと)の物語」でした。(古今亭志ん生「芝浜」:https://www.youtube.com/watch?v=mc9pJGspHhg

 かみさんに仕入れに行けとせかされ、不承不承で家を出て魚河岸への途次で財布をひらう、びっくりするような大金が入っていた。この金で遊んでも何年も暮らせると、悪友を集めての大散財。救いの神は「かみさん」だった。カネに狂うのは今も昔も変わらない。そこに「救いの神」が出現するかどうか、それが人生の分かれ目です。江戸の魚河岸は「芝」にあった時代の話(噺)。酒に溺れたものは、そこらは這い上がるには信仰や信心ではだめで、おのれ一個の自力教でも無理ならば、「おっ母」の助けを借りる外に仕方がない。「夢」は夢のまゝが一番か。そうともぼくには思われますし、夢は正夢とも言います。何事であれ、精進というのが、あるいは正直というのがもっとも大事だという話(噺)でした。おそらく噺家なら、誰だって「この一席をいつかは」と念ずるでしょうね。

● 芝浜(しばはま)=落語。幕末のころ三遊亭円朝(えんちょう)が、酔払(よっぱら)い・芝浜・財布の三題噺(さんだいばなし)としてつくったのが原形。別に『芝浜の革(かわ)財布』『革財布』『金拾い』『馬入(ばにゅう)』などの題名がある。3代・4代三遊亭円生(えんしょう)、4代橘家円喬(たちばなやえんきょう)、初代・2代談洲楼燕枝(だんしゅうろうえんし)、初代三遊亭円右(えんう)などが手がけ、しだいに改良・洗練されて現代に及んでいる。働き者だが大酒飲みのため貧乏な魚屋の勝五郎は、早朝の芝の浜で大金の入った財布を拾う。喜んだ勝五郎は、友だちを集めて大酒盛りのあげく寝てしまう。翌朝、女房に財布などない、それは夢だといわれ、改心した魚勝は禁酒して商売に専念、やがて店をもち、若い衆も2、3人置くようになる。3年目の大晦日(おおみそか)、女房は夢といってだましたことをわび、改めてお上から下げ渡された財布を出す。感激した勝五郎は、女房の勧める酒を口までもってゆくが「よそう、また夢になるといけねえ」。情景描写、人物描写ともに磨き上げられた人情噺の名作で、近年では3代桂三木助(かつらみきすけ)の十八番であった。(ニッポニカ)

 (下の写真と絵図は芝浦の今昔。天を突き抜けんばかりの「摩天楼」、これもまた紛れもない「蜃気楼」です)

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 毎日の生活に、区切りをつけることは大事です。この島にも「ハレとケ」などといって、年の数日は思い切り自由に、日ごろの生活や仕来からり解放されて、「いのちの洗濯」をする日がありました。今では、すべてが「日常」に取り込まれてしまい、何がハレなのかケなのかが判然としなくなったようです。また、「夢」という脳細胞の引き起こす現象も、なぜだか語られることが少なくなった。ということは、多くの人が「リアリスト」になったといえそうですけれど、反対に、多くは「ロマンティスト」になったのではないかなどと、ぼくなどは考えてしまいます。もちろん「浪漫主義」などと言われるものではなく、現実逃避、または現実回避の雰囲気を多く含んだ人生観であり、生活実態だと言いたいのです。夢か現(うつつ)か、現か夢かと、両者の区分が曖昧なままで、ぼくたちは少年期や青年期までを過ごすことが出来たのも、それなりの社会背景があってのことでした。(この部分は微妙で、いわく言い難いものがあります)

 現実には、息苦しい、生きにくい時代であると、誰もが感じたり言ったりします。夢がないのはさみしいことですが、あるいは全員が「夢遊病」に罹っているともいえるのです。夢から覚めるのも、現実から逃避して夢の世界に逃げ込むのも、なかなかにつらく大変な時代ではあると、ぼくでさえ思います。「希望」という言葉は、「絶望」と隣り合わせのように思えてくる。「先行きの展望」が希であるか、絶えて見られないか。その差は寸分の違いです。希望が持てないというのは、絶望しているのと同義であるとも言えそうです。(左は芝浦アイランドグローブタワーだとか)(「東芝」という会社は、この地で生まれました(1882年)。でもそれは、結局は百五十年足らずの「蜃気楼」だったということが判明しましたね)

 忽然と海上に出現する「蜃気楼」は、まったくの自然現象ではありますが、そこに人為が働いていないとは誰にも言えません。「あ、あそこに蜃気楼が」という人間の存在がなければ、「蜃気楼は」現象ですらないからです。生きづらい世の中を、少しでも生きづらくないようにする手立ての幾分かは政治に仮託されてきましたが、今日では、それは、文字通り「絶望する」ばかりです。ではどうするか、「芝浜」の熊さんの場合ように、溺れたものを救ってくれる「連れ合い」(同伴者または伴走者)こそが必要で、「現を夢」「夢を現」と言い換えてくれる隣人(そのもっとも近い存在は家族、さらには友人・知人)が、どうしてもなくてはならないのですね。これは政治や経済の問題ではなく、倫理や道徳、つまりは生活意識の問題のようにぼくには思われます。

(ここで、中断。近所の中学校へ、「衆議院議員選挙」の投票に。十五分後に戻りました。ただ今、十時五十分)

 久さしぶりの「選挙」当日の投票でした。この投票場は初めて。前回も期日前投票でしたから。なんと列を作って並んでいました。さて、開票結果はどうなりますか。もうすでに「結果」は判明しているんでしょうから、期待も失望もしない。願わくば、「汚い政治と政治家」だけはお払い箱にしたいというばかり。今の首相とやらも、まるでシャーシャーと嘘を吐いています。嘘つきは政治家の資質であり特権であると錯覚、いや自覚しているんでしょうね。これでは、白昼堂々と「永田町に蜃気楼」です。もちろん、それは吉凶を占う前兆ではなく、いつわりに塗れた、汚職政治・虚言政治が、これからも続行しますという、忌まわしい・奇すしき「兆候(a symptom)」です。「果報は寝て待て」という俚諺がありました。いまでは「凶報は寝ても起きてもやって来る」という始末ではないですか。

 「政治を変える」というのは嘘であって、変えるべきは「政治家」です。そいつらの「脳内革命」を実行するべきですが、もうはとんど手遅れ状態ですな。ぼくが住んでいる山中からでも、政治屋であるのに政治家に成りすましている輩が屯(たむろ)している「永田町湾」に、禍々(まがまが)しい「蜃気楼」が立っているのが見えます。にもかかわらず、倦(う)まず弛(たゆ)まず「選挙に行く」「投票する」、悪しき政治屋を退治するという「夢」を「現」にするために、ぼくは寝ても待ってもいられないのです。蜃気楼は「幻」です。でも薄汚い政治屋を輩出させない「投票行為」は、けっして錯覚でも蜃気楼でもありませぞん。「百年河清を俟つ」というが、こればかりは、百年かかっても間に合わんかも。けれども、…。

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