キミのじまんのかぞく(20/06/13)

1904年(明治37)コロナの創業者内田鐵衛は、現在の三条市に生まれました。東京電機学校(現在の東京電機大学)で学び、20歳の時に逓信省電気事業・主任技術者の資格を取得。その技術と知識を生かすべく富山電気(現北陸電力)へ入社しましたが、入社後4年程で、父に呼び戻され家業であるガソリンコンロの販売を手伝うようになりました。
家業は順調に進み、販売や修理を通して、燃焼効率や操作性などコンロの様々な改良点を発見した内田鐵衛は、徐々に自らのアイデアを活かしたコンロを自らの手で作り上げたいという思いを強めていきました。そして1931年(昭和6)オリジナルコンロの研究を開始。寝食を忘れて研究に没頭した結果、2年後の1933年(昭和8)ついに、軽油を燃料とした「加圧式液体燃料コンロ」の開発に成功。特許2件、実用新案1件という特許権を取得しました。その後さらに実用化に向けての開発を進め、1935年(昭和10)に『コロナ』の商標を登録。
1937年(昭和12)自宅裏に10坪ほどの工場を建て、石油コンロの製造販売を開始しました。これが、コロナの創業となりました。
コロナの由来
創業者である内田鐵衛は、在学していた東京電機学校(現在の東京電機大学)で実験中によく見たコロナ放電の発光色と、石油コンロの研究中に暗がりで見つめたコンロの青い炎が似ていることに気づきました。これに太陽の周囲に現れるコロナのイメージを重ね合わせ、石油燃焼機器を象徴的に表現し、かつ覚えやすく親しみやすいブランド名として「コロナ」と名付けました。(https://www.corona.co.jp/index.html

 拙宅では三台の石油ファンヒーターを暖房機器として使っています。三台ともに「CORONA(コロナ)」です。特にそれが好きだからとか、知り合いに勧められたからでも、まして会社関係からでもありません。なんとなく「コロナ」だった。果たしてそれは正解だったかどうか、ぼくにはわかりません。今期の使用期間は終了したので、すでにお蔵入りです。また次期も使うはずです。新潟三条という、ぼくにはまったくの無関係な地域でもなさそうなところにある会社の製品でした。今では、いくらかは廃れたかもしれませんが、名うての「職人の町」(スプーンやホークなどをはじめ、さまざまな金属用具・食器の生産地)ですね。

 (この雑文は特定企業の宣伝のためではありません。世はコロナ禍で物情騒然、にもかかわらず、「じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています」という「コロナのしゃちょう」の心意気に感じたまでの、勝手な応援団の一員のつもり。株主なんかに忖度するのではなく、まず社員の家族を大事にする企業こそが本来の企業(家)精神であると、ぼくはある優れた経営者から教わったことがありました。本当にそうだと思った次第でした。CORONAがそうであったと知って、嬉しくなっただけでした)(いずれその「優れた経営者」についても述べてみたい。いまでは絶滅危惧種になったような貴重な存在です。会計を粉飾したり、配当に狂奔したり、内部留保に血眼になったり、法人税を脱税したりと、さんざん自利自略に狂った挙句に、悪辣「会社」主義が、ついには劣島を沈没させてしまいかねないのです)

#「私の唯一の正当な義務は、私が正しいと考えることをいつでも実行することです」

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