月並といふ言葉は月々催されるという意味で昔からあつた。それに新たな解釈を下し、俳句その他の批評に用ゐたのは正岡子規である。子規は当時の既成俳人、すなはち旧派の俳句仲間を指して月並連と云ひ、その作る俳句を月並俳句と称した。これが最初で次第に文学以外にも応用されるやうになつたのである。(中略)

由来月並なるものは諸事停滞の辺に生ずる。停滞は腐敗堕落の前提である。子規の書いた「ホトトギス第四巻第一号のはじめに」といふ文章の中に、
我々は斃れて後に已むの決心を以て進むばかりである。併しながら永く都会に住んで 居ると、自然と腐敗して来る事は世の中に実例が多い、万一我々が都会の腐敗を一掃する前に軟化して勇気が挫けたといふやうな事があつたら、其時には第二の田舎者が出て来て必ず我々の志を継いでくれるであらうという事を信ずる。
といふ言葉がある。この腐敗はすなはち月並化を意味するので・・・。(以下略)(柴田宵曲『明治風物詩』ちくま学芸文庫。2007年)
【月並】(名)(1)毎月。月ごと。また、毎月決まって行うこと。「―の歌会」「―の休日(やすみび)/滑稽本・浮世風呂(前)」(2)「月並俳諧」「月並俳句」の略。(3)「月次の祭」の略。(4)一二か月の順序。月の移り変わり。多く「波」の意をかけて歌語で用いる。「秋暮るる―わくる山賤(やまがつ)の/山家(秋)」〔(2)の意から〕非常にありふれていること。平凡なこと。また、そのさま。「―の話」「―な意見」(三省堂・大辞林)

【月並俳諧】 (1)毎月定例にもたれる仲間うちの俳諧の会。(2)化政期(1804-1830)頃から昭和初期まで行われた、毎月定例の俳諧句会。広く一般大衆を対象とし、宗匠の出題・投句・集句・開巻披露・入選句上梓の順で運営。正岡子規が月並調として排撃したもの。(同上)
子規の生涯は一貫して月並の打破を目ざしていました。だから、「月並連」、それは伝統墨守に汲々としていた連中の俳句をたちどころに始末してしまおうという決意というか覚悟が込められた言葉だったといえます。
宵曲(1897-1966)本名は泰助。日本橋の商家の生まれで、中学を中退して後、上野図書館に通い詰めで、独学で俳句、短歌、作文に精進しました。まさに「並」ではなかった。彼の描く「明治」を読むと、まったくといっていいほど、そこはかとない生活、その生活を生きる庶人がはっきりと呼吸しているのが感じられます。観念でもなければ概念でもなく、いわば明治を生きた皮膚感覚で文章を書いているといいたくなります。明治人の一典型として、ぼくは深く惹かれてきました。身の丈はむしろ小人のようにも思われますが、そのこころざし(志)はまことに大人(うし)と呼ぶにふさわしい方でしたね。

死後の出版になった『明治風物詩』に「序」を寄せたのは森銑三(1895-1985)さん。宵曲とおなじく、高等教育を受けることなく、独学で書誌学、近世日本文学、人物研究等に大きな足跡を残されました。一貫して在野(無所属)を貫かれた。その「序」から。
「柴田さんの著書には屑がない。どれを見ても内容が充実してゐる。その上に、一つ一つが外の人には出来ない書物となってゐる。それでゐて書き方が控へ目で、つつましやかで、われ顔をしたり、知った振りをしたところなどはない。事実が直叙してあるだけで、理屈をこねたり、主観を振回したりなどせられない。わざとらしい詠歎などもしてない。実に淡々たるものであるが、然も叙述の裏に隠された底力の強く読者を惹きつけるものがあって、外の人達の著作とは全然 違つた印象を受ける。なるほどこれは柴田さんの著書だといふ感銘を深うする」
「柴田さんの著書には屑がない」という表現はぐさりと来ますね。森さんのこの部分だけを読んでも、当時の文章家たちの水準が手に取るようにわかろうというもの。もちろん、 「並」でなかったところは森・柴田の両者に共通しています。学校に長くいなかっただけがその理由ではないでしょうが、そのこととは無関係だとは思われません。(二人はほぼ同年代でした。日本の学校制度が整いかけた時期(日清戦争期)に、ながく在学しなかった理由は何だったか。それぞれにワケがあったでしょうが、学校に長く行かなかったという一点の特質は何だったか。まことに興味がありますね)

「私は生きてゐる内に、自分の伝記を辞典に載せるほど堕落してはゐない。私の伝記が知りたければ、その人自身私に聞きに来ればよい」
「人間の真の名誉は死んだ後になくてはならない。今の人達は小さな名誉心の為に汲々としてゐる。少しでも自分の名を世の中に出さうとしてゐる。可愛相なものですね」
いずれも宵曲の言です。いかにもさわやかであり、粋(いき)な大人(うし)の風貌を感じます。こんな人が着流しで銀座や上野を歩いていたんですね。いや、東京に限ったことではなく、劣島のいたるところに、学校に身をゆだねなかったからこそ、さっそうと日常の明け暮れに勤しんでいた大人たちがいたにちがいない。明治はさらに遠くなりましたな。
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