「百聞は一見に如かず」と「旧聞は新聞に如かず」

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 ぼくはいろいろな性癖(悪癖というのかもしれない)を持っているが、取り立てて変わり者であるという自覚はない。「自覚がないのはお前だけ」で、じゅうぶんに「あんたは偏屈だ」と、かみさんや知り合いは言うかもしれないが、それは「冤罪」に等しい、濡れ衣です。なんでも古い物・事を好むわけではありませんが、新聞の切り抜きはたくさん所有していた。いまはパソコンのおかげでファイルにして保存がきくから、幾らでも溜める、だから際限なく溜る。という次第で、いくつかの新聞の「コラム」を保存庫から取り出して、解凍したのが以下のものです。なぜコラムが好きなのか、理由は定かではないけれど、第一、短文で、しかも切れ味が鋭意であれば、いうことなし、そんなのにお目にかかれば、なんだか宝くじに当たったみたいな気がします。その筆法は「単刀直入」そのものです。ぼくもそうありたいと願うが、「木刀直入」いや「竹刀(しない)直入」と、まことに締まりがないようです。世に、「ペンは剣より強し」というしね。いつかは「真剣直入」と、思い切りふりまわしたい。(*単刀直入=「《一人で刀を持って敵に切り込む意から》直接に要点を突くこと。遠回しでなく、すぐに本題に入ること。また、そのさま」デジタル大辞泉)

 新聞記者ではありませんけれども(高卒の段階で憧れたことはありますが)、記事の原稿は「単刀直入を以て旨とする」というのでなさそうなことぐらいはわかります。でも、できればそうあってほしいという熱烈な願いを持っていたことは確か。しかし、この願いは遠く叶わず、新聞購読を止めて幾久しい。どれくらいを「短文」というのか、決まりはあろうとは思いませんが、せいぜいが「千字まで」か。「千字文」などとも言いますが。いや「五百字程度」。もっといえば、三百字くらいが最適字数だと、ぼくは勝手に考えています。いやいや、十七文字だってあるよ。その昔、小さな機関紙に二百字程度のコラムを書いていた経験がありますから、書くのも読むのも(自分にとっては)、その程度の短さが好きでした。原稿を書いたり、本にしたりするという趣味(興味)はあまり持たない人間でしたが、他人の文章を模写したり、小さな文章を書きなぐったりすることは嫌いではなかった。一種のスケッチのような気分を味わっていたのでした。これは、さすがに差しさわりのある人が存命ですから、殆んど(全部ではない)処分しましたが。

 以下は今も続いている、毎日新聞夕刊のコラム「憂楽帳」(いずれ、近々なくなるのかもしれません、本体ともども)です。これもよく読みましたし、よく溜めました。今回は「三文」分(「さんもん」ではなく、「さんぶん」、三つの文章の意)、保存分の中で、検索に引っかかったものを並べただけですが、いかがでしょうか。政治部記事や社会部の記事などよりは、読めるんじゃないですか。簡にして要、と言えますかどうですか。新聞は旧聞に勝る、旧聞は新聞に如かずという人がいたら、「コラム」だけは違うよね、と思い直してほしいですね。いずれもが「名うて」「手練れ」の記者が書かれたのだと推測します。もうかなり前ですが、ぼくのよく知っている記者(後輩)が書いていたのを読んだ記憶もあります。当人が書いたものをまとめて送ってくれたこともあります。一つの文章を読んで、「あっ、これはY君が書いたものだ」と的中した時は気持ちもよかったし、「彼は昔の彼だった」という安堵感がありました。部落問題や在日問題を「単刀直入」に書いていたのですから。成る程と、意を強くした。

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 ①憂楽帳:病室からの投稿 老いても若者と対等にやれることは何か。私は書くことだと思う。/ 本紙の各地方版の人気コーナー、はがき随筆を福岡で担当している。投稿者の年齢層は幅広い。高齢者からのはがきにも、しっかりとした文章がつづられている。執筆の場は自宅だけではない。老人ホームや病室からも届く。/ 忘れられない作品がある。長崎で、はがき随筆を担当していたときだ。「年越しそば」という題で66歳の男性が作品を送ってきた。/ 男性は末期のがん患者だった。大みそかの夜、病院に一杯のかけそばが届いた。息子が以前、バイトしていたそば店の主人が書き入れ時なのにバイクで配達してくれたのだ。/ 病室のベッドでそば店の主人と注文してくれた息子への感謝を、男性は最後の力を振り絞って書いた。その姿を思い浮かべるだけで胸が熱くなる。もちろん、この作品は新聞に掲載された。/ 桜が咲くころ、男性は亡くなった。葬儀で“遺作”を掲載した新聞のコピーが会葬者全員に配られた。/ これから本格的な冬を迎える。外は冷え込むが、毎日届く投稿に感動をもらい、心は温まる。(毎日新聞・09/12/02)

 ②憂楽帳:ヤマビル ヤマビルに血を吸われた。先月、群馬県北部の森で木の実が豊作か凶作かを調査するグループに同行した時だ。/ 気がつくと、ウジムシ大の赤茶けたヒルが左手首に食らいついていた。とっさに右手でたたいたが、びくともしない。仕方なく指先ではじき落としたが、かみ口からの出血が続く。ヒルが出す物質に、血液凝固を妨げる作用があるためだ。ばんそうこうを張ったが、入浴した約4時間後にはがすと、また出血した。もう、かまれたくない。/ ヤマビルはもともと山奥に生息していたが、人里での被害がここ数年、全国に広がっている。谷重和・環境文化創造研究所理事(医動物学)によると、被害報告は30都府県に及ぶ。地球温暖化で、ヒルを運ぶシカやイノシシが越冬しやすくなり、頭数が増えた▽里山の手入れが行き届かず、シカなどが人里に出没しやすくなった--ことなどが大きな要因だという。/温暖化も里山の手入れ不足も人為的な問題だ。ヤマビルは、そんな人間の身勝手さに警告を発する「森の使い」なのかもしれない。【鴨志田公男】(毎日新聞・09/10/09)

*やま‐びる【山蛭】顎蛭(あごびる)目のヒル。茶褐色、中形のヒルで、本州以南の山間湿地また樹上にすみ、活発に人畜に吸着して血を吸う。(季)夏)(広辞苑 第五版) 

 ③憂楽帳:「菊と刀」と成果主義 構造改革の大合唱の下で導入された「成果主義」だが、うつ病の多発など今や弊害が目立ち、見直しの機運が高まっている。九州工業大学教授の佐藤直樹さんによると、欧米ではうまくいく成果主義でも、日本ではうまくいきっこないことは、ルース・ベネディクトが日本人論の古典「菊と刀」で、とうの昔に実証済みだったという。/ベネディクトは、日本人が競争的環境に置かれた時にどうなるか、心理テストを行った結果を報告しているのだが、他人と競争させると1人でやる時よりも格段に作業能率が落ちたのだ。/相手に負けて「恥をかく」という不安にさいなまれ、集中できなくなるからというのが彼女の見立て。それを佐藤さんは近刊の新書「暴走する『世間』で生きのびるためのお作法」の中でこう解説する。独立した個人で構成される欧米の社会では、競争が切磋琢磨(せっさたくま)を促して最善の結果に導くが、互いに空気を読んでけん制しあう日本の「世間」では逆効果になる、と。/ベネディクトが「菊と刀」を著して63年。良くも悪くも我々は今も十分に日本人だということか。【福岡賢正】(毎日新聞・09/10/15)

(*ベネディクト[Ruth Benedict][1887‐1948]=米国の文化人類学者。コロンビア大学教授。ボアズに師事。当時米国で主流であった文化とパーソナリティ研究にとりくみ,一つの文化全体を統合的に把握するための方法論を追究した。主著《文化の型》のほか,日本文化を罪の文化と恥の文化の対比においてとらえ,その価値観の体系を分析した《菊と刀》(1946年)がある。

(*罪の文化・恥の文化=米国の人類学者ベネディクトが《菊と刀》(1946年)において用いた文化類型。西欧的な罪の文化では,道徳は絶対的な標準をもつものとされ,個々人が良心による内面的な罪の自覚に基づいて行動を律している。それに対して日本人の生活に見られる恥の文化は,他者の非難や嘲笑を恐れて自らの行動を律するという。したがって前者では,自分の非行を誰一人として知らなくとも罪に悩むのに対し,後者では,露顕しなければ恥ではなく,思いわずらうことはない,とされる。この類型論は日本文化論の展開に大きな影響を与えた。(以下略)(マイペディア)

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  草天国よ伸び放題(無骨)

 草取りを始めようとして、梅雨の盛りの雨に打たれています。雨の勢いそのままに、草は気持ちも新たにさらに背伸びをします。これをいったい、どこの誰が刈り取るのかと、いつもながらに思案するばかりです。ふと目を草むらの背後にやると、昼顔が静かに咲いている。なんでこんなにか細いのか(まるで自分自身を見るようで)と、気にしながら蔓を取ると、なかなかしぶとい。しなやかに見えて手強いのです。まるで、どこかのだれかのように。葛の蔓ほどではありませんが、花の姿に似つかわしいのに、蔓は蔓。露の晴れ間の草取りは徒労とわかっていながら、つい手を出してしまうのです。コラムには「ヤマビル」が出ていましたが、当地では「マダニ」です。今期はすでに数人が咬まれて感染し、中には亡くなった方もでたそうです。家の猫には三種のワクチンを接種済みですが、人間向けのマダニ感染療法はまだないそうで、いかにも恐ろしい。コロナにマダニ、それに政治ダニと、まるで「ウィルスの三重苦」に悩まされながら、束の間の「晴れ具合」を案じながら、駄文づくりに四苦八苦だから、何をしているのかと、我ながら「唵阿毘羅吽欠(アビラウンケンソワカ)」です。

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・昼顔のなにゆゑかくも紅うすき  (山口青邨)

・昼顔の咲きのぼる木や野は広し  (中村草田男)

・昼顔の花に乾くや通り雨  (正岡子規)

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 「百聞は一見に如かず」と言います。ほんまかいなと、偏屈ではないぼくは考える。「百聞」がなければ「一見」に何を見抜く力があるというのか、と。百聞という、元手のかかった経験があってこその「一見」ではないかと、ぼくはみずからの拙い生活の中で感じ取って来たのでした。同じように、なんだって「新聞」だ、という風潮に、ぼくは抗したくなるし、その昔の「舶来趣味」のように、やがて洋風は和風に堕するばかりじゃないか(それこそが「大和風」だといえそうです)。なんとも意味不明なことを言っているけれども、旧聞は、元は「新聞」であり、いまでも「新聞」として通じるものがあるのじゃないですか、それが「いいんだ」というのが拙論の趣旨です。「旧聞の古典」ですな。「旧聞は新聞に如かず」なのではなく、なにがしかの旧聞を持たないで、何が新聞かというのです。(これは記者にとっても、読者にとっても言えます)大小の区別なく、「歴史」というフィルターがなければ、なんだって、目こぼしされてしまう。「新聞」こそと言いたがるのは、単なる新しがりだし、二日もたてば、旧聞に堕ちるばかり。だから「新聞」というのは、まことの「付和雷同」であり、「付け焼刃」、「右顧左眄」であり、「日和見主義」に他ならないんじゃないですか。

 新聞は旧聞に如かず。旧聞にも劣る新聞って、それはなんだか。近年のニュースペーパーを揶揄しているようでもあります。どの社も「大本営発表」記事だらけだし、「コラム」も気の抜けたビールのようか。コラムでも記事でも「書きたいこと」より「書かねばならぬ」ものを読ませてもらいたいね。もし、そういう事態が来たら(まずありそうにないが)、ぼくは新聞を購読するし、ネット配信だって、喜んで受信料は払うね。

 本日は「七夕」だと言いますね。「七夕」と書いて「タナボタ」、いや「タナバタ」と読ませるというのは、どんなマジックですか。「七夕の名称については、日本では古く神を迎え祀るのに、乙女が水辺のに設けた屋(はたや)にこもり、神の降臨を待って一夜を過ごすという伝承があり、これから棚機女(たなばたつめ)、乙棚機(おとたなばた)、さらに「たなばた」とよぶようになったという折口信夫(おりくちしのぶ)の説がある」(ニッポニカ)(これに関しては、いずれ書きたいね。拙宅では「笹の葉 サラサラ」と軒端に揺れないで、屋根や樋にどさりどっさり、です。これを掃除するのはえらい難儀な仕事になります。三方が竹や杉・檜で囲まれていますので、枯葉・落ち葉に不足しません。「枯葉よー♪」などと、シャンソンを歌っている場合じゃありません。風雨強かりしときは、まるで「滝」の如しです。

 この曇天では、「お星さま キラキラ」は無理だろうけれど、災害の多からぬこと、コロナ禍の大過なからんことを、さらに「虚飾五輪」の即刻中止を、かみさんに怒られないように、猫に嫌われないで、などなどと欲張りを通り越したように、無理無体な「五色の短冊 わたしが書いた」とおもいきり掲げてみようか。それも思いっきり太い孟宗竹の竹を切って「竿燈」よろしくね)

 わが住まいの隣町の「七夕まつり」は、昨年に続いて本年も中止となりました。半世紀以上も継続して開かれていましたが、近年は人口減でなんとも物悲しい「まつり」となっていました。そこで打開策をと、よさこい、ソーラン節、阿波踊りなど、各地の名物をを取り入れて、趣向を凝らしたつもりになってきたのですが、いったい「タナバタマツリ」ってなーに、と問われだしてもいます。あらゆるところで、ジャニーズまがいやAKB風の乱舞狂気が神出鬼没。まるで魂も神さんも仏さんも、出番を失う始末です。そうなんです、あまりの喧騒と混沌に「各地のタナバタ神」も降臨する勇気を喪失したと伝えられています。となると、残すは風神と雷神の登場の場面ですが、こればかりは、お手柔らかに、です。(2021/07/07)

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