
【滴一滴】「話せば分かる」「問答無用、撃て!」。この有名なやり取りが本当にあったかは分からないらしい。ただ、襲撃者が去った後、流血しながらも「あの若者を呼んでこい、話せば分かる」と繰り返したとする証言はある▼1932年5月15日、海軍の青年将校らが首相官邸などを襲い、犬養毅首相の命を奪った。これで政党内閣は終わり、日本は軍部独裁へと向かう。戦前最大の分岐点ともいわれる「五・一五事件」から90年になる▼この年月は長い。事件現場に遭遇した人たちはもう残ってなかろう。昭和の記憶もすっかり歴史になった。だが忘れ去るわけにはいかない▼なぜ青年将校たちは事件を起こし、政党政治は終わったのか。サントリー学芸賞を受けた小山俊樹帝京大教授の近著「五・一五事件」(中公新書)は、犬養個人への恨みでなく、あくまで権力の象徴として狙われた―などと事件の謎を掘り下げる▼顕彰も続く。岡山市北区川入の生家跡に隣接する犬養木堂記念館は15日から、首相在任5カ月間の足跡を改めて紹介する▼「話せば分かる」の情景はともかく、最期まで思いを言葉で伝えようとしたのは“憲政の神様”犬養らしい。翻って現代。政治や暮らし、国際社会の各場面で、相手を言葉で説得しようとする努力は十分だろうか。泉下の先人が厳しい眼光を向けていないか。(山陽新聞・2022年05月12日 08時00分 更新)
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● 五・一五事件【ごいちごじけん】=1932年5月15日に起こった海軍急進派青年将校を中心とするクーデタ事件。井上日召らと関係のあった海軍将校が大川周明から資金援助を受け,陸軍士官学校生徒と協力,首相官邸,内大臣官邸,政友会本部,日本銀行,警視庁などを襲撃,犬養毅首相を射殺した。一方,愛郷塾生の農民決死隊も東京近郊の変電所を破壊して戒厳令を出させ,その間,大川周明らによる改造政権の樹立を企図したが失敗。日本ファシズム台頭の契機となる。(マイペディア)
● 五・一五事件(ご・いちごじけん)=1932年5月 15日海軍将校山岸宏,三上卓,黒岩勇らが中心となって起したクーデター計画。首相官邸を襲い犬養毅を射殺。一方,橘孝三郎の愛郷塾生が東京周辺の変電所を,陸軍士官学校生徒らが牧野伸顕内府邸,警視庁,政友会本部,三菱銀行,日本銀行などを襲った。市中混乱に乗じて大川周明の改革案の実行を企てたものであった。のち,軍籍をもつ犯人は憲兵隊に自首。軍法会議において海軍は被告らに 10~15年の禁錮,陸軍は全員禁錮4年を申渡した。民間では橘孝三郎が無期懲役,ほかは3年6ヵ月~15年の懲役に処せられた。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 日本ファシズム(にほんファシズム)=満州事変以降第2次世界大戦終了までの十五年戦争の期間における,日本の国家の形態をさす言葉。中国における革命運動の進行や,1929年世界大恐慌の影響による社会的経済的危機の増大,階級矛盾の激化を,軍部独裁による民族排外主義の鼓舞と,国民の強権的統制による侵略戦争への動員によって乗切ろうとした一連の動きを支えたイデオロギーであり,天皇制ファシズムとも呼ばれる。その背景には,政党内閣の無力による国家的展望の喪失があった。次のような特色をもつ。 (1) ヨーロッパのように小ブルジョアの民間における独自な組織化とそれによる権力の奪取として進行したのではなく,上からの再編としてなされていったこと,(2) 天皇制をイデオロギー的支柱とし,天皇制を支える伝統的社会集団,統治機構をファシズム的に再編したものであること。したがって民間,在野における右翼,国粋主義の活動も,大衆を組織することはできず,五・一五,二・二六事件などの青年将校によるクーデターもそれ自身の展望をもつものではなく,上からの再編への圧力にすぎなかった。(ブリタニカ国際大百科事典)
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● チャップリンの独裁者(The Great Dictator)=アメリカ映画。監督チャールズ・チャップリン。1940年作品。チャップリンの映画監督作品のなかで、もっとも政治色が前面に押し出された作品。1930年代なかば、国際的ファシズムが台頭し、1941年にアメリカが第二次世界大戦に参戦すると、ハリウッド映画市場でも戦争関連作品がブームとなり、本作も同年のアメリカ国内興行成績のベスト10入りした。当時、ハリウッド映画作品は、まだドイツやイタリアにも輸出されていたが、チャップリンは本作で、ユダヤ系理髪師とナチスドイツのヒトラーを想起させる独裁者の一人二役を演じ、ファシズムを滑稽(こっけい)かつ痛烈に風刺してみせている。チャップリン作品で初のトーキー映画。また本作以降トレードマークである浮浪者衣装はみられなくなる。このトーキー導入以降、チャップリンが監督する作品は減少し、俳優としてのみの出演が増えていく。1960年(昭和35)日本公開。(ニッポニカ)(https://www.youtube.com/watch?v=0RoEu2OxPxc)

● チャップリン=英国国籍の映画俳優,監督,製作者。ボードビル役者の子としてロンドンの下町に生れ,早くから舞台に立つ。次いでパントマイム喜劇のF.カーノの一座に加わる。米国巡業中にM.セネットに見いだされ,1914年の《成功争い》から映画に出演,自ら監督も行い,多くの短編喜劇に続いて,1917年から長編《犬の生活》(1917年),《キッド》(1921年),《黄金狂時代》(1925年),《街の灯》(1931年),《モダン・タイムス》(1936年)などを発表,独特の扮装(ふんそう)とすぐれた人間観察,鋭い社会風刺で名声を得た。トーキーになってからは《チャップリンの独裁者》(1940年),《チャップリンの殺人狂時代》(1946年),《ライムライト》(1952年),《ニューヨークの王様》(1957年),《伯爵夫人》(1966年)などを製作。1952年訪欧後,米国入国を許されずスイスに定住。1972年訪米,アカデミー特別賞を受けた。著書《自伝》(1964年)がある。(マイペディア)
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その後の劣島を長く覆いつくすことになる「日本ファシズム」の「とばくち」に入る号令・号砲になった五・一五事件から、まだ百年もたっていないのは、ぼくには大きな驚きであります。この事件がその後の歴史にいかなる色合いを配してきたか、まことに「鮮やかな」「強烈な」といいたくなるような軍部による政治制度の略奪・拉致であり、暴力と抑圧の制度的完成への道を開いたのでした。事件発生時、ぼくはまだ生まれてはいませんでしたが、その雰囲気はわかりそうに思われてくるのです。その前夜は「大正デモクラシー」と称して、民主主義(民本主義)を謳歌せんばかりの軽躁に逸(はや)る「宴」時代であったのです。しばしば指摘されてきたドイツにおける「ワイマール時代」がナチを準備し、ヒトラーを生んだといわれるのと同じように、この島社会でも、、大正デモクラシーがファシズムを呼び込んだともいえるのです。歴史経過の詳細には触れませんが、日本ファシズムは確かに、人心を惑乱させるだけの要素、いや毒素を振りまいてきたのは事実でしょう。
ここでいくつかのことに関して、駄弁を弄するのを、ぼく自身は恥ずかしいこととしています。政治的暴両で封殺されたが故に、各人の言葉が力を失い、単なる記号になり下がったかに思われる時代にあって、一人の映画人は、アメリカにおいて、いったい欧州で何が起こり、いかなる状況が展開していったのかをまさしく「予言する」かのように、一本の作品を作った。この映画作品を鑑賞していただきたいと思うばかりです。最後の「演説」は、ナチによってパリが陥落した、その時期に、まさにチャップリンは「推敲」に辛苦していたといわれています。

ぼくはくりかえしこの「演説」を聞きますが、そこには、なにか奇抜なことが言われているのではないでしょう。当たり前の願いや希望が語られているのです。その当たり前に過ぎる願いが、この「全体主義(ファシズム)」の圧政下にあっては、文字通り窒息させられてしまうのです。ぼくたちは、毎日のありふれた生活のなかに、ウクライナで敢行され、繰り返されているロシアの無謀な戦争(殺戮と破壊)という、限りない悪辣な所業による「無辜の民の無数の殺戮」をテレビやネットを通してみている。その戦禍にないと、誰もが信じているのでしょうか。無残にも殺害され、ぼく激されているのは、ぼくたちの隣人であり、友人・知人であるといえないのでしょうか。
まるで、食事のさなかに、就寝前に、ひと時の憩いの間に、あるいは起き掛けの天気予報の確認のついでに、「ウクライナの惨劇」「ミサイルによる大量殺戮」を垣間見る。それがいけないというのではありませんが、このチャップリンの映画で語られる「当たり前の願いや希望」も、時には死を賭して、いや、文字通り「死」と引き換えに、確かに訴えているのだということを、ぼくはたまらない悲しさと怒りに翻弄されながら、今日の「無謀な独裁統治」が一瞬でも早く「潰える」ことを衷心より願いながら、その光景に目を凝らしているさなかに教えられています。あたり前が、当たり前に通用する「時と場」を、失いかけている今だからこそ、あらためて、その「当たり前」の中にある価値に思いを寄せたいと思う。(以下は、「チャップリンの独裁者」の「最後の演説」から任意に抜粋したものです)

(いうまでもなく、ぼくには「独裁者」「独裁権力」にありつきたいという「欲望」は微塵もないし、犬や猫を支配したいとさえ考えたこともありません。だから、ロシアの「帝王」、虚妄の「皇帝」の神をも恐れない「ふるまい」(彼はロシア正教の最高権力者とされる者を配下に持っている)を見て、いったい何がうれしいのか、何が楽しいのか、そんなに権力や金を身に着けて、どうしたいのか、人を殺して、自分が「何様」であることを、誰に誇ろうとするのか、あるいは、こんな愚行は「やむにやまれず行っている」のであり、「私怨を晴らす」ための行為なのだとでもいうのかしら。あるいは、誰かに対する「復讐」のための蛮行なのだろうか、いずれは、確実に死ぬ運命にある人間のすることなのだろうかと、次々に、陳腐な疑問ばかりがぼくを襲ってくるのです)
We think too much and feel too little, more than machinery we need humanity, more than cleverness we need kindness and gentleness, without these qualities, life will be violent and all will be lost. Don't give yourselves to these unnatural men, machine men, with machine minds and machine hearts. You are not machines. You are not cattle. You are men. You have the love of humanity in your hearts. You don't hate, only the unloved hate. Only the unloved and the unnatural. Soldiers! Don't fight for slavery, fight for liberty. In the seventeenth chapter of Saint Luke it is written "the kingdom of God is within man" - not one man, nor a group of men - but in all men - in you, the people. You the people have the power, the power to create machines, the power to create happiness. You the people have the power to make life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure. Then in the name of democracy let's use that power - let us all unite. Let us fight for a new world, a decent world that will give men a chance to work, that will give you the future and old age and security. By the promise of these things, brutes have risen to power, but they lie. They do not fulfil their promise, they never will. Dictators free themselves but they enslave the people.(The following is omitted)
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