
当地へ来る前の自宅庭(猫の額ほどもなかった)にもいろいろな花木を植えていました。最初は庭園業のプロにおまかせして「白樺」なども植えたが、何年もしないうちに虫害で駄目にした。その後に植えたのが、二本の「ハナミズキ」でした。これは途中で枯れもしないで育った。当地に越すときには移植できない程に大きくなった。一般に「ミズキ」というと、文字通りに多種多彩で、整理するだけで大変な作業になります。ぼくの知っているだけでも「トサミズキ」「クマノミズキ」「ヤマボウシ」などなど、それなりの数になります。近くの雑木林には何本もの「ヤマボウシ」があり、人知れず大きく育っている。容易には手の届かない、近寄りがたい雰囲気さえ漂っています。その木に「フジ」などが絡んでいるのは、見ごたえがあるというもの。房総半島には小高い丘程度の山しかありませんから、少し離れてみれば、その丘に植生している植物がはっきりと確認できます。少し前に触れたヤマザクラなどもその仲間です。(ヘッダー写真は:https://lovegreen.net/languageofflower2/p22692/)

このハナミズキは、下に引用した辞典にもあるように、アメリカ原産。アメリカからこの島に持ってこられた経緯については、辞書の簡単な解説でわかります。一方のミズキは日本原産です。育つと相当な高木になり、街路樹や公園などに植えられることが多い。普段の散歩道(農道や田んぼの畦道)にも、何本ものミズキが屹立していて、見るからに堂々としている。狭い庭にはとてもそぐわない樹木で、嘗ての家に欅(けやき)を植えて大失敗したことを思い出します。身分相応、身丈にあったという「分際」をわきまえるのは、なかなか簡単ではなさそうです。
ハナミズキを持ち出したのは、早朝のラジオ深夜便で「誕生日の花」と紹介されていたからです。「誕生日の花」も「花言葉」もかなりいい加減で、なんとでも言える代物、おそらく商売繁盛を願っての約束事にしたのでしょう。そんなこととは無関係に、「季節の草花」「木や花の見頃」というものがありますので、それだけでもたくさんの種類の花や木が楽しめるのです。それにしても「ハナミズキ」は鮮やかですね。ピンク色と白色と。大木にしとやかな、しかし色鮮やかな花をつけるところは、なんとも言えない魅力です。花だと思われているのは、実際の果房を守る壁のようなもので、それがなお、趣を加えてもいるようです。

● ハナミズキ(はなみずき / 花水木)(flowering dogwood)([学] Cornus florida L.)= ミズキ科(APG分類:ミズキ科)の落葉高木。北アメリカ原産で、花が同属のヤマボウシに似るので、アメリカヤマボウシともいう。アメリカヤマボウシとハナミズキの名を混ぜ合わせてアメリカハナミズキという場合があるが、アメリカの名を冠する呼称は適切ではない。高さ5~12メートル。樹皮は灰黒色で縦に溝があり、小枝は緑白色または紫褐色である。葉は短い柄があって対生し、楕円(だえん)形または卵形で長さ8~15センチメートル、先は短くとがり、縁(へり)に鋸歯(きょし)はない。葉裏は白色を帯び、脈上に微毛がある。秋、美しく紅葉する。4~5月、小枝の先に頭状花序をつくり、黄緑色で小さな4弁花を集めて開く。花序の基部に白色で花弁状の大きな総包片が4枚あり、倒卵形で長さ4~5センチメートル、先はへこむ。核果は枝先に数個つき、楕円形で長さ約1.2センチメートル、先端に宿存萼(がく)があり、10月ころ深紅色に熟す。ヤマボウシのような集合果にはならない。前年の秋には、擬宝珠(ぎぼし)状のつぼみが枝に頂生する。/ カナダのオンタリオ州、アメリカのマサチューセッツ州からフロリダ州、テキサス州と、メキシコの一部に分布する。アメリカではドッグウッドと称し、バージニア州の州花になっている。日本への導入は、1912年(明治45)、当時の東京市長尾崎行雄(ゆきお)がサクラの苗木をワシントン市に寄贈した返礼として、1915年(大正4)に贈られたのが初めである。現在も、東京の都立園芸高等学校に原木が残っている。園芸品種に、総包片が淡紅色から濃紅色までの変異があるベニバナハナミズキ、果実が黄熟するキミノハナミズキ、総包片が6~8枚あるヤエハナミズキ、葉に淡黄色の斑(ふ)が入るキフハナミズキなどがある。庭園、公園に植栽される。(ニッポニカ)

● ミズキ=ミズキ科の落葉高木。北海道〜九州,東アジアの山地に広くはえる。枝は水平に広がって独得な樹形を示す。葉は互生し,広楕円形で先はとがり,弓形に曲がった7〜10対の側脈があって,裏面は白い。5〜6月,新枝の先に白色4弁の小花を多数,散房状に開く。果実は球形で秋に青黒色に熟す。材は柔らかく,器具,細工物,下駄などとされる。本州〜九州の山地にはえるクマノミズキは,葉が対生し,卵状楕円形。花は1ヵ月ほど遅く,ふつう6〜7月に開き,果実は紫黒色に熟す。(マイペディア)

ハナミズキの仲間にトサミズキがあり、ヤマボウシがあります。これもよく見かけます。右上写真がトサミズキです。同属異種というのか、人間の種分けのようで、本来は同種だったもので、長い時間を要して、少しの違いが際立ってきたとも考えられますね。いずれにしても「五月の花」として「ハナミズキ」。時節にふさわしい印象を強く与えてくれます。また、その爽やかな印象をさらに強くするバネになったのが「一青窈・ハナミズキ」ではないでしょうか。ぼくは彼女のことはよく知りませんが、その姓「一青(ひとと)」に関心がありました。ぼくの生地の隣りの鹿島郡中能登町に地名「一青」があり、彼女の母親の出身地だったと言う。ぼくの生地は、JR七尾線の少し先の駅「能登中島」でした。ただの偶然です。それでも、彼女という存在の受け止め方に、なにがしか反映していないとも言えません。「ハナミズキ」は2004年だったかに発表されたもので、二十八歳のことでした。以来、しばしば、ぼくはその曲を耳にはしていましたが、姓である「一青」にばかり気を取られていたと思う。日本人の母と台湾出身の父。両親は彼女が成人する前に亡くなられた。(曲については一度、触れたことがありますが、再度)
「空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと どうか来てほしい 水際まで来てほしい
つぼみをあげよう 庭のハナミズキ」
「薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように
君と好きな人が 百年続きますように」
(「ハナミズキ」詞・hitoto you:曲・mashiko tatsurou:https://www.youtube.com/watch?v=TngUo1gDNOg&ab_channel=HitotoYoVEVO)
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誰の言葉でしたか、「この世で花ばかりが美しい」という「科白」がぼくの記憶の襞(ひだ)にくっついています。美しいのは花ばかりではないし、人それぞれに「美しさ」も「好みの花」も異なります。同じ人にとっても、「美しさ」や「好きな花」は、時に変わることもあります。それでいいのでしょう。「花の美しさ」といったのは誰だったか。プラトンやソクラテスの哲学の核心にあった「イデア」、花々に共通している「美しさ」、それが「美しさ」の根源(イデア)なのかも知れません。どんなに美しい花も、盛りをすぎれば枯れる。でも、ぼくたちにはその「美しさ」の記憶が残る。それを、彼は「イデア」と唱えました。こんな細かいことはどちらでもいい。美しい花と花の美しさ、そのは別のものではなく、同じ現象や本質を言い表す二つの表現だと考えたほうがいいようです。名前を知らなくても「花の美しさ」を感受することは出来ます。人でも花でも、誰かの中に残される「記憶」こそが「その人」であり「あの花」なのだという気もします。(右はヤマボウシ)
「記憶」ということを心理学で学びました。かなり昔のことになります。今では、その当時とは様変わりした「脳科学」の隆盛期です。単なる「記憶」ということだけでも厄介な問題になっています。人名を忘れる、時間感覚が損なわれる。そういう「障害」が起こっていても、「花の美しさ」というものは記憶に留まり続けるのでしょうか。逆に、「美しい花」をも見ても、いささかの感情の揺らぎもない人もいるかもしれない。昔から「花より団子」などと申して、即物主義の旺盛さを言い当てたのかもしれない。とするなら、当節はさらに「花より団子」は変容して、「花なんかよりも金銭」だということになってしまったのかも分かりません。いやしくも「美しい花」に心が動いてやまない、そんな「みずみずしい感受性」を失いたくないですね。
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