前後の見境もなく、アメリカ一辺倒でいいのか

<あのころ>進駐軍兵士と遊ぶ ギブミーチョコレート  1945(昭和20)年11月30日、進駐軍兵士の車に群がる子どもたち。マッカーサー連合国軍最高司令官が米軍機から厚木飛行場に降り立ったのは8月末、以来続々と各地に兵士が進駐してきた。「ギブミー」と、チューインガムやチョコレートをねだるなど、子どもは大人と違ってなじむのも早かった。(共同通信・2022/11/30、写真も)(この写真の拡大版には(キャプションが付けられていて、共同通信の「記事そのもの」になっているのはどうしてか、まだ調べはついていません。左下の写真です)(この写真の構図にはどこか違和感を感じます。この手の写真には同じような作為(演出)がありそうですね)

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 ぼくもいくつかの「占領時代写真集」を所有していますが、大なり小なり、占領軍に関する写真には作為を感じるのは、日本人による「抵抗」を受けることなく、思うままに占領統治を展開することを考えた上でのことだったと思う。天皇制を先ず「存置」することを宣言し、ついで「柔らかな占領の展開」を狙うのは当然のことでした。「ギブミーチョコレート」は、最もわかりやすい「イメージ作り」だった。「鬼畜米英」と狼煙を上げ、勇猛果敢に戦ったつもりが「無条件降伏」の止むなきに到った。それまでの「敵愾心」はどこに消えたか、親米に早変わりしたのは、お得意の「異質との共存」だったでしょうか。自分がないから、すべて「他を受け入れる」という、この島の他文化受容の歴史(場面)がここにも現れたのでした。

 戦時中の報道写真は言うまでもなく、戦後(占領統治時代)もまた、報道管制(検閲)が敷かれていました。右の写真はどこで撮られたかは不詳ですが、いかにも「演出」が施されているのが感じられます。「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」というとおりです。子どもを手懐けるには、チョコに限るね。多くは「ハーシー」だったようです。

 占領軍は「子どもたちにチョコレートを配る」という贈り物作戦を展開し、これを各新聞に載せた。占領を思い通りに進めるための方法として、おそらく占領したところでは、どこでも占領軍は「贈り物作戦」を展開します。現に、ウクライナに侵略を試みていくつかの地域を「占領」したロシア軍の取った作戦の一つもこれでした。「親切な露軍」「やさしいロシア」というわけです。すでに帝国陸軍は「支那事変」の際に、この贈り物作戦を展開し、「ヤラセ写真」を配った。獣性を隠すための優しい「日本軍」というイメージの安売りです。(「ギブミーチョコレート」の写真というと、これ(左右のもの)が出てきます。恐らく同じ写真ではないかと思います)

 「親切」「優しい」という米軍に対する印象操作は、戦後一貫して続く「アメリカの属国」という、この社会の行く末を決定するのに大きな力を持ったといえます。もちろん、1960年の「安保条約改定」に際して「反米」「抗米」の嵐が吹き荒れたのは、米軍の本性を直感した人々の止むに止まれぬ態度であったのでしょう。それを知っていたがゆえに、さらに米国一辺倒という政治選択を選び取ってきたのが日本の政治世界の役割りでした。 

 戦後七十七年以上が経過した現在、日本の国是がなんであったか、端的に言うなら、可能な限り長期にわたる「米国占領」を望むことだったといえます。もちろん、さまざまな制約や禁止事項を施すような「強引な占領」ではなく、かなりの幅を持った「柔軟な占領」であることは間違いありません。しかし、現実には、日本劣島の至るところに「アメリカ軍」が駐留するという現実を見れば、徹底した属国視があったことは明白です。日本は「共産主義の防波堤」というのが占領国アメリカの「日本の定義」でした。それから外れることはあってはいけないことだったし、その範囲を越えようとする日本の(独立を目指す)政府は、必ず大きな阻害を受けたのです。ここでは、詳細は言いませんが。

 米国は「占領統治」そのままの「日米関係」を望んできたのです。ぼくは戦後占領期を経験はしたのでしょうが、一切記憶に残っていません。後年、いろいろな資料を通して学ぶことになる。その際、「浮浪児」という単語に重い印象を持ってきました。中でも敗戦直後の上野駅周辺の「浮浪児」の写真は、強烈なものでした。これが敗戦国の実際だったと思うのです。やがて、多くの「浮浪児立ち」は狩り出され、都心からは消えていきます。その後に、ラジオドラマでよく知られるようになった「鐘の鳴る丘」は、文字通りの「孤児たち」のホームの生活を描いたものでしたし、さらには澤田美喜さんが始められた「エリザベスサンダースホーム」の存在も知られるようになりました。何十年前にもなりますか、そのホームの出身者だった米軍人と日本人女性との間で生まれた人が経営していたバー(六本木)に出かけて、いろいろと話を伺ったことがありました。屯する孤児たちの写真は、敗戦直後から暫くの間、あちこちで見られた「浮浪児」の風景です。「ギブミーチョコの写真と違いますね)(左は上野駅の地下道で生活する浮浪児たち=昭和23年6月 産経新聞:2022/08/15付)

 ある時期を期して「孤児」「浮浪児」がどこかに収容されていきました。右の写真は、「狩り出された孤児たち」の一場面です。(鉄格子の施設に収容された「浮浪児」=東京・お台場で1946年7月・毎日新聞: 2022/3/29)孤児が都心から駆り出され、地方に送られた。その一つをドラマ化したのが「鐘の鳴る丘」でした。このラジオ放送を聞いた記憶はかすかにあります。でもその後の記憶の大半は、「テーマ曲」によるもので、時々思い出しては謳ってみています。いつでしたか、ぼくは信州にあった、この「ホーム」の跡地に立ったことがありました。もちろん「鐘」は鳴り響いてきませんでしたが。

● 鐘の鳴る丘(かねのなるおか)=菊田一夫(かずお)作の少年少女向き連続ラジオドラマ。1947年(昭和22)7月より3年間、NHKラジオで土・日曜を除く夕方15分間放送。「緑の丘の赤い屋根……」と始まる古関裕而(こせきゆうじ)作曲のテーマソングは、敗戦直後期の日本の子供の愛唱歌であった。粗筋は、戦後の混乱のなかにある東京と美しい信州の高原を舞台に、戦災孤児の保護に尽くす加賀美(かがみ)修平と孤児の竜太・黒ちゃん・巌(がん)ちゃんらが、孤児を食い物にする町のボスと戦い、最後に幸福になるというもの。映画化もされ、放送後、少年小説に書き直して出版された。(ニッポニカ)

「鐘の鳴る丘」(https://www.youtube.com/watch?v=zEc5ViEq8XQ&ab_channel=%E6%9D%8E%E5%B9%B3%E9%83%8E)

 この「浮浪児」の集団の中に、いつでも「ぼく」はいた、としても不思議ではありませんでした。いまでも、ぼくの心象風景は、浮浪児の中のひとりだった。戦後を生きるということは、誰かの助けを借りなければならないのは、個人も敗戦国家も同じでした。そのことを、これまでもずっと考え続けてきた。ぼくは、けっして一人で歩いてきたのではなく、たくさんの人々の助けにすがって、ようやく歩き続けることができたのでした。もちろん、いつでも目に見えるように、誰かが助けてくれたのではなかった。しかし、一人でいるときこそ、ぼくは誰かの支えを実感してきたのは事実です。この国は、戦後「独立」したと言われます。果たしてそうだったか。サンフランシスコ講和条約を締結したのはいいが、そこからこの社会の米国への従属は始まったと言ってもいい。

● サンフランシスコ講和条約【サンフランシスコこうわじょうやく】=対日平和条約が正称。日本と連合国48との間に結ばれた第2次大戦終結のための平和条約。1951年9月8日サンフランシスコで調印。1952年4月28日発効。日本代表は吉田茂。前文のほか27ヵ条よりなり日本の主権・平等を承認したが,外国軍隊の日本駐留継続を認めた。また朝鮮の独立,台湾・澎湖諸島,千島・南樺太の放棄を規定したが,帰属先は不明確のままで紛争の種を残した。沖縄・小笠原は米国を唯一の施政権者とする国際連合の信託統治下に入ることが予定され,それまでは米国の支配下に置かれることになった。中国・インド・ビルマ・ユーゴ・ソ連・ポーランド・チェコとは締結しない片面講話条約であり,同時に締結の日米安全保障条約とともに日本を対米従属下においた。翌1953年中華民国(国民政府)と日華平和条約を結び,インドなど6ヵ国とも1957年までに国交を回復。(マイペディア)

 戦後政治を総決算すると、時の首相は事あるごとに言いふらしました。本音は、しかしそれとは異なる次元にあった。米国と疎遠になることは耐えられなかったのです。しかし、あまりにも対米従属が顕著になりすぎると、国民の信を得られないと、時には「お題目」のように「戦後政治の総決算」と嘯(うそぶ)いただけだったともいえます。その結果はどうなったか。米国本体も「日本という打ち出の小槌」を失いたくなかったので、互いがくっつきながら、主従関係を保ってきたのでした。やがてアメリカの要求は途方もないものになり、自国の軍事費は日本が負担ということになってしまいそうです。現に、ウクライナ戦争における米国の「武器供与」にも、実際上は日本の負担が入っているのではないでしょうか。そして、いよいよ「集団的自衛権」の出番がやってきそうで、この国の防衛省は「トマホーク」などという「毒矢」を買わされそうになっているのです。この島国には、どう考えてもそれは不要ですから、米国の肩代わりで「米軍用武器」を買わされる羽目になったのではないか。主従関係の行き着くところです。米国の「戦費調達」を日本がしているというのが「集団的自衛権」の実態だったのです。

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 米巡航ミサイル「トマホーク」購入、日本政府が詰めの交渉…抑止力強化に不可欠と判断 日本政府が、米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入を米政府に打診していることがわかった。米側は売却に前向きな姿勢を示し、交渉は最終局面に入っている。日本政府は、保有を目指す「反撃能力」の手段として、国産ミサイルの改良計画を進めているが、早期に配備できるトマホークが抑止力強化に不可欠だと判断した。/ 複数の政府関係者が明らかにした。トマホークは米国の主力精密誘導型の巡航ミサイルで、射程は1250キロ・メートル超だ。全地球測位システム(GPS)衛星の位置情報などを使ってピンポイントで目標を破壊する。1991年の湾岸戦争で実戦投入されて以降、数々の実戦で用いられ、高性能ぶりを発揮している。/ 日本政府は、年末までに改定する国家安全保障戦略で、自衛目的で敵のミサイル発射基地などを破壊する反撃能力の保有を明記する方向で調整している。トマホークを反撃能力を担う装備とする考えだ。海上自衛隊のイージス艦の迎撃ミサイル用の垂直発射装置を改修し、搭載することを想定している。発射位置によっては、朝鮮半島などが射程圏内に入る。

 政府は反撃能力の手段として、陸上自衛隊の「12式地対艦誘導弾」を射程1000キロ・メートルに改良し、活用する計画を進めている。ただ、量産化を経た実戦配備は2026年度とされている。政府内では、まず国外からミサイルを導入して反撃能力を速やかに確保した後、国産ミサイルも含めた装備を整える方向で調整が進められていた。/ 8月に就任した浜田防衛相がトマホークの導入を決断し、米側との交渉を本格的に進めた。日米関係筋によると、同盟国との協力などで抑止力を高める「統合抑止」を重視する米国防総省はおおむね了承し、米政府内での最終調整が行われている段階だという。/ トマホークは1発1億~2億円が相場とされる。日本政府は、米政府を通じて装備品を購入する「対外有償軍事援助(FMS)」を通じた導入を行うことを検討している。(以下略)(読売新聞・2022/10/28)

 戦後七十七年が経過しました。四分の三世紀を経て、今なお「ギブミーチョコレート」と、この島社会の権力者(もどき)は米国に向かって手を出し続けているのです。昔のチョコはチョコならず、いまやそれは、「オスプレイ」であり、「イージス・アショア」であり「トマホーク」であり、ついには、アメリカの代わりに原発新増設まで命じられている。現総理が会長を努めている「宏池会」という派閥集団を創設したのは池田勇人です。一方で「清和会」を名乗る集団があります。言わずと知れた「米国追随」一辺倒です。(ここで戦後政治史を話すのは面倒ですからやめておきます)しかし池田氏の意図は経済的に自立し、米国からも距離を取っていかなければ、この国の将来は危険だというものでした。案の定、表ではなんとか言っていますが、本音のところでは「アメリカの属国」で終始(一貫)する政治路線が定まってしまった感があります。米国から離れられなくなったし、米国はいまのところ、この「金蔓(づる)」を手放すはずもない。島国の小さな政治権力を維持するために国を売るような振る舞いを続けてきた結果、もはや踵を返せない地点まで来たのです。現総理は、恥も外聞もなく、つまりは無節操に、アメリの尻尾にすがりつく道を選んだのであり、やがては意に反して、米国からも自国の政治家からも見捨てられることは確実です。そこにいきつくまで、この国が保つかどうか、じつに危ない袋小路(レッドゾーン)に嵌まり込んでしまいましたね。

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 「法令に違反し公共の福祉を害する行為」って政府のこと?

 憲法第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。/ ② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。/ ③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

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 再び、この問題に触れます。文科大臣の「質問権の行使」は英断などでは断じてないでしょう。以下の記事にもある通り、この宗教法人は過去には、裁判で違法行為と認定されたものが二十九件ある。何れも民事裁判の判決です。この他には刑事事件の確定判決も出されています。仮に、この民事事件の判例が「解散命令」の根拠となるなら(この先、そこに至るまでにいくつものハードルがあり、単純には見通すことはできない)、一体どういうことになるのか。違法行為を繰り返し、実際に被害を訴える人々が存在していたにもかかわらず、国はその問題を放置してきた(政治的不作為)、みずからの責任をどう取るのでしょうか。この法人が「名称変更」を申請し、それを受け入れ「認証」していたのも国です。この名称変更を認めた責任はどこにあるのか。犯罪行為を見逃していたと言わざるをえないし、当該法人を摘発する準備段階にあったとされるが、検察はそれを中断してしまったのはなぜか。

 仮に「解散命令」が出されたとしても、宗教団体の活動は制限されるものではありません。税制上の優遇措置が受けられないという、一定の不利益は生じますが、それ以外に特段の「宗教活動・行為」に支障があるものではないのです。この法人格の「認証」の意味はどこにあるのか。国家公認の宗教法人であるがゆえに、違法行為を重ねても、その権利は守られてきたというなら、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という憲法に抵触するのではないでしょうか。その疑いはおおきにあると、素人は考えます。

 政治と宗教と、一応は別物として扱われていますが、根っこは「権力行使」という点では同根です。だから「祭政一致」という表現は古式蒼然とはしていても、目指す方向は同じところにあるとも言えるのです。まるで双子のように、「独裁」「専断」「覇権」「統一・支配」がその中核にあると言ったらどうか。(左上と右の図は、何れも読売新聞・2022/11/11)

 ここに及んで、じつに奇妙でもあり、じつに不愉快でもある地点に至る。もし、本年七月八日に「元総理」が銃弾で倒れなかったら、今あるような事態は起こらなかっただろう、それが第一です。加えて、当該教団の信者の息子が、手製の銃で元総理を「殺害」したから、この教団が抱えていた看過できない問題群(犯罪か、犯罪に等しい行為)が顕在化したとするなら、「殺人行為」はどのような意味合いを持つのでしょうか。もちろん、理由の如何を問わず、「殺人」は認められない。しかし、認められない「犯罪行為」によって多くの被害者が「救済」されるとしたら、その「行為」の意味合いは変わるのではないでしょうか。「犯罪行為」を繰り返していた団体と深く交際し、癒着の域にまで達していたのが「最高権力者」だったという、この時代には、よほど乗っことでもない限り、まず他国では見られない現象(事実)を否定できるのかどうか。

 「外形的、客観的に違法行為や反社会的行為をすれば、それは当然取り締まりや制裁の対象になります。『信教の自由』を錦の御旗(みはた)や隠れみのにして反社会的活動が許されることがあってはなりません」(南野森、九大教授:毎日新聞・ 2022/8/30)

 また、不幸にして「凶弾に倒れた」人物が、結果的に「反社会的集団」と深い関わりを持ち、そのことで、当該団体に「利益(便宜)供与」をしていたとするなら、その「責任」はどう問われるのでしょうか。名称変更の承認(認証)は、その最たるものだとも言えるでしょう。政治行政の当事者「責任」が問われないなら、まったく「憲法二十条」を踏み躙(にじ)ることになります。

 現総理が「質問権の行使」を決断し、「解散命令」を、というところまで導いた大きな理由は、自らの評判、つまりは「内閣支持率」の急激な下落の回復(挽回)にあると巷間では、広言(公言)されている。自らの延命策の一環として、この宗教を騙る「カルト団体」の行為を政治的に利用したという疑いは濃厚です。二重・三重に、憲法に違背する行為であり、被害者の人権を蹂躙する、権力の不当・不実な行為だと言わなければならないでしょう。

さらにこの団体の許されざる行為として「養子縁組」の強要があります。報道されているだけでも、「七百件超」もの違法行為がありました。養子縁組(制度の詳細は省略)は法律(民法)に基づく行為であり、当該団体は、ここでも違法行為を重ねていたことになります。「信者獲得」「確保」のあくどい「人攫(さら)い」というべきでしょう。詐欺商法を繰り返し重ね、家庭や子どもを食い物にし、信者を迷妄に導く、許しがたい兇徒・暴徒集団だといいたくなります。これを宗教集団として「認証」するというのは筋が違う。宗教ではなく詐欺商法集団にほかならないからです。

 数々の違法行為や、人権侵害を繰り返してきた団体ではありますが、これまでまったく放置されてきたのは、政治権力の「庇護」、いや「癒着」「もたれ合い」のもとにあったからだとするなら、もはや取り返しのつかない、宗教団体と政治団体との共謀による「法治国家における犯罪」です。「勝てば官軍、負ければ賊軍」という「勝利至上主義」は、この島社会のあらゆる部面を汚濁し、堕落させ、損壊させてきました。この一連の「宗教法人法」に基づく政治判断が、どこまで進められるか予断は許されません。ぼくは相当に悲観しています。政教癒着が行き着いた結果が、今回の「銃撃事件」であり、不当かつ不法な人権侵害の「暴露」「顕現」でありました。(このような癒着は「信教の自由」に名を借りた政教野合であり、決して「統一教会」と「政権党」だけに限定されない問題です)

 ここでも「他山の石」という俚諺を持ち出しておきたい。

 宗教を騙り、人心を惑乱させ、神仏の存在を疑似餌にする「時代病」「アヘン依存症」の大量生産は、ますます増長の度を深め、空気感染力を強めているのです。この島社会は、どう考えても「偽宗教国家」に成り果てようとしているのです。このまま放置していたら、中東のイスラム諸国のように、驚くべき「禁忌」や「戒律」に支配され、近代社会の「光明」が一気に消されかねない事態を迎えることになっていたかもしれない。「信教の自由」を標榜するものは、別(他者)の「信教の自由」を阻害する傾向にあるのは事実です。まだまだ、この島社会は「宗教国家」とはいえないかもしれないが、自由にものが言えない、自由に話すことができない時代のとば口に入りかけているのは事実です。なにかあれば、「個人の権利」「個人情報の保護」という「決まり文句」を盾に、あらゆる情報が遮断されかかっているではないか。「墨塗り社会」はすでに出来上がっています。「公明」「公正」が風の一吹きでかき消されてしまったのです。(「オウム真理教」の再現のような、極めて憂慮すべき事態が進行していたという驚愕の事実に、ぼくたちは無知・無関心であり続けるんですね、ことここに到っても)

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 旧統一教会の解散命令請求可否を判断へ 初の質問権行使を永岡桂子文科相が表明 永岡桂子文部科学相は22日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対して、宗教法人法に基づく質問権を行使した。1995年の法改正に伴う権限創設以来、行使は初めて。文科省は、献金を巡る旧統一教会などの賠償責任を認めた22件の確定判決を把握しており、判決などを基に調査を進め、解散命令請求の可否を判断する。(榎本哲也)/ 文科省によると、権限行使の通知は22日午後5時15分ごろ、書留で旧統一教会に送った。組織運営関連の書類、収支財産を記した帳簿類の提出を求めている。期限は12月9日。/ 宗教法人は役員名簿や財産目録の写しなどを毎年、所轄庁に提出しているが、文科省は、それでは調査に不十分だと判断した。/ 宗教法人法では、法令に違反し著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為などがあれば、裁判所が解散を命令できると定める。/ 文科省の調べでは、旧統一教会や信者の賠償責任を認定した民事訴訟の確定判決が1994〜2021年に少なくとも計22件あり、賠償額が計14億円に上るとしている。/ こうした事実が解散命令の要件に該当するかを立証するため、宗教法人審議会の答申を経て、質問権行使に踏み切った。今後、提出された書類などを分析して、行為の組織性や悪質性、継続性が明らかになれば、解散命令を裁判所に請求する。/ 必要なら、再質問や面談、教団の同意を前提とした立ち入り調査をできるが、事前に宗教審の了承が必要となる。/ 永岡氏はこの日午前の閣議後会見で、質問内容が憲法で定める信教の自由を侵害しないかについて「宗教審で議論しており問題ない」との見解を述べた。(東京新聞・2022年11月22日 20時28分)

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 知らず、生れ死ぬる人、いづかたより…

 ゆく川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、賤しき人の住まひは、世々を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或は去年(こぞ)やけて、今年つくれり、或は大家ほろびて、小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、、二三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

 知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がために心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。その主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顏の露にことならず。或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。

 予、ものの心を知れりしより、四十余(よそじあまり)の春秋をおくれる間に、世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ。(「方丈記」)(参考文献:浅見和彦校訂・訳「方丈記」、ちくま学芸文庫)

● 鴨長明 (かもの-ちょうめい)(1155?-1216)=平安後期-鎌倉時代の歌人。久寿2年?生まれ。父は京都下鴨神社の神職。琵琶(びわ)や和歌にすぐれ,後鳥羽(ごとば)上皇の和歌所寄人(よりゅうど)にとりたてられる。元久元年下鴨河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)に推されたが,一族の反対で実現せず出家。大原へ隠棲(いんせい)後,日野に方1丈の庵をむすぶ。「千載和歌集」に1首,「新古今和歌集」に10首はいる。建保(けんぽ)4年閏(うるう)6月8日死去。62歳?通称は菊大夫。法名は蓮胤。著作に「方丈記」「発心(ほっしん)集」「無名(むみょう)抄」。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

 「予、ものの心を知れりしより、四十余(よそじあまり)の春秋をおくれる間に、世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ」と長明は書く。「世の不思議」とは文字通り、「天変地異」であり、あるいは、源平の「政変」をはじめとする「権力争い」を指すのでしょう。その他、大小さまざまな「不思議」「出来事」によって、「方丈記」は書き貫かれている。ぼくは何度か、この件(下り・条)(くだり)を含めて、駄文集録に綴っています。いわば全文の「序」に当たる、この文節をひたすら読んで見るだけで、ぼくは満足する、いや納得するといった心持ちになります。繰り返し読む、それでいいのだと、時代を超えて、一筋の人生の方法(道)が現れる気がするのです。

 ここには長明の「無常観」が深く静かに流れていると世間は言うでしょう。あるいはそうかも知れません。しかし、その「無常観」とは何かと問えば、たちまちに「世間知」が飛びかかってくるのですから、案外、多くの専門家も含めて、鴨長明という存在を見誤っているのかもしれないと、ぼくはずっと考えてきました。「無常」と「無常観」は違う。説明し難いところですが、「ゆく川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と見るのは「無常」なのか、「無常観」なのか。「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし」たしかにそのとおりです。それをもって、「世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」と観察するのは「無常」ですか、「無常観」ですか。何ごとも、何人も、どんなときでも動いて止みません。大きな岩であっても、不動ではない。「水の流れるさま」をみて、「常ならず」というのは、自然観察でしょう。そのように「人世・人生もまた、常ならず」といって、それはありのままの表現ですから、それだけを取り出して「無常観」が横溢しているというのはどうでしょうか。

 生まれて死ぬ、たった一言でいえば、そこになにかの「奥義」や「神秘」「運命」などを見ないで、淡々と、それこそ「水の流れ」のように、長明は自らの来し方行く末を、筆に随って書いているのでしょう。彼は知識人であったし、「貴族」ではなかったが、「神職」でも家柄の生まれでした。彼自身が神官を目指していたこともわかっています。また和歌を始めとする文芸にも、勝れた才能を発揮していた。にも関わらず、「立身」の思いは達することができずに、「出世」の願いは消し去り難くして、彼は、意に反して(だとぼくには見えます)、「方丈庵」の主となり、都の郊外から都人の「周章狼狽」をみやりつつ、大飢饉や地震・火災の災害に打ちのめされる人々を、その側に立って、書き記している。

 「知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がために心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。その主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顏の露にことならず」と書くのは、長明自身の経験であり、その経験から得られた実感だったと、ぼくは思う。自らの人生の来し方を、長明は「無常」という、ある種の「諦観」「諦念」で書いたのでしょうか。ぼくには、そのようには読めない。彼は早くから才能を認められ、賢き人の支持も得た。にも関わらず、「立身出世」は果たせなかった。だから家を出たというのは、安っぽい推測でしょう。あるいは「下衆の勘繰り」だと言っても間違っているとは思えない。彼は「強靭な精神」の持ち主だったと言えば、どうでしょうか。(左は後鳥羽上皇像)

 「方丈記」は彼の六十歳前に書かれたとされる(1212年説あり)。彼が「出家」したというのは、五十歳頃のことと、彼自身が書いています。晩年に至っても、彼は鎌倉に出向き、実朝と逢ってもいる。時世時節の「無常」「儚さ」を書き、人生の「夢幻」を書くのは、彼自身が、そのような観念に支配されていたからだとは言えないでしょう。「あわよくば」「世が世ならば」という情念は、年を経るに従って、彼の心中に衰えることなく滾(たぎ)っていたと言いたいですね。九百年前の人間の心持ちが、今日の人々とは根本から異なっていると、どうして言えるのでしょうか。人間とは、いくつになっても「世が世なら」「あわよくば」と念じているに違いないと、いまもなお「諦念の神」に嫌われているぼくは愚考している。

 大局から見れば「人生は無常(つねならず)である」といえる。だからといって、自らの人生が「無常観」に支配されているとはいえないでしょう。無常、儚さを嘆くことはあって、それは「無常」や「儚さ」を超えていきたいという「生への意思」の現れだとぼくは考えている。ぼくの好きな作家だった正宗白鳥さんは、人と会うたびに「つまらん」「つまらないな」というのが口癖だった。その心は、人生が「つまらない」といったのではなく、もっと中身のある生き方をこそ、政宗さんは求めていたと言うべきだと、ぼくは教えられた。そうでなければ、彼は生涯を「書くこと」で貫くことはなかったでしょう。(右は源実朝像)

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 舵もスクリューもない船に乗っている

 【北斗星】「炊飯器で12時間の保温をやめて電子レンジでご飯を温め直す」「冷蔵庫の設定温度を強から中へ変更」。それぞれ1カ月当たりで364円、130円分の省エネにつながる。昨日付の本紙に載った電力会社の広告で紹介された▼「試してみようかな」と思った方もおられよう。ただ目的は省エネよりも「家計防衛」の方かもしれない。9月の全国消費者物価指数では電気代や都市ガス代が前年同月比20%以上も上昇した▼全体の物価指数上昇は3%。ただ電気、ガスなどの公共料金、食料の値上がりはこの数字を大きく上回る。日銀の9月の生活意識アンケートでは物価が平均で前年比約10%上昇との結果だった。生活必需品などの高騰を反映した実感なのだろう▼秋田市の実家では10年余り使ったストーブを買い替えた。春先より大幅に値上がりしていたそうで「もっと早く買っておけばよかった」とぼやく。値上げの波は暖房器具にまで及んでいる▼きょうは二十四節気の「霜降(そうこう)」。朝晩の冷え込みが厳しい季節を迎え、暖房用の灯油の需要が高まる。思えば昨年の今頃も灯油の値上がりが深刻だった。2年続けて暖房費が心配な冬を迎えることになる▼11月以降に乳製品の原材料となる生乳価格が上がるため、牛乳やヨーグルトなどが値上げの予定。10月に一斉値上げしたビール類などと違い、買い置きができない製品だ。「また上がったか」と値札とにらめっこしながらの買い物がこれからも続くことになろう。(秋田魁新報・2022/10/23)

 ここに来て、いわゆる「光熱費」がやたらに高いと感じますし、実際に、我が家でも電気・ガス(プロパン)代はかなりの負担を強いられています。いくらとは言いませんが、少し、高すぎやしませんか、と余計なことも言いたくなります。さいわいに水道代は、びっくりするほど安い。この地に移住してから、数年は一人住まいをしていたのですが、水道料金は払わなかった、と言うより、請求が来なかったのです。どうしてだろうと、二、三年経って、水道局に問い合わせた。すると、月の使用量が何㍑以下は、徴収しないということでした。広域水道事業の関係で、水道代は、他地域と比較してもかなり安い。だから、余計に電気やガスの高額が目立つのです。加えて、灯油を使う時期になってきたので、今から、恐れをなしています。(今からでも「自家発電装置」を設けようかと思案しています。

 移転当時は、薪ストーブを設置しようと考え、設計図まで書き、ストーブ選びもしたのですが、燃料用の薪(楢や椚など)を入手するのが、思った以上に困難だと判明したので、残念ながら諦めました。杉や松は禁物で、油成分が多くて始末に困るし、わざわざ燃料用の薪を買うとなると、一シーズンで相当な金額になりそうでした。したがって、従来どおり、エアコンは(猫の暖房用以外は)使わず、灯油ファンヒーターにしました(三台)。どうかすると、一晩中つけることもありますので、灯油代が相当に嵩(かさ)みます。いい気分がしないので、昨年度の使用料金額は言いませんが、電気とガスを合算した分くらいを一ヶ月で使いました。さて、今シーズンは、新しい猫たちもいることだし、寒いにも関わらず、今から冷や汗をかいています。(グラフは千葉県の価格です)(https://fatmag.jp/fuel-fee-kerosene-sp-chiba/)

 「天高く馬肥ゆる秋」と、昔は言いましたが、今は、ひたすら物価が騰がる秋であり冬であり、要するに、物の値が騰がる「春夏秋冬」です。物を作らないで、輸入に頼るという悪癖から抜け出せないお国柄ですから、今以上に、大変なインフレ時代が続くでしょう。ハイパーインフレが今にも来そうだという経済専門家の声が聞こえています。まだまだ実感はなさそうというのが大半ですが、この国の財政金融政策の出鱈目さ加減は、いつ何時「超インフレーション」が発生しても不思議ではない瀬戸際まで来ていると、素人は判断しています。

● ハイパーインフレーション(はいぱーいんふれーしょん)(hyperinflation)=きわめて短い間に物価が急激に高騰する激しいインフレーション。超インフレーション、ハイパーインフレともいう。経済学者フィリップ・ケーガンPhillip D. Cagan(1927―2012)による定義では「インフレ率が毎月50%を超えること」であり、国際会計基準の定めでは「3年間で累積100%以上の物価上昇」である。そのおもな原因としては、政府による貨幣や国債、手形の乱発があげられ、とくに歳出や戦費のために大量に紙幣を印刷したことで通貨価値が暴落することが主因とされる。/ 第一次世界大戦後のドイツの例がもっともよく知られるが、近年では1990年代末からみられたアフリカのジンバブエが直面した事例が有名である。ジンバブエでは、2008年にインフレ率が最大800億%程度に達し、額面100兆ジンバブエ・ドルの紙幣が流通した。さらに異常なインフレが進んだために、政府は物価統計の公表を取りやめた。2009年には通貨発行を停止し、外国通貨を使って経済取引を実施している。/ 現代の大半の中央銀行では、このような状況を招く可能性は低い。なぜなら、政府の圧力によって金融政策を行わないように、主要中央銀行がインフレ率2%程度の「物価の安定」を目ざして、政府と独立した立場で金融政策を運営する体制に移行しているからである。また、主要中央銀行は、自行の財務基盤の健全性を維持するように配慮しながら金融政策を運営していることからも、ハイパーインフレを招く可能性は低いといえる。(ニッポニカ)(上写真はドイツ「ワイマールの悪夢」超インフレの一風景)

 「日本は一晩で“ハイパーインフレ”になる」は、本当か?日本は世界の“孫請け”国に…?生き残る道とは」【報道1930】2022年9月8日(木) (https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/146609)(この番組(ネットで公開)を、かなり熱心にぼくは観ています。知らないことはもちろん、知っているつもりの事柄でも、改めて考えなおすきっかけになっている)

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 元日本銀行理事 早川英男氏「いちばん怖いのは、近い将来にあるとは考えていないんですが、恐れるべきは日本人が円を売る時、これが一番怖い。日本人が財産を外貨に換える、これが怖い。本当に激しい円安が起こり、インフレになります。もし日本人が円から逃げたら、ドラングラードさんが言うように170円も超え、ハイパーインフレになりますよ。でも近い将来にそうなるとは思っていません。(中略)南米なんかは自国民が自国通貨を売ったからハイパーインフレになったが、日本はまだそこまではいかない。でもちょっとだけ気になっているのは、NISAなんかで日本株買う人少ないでしょ。米株買ってるんですよ。こういうのが広がって、どっかでキャピタルフライト(資本逃避)が起こったら怖いなって・・・」(同上番組より)

 経済評論家 加谷珪一氏「アメリカは金利を上げる、つまりドルを回収する。出回るお金を少なくする。日本は金利をゼロにしてお金を大量にばらまくという政策。当然出回る量が多い日本円の価値は下がり、ドルの価値が上がるというのは事実です。ですから、この状態が進めば、マーケットの反応次第ではもの凄く円安が進む可能性はあります」(同上)

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 食料自給率は35%程度です。化石燃料に至っては、ほぼ100%輸入に依存しています。仮に、ウクライナに仕掛けたロシアの「戦争」が終わったとしても、日本のインフレは止まらないでしょう。日本の場合「戦費」に当たる部分は「コロナ対策費」に名を変えています。ワクチンやその他の対応策で、恐らく、すでに百兆円を超えて支出されているはずです。財政規律もなにもあったものではありません。本予算が百数十兆円に対して、補正予算を五十兆円も組もうという。何のための予算編成かと言いたいし、補正予算の大半は内閣の一存で使えるとされる(国会の審議なし)。ただでさえインフレに対処できていないにも関わらず、そのインフレを扇動するような税金の無駄使いです。(筆頭は防衛費の増額、約十兆円にすると言う。どこと戦争する気なのか)

 政治家の誰彼から、日本の現状についての状況認識をまともに聞いたことがありません。きっと、何も考えていないのでしょう。選挙オタクであり、加えて自らの保身専一が最大の政治課題だと盲信しているからに違いありません。ぼくたちは宇宙船・地球号に乗船しているといわれています。その地球号の中の「日本丸」は、本船から切り離され、まるでボートのように漂流している。しかし多くの乗船客は「漂流感覚」を満喫してはいないでしょうが、こんなものだろうと高をくくっている。もっとも情けないのが、この「日本丸」には「船長」の資格(能力)がある幹部船員が、まったく不在であるということ、さらに卒倒しそうですが、この船には操舵装置がないということです。車で言えば、ハンドルがなく、ブレーキもない上に、アクセルは壊れていて、もとに戻らないようなものです。ここでもまた、「一蓮托生」なんですか? さて、どうします。船から飛び込みますか、冬の荒海へ。

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 コラム:貿易赤字は年間20兆円ペース、放置すれば日本版「双子の赤字」も (田巻一彦)(ロイター) 1980年代の米国のように財政赤字と経常赤字の「双子の赤字」状態に直面すれば、基軸通貨国でない日本の円が持続的に下落し、輸入物価の上昇を起点にしたインフレの進行に見舞われるという「未来図」も見えてくる。/ この事態を回避するには、今から貿易赤字脱却のための方策を打つ必要がある。ところが、岸田文雄政権が検討中の総合経済対策には、目立った貿易赤字対策が見られない。電気料金への支援だけでなく、日本企業の国内還流策が不可欠の政策対応ではないか。(以下略)(https://jp.reuters.com/article/column-tamaki-idJPKBN2RF0FE)

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 過猶不及(過ぎたるは猶及ばざるが如し)

 【南風録】東京の高級レストランである。ワインと同じようにグラスに注がれるのは茶だ。全国から選び抜いた茶葉を独自技術で抽出し、さまざまな料理に最も相性の良い組み合わせで提供する。◆鹿児島県産茶を使った商品も評価が高い、と県東京事務所が本紙で紹介していた。安価なイメージのノンアルコール飲料だが、高級茶として逆に人気を集めているというから驚く。◆酒を飲まない人が増え、ノンアル市場が広がっていることが背景にあるだろう。飲酒しない習慣は新型コロナ禍をきっかけに加速したと指摘されるが、感染が拡大する前から兆しはあった。◆厚生労働省によると、飲酒習慣がない人の割合はコロナ以前の比較でも、2009年の約51%から19年は約55%と少し増えた。一方、ノンアル市場はここ10年で2倍に伸びたと言われる。健康志向に加えて、宴席で起こりがちなセクハラやパワハラなどを避けたいという意識の表れとみる専門家もいる。◆スーパーの酒類売り場では、ノンアルのビールだけでなく酎ハイ、ワイン、カクテルまで何でもそろう。「ワインの休日」「のんある気分」などのネーミングもしゃれている。炭酸飲料であっても味はなかなか本格的だ。◆酒類メーカーはノンアル志向を追い風と捉えて商品開発を進めている。焼酎王国としては複雑な思いもあるが、選択肢の広がりを飲料業界の商機にもつなげたい。(南日本新聞・2022/10/19)

● ノンアルコール飲料(のんあるこーるいんりょう =アルコール分をまったく含まない、あるいは1%未満のアルコール風味飲料。日本の酒税法では酒類とされない。/ 2009年(平成21)にアルコール分0.00%のノンアルコールビールをキリンビールが発売して以降、ビール以外にもチューハイカクテルやワイン、梅酒などの風味をもつノンアルコール飲料が続々と登場した。酒類メーカーとして培った技術を用い、実際の酒と比べても、さほど遜色(そんしょく)のない風味やのどごしをつくり出している。/ 当初、飲酒運転に対する規制が強化されたため、アルコールの代替飲料としての利用が予測されたが、そればかりでなくアルコールの苦手な人が宴席で飲んだり、また妊娠中、あるいは病気療養中などの理由で飲酒を控えなければならない人の断酒ストレスの解消にも利用されたりしている。さらにジュースや炭酸飲料に比べ糖分が少ないことから、ダイエット目的の飲料として、また清涼飲料水としても浸透した。一方、メーカー側にとっても酒税が課されず、確実に利益が見込める商品ジャンルとして、積極的に開発・販売を進めたという側面がある。/ だが、酒類に分類されないため規制の対象とならず、また微量であってもアルコール分を含んだ商品もあることから、20歳未満の者に飲ませてもよいのか、職場で飲んでもよいのかなど、さまざまな疑問が呈されている。さらに20歳未満の者や飲酒すべきでない人にとって本物のアルコールを摂取することへの誘因となりはしないかという懸念も示されている。(ニッポニカ)

 自慢話をするのではありません。二十歳ころから半世紀、ずいぶんと乱暴な飲み方をしてきました。若い頃は、家でも外でも何でも飲むという出鱈目をしていた。美味しいとか、風味が染み込むというような上品さとは無縁な飲酒生活で、無反省のままに半世紀も続けていたのですから、話にならないと、われながら恥ずかしくなります。幸か不幸か、飲酒癖によって健康を大きく損なうということはなかったようですが、いつでも胃潰瘍には悩まされました。ストレスが蓄積していた上に、それを解放するはずの飲酒が、胃壁を大きく傷つけてきたのでした。胃をすべて取り除く寸前に、画期的な胃薬が開発・販売されたので、ぼくは間一髪で危機を逃れた。と思ったのも束の間、時には「くも膜下出血」や「心臓肥大」というものに取り憑かれ、加えて、年に数回は大吐血を繰り返していたのです。

 ストレスと飲酒の「合併症」のような状態で、自分は正気のつもりで、教師まがい稼業を続けていた。定年前に辞職し、直ちに山間部(というほど奥地でもありませんが)に、一人で転居・移住しました。かみさんは「文化の香りがない」と同居を拒んだからでした。数年後にかみさんも、大きな手術をした後で、遅れて越してきました。この地の生活も九年目に入ります。移住して一番変わったのは、それまで所構わずに嗜む(他者には迷惑)ことを一度も断たなかった「飲酒・喫煙」習慣を、ある日を境にきっぱりと止めたことでした。酒や煙草を口にしたことが間違いだったのはいうまでもありません。多くの人もそうでしょうが、「大人のマネ」「無理な背伸び」をしているうちに、ダラダラと継続してきたというのでしょう。

 この駄文集録にも数回触れた、只今入院中の長野県飯田在の後輩、彼女からは、入院当初は、一週間に一回くらいは電話があったのですが、このところ一ヶ月以上も連絡はありません。少しは気にはしているのですが、ぼくからは連絡を取らない。これはぼくの癖です。どうしてもという時以外、当方から電話などはしない。入院からほぼ三ヶ月、飲酒と喫煙の治療のための入院でしたから、その禁断症状が強く出ているのかもしれないと想像しています。入院一ヶ月後ほどで、彼女は喫煙したと、ぼくに話した。喫煙習慣の治療のために入院したんでしょうと、ぼくは窘(たしな)めた。そういうことはあるだろう、これからも二度三度と、禁煙や禁酒のために入退院を繰り返すんでしょうね、と。リピーターですね。それもいいですがね、と言った。それが彼女に影響を与えたとは思いませんが、御本人は軽く考えていたけれど、じつは重度の習慣病だったことに気がついているのかもしれません。「煙草の一本くらい」とか「ほんの少量の酎ハイなんか」と思ってしまう、それが呼び水になって、元の木阿弥になることは請け合いです。

 酒でも煙草でも、禁止すれば、全てが健康であると言えるかどうか、よくわからないところがあります。酒も煙草もまったくやらない人が他の原因で亡くなることはあるし、反対のケースもたくさんあるでしょう。飲んだから(吸ったから)短命だ、重篤の病になるということは断定はできません。このような時に使われる数字はあくまでも格率です。宝くじの当たる確率は天文学的レベルでしょう。しかし他の多くの場合も似たりよったりで、個人にすれば、飲酒や喫煙が原因で病気になる確率は50%(半々)です。少しでもよくない方の確率があるなら、それを習慣化しない方がいい、と元重度の依存症者は考えています。ぼくは酒も煙草も止めるのに(再開することはなさそうです、今のところ)、まったく苦労しなかった。あっという間に五年経ち十年が過ぎたという感じです。だから誰だってそうであるし、そうできるとは思わない。したがって、他人にも、そうできるなどと言わない。人それぞれの事情(心身の)があるのです。要は「習慣」にしていいものと悪いものがあるということですけれども、だれもがそれを自覚しているとは限らない。

 しかし、変われば変わるのが「時代相」であり「社会相」です。飲酒する者や喫煙する者が零(ゼロ)になることはありえないでしょう。しかし確実に減少していることも事実です。問題は、その減少の事例に自分が入るかどうか、そういうことです。禁酒や禁煙に対する社会の寛容度が厳しくなってきたことも見逃せないでしょう。ノンアルコールやノンニコチンがさらに増加するのかどうか、予想も予見もしません。ただ言えるのは、酒もタバコも、それがなくても生活はできるし、金の浪費と健康に有害だと思えば、止めるのがいい、それだけです。コーヒーも紅茶も、あるいは日本茶だって、過度の摂取は誉められたものではないでしょう。何ごとにおいても、「過ぎたるは及ばざるが如し」です。(「子貢問。師與商也孰賢。子曰。師也過。商也不及。曰。然則師愈與。子曰。過猶不及」)

● 過ぎたるはなお及ばざるがごとし=度が過ぎたものは、足りないものと同様によくない。ものごとには程よさが大切である、ということ。[使用例] 過ぎたるはなほ及ばざるが如しとは、即ち弊害と本色と相反対するを評したる語なり。たとえば食物のは身体を養うに在りといえども、これを過食すればかえっその栄養を害するが如し[福沢諭吉学問のすすめ|1872~76][使用例] 無双な腕力を持っていても、これを生かすべき戦乱はなく、ために栄達の折もなく、むしろ過ぎたるは及ばざるにかずのごとき無事泰平を示現しつつありましたので[佐々木味津三*旗本退屈男|1929][由来] 「論語―先進」に出て来る、孔子の名言。弟子のこうが、先輩弟子のちょうとのどちらがすぐれているか、孔子に尋ねたことがありました。孔子の答えは、「子張は行きすぎるところがあり、子夏は足りないところがある」。「では、子張の方がすぐれているのですか」と、子貢が重ねて質問すると、孔子は、「過ぎたるはなほ及ばざるがごとし(行きすぎは、足りないのと同じようなものだ)」と答えたということです。[解説] ❶子貢は才知にあふれた人物で、外交官として活躍する一方、投機をして巨万をも築きました。そんな彼が「行きすぎ」の方がすぐれていると思ったのは、自分に近いからでしょうか。孔子のことばは、子貢自身に対する戒めだったのかもしれません。❷「論語」の章句としては、「中庸(ほどよいこと)」のすすめとして解釈されていますが、故事成語としては、「行きすぎ」を戒める意味で用いられるのがふつうです。(故事成語を知る辞典)

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 物値上げ人も音上げの神無月(無骨)

 <卓上四季>働けど物価高 刈り取った稲わらを撚(よ)って縄にする「縄ない」は、農家の収入源だった。広島県の実家を継いだ詩人の木下夕爾(ゆうじ)は、学生時代を過ごした東京に行きたくなり、旅費稼ぎに縄ないを始めた▼ところが、お金がまとまりかけると汽車賃が上がる。戦後すぐのインフレ期だった。「東京行」という詩で「縄ない機械を踏む速度ではとても物価に追いつけない/ないあげた縄の長さは北海道にも達するだろう」と恨んだ▼値上げといえば春だと思っていたが、そうとも限らなくなった。9月から食品や家電などの価格上昇が相次ぐ。道内の最低賃金をめぐる協議でも、物価高に賃上げが追いつかない状況が考慮された▼木下を苦しめたインフレを止めたのは、財政と金融の引き締めを図るドッジラインだった。1970年代の「狂乱物価」の際には当時の福田赳夫蔵相が、田中角栄首相の日本列島改造論で膨らんだ公共投資に大なたを振るう「物価安定世直し予算」を組んだ▼だが、いまの政府の予算は来年度概算要求で110兆円超えと膨らむ一方。物価の番人たる日銀は大規模金融緩和に固執する。岸田文雄首相は国民生活よりも政権の安定を優先したいのだろうか▼米連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン元議長は、物価の安定を「企業や家計が物価動向をほとんど気にせずに行動できる状態」と定義したという。目指すべき所はそこである。(北海道新聞・2022/09/05)

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 夭逝(ようせい)した詩人・俳人の木下夕爾さん。今ではすっかり忘れられた人かもしれませんし、存命中も決して派手な振る舞いはなく、郷里福山の薬屋さんの店主でもありました。同郷の先輩だった井伏鱒二さんを敬愛していたし、その影響もあってか、新宿のある大学付属の高等学校に入るも、親父さんの急逝で帰郷。爾来、地味ながらも詩作や俳句作りに勤(いそ)しまれた方。ぼくの好みにピッタリの一句を。

しその葉に秋風にほひそめにけり(木下夕爾)

 木下夕爾さんの五十歳の生涯は、当時にあっても、若死にだったと思う。彼の本領は詩人にあったが、ぼくは木下さんの俳句により強く興味を持ちました。なんでもない、当たり前の風景をさり気なく詠む、その姿勢や佇まいに、彼の人柄が忍ばれるという気もします。久保田万太郎氏に師事した経歴がわかるように思う。詩人にして俳人に「値上げ(インフレーション)」は、あまり似合いませんが、コラム氏の書かれた文章にも、夕爾さんの人柄が出ているか。「縄綯(な)い」は縄を作ることで、多くの農家の夜なべ仕事でした。ぼくも石川県の田舎にいあた頃に、少しはできるようになっていました。また草鞋(わらじ)や草履(ぞうり)づくりも賃仕事になっていたのでした。

 よほどのことがなければ、誰にとっても有り余るお金があるわけではないのですから、とりわけ農家にとっては、通常はお金は扱われなかったとされていますから(物々交換が主)、店で物を買うときには、ずいぶんと困ったことだったと思う。昭和初期の不況期でもあり、夕爾さんの東京行きは困難を極めたことでしょう。それもなんとか工面して東京へ出た。しかし、父親の願いもあり、帰郷を余儀なくされたのでした。 

 昔も今も、毎日のたつき(方便・活計=生活の手段)が立ち行かなくなるような「物価値上げ」の襲来は、慎ましく暮らしている衆庶にいいようのない苦しみを与えるでしょう。

●木下夕爾 きのした-ゆうじ(1914-1965)=昭和時代の詩人,俳人。大正3年10月27日生まれ。広島県福山市で家業の薬局をつぐ。昭和15年詩集「田舎の食卓」で文芸汎論(はんろん)詩集賞。短詩型の叙情詩にすぐれ,詩誌「木靴」を主宰した。久保田万太郎の句誌「春灯」同人。昭和40年8月4日死去。50歳。名古屋薬専卒。本名は優二。詩集に「生れた家」,句集に「遠雷」など。【格言など】家々や菜の花いろの灯をともし(「遠雷」)(デジ竜番日本人名大辞典+Plus)

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 結婚した年の秋(1973年3月に結婚した)、いわゆる「狂乱物価」という大津波に直面しました。今から思っても、ぼくたちは「狂乱物価」の荒波寄せくる海岸の遥か後方にいたようでした。海岸には近寄らなかった。トイレットペーパーがなければどうするという心配もせず、いずれ時期が来れば収まるさ、と高を括(くく)っていたというか、買い占め・買い溜めに走る愚かさを自らに禁じていたのではなかったか。まるで笑い話ですが、買い溜めたトイレットペーパー、その他の品物の重みで民家の二階の床が抜けたという逸話もできた時代でした。諸物価上昇、いや高騰する時代、その興奮を余所目に、ぼくたちは「霞を食っていた」わけではありません。雨や嵐に、いちいち大騒ぎしても始まらんでしょうという「いい加減な態度」を貫いたということだったと思う。一時期に、ある商品が20%も値上がりしたが、それがなければ死ぬんですかという、そんな無手勝流の姿勢を変えなかっただけ。どんなに買い溜めしても、使えばなくなる、当たり前です。少々の節約にはなっても、元に戻るのは時間の問題。そんな生活感覚で生きていました。若気の至りというものだったか。(右は山梨日日新聞・1973/11/21)

 五十年前とは様相は異なる「物価値上げ」の令和に四年ですけれど、その現象や現実に対する消費者の姿勢は、今も昔も変わりません。どんなに値上げをされても、買うしかないし、だから、そのつど「音を上げる」ということです。単純ではないのが経済の動向。世界が近く・小さくなりすぎた結果、一国で取れる手段には限界があります。それをいいことに政治は不作為を決め込んでもいる。そこに明確な道筋をつけるのが「政府・政治の役目」だといいたのですが、言っても無理だし、言うだけ無駄だと諦めてはいけないんでしょうね。自分の息子を「適材適所」で総理秘書官につけるという愚劣を平気でする現ソーリに何ができるのかという、諦念がどうしても否定できないんだな。

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 たしかに、値上げは台所を直撃する。ならば、台所をなくせばいいじゃないか、というのは冗談ですが、でも、そんな異常事態は何年も続かないだろうし、縦(よし)しんば、そうだとしても、続いている間に、少しは「生活の知恵」も出てくるだろう、そんな「軟弱な生活感」を持っていれば、それこそなんとかなると、今でも思っています。(ここに持ち出すのは気が引けますが、現在、ロシアの無謀な侵略を受けて町を破壊され、生活も破壊され、人生も毀損されていて、なおそこで「日常を営む」ウクライナ(現地)の人の様子を見るにつけ、なんとかなる、なんとしても生きていけるという気がしてくるのです。「戦時下」の民衆は、そんな諦念と覚悟の入り混じった思いで暮らしていたのではなかったか)

 (本邦における、コロナ禍の「マスク」不足時の情景を記憶されているでしょう。マスクがなければ、生きていけないと考える理由は少しもなかった。しかし、多くの人は「煽られ、煽られ」異常な高値で購入を迫られたのでした。そしてやがて、マスクの余剰が発生して今日に至っています。愚かだったのは誰でしたか。無用なマスクの発注で七百億円以上の税が投入されたともいう。コロナ禍に関わって政府が投入した税の総額は、この段階で七十七兆円という。それも増税で回収すると言われている、そこまで悪辣悪質な「苛斂誅求」に走る劣悪政治ですな)

● 狂乱物価(きょうらんぶっか)=急騰した物価の状態を指す。第1次石油危機を契機として,それまで落ち着いていた物価は,1973年以降2年ないし3年にわたって2ケタの上昇率を示すに至った。これをもたらした国内要因としては,第1に国際収支の黒字を背景に通貨供給量が増大し過剰流動性となったこと,第2に国際収支の黒字縮小を図るため,積極的な財政政策が展開されたことに加え,日本列島改造に端を発した株価,地価,卸売物価の上昇,第3に需給ギャップの縮小から一部の商品に不足現象が見られ,買い占め・売り惜しみなどの投機的行動を誘発したこと,さらに第4次中東戦争勃発による原油価格の高騰などがあり,これらが複雑に絡み合った結果といえる。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 身に沁みて物みな値上げの春夏秋冬、こんな戯れ句を放り投げたくなるこの島の現実です。一人で心配しても始まりませんが、まもなく、この島社会は「債務超過」に陥ると(嫌なことをいうようですけれども)確信しています。世界情勢のしからしむる処といえば、「そうですね」と思わず納得させられかかるのですが、じつはこの島の現実は、あからさまに政府の、大間違いの「金融財政」政策(ともいえない)によるところが大です。「際限なき金融緩和」政策は、手の打ちようのないところに来ています。(この、忌まわしい緩和政策の地雷源は「アベノミクス」でした)驚嘆するばかりの「国債」発行額。その大半を日銀が買い入れている。日銀は、どこの国や社会にも見られないような株主、日本企業の多くの筆頭株主でもあるのです。もうすでに「日銀破産(破綻)」の状態にあるんじゃないですか。(この問題も書き出すとキリがないので、ぼくには面倒。ここで止めておきます。来年(以降)は「世界同時不況」という恐ろしい事態が予測されている)

インフレーション  (いんふれーしょん)= 世の中のモノやサービスの価格(物価)が全体的に継続して上昇すること。英語表記「Inflation」の日本語読みで、一般的には「インフレ」と略されて呼ばれることのほうが多いです。一般的には、好況でモノやサービスに対する需要が増加し、供給を上回ることで発生し、企業利益の上昇から賃金が増加し、消費が進むので、緩やかなインフレは望ましいといえます。一方で、同じ金額で買えるものが少なくなるので、お金の価値は下がることになります。短期間で物価が急騰するような「ハイパーインフレ」は物価の上昇に賃金の増加が追いつかず、経済が破綻します。インフレの水準を適正に管理することは中央銀行金融政策を担ううえでの最大の目的です。(大和証券「金融・証券用語解説」)

 日本の経済の現状がきわめて危険な水域にあることを、多くの内外の経済関係者が指摘しています。しかし、「聞く力」を目玉(売り)にしている現総理は、聞く力がないことを白状しているようなもので、問題の所在は聞いているが、「聞くだけ(野暮)総理」でしかないのです。この男も政治家が稼業の、二代目か三代目だったか。恐らく総理の椅子に、どんなことがあっても、どんなことをしても「座りたかった」だけの御仁でした。以下に、経済評論家の加谷(かや)さんが指摘するように、日本経済の先行きは「壊れた計器でのフライトを余儀なくされた飛行機のようなものだ」とするなら、パイロットは不在に等しいことになります。あるいは全自動運転の自動車(テスラ)のようなものか。日銀総裁は目も耳も不自由だし、財務官僚は金融財政に興味がなさそうだし。円安が加速して(外貨準備高の少なさを、投資家に見透かされていますから)、さあ大変と、見せかけの円買いを実施したところ「焼け石に水」で、やがて、その水までが熱湯になり、その後は蒸気になって、この島社会は干からびるのがお決まりです。

 (ここまで来て、この先を書く気力が失せてしまいました。政治や政治家は存在するだけで十分なのに、余計なことをするから、困難が次々に湧いて出るのでしょう。政治家の存在は認めても、彼や彼女が行動(政治)をすることは禁止したいね)

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 トリプル安の英経済より危険…「危機的状況」すら反映できない日本市場のマヒ状態 (加谷珪一

 日本においては、国債市場で2日連続で取引が不成立になるなど、市場が持つ価格形成機能が失われつつある。最大の原因は、日銀が一定以上に金利が上がらないよう無制限に国債を買い取る「指し値オペ」を実施していることであり、この状態では本当の金利が何%なのか誰にも分からない。/ 株式についても、上場企業の多くが日銀や公的年金が筆頭株主という異常事態が続いており、これらは全て異次元緩和の副作用である。/ 日本では3大市場のうち2つが機能不全となっており、国民は自国経済がどのような状態にあるのか判断できない。例えるなら、壊れた計器でのフライトを余儀なくされた飛行機のようなものだ。(ニューズウイーク日本版:2022/10/05)(https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2022/10/post-204_2.php

 (右上図:(出所・総務省統計局「日本の長期統計系列」および「平成29年小売物価統計調査(動向編)」より野村證券作成)

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 「東京物価上昇率、消費税除き約30年半ぶり 9月の東京都区部消費者物価指数の上昇率は約8年ぶりの大きさで、消費増税の影響を除けば1992年4月(2・9%)以来、約30年半ぶりの大きさだった」(秋田魁新報・2022年10月4日)

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