【日報抄】もう初夢はご覧になっただろうか。現在の村上市の辺りには初夢にまつわる、こんな民話が伝わる。天から福を授かる初夢を見た、正直な若者が主人公である▼やぶの中でくわ仕事をしていると、土の中から金がめが出てきた。しかし若者は、自分には天から福が授かるのだからと金がめを拾いもせず帰った。周囲の若い衆がそれを聞き、探しに行ったが金がめは見つからず、あったのは蜂の巣だった▼若い衆は怒って、くだんの若者宅の窓に蜂の巣を投げ込んだ。すると蜂の巣は金がめに変わり、中から大判小判が飛び出した。若者は天から福が降ってきたと大いに喜んだ(水澤謙一編「越後の民▼この民話が伝えようとしたものは何だろう。いろいろ考えられそうだが、信じ抜くことの大切さもその一つではないか。若者は夢のお告げを信じ、それを貫いたことで福を手にした。いろいろな困難に直面しても、自分が信じた道を行くことは尊い▼この世には、信じたばかりに痛い目を見ることも少なからずある。一向に減らないオレオレ詐欺の類いがそうだ。うそや偽りを見抜く眼力は必要だろう。その上で、十分に検討して信じるに至った事柄なら、最後までつき合いたい▼ウクライナの戦火をはじめ、世界を覆う黒い雲は分厚いが、いつかは晴れると信じたい。そのために、できることを探して動きたい。簡単ではない。時間がかかるかもしれない。それでも年初、物事は信じることから始まるのだと自分に言い聞かせる。(新潟日報デジタルプラス・2023/01/03)
「初夢」の話は多くあります。「ある物・者」を初夢に見ると、その年がうまくゆくという、夢見ベストスリーがあるそうで、「一富士、二鷹、三茄子(なすび)」などと言いました。つまり、一年の最初に見る夢によって「年占い」をしたのです。このベストスリーにも諸説あり、事程左様に、いろいろな場面で人々は、運勢を占い、人生の吉凶を知ろうとしたのではないかと、ぼくは考えている。ぼくは、ほとんど「夢」を記憶しない質(たち)で、袈裟までの三日間も、何やかやの夢を見ているはずですが、まったく忘れています。夢に観るのは、大体が「嫌なこと」で、だから忘れてしまうのでしょう。それでこそ、その日がなんとか過ごせるというものです。
「夢判断(Die Traumdeutung)」(1900年刊)という本がフロイトにあります。如何にもフロイトらしい研究でした。その人がどんな夢を見るか、それによって診断(判断)したのです。「夢」はさまざまな意味を有する「潜在意識」であり、いかなる傾向の夢を見るかで「精神分析」をした。当たらずといえども、遠からずと言ったことではなかったか。今ではどういう具合になっているのか、不勉強でわかりませんが。ということは、日本でも欧米でも「夢占い」は広く認められていたということでもあるでしょう。「夢解釈」はフロイトに限らないことでした。もし、ぼくの見る夢をフロイトが診断したら、なんというか。今はすっかり見なくなりましたが、以前は「学校のテスト(試験)」の夢を見ていた。終了間際でも、なにも書けなかったとか、点数がやたらに悪かったとか、要するに、愉快な夢ではなかったし、その殆どは「試験」に関わっていたのです。この人間は、一種の「試験強迫症」だと診断されるかもしれない。普段、「点数なんて、どうでもいいんだ」などと勝手なことを言っているが、実は「優等生に対する劣等感」を持っていた、「性格卑屈人間」などと診断されるかも。
ところで、コラム氏が触れている「民話」は「天福地福」という名称で親しまれているもので、けっして新潟に限定されるものではなく、またその内容も多彩です。詳細は避けますが、「花咲か爺さん」などもここに重ねられるでしょう。「ここ掘れワンワン」にも見られるように、貧しいけれども正直な人と、悪賢い人が登場してきて、最後には「正直爺さん、勝ったとさ」となる。詰まるところは、「勧善懲悪」のススメであり、「正直者の頭に神宿る」式の、ある種の教育的側面を持つものです。貧しいけれど、正直を通していれば、何時の日にか、幸せになるという「教育論」として広められたきらいがあります。これもまた、広い意味での「為政」の一環だったでしょう。
それはさておき、コラム氏は「この民話が伝えようとしたものは何だろう。いろいろ考えられそうだが、信じ抜くことの大切さもその一つではないか。若者は夢のお告げを信じ、それを貫いたことで福を手にした。いろいろな困難に直面しても、自分が信じた道を行くことは尊い」と、なかなか洒落たことを仰る。「十分に検討して信じるに至った事柄なら、最後までつき合いたい」とも言われる。誰がなんと言おうと、「教祖の予言」を信じます。世間の人は信仰が足りないから、教祖は嘘をついていると非難する。あるいは、マインドコントロールを受けているんだと。でも、気にするな。「どこまでも、私は信じている」と、最後まで「信じ抜く大切さ」の尊さの意義を記者は主張されている。「カルト教団」が隆盛を誇るのは、このような「記者」がいるからだし、臆面もなく「若者は夢のお告げを信じ、それを貫いたことで福を手にした」と感服している。実に立派な「夢」と「民話」への信心を隠さない「民話信者」が、現実にいるという驚きをぼくは禁じえないのだ。しかし、それは「夢」だ、どうして「目が覚めないんですか」「作り話なんだよ」と叩き起こしてやりたいね。「夢」の話はどこかへ飛んでしまい、「信じる者は救われる」という与太話に塡(は)まり込んでいるのです。困ったものだというほかない、では済みませんね。
この記者は「信じる」と「考える」を混同している。ありそうもない、荒唐無稽な噺を「信じる」と痛い目に遭う。でも信じるとは、そういうことでしょう、高額献金をしなければ「地獄に落ちる」と信じたから、多額の金(財産)を収奪されても「ありがたい」と目が覚めないのです。ここに「信仰」「信心」の核(ヤバいところ)がある。疑問の余地を一切残さないこと、それが「信心」の恐ろしいところ。「それでも年初、物事は信じることから始まるのだと自分に言い聞かせる」と、まさしく彼は夢を見ている。「ウクライナの戦火をはじめ、世界を覆う黒い雲は分厚いが、いつかは晴れると信じたい」というに至っては、ぼくは悲しくなってくる。分厚い雲はいつかは晴れる、それは間違いありませんが、記者が信じたから「晴れる」のではないでしょう。誰がどう言おうと「そう信じたい、信じている」と固まるところに、「信心」の闇・暗部があるんだね。
この記者の最も根本的な勘違いはどこにあるか。それは実に単純です、「考える(疑う)」と「信じる(盲目になる。盲信する)」とを混同しているのです。「信じるのは私」、それはあなたの勝手、でもそれを信じないのは「ぼく」、「疑う」のは自由であるからです。主観と客観という語を使うと、余計混乱するかも知れません。でも「信じる」のは「あんたの勝手」であって、「考える」は、誰もがそう考えるように「考える」のです。また、考えるは、疑うと言い換えてもいいでしょう。ところが「信じる」は「考える」「疑う」を止めたところに生まれるのです。「愛(恋)は盲目】などと言いました。いろいろな意味がありますね。愛するというのは、計算しないことです。疑うことを放棄するのです。だから「愛が冷める」というのは「目が覚める」ことで、そこで初めて、疑ったり考えたりする働きが生まれる。離婚が多いのは、ここ(盲愛から懐疑に至る)にも理由があります。「夢から覚めないで」と言いたい気もしますが、冷めたほうが、しんどいけれど、人間らしいね。
今の時代、「陰謀論」が流行る(信じられる)理由はがわかるような気がします。それは錯覚です。夢(ゆめ)と現(うつつ)の取り違えです。この劣島の政治が堕落の限りを尽くしていても、政権党が斃れないのは「夢幻の世界」に浮遊している有権者の根が絶えないからですね。さらにいうと、カルト集団が公認の「教団」であり続けるのも「信じる力」のおかげでしょうね。「物事は信じることから始まるのだと自分に言い聞かせる」とまでいうコラム氏。これを止める仲間はいないのですか。「疑うことから始めてくれ」と、ぼくは直接、電話で話してやりたいね。「赤ずきんちゃん、気をつけて」「やたらに、誰かのいうことを信じたらだめだよ」
さて、「狼は誰で、赤ずきんちゃんはだれでしょう」とコラム氏に伺いたいな。
(最後まで、このコラム氏は「初夢」ならぬ「初笑い」を演じようとしているのだと、疑っています。決して信じてはいません。でも、それくらいの「ジョーク」がコラム記事になったとしたら、ぼくは大喜びを隠さないでしょうね。まさか、そんな、この記者はマジで、「物事は信じることから始まるのだと自分に言い聞かせる」という「初夢、しかも悪夢」を見ているのだとも、ぼくは思ったりする。どっちなんですかね。もしそうなら、冷水をかけてやらないと)
OOOOOOO
追記 これもどこかで触れています。「半信半疑」という言葉(表現)はずいぶんと奇妙ですね。ぼく個人の意見からすると、半分信じる(言葉の綾としても)ということはありえない。一切の疑念の余地なく、自分を(対象に)預けること、それが信心・信仰です。対象が「人」ならば、絶対的愛であり、それが教祖的な人物であるなら「崇拝」になり、さらに進むと「帰依」となる。すべてを預けてしまうことです。「神仏を信頼して尊び、その教えに心から従うこと」(デジタル大辞泉)疑問の余地は無でしょう。その「心」を解き放すことは困難を極めます。そこから、宗教(religion)とは、ラテン語(religio)では「離される」ことを意味します。内と外とで話が通じないのは、それを指すでしょう。この島人の多くに見られる曖昧さは、「半分信じて」「半分疑う」という態度を許しています。でも、こと宗教では、それはすんなり通用はしないのではないでしょうか。一旦「なにかに帰依」すると、それから解放される(信仰を脱する)のは困難を極めるのは、日常の景色として、今でも、どこにでも見られることですね。文明の「進化」や文化の「洗練」とは関係ありません。
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『天福地福』― 新潟県 ―(語り 井上 瑤 再話 六渡 邦昭) 「むかし、あるところに貧乏(びんぼう)なお爺(じい)さんがおったと。/「正月二日の晩に、宝船(たからぶね)の絵を枕(まくら)の下にして寝(ね)れば良い夢を見る」と聞いたので、爺さんはその通りにして寝た。/ 朝になると爺さんは、/「おら、天から福を授(さず)かる夢を見たや。天福(てんぷく)の夢だ。いい夢じゃった」と言って喜(よろこ)んで起きてきた。/ ほして春になって、爺さんは山の畑へ行って畑打ちをしていたら、鍬(くわ)に何か、カンカンと当たるもんがあった。/「はて、こら何だやら」と思うて掘(ほ)ってみたところが、金瓶(かながめ)が出てきた。「こら、金瓶でねか、金がいっぺ詰(つ)まっている。だどもこれは地から授かった地福だ。おらの授かったのは天福だすけ、これは家へ持って帰れねえ」/ こう言って、そのままそこへ埋めて帰ったと。/ほうしてその夜、隣の爺さんがもらい湯しに来たんだんが、畑の金瓶のことを話して聞かせたと。/ 隣の爺さんは、それを聞くとじっとしていられねえで、こっそり、堀に行ったと。/ ほうしたら、金瓶どころか、蜂(はち)の巣(す)のでっこいのが出て来て、蜂がブンブン飛んで、顔やら、手足やら、あちこちを刺(さ)されたと。」「民話の部屋」より:https://minwanoheya.jp/area/niigata_043/)
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● 民話【みんわ】= 民間に伝承される説話。狭義には昔話と同意。広義には伝説,さらに世間話を含めた意味に用いる。世間話は実話や経験談の形で話しつがれるが,実は昔話や伝説の改作であることも多い。(マイペディア)
● 初夢(はつゆめ)= 新しい年を迎えて初めてみる夢。その吉凶で年間の運勢を判断する「夢占(ゆめうら)」の習俗は古く、以前は節分の夜(立春の朝)の夢を初夢としたが、暦制の関係から除夜や元日の夜に移り、やがて「事始め」の正月2日の夜の夢に一定したらしい。すでに室町時代には正月2日夜「宝船」の紙を枕(まくら)の下に置いて寝る風習が始まっており、江戸時代に下ると「宝船売り」が江戸の風物詩として広く親しまれるようにもなっていた。七福神の宝船図、「ながきよのとおのねぶりのみなめざめ、なみのりふねのおとのよきかな」という回文の歌などもつとに固定したらしい。ともかく初夢に特別の関心が寄せられると、こうした「吉夢」をみようというまじないが生じ、また「悪夢」は宝船に添えて川に流す風習や、夢を食べるという架空の動物「バク」の絵を用いるといった「夢たがえ」の風習も生じた。「夢占」という、夢で吉凶を判ずる庶民の伝統は古いが、とくに年初の「初夢」には関心が強く、こうした「初夢」の習俗をおのずから生ずることになったのである。(ニッポニカ)
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