言葉は刃物でもある、傷つけ傷つけられ

 【水や空】小さなけなし 辞書の域を超えた味わいが、新明解国語辞典(三省堂)にはある。旧版で「恋愛」を引いてみる。〈特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき…〉▲感極まるような、情熱的な説明が続く。〈常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い…〉。さらに続くが、引用しきれない▲この味わいを保ちつつ、辞書は社会の変化も映し出す。「恋愛」の説明で〈特定の異性に対して〉とあるが、おととし改訂された最新版では〈特定の相手に対して〉に変わり、男女の枠が消えた▲「男がすたる」といった慣用句を最新版で削った辞書もある。では「女性なのにすごい」はどうか。辞書に用例はないが、こうした言い回しは「小さなけなし」、横文字では「マイクロアグレッション」と呼ばれ、もっと意識されるべきだと指摘される▲女性はこうで男性はこう…という思い込みがあり、それを外れると「女性なのに」などと口走る。悪気はなくても、言われた人の心には傷が残り続けるのだと、おとといの記事にある▲「女性なのに」「男のくせに」。言葉一つ一つの“偏り”を一人一人がわきまえるしかないのだろう。日頃の言い回しは辞書のようにある日、ごっそりと更新することはできない。(徹)(長崎新聞・2022/5/20)

 新明解の初版発行は1972年でした。金田一親子に見坊さん、柴田さん、山田さんの、それぞれが、ぼくにはなじみの方々でしたし、何十年も前から見坊さんには拙い授業を進める際に大変にお世話になりました。といっても、彼に授業の手ほどきを受けたというのではなく、彼の書かれたものがぼくの愛読書になっていたからです。ことに「ことばのくずかご」シリーズは、ぞっこんというか、大ファンでしたね。「ことば」に魅入られた人といっていいでしょう。とにかく、「ことば」に関してこれほど貪欲な人はそんなにいなかったのではないでしょうか。彼の師匠は金田一京助さんでした。

 金田一さんには、アイヌ神謡集にかかわる大事な仕事がありました。言語学者・知里真志保さんの姉の幸恵さんを東京に呼び寄せ、辛うじて、アイヌの大事な宝を採集することができたのでした。この幸恵さんとの交わりには、何かしら神がかりのようなものがあったし、その後の(金田一氏に対する)毀誉褒貶にも、言い知れぬ「発見者の苦しみ」があったことでしょう。彼の師匠は上田万年さん。本邦「国語」事初めに立ち会い、その導きの役割を果たした第一等の人でした。また金田一さんは岩手の人で、石川啄木と同郷の誼(よしみ)から文京区の下宿屋(大野屋旅館)で同宿していたことがあります。ぼくが本郷に住みだしたのは一九六三年からでしたが、まだかつての雰囲気があった、ぼくはその旅館のすぐそばに住んでいましたので、その辺りを調べたり、また、その後の住まいであった西方町(幸恵さんを住まわせていました)にも足を運んで、いろいろな思いにふけったことでした。

 なお、この知里幸恵さんの伝記でもある「銀のしずく降る降るまわりに」(のちには「銀のしずく降る降る」新潮社版)は、ぼくの読んだ数少ない本の中でも、最も忘れられない一冊になっています。著者は藤本英夫さん。初版は新明解とほぼ同時期の1973年でした。(このことについても、いつか触れてみたいですね)

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● 知里幸恵(ちりゆきえ)(1903―1922)=『アイヌ神謡集』の著者。北海道幌別(ほろべつ)郡登別(のぼりべつ)村(現、登別市)の生まれ。農・牧畜業の父高吉、母ナミの長女金田一京助のアイヌ研究にユーカラのローマ字筆録で協力した金成(かんなり)マツは母方の伯母。また『分類アイヌ語辞典・植物篇(へん)』などの著者知里真志保(ましほ)は弟。幼時から旭川(あさひかわ)市近文(ちかぶみ)で聖公会の伝道師として布教活動をしていたマツのもとで育てられた。1918年(大正7)アイヌ語採集で来訪した金田一は彼女の才をみいだし、母方の祖母モナシノウクから伝えられた神謡の筆録と和訳を勧める。彼女の死の翌1923年に発行された『アイヌ神謡集』には13編の神謡が収められており、アイヌ語のローマ字表記の正確さと和訳の美しさに定評がある。[藤本英夫]『『アイヌ神謡集』(岩波文庫)』▽『知里幸恵遺稿集『銀のしずく』(1984・草風館)』▽『藤本英夫著『銀のしずく降る降る』(1973・新潮選書)』(ニッポニカ)(記念館については:https://www.ginnoshizuku.com/

● 金田一京助(きんだいちきょうすけ)(1882―1971)=言語学者アイヌ文学研究、アイヌ語学の創設者。明治15年5月5日岩手盛岡に生まれる。東京帝国大学文学部言語学科に学ぶ。明治末年は日本言語学の黎明(れいめい)時代で、当時指導者であった上田万年(うえだかずとし)は日本語研究のためにも周辺の諸言語の研究が必要であることを提唱、そのときアイヌ語の研究を指定されたのが金田一であった。欧米文化万能の時代に、旧弊として捨てて顧みられなかったアイヌ語の研究をライフワークとして選び、彼の研究で、初めてアイヌ叙事詩ユーカラが世に紹介され、アイヌ語が学問的に解明された。『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』2巻(1931。学士院恩賜賞受賞)、『アイヌ叙事詩 ユーカラ集』(1959~1975)をはじめとするユーカラやアイヌ語文法に関する数々の書は、日本列島の北方の文化を学ぶ者の原点として永久に残る。/ 1935年(昭和10)ごろからは国語学の研究にも関心が及び、『辞海』『明解国語辞典』『新選国語辞典』など諸辞典の編纂(へんさん)や『中等国語』『高等国語』などの教科書の編修も広く行った。また、同郷の歌人、石川啄木(いしかわたくぼく)と深い交友関係にあり、『石川啄木』(1951)の著がある。東大・国学院大・早大教授。文学博士。1954年(昭和29)文化勲章受章。昭和46年11月14日。墓は東京都文京区本郷の喜福寺にあったが、のち豊島(としま)区の雑司ヶ谷(ぞうしがや)霊園に改葬された。(ニッポニカ)

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 新明解国語辞典の初期は三冊発行されています。「青・白・赤」で、第八版(2020年11月刊)で、久しぶりに青版が復活したそうです。ぼくはいつも「赤版」でした。

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 新明解国語辞典の初期の編著者のそれぞれに、いろいろな思い出がありますが、本日は書きません。この辞書が、あたりまえに、日常生活のあれこれを言い当てる言葉(日常語)を選んで集めたというところが、ぼくにはとても興味がありました。ぼくの先輩や大学時代の担当教師にもたくさんの辞書編集にかかわった人がおられましたが、この辞書編集作業は、いわば「別乾坤」とでもいうべき世界のように映りました。終わりのない仕事というものがあるんですね。

 辞書の良しあしは、どこで決まるのか、ぼくにはわかりませんが、とにかく、「日常言葉」の世界を豊かにしてくれる、使いやすさやわかりやすさが大きな要因であることは確かでしょう。言葉の「意味」を調べて、さらに生活実感から離れるようでは、ぼくには用のない辞書ということになります。「人権」は、その典型ですね。「人権とは自然権」だとか「人間として生まれながらに有している権利」などといって、はたしてぼくたちの言語生活や言語感覚が豊かになるのでしょうか。「この人を大事にしたい」と他者に思わせる心持のことで、それが欠けていると人としての付き合いができなくなる、人間関係に不可欠の感性・感覚でもあります。

 今の時代、ほとんどの辞書はネットで調べられますから、いちいち重い辞書を手元において、調べるという作業がなくなった分だけ、実に楽(便利)になりましたが、それだけ辞書が「お気楽」「安直」になったということが言えるかもしれません。ぼくは、人並みに「辞書」に頼る方ですが、なかなか満足しないのはどうしてでしょうか。奇抜や新奇さをねらっても、いずれ日がたてば、陳腐になります。だから、辞書編纂は終わりのない事業でもあるのでしょう。言葉の世界をリードするのではなく、今では世間での「はやり言葉」を追いかけるのに多忙を極めるというのも、なんだか少し変ですね、という気もしてきます。この時代、「書き言葉」ではなく、「話し言葉」が幅を利かせていますから、勢い「辞書」も話された言葉を追っかけるという風儀が身についてしまったのかもしれません。「言葉・ことば」から歴史が失われてしまったと言ったらどうでしょう。歴史を持たないことば、それは「言葉」でしょうか。

 「世ハ言ヲ載セテ以テ(うつ)リ、言ハ道ヲ載セテ以テ遷ル。道ノ明カナラザルハ、職トシテ之ニ是レ(よ)ル」(徂徠「学則」)

 「言葉」というものを鉋(かんな)か鋸(のこぎり)のように、とりあえず役に立つ「道具」だと見てはならないのは当然ですが、なかなかなそれが理解できないままに、言葉が変わるのです。言葉は道具性を有していますから、それは「諸刃の刃」でもあるのです。今の時代、「言葉が変わる」というのは、いわば「廃(すた)れる」ということでもあるのではないでしょうか。言葉が廃れるから人間の生き方も荒れ狂ってくるのでしょう。(「流行語」大賞」というのは、どうしようもない軽佻浮薄の典型で、それを大きな寺がやるというのですから、救われませんなあ。お寺が率先して、世の堕落の模範を示しています)

 「国語」「言葉」というものをどのように見るか、辞書を評価する、一つの基準点でもあるようですね。

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 (蛇足 今回は、いつも以上に「散漫」で「不得要領」なものになりました。これぞ「駄文」ということで、ぼくの駄弁や駄文はいよいよ健在というべきでしょうか。困ったことでもありますね。本日は午前中には木を切ったり、竹を切ったり、そして切ったものを燃やしたりと、(庭みたいな土地であり、荒野のようでもある雑種地を襲っている)荒涼の四囲の整理をしていました。これからが夏本番で、やることなすこと、何もかもが骨身に応えますな)

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 名は体を表すという、そんなの嘘でしょう

 【水や空】読み仮名の向こう「お寺の名前にしてもその他の物にしても、昔はさらりと分かりやすく名前を付けたものよ。最近はいろいろ凝ってて面倒だね」▲鎌倉時代も令和の今も…ということだろうか。徒然草の116段には吉田兼好が“キラキラネーム”の流行に渋い顔をしているくだりがある。〈人の名も目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり〉となかなか手厳しい▲吉田さんの嘆きはともかく、子どもの名付けには親の願いや価値観が色濃く投影される。自分にその役目が来た時には、誰にでも正しく読んでもらえるように、と考えた気がするが、世界のどこにもない名前を、と意気込む気持ちももちろん分かる▲昨日の紙面にあったのは“キラキラの是非”とは少し角度の違う話だ。戸籍の「読み仮名」に、漢字本来の読みと違う読み方をどこまで認めるか、が法制審議会で議論されている▲戸籍には読み仮名がないから、例えば「一郎」と書いて「ももたろう」と読ませることもできるのだ、と教わったのは国語の時間だったか、社会科だったか。そこが変わる。読み仮名が付くと、データの管理や検索が容易になるというのだが▲待てよ、と思う。管理や検索のその先にはどんな社会がイメージされているのだろう。読みの許容範囲よりも、そちらの方がずっと気になる。(智)(長崎新聞・2022/05/19)

 キラキラネーム許容で3案 読み仮名の戸籍記載 法制審 2005/5/17(火) 
 法制審議会(法相の諮問機関)の戸籍法部会は17日、戸籍に氏名とともにその読み仮名を記載する戸籍法や関係省令の改正に関し、中間試案をまとめた。
 漢字本来と異なる「キラキラネーム」などの読み方をどの範囲で認めるかについて3案を併記した。法務省は5月下旬に意見公募(パブリックコメント)を始め、答申に反映させる。
 氏名の読み仮名は法律上の規定がなく、戸籍に記載されていない。政府は行政のデジタル化を進めるため、読み仮名に法的根拠を持たせて人物の特定やデータ管理をしやすくする方針で、昨年9月に法制審に諮問した。答申を経て、来年の通常国会への法案提出を目指す。/ 試案はキラキラネームなど独特な読み仮名の許容範囲として、狭い順に(1)漢字の慣用的な読み方であるか、字義との関連性があれば認める(2)正当な理由があったり、パスポートに記載済みなど既に社会的に通用していたりすれば認める(3)規定を設けず、公序良俗に反しない限り認める―を示した。
 ◇「ピカチュウ」OK? 
 法務省の担当者によると、いずれの案でも「海」を「マリン」、「光宙」を「ピカチュウ」と読むことは認められる可能性が高い。一方、(1)案の場合、「太郎」を「ジロウ」と読むなど明らかに本来の読み方や意味と異なるケースは認められない可能性が出てくるという。/ 読み仮名の表記については、試案は平仮名とカタカナのどちらかに統一するとした。どちらにするかについてもパブリックコメントに付す。/ 試案はまた、読み仮名の戸籍記載が決まれば、戸籍のある地方自治体の首長に一定期間内に読み仮名を届け出ることを義務付けると明記した。改正法施行後の出生や帰化などのケースでは、その届け出を受けて読み仮名を記載する。(時事通信) 

 「名(な)は体(たい)を表(あらわ)す」といいますが、その真意は「名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる」(デジタル大辞泉)というものです。名とか名前などといえば、いかにも面倒な話になります。ぼくは面倒は好きではありませんから、それには触れないことにして、現行の命名に関しては、「戸籍法」によって戸籍として使用できる漢字などは決められており、いかがわしい名前が届けられると、「命名権の濫用」として出生届を拒否されることもあります。奇抜であったり、社会不安を招くような「命名」などはめったにあるものではないが、その昔「悪魔」と届けて、役所から拒否されたケース(裁判になった)がありました。このようなとき、「名は体を表す」となると、どういうことになるのか。コモンセンスが欠けているのは、誰かれに限らない時代でありますから、実に奇妙で奇天烈な「名前」が頻出しています。も、珍しいね、それで終わりです。「いい時代」なのかなあ。「どうでもいい時」代かもしれん。(ヘッダー:https://digjapan.travel/blog/id=11733)

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(https://www.j-cast.com/trend/2021/11/08424277.html?p=all)

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 ぼくは、基本的には届けたものをそのまま役所は受け入れるのがよいという考えです。「悪魔」だっていいでしょう。どんな名前であろうと、それを他人(役所)が受け入れたり拒否したりすることは問題だという感覚があります。日本人が外国人のような名前を付けたってかまわないし、いずれ、世界では、各国でよく似た名前が付けられる時代が来るかもしれません、もう来ているのかも。ただ、一言したいのは、名前は一生一名前が原則だとするなら、後々困るようなことになるのは避けたらいいでしょう。「ピカチュウ」というのは男の子の名前でしょうが、これがおじいさんになってもそのままだったら、どうですか。年齢とともに、文字通りに「ピカチュウ」ということになるのかもしれません。若いころに「整形」をして、それは生涯にわたり型崩れしないものだったら、老齢になって困らないかどうか。それと似たような、違うような。

 犬や猫も人並みなのか。いや人間が犬猫並みになったのかもしれません。命(いのち)あるものは、根っこはいっしょだといえますから、名前もなにも同じようなものがあっても一向構わないどころか、むしろ願わしいともいえそうです。拙宅にはたくさんの猫がいます。名づけるのは大変で、基本は色ですね。黒・白・茶・その他。そのうち、「番号」になるような予感がしています)

 歴史的に見れば、誰にも個人の名前が付けられるようになって、まだまだ時間がたっていませんから、何かと不都合が生じるのもやむを得ないでしょう。同姓同名あり、男女混合名あり、旧時代の「らしく」はとっくの昔に廃れた風俗になりました。名前などは簡単な方がいいし、わかりやすいものが何よりです。いずれ名前ではなく、その人自身(人柄)が評価されることになるのですから、あまり早い段階で目立ったり、奇をてらうのは、ご本人のためにもならないのではないです。江戸以前だって、実にいい加減な、困惑するような名前が溢れていました。諸外国でも何かと論議の対象になっているようですが、名実ともに揃うように、育つのが何よりだとするなら、成長とともに、名前は本人の「顔」や「姿」にもなるのでしょう。

 これは「芸名」ですが、噺家の名前では「名代」「名跡」といって、大名跡とされる名前を受け継ぐ風がありました。今は落語がどいうなっているのかぼくは知りませんから、あるいは、その風儀も変化しているのかどうか。この名前で思い出すのは、古今亭志ん生さんでした。

 本名は美濃部孝蔵、生家は旗本の槍の指南だったそうで、親父さんは警察官。彼ほどに名前を変えた噺家はまれでした。なんとその変名回数は十六度に及び、昭和十四年に五代目古今亭志ん生でようやく落ち着き、やがて、彼の芸風は爆発的に売れ出したのでした。参考までに名称遍歴を挙げると「三遊亭 朝太,三遊亭 円菊,金原亭 馬太郎,吉原 朝馬,金原亭 武生,金原亭 馬きん,古今亭 志ん馬,小金井 芦風,古今亭 馬生,古今亭 ぎん馬,柳家 東三楼,柳家 甚語楼,隅田川 馬石,金原亭 馬生(7代目)」となる。芸が売れるまで名前を変えるのも一つの流儀でしょうが、これが一般的な名前だったら、付き合うのも大変だし、届を出すのも面倒この上ない話ですね。芸能界には「芸名」に験(げん)を担いで何度も改名する人がいました。それも一つの「文化」ですから、別に悪いことではないでしょう。「五木ひろし」という歌手などはその典型例でした。これはあくまでも「芸能の世界」です、堅気の世界ではなにかとさしさわりがあるのでしょうから、その風儀は世間の相場にはならないでしょうね。

 

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 勝手にせいや、というか。あるいはいい加減にせんと、後で泣くで(親も子も)、というか。子どもも名前も、どちらも、親をはじめ、まわりが弄んでいる風潮が漲(みなぎ)っているというのでしょうか。これで九十や百まで生きるとしたら、大変なんじゃないですか、他人事ですが。

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 寺院の、然らぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、ただ、有りのままに、安く付けけるなり。この頃は、深くあんじ、才覚を顕(あらは)さんとしたる様(やう)に聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣めなれぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

 何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才せんざいの人の必ずある事なり、とぞ。(「徒然草 百十六段)」既出)

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 嘘を重ねて真(まこと)にする、その執念

 戦勝記念日 最後に「ぼく」が「父さん」に投げ掛ける言葉がそのまま絵本のタイトルになっている。「父さんはどうしてヒトラーに投票したの?」。ヒトラー政権が誕生した1933年から敗戦を迎えるまでの12年間を子供の目線で追った物語だ◆総選挙の投票日、父さんは「彼だけがドイツを救える」とナチ党に投票。全権を握ったヒトラーに国民は熱狂していく。悪口を言った労働者は殴られ、批判本は街中で焼かれ、ユダヤ人が迫害される。「ぼく」は変わっていく社会を淡々と見つめている◆フランスの小説家が文章を書き日本では2019年に出版された。翻訳した湯川順夫さんは「私がこのときにここに生きていたら、どうしただろうか」と考えながら取り組んだという。がれきで埋め尽くされたミュンヘンで父親が「ぼく」の疑問にどう答えたかは記されていない◆民主主義の手続きで誕生したヒトラー政権は、ユダヤ人約600万人を虐殺しドイツを破滅に導いた。ドイツがソ連に侵攻した戦いでは、両国で約3千万人の犠牲者を出したとされる。ドイツは都市を包囲して民間人を虐殺。街角は死体であふれていた◆ドイツは45年5月8日に降伏。ロシアは9日が戦勝記念日だ。「ウクライナの非ナチ化」を掲げた今回の侵攻では記念日までの戦果を求め攻勢を強める。裏ではナチさながらの虐殺を繰り広げた。数々の国際法違反はなぜ起きたのか。子供たちが持つであろう疑問に無言では済まされない。(信濃毎日新聞・2022/05/08)

(写真(上下)は「クーリエジャパン」「ロシアで深まる『愛国教育』」(2017.9.26)より(https://courrier.jp/news/archives/98693/)

●独ソ戦争(どくそせんそう)(Russo-German War)=第二次世界大戦の重要な一局面をなす1941~45年のソ連とドイツ・イタリアなど枢軸同盟国との戦争。ソ連では「大祖国戦争」Velikaya otechestvennaya voina Sovetskogo Soyuzaとよぶ。41年6月22日ドイツ軍の全面的なソ連領侵攻で始まった。ここに1939年9月以来の英独戦争は、英ソ対ドイツの戦争に拡大された。初め不意をつかれたソ連軍は敗退し、ヒトラーは短期決戦によるソ連征服を豪語したが、ソ連国民はスターリンの指導下に祖国擁護に立ち上がり、ヒトラーの世界戦略を破綻(はたん)させただけでなく、連合国側の勝利に大きく貢献した。43年初めのスターリングラードボルゴグラード)におけるソ連軍の勝利は第二次大戦の決定的な転機となり、以後ドイツ軍は敗退を重ねたからである。45年5月8日、ドイツ軍の無条件降伏で独ソ戦争は終了した。(ニッポニカ)(ヘッダー:NHK 新・ドキュメント太平洋戦争 :https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pneAjJR3gn/bp/pqN02jBj5K/)

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 ウクライナ侵攻と独ソ戦に不気味な類似点 ベストセラー著者の憂慮

 ナチス・ドイツとソ連が戦った独ソ戦(1941~45年)は、双方で民間人を含め3000万人以上が死亡したとされる人類史上最悪規模の戦争だった。主戦場の一つとなったのが、いまもロシアの侵攻が続くウクライナだ。独ソ戦とロシアのウクライナ侵攻。2019年に出版されたベストセラー「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(岩波新書)の著者、大木毅さんは、二つの戦争の不気味な類似点を指摘する。【聞き手・金子淳】

第二次世界大戦の対独戦で砲撃するソ連軍=1941年

 大木毅さんに聞いた ――ウクライナ侵攻を機に改めて著書が読まれています。                   ◆ナチス・ドイツは独ソ戦を自らが掲げるイデオロギーに基づく「世界観戦争」とみなし、「スラブ人という劣った人種を殲滅(せんめつ)ないしは奴隷化し、その後にドイツが植民地帝国を作るための闘争」と規定した。一方、ソ連側はナポレオンに勝利した祖国戦争(1812年)になぞらえ、対独戦をファシストの侵略者を撃退する「大祖国戦争」と呼び、報復感情を正当化した。その結果、独ソ戦は通常の戦闘だけでなく、住民虐殺や捕虜虐待など悲惨なことが起きた。今回のウクライナ侵攻も、住民の虐殺や強制連行が明らかになってきている。読者の多くは皮膚感覚で「どうも普通の戦争ではないようだ」と感じているのではないか。(以下略)(毎日新聞 2022/4/6 05:00)(https://mainichi.jp/articles/20220405/k00/00m/030/099000c)

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 つねづね政治家は嘘をつくと言ってきたし、民衆から圧倒的に支持される(その「支持のされ方」はまず嘘で固められた虚構による)政治家・権力者は希代の「嘘つき」だとぼくは確信している。器量の大小を問わず、嘘をつくのが、嘘をついて生きているのが政治家であるというべきでしょう。これは古今東西を問わず、肯綮に当たること。プーチンが二十年を超える権力独裁を維持してきたその最大の理由は、彼は名代の「嘘つきだ」という点にある。世上では「千三つ」とか「万八」などといって、千に三つ、あるいは万に八つしか、本当らしいことを言わない人を指して言っています。この島の歴史でも、「将軍」「首相」などといわれるような人物はたいていというより、ほとんどが嘘つきでした。真実を語る将軍や政治家の存在を、ぼくは信じられないのです。嘘を繰り返し言っているうちに、まずその嘘を本当だと思いこむのは、当の本人です。自分が嘘をついていると自覚(意識)して、政治や権力を掌握し操作しているというのは、まだまだ「序の口」でしょう。最も騙されやすいのは「自分」だし、その自分を騙せないようでは一廉(ひとかど)の政治家とは言えないのです。この「嘘つきが政治家である」という命題には、男女などの性差はまったくありません。

 一例として、政治・経済における国の実情、外交の難題など、そのことごとくについて、ありのままに正直に「我々の国は、この先、立ち行く展望・見込みがありません」「大国の言いなりになって、がんじがらめに縛られて身動きが取れないのです」などと、時の総理などが白状して、大喝采を得られる・送られるような国家や国民があるでしょうか。「私は国民の安全と安心に、いささかの関心もない」「わが国民は、教養の程度が低い」「怠け者の国民はどうしようもない」などと言う、勇気(蛮勇)を持った政治家が存在すると考えられるでしょうか。国に要求ばかりして、国民の義務を少しも果たさないのが国民で、いかにもずるいし、もう手に負えませんと、面と向かって、国民に語る政治家はいないでしょ、いるとしたら、気が狂っている(とみなされる)のです。

 本日は、「独ソ戦戦勝記念日」として、ロシア権力者の大々的な「嘘」が全世界に披歴される日になっています。この嘘つきの大天才は、なんといっても、近代にあってはヒットラーでした。彼の「我が闘争」を我慢して読めば、彼は押しも押されもしない「希代のライアー」だということが分かります。自分の嘘によって自己肥大し、最後まで、つまりは死ぬまで本物の嘘を吐き貫いたのです。その連想で言えば、プーチン(皇帝)はヒットラー(総統)の正統な後継者でしょう。しばしば「嘘から出た真(実・まこと)」といいます。初めは嘘だったのに、最後には本当になったというようですが、ヒットラーやプーチンはそんなやわな「嘘」はつかない。正真正銘の「嘘」「本物の嘘」「真らしい嘘」の名人です。最初から最後まで「嘘」を貫くうちに、それが本当のように信じられてくるのです。ここに「独裁者」の天稟(てんぴん)がある。

 「ウクライナのロシア系住民が、ウクライナ権力者によって『虐待』されている」「ウクライナにはネオナチが蔓延っている」「ロシアはNATOによって、世界から排除されている」とは、外からも内からも覆いようのない、あからさまな「虚言・フェイク」ですが、それを言い続けた。しかも、数十年も。そしてついに、彼は自らの「真実の嘘」に支えられて(「真実の嘘」を狂信した国民の圧倒的支持を得て)、侵略に突き進んだのです。ここまでくれば、国民(民衆)も「毒を食らわば皿まで」という覚悟になってくるでしょう。嘘を信じるなら最後まで、です。かくて、彼は「救世主」となった気でいるのでした。

 他国のことは言えた義理ではありません。八十年ほど前には、こ劣島全体が「嘘陀羅経」の狂信徒になっていたではないですか。いまだって、この「嘘陀羅経」を唱え続けているのが数多(あまた)の政治家です。地方・都市・国家レベルの政治家は、大なり小なり、「嘘も方便」が板についてしまった人々の生態・正体です。もしも、「この国は中国に襲われたら、ひとたまりもありません。だから無用な軍事力は持たないのです」と、正直者の見本のようなことを言えば、政治家ではなく、ただの「正直バカ」にすぎなくなります。この「嘘」をもっとも巧妙に使ったのが「狸おやじ」とあだ名された徳川家康でしたでしょう。いくつも、歴史に残される「警句」を吐いていますが、もっとも有名になったのが「嘘と真」についての、箴言であり、名言でした。

真(まこと)らしき嘘はつくとも、嘘らしき真を語るべからず。(家康『遺訓』)

 人間の世界には「嘘」と「真」の二つが截然と分かれてあるのではありません。善と悪の両極の間に、どれだけ豊かな「善悪混交」の領域があることか。黒と白もしかり、健康と病気もそう。平和と戦争もそうです。はっきりと二分できるものではなく、平和らしい、戦争のようだ、そんな状態があるばかりです。近年明らかになってきたのに、「性差」があります。この世は「男」と「女」の二つがあるのだというのではなく、その間にどれだけ入り混じった「性の様相」があるかというのです。「教育と体罰」もそうではないでしょうか。教育の営みの中にも明らかな体罰の要素はあるし、その反対もしかりです。右と左、北と南というのは、相対的なものだということで、この事情は判然とするでしょう。

 家康が言ったのは、嘘らしく思われる「真(本当)」は嘘であり、反対に「真」に思われるような「嘘」こそが「真」なのだというのです。黒白二色ではなく、黒らしく見える「白」は黒であり、白らしく見られる「黒」は白だというようなものでしょう。「本当らしい」と思わせていけば、やがて、それは「本当」になるのです。それを民衆は信じるのでしょう。「プーチンを信じている」、「彼は嘘はつかない」、「彼は西側を退治してくれる」、「偉大なロシアを再現してくれるのは彼しかいない」と、多くのロシア民衆の声が(かなり恣意的ですが)聞こえてきます。それは民衆が愚かだから、本当のことを知らないからだと、いったい誰が言うのでしょうか。「井の中の蛙」と、狭量を蔑みますが、ぼくたちが「井の中」にあるなら、それは「偏見」であり「虚偽」であるとどのようにして知ることがあるのでしょうか。このような世上とは、ソクラテスの「洞窟の比喩」そのものが妥当するでしょう。彼の時代よりも複雑になっているのは、洞窟が一つではなく、幾重にも重なっているということです。狭い洞窟の奥から脱出して、光をみたとおもったら、そこはまだ、別の洞窟だったというようなものです。真と虚を、ぼくたちはいかにして見分け、判断するのでしょうか。権力者はいつでも正しいと、唯々諾々と追従している立場(付和雷同でもある)が、最も安全であり、最も危険でもありますね。

 今回の「ウクライナ侵略」の報道を、ぼくは内外のメディアを通じてみていますが、フェイクにフェイクがかけ合わさって、実際のところはどうなんだというところが実にあいまいになっています。これこそが「戦争」の所以かもしれない。戦争は「嘘つき合戦」でもあるからです。「勝っている」「大勝だ」と聞かされているさなかに「大敗北」が背後に迫っているようなものです。「侵略」を「侵攻」と言い換え、「敗退」を「転戦」といえばいえます。そのどちらが実態を示しているか、現場に立っていも、よくわからないのではないでしょうか。「製鉄所にいる民間人を人質にしているのはアゾフ連隊だ」「人道回廊を閉ざしているのはロシアだ」と、同じ現象を別の方面から見せるのです。どちらが本当らしく思われてくるか、こちらが本当らしいと思ったが、結果はその反対であったということもしばしば生じています。戦争は、一面では「騙しあい・欺きあい」によって、どれだけの味方を、外野(世界諸国)から得られるか、それが勝負の分かれ目になるのです。(家康の言い分だと、「本当」というものはなく、「本当らしい」と思われるものだけが「本当」なのだというのです。

 面倒なことは言わないことにして、「侵略した方が停戦」を決める責任があるとだけ言っておきます。

 「子供たちが持つであろう疑問に無言では済まされない」とコラム氏は言う。「子どもは純真である」というのは、本当らしい「嘘」ですか、あるいは嘘らしい「本当」ですか。「純真」が奪われていくのが教育過程であり、成長のあかしだといえば、非難されますか。いつの時代でも、その子どもですら、(狂信的愛国者たる)兵力の一部にしているのです。ヒットラーの時代には「ヒットラーユーゲント(Hitlerjugend )」がありました(右上写真)。遥かの昔には「子ども十字軍」が戦争(聖戦)に駆り出されています。

 今のロシア軍には「ユナルミヤ」という少年少女の組織があります。およそ85万人が所属しているといわれています。徹底した「愛国教育」に染め上げられて、将来のロシアを背負う世代となるように、本物の軍人たちによって鍛えられているのでしょう。子どもは国の宝であり、兵士の供給源でもあります。子どもまでも、騙しの対象にしてまで、自己保存を図るというのですから、プーチンの支配は、ぼくの愚感ではすでに頂点を下り始めているのです。(https://www.youtube.com/watch?v=d9Cq5XV0NMc

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● ヒトラー・ユーゲント(ひとらーゆーげんと)Hitlerjugend ドイツ語=ナチスの、またその政権掌握後は第三帝国の青年組織。1926年に設立され、31年シーラッハが「ナチス党青年指導者」の地位につくと、ドイツ女子青年団(BDM)など党の青年組織を統合した。33年ヒトラー政権が成立すると、シーラッハは「ドイツ国青年指導者」としてナチス党以外のあらゆる青年組織を解体・再編し、ヒトラー・ユーゲントを家庭や学校に優先する「身体的・精神的・道徳的教育のための組織」と位置づけ(1936年の「ヒトラー・ユーゲント法」)、10~18歳の青少年男女のイデオロギー的・組織的な全面的把握を目ざした。団員数は、32年末10万、33年夏350万、38年末870万といわれる。(ニッポニカ)

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 さみしいからこそ、生きていられるのである

 孤独を託(かこ)つ、などといいます。「託つ」という語は「 心が満たされず、不平を言う。ぐちをこぼす。嘆く。「不運を―・つ」 他の事のせいにする。口実にする。かこつける」(デジタル大辞泉)などとあって、あまり楽しくなるような言葉ではなさそうだし、それを聞いて愉快を感じるということもなさそうです。「託」という語には、いろいろな解説があります。しかし、総じてやはりうれしくなるような要素は少ないようです。託つ、託(かこつ)けるなどといって、どこかしら「口実」を設けて、自分は不幸であるのは他人のせいであるなどといいたい気分がその裏に潜んでいるようにも思われるのです。もちろんそれだけではなく、信託や委託などいう使い方もありますが、相手にお任せしますという、「あなたのお好きに」と、そこに自己主張の場面がなさそうにも思われます。(ヘッダー写真:https://eatiiyama.satonomegumi.net/header-photos/)

 「孤独」とか「孤立」、あるいは「孤影」とか「孤愁」「孤高」などというのは、いかにも仲間と楽しくにぎやかにというのとは反対に、たった一人で「寂しく」「心浮かない」状態にあることを指して言われるようにも見える。孤は個であり、個は孤であるというのが、ぼくの本音です。一人でいることは寂しいと感じる場合もあれば、煩わしさから解放されたいと願う時もあるでしょう。どんなことがらにも、きっと「表裏」というか「二面性」があるのであり、そのどちらも、一方を切り離すことができないのではないか、そんことを片時も忘れないで(記憶にとどめて)、ぼくは生きてきたようです。当たり前に「孤独」を楽しんだということはありませんが、あまり寄り集まってにぎやかに、ということはあまり好まないままで、生きてきたのです。だから、どうなんだといわれると困るし、なんだか大変なことを言うようですが、それほどのものではない。家族などの紐帯が煩瑣に思われて、いっそ「独り・ひとり・一人」になりたいと願うことは誰にもあるでしょう。しかし「天涯孤独」という経験がぼくにはなかったから、その「身寄り・頼り」のなさ=寄る辺なさ(helplessness)というもの深さを知らないのだと言われれば、その通りというほかありません。山頭火の「其中日記」に、次の文があります。このところ、京都の友人と電話で、よく山頭火のことを駄弁りますので、その勢いで。

 「さみしいなあーひとりは好きだけれど、ひとりになるとやっぱりさみしい、わがままな人間、わがままな私であるわい」と、いかにも自己卑下したような書きぶりですが、それが「存在の様相・実相」というものではないですか。一人はいいし、一人は寂しい。どっちの感情も、この自分からはなくなってくれない、それが人生の歩き方(過ごし方)ではないでしょうか。もう一つ、「ゆうぜんと飲み、とうぜんと酔う。そういう境遇を希う。/ 飲みでもしなければ一人ではいられないし、飲めば、出かけるし、でかけるとロクなことはない。/ ひとりしずかにおちついていることはできないのか、あわれな私である」(同上)おそらく、山頭火さんの句というのは、こんな行きつ戻りつしている自らの心境を読み込もうとしたものであり、それが彼の真骨頂だったといえばいえそうです。酒飲みは、おしなべて、しがない泣き虫なんですね。

頼りない、寄る辺ない、つまり helpless というのは「〈人が〉無力な,自分ではどうすることもできない,助けを得られない,〈表情・しぐさが〉困惑した,お手上げの;(…するのに)無力な≪to do≫」(デジタル大辞泉)と多様な説明がなされています。一例として「無力な赤ん坊」というのを例に挙げてみます。何か自分ではできないのが「赤ん坊」の姿であり、それをどうこういっても始まりません。それと同じように、無力であり、お手上げ状態が、「人の常態・状態」であると思い至れば、必要以上に「孤独」「孤立」にこだわることもないのです。でもそれは人によりけりで、どんな慰めを与えられたところで、「自分の孤独は癒しようがない」と感じるのはご当人であり、それを他者はいかんともしがたいといわなければならないでしょう。「果報は寝て待て」ではありませんが、さらに言えば、「待てば海路の日和あり」ですが、寝られないし、待てないとなると、手に負えませんね。明けない夜もなければ、止まない雨もないと気づけば、もう一工夫してみようかという料簡が生まれるかもしません。

 こんな漠たることを空想したのも、久しぶりに漱石に出会った気がしたからです。彼は「神経質(神経衰弱)」で、ぼくらの想像を超えた暗闇から、世の中を見ていた人だったように、ぼくには思われました。若いころは耽読した作家です。(以下の「コラム」参照)

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 【河北春秋】孤独は人間に付きもののよう。多くの著名人が関連する言葉を残している。例えば、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』には「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」とある。言い得て妙だと改めて感じ入った▼新型コロナウイルス禍で深刻化している孤独・孤立問題を巡り、政府が2万人を対象に初の全国実態調査を実施した。孤独感が「ある」と答えた人は約4割で、高齢者より20代と30代の方が多かった。若い人ほど寂しさを抱えている現状をきちんと認識しなければなるまい▼「せっかく入学した大学がオンライン授業ばかり」「1人暮らしを始めたが、友達ができない」。不安は募るばかりだろう。振り返れば、初めて1人暮らしをした三十数年前、「○○定食」としか言葉を発しなかった日が何日もあったような…▼孤独な環境が、人間的な成長を促すことは否定しない。ただ、実生活でそれが続き、孤立してしまうと精神的にきつい。「そばにいてほしい」「話を聞いてほしい」というのは、人間の自然な感情のように思える▼実態調査で「しばしば・常に孤独を感じる」と答えた人の雇用形態は、「失業中」と「派遣社員」が多かった。金銭的不安も人を追い詰める。コロナ禍の我慢はいつまで続くのか。(河北新報・2022/04・21)

KKKKKKKKK

幡ヶ谷のバス停で寝泊まりする女性を襲った悲劇 周囲が気にかける中で…東京・渋谷の暴行死事件

 ◆石を入れた袋で頭部警視庁によると、女性は住所不定、職業不詳の大林三佐子さん(64)。11月16日午前4時ごろ、渋谷区幡ケ谷2の甲州街道沿いのバス停「幡ケ谷原町」のベンチに座っていたところ、男に石などが入ったポリ袋で頭を殴られ、外傷性くも膜下出血で死亡した。/ 傷害致死容疑で逮捕された同区笹塚2の職業不詳、吉田和人容疑者(46)は容疑を認め、調べに「バス停に居座る路上生活者にどいてもらいたかった」と供述している。事件前日に大林さんに金を渡して移動してもらおうとしたが、断られたことに腹を立てたとみられている。(以下略)(東京新聞・2020年12月6日 08時14分)

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 上の記事にある「被告」は、来月十七日の初公判を前にして、四月八日、都内で「飛び降り自殺」をしていたのが発見されたという。暴行を受けて亡くなった女性は広島県出身で、若いころには演劇で活躍をしていたといわれます。「被告」は早くから「引き籠り」状態にあり、問題行動が多く見られたと、近所でもよく知られた、噂の男性だった。事件の被害者と加害者について、ぼくは何も知るところがありません。ネットなどのニュースで報道された範囲を超えないままで、その事件や被害にあわれた方と加害者についてとやかく言うことはしませんし、できない相談です。ひたすら、二人の「不幸な遭遇」を悼むことしかできないのです。ことが起こってからは、言っても詮無いことしか、ぼくたちは言えない、そんなことがどうしようもなく続きます。もし、「こうしておけば」、「こうなることが分かっていれば」、といかにも「言葉の無力」「行動の欠如」を痛感するのも事実です。その無力な言葉が、もう少し通じ合えていたなら、一瞬でも話ができていれば、「悲劇は起きなかった」といっても繰り言になり、詮方ないことです。どれだけ尽くしたとしても、「ああしておけば」「こうしなければ」という後悔の臍を噛まなければならないのは、すべからく「いのちあるものの寄る辺なさ」に起因しているからです。

 身寄りや頼りがあるなら、なんとかできたといえることもあります。しかしたとえ身寄り頼りがあったとしても「(人間存在の根っこに基づく)ヘルプレス」はいかんともしようがない時もあるのでしょう。そのような場合の方が圧倒的に多いとも思われます。二年前の事件を考えるにつけ、人間の頼りなさ、はかなさを知らされますし、その頼りなさ・はかなさが、生の根元に宿っているということに、ぼくは「慄然」とするばかりです。「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」というのは漱石自身の嘘偽りのない「本音」ではなかったか、そんなことを考えたりします。

 「顔で笑って、心で泣いて」ということがあります。一面では「やせ我慢」でしょうが、このやせ我慢こそが世間の付き合いの礼儀だともいえそうです。外面如菩薩、内面如夜叉というのは、これとは少し趣が違うようです。しかし、いずれにしても、二重の心持、あるいは本心の二面性のようなものが、生きていく中では必要でもあるのです。世間で生きるというのは、ある種の「仮面」を被って生きることを指すともいえます。仮面が素面(素面が仮面か)であると、どうしても息苦しさが先に立つので、世間の方もなかなか付き合いづらいことになる。奇妙な表現ですが、素面そのままで生きると、どうしても「角が立つ」ことになるのです。渋谷で起こったやりきれない「殺人事件」の報道を見、その加害者が、一年半もたたないで「飛び降り自殺」をしたというニュースに接して、ぼくは、思わず破廉恥なことを考えたのは、きっと漱石の唆(そそのか)しがあったのかもしれません。「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」という戯言の前にあった、「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」とはやされたのは、明治初期の「西洋かぶれ」を揶揄した風情でありますが、それはそれで、時の勢いで、やがて世の中は、「ザンギリ頭」ばかりになり、「文明開化の音声」がとどろきわたる時代になったのです。しかし、反動はきっとやってきます。まさか「袴に二刀流」「高島田に打掛」とはいかなかったが、洋服に下駄という奇怪ないでたちで、やがて、その古今東西の不調和(矛盾・分裂)が、列島の、個々の人間を襲うようになったのでしょう。

 「猫」の最後のところで漱石は苦沙弥先生に、次のように語らせています。 

「死ぬ事は苦しい、しかし死ぬ事が出来なければなお苦しい。神経衰弱の国民には生きている事が死よりもはなはだしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのがだから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。ただたいていのものは智慧が足りないから自然のままに放擲しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかし一と癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。ずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新な名案を呈出するに違ない。だからして世界向後趨勢は自殺者が増加して、その自殺者が皆独創的な方法をもってこの世を去るに違ない」(「吾輩は猫である」)(左上は岡本一平筆)

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 例によって、この駄文には結論も、気の利いた落としどころもありません。生きることは喜びでもあり、悲しみでもあるという山頭火や漱石の、一種の実感・経験談は、ぼくのような粗末な人間でも、少しはその臭いをかいで生きているといいたかったし、そのどっちつかずの人生、すっきりしない人生模様は誰かのせいでもないし、もちろん自らの不始末なんかでもないといいたいのです。人はどんな「死に方」をするか、まるで死を選べるような雰囲気がありますが、それがどんな最期であっても、やはり「寿命」というものだという錯覚だか確信だか、そんなものがぼくにはありそうなんですね。どうなるか、わかりませんが。人によっては「天寿」「天命」を全(まっと)うするというおめでたい最期が準備されてもいるようです。寿命も天寿も、本人には知られていないかもしれぬが、決められた、予定された「命の長さ」です。

 「むしろ、さみしいからこそ生きている、生きていられるのである」(山頭火)、これこそ種田氏の「真言」だったのではないでしょうか。

 (ぼくは、ひそかに漱石と山頭火の「接点」を探しています。一つは見つかりました、重篤な「神経衰弱」です。さらに一つは「松山」「子規」でした。もっと重要な接点は、駄文といえども、まだ「書く段階」ではありません)

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 その時、心、さらにこたふる事なし

 抑(そもそも)、一期の月かげ傾(かたぶ)きて、余算の山の端(は)に近し。たちまちに、三途の闇に向はんとす。なにのわざをかかこたむとする。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂(かんせき)に著(ぢゃく)するも、さばかりなるべし。いかが、要なき楽しみを述べて、あたら、時を過ぐさむ。

 静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから、心に問ひていはく、世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて道を行はむとなり。しかるを、汝、すがたは聖人(ひじり)にて、心は濁りに染(し)めり、住みかはすなはち、浄明居士(じょうみょうこじ)の跡をけがせりといへども、たもつところはわづかに周利槃特(しゅりはんどく)が行だにおよばず。もし、これ貧賤の報(むくい)のみづから悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし。ただかたはらに、舌根をやとひて、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ。

 于時(ときに)建暦の二年(ふたとせ)、弥生のつごもりごろ、桑門の蓮胤(れんいん)、外山の庵にして、これをしるす。(「方丈記」参考文献は既出)

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 「方丈記」の最後の部分です。「建暦二年」は一二一二年、「方丈記」が完成した年。同年には、法然も亡くなっていますが、はたして長明は、それを知っていたかどうか。その四年後に長明は亡くなります。六十二歳でした。

 この一文をここに引用した深い意味はありません。その長明さんですら、「要なき楽しみを述べて、あたら、時を過ぐさむ」つまらないことを述べて無駄にする時間があるのか、そもそも、山林に入り、草庵を開いたのは修行のためではなかったか。今のお前は「姿は聖人でも、心は濁りに染まっているではないか」という彼の「自己領解」は、およそ仏教徒の道からはるかに離れていたのです。周利槃特(釈迦の弟子の一人で「生来愚鈍で愚路とよばれたが、のちに大悟したという)(デジタル大辞泉)にすら及ばないとは、出生や生活の貧しさ賤しさの報いか、あるいは妄信が身を狂わせたのか。「その時、心、さらにこたふる事なし」長明は、自問して、自答することがなかった。辛うじて、「南無阿弥陀仏」を三度ばかり唱えて、後は何もしなかった・できなかった。

 まさしく、「一巻の終わり」です。長明さんなのだから、もっと悟りを開いていただろうとか、もう少し修行者らしい一面を見せてくれてもよかったではないか、世の多くの人々はそう考えたかもしれません。しかし、長明は「舌根をやとひて(ちょっと舌を動かして)、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」気が進まないながらも、念仏を三度唱えただけでした。生に(を)悟る、死に(を)悟るといいますが、その多くは「言ってみるだけ」ではないでしょうか。生死を超越していた、などといわれる人が時にはいましたが、それはどういうことでしたか。

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 ぼくは「宗教」とはおよそ縁遠い生き方をしてきました。宗教問題に関するいくらかの読書体験はありますが、自らが「修行」するなどということはただの一度だってしたことがないし、「教理」に深くひかれたことはまったくありません。日本流の仏教(既成仏教)の「虚飾」「形骸化」にはむしろうんざりしていたところがありました。もちろん、ぼくの知らないところで、「大悟」を開いた人はいたでしょう。しかし、そもそも、「人生とは何ぞや」などという答えのなさそうな疑問や難問は、ぼくには生まれてこの方、ただの一度だって生じたことがないのです。これをして「罰当たり」といわれるのか、あるいは「恩知らず」「縁なき衆生」と謗(そし)られるのでしょうか。これはキリスト教も同じでしょうが、信者になり、信仰を持つことで「救われる」ものは何でしょうか。このような問題に関しては少し前にユダヤ教の「ラビ(教師)」だった人の話に触れたことがあります(H.S.クシュナー「なぜ私だけが苦しむのか」岩波現代文庫)。「深く神を信じている」にもかかわらず、どうして不幸があの人に、あるいはこの私に起こるのか、それに対して教会やそこにいる神父たちは答えられないと思うのです。いや、正確に言えば、なんとでもいえるというだけの話でしょう。仏教徒であり、キリスト教徒であるということで「安心」が得られることはあるでしょう、それもつかの間ですが。

 神を信じている人にも信じていない人にも「災害」は起こる。戦争の犠牲者になるのは、信仰が足りなかったからだといえる牧師はいるのでしょうか。仏教でも同じことが言われてきました。日中戦争や日米戦争で「鬼畜米英」と、憎き敵を殲滅すべく「旗を振った」のは本願寺であり、高野山であったし、その他も残らずに参戦したのです。個人において「戦争の非なること」を身をもって訴えた信仰者はいました。でも信心に関係なく、そのような「人間の正しさ」を求めた人はいつでもどこにでもいるのです。信仰というのは「姿勢を正す」ということ、それだけではないにしても、そこから離れては成り立たないのではないでしょうか。名もない神や仏はいるのでしょう。「信仰を持たない」というのは「啓示」を与える神や仏に依存していないということであって、少なくとも「自らを超えた、ある何か」に対して、ぼくたちは拝むのであり、祈るのでしょう。

 「なぜ,こんな不幸が私の家族に?」「神の前に正しい生き方をしてきたのに」「阿弥陀さんに願いは通じなかったのはどうしてか?」とぼくたちは言いたくなります。しかし、それに対して神や仏は答えられないのです。その解答は自分で見つけるしかないのです。その発見に至る道を、「神」や「仏」がともに歩いてくれるだけです。(そのように考える・信じるのは自分心です)その人といっしょに歩く人を、ぼくたちは「神」といい「仏」というのでしょう。でも、まったく別の名で呼んだってかまわない。現にウクライナの地で「無辜(むこ)の民」が「虐殺」されています。その惨状に対してローマ教皇は「お願いだから、もうやめてください」というしかなかったのです。

 宗教に関して、言わなければならぬことは多くありますが、ここで言いたかったのは、信仰を持つとか持たないことが、人生にどれだけの有効性をもたらすか、それは人それぞれで、何とも言えないのです。信仰を持つことで、自らの生活を律する人もいるでしょうし、そうでないからでたらめの生活に明け暮れたということもできないのです。答えに窮する難問は、生きているさなかにいくらでも起こるでしょう。その難問を超えるには「信仰」の力による人もあれば、それ以外の何かによる人もいるのです。「神も仏もあるものか」といいたくなる時、それは神や仏に「助けてくれるのは当然ではないか」という「信仰」による迷い(依存心)ではないでしょうか、信仰心が足りるとか足りないの問題ではなく、生きる姿勢や態度にこそ、ぼくたちは足場を築くべきだと思うのです。それを教えてくれていると、ぼくが愚考したのが「方丈記」の最後の一文だったのです。

 「汝、すがたは聖人(ひじり)にて、心は濁りに染(し)めり」「もし、これ貧賤の報(むくい)のみづから悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし」「不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」このように答えるしかできなかった長明さんを、ぼくは、この上なく好んできました。悩みをそのままに、自らに隠さなかったという意味で。

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 ロイター通信によると、教皇はロシアの侵攻を巡り、「残酷で無意味な戦争に巻き込まれ、暴力と破壊によって痛めつけられたウクライナに平和が訪れるように」と訴えた。/また「あまりにも多くの流血と暴力を見てきた」と述べ、名指しを避けつつも、ロシアを批判した。ウクライナからの難民を受け入れている隣国ポーランドなどの人々に謝意を表明し、早期に戦争が終結し、平和がもたらされることに期待を示した。(以下略)(読売新聞・2022/04/18)

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 このところ、ずっと<sound of silence>に惹かれている。「沈黙の音」「静寂の声」とは何でしょうか。轟音が響き渡り、烈風が吹きすさぶ地獄さながらの境地に、しかし「沈黙の音」「静寂の声」が、きっとぼくたちにまで届いているような気がしてならないのです。             “The words of the prophets are Written on the subway walls And tenement halls And whispered in the sound of silence.”(https://www.youtube.com/watch?v=NAEppFUWLfc)

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