「枯れ木も山の賑わい」とはいいますけれど

 手紙でも日記でも、どんなものでも時間をおいて再読すると、それを書いた時とは別個の、いろいろな感想や感情が湧いてきます。新聞もそうではないですか。それを読んだ当時(新聞)とは、まったく違う印象を、再読する際(旧聞)に受けることもある。それは、ぼくには面白い経験ですね。精神も肉体も若かったころ(あったんです)、ぼくは、新聞はA紙やM紙やY紙などを購読し、その後は、A紙の購読を長い間つづけていました。何故三紙かといえば、宅配に応じてくれたのが、それだったから、それ以外の理由はありません。いまから三十年以上も前のこと。それ以来、新聞購読は止めたままで、再開する気もない。どうして購読しなくなったか、「全国展開」という寡占化・独占化状態を新聞社が求めたからであり、やがてテレビが、それにくっついてから、報道(をはじめとするいマスコミ)の堕落は止まるところを知らないまま、今日に至りました。スーパーやコンビニ並みの「営業感覚」だったのだろうし、経営する側は「報道や娯楽の私有化」を目指したのだと、ぼくは考えたくなった。誰にでも受け入れられる新聞、それはどんな新聞でしょうか。新聞は「八方美人」である必要がどこにあるのか、そういう不信の念が消えなかった。

 たくさんの「水増し」をしてでも、Y紙が千万部の購読者を誇り、A紙が八百万部(を勲章の如くに)ひけらかしているのを見て、「アホくさ」という苦々しい、悪寒に似た感情を経験した。いろいろな意見や異論がそれぞれに掲載されなくなったら、それはどこかの「機関紙」あるいは「業界紙」でしかないでしょう。それがいけないとは思わないが、ぼくがそれを読む、いかなる根拠も義理もありません。テレビ界が過激な意見や権力批判の強い人物を登場させなくなったのも、同じように、テレビ自体の衰退というか終焉を加速させてきました。質の悪い共産主義国や社会主義国には「意見は一つ」「議論は皆無」という格率というか「(死に至る)鉄則」がありますが、この島社会はいずれそういう境地に達するんでしょうかね。意にそう、そわない、それが価値判断の唯一の基準になるとしたら、それは社会集団の死を来しますね。

 学生時代に住んでいた文京区本郷の住まいの隣が「運動具店」でした。とくに野球球団「YG」の用具類を扱っていました。ある時、こんな靴(スパイク)があると見せられたのがジャイアント馬場さんの十六文、記念か何かに残しておいたのかもしれなかった。ぼくの倍はあるような、桁外れの大きさだった。すでにプロレス界に入っていましたが、彼を見るとその靴を思い出します。そのお隣さんから、ときどき巨人戦の「入場券」をいただくことがあった。住まいの二階からは後楽園球場(ドーム以前のもの)の照明が漏れてきたし、観客の興奮するドヨメキが聞こえることもありました。もちろん、新聞がついてきました。少し読んだ気がします。まだその時分は「プロ野球全盛時代」でしたから、往年の名選手を見ることが出来ました。(左グラフ:The Videography・https://videographyosaka.com/end-of-newspaper-2034/)

 やがて「ドラフト」が始まり「人身売買」がいっそう著しくなったのと時を同じくして、ぼくはプロ野球に興味をまったく失いました。野球賭博や八百長試合、ドラフト制度を悪用した「空白の一日」などと、球界全体を揺るがす不祥事がたてつづけに生じましたが、腐った根は除去されないままで、今日まで来ました。好きだった大相撲も同じような経緯をたどり、すっかり興味を失った。栃若時代などという昭和三十年代頃の相撲も、土俵上で、廻し一本で取るのですから、今日の相撲も変わりがないのでしょうが、すべてが「金次第」という風潮に毒されて、まことにつまらない興行に成り下がった。事情通から伺った話ですが、大学出が相撲界に入ることが頻繁になって以来、状況はおかしくなったと。N大出身の横綱が誕生しましたが、彼と昵懇の兄弟分だった人が「脱税」で逮捕されたと報道されました。高校・大学と相撲界とは切れない縁で結ばれています、それが「金」だったというのです。今の国技館は、もとN大講堂の跡地に建てられた。(今や高校野球も、サッカーもラグビーも駅伝もバレーもバスケも、その他、文科系も含めて、全国大会というものが、すべては新聞屋さんに牛耳られている。奇妙な社会ですな)

 一度だけ国技館のマス席で観覧しましたが、勝負には目もくれないで、お酒ばかりを飲んでいたことがあった。その昔は「大相撲」のテレビ中継は連日、三局が実況放送をしていたのです。これも新聞が大きく関わっていたでしょう。(想像できますか、日本シリーズを、同時に三つのテレビ局が実況していたという、あり得ない現象でした)だから、a局では贔屓チームが負けていても、b局では勝ってるんじゃないか、さらには、c局ではとっくに試合が終わっていたなどということがあると、面白いねというバカ話に興じていたことが思い出されます。

 つまらない話が、滔々と流れ放題になっていますが、新聞やテレビを語ると、ぼくはいつでも捨て鉢になるのかどうか、とにかく腹が立つのです、奇妙ですね。民間の企業でも、とにかくデカくしたがる、全国展開したがる、これはいいことではなく、「井の中の蛙」現象であり、末期症状の始まりでしょう。「こんなことが出来るのは、俺しかいない」という見え透いた自惚れ根性が判断を曇らせ、事態を誤る結果になります。企業の「不正行為」は、一つの象徴的な出来事で、楽して儲ける、汗をかかないで稼ぎたいという「金権根性」が剥き出しになった社会ではあるでしょう。いくら稼いでも、一人前しか食えないのだがなあ。

 序論が冗論になりました。言いたいことはたった一つ。「新聞と政治」「政治と民主主義」「民主主義と新聞」という三題噺の一席を、お粗末ながら騙りたい(語りたい)という、埒もない「駄文」調のお披露目です。じつは、三題は一題なんです、新聞の堕落は止まらない、座して死を待つのか、というお粗末です。

 太平洋の彼岸の国で「異色・異質・異様な大統領」が登場した時の「余録」さんのコラムを見ています。まさしく「旧聞」ですけれど、ホントに「これが旧聞か」と疑いたくなるし、それはアメリカのことですかと質問したくなるほど、あらゆるところで、同じような「政治腐敗」「民主主義の不熟」「新聞の自家中毒」という現象が出来(しゅったい)していることが確認できた。まさに、新聞は旧聞にしかず、を見せつけられるように読みました。いつでも、どこでも、同じような事態が生じるというのは、国や民族の違いを超えて、人間社会の、同じような軌跡を画く「サイクル(DNA)」運動が機能しているからでしょうか。以下は、少し「旧聞」ですが、まるで昨日か今朝の出来事のようにも思われてくるのはどうしてかな。

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 【余録】「真実もあの毒された器(である新聞)に入れると怪しくなる。新聞をまるで読まない人間は読む人よりも真実に近い」。こんなことをいう米国大統領といえば、今ならばメディアを「偽ニュース」とののしるあの人を思い浮かべるだろう▲ところがこれ、米国の建国の父で第3代大統領、報道の自由や人権を定めた憲法修正条項(権利章典)の生みの親ともいえるトーマス・ジェファーソンの言葉という。その彼にして奴隷の女性との間の隠し子スキャンダルを追及する新聞がよほど憎たらしかったのか▲奴隷制に反対しながら、大農場で多くの黒人奴隷を使役していたように白黒矛盾した面のあるジェファーソンだった。新聞についても先の言葉とは正反対の「新聞なき政府か、政府なき新聞か。いずれかを選べと迫られたら、ためらわず後者を選ぶ」との言葉もある▲こちらは一部メディアを「国民の敵」と断じ、共和党の重鎮からも「独裁者はそうやって物事を始めるものだ」と非難されたトランプ大統領だ。だがその後も報道官の懇談から一部のメディアを締め出し、記者会恒例の夕食会の欠席を表明するなど対決姿勢を崩さない▲入国禁止令を司法に葬られ、人事も迷走する新政権である。今やメディアとの対決は「トランプ劇場」の貴重な当たり演目なのだろう。だが建国の父の醜(しゅう)聞(ぶん)を追った昔からメディアの方もヤワでなかった。もうこの先、安定した政権運営は望んでも得られなくなろう▲言論と報道の自由は権利章典の第1条が掲げる米国文明の魂である。新聞をくさすのはともかく、自由を守る闘いを侮っては大統領も長くはつとまるまい。(毎日新聞・ 2017/2/28)

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 自分を実際以上に「大きく」「立派そうに」見せたがるのは大半の人間のケチな根性で、それは権力を手に入れた人間だって、あるいは並み以上にそうしたいのでしょう。「自己肥大化願望症」で、その確実に効果ある方法は「新聞」「テレビ」で、大きく報道されることでしょう。ジェファーソンだって人の子、大きく見せたいし、「彼は気が小さい男だ」などと、ホントのことを書かれると、へそを曲げるのは不思議ではありません。トランプとかいう存在は論外ですが、論外が案外に、ということになることがあるのが、四年前の大統領選挙でした。さすがに、民主主義の国だけのことがある。やがて、魑魅魍魎が選ばれないとも限りません。何、もう選ばれているって。どっちみち、他国だから、必要以上に関心は持たなかったが、彼を狂信的に信じる、支持する人間がアメリカにも日本にも、他国にもたくさんいたという事実は、「侮れない」「看過し得ない」世界の現状認識です。現下の大きな課題は「アメリカを、いかにして民主的な国家にするか」であると、以前も今もとらえている。もちろん中国もそうですが、「民主主義のお手本」が世界のあらゆるところへ出かけて、戦争を仕組む、仕掛ける。国内では黒人差別や人種差別は従前と変わらないような深刻さです。これが「民主主義社会」なら、ほとんどの国は「民主化」されているといってもおかしくないさ。

 民主化や民主主義というものは、野球でいえば、打率や防御率のようなものであり、少しでも調子が悪かったり、手を抜くと成績(到達点)は下がる。それは打点やホームラン数、あるいは勝ち星などとはわけが違う。だから、どんなに文明国だと誇示しても、超高層ビル街で「殺人事件」や「暴力抗争」は起る。素敵な洋服を着ていながら、お猿さんにも劣るような卑劣残虐な行為をするのです。いつでも、どこにいても、注意力を失わない、ある種の「社会的緊張感」を維持していなければならないのです。まるで「雲をつかむような」思想であり行為、それが「民主主義」なんでしょう。でも常に「雲をつかむような」、そんな姿勢を維持しようとする人々を応援し、それに抗う側に向けて警鐘を鳴らす役割、それが新聞(やテレビも、かつてはそうだったが)の存在理由だったが、その役割を放棄しているのが、多くの社会で観られる「新聞まがい」です。この劣島の事情も、右に同じ。

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 以下は、「新聞」二つです。旧聞との違いがどこにあるのでしょうか。三十年前五十年前の「旧聞」を出してもいい。要するに、何時だって「地平線(民主状態)」を目指して歩みを止めない、そうでなければ、どんなに高い見識や思想を並べても「空腹は満たされない」し、「不平・不公正」は質されることは、断じてないのです。「ミャンマー」で起こっていることに、国際社会というか、他国や国際連合はどう考え、何をしようとしているんでしょうか。この島国では、そこに経済利害が絡んでいるから、何一つ手を出そうともしなければ、問題の在り処を訴えようともしない。軍事独裁に轡(くつわ)を並べて、彼の地の民衆を弾圧しているのといささかも変わらない。民主化闘争と言えば、香港。蟻を踏み潰すのに、ブルドーザーを動かすような、完膚なきまでの弾圧だったし、それに加担する、内なる「中国派」は自らの首を絞めているという残酷な芝居を見せられているようです。これが果たして、何時になれば「旧聞」になるのか。ぼくはかならず、雨傘運動に参加していた若者が、自らの権利を奪還する日が来ると確信しているし、命ある限りは、それを応援しようとさえ考えているのです。

 「一国平和主義」は非難・揶揄されましたが、「一国民主主義」は、そもそも成り立たないのです。軍事独裁政権と結託する「民主主義国」、そんなものがあるはずもないからです。「民主主義の手入れを怠れば、すぐに専制が幅をきかせる。わが足元は揺らいでいないか。来年も注視が欠かせない」と【日報抄】氏は言われます。ご指摘、ごもっともですが、「来年も注視」って、そんなんでいいのですかと、ぼくは言いたいですね。ていねいに「注視」していて、「人権蹂躙」「独裁闊歩」となりませんか。いや「独裁が生まれる瞬間を、じっくりと注視していた」と言われるんでしょうかね。 

HHH

 【日報抄】自由や平等を尊び、多くの人々の意思に基づいて政治が執行される。日本に暮らす私たちが当然のように考える民主主義が、世界各地で危機にさらされている。この1年を振り返れば、そんな事実を何度も実感させられた▼中国政府による統制が進んだ香港では、立法会(議会)選挙で親中派が議席をほぼ独占した。民主派は事実上、選挙から締め出された。ミャンマーでは国軍がクーデターを起こし、民主派への弾圧を続けている▼米国では、トランプ氏が敗北した大統領選の結果を信じようとしない支持者が議会を襲撃した。民主主義の本丸ともいえる大国で起きた暴挙は世界に衝撃を与えた▼ストックホルムに本部を置く「民主主義・選挙支援国際研究所」によると、この10年ほどで民主主義の「後退国」は倍増した。ことしは米国もその一つに初めて分類された。昨年は権威主義に向かう国の数が民主主義に向かう国の数を上回った▼米国が「民主主義サミット」を開いて民主主義陣営に結束を呼び掛けたのも、そうした危機感があったからのようだ。一方、中国は「国情に合った民主制度を実施している」とする白書を発表した。興味深いのは中国も自国は「民主」を実践していると主張したことだ。実態はともかく、「民主」の価値は認めているらしい▼では、わが国は。国民の声は政治に十分届いているだろうか。民主主義の手入れを怠れば、すぐに専制が幅をきかせる。わが足元は揺らいでいないか。来年も注視が欠かせない。新潟日報モアe・2021/12/28)

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 【滴一滴】米国で“砂漠”の拡大が深刻な社会問題となっている。地方紙が経営難などで次々に姿を消し、地域に必要な情報が枯れてしまう現象「ニュース砂漠」である▼ノースカロライナ大の調査によると、2004年以降、全体の4分の1に当たる2100余りが廃刊した。プロの取材記者がいなければ行政や選挙に関する報道は激減する。住民は足元の課題を知る機会を失い、投票率も下がりかねないという▼代わりに人々が頼るのはインターネット上の情報だ。ただ、そこは、より多くのアクセス数を得るために刺激的な内容を競う空間でもある。偽ニュースも紛れている▼砂漠化は「民主主義の弱体化につながる」としてバイデン政権の危機感は強い。看板の大型歳出法案に気候変動対策や幼児教育の負担軽減と並び、地元ジャーナリストを雇用する地方メディアへの税制控除案が含まれるのはそのためだ▼法案は与党・民主党内の路線対立で成立が見通せていないが、既に補助金などで経営支援に乗り出した州もある。もっとも「行政からの独立性が失われる」と懸念を表明している記者は少なくないが▼やっかいな砂漠は、首都ソウル一極集中が進む韓国でも出現の恐れがあると聞く。ネットが浸透する時代に地域密着型の記事をどう維持していくか。異国の話だからと捨て置けないものがある。(山陽新聞digital・2021年12月28日)

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 実は、この「砂漠化」を本日は、じっくりと「注視」したかったのです。「異国の話だからと捨て置けないものがある」と「敵一滴」氏は言われています。ということは、自国はまだ大丈夫という認識があるということを示していますね。ホントにそうだと思っているんですか、とぼくは尋ねたい。毎日、ぼくは各地域の新聞に目を通します。その記事をすべてというのではなく、コラムはほとんど、記事や話題については時によりけりですが、目を通す程度。それでも、この島の「新聞の状況」がどういうものであるか、それなりに分かっているつもりだし、たくさんの地方に生まれた「新聞」の来歴も、おおよそは知りえていると考えています。まるで郵便局設置の新聞版のような塩梅がそこには見られていました。現在はあらゆるところから「自立」「独立」していると明言できる新聞社はいくつあるのか、まったくないのか、まことに心細い。さらに、新聞を購読しない人が数多く出てきています。それはネット社会だからという理由で片づけられない問題でしょう。さらに言えば、消費税増税(2019/10 導入)にもかかわらず、新聞は「軽減税率(8%)の対象」品目となった経緯はどうなんでしょう。政府と二人三脚かな、カメラではあるまいし。

 面倒なことは言いませんが、要は新聞が生き残るためには「品質」をとやかく言わないで、とにかく状況にうまく適合できるような新聞づくりを心掛けるということでしょう。その典型が全社一丸の(ではなかったが、「五大紙」はほとんどが)「五輪の協賛スポンサー」でした。政府や権力批判は適度にやればいい、大事なのは、権力から睨まれないことなんだ、そんな姑息な姿勢で一貫しているのが新聞をはじめとする「マスメディア」の姿です。これをして「ニュース砂漠」とは言わないんですか。新聞社の数は減ってはいないが、部数も内容も「ガタ落ち」だと、ぼくなんかは痛感してます。上げ底商売。(左は DIAMOND ONLINE:https://diamod.jp/articles/-/265806?page=2)

 通信会社である「時事通信」「共同通信」の配信記事も、つねに目を通します。その役割がどういうものであり、いかなる経緯を経て今に至ったか、それを知るとおよその特質が分かろうというものです。その是非を言うのではなく、やはり「お里」が知れるなあという印象はぬぐい切れないのは、ぼくの僻目(ひがめ)かも。

 各地にも固有の地域新聞があり、全国紙も健在だ、だから、それでも、油断めさるな、というのが大方の新聞人の反応かな。「ニュース砂漠」は生まれていないという状況認識なんか、ぼくは持っていません。見渡す限り、一面の砂漠には見えない、そこには緑も豊かだし、オアシスもふんだんにあると。しかし、実際に、緑やオアシスが必要な時に、あると思っていたのが「蜃気楼」のように消えていたり、まるで「雲をつかむ」ような手ごたえのなさを感じた時は、すでに終わっています。ぼくの実感からすれば、「終わりが始まっている」ということになります。手遅れで、何をしても始まらないかどうか、それはぼくには判断できませんが、「まず隗より始めよ」と、どこまでもいつまでも、その心がけとこころざしを失うことがなければ、「捲土重来」ということもあるのでしょうねえ、いやあ、それはもうあり得ませんな。

 ぼくは、ここで桐生悠々の「肺腑の言」を再引用しようとしていたのですが、彼には申し訳ないような気がして、出すことを控えました。「言いたいことを言っていれば、気が晴れるだろうけれど、言わなければならぬことをなぜ言わぬか」と。言いたいことを言うのは「権利」だが、言わねばならぬことを書くのは「義務」だと、彼は捨て身で、あるいは身を賭して書くのです。それが本来の新聞人なんだと、ぼくにはとても言えないんだね。時代がちがいすぎる、緩すぎる、新聞は「茹で蛙」状態にあるんだから、「そっとしとこ」、ぼくの背後から、囁く声がします。

 「浦賀にペリー」が来て、「大和民族」が目を覚まさざるを得なかったのが一八五三年七月です。百七十年ほど前の夏でした。「令和のペリー」は来るんでしょうか。何処から、どんな風に、いやもう来ているんだよ。

 枯れ木も山の賑わい、こんなことを申しますが、枯れ木に、何かしらの効用があるのでしょうか。枯れ木は「薪」がいいところ、古新聞は「再生」はしないが、「再生紙」にはなるのでしょうか。もう、業者によって回収されなくなったのかな。

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 全員「アイスクリーム」に賛成、「宿題」に反対

 【南風録】アメリカの小学校で、先生がいきなり幾つかの言葉を挙げ、子どもたちに賛否を尋ねた。好き嫌いで判断したのだろう。全員が「アイスクリーム」に賛成し、「宿題」には反対だった。▼先生はそれぞれの言葉には続きがあると告げる。アイスは「ニンニク入り」、宿題は「週末はなくす」。情報をよく確認せず判断すればだまされると教える授業だ。政治心理学者の川上和久さんが主権者教育の一例として自著で紹介している。▼日本でも5年前の「18歳選挙権」の導入を契機に、学校現場で実践的な主権者教育が本格化した。模擬投票などを行う選挙管理委員会の出前授業を活用し、政治や社会の課題を自分の事として捉え行動できる人材の育成を目指している。▼ただ、コロナ禍が水を差す。総務省によると、出前授業を実施した選管は昨年度、前の年から2割強減った。「密」の回避が求められる中、生徒を集めにくかったようだ。▼先日の本紙ひろば欄に、自民党総裁選に興味を持つ高校生の様子をつづった高校教員の投稿が載った。「国のリーダーを決める選挙に直接参加できないことへの違和感は大きいようだ」。根付きつつある主権者意識が垣間見えた気がした。▼きょう結果が出る総裁選で選出されるのは、事実上の次の首相である。保身や派閥の思惑に左右されることなく政策でこそ選ぶべきだ。多くの主権者が見つめている。(南日本新聞・2021/09/29)

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 いかにも「旧聞」ではないですか、という型落ちを引っ張り出してきました。いまさら何を言うつもりかと訝られることは間違いありません。このところ、各紙のコラムを、左見右見しながら読んでいて、この「新聞コラム」の顔つきは、なんとも奇妙ですね、何年も何十年もほとんど変わらないということに、少々辟易してきたのです。そんなことはとっくの昔に気付いてはいました。でも、いっかな画期的な「コラム調」「コラム節」「コラム風」が表れそうにないのはどうしたことか、自分の駄文を棚に上げて少しばかり胃が痛みだしているのです。

 その形式や起承転結の転ばせ方、あるいは、最後には取ってつけたような教訓調の訓示タイプや非難風の体言止め、などなど。「南風録」氏には申し訳ありませんが、恰好の事例として使わせていただきます。「アイスクリーム」と「宿題」という言葉だけで、何を問うたのでしょうか。二つの言葉のどちらが好きですか、あるいは嫌いですか、だったか。そんなことは聞くまでもないじゃないですか。この逸話を引用した川上さんとかいう人にも問題があるかもしれません。人(教師)の話を最後まで聞きなさいと言うお説教だったら、もう少し気の利いた例話を使うべきでしょう。「情報をよく確認せず判断すればだまされると教える授業だ」というし、「主権者教育」の一例だという。ホントですか、この程度の例題を出して「主権者教育」もあったものではありません。だから、アメリカでは「とんでもない大統領」が選ばれるというのでしょうか。法ん報は語るに落ちています。子どもを尊敬していない教育は「教育の名に値しない」、質の悪い「悪ふざけ」「ごっこ遊び」だな。

 主権者教育というのは、選挙(投票)目当てに行われる教育などでは決してないはず。この島の十八歳選挙権導入の問題が、懸案であった時代が懐かしい。実際にそれを導入してみると、十代や二十代の「投票率」がやたらに低いという。ぼくは、当然と思っています。簡単に言えば、「二者択ー」に難ありです、「A候補かB候補」と迫られるのが嫌なんでしょうね。ところが、質の悪い大人たちは(おのれのことを棚に上げて)、出されたものに好き嫌いを言ってはいけないとか何とか、呆れますよ、だって三十代や四十代の「投票率」だって立派なものとは言い難いからです。候補者が悪いから、といえば一件落着か。いや、それは違うでしょうね。面倒だから言わないが、選挙法(小選挙区比例代表制)がよろしくないのが一つ、さらにいえば、やたらに候補者が「出馬しない(できない)」ような、べらぼうな供託金の調達問題。その他いくつかありますが、ようするに、既成政党が談合して作る「法律」が諸悪の根源ですね。

 例えば、二世や三世議員の続出問題一つとっても、これを何とかしようという魂胆・気概が現行議員連中からまったく出てきません。選挙地盤が百年も変わらないなどというのは、もうすでに、政治家が「稼業・家業」であることを世間が認めていることです。区割りをいじって、一票の格差を小さくすると言いますが、もっと根本の問題は、出身地(出生地ではない)問題のまやかしを「即刻改めろ」、そんなコラムを書いてください。生まれは東京で、育ちも東京、現住所も東京、それでいて各地の選挙区から出られるという奇天烈さと人民を誑(たぶら)かすというタヌキ芝居、事実、これに「非を鳴らす」コラムを読んだことがございません。「たった一日で百万円」の、過般のお手盛り騒動はどうなったか。とにかく、何処のコラム(新聞社)も扱っているから、それには、取りあえず触れるが、目立たないようにという姿勢は一貫しています。そんなことばかりに神経を使っているから、ついに、この島社会は「時代おくれ」になったんですね。(「目立たぬように はしゃがぬように / 似合わぬことは無理をせず/ 人の心を見つめつづける/ 時代おくれの男(ぶんや)になりたい」)

 「国のリーダーを決める選挙に直接参加できないことへの違和感は大きいようだ」と、伝聞担当教師、それを受けて、「根付きつつある主権者意識が垣間見えた気がした」という、間接話法の感性コラム氏の言い分なんか、じつに「紋切り型(stereotyped)」ではないでしょうか。このような目立たない「ウソ」というか「一見まじめ風」が、人を誤り国を誤る、というほどのもんでもありませんね。相当の昔に、ぼくは各新聞の「社説」は「盲腸である」と書いたことがあります。あっても無用というが、なければ前か後ろかがわからないから、いまのところは必要です、というようなフザケタものでした。それなりに反響がありましたが、それにしても、どうということもなかった。その証拠に「百年一日」のように、線路と同じように「社説」も続いていますからね。(本日は、内村鑑三と吉本隆明の(二つの)「ヨブ記講演」に関して雑文を書こうとしていましたが、気分が乗らない、その反動(虫の居所加減)で【南風録】に八つ当たりのような具合になりました。ご免んなさい、記者さん。

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 夕やけや唐紅(からくれない)の初氷(一茶)

 本日取り上げようとしている、二つの「筆洗」の記者は同じ人だろうか。二つの記事に共通して引かれている小林一茶。昨日は一茶の忌日。文政十(1827)年の霜月十九日。六十五歳の一期でした。ぼくは俳人の多くに関心を持ち、中にはとても好んでいる人もいますが、一茶は、その一人です。理由は簡単。彼はいつだって虚飾を避け、虚栄を嫌いぬいた。そこから生まれ出た句のそれぞれは「自身の肉声」だったと言えるし、そこがあまりにも、淋しさが募り、悲しすぎるように感じられて、ぼくは、芭蕉より蕪村より、一茶に近づいてしまうのです。一茶論など、ぼくには思いもよらないが、それぞれの専門家や文学者の「一茶」には一読、大いに感じ入ったと告白しておきます。その上で、やはり「直に、一茶に」というのが、一番であろうと、愚考しているのです。(コラム「筆洗」は、毎日、きっと目を通しています)

 しばしばいわれるように、小林弥太郎(幼名)は、薄幸な人とされる。しかし、もちろん一茶ほどではないにしても「苦悩」「苦汁」「不幸」「不運」の人生送らない人はいないはずです。一茶という俳人となって、後生に名を知られ、「彼も不幸な人生を送ったのだ」と言われてみると、そういうものかなあという気がするだけです。彼は、いわば富農の長男坊として生まれます。三歳で実母と死別。やがて父は再婚、弥太郎君は八歳でした。この継母は、その後に男の子を生みます。後年の俳人一茶の不幸はこの弟の誕生で、さらに辛いものとなるのでした。継母との「生さぬ仲」は、俳人の性格をより強固に頑ななものにしたはず。あるいは偏屈にしたかもしれません。十五歳で江戸に「奉公」勤めに出されたという。出郷は、一面では不幸でもあったが、他面では自らの「勉学の時期」でもあったという点では幸いだったかもしれない。

 一茶の小伝風になりそうですから、ここで中止。その仕事は他著に譲ります。その後曲折があって、彼は何と五十二歳で結婚。二十数歳年下の女性が相手でした(まるで、加藤茶さんみたい)。子どもに恵まれるが、次々に夭逝。妻にも死別。再婚し、また離婚、さらに再々婚し、今度は死別。ここまでくれば、半端ではない不幸というべきでしょう。文政十(1827)年に、死去。六十五歳でした。彼の中でもっとも有名になった句、

 これがまあついの棲か雪五尺  (弟と遺産相続問題が決着した時の記念句です)

 いつだって「自分の肉声」からの叫びや悲しみ、あるいは喜びや嬉しさを詠んだ一茶でした。その筋では「独自の境地」を詠みうる人とされたが、あるいは、ついに「俗に堕ちたまま」で、発句の道を一貫したとも言えます。それが一茶の真骨頂だったし、ぼくのような軽薄且つ弱虫が、いたずらに彼を好む理由でもあるのです。「俗」のどこが悪いのか、というほかありませんから。

HHHHHHHHHHHHHHHHHH

 世知辛い世の中をそのままにではなく「筆洗」を潜った筆で「一刷き」というものばかりを期待するのは失礼にあたるでしょう。コラムの性格からいえば、一茶といえども、「刺身のつま」でしかない。それでも偽物の模造品ではなく、本物の葉物や笹の葉のようにして、コラムの冒頭に持ちだされると、わけもなく嬉しくなるのです。「筆洗」①の(小春)もまた、一茶がよく読んだ時候でした。その一、二を。

・小座敷は半分通り小春哉  ・針事や縁の小春を追歩き  ・独居るだけの小春や窓の前

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 【筆洗】木枯らしが吹き、立冬も過ぎたのに、きょうもまた穏やかな天気になった−そんな小春日和を思わせる日々が、本州各地で続いているようだ。この先待っているのは暖冬だろうか、厳冬か。気になるころにめぐってくる一茶忌は、きょう。旧暦の一八二七年十一月十九日が、小林一茶の命日である▼恵まれない境遇の中、平明な言葉で多くの句を残した俳人は、小春日和の日々も詠んでいる。<けふもけふもけふも小春の雉子哉(きぎすかな)>。人の名前を思わせる「小春」のかれんな響きも、厳しさの前の平穏な日々を想像させようか▼この冬は穏やかなままかと思えば、そうでもないらしい。報道によると、南米ペルー沖の海面水温が低くなり、世界的な異常気象の原因と指摘されるラニーニャ現象が、発生したとみられる。スペイン語で「幼子イエス」を表すエルニーニョとは反対の現象で、「女の子」がラニーニャの意味である▼ラニーニャの冬は、わが国の気温も低くなる傾向があるという。日本海側の雪や西日本を中心とした寒さも見込まれるらしい。小春さんの後に訪れるのは冷たい「女の子」か▼ラニーニャ現象は昨冬も起きている。北陸などの大雪が記憶に新しい。燃料の値上がりも気になるこの冬である。寒さも雪も極端ではないのがよさそうだ▼<十日程(ほど)おいて一日小春哉>一茶。どんな顔をして真冬はやってくるだろうか。(東京新聞・2021/11/19)

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 【筆洗】小林一茶は晩婚ながら五人の子をもうけたが、そのうち四人を病や事故で亡くしている。遅くできた分、かわいさもひとしおだっただろう。一茶の悲しみの大きさは想像もできない▼<最(も)う一度せめて目を明け雑煮膳>。生後間もない次男石太郎が他界したのは正月十一日。妻が背負っているうち、誤って窒息死させてしまったという。食い初めのために用意した雑煮。せめてもう一度だけ目をあけて見ておくれ▼一茶の句が胸に突き刺さる。千葉県八街市で下校途中の小学生二人が亡くなった交通事故である。電柱に衝突したトラックが子どもたちの列に突っ込んだ。運転手の呼気からアルコールが検出されている▼朝、いってきますと元気よく学校へ向かった子どもが永遠に帰ってこない。もう一度目をあけてと願ってもかなわない。事故は被害者のかけがえのない生命とあったはずの未来を奪っていく。そして、残された家族には薄れることのない悲しみを置いていく。<石太郎此世(このよ)にあらば盆踊(ぼんおどり)>。季節が移ろってもその痛みは消えぬ▼事故と飲酒との因果関係はまだ分からない。なにかを避けるために、急ハンドルを切ったと説明しているそうだが、酒を飲んで運転していたことは否定できまい▼ベテランの運転手だったという。事故を起こせばそのハンドルが奪いかねないものの大きさがなぜ分からなかったか。くやしい。(東京新聞・2021年6月30日 )

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 八街市の交通事故を引き起こした運転手は「飲酒運転の常習者」だったし、それを会社の関係者はほとんどが知っていたという。子どもを失い、あるいは、我が子が怪我を負わされた親族には、かける言葉もない。彼は運転を仕事としている「プロ」でした。ぼくも運転する人間で、それを商売にはしていないが、半世紀の運転経験で学んだことは多い。まず運転で生計を立てているものは「プロ」だという自覚を徹底してもっていなければと痛感している。我が子を、このような事故や過失で失うという、最悪の不幸をなんとしよう。高齢ドライバーの運転事故も後を絶たない、どんなに厳罰を科しても、「当人」でない限りは事故は決してなくなりません。飲酒運転が常習となっていて、それを会社は知っていたとするなら、この事故は会社ぐるみというほかないでしょう。

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 起訴状によると、梅沢被告は6月28日、八街市内の職場に戻る途中で酒を買って飲み、午後3時25分ごろ、アルコールの影響で居眠り状態に陥り、八街市の市道で児童5人の列に時速約56キロで突っ込み、死傷させたとされる。 事故では、八街市朝陽ちょうよう小学校3年の谷井勇斗君=当時(8つ)=と2年の川染凱仁かいと君=同(7つ)=が死亡。女児1人が意識不明の重体となり、男児2人が重傷を負った。 公判後、被害者の家族らは弁護士を通じ「始まったばかりなので成り行きを見守っていきたい」とのコメントを出した。(中略)

 ◆同僚らの注意を受け流した末に…

 公判で検察側は、飲酒運転を懸念する同僚や取引先の関係者の証言などを基に、梅沢被告の飲酒運転の常習性を指摘した。 証拠調べで検察側は、梅沢被告が勤務していた運送会社の取引先関係者が「4、5年前から(被告に)会うと酒のにおいがしていた」と話していたことを明らかにした。この関係者は、梅沢被告とは月4回ほど顔を合わせていたといい、昨年夏ごろには「酒のにおいがするぞ。大丈夫か」と勤務先に警告していたという。(以下略)(東京新聞・2021年10月6日)

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● 小林一茶(こばやしいっさ)=[生]宝暦13(1763).5.5. 信濃柏原 []文政10(1827).11.19. 柏原 江戸時代後期俳人。通称,弥太郎,名,信之。別号,菊明,俳諧寺,蘇生坊,俳諧寺入道。農民の子。3歳で母を失い,8歳のとき迎えた継母と不和で,15歳の頃江戸へ奉公に出,いつしか俳諧をたしなみ,竹阿,素丸に師事。享和1 (1801) 年,父の没後継母子と遺産を争い,文化 10 (13) 年帰郷し,遺産を2分することで解決する。 52歳で妻帯,子をもうけたが妻子ともに死去,後妻を迎えたが離別,3度目の妻を迎えるなど,家庭的に恵まれず,文政 10 (27) 年類焼のにあい,土蔵に起臥するうち中風を発して死亡。数奇な生涯,強靭な農民的性格,率直,飄逸な性格が,作品に独特の人間臭さを与えている。編著『旅拾遺』 (1795) ,『父の終焉日記』 (1801) ,『三韓人』 (14) ,『七番日記』 (10~18) ,『おらが春』など。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 順不同に、一茶の句をいくつか。固執というのか、弧愁というのか。もう一度、繰り返します。人は誰だって「寂しさよ」、「寒さかな」とは口に出して言わないだけ、いかにも健気に生きているのです。あるいは、それを奇特といってもいいかもしれません。「弱音」を吐かないから、強い人なのではない。「弱音」が明け暮れの通奏低音となっていない人生なんかあるものか、ぼくはそう言いたいですね。生きるということのうちに、この「寒さ」や「淋しさ」が含まれているのであり、これがない人は存在しないでしょう。でも、これを感じられない「鈍感」という幸福境に生存しているものばかりが、いっしょになって「世知辛い世」を作り出しているのです。「負けるな一茶ここにあり」ですよ。

椋鳥と人に呼るゝ寒(さ)哉 ・雪の日やふるさと人のぶあしらい ・南天よ炬燵やぐらよ淋しさよ

・秋の山一つ一つに夕(ゆうべ)哉 ・極楽の道が近よる寒(さ)かな ・田の人や畳の上も寒いのに

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 悪趣味に堕するかもしれないが、ここに漱石の一句を出しておく。さすがに洒脱、垢ぬけていますね。

・つくばいに散る山茶花の氷りけり

 さらに、山頭火のものを。これを「童心」というのかしら。あるいは底が割れている、自然派なのか。

・また逢へた山茶花も咲いてゐる

 (一茶が受け入れていた「淋しさ」、「寒さ」がどのようなものだったか、ぼくにはわかるような気がするというのではない、それはだれにもわからない「彼一個の経験だった」ということを、改めて言いたいだけです)

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 時世時節は変わろとままよ 義理と人情…

<あのころ>田中首相に金脈問題

 組閣会見で追い込まれる

 1974(昭和49)年11月11日、第2次田中内閣が2回目の改造を行い、首相官邸で記者会見。文芸春秋「田中角栄研究」の発売から1カ月、田中首相の金脈問題が反響を呼んでいた。質問はその一点に集中し、汗を拭きながらの対応となった。半月後の26日に退陣を表明、2年4カ月の政権に終わりを告げた。(共同通信・2021/11/11)

 「今太閤」と言われ、「少卒宰相」と言われた田中角栄。ここに「奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、に風の前の塵におなじ」という無常観を持ってくるのは場所を弁えない仕業だと言われるかもしれない。位、人臣を究めると言いますけれど、彼は「奢っていた」のか、「猛き人だった」のか。政治家に限らず、人間に具足した像(理想像)を期待するのはまちがいであり、無理難題であろうと思います。間違いや欠陥があってこその人間、だとすれば、功罪相半ばし、毀誉褒貶が避けがたい人間というものは強くもあり弱くもあるというものでしょう。

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 上掲写真の主は、この記者会見から一か月足らずで「総理の椅子」を降りた。さらなる「黒い霧」が襲いかかり、まるで「追い打ち」をかけるかのように、いわゆる「ロッキード事件」なるものの「政変劇」が始まった。真相は闇の中に隠され、かくして「関係する人々」の多くは鬼籍に入ってしまった。「政治とカネ」といわれますし、実際に、この問題は、いつでも政治の背後にあるいは根底に流れてきたのは事実です。田中さんの「記者会見」の一場面が上掲のスナップです。ぼくはこの会見を実際にテレビで見たはずです、しかし、ほとんど記憶に残っていません。理由はよくわからない。そもそも「田中金脈」問題に始まる、「田中は追放劇」、そこには「政治的陰謀」が付きまとっています。その典型が「ロッキード事件」でした。ここでは触れませんが、アメリカからの「戦闘機購入」をめぐる政治闘争が背景を形成しています。その一方の主役も後年、総理(N.Y氏)にまで上り詰めた。「ロッキードvsグラマン」という米国軍事産業の熾烈な戦い(軍事産業界の覇権争い)が、この島を舞台に演じられ、角さんは生贄になったのです。その遠因となったのが「日中交渉」の旗振り役だったからだ。米(反中・反共)の忌諱(きき・きい)に触れたと言われていた。

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 上の写真は1972年6月17日の「佐藤栄作、最後の記者会見」のものです。(同日付の朝日新聞夕刊)新聞は偏向していて、「自分への批判ばかりを書く」「だから、新聞には話さない。テレビがいい、カメラはどこか」といって画面に向かって「鬱憤」を晴らしたところです。lこの会見の記憶は鮮やかに残っています。理由ははっきりしています。「嘘つきソーリ」だったからです。この佐藤何某は三代前の「(嘘つき)ソーリの伯父」でしたから、甥っ子は、この伯父を模倣した、しかもそれを大きく超えて「嘘つき」を批判や非難から解放したのだ。佐藤さんは、沖縄への「核持ち込み」という「密約」をはたして「沖縄の本土並み返還」を実現したソーリでした。岸信介の実弟。田中は、彼の「望まれなかった後継」(佐藤の望んだ本命は福田赴夫氏だった)で、それが田中氏の失脚の一因であったかもしれない。それにしても、こんな「お粗末な」人間が一国の総理大臣だったのです。これ以来、碌でもない者ばかりが高位・高官にしがみつくようになったかもしれん、気のせいですが。報道(特に新聞)を目の又気にしたところも甥っ子は取り入れたのでした。

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 佐藤辞任表明当日の会見模様や、その余波を伝える新聞各紙(左は朝日、右は読売)です。今を去る、半世紀ほども前の政治的(醜い)風景ではありました。「ああ、この総理を七年七か月も」というのは読売です(つい先ごろも、同じようなことがありましたな)。そうは言うものの、「隔世の感」というのは、こんな時に使うのでしょうか。会見を中継したのはテレビ、しかもN✖Kが一手に引き受けていますのは、これもまた遺伝子のなせる業か。この「ああ、この総理」の後継が田中角栄さんでした。いろいろなエピソードがありますが、すべて割愛します。

 変われば変わるもの、半世紀を隔てて「記者会見」模様も一変したのでしょうか。「何を伺うか」、あらかじめ紙に書いて出せという「お達し」は、いつから始まったのか。下は「前総理」の驚きの「記者懇談会・インタビュー」もどきの(ヤラセ風景)写真です。これはいったい何を狙ったのか。一番奥の真ん中が「ソーリ」、その両脇が三社報道部の記者たち。ここでもあらかじめ、質問事項は提出しているから、まるで「お芝居」に国民は付き合わされたも同然。このソーリは、国会を開くことから逃げ回り、殆んど自分の「お言葉」では話せないという「特技」を人民に知らしめた。もちろん、海外にも。「議会」というから議論や討論を尽くす場なのかと思いきや、言論がもっとも苦手で、嫌いな輩が「ソーリ」になるという珍しい国です。この前のソーリも、その後のソーリも似た者同士。まず国会を開かない、それで民意を受け取る「代議士」だというのですから、お粗末君君君君たち、ですな。

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 記者会見ならぬ、記者懇談会が開かれた官邸の一室の壁には何やらユカシイ「書」が掲げられていました。よくよく見ると「隆熾(りゅうし)」と読めます。この書は「嘘つき元ソーリ」の中学校時代の恩師が書かれたとか。田中節山という書家です。ぼくは書にも暗いので、これがどのような雰囲気の書であるか、皆目見当がつきません。隆は隆起とか隆昌というように「盛んなさま」であり、「熾」は「熾烈」とか「熾(おき)」という言葉に見られるように、赤々と日が燃えるような様子です。さぞかし「隆熾」というのは「烈火」に重なるものではないでしょうか。官邸にこの「書」とは不穏当だという気もします。そのような「書」がかかっている場所で「猿芝居」ですから、笑っていいのか、泣けてくるというべきか。(猿は機嫌が悪かろう、あれほどひどくないのに、引き合いに出すなと)

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 昔の新聞記者は凄かったと言いたのではありません。また総理大臣も偉かったとは拷問を受けても言わないね。この半世紀、島全体が激しい地盤沈下を続けてきたとは言えます。全体というのですから、あらゆる局面・部門で、けたたましい劣化や頽落が間断なく続いていたのでしょう。それはまるで「地球温暖化」に警鐘を鳴らすのがおそ過ぎたと指摘されているように、今ごろ気づいても、この島の(人間という)地盤沈下を防ぐことは不可能なことになりました、できるのは、このままゆっくりと沈下を続けることです。さすれば、ほとんどの人が気が付かないで「我が世の春」だか「我が人生の秋」だかを、心おきなく謳歌できると見込んでいるからです。でも、そろそろ気が付いている人も少しばかりではありますが、表れてきましたね。「遅かりし、由良之助」とならないように。

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(毎日新聞・2020年2月13日)

HHHHHHHHHH

・淋しさに飯食ふ也秋の風

・老いの身は日の永いにも泪かな

・けさ秋やおこりの落ちたやうな空 (いずれも、一茶作。「淋しさに…」は彼の六十二歳、死の三年前の作)

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 「厚顔」の下に根づく、あの「無恥」を暴け

 【水や空】「やってる感」の行く末 出来はよくても仕上がりが遅い。出来はまずいが早く仕上がる。どっちがいいか。俗に「巧遅(こうち)は拙速に如(し)かず」という。ぐずぐずするより、出来が悪くてもさっさとやる方がましだ。中国のいにしえの武将、孫子の言葉だという▲いわば「スピード感」の勧めだが、それも場合によりけりだろう。人は時に、中身はともかくも行動の早さで評価を得ようとするが、今で言う「やってる感」を示すだけでは果実を生まない▲会計検査院が先ごろ公表した検査報告は、政府のむなしい「やってる感」を浮き上がらせる。コロナ対策として昨年、全世帯に配った「アベノマスク」などの布マスクは、今年3月の時点で8200万枚余りが倉庫で眠っていた。115億円分になる▲保管料は3月までに6億円に上り、この先も年間、億単位を要するという。不良品の続出で、検品にも21億円かかった▲アベノマスクは不要論が強かった上、配られた頃には品薄は解消されていた。介護施設向けのマスクは「一律配布」の予定が一転、希望する施設への配布になり、大量に余ってしまった▲出来は悪いし、やるのも遅い。巧遅でも拙速でもない、これを何と呼ぶのだろう。余ったマスクの活用を政府は「必要に応じて検討する」と言うにとどまる。「マスク騒動」の後始末が終わらない。(徹)(長崎新聞・2021/11/10)

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 だれがついても「嘘」はいけないと言われる。確かに「嘘はいけない」のはその通りですが、誰が、が問われなければ話になりません。学校の教師が「嘘をついてはいけない」と子どもに言うのは当然。しかし当の教師自身が「嘘をつく」としたらどうか。なんだ、教師のくせに、教師ともあろうものが、と世間の非難を受けるだろうし、それに止まらないかもしれません。地位や身分によって、同じ嘘をつくにも、やはり「重み」というか「責任」を問われる度合いが違うでしょう。ぼくはかなり前から非常に訝しく思っていることがあります(いくつもありますので、これはそのうちの一例にすぎません)。企業などにおいて、社会的責任を問われるような事態が生じたとき、その地位にあるものが、しばしば「報酬のカット」「給料の何か月分を返上」という報道がなされます。それで事態は沙汰やみになるのでしょうか。

 実際に、勤務していた職場で、交付(税)金の不正受給問題が生じたことがありました。受給者の責任が問われたし、その人物を招聘した企業のトップも社会的責任を問われていました。しかし、しばらく見ていると「誰も責任を取らない」態度が見え透いていた。ぼくはトップに対して「おかしいではないか。責任をどう考えているのか」と問いただしました。彼は、実に鵺(ぬえ)のような男だったが、のらりくらりと言を左右にして問題を誤魔化そうとした。それでもぼくはさらに問いただした結果、やおら、トップの椅子に座っている輩が「給与三か月分をカット」と自ら言い出し、それで逃れようとしたのでした。ぼくは怒るのもおろか、「あなたは、たった三か月分の給与で、総長のポストを買うのか」と当てつけに言った。さすがは鵺ですね、「その通り」とは言わなかったが、ついに無責任を貫き通した。ぼくは、勤め先には希望も何も持っていなかったから、こんなものなのだと、彼等とは口も利かなくなった。 

 総理大臣が、のべつ幕なしに嘘をつく、これがなんの支障もなく許されてきたし、今でも許されています。その証拠に、誰一人「責任」を明らかにしたものはいない。小学生が母親に「宿題はやったのか」と聞かれ、「とっくにやった」と答え、それがバレて大目玉をくらうことは当然。しかし、▼▼総理大臣や✖✖大臣が嘘を言っても何の咎めも受けないというのは、何処から見てもこの社会「狂っている」し、「異状である」であっると言われるでしょう。 

 「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」という言葉があります。ぼくは決して好きな言葉ではありませんが、言わんとすることは十分に理解していると自信を持っている。仏語で「貴族は義務を負う」というのが、元来の意味です。もともとは「身分社会」における、「上位者の下位者への施し(寄付)」の要請だったと言えます。もてる人はもっていない人に施す、恵むべきだというのは、まったく同じではないにしても、それに近いでしょう。ぼくが勤めていた学校で、総長はしばしばこの語(ノブレス・オブリージュ)を「入学生」や「卒業生」にむけて「騙って」いました。ぼくは仰天したことを今でも記憶しています。そのこころは、単純発想の持ち主の言う趣旨は「君たちは高貴な存在なのだから、立派に義務を果たさなければならない」というのだったか。今日日(きょうび)の大学生に「高貴な人々」といったな、ということは、その学校の「総長」だからさぞかし、「吾輩は高貴の高貴」だと言いたかったんですね。冷水をかけてやりたかった。これもまた、自分が座る椅子の意味を取り違えている類でした。

 嘘八百を並べて、なお自分は「君臨」しているつもりの無能無知に、どんな薬があるのでしょうか。この輩は、ぼくの勝手な類推ですが、戦々恐々として「少年時代を過ごし」「会社員時代を送り」、やがて政治の世界に足を踏み入れた。相変わらず「自信」などは微塵もなかった。第一、それに値する「実力」が著しく欠けていたからでした。やがて、彼は要領を覚えたのです。「嘘を真らしく」つくことを徹底したと言えます。嘘を嘘としてではなく、嘘を真らしく言い募れば、「それは真」になるという経験を重ねたのです。それがいつの時期だったか、ぼくにはわかりましたが、今は触れない。やがて、彼は嘘の使い道に精進し、いよいいよ「嘘も方便」の大人(うし)になった。それを取り巻きが許したのです。(これを書きながら、「空しいねえ」という嘆息が止まりません)

 いまだに自分は「大政治家」だという自己欺瞞(嘘)に酔い痴れています。「自分は世界の指導者」だと自己認識しているのも、可哀そうだし、またそんな方弁を許す「世界の指導者たち」もたかが知れているというばかりでしょうね。先般の総裁選や総選挙、あるいは組閣に際して、いっぱしの注文を付け、いかにも「陰のキングメーカー」と、自分を騙し続けています。「おのれの一存」で何かができるという、恐ろしいまでの倨傲ぶりです。周りはとっくに、彼は何者でしかないか(お里)を知っている。「裸の王様」じゃない「裸のおっさん」だということです。でもそれを言わない。まだ彼は議員であり続けているからです。この手の輩は信じられないほど「猜疑心」「復讐心」「妬みごころ」が強い。っそれが「生の動機」となっているからだ。そして、今、彼は「大派閥の領袖」となったそうです。自分で身を引くことが出来ない人間ほど哀れな存在はないと、ぼくは小なりと雖も、それなりに身近に見てきた経験を通して実感している。「俺しか社長はできない」「総長になるのは、あなただと、みんなから言われる」「まだ引退するのは惜しい」と、世間は無責任に「バカを嬲(なぶ)り者にする」のだ。怖いですよ世間というのは。でも、それに甘んじるというか、それを真に受けるところが、救いようのない愚か者というべきでしょう。

 昔、「闇将軍」と言われた宰相がいました。「陰の実力者」とも。その人の最後は決して美しくもなければ、潔くもなかった。要約して言えば、子飼いに手を噛まれた。あるいは「軒を貸して、母屋を取られた」態(てい)でした。乗っ取った人間は、裏切りによって「宰相」になったが、この人も、なにかと「闇の世界」と言われる筋とつながっていた。その余韻(余波)はいまだに継続しています、特に政権党においては。おそらく、この島社会の政界は、戦時中以来、先ず根っこの部分では変わらないままで歴史を重ねてきたのです。今時、「そんなことがあるものか」と驚かれそうですが、「蛇の道は蛇」と言います。Set a thief to catch a thief. という異国の表現さえあります。

 横道に入り、つまらない話になりましたが、ぼくが指摘したいのは、それなりの地位に座る者が犯した過ちは、庶民のおっさんやおっかさんの過ちと「同日の談」ではないということです。そんなことを言ってみても、権力を監視する役割を果たすべき存在が、おしなべて「権力に靡いている」のですから、この社会が腐敗堕落の極みにまで行くだろうというほかないのです。

 コロナ禍はまだ収束していません。今回のパンデミックを利用(悪用)して、様々な名目で「税金」がまかれています。もちろん必要なところに必要なだけ、それはは当然であり、必然です。しかし「マスク」に見られる「公金悪用」は枚挙にいとまがないようです。湯水のごとく、いったいこの後始末をだれがどのようにしてつけるのか、「それを言っちゃあ、お終い」なのかどうか。政治と政治権力がすることとは、人民からかき集めた「税金」をあらゆる手法を使ってばらまくことですが、仮に「百万円」のカネを配るのにかかる「経費」が五十万とか八十万とか、残りの二割や三割を「お為ごかし」で配布するという詐欺に等しいことを、これまでも、これからも続けるのでしょう。

 誰か一人だけが「悪」ということはない、「類は友を呼ぶ」「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」「毒を食らわば皿まで」と、だんだんに激しいことになりそうですね。「マスク」に目を付けるというのは並ではなさそうです。「ソーリ、今マスクを配れば、国民は(単純ですから)泣いて喜びます」と取り巻き(官僚)が言ったという。ならば、第二第三第四の「マスク」が続いているはずです。「マスク」には「仮面」であると同時に「容貌」でもあるという解説がついています。その「仔細」はどういうことになっているのか。

 人間の顔は、一面では「仮面」であり、他面では「容貌」なんでしょうね。マスクを外して現れたのが「本物」であるかどうか、判然としなくなりはしませんか。マスクを剥がし、仮面を取り除け、そうして、そこに現れてくるのが「真顔」だと見れば、そうじゃないことはしばしばです。世間では非難をこめて「厚顔無恥」などと言いますが、ぼくに言わせれば、「厚顔無神経」なんですね。無恥は無神経でもありますから、厚顔の元ソーリは「無神経」というべきでしょう。その意味は、他者には一切斟酌しないという大特技をもってするのです。「唯我独尊」自分だけの「(偽りの)権力者像」を後生大事に、いったいどこまで持っていくのか。「蛙の面に✖✖✖」というように、彼の面には「何をかけても通じない」ということか。大した玉ですね。でも、:悪運が尽きかかっているんじゃないですか、いや、ホントに。

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