春は名のみの風の寒さや

 睦月も本日が最後。「速いですね」というのも可笑しいくらいに、時間は誰彼構わず刻まれている(それは、人間の仕業(錯覚)で、時間は永遠の停滞であり、瞬間の連続にすぎない)というのは約束事で、実際は、何も過ぎ去ってはいないのだ。「月日の経つのは夢のうち」と謳った浦島太郎は、自覚の有る無しにかかわらず、「時」というものを正確に実感していたのでしょう。彼の寿命は百歳だったか、三百歳だったか。あるきっかけで、海中の「竜宮城」に出かけた。「助けた亀に連れられて」と、酸素マスクもなく海中深く潜航の旅をした。学生時代、新宿の歌舞伎町に「竜宮城」というキャバレーがあった。友人と出かけたら、「鯛(たい)や鮃(ひらめ)の舞い踊り」と賑やかに宴を送って、乙姫様の大歓迎で、とても高い滞在費を取られたことを思い出しています。このようなえげつない「乙姫商売」は依然として花盛り。いささかも時間は過ぎていないんですね。

 と、寝言を言っているうちに、二月(如月・きさらぎ)を迎えました。「如月」の語源に関してはいろいろな説が、古来入り乱れています。それに関しては二月に入ってからの「駄文」に譲ります。「雪の睦月」だったし、二月も、一年でもっとも寒い月という言い習わし?もあり、いよいよ健康に気をつけてという頃合いになりました。能登半島の降雪による「断水」はまだ続いています。日常が崩される、乱されると、ぼくたちはいやでも「平凡な日常」のありがたみ、確からしさを、改めて見直すのです。「当たり前」が何よりと、安堵するのに、時が経てば、「日常はつまらない」と不満や不平を垂れる。いかんともしようもない愚かしい「霊長類」だと、ぼくは考える。「平凡」が何よりと、それを徹底していけば、否応なく「非凡」になるし、最初から「非凡」を狙って「平凡」に墜ちる、そんなことの繰り返しですね。

 もうすぐ「早春」です。そして「早春賦」が耳元で流れる時節になったことを、ぼくは鶯(うぐいす)とともに喜びたい。「春は名のみの 風の寒さや」と、もう何十回、しみじみと謳ってきたことか。ここでも、少しも時間が過ぎているという感覚は、ぼくにはない。過ぎるのは「現象」であり「玄象(げんじょう)」である。いやもっというなら「幻想」にほかならないとも感じている。「夢幻」と言うものかもしれません。謡曲の幸若の「敦盛」に「人間五十年けてむの内をくらぶれば夢まほろしのごとくなり」、「けてむ」は「下天(げてん)」で、天上界の最下部の「人間世界」を指します。信長は、しばしば好んで、これを「舞った」と伝えられ、「人間五十年」が人生の相場とされてきました。四百年経って、今では相場は「二倍」に延びましたね。

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徒然日乗(CI ~ CV)

 ◯ 2023/01/29・日=夜半すぎから降り出し、朝にはすっかり雪景色だった。しかし、やがて日が出てからは、路面の氷雪は溶け出し、車の運転には差し支えがなくなった。昨冬は一度も降らなかったが、今年はどうだろう。北海道のある地域ではマイナス三十度を超える(下回る)ところがあったし、マイナス二十度程度はいくらもあったようだ。今年は例年に比べても、とても寒い冬なのかもしれない。石川県内では断水や停電はまだ続いている。もう七十年以上も前の少年期前の能登半島の雪景色を思い出して、いろいろなことを想像していた。隣町は輪島でした。気になっていたので、京都の姪にメールで様子伺いをした。市内では相当に降ったそうだ。(徒然日乗・CV

 ◯ 2023/01/28・土=必要があってはがき印刷に取り掛かろうとしたが、プリンターが上手く働いてくれない。これまでも、パソコンに接続して使う印刷機に満足したことがない。ぼくだけかと思うと癪にも触るが、多くのユーザーがそうらしいので、腹も立たないのではなく、どうしてこんな「不良品」並の品を売るのだと怒りがこみ上げる。もちろん個人のささやかな使用に供するものだから、何十万もしない、極めて廉価(高級品から見れば)かもしれぬが、故障や機能停止が多すぎる。メーカーに問い合わせようとすると、あまりにもユーザーの問い合わせが多いからか、容易につながらないし、中には電話受付けを一切しないところもある。不親切ですね。商品に自信がないんじゃないのといいたくもなる。朝からいじりまわして、なんとか動き出した。しかし、当方のミスだったのだろうか、「印刷葉書」をインクジェット用にしなかったので、とても汚いものになった。なかなか思うように段取りが捗(はかど)らないのは当方の衰えと思われて、なんだか心配にもなってきます。(徒然日乗・CIV)

 ◯ 2023/01/27・金=列島を南岸低気圧が通過するとの報道で、さらに積雪や凍結に注意が必要と懇切丁寧な呼びかけ。それでも、いろいろと障害が起こる。にわかな準備では間に合わないのが「災害」です。水道管は地中に埋められており、そのどこかしらで「破裂」しても素人には防ぎようがない。列車の立ち往生に関しては、積雪でポイントが凍結するだろうという初歩的な判断ミス(要するに、降雪なんか、大したことではないという、運行業者の舐めた態度)が、恥ずかしい災害を発生させたし、閉じ込められた何百人の中には「大被害」を被った人もいたでしょう。何でもないことで、しかし思わない事故や危険が生まれるという「備えあれば、憂いなし」ではなく、「備えあっても(備えあるから)、憂いあり」と思い定めるべきではないですか。原発などはその「好例」になるのだが。今のままだと、必ず「第二の福島」が起こるだろう。(徒然日乗・CIII

 ◯ 2023/01/26・木=各地で積雪被害が続いていると報道されている。列車の運行停止(列車内での閉じ込め)、高速道路などでの交通渋滞など、所によっては半日以上も通行・運行不能になるケースも、これも昨年、各地でしばしば見られたことでした。あるいは風雪(吹雪)による交通事故などなど。毎年のように襲ってくる寒波に、これまた、毎年同じように天から降って湧いたように「被害」対応に大童。一体これはどういうことなんだと、我が身に照らして感じている。さいわいにして、今のところ、当地では格別の異変もなく生活が滞りなく続けられますので、一安心です。でも、一旦緩急あらば、義勇公に奉じはしませんが、困っているに人々に微力を捧げたいし、不十分ながら、「備えあっても憂いあり」を先刻承知しておりつつも、そのための占守防衛に勤しみたいですね。この寒気団が一日も早く劣島の上空から立ち退くことを願うばかりです。(徒然日乗・CII

 ◯ 2023/01/25・水=午前中は強い風も吹きましたが、雪も雨も降らなかった。各地では昨夜来の積雪でなにかと障害・被害が出ているようです。新幹線や高速道路、あるいは停電に断水など、たちまちのうちに「生活」が寸断される。あるいは、これで、案外自然の猛威にうまく応接していると言えるのかもしれない。ぼくのモットーの一つに「備えあっても憂いあり」がある。これで大丈夫というものはなくて、少しでも災厄を逃れればそれでよし、これだけで済んでさいわいだったと。よく「危機管理」を徹底してなどと言うが、管理できないのが「危機」ですから、そもそもそこから間違っているというべきか。もっと正確にいうなら、危機(自然災害など)は起こる、それは避けられないけれど、起こった時にどうするか、その備えを怠らないことを指すのでしょう。地震でも火災で、起こらないことを願うが、発生したら、被害を最小に留める、その工夫こそが「危機管理」ではないか。身の程を知るというのは、こんな場合にも欠かせない信条だとぼくは考えています。(徒然日乗・CI

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 悪事は世に連れ、世は悪事に連れ

 ネットの時代、如何にも世界は歓迎している風に見えます。それなしでは「世界は回らない」という具合に、です。まるで「電気」や「水道」などのように生活の基盤に据えられてしまっているのです。それでも、果たして、その装置は「いい事尽(ず)くめ」なのか。鉄道や自動車などが普及して世の中の動線・物流があっという間に激変しました。結果として、いろいろと既存のインフラなどとの軋轢はあったにせよ、社会生活の「進歩感」「利便性」が格段に上がったことは事実です。そのようなメリットが「ネット時代」に移行してしまった社会に生まれてきたのは否定できないが、同時に、いつも言うように、「道具」の持つ二面性がここにおいても明らかになってきます。スマホを使って日常生活をより楽しく便利にという(ささやかな)事態は歓迎されるべきでしょうが、この道具を使った悪事もまた、一瀉千里の激しさ、酷(むご)たらしさで駆け巡っている。文明の利器と言うより、文明の狂気・凶器の拡散ですね。

 日々、ネット上に生まれては消えてゆく「悪事」は種々相をもっているのですが、中身は何時の時代にも見られる「陳腐なもの」です。スマホを使った分だけが今風であるといえる。ぼく自身もネットは大いに利用(悪用しているとは思いたくないが)している。その限りで言えば、何でもかんでもが「ネタ」「ニュース」になる時代の風潮を止めることは誰にもできないでしょう。詳細は省きますが、言いたいことは「悪事」のために最悪(悪事を犯す当事者には最良)の「道具」として、自らの渡世には不可欠になっているという、そんな人々は五万といるのが現状であるということです。

 車の善用は当然であって、その「善用」の意図に反して「轢殺」「轢死」がいたるところで生まれている。そのために人生も破壊され、その人との関わりをもつ多くの被害者が生まれている。この時代、事件や事故は「孤立」「孤絶」していないということを、ぼくはしばし考え込んでしまうのです。被害の影響(悪影響)を受けざるを得ない人が、以前とは比較を絶して多くなっているということ。それだけ、「人生蹉跎たり」という人が生み出される、社会全体が被(こうむ)る不幸をいかにして阻止できるのか、構成員の「義務の一つ」として考えが抜く必要がありそうです。

 「歌は世に連れ、世は歌に連れ」といいます。その用法にならうと、「悪事は世に連れ、世は悪事に連れ」でしょうね。悪事とは、犯さなくても、起こさなくてもよさそうな「事件」であり「事故」であるのはいうまでもありません。(*「歌は世に連れ…」とは「世間ではやる歌は時代の風潮を受けて変わっていき、世間の趨勢も歌の流行によって影響を受ける」ことです。ことわざを知る辞典」)  

 時代(時間)は前に向かって進んでいるのではない。ぼくたちには実感できないが、おそらく停滞している(不動の)状態、それが時間や時代というものの核心になるでしょう。如何にも、進んでいる、過ぎ去るという感覚を覚えるのは、記憶というものがもたらす、大いなる不思議なんですね。その証拠に、ぼくは三歳のままであるにも関わらず、八十に近い老人の意識(これも、記憶が生み出す感覚)に覆われるのです。「歌は世に連れ、世は歌につれ連れ」というのは、目まぐるしく変転してやまない、一種の目くらましに合っているに過ぎないのです。その転変(めまぐるしさ)から離れると、事態は過ぎもしないし、動いてもいないことに気が付きます。ぼくは「徒然草」を読むし、日蓮の「立正安国論」に思いを致すことができるのです。でも、それもまた「錯覚」かもしれない。人生は、一面では、二律背反を錯覚しながら生きることではないでしょうか。

 「一攫(かく)千金」「濡れ手で粟」という世間の風潮が、こんなに浅ましいまでに行き渡った時代があったか。自らの欲望の種を断ち切らないどころか、それをさらに太らせることが生きることになっていないかどうか。「世に生きてある」とはどんなことを指すのか、あらためて自問自答してみる。

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 徒然日乗(XCVI ~ XCVII)(この部分は2023/01/21 に追加)

徒然日乗・XCVII 猛烈な寒波が房総半島を襲うようなことはあるまいと高を括っている。大寒がはじまっても、依然として厳寒の気が漲らないのは、一面ではありがたいことだが、多面ではこれでは体がなまるなという勝手なことも考えてしまう。遠くに出かけることは先ず無いが、まいにち、何かと外出することは多い。以前のように「散歩」に出ることはなくなったが、それとなく体を動かすことには気をつけているのだ。それでどうしたと言われても答えられないが、心身の衰えを自覚すればこその、日常だと肝には銘じているのだ。テレビ屋根とには「身の毛も弥立(よだ)つ」事件ばかりが耳目につく。いともあっさりと「人を殺める」、多くの場合には「感情の箍(たが)」が外れてしまったというほかない蛮行だ。人を殺さないまでも、「人間(生命)の尊厳」を踏みにじるようなことが社会の上層に位する人間によってなされているのだから、始末に悪いのである。目を背けたくなる、耳を塞ぎたくなる状況の中で、それでもなお、屈指ないで、背を伸ばしながら歩いて行く、それがぼくの、いま取るべき振る舞いですな(2023/01/21・土)

徒然日乗・XCVI 褒められた明け暮れではないが、今のぼくには「無為徒食」という表現がとても当たっていると思う。まさか「暴飲暴食」であるとはだれもいうまい。でも何もしないで日を送っているという点では、生命を削りながらと言えども、くちになにかをいれているのであれば、やはり「無為徒食」というほかないようだ。本日は「大寒」だという。言われればそうかなという程度で、そのために身支度を改めるなどということは金輪際ない。朝、外に目をやると、庭の梅の花が幾つも開いている。この梅はかなりの老木で、幹の半分は虫食い状態で、ようやく生きているような姿が痛々しいのに、梅の実もつければ、花も咲かせる。とりたてて養生をしてやるのでもないのに、季節(時季)が来れば、開花も結実もさぼらない。この老梅は、今のところぼくの憧れにもなっている。人間から見れば、「健気」と想うが、果たして、梅の木からぼくはどのように見えているのか。(2023/01/20・金)

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徒然日乗(XCI ~ XCV 

徒然日乗・XCV 長野から電話。昼過ぎだったか。O君は一人で在宅しており、両の手に酒に煙草、で「電話」しているという。いろいろと心身の動揺ぶりがありありでした。酒や煙草が健康に良いとは思わないけれど、うつ病(医者の診断)の理由や原因にはならない。あえて止められないで、自分を楽にしたい(誤魔化したい)、と落ち込んでしまう、その根っこにあるものが何であるか、それが肝心の「病巣」だと言いましたね。親との関係がもっとも大きいものの一つだとぼくは判断(邪推)している。明日、親同伴で駒ヶ根の病院に行くそうで、そこで「再入院」が判断される。もう一度入院したらいいと思う。10月半ばからの退院後の期間は「少し長めの外泊許可」だったとぼくには見えている。まだまだ治療の途中だということ、本人も両親もそれを受け入れるといいな。(2023/01/19・木)

徒然日乗・XCIV    お昼すぎに買い物にでかけた。いつも使っていたマグカップが割れたのだ。それを置いていたテーブルに猫が飛び乗った瞬間に床に落とした。見事に真っ二つに割れた。一度は「取手」が取れたので、接着剤で継ぎ当てをしていたが、その部分も壊れた。これで3つ目。同じものを使っていたので、それを求めて、茂原駅まで出かけた。買って帰宅すると、電話があったという。長野のO君からだった。当方からかけた。昨日、駒ヶ根の病院へ行き、医者と相談してくるということだったので、結果を知らせてくれたのだ。予想通りに、再入院を進められたという。当然で、退院が10月半ば、約三ヶ月の「外泊体験」だと、ぼくは話した。七月に入院を勧めた、その段階に戻ったのだ。すごろくで言うと、はじめに戻る、という賽の目が出たのである。簡単には、というよりは、先ず完治の可能性は低いと、素人のぼくは考えている。両親は「再入院」に否定的だという。二日後に親同伴で、話を聞きに来てほしいと医者が言ったそうだ。親が反対してどうすると、ぼくはいう。どうしても反対なら、「ぼくが保証人になるよ」とも。多分、親は口では行かないとか、反対だなどと言うけれど、医者のところに行くと思う。入院したとなれば、今度は長いという気もする。会社も休職ではなく、辞職することも考えておくといいねと話して、電話を切った。「鬱(うつ)病」というのは、複雑な重なりがある、ストレスに圧倒されているのではないかと考えている。積み重なるストレスの重圧が心身に及んでいるのですな。その重なりのどれが、致命的なのか、おおよその見当は付けているのだが、それはまた別の機会に。(2023/01/18・水)

徒然日乗・XCIII 霧雨のような小雨が降ったり止んだり。このところ、風の吹く日が続くので、庭中が枯れ枝や枯れ葉で埋められている。こういうところに住んでいると、頻繁に強い風が吹くのだから、いま掃除をしても無駄、そう考えてしまい、見るに見られない荒涼とした風景になるのだ。屋根にも樋にも、枯れ葉などが堆積しているのを見ると、天気が回復したら、きれいに取り除こうなどと思う。それもまた先送りしてしまう。庭や屋根どの清掃にかかると、恐らく半日では終わらない作業量で、それを考えると億劫になる。この次に晴れたら、この次、と伸ばし伸ばしで、結局は樋から雨水が溢れ出すなどの「故障」がないかぎりは、放置している。困った態度だなあと、自分でも呆れる。要するに、何事においても、ぼくは愚図なのである。(2023/01/17・火)

徒然日乗・XCII 毎日、ほとんど変わりのない生活を続けています。早朝に起き、まずは猫の世話。買い物があると、できるだけ午前中に出かけ、用事が済んだら、即刻帰宅。どんなに長くても、一時間以内。その後は駄文・雑文を書くか、ネットでニュースなどを見る。駄文に関しては、なにかいうことはない。すべての文章は「書き殴り」で、ドラフト(草稿)そのままを掲載しているので、思いも及ばない誤字脱字などが出てくる。気がつけば直すのは当たり前で、この「校正」作業が、今となれば結構面白いのだ。今までになかったことで、文章に気を取られないで、勝手にキーボードを叩いている自分に驚いている。「手書き原稿」時代の「校正」は苦手だった。他人に必要以上に迷惑をかけることもそうだったが、いつも締め切りギリギリの提出だったから、草稿が「完成稿」という情けないことの繰り返しだったから。構成の段階で新たに原稿を書くという無様な次第が恥ずかしかったのだが、それを最後まで修正できなかった。今では取り返しもつかないものの、その経験を思い出しながら、毎日無駄にキーボードを叩いている。(2023/01/16・月) 

徒然日乗・XCI 終日、降ったり止んだり。その割には温かい一日でした。今月の二十日が「大寒(だいかん)」だということですので、これからまた「寒さ」が募ってくるとされています。当地では雪はほとんど降らない、まして積雪を見ることは年に一度あるかないか。しかし、降れば、坂道が多いので車の運転は要注意だ。日没になると、凍結すること請け合い。各坂道の方々に「融雪剤」が置かれている。ぼくのところでは、それを使ったことはないが、いずれ、必要になるかもしれないと予想はしている。積雪で倒木や電線の絶縁・断線などで停電も想定される。これからが本格的な寒さが来ると、コロナはもちろん、インフルエンザにも油断なく過ごさねばと考えている。それにしてもコロナ禍が終わりを見せないのが気がかりで、一日の死者数が連日記録を更新している。日に五百人もが亡くなるのにもかかわらず、政府や行政の警戒感が薄れているのはどうしたことか。それに煽られて、多くの人が感染を物ともせずに外出を謳歌しているようだ。いや、これまでの逼塞感を打ち破りたいだけなのだ。(2023/01/15・日)

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 Where Have All the Flowers Gone?

 コロナの死者数が驚異的な水準を示しています。このところ連日、これまでの最高記録が更新されている。それに反比例するように、ほとんど、日常生活の一コマのごとく、心の深い部分では恐れを押し隠してしまって、報道もそれを知らされる民草も驚きも恐れもしていないように感じられるのはなぜでしょうか。この感染症が報告されてから四年目に入りました。ごく初期の頃は、必要以上に騒ぎ立て、死者数も感染者数も、今から見ると取り立てるほどでもなかったのに、「緊急事態宣言」「全国学校休業」、あるいは「外出自粛」「営業禁止」などの処置が立て続けに取られてきました。適正な防止策や感染症対策が実施された結果、ものの見事に感染症が就終焉に向かったというのならいざしらず、「先制攻撃」に全力を使った結果、その後の闘いには、作戦もなく、闇雲に応対しているという無様で、それゆえに、いたずらに「敗走」が続いて、なおそれが収束の兆しすら見えないどころか、これから又、大きな山場を迎えるのではという状況。一体、このような惨憺たる現状を招いたのはなんだったか。

 加えて、コロナ感染症の法的分類の変更が進められているとされます。現状は右図(22/02/20)(左上・23/01/13、いずれも東京新聞より)のようですが、その内容もよくわからないままでの変更だといいたくなります。どこの誰が、どういう議論を重ねて、今あるような状況が生まれたのか、ことごとくと言っていいほどに、「国民の知る権利」は無視され、闇雲に物事が独断的に決められていく。まるで試合の途中で、ルールを替えられてしまった野球のようでもあり、見られたものではない。スリーアウトで攻守交代が、ファイブアウトに伸ばされたようなもの、ダラダラと「闘い」が続くばかりです。選手も観客も疲弊するしかないようです。本邦の「仮想敵国」であるという中国では「ゼロコロナ」政策が打破され、正反対の方向で感染症対策が、見たところでは、放棄され、そのために防波堤が切断されてしまった。その破壊された堤防から、世界の各地に「人口流入(インバウンド)」が始まっています。この感染症も、もう一度「再スタート」を切ったというのか。百年前の「スペイン風邪」を凌駕する被害状況を、ぼくたちはどのように見たらいいのでしょうか。

 さらに深刻なのは、死者の圧倒的多数(約八割だとか)が高齢者だということ。持病を持つ人がほとんどだとするなら、その対策も細かく立てやすいにも関わらず、この状態を生み出しているのはなぜなのか。この感染症に限らず、この島社会では「年寄」「老人」「高齢者」などとたくさんの「呼び名」が付けられていますが、そのいずれにおいても決して「大事」「尊重」という観点では、疎かにされたままであり、それが、一層ひどくなっていると感じるのは小生が後期高齢者だからだという人があるなら、それは間違っていると言いたいね。僻(ひが)みでも何でもなく、この社会で「生命」は軽んじられているのです。中でも「年寄のいのち」が軽視されているといいたい。だから、それこそ、僻(ひが)んでいる証拠と言われるのでしょうが、年寄りに限らず、いのちが粗末にされている。政治のありようを見れば納得されるでしょ。有体(ありてい)に言うなら、いのちを殺戮する武器の方が、いのちを守る(心)よりも、遥かに遥かに過大評価されているのではないです。莫大な軍備への投資そのものが、この島社会の「いのちの粗末化」に拍車をかけていると思いませんか。

 最下段にピートシガーの「花はどこへ行った?」を出しておきました。ぼくが十歳頃・、1955年だったかに作られ、大流行した反戦歌。たくさんのミュージシャンがカバーしながら、歌い継がれてきました。「花はどこへ行ったの?」「娘たちが摘んでしまった」「娘たちはどこへ行ったの?」「夫を探しに」「夫たちはどこへ行ったの?」「みんな兵隊になって」「兵隊たちはどこへ行ったの?」「みんな墓場に行った」「墓場はどこに行ったの?」「みんな花になってしまった」「花はどこへ行ったの?」「ああ いつになったら分かるだろう?」「ああ いつになったら分かるだろう?」「Where have all the flowers gone Long time passing? Where have all the flowers gone Long time ago?

 初めて聴いたとき、ぼくは何もわからなかった。でも聴いているうちに、涙が出てきた。いつもそうだった。六十年以上も「花はどこへ行った?」と尋ねてきたようなものだ。難しいことはわからなかったが、そして「ああ いつになったらわかるだろう?」と自問自答して生きてきた。今聴いても、目頭が熱くなる。シガーは八年前に亡くなった。「ピートはどこへ行ったの」 何十年、何百年、何千年経っても、ぼくたちは、「花はどこへ行ったの?」と尋ね続けるのだ。個人であれ、集団であれ、人類であれ、「ホモ・サピエンスが、少しでも賢くなる」というのはどういうことでしょうか。

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徒然日乗・XCI 終日、降ったり止んだり。その割には温かい一日でした。今月の二十日が「大寒」だということですので、これからまた「寒さ」が募ってくるのです。当地では雪はほとんど降らない、まして積雪を見ることは年に一度あるかないか。しかし、降れば、坂道が多いので車の運転は要注意だ。日没になると、凍結すること請け合い。各坂道の方々に「融雪剤」が置かれている。ぼくのところでは、それを使ったことはないが、いずれ、必要になるかもしれないと予想はしている。積雪で倒木や電線の断線などで停電も想定される。これからが本格的な寒さが来ると、新型コロナはもちろん、インフルエンザにも油断なく過ごさねばと、改めて思う。それにしてもコロナ禍が終わりを見せないのが気がかりで、一日の死者数が連日記録を更新している。日に五百人もが亡くなるにもかかわらず、政府や行政の警戒感が薄れているのはどうしたことか。それにす唆(そそのか)されて、多くの人が感染をものともせず(という風を装って)に外出を謳歌しているよう。この小島国で、感染者数が世界一だというのに、誰も喜ばないのも奇妙だ。「一番病」に取り憑かれているのにさ。(2023/01/15・日)

徒然日乗・XC 明け方から小雨が降っていました。しかし、とても暖かい日になりそうで、室内は二十度近くあります。ヨーロッパの幾つかの国では、まるで夏日で、海水浴を楽しんでいる。一昔前なら、「暖冬異変」とか言ったのでしょうが、今日では、あれもこれも「地球温暖化」で済まされてしまう。その異変の怖さには、ぼくたちは極めて鈍感であるようです。冬が寒く、夏が暑いのは、この劣島では日常のことでした。季節感が豊かであるとか、四季の佇(たたず)まいがゆかしいとか、いろいろなことをそれに付け加えてきました。中でも「季語」です。どれくらいあるのか数えられないほどです。しかし、その秩序も次第に、あるいは急激に崩されているのも事実です。「小春日和」がいつのことだか、もはや理解も感受もできなくなりかけている。人々の感覚が狂いだしている以上に、季節の先駆けとなる自然界の生物が、異常な成長や発育を示しています。この先の予測・予感すらできないような、そのような事態が深く静かに進行しているのでしょう。(2023/01/14・土)

徒然日乗・LXXXIX 夕方、長野から電話があった。昨日も昼頃に呼び出し音が鳴ったが、受け損なって切れてしまった。あるいは彼女から、と想った。本日の電話で、そうだったことが判明。拙宅は「固定電話」だから、少し離れていると、間に合わないことがある。電話の声を聴いて、相当に「落ち込んでいる」のがわかった。「死にたい」という。昨年10月の退院以来、会社へは午前中のみの出勤で、ここに来て、「とてもつらい」と、音を上げていた。「酒もタバコも、やってるよね」と尋ねた、煙草は退院時以来だが、「酒は数日前から。退院後、初めて」といった。つまりは禁断症状が続いているということで、それに耐えかねて「ちょいといっぱい」という次第だった。何のことはない、昨年の十月以前に戻ったのである。この繰り返しで、まるで打ち寄せる波のように、大きくなったり、小康を保ったり。彼女の状況が厄介なのが、酒や煙草の依存症を断つための薬を飲み、さらに抗うつ剤を服用していること。大量の薬だという。もちろん睡眠導入剤も。恐らく、素人見ですが、もし薬それぞれに効能があるとしても、お互いに相殺しあっているのではないか。もっとも肝心な「死にたい」という落ち込みのよってくるところがなにかということ。幾つか考えられるが、それは医者や家族と彼女との関係の中から見いだせるものであろう。来週の火曜日に病院にいくと言うので、その際には、少し時間を使って、医者と話してくることと、念を押して、電話を切った。(2023/01/13・金)

徒然日乗・LXXXVIII 昨日の続きで、ワクチン接種のために残りの2猫を連れて行こうとしていたのに、朝、かみさんが猫を外に出してしまった。ために、九時からの診療に間に合わなくなった。午前中にはと目論んでいたが、それまでには戻ってこなかった。一つはケージに入れたのだが、もう一つは捕まえられませんでした。夕方は四時から診療開始でしたが、うまく時間が合わないままで、暗くなった。ぼくはよほどのことでもない限り、日が落ちてから。あるいは大雨の日は車に乗らないことにしていますので。残りの2猫は明日に連れていくことにしました。それにしても、医者代もまた、人間並み、高いですよ。はやく手術にまでたどり着きたいものです。(2023/01/12・木)

徒然日乗・LXXXVII  ピートシガー(1914~2014)という、アメリカ発カントリーミュージックの草創期を画した人がいました。例によって、「ラジオ深夜便」の午前二時台のコーナーで、彼の手になる数々の作品がみずから、あるいは他の歌手によって唱われていた。ぼくは詳しくないけれど、若い頃から、それなりには聴いていた。歌の方面でも、アメリカ音楽の後塵を拝したことは確かで、まるで政治の歩き方とよく似ている。もちろん、音楽の方は、早くから、自前のフォークを手探りしていたようにも見えますのに、政治は時代とともに、さらに深くアメリカの「後塵を拝する」と言えば間違いだろうか、ともかく「あなたのリードで島田も揺れる」と芸者ワルツのように、「主」にいいように弄ばれてきた。「花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone?)」)」「天使のハンマー(If I Had a Hammer)」、さらには「We shall overcome」を戦闘的な歌に蘇らせたのも、彼の功績である。いずれも今なお唱われているし、それはまた「反戦歌」のバイブルともなったのです。彼は筋金入りの「反権力」だったと思う。まだ高校生のころ、佐賀在住の高田渡さんがシーガー宛に手紙を書き、その後に直接逢ったことはよく知られている。ぼくは高田渡さんも真面目には聴いてこなかったが、二人の出会いとその後を考えると、フォークソングというものの持つ力をもう一度見出したいという思いが募る。(2023/01/11・水)(Pete Seeger: Where Have All the Flowers Gone?https://www.youtube.com/watch?v=1y2SIIeqy34&ab_channel=Spadecaller

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 民主主義から「独裁」「暴力」は生まれる

 議会主義の黄昏(たそがれ)と言っていいのか。あるいは民主主義の核心部と言われる「選挙」の効力が期限切れを起こしたのか。あるいは、…。ブラジルで前大統領が選挙に負けたのは「相手候補に選挙(投票)を盗まれたから」と、自らの「敗北」を認めない、その上に熱烈な支持者は、それを理由に議会や裁判所などを襲撃したという。この「暴動」には米国の前大統領支持者の有形無形の参画も指摘されています。その国だけの問題なのか、それとも、民主主義も選挙も破壊される事態に逢着しているのかもしれない。極端に言えば、一票でも多い票を獲得したら勝ち、これが投票の結論ですが、この投票方法が「電子投票」方式の採用によって、アメリカもブラジルも「結果を否定する」暴動が生じたとも思われます。ここにもまた、「勝てば官軍)魂が根付いているのです。もちろん、「負ければ賊軍」、お縄を頂戴する羽目になるから、暴力も辞さず、となるのです。

 デモクラシーは「政治の方法」だと思われがちです。しかし、事実はそうではないのです。民主主義は、一種の「蜃気楼」のような輝き(頼りなさ)があり、その幻想を信じたがゆえに幻滅するということはいつでも生じている。「百年河清を俟つ」というまだろこしさがある。かかる「暴力」は、この島社会でも起こるかもしれません。民主主義は万能薬でもなければ、医者いらずの回復力を持つものでもないのです。政治の手法としては、十分なものではないのは、これまでもの政治史や暴力の歴史を見れば容易に了解されます。いつ何時、足蹴にされ、踏み潰されるかもわからない、まるで砂上の政治でもあることを忘れたくない。しかし、残念ながら、悪政に小切手を渡すのも「投票」であるし、それを克服するのも「投票」による。もし「電子投票」に大きな欠陥があるなら、それを取り除けば済むこと。それ以上に肝心なことは、誰を選ぶか、誰を選ばないか、その根拠を何処に見出すか、民主主義は選挙民の見識に依存していると言いたい。賢明な投票者に。

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徒然日乗( LXXXII ~LXXXVI )

徒然日乗・LXXXVI 人であれ、物・事であれ ぼくが不勉強だから知らないだけ、そんなことはいくらでもありますね。ぼくは新聞を読まないので、どんな人がこの記事を書いているのか、まったくわからない。最近、M新聞のコラム欄を週一で担当し記事を書かれている O 記者を知った。コラム(「金言」)を担当し始めて二年ということだったから、知らないのも当然だろうが、もっと早くから知っておくべきだったと思う。また、今日初めて声を聴いた仏教研究者の植木雅俊さん。どこかでお名前は聞いたかもしれないが、それもすっかり失念していた人です。改めてその人の研究対象や何冊もの著書の存在を知り、仏教研究の第一人者だと思い至った。いわば在野の研究者であり、あるいは思想家と言ってもいいかも知れませんが、それだけに、知らないままで、ここまできてしまった。未知との遭遇ということ、それも、とても大切な事や人に、この年齢になって出会うという、おのれの怠惰や無知が無性に情けなくなる瞬間です。遅まきながら、少しずつ読み出そう。(2023/01/10・火)

徒然日乗・LXXXV いわゆる「成人の日」、なにに限らず「儀式」は内容ではなく形相(形式)だ。淡々と、いつもどおりに(旧慣墨守)、それが命だが、ぼくはだから大嫌いだった。勤め人の時にも「年中行事」が毎年二度あった。入学式と卒業式。これに参加するのがとても嫌だった。サボることばかり考えていた。なぜ嫌いだったか、「おめでとう」の連発が聞くに絶えなかったのだ。「入学おめでとう」「卒業おめでとう」というおべんちゃら(と思えた)は一度だって使わなかった。使う理由がぼくにはなかったからだ。入学の際には「ひどいところに来てくださり、ありがとう」といい、「怠学の挙げ句の卒業かな」という思いを別の言葉で言ったものだ。ぼくには「晴れ着間」の要素が混じっていたと、自覚はしていたのです。結婚式も葬式も出たくないですね。誘われたが、ついに、ただの一度だって卒業生の「式」には行かなかった。(2023/01/09・月)

徒然日乗・LXXXIV 時が過ぎるのが、どうしようもなく早い。一歳の子どもの時間の感覚と八十の老人の感覚では、どんなに違うか。ある学者が言っていたことで、一歳の児は「一年が人生」ですのに、八十歳は「一年は人生の八十分の一」になると。同じ時間であっても、これほどの違いがあると、まるで嘘のような話。▼ 庭先までたけのこの根が這い出しています。ほんの少しばかり、掘り起こして、竹根を取り除きました。相当に大掛かりな作業をやらないと、竹は我が庭を好き放題に占領するに違いない。▼ それにしても、この冬季も間断なく、地下茎は侵略を試みている。竹の創生力の凄さは、何に例えればいいのか。地下茎がこれだけ成長しているので、さぞかし猪は「穴掘り」に全力を挙げているに違いない。(2023/01/08・日)

徒然日乗・LXXXIII 日の出が鮮やかです。 連日の好天続きで、その反動が恐ろしくなるほど。自然現象にも反動はあるもので、高気圧のつづく日ばかりではないことは、北陸や東北、あるいは北海道の豪雨・豪雪を知れば理解できます。北海道ではマイナス二十度を超えるところが出ています。あるいは豪雪地帯ではさまざまな雪害ともいうべき事故が続発している。▼ 昨夜は姉貴の娘(京都在)からメールが入りました。メールを貰ったのは、恐らく初めてかも知れません。ぼくがアドレスを知らせていないせいで、彼女から届いた年賀状に書かれてアドレスにメールを送ってたのです。京都の長岡天神傍に住んでいる姉貴には三人娘がいます。娘といっても、うちの子たちよりも年上か。元気で仲よく暮らしているとの由、帰京できない状態が続いています。彼女たちともゆっくりと話したことがないのはどうしたことか。(2023/01/07・土)

徒然日乗・LXXXII  数年ぶりで、元同僚から電話がありました。熊本出身の統計経済学者です。現在は県内柏市に住んでおられる。彼とは、いろいろといいことも悪いこともやってきました。共通の友人を押し立てて「大学総長」選挙に乗り出し、そのたびに「一敗地」にまみれた。当選しなくてよかったと、当時も思い、今も思ったりしています。▼ 拙宅には数度来られた。古い友人から連絡が入ると、「嫌な予感」がするものです。誰かに何かが、ということでもあり、当方の「安否伺い」の気遣いでもあるからです。▼ 夜九時半ころ、京都の友から、久しぶりに電話がありました。恙(つつが)なく過ごしている様子。なにかと不平や不満、不安、不信があるのは生きている証拠だといえますし、その証拠ともなる感情の迸(ほとばし)りを、飽かず電話越しに訴えられるのですから、平安、満足、安心といった生活に「恋い焦がれている」とも受け取れます。ぼくと同年の「後期高齢者」です。▼ 当たり前のこと、同じ年寄でも「生に対する姿勢」は違うものです。歳を取ることは、それなりに色々な煩いが増すことでもあるのです。「年波の押し寄せ来たる夜寒かな」(無骨)また、こんな句に出逢いました。「淡交をあの世この世に年暮るる」(恩田侑布子)(2023/01/06・金)

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 「死ぬも生きるも ねえお前 」

 午前二時前、(猫に)起こされました。お腹が空いて眠れないのと、外に出たいのが騒いだのです。その猫と付き合いながら、例によって「ラジオ深夜便」を聴いていた。本日の担当(アンカーというらしい)は、渡辺あゆみ、旧姓黒田さん。テレビではしっかりしたアナウンサーとして七時や九時の「ニュース」を担当していた方。今日の二時からはアメリカの作曲家・フォスターの数々の曲がかかりました。その殆どをぼくは記憶していた。さらに驚いたのは、歌詞は「原曲(英語)」だった、それをすべてとはいえませんが、ほぼ覚えていました。この歌をどこで習ったのか。もちろん学校でだったことは確かで、それも高校だったと思う。音楽担当の教師は、恐らく音大出だった。細かいところは忘れていますが、男性で、それなりに年を取っていた。名前が「宝光井◯◯」という珍しいものでしたから、今でも記憶しているのです。時々、彼(テノールだったか)はカンツォーネ(ベルカントで)を謳った。とくにイタリア民謡は圧巻だったし、それをぼくたちはイタリア語で唱わせられた。声楽家の歌唱を「生」で聴いた最初の経験だったろう。今でも「サンタ・ルチア」「オーソレ・ミオ」「帰れソレントへ」などは丸暗記したイタリア語が口をついてくる。人間の記憶作用の摩訶不思議さです。

 フォスターは南北戦争の遥か前に生まれ、戦後に不幸な生涯を終えた。今日では「アメリカ民謡の父」などと称されますが、生前は家庭的にも音楽家としても恵まれなかった。酒と乱れた生活で三十七歳で生涯を終えた。死地はニューヨークだったと記憶しています。彼の生き方や時代との軋轢を思うとき、突飛な空想ですけれど、ゴッホを思い描きます。今日、歴史上もっともポピュラーでもっとも価格の高い画家で、生前はまったく世間から除け者にされた存在だった。世に受け入れられなかったという意味では、何時の時代でもどこの地域にも、才能豊かでありながら、いわば不遇の生涯を送った人は無数にいます。逆に言えば、死後において、高い評価を得るというのは、当人にとっては関係のないことであり、それが彼の生涯の価値を高めてくれるということはできても、はっきり言えば、彼・彼女には無意味・無関係だったというべきでしょう。世間からの「高い評価」に意味や値打ちを求めることは否定しませんが、ぼくは、そんなのはまったく御免被りたい人間です。若い頃は、「評価」は後からついてくるなどと嘯(うそぶ)いていました。今考えると「汗顔」の至りですな。賞牌などは厳禁、それが「家風」(あるとしたら)ではなかったか。この点で、親父は仕事と酒だけで、他は一切無関心だった。

● フォスター(Stephen Collins Foster スティーブン=コリンズ━) = アメリカの作曲家。ペンシルベニアの実業家の家に生まれ、大学を中退して、一九世紀のアメリカの素朴な風土に根ざした数々の歌曲をつくった。作品は世界中の人々の愛唱歌となったが、彼自身は貧困のうちに三七歳で死んだ。代表曲は「草競馬」「オールド‐ブラック‐ジョー」など。(一八二六‐六四)(版日本国語大辞典)(フォスターは「プランテーションの作曲家」とも称された人。如何にも「南北戦争前のアメリカ」で生まれた音楽家でした)

 「命あっての物種(ものだね)」「死んで花実が咲くものか」などという表現は、一面では真理でしょう。でも半面では「物種」や「花実」が過大に評価されてしまい、ある意味では、人生の内容や優劣を「世間的評価」などといった現世利益に傾きすぎるという嫌いを、このような不遇のうちに生死し人々は教えてくれるのではないでしょうか。少し浪花節になりますが、大変に素朴な視点から「人生の哀歓」を謳った「船頭小唄」を思い出します。野口雨情・、中山晋平・曲で、別名「枯すすき」(大正十年刊)です。関東大震災前後に大流行したものです。(これを綴っているのは、午前四時です)

 当時、「船頭」がどのような社会的評価を受けていたか、ぼくにはわからないが、誰彼に勧めるべき「稼業」であるとは思えません。まして「立身出世」が人生の価値であり、「故郷に錦を飾る」ことが栄誉とも成功ともされていた時代、「どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯すすき」と、あるいは男女の仲の不条理を歌っているのか、つましく、世の中の方済みに生きる、これもまた一つの生き方だという。ぼくは、理由は判然としませんが、この「枯すすき」になりたいものだと、ずっと念じていたことは確かでした。でも、今持もって「枯すすき」にも慣れないで生き恥をさらしている。アカンなあ。

 早起きの「寝惚け頭」であらぬことを書いているようです。(下新聞写真は「スペイン風邪流行」を報じる新聞・大正七、八年ころ)

おれは河原の 枯すすき
おなじお前も 枯すすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯すすき

死ぬも生きるも ねえお前
水の流れに なに変ろ
おれもお前も 利根川の
船の船頭で 暮そうよ

枯れたまこもに 照らしてる
潮来出島の お月さま
私しゃこれから 利根川の
船の船頭で 暮らすのよ

なぜに冷たい 吹く風が
枯れたすすきの 二人ゆえ
熱い涙の 出たときは
くんでおくれよ お月さん

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徒然日乗LXXVII ~ LXXXI

徒然日乗・LXXXI このところ毎朝のように「日の出」を眺めています。太陽は九十九里海岸の海上に現れ、少し時間をかけて拙宅の真東に昇る。ここは海抜百メートルほどですし、少し雑木林が密集しているので、少し遅れての「ご来光」です。今日あたりは七時ころでした。ほとんど毎日のように、拝みはしませんが、太陽がすっかり姿を現すまで見入っている。太陽の出ない日はないのですから、雨天などのとき以外は、ぼくは朝、東に向かって、一瞬ですけれど「善男」になる(なった)つもりでいる。(2023/01/05)

徒然日乗・LXXX 2日に猫の食料を買い出しに行ったばかりで、本日も(主として缶詰)出かけました。たくさんいますので、それなりに食料代がかかる。元気に育つことを願いつつ、あるいは、ぼくたちの食料代よりも高く付くのではないかと驚愕する。数日中にはワクチン接種をする予定(八つ分)、これが終わらないと、一安心ができない。その次には(避妊と去勢の)手術です。(2023/01/04)

徒然日乗・LXXIX 正月が 足早に過ぎ去っていきます。国政に関心を必要以上に持とうとしているのではありませんが、こんなに国民の目の届かないところ、国民の目から全てを隠しながら、着々と「戦争ができる国」への道をひた走りに走っている、それを黙ってみていることができないのです。物価が一直線で右肩上がりに上がる。その原因はよくわかっているのですが、どうも、国内事情ではなく、外地における他国の戦争やその影響によるものとされている。にもかかわらず、この島社会の首脳は「外国における戦争」の片側を応援しているのです。戦争を止めるための算段(外交)ではなく、戦争に親和性のある国が勝利するための尻押しをしているのです。いったい、この国に、先を見据えて、政治の方向を定めようとする「ステーツマン」がいるとは思われないのが、なんとも悔しいね。もはや、この国は破綻しているんだがなあ。(2023/01/03)

徒然日乗・LXXVIII 横浜に住んでいる娘が子ども(ぼくにとっては孫)といっしょに車でやってきました。コロナ禍の用心もあって、久しぶりのことでした。ぼくのところの子どもは娘が二人(双子)でした。それぞれが高卒以来、親元を離れ、自分たちで生活することになった。やがて、彼女たちも結婚したり、就職したりして、今では別世帯。もう一人の娘(独身暮らしで、小さい頃から結婚はしないと確言していた。親の酷さを身近で見ていたからだろうか)は、先日、猫を見に来た方とやってきた。こちらも、なかなかの独立心旺盛な人で、あまりベタベタすることなく、好きなように(苦労しながら)明け暮れを送っているようです。親子であることは事実ですが、それをあまり意識しないで、可能な限りで、それぞれの生き方を尊重する、格好つけていうなら、そんな近距離接近にはならない程度の関係で「親子」を続けているのです。穏やかで、健康に暮らしてくれることを願うばかりです。(2023/01/02)

徒然日乗・LXXVII  穏やかな朝を迎えました。昨日の続きは今日という日、それだけのことがぼくには好ましい。往時、「晴れと褻(け)」などといって、日常の平凡さを突き破るような「一瞬」の賑わいが、きっと待望された。褻着(けぎ・普段着)とか褻事(けじ・日常茶飯)といい、普段着のままに日常行為を積み重ねるからこそ、その停滞を打破し、新たな生命力を得るための「晴れ着」を召しての「晴れ舞台」という、つかの間の「晴れの日」が必要だったのでしょう。大晦日と元旦は、新旧年の交代で、ことさらに、神仏・先祖も参加しての重要な日だったと思う。「直会(なおらい)」などといって、神・仏との供食が大切な宴だったのです。今では毎日が「晴れ」続きで、至るところで、日常が動顛(どうてん)するような事件や事故の連続。だからこそ、静謐な一日を切望するのでしょう。慌てず騒がず、心静かに日々を過ごしたい、それが、あえて言うなら、本年(毎年)のささやかな祈願です。つまりは「怡然自得」ですね。(2023/01/01)

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 義理がすたれば、この世は闇だ

 地球の至る所で、寒波や豪雪が襲来しています。(夏季には山火事や渇水、熱波などが頻発している)もちろん、その多くは、自然現象として説明されますが、その被害が人間の生活におよぶと、それは単なる「自然災害」とはいえなくなるのはなぜでしょうか。この劣島では、昨年も北陸、東北、北海道地区などで豪雪がありました。その被害の広がりと深さにおいて、この数日間、ぼくは昨年の「映像」を見ているような錯覚を覚えたのです。寺田寅彦が言ったとされる「災害(天災)は忘れた頃にやってくる」は、百年前ならいざしらず、今日では「忘れる間もなく」やってきて、人間社会に大きな被害が生じるのです。今冬は始まったばかりで、各地で停電が発生している。今の生活で「電気」のない生活は考えられません。まさに「電化生活」が直撃されるのが今の「災害」ではないでしょうか。つまりは「文明生活」が直撃されて、手足がもぎ取られる状態が日常となっている、これを、ぼくは「耐寒」とか「耐乏」などとは言わない。ここにこそ、人間生活の根っこがあるということを忘れたくないのですね。縄文や弥生時代の人々に学ぶのだということですよ。

 「災害に強い国造り」というものがあるのかどうか。水害に対処するために豪華過ぎる防水・防波建造物を乱立させる。巨額の税金を投入し(その内の何割かは、「水防」などとは無関係のピンハネによって、私腹を肥やすために、いつの間にか消えていく)、これこそ、つまりは巨額の税金の何割かを横取りすること、それが政治なのだというように、「国土強靭化」そのものを、自然の営みはあざ笑いながら、庶民の生活を急襲する、その一方で、政治家もまた時差医者を「あざ笑いながら」横取り、ピンハネ、略奪を繰り返す。いい商売があったものです。「公共事業」というなの「税金略奪行為」が世辞なんだ。

 豪雪地帯に対しては「融水装置」の設置が関の山で、これまでにどれくらい続いてきたか、実に素朴な「屋根の雪下ろし」の苦行。恐らく数百年の停滞(そのまま状態・お手上げ状態)が続いている。道路の雪を溶かす装置が早い段階で装備されていながら、屋根の雪が人力でしか降ろ(さ)せないという、自動運転の車が行き交う時代、無人ドローンがミサイルを積んで飛ぶ時代、何という滑稽かと、ぼくは当該地区の人々の苦労をみやり、想いを寄せながら、政治の無策・無能を密かに笑っている。すべてがそうだというつもりはないが、この国の国政に携わる人間たちの「覇権主義」「名誉欲」「利益第一」などという、腐った姿勢や態度が、どれほど人心を澱ませてきたことか、他者を尊重しない態度が、いらぬ敵対関係を生むに至っているか。「公共」「公徳」「公民」「公務」などという、みんなで作る(共同する)からこそ「社会」であるという、その社会性が著しく毀損されたのは、かえすがえすも悔しいことです。ここでまた、学校教育の貧困かつ粗暴な「成績主義」を呪うのです。多くの政治家・完了・経済人たちは、こぞって(誇るべき高学歴」の所有者だという事実に、赤面こそすれ、そんな卒業生を生んだ「学校の恥」だと、どうして考えられないのだろうか。

 社会は、もと「社交」とも言われていた。いわゆる交際・交流・交換・交渉など、簡単にいえば、人々の「付き合い」でなりたつ、一つの仕組み(町内会)です。その「仕組み」を支える「交際」や「交流」、付き合いがどこかで歪められ、軋轢を生じない人間関係が結べなくなる傾向がかなり増大しているのは、どうしてか。この年齢になって、今更のように「競争」「優劣」ではない「教育の再生」に深く思いを及ぼしています。 

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 徒然日乗(LXVI ~ LXX)

徒然日乗・LXX Shrinkという単語をよく聞く。「収縮」はその邦訳。ここで使うのが適切かどうか迷うが、本年の出生数はおよそ77万人と予測され、半世紀前の1973年生まれと比較すると、約三分の一。この人口が社会・福祉政策の基本だと見做すと、身の毛も弥立(よだ)つと、大仰臭くとも、ぼくは震えるのだ。「国家の屋台骨」を支えるべき「人口」が極端に縮んでいるのに、かなりの政治家はほとんど関心を示していない。莫大な借金の上に、防衛費という名の「戦争ごっこ代」の奪い合いの乱痴気騒ぎ(orgy)に反して。だから、身の毛が弥立つのだ。急減傾向はさらに続く情勢にあって、さて、諸人が身命を賭して「守るべき祖国」が存在し得るのかどうか。遠からず「国家消滅」に至る。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(寺山修司)「それほどの祖国は、オイラにはないね」と、ぼくは反応します。(2022/12/25)

徒然日乗・LXIX 一人の国民でありながら、政治や政治家の動向を仄聞していると、救いがたい心境に襲われます。総理大臣が、いわば側近官僚に「拉致」され、まるで身ぐるみ拘束(梗塞)されて、当節は「官僚傀儡政権」とでも称するほかない自滅状態に陥っています。言わずと知れた「経産省内閣」であり、「経産省政治」の傍若無人ぶりを見せつけられている。その経産官僚支配の背後には米国がいるという「日米安保体制」の歪んだ完了型がここに見て取れる。原発問題、防衛費増額問題、その他諸々、「現下政治課題」のことごとくが、ほぼ数人の「官僚」に掌握されてしまっている。この「歪(いびつ)体制」は二十年以上も続いていることになる。ごく一握りの官僚は「無能内閣」を操り、省益を優先して誇ってきたが、国内だけでは扱いきれない課題が陸続と生じて、やがて、その殆どの「大計画」は失敗に帰した。おのれ一個の「名誉挽回」「失地回復」の手段に国政を「乗っ取った(take over)」し、「牛耳っている(dominate)」のだ。行く先には「瓦解」が待っている。(2022/12/24)

徒然日乗・LXVIII  大雪のために停電した家中から、駐車中の車で「暖を取ろう」と、一人の女性がガス中毒死したニュースがあった。少し気をつければ、命を落とさなかったのにと、他人事ながら悔しい。同じように、除雪中に側溝に落ちた、屋根の雪下ろしをしていて、落下し、雪の中から遺体が発見された、毎年のように、似たような事件や事故による死亡が絶えない。ぼくは若い頃、群馬や長野、宮城などに車でスキーに出かけたので、雪の怖さを経験している。無理はしないことは雪道に限らない。アクセルを踏みすぎない、ブレーキは踏まないなど、雪道の運転をイロハから学んだのも、実際の経験による。危険な目にあったこともある。だから、先ず無理はしないこと、細心の注意を払ってもなお、「念の為」を欠かさなかった。車は便利だし、生活には不可欠だからこそ、「便利」に足元を救われたくないのだ。「自分の命は自分が守る」、この島の「鉄則」なんだ。(2022/12/23)

徒然日乗・LXVII 本日は「冬至」だそうです。一年でもっとも昼が短く、夜が長い日。千葉地方の「日の出」が六時四十四分、「日の入り」が十六時三十一分。これを境に、日の出時刻が少しずつ早くなる。本格的な寒さが到来したという気もします。北陸地方の豪雪は大変なもので、雪を降らせないようにはできないにしても、もう少し雪による日常生活の「中断」をなんとかしたいと思う。当地は数年に一度、ほんの申し訳程度に「積雪」(というほどでもない)があるだけでも、停電はするし、断水もある、道路は通行不可になる。一日二日で雪が消えるからいいようなものの、これが三日も五日も続くとどうなるか、ぼくはいつもそれを考える。怖いわけではないが、日常が「中断」されることが我慢できないのである。(2022/12/22)

徒然日乗・LXVI 日銀の国債(国・政府の借金)保有率が五割を超えています。五百兆を超える国債を中央銀行が保有して、ようやくこの国の政治が成り立つという前代未聞の「闇金政策」が続いてきました。「バカも休み休み言え」の見本のような「異次元緩和」の金利水準が、ようやく溺死状態から救い出されるのかどうか。命脈は保っていけるのかどうか。仮に、自呼吸ができるとしても、あらゆる装置や医者を準備して置かなければ、一刻の猶予もならない事態に入っているのです。硬直(瀕死)状態にある病状が、さらに悪化するのか、この危機を乗り越えられるのか、誰にも予断は許されていない。悲しいことに、まともな医者がいないのだ。(2022/12/21)

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