世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る (素十)

 この時期、家の周りの至る所に咲いているのが「クローバー(clover)」、和名では「シロツメクサ」です。四つ葉のクローバーは縁起がいいと、それを見つけるのに必死になった経験はどなたにもあるかもしれません。「クローバーは学名がTrifolium(3枚の葉)であるように、通常3枚の小葉をつけます。これがヨーロッパでは古くからキリスト教の三位一体のシンボルとされてきました。さらに稀に見つかる四葉のクローバーは、十字架に見立てられて幸運のお守りとされていたそうです」(LOVEGREEN)ぼくには、そんな「幸運」を探したという記憶はない。せいぜいが「冠」を作った想い出くらいのものです。

 土曜日にやってきた卒業生の一人が、拙宅の近所を歩いていて、「あっ、クローバー」と叫んだ。それを聴いて、ぼくは「驚いた」というのも変ですが、失礼ながら、彼女がクローバーを知っているのが意外だった。都会人は知らないだろうという、ぼくの偏見があった。クローバーを知っているからといって、それが「シロツメクサ」と同じものだとわかっているかどうか。ぼくも、小さい頃、最初に覚えた名は「クローバー」だったし、それがシロツメグサだと知るようになったのは、ずっと後のことでしたから。今日でも広く「牧草」として利用されています。和名は「白詰草」と書く。江戸時代に、オランダなどからガラス製品などを輸入する時、破損しないように箱の隙間に詰めたのがこの草(乾燥させたもの)だったと言われます。そこから転じた名前。本当かどうか、ぼくには疑わしいが。この植物にまつわる想い出は、ぼくにもいくつかありますが、書くと長くなりそうだし、学校教育に関わっているので、いつか、別の稿に回すことにして、本日は書かないでおきます。

・植物名:クローバー 学名:Trifolium 科名、属名:マメ科トリフォリウム(シャジクソウ)属 分類:一年草あるいは多年草…属名のトリフォリウムはラテン語のtres(3)とfolium(葉)に由来し、3枚の小葉をもつことにちなみます。英名のクローバーはローマ神話でヘラクレスが3つのコブをもつ棍棒を持っていることからラテン語で棍棒を意味するclavaがclubに変わり、やがてcloverにかわったといわれています。ツメクサという和名は、江戸時代のオランダ貿易の際にオランダから輸入されたガラス製品の詰めものとして使われていたことに由来します。詰め物の草からツメクサと呼ばれるようになりました。(LOVEGREEN :https://lovegreen.net/flower/p264684/)(ヘッダー写真も)

 昨夜来の雨が降り続いています。どうやら「梅雨」の気配ですね。しとやかな雨ならまだしも、集中豪雨などは、御免被りたいもの。「季語」に摂られた「梅雨」は、まだ、この劣島が若く健康であった時代の代物。今どきの「梅雨」となると、「暴れ梅雨」というか、「殴り雨」と言うか。少しも安心などしておれない。そして、「もう、梅雨かあ」と歎息したい呼吸の先に表れたのが「地震」でした。能登半島突端の大きな地震からこの方、方々でかなりの震度(揺れ)を伴った地震が発生しています。「備えあっても、憂いあり」備えようがないが、とにかく生き延びよう。「生きているうちの物種」「死んで花実が咲くものか」

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「徒然に日乗」(210~216)

◯ 2023/05/28(日)= 少しばかり庭掃除をしようかと思ったが、まったく気が乗らなかった。ようやく切り落とした枝などを燃やした程度。天気予報では雨が続きそうで、そのまま梅雨に入りという予報もある。それまでになんとかと思っていたが、まだまだするべき作業が残された。終日、家にこもって、猫とにらめっこ。かみさんは「外出」だという。(216)

◯ 2023/05/27(土)= 卒業生が来宅。四名(女性三、男性一)。それぞれが仕事を持っていて、とても多忙な生活の中、よくぞ来てくださったと感謝。当初、S 君は五カケ月だったかの赤ん坊を同伴する予定だったが、たくさんの猫がいるというので?今回は単独(子どもは旦那に)。もう一人予定していたが、体調不良のために欠席。同じ時期の卒業生(2015年度ころらしい)。普段はかみさんと猫ばかりの生活だから、話し相手がたくさんできると、ぼくの悪癖が出る。話し出すときりがない。ぼくは長い勤め人時代、どれくらいの「学生」と交わってきたか。今思っても、「教室」「授業」を大事にしない学校だったし、多くの学生も教室は二の次のようだった。今はどうなっているか。よもやまの話に、あっという間に時間が過ぎていった。午後一時ころから、およそ七時前までの滞在だった。(215)

◯2023/05/26(金= 曇り空。いつもどおり、懶惰な時間を過ごす。夕刻七時過ぎ、いきなり大きな揺れ。即座に地震情報にアクセスすると、房総沖、銚子や旭市がもっとも大きな揺れだった。拙宅も大きく、ゆっくりと揺れた。久しぶり。大きな船に乗っていて揺すられるような感覚。直感したのは、この揺れがもう少し長く続くと危険だなということ。大きな縦揺れが来て、二、三十秒ほどで、收まった(気がする)。地震劣島の名にふさわしい、各地での大揺れ続きです。「首都圏直下型」の直撃をどのようにソフト・レセプトすることができるか。防災にはコンクリートという「公共事業好み」はやめるべき。それを考えるにつき、長明の「方丈庵」はプレハブだった。移住するのに、折りたたんでリアカーで運んだのだ。(214)

◯ 2023/05/25(木)= 曇り空が終日続く。午後には猫缶を買うためにいつものスーパーへ。物、みな値上げの当節、ぼくの知る限りではキャット・フードの値上げは強烈である。少なくとも三割、四割はザラ。中には、五割以上というのまである。他の物価と比べてもべらぼうな値上げ。要するに「足元を見る」という厭な態度だと言うべきか。一万円で済んでいたものが、少なくとも三千円や四千円は高く払うことになる。さらに来月には「電気料金」の値上げだと言う。いろいろな理由をくっつけて、値上げの理由に事欠かないが、その値上げされた品物を買う他ない消費側の人間としては、どのような生活防衛策があるというのか。無能な政府を持つと、同じ「物価値上げ」でも、筋が通らないことがまかり通っていると考えたくもなる。(213)

◯ 2023/05/24(水)= 珍しく快晴。梅雨入り前の「好天」かも知れない。本日も庭作業は休み。なかなか捗(はかど)らないが、急いでも仕方がない。屋根に覆いかぶさる孟宗竹や檜・杉の枝の伐採など、力仕事が多いので、少しは体力を温存しなければと、休憩が続く。▲ インターネットを彷徨っている限り、嫌でもニュースが目に入る。一切パソコンをシャットアウトしていれば、すこしは「隠居」の気分が味わえるのかも知れないが、そんなわけにも行かない。権力は文字通り暴力で、そいつらが政治を牛耳っているのだから、大人しく黙っていれば身ぐるみを剥がされるのが落ちだろう。大人しくしていなくても「剥がされる」のなら、思い切り、悪し様に罵り倒してやりたい、そんな気になる。(212)

◯ 2023/05/23(火)= 終日雨天。時間によっては強雨もあった。まるで梅雨入りをしたような天候具合だ。雨天だと、屋根や樋に堆積した枯れ葉などの掃除の遅れが気になる。このところ、天候不順・不良もあり、除草や枝落としなどの作業が中断している。一旦、休んでしまうと、体ももとに戻ってしまい、庭仕事モードにかかるのが遅れがちになる。▲ 週末に卒業生が来宅予定。複数人が来ると言うので、予め「猫アレルギー」について該当者の有無を尋ねておいた。二人が来るのを取りやめたという連絡メールが入った。「アレルギー」のためかどうかはわからない。最終的には未定だと思っている。当日にならないと確定しないのが常。「猫アレルギー」と何気なく言われるが、人それぞれに、その理由や原因は異なるだろう。少し、丁寧に調べてみるつもり。(211)

◯ 2023/05/22(月) = 本日も曇天。小雨模様。終日、在宅。少しばかりの買い物に近所のスーパーに。数日前に引き取った子猫の調子がよろしくない。ほとんど食べ物を受け付けず、何度も吐く。黄色い胃液を出している。スポイドで液状の食量を与えるも、あまり欲しがらない。医者に連れて行くのも、なんだか気が進まない。風邪を引いたか、あるいは、生後まだ二ヶ月ほどしかに経っていないと思われるのに、成猫用の食餌を与えたから、消化不良を起こしたのか。少し、給餌を控えて様子を見る。体調不良も三日ほどになるか。(210)

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 みかんの花咲く丘

 すべての被爆者を冒涜し、広島を売り、日本を売る、安売りマーケットの店じまいです。「広島サミット」なる催しが終了した。G7の会合と言うが、恒例の年中行事、一時の「お山の大将たち」の「夏祭り」だ、とぼくは見ている。今回は、これまででももっとも悪辣・低俗な政治劇だったと言いたい。まともな神経や感覚がある「政治家」なら、まずできない愚行を、得々として、大はしゃぎしながらやってのけたのだから、一種の「狂気」というほかない。「世界で唯一の被爆国」を最大限に利用し、広島を言葉巧みに「核抑止力」の効用のために祭り上げた。広島生まれでも育ちでもない人間が、その「広島のこころ」を自らの卑しい政治野心のために売り渡したということだった。

 こうなることは、開催前にぼくは指摘していた。それにしても、ここまで酷いとは、そんなことは微塵も思わなかった。考えていた通りの「卑しい政治家」の言動だったろう。何度でも言いたい、定見もなければ、一家言もない。もちろん、さしたる見識など、どこを探しても見当たらないのだ。徹底的に平凡(その意味では非凡)な政治家が望むことは、政治政策を披瀝するとか実践するというのではなく、一日でも長く「政権の椅子」に座っていたい、それだけだし、それ故に、そのためには「魂」も「心」も売るだろうし、国だって売る、正義も人道も売り渡す、その点では類稀な「常軌を逸したことを平気でやってしまう鉄面皮」だと言えるでしょう。

 ウクライナ戦争、正確にはロシアが他国領土に侵略した侵略戦争、それが一日も早く終る、それも平和裏に、そのことをずっと願ってきた。そのために取りうる手段は、何でも取るという思いをしていた。今回の「夏祭り」に、戦争中の一方の当事国の大統領を会議に参加させたのは、現総理の発想だとは思わない。すべては「アメリカ」の仕業(差配)だったと思う。だから、この島の総理はアメリカの「傀儡(a puppet)」、または「道具(a tool)」に過ぎないのであって、この島の「総理大臣」ではない。やっていることを見れば、言っていることを聞けば、そうとしか言いようがないのです。アメリカの「操り人形( a marionette)」で大満足している、だから「売国の徒」というのです。どこを見て生きているのか。誰に評価されたいのか。そんな木偶をこの島の人民は無責任にも「持ち上げている」のだ。一人の「人民」として、恥ずかしさを越えて、ぼくは悲しむ。

 被爆者サーロー節子さん、広島サミットは「失敗」ー 21日に閉幕した広島市での先進7カ国首脳会議(G7サミット)について、カナダから同市に帰郷している被爆者サーロー節子さん(91)は「失敗だったと思う」と総括した。 サーローさんは、G7首脳と被爆者との対話などが非公表で「被爆者が体験したことを理解してくれたのか。反応が聞きたかった」と不満を表明。また、「市民と政府が一緒に核軍縮を進める機運が生まれたのか」と疑問を投げかけた。 サーローさんは昨日、G7サミットがまとめた核軍縮に関する「広島ビジョン」を巡り「自国の核兵器は肯定し、対立する国の核兵器を非難するばかりの発信を被爆地からするのは許されない」と批判。核兵器禁止条約の締約国との協働など期待していたが、「広島ビジョンでは全く無視されている」としていた。 / 日本被団協は21日、オンライン記者会見を開き、サミットの成果について同様に厳しい見方を示した。日本被団協の木戸季市事務局長(83)は、核抑止を事実上肯定し、核兵器廃絶に向けた十分な議論がなかったと強調。「希望は完全に打ち砕かれた。核の傘の下で戦争をあおるような会議だった」と憤った。 / 和田征子事務局次長(79)も、核兵器なき世界への具体策がなく、議長を務めた岸田文雄首相の責任は重いとし、「被爆者の願いを踏みにじった」と落胆した。児玉三智子事務局次長(85)は「首脳はどういう思いで献花し、何を誓ったのか。ただのセレモニーだったのか。一人一人の率直な言葉を聞きたかった」とG7首脳の発信にも物足りなさがあるとした。(中國新聞デジタル・2023/05/21)

 自衛隊車両100台、ウクライナに提供を表明 岸田首相、日ウクライナ会談で 岸田文雄首相は21日、広島市での先進7カ国首脳会議(G7サミット)に出席したウクライナのゼレンスキー大統領と中区の国際会議場で会談した。ロシアによる侵攻が続くウクライナを支えるため、自衛隊車両100台規模の提供を申し出るなど新たな支援策を伝えた。(以下略)(同上)

 「武器ではなく、自衛隊車両の提供だ」というなかれ・これで、ミサイルとは言わないが、兵士や地雷、あるいは砲弾を運ばないとも限らない。明らかな戦争当事国への「加担」であり「助成」であります。もうすでに「集団的自衛権」の行使は始まっているのです。アメリカは武器を提供し、ウクライナ兵の軍事訓練に積極的に参加・主導しているのだから、あからさまな戦争当事国並みの肩入れだと言うべきでしょう。アメリカがロシアと戦っているのだから、日本が「参戦する」のは当然だと言うことになります。やがて、以下に掲げるような「詩」を書く人が現れないと、誰が言えるでしょうか。「憲法」を足蹴にし、民意を袖にし、ひたすらアメリカに追随する。なんのためか。自らの政治権力維持のためです。これをぼくは「卑しい根性だ」と唾棄するのです。 

 (与謝野晶子の詩は、明治三十七年に招集された弟の身を案じて書いた詩。初出は明治三十七年九月、「明星」誌上。弟君は生地から無事に帰還している)

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。(略)

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。(以下略)
「君死にたまふことなかれ   
   旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて」           
                                  與 謝 野 晶 子

 (本日の写真、多くは「みかんの花」です。「橘薫る朝風に 高く泳ぐや 鯉のぼり」の「橘の花」です。例によって、本日早朝「ラジオ深夜便」の告げるところによると、本日の「誕生日の花はみかんの花」だそうです。童謡「みかんの花咲く丘」は第二次世界大戦の敗戦と密接な関係のある歌。詳しくは述べませんが、1946年8月に発表された。(歌は川田正子、作詞は加藤省吾、作曲は海沼実。作詞の加藤さんは静岡の人。他の詞には「かわいい魚屋さん」「やさしい和尚さん」、さらには「怪傑ハリマオ」「笛吹童子」など。海沼さんについてはどこかで触れています。長野の出) 

                                                                                 ● みかんの花咲く丘= 日本の唱歌の題名。作詞:加藤省吾、作曲:海沼実。発表年は1946年。2007年、文化庁と日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定された。(デジタル大辞泉プラス)                                                                 (蛇足 この曲を作った海沼さんの家族(実氏の後妻となった方)と、ほんの少し因縁がありました。ぼくの唱歌・童謡好きの傾向に拍車をかけてくださった)

川田正子歌「みかんの花咲く丘」:https://www.youtube.com/watch?v=Ddp6ZMtll18

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徒然日乗」(203~209)

◯ 2023/05/21・日 = 庭仕事は中止。かみさんは外出。気温は上昇したというほどでもなく、しかし湿度は高く、まるで「梅雨入り」の時期のよう。沖縄はすでに梅雨入り。こんな田舎にいても、電源さえ確保できれば、都会暮らしと同じか、それ以上に不自由のない生活ができる。いいことかどうか、一概には言えない。ネット時代の余得か、悪影響か。それはまた、スマホに代表されるAI 時代のもたらす弊害でもあるが、とにかく、いかにも「殺伐」とした風潮が蔓衍していのが、嫌でも目につく。「人情」というものが、ねこそぎ芟除された感がある事件や事故が多発しているのも、「時代の波」なのかも知れぬ。その「波」に人心が洗われ、弄ばれているのだ。▲ 広島サミットが終了した。わざわざ広島で、なんのために?「核廃絶」も「LGBT」問題も、あるいは「少子化」問題などについても、現総理の口から話されたことを耳にしたことがない。まったくの愚図で、完全に「官僚の言いなり(傀儡)」で、まるで腹話術の人形よろしく、いかにも耳障りな、しかも口当たりのいいことを吐き出して(言わされて)いるだけ。「自衛隊車両」の供与をウクライナに申し出たそうだ。やがて、各配備も言い出すだろう。「核保有」を前提に「核廃絶」という、この矛盾を矛盾と考えられないところに、この現総理の「狂気」がある。これこそ「売国の徒」だと思う。いい加減にしてもらいたいね。定見もなければ、節操もない、それが、この輩だろう。(209)

◯ 2023/05/20・土 =  少しばかりの買い物に出たほか、終日自宅に。天気の具合はよくない。ネットで色々なものを見ては暇つぶし。「Tansa」という小さな「探査報道」集団の記録をいろいろと見たり読んだり。極めて少人数の大勢で、体当たりの活動をしている。編集長(代表)のW さん。さまざまな経験をした挙げ句に、この「探査報道」集団を立ち上げた。マスコミ、ことに「報道」が厳しく批判されているおり、この集団に寄せる期待は大きい。できる範囲でサポートして行きたいと思っている。(208)

◯ 2023/05/19・金 = 屋根と樋の掃除を始め、枝の切り落としと掃除を始めて一時間もしないうちに降雨。昼過ぎに作業を中断。結果的には中止。雲行きは怪しく、降り出しそうではあったが、持ちこたえてくれないかと願いながらの作業ではあった。かなり激しく振り、無理をしない小生の心持ちを刺激したのだ。それでも、西側テラスの部分の屋根と樋の掃除は、大雑把ながら終了した。大屋根の枯れ葉もほとんど(西側だけ)終わった。まだまだ緒についたばかり。沖縄は梅雨入りの気配。(207)

◯ 2023/05/18・木 = 本日は体力回復日で、庭作業などは中止。とんでもなく暑い一日でした。▲ 昼頃にネット上でとても衝撃的な事件が流れた。歌舞伎役者のI さん一家で凄惨な時間が起こったと言う。両親は早い段階で死亡が確認され、I さんは意識はあるが、もうろう状態で病院に搬送されたと言う。▲ この日、I さんの「強烈はハラスメント事件」が報道された。折しも、J事務所問題と全く同じような構図で、長年にわたり性的暴力がI さんによって行われていたと言う。(206)

◯ 2023/05/17・水 = 朝6時半ころに「空き缶」を収集所に持っていく。ペットボトルは、たくさんありすぎて、これは近所のスーパーの回収ボックスにでも持っていくことにする。本日の昨日の続き、伸び切ったヒノキやスギの枝の切り落としと、雨樋や屋根の掃除。隣が竹林だから、その根茎が庭にまで入りこんでいる。それを苦労して掘り起こし、少しずつ除去することも重ねてやる羽目に。今季も、庭のあちこちに、気がつけば、四、五本ほどの竹が突然出現した。五メートルもあったろうか。なかなか気が付かないで、ある日突然視野に入って驚くのだ。そんなこんなで、毎日庭に出てはいるが、何も丁寧に見ていないことに気付かされている。本日も、屋根にかかる檜の枝を切り落とした。手作業であり、道具もすべてがおもちゃのようなものばかりで、本格的な作業にはならない。二時間ばかり進んだところで、体が疲れ切ってしまった。測りはしなかったが、気温は三十度を越えていたと思う。大変な猛暑で、日陰の作業を選んだつもりだったが、とても続けられなくなった。後始末をして本日の作業は終わり。樋の枯葉などの除去も半分以上が残った。でも、無理をせず、頑張らないで、やれる範囲で、そんな調子で明日以降も。(205)

◯ 2023/05/16・火 = だらしないことだが、昨日、庭仕事に精を出しすぎて、いささか疲れが残っていたので、本日の作業は中止。本当に体力も気力も衰えたと実感する。定例の、朝六時半頃の「生ゴミ」出しも中止。さらに、明日(水曜)はカンとビンの回収日で、いつもなら前日に収集場所(近所のT さん宅)まで持ち込むのだが、それも中止。昼前から、檜の枝下ろしと樋に詰まった枯れ葉や土の除去に向かう。この一年以上は屋根に登らなかったし、枝下ろしもしなかったので、屋根や雨樋の中の枯葉などの堆積は相当なものがあった。本日は、全体の半分程度で止めた。チェーンソーがあるわけでもなく、ごく普通の小さなのこぎりを使って、地上五メートルほどのところの枝をはしごにまたがりながら、切り落とす。屋根に覆いかぶさっているので、注意していないと「大きな枝」が屋根を直撃しかねない。暑さが強くなってきたので、午後二時半ころに一旦終了。切り落とした枝や、枯れ葉類を始末し、いずれ折を見て焼却することにする。(204)

◯ 2023/05/15・月 = 午前と午後、計五時間ほど庭仕事。植木の剪定、花壇(野菜畑にも)作りなど、加えて除草したものや切り落とした枝葉などを焼却。気温がそれほど上がらなかったから、思いの外長時間になったが、終わってみれば、相当に疲労が生まれていたことを実感した。まだまだ、庭の整理ができないままで、また新たな草が生えてきている。この年齢になって、なんと持久力が失われてしまったかとか、そぞろ骨身に響くのだ。(203)

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 「遺伝子組換え」情報の操作を撃つ

 小雨が降っています。早朝四時すぎ。この雨の中、猫たちは外出している。帰宅しないのもいれば、朝から飛び出すものもいる。仕事部屋には子猫が二つ。暴れまわっている。この駄文を書こうとしている小生の頭から背中から、飛び回り、疲れたのか、膝の上で寝ている。猫屋敷の一日は、早朝三時から四時に「給仕係」が起き(起こされ)て、食事をやり、猫トイレ掃除(三箇所)を済ませ、飲用水(三箇所)を取り替えて、猫たちが散らかしたゴミを始末し、…。あっという間に時間が経つ。毎日、変わりないル-ティンワーク。面倒で大変なこと。サボれないのは残念だが、それを承知で猫と暮らしています。

 ヘッダーに掲げた写真は「著莪(しゃが)」です。早くからぼくは好んでいたもの。アヤメ科の一種で、種を持たないが、根茎で増殖する。今が最盛期、庭にも林の中にも元気に、静かに咲いています。アヤメほどの華やかさはないところが、ぼくには好ましい。日陰に咲くというところなども、もっとも好きな部分だ。原産は中国。列島にも古くから植生を形成してきた。この「優美な花」は一日で枯れる。子(種)どもを作らない「三倍体」のため。面倒を言うと際限がありません。生物の細胞の固有体数には「半数体」「一倍体」「二倍体」「三倍体」「四倍体」等があるが、二倍体と四倍体から人工的に作り出したのが「三倍体」で、「種なしスイカ」や「種なしブドウ」などがそれです。「シャガ」が三倍体である由来(根拠)は知りません。種がないのは「食用」には便利だが、だからといって、何でもかんでも「三倍体」がいいかというと、けっしてそうではないでしょう。「少子化」は、この減数分裂と無関係なのかどうか、ぼくにはわからない。

● 三倍体(さんばいたい)= 細胞の染色体の基本数の3倍の染色体数をもつ倍数体をいう。主として植物に限られ、四倍体の植物と二倍体の植物を交雑することによって得られる。自然でも三倍体の植物ができる場合があり、ポプラの三倍体は山火事が原因でできたといわれているが、人為的処理で比較的容易に得られる。「種なしスイカ」はこれを応用したもので、普通の二倍体のスイカをコルヒチン(アルカロイドの一種)で処理して四倍体の品種をつくり、これを母親として普通品種の花粉を交配させて三倍体の種子をつくる。これを生育させてから花に二倍体の花粉を人工交配すると、その実は種なしとなる。一般に三倍体は二倍体より大きく、発育も盛んであるが、減数分裂が不規則なため、不稔(ふねん)性(種子となるまでの過程における異常)となる割合が高いので、挿木などの栄養生殖によって繁殖させる。(ニッポニカ)

 一時期、「万能細胞」や「ES細胞」などが大騒ぎになりました。生命の根源を解き明かし、生命の神秘解明への決定打とまで言われ、生命維持の「特効医療」と持て囃されたからでした。騒ぎは収まったが、今では医療の現場で、この技術を巡って驚くほど多くの医療関係者が「鎬(しのぎ)」を削っています。また「デザインベービー」なども、話題にならないほど、今では当たり前の医療技術になったということでしょう。バナナをよく食しますが、これに「種」がないことがどんなに食べるのに楽ちんかと、時に思うことがありますが、冷静に考えれば、「三倍体」のせいでもあったのですね。細胞への細工が実に巧妙になり、今では食品のかなりの部分が「遺伝子組み換え」細胞(生物体)からのものです。食糧難の折から、大歓迎という向きがある反面、未知の領域に踏み込んだ結果が憂慮されてもいます。魚類・貝類でも(かなりの範囲で)「養殖」が普及しています。この他、相当に早い段階からさまざまな領域で「生殖技術」の応用がなされてきました。(「遺伝子組み換え」食品は危険だとか、一切口に入れないというのは簡単です。でもどれがそうでどれがそうではないか、専門家でさえ分からないように、見事に混入され、気がつけば、すべてが「遺伝子組み換え」ばかりということが現実のなろうとしているのです。人間は「畏れ」を知らないフリをして、怖いことをしている。やっている当事者は、その食品を口に入れない。人間の人間に対する「ジェノサイド」のようではないでしょうか。科学といい技術という、その「善用」は、時により人によっては「至難」なんですな。

 「試験管ベビー」の誕生は1978年のこと。イギリスの医師たちが「成功」した。もちろん、いまでもその授産方法は続いています。また親と同じ遺伝子を持った「クローン羊」(ドリー)誕生が一大センセーションを起こしたのは1996年、イギリスで「成功」した。このような「遺伝子操作」は、昼夜を徹して世界中で行われ、あるいはかなりの広範囲で実用化されているはずです。世の中は、「人工知能」だの「対話型AI 」などと今更のように驚いているふりをしてますが、科学技術の応用では、実際はもはや引き返せないところに人間は足を踏み入れているのだと気がつくべきでしょう。科学というより科学技術、技術というよりは工学、そんな領域での技術の駆使で、わたしたちは「効率」「便利」という単純化された「価値観」で、身も心も「能転気」にさせられてしまっているのです。

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 毎日のように「徒然草」や「方丈記」などを読んでいます。読む理由は、取り立てて言うほどのものはない。「人情」「人事」というものの「不易と流行」を知るためというのはいかにも取ってつけたようなもの。人間は愚かで賢い、あるいは、卑小でもあり偉大でもある、そんな「どうでもいいこと」を実感するために、歴史の時間の中で愚考してみたいということであるのでしょう。

 (「シャガ」は三倍体というところから、えらい話になりました。「食料受給率」の低いこの島社会、食品の大半は輸入に頼っています。そこでは、しかし、とんでもない陰謀(絡繰)が企てられている、その問題を考える一助になるといいですね)

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*参考までに 「――となると、私たちも遺伝子組換え由来の食品を口にしているということでしょうか。 纐纈 はい。実は、日本は世界でもトップクラスの遺伝子組換え消費国なんですよ。国内では遺伝子組換え作物の商業栽培が行われていません。けれど、日本はそもそも自給率が低く、大豆やとうもろこしなどのほとんどを、遺伝子組換え作物の栽培が盛んに行われている国々からの輸入に頼っていますから」「纐纈 国ごとに制度の内容は異なります。遺伝子組換えに関して世界一厳格なのはEUの表示制度でしょう。消費者の権利意識の強いEUでは、DNAやたんぱく質が残らないものも含め、配合比によらず、全原材料に表示義務があります。韓国では、日本と同じように、DNAやたんぱく質が残らないものは表示対象外ですが、義務表示の範囲は、以前は「上位5位まで」だったのが、2017年に「すべての原材料」へと広がりました。台湾も最近、制度を改正し、EUの水準に近づいています。日本だけ取り残されているような状況です」(「KOKOCARA」:https://kokocara.pal-system.co.jp/2018/11/19/gmo-labeling/)(この問題は、いつか触れてみたいですね)

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徒然日常(196~202)

◯ 2023/05/14・日 = 終日曇天。風もあった。「春寒料峭」などという古い言葉がでてきた。もちろん、立春後、いくらもしない時期の「寒の戻り」を言うのが本来だったと思う。五月も半ばになって、なお「寒の戻り」もないものだろうその直前は何日も「夏日」が続いた。これまでの通りには、気象現象が生じていないことがその第一の理由で、いわば「気候変動」の大いなる影響とも言える。気象(気候)というからには自然現象だが、その現象に「異変」をもたらしているのが「変動」の根底にあるし、その大半は「人間の経済活動」によるものだ。人間が生きている限り、さまざまな弊害を自然環境にもたらす、その極北が、いわゆるCO2の排出であることは周知の事実。まるで大酒飲みが、これ以上飲むと「肝臓」が壊されると医者から忠告を受けながら、「これくらいなら」と、卑しい飲み方を続けているうちに、案の定「肝硬変」「肝臓癌」に見舞われたという、呑兵衛の卑しさに類似している。それが人間の経済活動の「不摂生」「不養生」、そここまで来ても、まだ「禁酒」出来ないというのは完全な中毒患者ということになる。いたるところで重度の「アルコール依存症」者が充満しているのだ。地球環境の「致命傷」になっているのに、手を変え品を変え、飲酒を続けるという「不道徳」のきわみ。(202)

2023/05/13・土 = 午前中、買い物。近所のスーパーへ。いつも行く店は千葉で生まれた会社が経営。極めて小さなスーパーで、顧客は近間の住宅街の住民がほとんど。だから、どんなに混んでもたかが知れているし、ぼくが出かける時はまず、レジで並んだことがない程度の空き具合。ぼくは何事によらず、並ぶのが大嫌いだから、ここはうってつけ。しかも、値段は大手スーパーよりも安い方。いくつかの点で、短気な人間には格好の店。これまであまり関心を持っていなかったかもしれないが、結局は「地産地消」というキャッチコピーに沿った買い方をしていることになる。野菜でも魚でも、あるいは肉類にしても、ほとんどは千葉県産だ。それで不満も不足もないというもの。かみさんにしても、あまり手の込んだ食事は作らないようにしている。しかし、それでも手作りが主眼。猫がたくさんいるので、近間とはいえ、家を空けて外食もできなくなった。寿司や蕎麦の店が近くにあり、週に一回は通っていたが、コロナ禍もあって、この二年ほどはまったく出かけなくなった。ここは少し工夫をして、少しずつ旧来の習慣に戻りたいもの。(201) 

◯ 2023/05/12・金 = 終日家の中にいる。珍しいことだ。何をするでもなく、時間が無為に過ぎてゆく。兼好さんを読み出して何年になるか。「徒然草」も何度読んだことか。読むほどに、人間や人間社会の「不易」「普遍性」を痛感する。時代とともに変わるように見られるのは、表面のこと。根底においてはまず変化はしていないと言うべきだろう。まるで大河の流れのよう。感情や情動においては尚更、「普遍」だと言いたい。兼好さんが残した文章を自分流に読むのだから、思い違いや理解の不行き届きもあろう。でも、読んで「なるほど」と共感できるのは、時代を越えた「人間の変わらなさ」において、ぼくもその一部分であるからだろう。兼好は「人生の達人」と兼好研究者まで言う。異なことだ。本格的に研究していないから断定はできないが、足利尊氏の参謀(執事)だった武闘派の典型のような高師直(こうのもろなお)に親炙したと言うのは兼好のどんな部分を語っているのか。生涯を闘いに明け暮れた「香具師」のような師直に、しかも晩年になってまで接近していたことはもっと研究というか、調べられていいだろう。そんなことを漠然と妄想して日が暮れた。(200)

◯ 2023/05/11・木 = 夜九時ころ、T さんから電話。少し前に依頼していた「子猫をどうですか」という小生から問い合わせに、依頼先の同君勤務の高校卒業生から「無理でした」という返事があったとのこと。面倒をかけたことをお詫びして、なお感謝の気持ちを伝えた。おそらく、子猫(二つ)は家で育てるハズ。かみさんもそのつもり。数が増えて大変だが、緊急避難であれば仕方がない。我が家の近所に「捨てる」者がいるというのだから、今後のことも含めて、根本的な対処法を考え続けなければならないと思っている。▲  京都の姉から電話あり。昨日の地震の見舞い。また、明後日は「入院」すると言う。以前に手術した部分にまた「ポリープ(癌?)」のようなものが出来ていたので、それを切除するためと言う。自宅近くの桂病院で。娘が勤務している。無事に手術が終わることを願っている。彼女は八十一か二になる。(199)

◯ 2023/05/10・水= 午前中にA さんから封書。卒業生。現在は法務本省に勤務。最近まで群馬県榛名山にある「少年院(実際は少女院)」に勤務していた。ある事情で、ここの入所者たちと交流していたことがあった。かなり前のこと。その大半は「薬物依存症」に罹患していた。二十歳の誕生日に、入所者に宛て、贈り物をしたこともある。その時の所長、N さんにもお世話になった。ここに「薬物依存」等の要因で入所していたY さん、出所後、NGO をと立ち上げ、「依存症」者たちのために社会活動をしているさなか、三十過ぎに「自死」したことがあった。その衝撃(悔しさ)を今も忘れられない。(198)

◯ 2023/05/09・火 = 午前中に銀行へ。キャッシュカードの再発行のため。今年になって何度目か。かみさんが使うもの。名義は小生。暗証番号を三度入力し間違えると、その段階で使用不可となる。どうも、以前の番号が残っていて、切り替えた番号に「リセット」出来ないのだ。その障害が治らないと、繰り返し、古い暗証番号を打ち続けるだろう。記憶力の衰えというものではなく、古い記憶を新しい記憶に上書きできない「記憶(その昔は「把持」といっていた)の保存」の問題だと思う。本人は認めたがらないのは理解できなくはない。実害が、現段階ではでていないのが、せめてもの幸いといっておく。記憶違いというのではなく、上書き拒否の仕組みを、どう受け取ればいいのか。ぼくも他人のことは言えない。いつ何時、「上書き不能」の状態に陥るかわからない。だからこそ、この難関をあからさまな方法で越えたいね。カードを使わないようにするのでもなく、代わりにぼくがカードを使うというのでもなく、本人自身が使いたい時に、問題なく使える、そのための練習を、今、やっていると考えている。(197)

◯ 2023/05/08・月 = 午前中までは降雨。こんなに長時間、しかも大量の雨を降らせた前線や低気圧も、お昼ころまでには東の海上に抜けたようで、陽も差すようになってきた。しかし、庭作業は本日も中止。▼ いつもなら、本日の朝には「徒然日乗」をアップする予定であったが、イギリスの「国王戴冠式」の報道に誘われて、いささかの「雑感」を述べたくなったので、習慣を破って、前一週間の「徒然日乗」は火曜日にまわすことにした。(196)

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 弾くものと聴くものの「阿吽の呼吸」だ

 最近、この雑文集録のどこかで触れた「ストリート・ピアノ」について。たくさんの方々が各地各場所に設置されたピアノに向かわれています。ぼくはほとんど外出をしないので、現場でその「ライブ」を視聴することはありません。しかし、時代の賜物である「動画配信」によって、いつでも好きなだけそれを楽しむことが出来ます。いくらかを覗き見た程度でしたが、ぼくには忘れられないピアニストがおられました。女性です。早くから母親の手ほどきでレッスンを受けられ、それなりの芸術の道を求められていたと言う。その背景は知りませんが、彼女の動画配信のタイトルが「人生を変えたストリートピアノ」というもので、ぼくはとても気になった。配信を始められてからまだ二年は経過していないようですが、ときには、三年以上も前の「ライブ演奏(動画)」もあり、この間の「ストリート・ピアノ」への向き合い方の変遷(というほどのものではないでしょうが)が見て取れ、あるいは聴き取れるのが、ぼくにはとても嬉しいのです。これは、あるいはひょっとして、音楽の新しい地平を開いているのかもしれないと、固唾(かたず)を呑んで見ている、いや聴いている。

 若い頃から、好奇心と暇ばかりは余るほどありました。大学生になった頃、西洋音楽の深さを知り、白昼夢のように「音楽の勉強」をするために大学を入り直そうと考えたこともあった。小説も書いてみたい、学校の教員にもなってみようかと、人並みか、それ以上に「夢多き」あんちゃんだった。そのいずれもが「見果てぬ夢」どころか、夢をすっかり忘れた「風天・風癲」となり仰せてしまいました。それで人生に失望したかというとそんなことはなかった。ぼくは「人生の大望」など持とうとしたことはなかったからです。夢を持てば、それが成就しなかった時の落胆は大きいのでしょう。それを知ってか知らずか、ぼくはささやかな昆虫のような生き方を願っていました。それでも、二十歳代から二十年程は、いわゆる西洋古典音楽(クラシック)を聴き漁り、バッハやその時代のあらゆる分野の音楽を聞き齧っては、一端(いっぱし)のファン(愛好家)気取りで生きていました。

 糊口をしのぐための生業を片手間に続けるわけにもいかず、単なる趣味の範囲で音楽との付き合いが続いていきました。やがて、五十にもなろうかという頃、ぼく自身の気持ちのマンネリが嵩じて、古典音楽の「博物館的性質」にも影響されて、ほとんど演奏会には行かなくなりました。もちろん、レコードは毎日のように聴いてはいましたが、所有していたレコードの大半も処分し、ごく少数の演奏家のものだけを人生の伴奏音楽のように聴き続けました。その代表音楽家はグレン・グールドというカナダのピアニストのもので、すでに半世紀以上も親しんできた。いつも奇異に感じていることに、音楽界にはどうして「コンクール」が多いのだろうということでした。「若き才能の登竜門」とかなんとか称して。(同じ様に、文学の世界にも掃いて捨てるほどの「なんとか賞」があります。多くの作家の卵や雛たちは「文学賞」オタクのように刻苦勉励しているさまを見て、ぼくには出来ないな、出来なかったなあ、と改めて思い返したりしている)

 例えば、もっとも有名なものに「ショパンコンクール」があります。このコンテストの優勝者たちの大半をぼくはレコードなどを通して聴いてきました。受賞直後は華々しいが、何年か経つと、その多くは(ぼくの勝手な意見・感想)干からびてくる。水気が足りなくなっているのが素人のぼくにも分かるのです。また、コンクールでは二位や三位だった演奏家が、じょじょに輝いてくるのを目撃したことも度々でした。つまり、演奏や演奏家が「消耗品」扱いされている状況が目に付いてきたのです。使い捨て、使い捨てられ、それが「名を成すことか」といいたくなるような惨状だと言ってもいいでしょう。(これは、何十年も前の経験です。勤め先の学校に「ベルリン・フィルのチェリスト」たちが大学で行う演奏のためにやってきました。その際、ぼくは依頼されて、彼らの演奏会の曲目等の解説を書くようになりました。出来上がったのはいい加減なパンフレットだったが、彼らの話を聞くことが出来た。「今日もベートーベン、昨日もベートーベン」とうんざりするように話したことが忘れられない。当時の常任指揮者は「帝王カラヤン」だった。彼のような演者は、今日ある音楽の「頽廃」を招き寄せたと言っても過言ではないでしょう)

 少なくとも二百年三百年前の作品を連日連年演奏し続けるのですから、それも決められた作品群を有名無名の演奏家や演奏団体が演奏するのですから、どうしたって、奏者も聴き手も「ルーチン」に陥ることは避けられないのかもしれない。ぼくの聞く(ときには聴く)音楽はジャンルを問わない。耳に届いて、なにかのメッセージがあると感じられれば、それがぼくの「音楽」。いつしか「西洋音楽」は裃(かみしも)をつけたまま博物館入りしてしまったように思った途端、考古学の対象になった気がしました。それを好む人がいてもかまわない。歌舞伎や狂言に感動する人がいてもいい、「人形浄瑠璃・文楽、最高だな!」という好事家がいなければ困るでしょう。でも、ぼくは、日常生活の明け暮れの伴奏のように音楽を聴きたいと、さらに強く思うようになりました。

 その一つが「ストリートピアノ」(それだけではなかったが)でした。たくさんの演奏家の中で、「IISHOU」というピアニストに惹きつけられています。彼女のタッチした音たちには、生来の膨らみと温かさがある。どなたが出しても、同じ一音です。でも、誰とも異なる「血の通った一音」のようにぼくには聞こえる。手首だけの音(鍵盤)さばきではない、全身を行使した「音使い」だとぼくにはわかります。ジャズで言うと、体がスウィングいているのでしょうね。これ以上喋ると、さらに的外れになりますから、止めておきます。今日、演奏行為はいろいろな制約(それは、一面では著作権者の権利の擁護でもあります)に囲まれています。その「是非・善悪」を言っても始まりません。「音楽教室」の子どもたちの演奏にも、カラオケの利用にも著作権料が発生(と主張される)する時代です。権利の問題を曖昧には出来ませんが、それ以上に「演奏活動」が必要以上に制約されないような「法」の運用、あるいは法改正を望みます。もちろん件(くだん)のピアニストの自作曲にも素晴らしいものがあります。ぼくが好むものは「万華鏡」、メロディが哀切を漂わせるところは、とても感心させられます。カヴァーもいいけど、ね。

 誤解されそうですが、「こんなところでピアノを弾くような人じゃない」という言い方があるとしたら、それはまちがいでしょう。ストリート・ピアノという「演奏会場」、それは「現場(会場)」にいる人はもちろん、配信動画で聴く聴衆にも開かれているという点では、博物館や音楽ホールの比ではない、音楽解放の可能性を開くものです。「あなたこそ、ここで弾いてくれなければ」(ちょっと大袈裟ですが)、そんな時代を歩いておられるのではないですか。昨晩も「一時間半の実演(録画)」を堪能しました。「一期一会」と言うのは、ささやかな出会い、些細な邂逅に「交流」という血液を感じ合うことができる人びとの経験を言います。

 「コンクールに勝つ演奏って、あるんだ」「コンテストで評価される練習法が、これ」そんなことを感じさせる演奏家に不満をつのらせて来た老人の戯言です。好きになれなければ、名演奏家のものだって騒音だし、飢えていれば、渇を癒やす泉の水になります。豚に真珠って、どういうことですか?

*「人生を変えたストリートピアノ」:(https://www.youtube.com/watch?v=hoJm3A5U9us&ab_channel

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 Listen to music, and be moved. It is something that is born between both the player and the listener . It is due to the work of the senses common to both.(satoshi)

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 徒然日乗(189~196)

◯ 2023/05/08・月 = 午前中までは降雨。こんなに長時間、しかも大量の雨を降らせた前線や低気圧も、お昼ころまでには海上に抜けたようで、陽も差すようになってきた。しかし、庭作業は本日も中止。▼ いつもなら、本日の朝には「徒然日乗」をアップする予定であったが、イギリスの「国王戴冠式」の報道に誘われて、いささかの「雑感」を述べたくなったので、習慣を破って、「徒然日乗」は火曜日にまわすことにした。▼ 就寝前に、また「ストピ」を聴いている。何度目だろうか。同じ演奏家の同じ曲目。「未知との遭遇」にはスリルとサスペンスがありますな。人は音楽を求めている。(196)

◯ 2023/05/07・日 = 終日大雨。昨夜来、降り続け、大変な雨量のようだ。一歩も外出しないで、屋内にとどまる。降雨量も多いが、当然屋根から樋に落ちる量も大量で、とても受け止められないで、いたるところで樋から溢れ出している。敷地内の方々に「水溜り」が出来ている。土が固くなり、水捌けが悪くなったことによるだろう。地面に落ちた雨水の逃げ道も作る必要がありそう。(195)

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◯ 2023/05/06・土 = 十日ぶりの猫缶買い出し。このところ、十日に一回の割合で購入しようとしてきた。それまでは週一では足りなかった。その分、乾燥食品などを与えて、様子を見ていた。さらには煮干しなどの小魚も「おやつ代わり」に与えている。食料品の値上げはかなりなものだが、猫の缶詰に至っては驚くばかりの高騰。物みな値上げの時節だが、それにしても三割四割の値上げはひどすぎる気もする。▼ このところ、庭仕事にエネルギーを使ってきたので、本日は、南の風も強く、中休みにした。屋根樋の落ち葉の除去・掃除も残っている。このところしばらくは手入れをしていなかったので、量的にも大変なもの、本格的な梅雨入り前には終わらせておきたい。(194)

◯ 2023/05/05・金 = 久しぶりに長時間の庭作業をした。午前十時ころから初めて、午後四時すぎまで。その間に枯れている竹を整理し、伸び放題の孟宗竹も、十数本は切った。この竹切りで面倒なのが、枝落とし。交互に生えている枝をていねいに取り除かなければ、竹細工の材料にはならない。今回はたくさんの太い竹を切って竹の簾(すだれ)のような「目隠し」をいくつか作ろうとしている。切り取った枝葉は燃やすのだが、これもなかなか面倒な作業だ。炎天下の作業で、予想外に体がつかれた。また、水分補給も本格的な夏の気分で、たくさん取った。気がつけば、明日は「立夏」だ。(193)

◯ 2023/05/04・木 = 午前中に横浜に住んでいる娘から電話。「今から行ってもいいか」という。「どうぞ」といったが、高速(アクアライン)は避けたほうがいいだろう、と。二時ころにでも来るかと思ったが、三時になっても来ない。途中で連絡が入り、「アクアラインが大渋滞」と言う。ようやく到着したのが四時ころだった。彼女は、まだ、また「若葉マーク」、早い段階で免許を取ったが、引っ越しを繰り返している間に「更新忘れ」で失効した。再度取ったのが昨年だった。小六の孫も同行。「夫婦は他人」を実地中。少し遅くなって七時ころに帰宅した。夜の十時すぎに「家につきました」と連絡あり。(192)

◯ 2023/05/03・水 = 午前中に庭の掃除や、伸び放題の竹などを整理した。そこに 隣家の I さんが来たが、猫のことは一言も言わない。まったく関心がないようだった。家に保護した「二人組」をどうするか。昨年の8月にたくさん生まれた子猫たちを世話してもらえないかと話をした人の一人、二人に事情を話して「保護をしてもらえないか」頼むことにした。娘の友人が昨年、拙宅まで見に来た。生後、時間が経ってやや大きくなってしまったので、今回は無理ということになった。その友人の都合を訊いてもらったら、「二匹、すでに誰かに譲ってもらった」ということだった。もう一人の知り合いに依頼している。▼ 庭の草取りや花壇などの整理を続けている。始めてから日にちが経っている。案の定、はじめに手を付けたところの草が生えだしている。除草剤を使わない理由は単純で、猫たちの遊び場だということと、草を根こそぎ枯らしてしまうと、見た目はきれいになるが、土が固くなる。庭の用をなさないからだ。畑なども土を柔らかく保つためにはけっして根こそぎ除草していないはず。というわけで、生えたら取る、取ったら生える、そんな「イタチごっこ」を何十年も繰り返している(191) 

◯ 2023/05/02・火 = 昨日の続き。夜中も家の二代目の車止めのところで鳴いていたとかみさんはいう。I さんの家の「野良猫」の子ではないのではないかという疑問が湧いた。おそらく、家の近くの林に「捨てられた」のかもしれないと思った。かみさんは正午過ぎ、出かけるので、車に乗ろうとしたら、二つの子猫がエンジンルームに逃げこんだ。ようやくのことで一つを捕まえ、家の中に保護した。もう一つが、車庫と書庫の間の空間の奥に逃げ込み、容易に捕まらない。結局は、そこに放り込んである荷物類を取り除けて、ようやく捕まえられたが、二時間近くかかった。この子も家の中に。猫砂を入れたトイレを用意し、ぼくの仕事部屋に置くことにした。なんと、しつけもなにもしていないのに、トイレに自分で入って、きれいに始末している。いよいよ、「捨てられた」という思いが強くなった。(190)

◯ 2023/05/01・月 = 昨日の午前中に気がついたのだが、車庫横の生け垣の中に子猫が三つ鳴いているのが見えた。隣の I さんの家の猫が三月にでも産んだのだろうと考えて気にしなかった。ところが、今朝も隣の竹林で鳴いているのが聞こえた。そこに I さんが筍掘りをしているところに出会ったので、子猫のことを訊いた。「知らない。うちにいるのは野良猫だから」と、意外な返事だった。彼の家の縁の下に住みつき、毎日食事を与えているのだから、当然、「猫を飼っている」という意識があると思っていたのに。眼の前の子猫も、やがて「餓死するだろうから」と、驚くべき口ぶりだった。食事(餌)は与えているが、いったい、何匹いるのかさえ、知らないというか、関心がなさそうだった。▼ 夕方六時すぎに買い物に。自宅前まで帰ってくると、前の会社の人(昨秋移転してきた)が話し込んでいる。その脇を水が流れていた。「子猫が車の下に入っていて、知らないで轢いてしまった」ということだった。死んだ子は埋めたと言う。「また、こんな事があれば嫌だから、行政に連絡して、始末してもらう」と息巻いていた。二匹の子猫を捕まえようとしたが、なかなか逃げ足が速い。とにかく、林かどこかに隠れたところで、会社の人たちは帰っていった。どうするべきか。思案のしどころだな。明朝にでも考えることに。(189)

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 「強いられる孤立」の時代

 本日は五月朔日で、「メーデー」です。「毎年5月1日に行われる国際的な労働者の祭典。1886年5月1日、米国で行われた8時間労働制要求のゼネストとでもデモが発端。1889年の第二インターナショナル創立大会で決定し、1890年から挙行。日本では大正9年(1920)に第1回が行われ、昭和11年(1936)以降禁止されたが、昭和21年(1946)復活。労働祭。五月祭」(デジタル大辞泉)「労働者の祭典」というのは「悪い冗談」のような時代状況です。さらに、この国では現役総理が連合の中央メーデー会場に参加するという、呆れた事態を許しています。「連合」という偽善団体の右寄り路線の成れの果て、そこには労働者の権利を守ろうという姿勢の根っこが腐食しているのが手にとるように分かる。しかも、総理大臣の都合で、日程も朔日ではなく、前倒して行われた。保守党寄り、政権党寄りを企んで、ついに「連合」は瓦解寸前です。いや、とっくに壊されているよ。

 若い頃は、何度もメーデー(のデモ行進)に参加した。東京の都心を何キロも歩いた。同僚たちといっしょに、あるいは単独行で。もちろん、労働者の権利を守るという姿勢の現れでした。ぼくの場合は「シュプレヒコール」などということはしないで、歩くばかりでした。新宿の町中を行進していて、後輩に声をかけられたこともしばしばでした。「組合」の組織率も年々低下現象をを示しています。いろいろな背景がありますので、簡単にはその当否は言えません。しかし、一人では無力であっても仲間と肩を組めば、何かしらの成果はあるし、仲間同士という連携が意味を持つことはあるのです。「孤立無援」という主義とも主張、あるいは悲観とも悲嘆とも言えないような、曖昧な政治姿勢が話題になったこともありました。高橋和巳という作家の『孤立無援の思想 全エッセイ集』をよく読んだこともありました。連帯が盛んに叫ばれていた時代、却って人々は「孤立」の境地に置かれていたのではなかったか。早逝した作家の「思想と実践」を学ぼうとしていた時代でもありました。(今では、多くの人にとって、ほとんど忘れられた作家ですね。ある種の「時代の申し子」のようなところのあった中国文学者でもあり作家でもあった。三十九歳の生涯でした)

 孤立も無援も、ぼくには無関係と高を括っていた時代があったかどうか。なかなかむずかしい問題です。「絆(きずな)」という流行り言葉が、まるでこの社会の「愛(合)言葉」のように使われてきたし、今も使われている。好きな言葉ではありません。その昔なら、「孤立を恐れず連帯を求めて」とでも表したところでしょうか。集団には何がしかの「接着作用」が働いていたし、その接着作用が有効であるものを「集団」と称していたのでしょう。だが、単独者が、単により合っているだけ、まるで都会の交差点で信号待ちをしている群衆のような、なんの繋がりもない人々の一瞬の固まり、信号が変われば、雲散霧消する、そんな儚さが今日の集団・社会につきまとっています。家族集団ですら、その「儚さ」から逃れられません。親子は他人の始まりだったか、あるいは夫婦は他人の始まりだったか。血縁・地縁も含めて、集団の接着剤の役割そのものの有効性が薄れているのが現代でもあるといえるでしょう。その社会・集団は「弱肉強食」であり、「優勝劣敗」「適者生存」を梃子(てこ)にして駆動させられている、まるで「動物集団」のような荒々しい秩序状態、そこへ、人智のまがい物でもある「AI」なる怪物がその中心部分を侵食しだしているのです。嘗てない危機、と言うほど、ぼくは長生きをしていませんから、単なる感想でしかないのですけれど、人間が人間であることを否応なく変質させられている時代・社会でもあると痛感します。

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 五月(皐月)の花にはいろいろなものが数えられます。鈴蘭(すずらん)はその代表格。姿形は可憐とも清楚とも受け止められますが、なかなか変わった草花でもあります。拙宅にもあちこちに(こう書くと、いかにも広そうですね)、典雅で可憐な花を咲かせています。上向きではなく、下向きに。それは、「ひたむき」にも通じる花の風情であります。別名「谷間の百合(lily of the valley)」、二百年ほども前に、同名の小説をバルザックは書きました。若い頃には大人の「恋愛」「純愛」物語に興奮しながら、友だちとつまらない議論をしたこともありました。もちろん、フランスの作家バルザックが書いたのは「すずらん」ではなく、文字通りに「谷間のゆり」だった。「赤と黒」とともに、背伸びをして読んだ記憶が恥ずかしさを伴って浮かび上がってきます。谷間の百合は、場合によっては「高嶺の花」を連想させますね。学生時代に、幸か不幸か、そんな「存在」は一人もいませんでした。おそらく生涯にわたっていなかったと思う。第一、ぼくは「高嶺」を見る趣味も習慣もなかったから。身の丈に合った、そう「破れ鍋に綴蓋」、これがぼくの似合いでした。

 「さつき」はもっとも好まれる庭植えや鉢植えの植物でしょう。詳しく言えば切りがありませんが、たくさんの同類があります。ツツジはそのもっとも似通った仲間です。サツキは「サツキツツジ」と呼ばれるほど、よく似た植物で、我が庭にも「玉仕立て」(中途半端なものです)が三十株ほど弱々しく花を開いています。何年か前、近所の知り合いがやってきて、我が拙庭の「サツキ」の貧相な姿に悲鳴を上げたことがありました。彼は半分は農家でもあったので、手入れの行き届かない庭のサツキツツジに驚嘆したのでした。もう少し元気に、花つきもよくしたいと思わないでもありません。やはり、あくまでも「ありのまま)でが本筋と、必要性が感じられなければ、安全な肥料と言えども施さないでいます。サツキもツツジもありますが、その区別はまずしない。違いを言えばいくつかありそうですね。しかし、ぼくに言わせれば、千葉県人と茨城県人の違いみたいなもので、実に取るに足りない、それに興味がなければ、「人間同士じゃん」と言って済ませられますからね。

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◯ 2023/04/30・日 = 本日で「卯月」は晦日。言うまでもなく、時間ばかりが過ぎ去っていく。まるで特急列車なみで、停車駅もないかと思うような急速で、しかし、一体どこに向かっているのだろうか。▼ 深夜から雨模様で、朝方はかなり激しく降っていた。さいわいに、庭仕事は中止。焼却炉の灰もかなり溜まっているので、早く処理したいのが、延び延びになっている。この数日で、木々の葉も茂りだし、鬱陶しいほどに庭が狭苦しく感じられてきた。早速に剪定をしなければなるまい。このところ、春の作業を怠けていたので、特に松の葉の伸びが見苦しいほど大きくなっている。一気には出来ないので、この時期に少し、秋になってから、二度目の剪定で、樹形を整えるつもり。猫たちは大きくなるし、当方は体力も気力も衰えるし、木々はお構いなしに空に向かって伸びだしている。いかにも春(張る)というべきか。今年はまだ「夏は来ぬ」を謳っていないのは、どうしたことか。気忙しいというべき日々が続く。(188)

◯ 2023/04/29・土 = 夕方まで天気が崩れないで、なんとか作業が進み、雑草処理も一定程度は終わった。陽がさすと夏の気温になる。陽が沈むと冷え込みが激しい。少し疲れも出てきて、風邪の症状もあるようだ。ここまで、節制して「コロナ」を寄せ付けなかったのだから、この上は、細心の注意を払う必要がある。汗ばんだ体を冷ますために、半袖シャツ(下着)で少しばかり油断していたのか、頭痛がしてきたし、肩も喉(のど)も痛い。風邪気味と、葛根湯を服用して、なんとか持ち直したと思っている。このところ睡眠時間も不十分で、三時から四時起きが続いている。庭の仕事がそれなりに溜まっているので、なんとか、早く済ませたいと、やや無理を重ねているのだ。無理をしない、慌てず焦らず、それを忘れかけていた。(187)

◯ 2023/04/28・金 = 喋るのも、我ながらうんざりするのが、政治の話。ぼくの経験で、これほどまでに政治家や政治家が軽薄になり、不実なものに思われたことはありません。この二十年間、政治がある種の「独裁」になり、国権の最高機関と称される国会(の議論)が骨抜きになっているのはどうしてか。おそらく、ぼくの実感では、ある時期からアメリカの占領政策が「息を吹き返した」、いや、もっと有り体に言うなら、厳然と戦後を一貫して続いていたのだ。アメリカの属国ではなく、占領地でしかないのが、戦後八十年近くになって一層顕在化してきたと言うべきでしょう。「台湾有事」は「日本有事」と言え、そのように、アメリカから強いられた総理は故人になったしまった。嘘に嘘を重ねて「国防費」の水増し、増額を図ってきたのも、結局はアメリカの強制でしかなかった。「戦争したがる政治家」が、この非独立国を牛耳っているし、その政治家どもを奴隷化しているのがアメリカの権力集団だといいたい。(186)

◯ 2023/04/27・木 = 午前中は買い物や税金の支払いに。あまりいいたくないが、税金は「取られる」のが気に入らないね。そういったところで、(納税の義務)というのだから、否応なしに取り上げられる。江戸以前の状況はよくわからないが、相場は「五公五民」だったとされる。もちろん高い低いは在ったし、地方や土地柄などの差もあったろう。「江戸時代の年貢収取率を表現した言葉。全収穫量の 50%を領主が取り,残り 50%が農民の手元に残される場合を五公五民といい,領主の取り分が 40%で農民に 60%が残される場合を四公六民という。豊臣秀吉は二公一民を基準とし,江戸時代初期には四公六民,享保年間 (1716~36) 以降五公五民になったとされている。一般的には支配区分 (幕領,私領の違いなど) ,年貢収取法 (検見取,定免制) ,時代によって同一地域でも高低があった。ときには高崎藩のように八公二民という高率の例もあった」(デジタル大辞泉)今ならどれくらいだろう。税率もさることながら、税金の使い方の酷さには開いた口が塞がらない。税金を勝手に山分けするのが政治であり、その分け前に与るために政治家になろうというのだろう。世に「公共事業」と言うが、これは白昼堂々と税金を横領する「仕組みこと」といいたくなるほどに、驚くべく収賄・横領の「政治搾取」が大手を振って罷り通っている。税収が増えなければ「赤字国債」と言う名の借金(払うのは国民)を出し続ける。それでいて「恬として恥じない」、そんな政治と政治家が「国防」ならぬ「国亡」に勤しんでいるのだ。(185)

◯ 2023/04/26・水 = 午前中に キャット・フードの買い出し。車で約十分の千葉市内のホームセンターへ。このところ、すこしは缶詰以外のフードを意識的にやっているので、本日は約十日ぶりの買い出し。以前はほぼ五、六日に一回当て、買い出し。来るたびに価格が騰っているのは仕方がないのか。それも三割、四割と高騰している。かなりの部分は便乗だと睨んでいるが。午後には、銀行などに行く。まるでお札に羽根が生えているように、そんな具合に出費が嵩(かさ)む。飛び出さないように戸締まりすることも出来ない。光熱費の高騰も続いている。ガソリンや灯油も高いままだ。こんなに遠慮もなしに物の値段が騰っていくのは、ぼくの経験では初めてとは言わないが、あまりしばしばのものではない。その昔「狂乱物価」などといった七十年代初期も凄(すご)かったが、まだ若かったし、それなりにかみさんも働いていたので、いまほど生活が厳しいという感覚はなかった。今だって、世間並みの生活はできるし、それで十分なのだが、猫もたくさんいることもあって、想定外の苦しい生活が続いている。愚痴でも嘆きでもない、本音。(184)

◯ 2023/04/25・火 = 午前中、自宅前の空き地の道路側の除草をした。これまでは空き地全体(百坪以上あろう)を除草していたが、隣地から侵入してきた竹が林立し、もはや全体を清掃・除草することが出来なくなった。他人の土地でもあり、勝手なことは出来ないので、今後は道路側の部分のみに限定することにした。さらに、東側隣地の竹やぶの部分も除草。我が家の除草も終わらないうちにと思いながら、このところ、町内の人たちがそこいらの道路脇の除草をしているのを見て、知らないふりも出来ないのだ。午後には、少しずつだったが、庭の掃除をした。ようやく半分ほどが終わったというところか。どこまで可能か自分でもわからないが、今年はコンクリート打ちもする予定。ブロックも自家製を使うことにしている。さらにトタン屋根の劣化も激しいので、張替え(乗せ換え)をしなければと考えている。やるべきときにやらないと、一気に仕事量も材料費もかかってくる。(183)

◯2023/04/24・月= 午前中は、草取りの続きなど。まだ、全体の半分も終わっていない。このペースでは、草取りの終わる頃には、最初に除草したところに新たな草の芽が吹き出すと思う。肥料をやり、土を施し、木々の枝落としをするなど、通り一遍の植木仕事をするのも、何十年も続けている作業。楽しいような、面倒くさいような気もする、一種の「座禅」のごとき、修練でもある。▼ 午後一時からT 君の行う「ズーム」に半分(全面的ではなく)ほど参加した。今日は奈良出身の「シンガー・ソングライター」兼「ピアニスト」であるI.S.さんの話を聞こうという主旨。ぼくは数年前から彼女のストリート・ピアノを聞き出して、すっかりその演奏スタイルや、ピアノの技量はもちろん、その音色(タッチ)の暖かさに惚れてしまった。上手に弾くのではなく、心に響く音色とでもいうか。そんな彼女とT 君の対話を横で聴いているだけで、いろいろなことを考えたり感じたりした。なかなか、いい経験(辛いことも含めて)をされてきたと、勝手な思いを持っています。それと、この先どうなるか予測はできないが、「street piano」というもの存在についても、考える機会になった。

 (*この数日後に、「ストリート。ピアノの動画」が削除されたという、ショッキングな知らせが彼女たちからなされた。演奏に使ったカヴァー曲の「著作権侵害」問題によってです)(この問題には、面倒な手続きも必要で、かつそれなりに「計画的な演奏活動」とみなされれば、当然「著作権問題」は無視して通れないことになるのは明らかでした。いずれ、この問題について詳しく考察してみたい)(この部分は五月一日に記す)

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 人生は朝から始まる

 肌寒い朝を迎えています。今朝は三時半起きです。睡眠が不足気味ですが、早々と起きてしまうのは「一日は朝からはじまる」という当たり前の自然現象に従順だから、それだけの理由です。長年の勤め人時代も、大体は三時起床の繰り返しでした。土・日は休むことが出来ましたが、それ以外は、その日の「授業」の準備に忙殺され、家を出るまでパソコンに向かっていたものです。その習慣が、こんな田舎に来て、しかも勤めもない境遇であるにも関わらず、やはり「早起き」ですね。「貧乏暇なし」を地で行っているのです。

 「早起きは三文の徳」といいました。詳しい経緯はわかりませんが、いずれ、為政者が「早起きの勧め」を布告したのかもしれない。早く起きたから、いいことがあるとは思えません。「三文」は極めてつまらないものの例えです。ことさらに早起きが健康にいいというわけでもないでしょう。三時から、時には二時ころから起き出して、何をしているかというと、ラジオを聞いたりパソコンをいじってみたり。大したことはしていませんし、それで「三文の徳(得)」になっているかというと、けっしてそうではない。三文かどうかわかりませんいが、「電気代」が嵩(かさ)むから、当節では「三文の損」ということになろう。でも人生、やたらに「損得勘定」では測れない余得というか、余儀もあるもので、目が覚めたら起きるという「レット・イット・ビー(let it be.)」、あるがままの姿勢、ありのままに生きるという状態を好むということでしょう。

 「不眠」を訴える人が意外に多い。ぼくの知り合いにもたくさんいる。「眠れない」「睡眠薬を飲んでいる」と、聞きもしないのにそういう。ぼくは悲しいかな、「眠ろうとして、眠れない」という経験は一度もない。明日は大事なことがあるからと、いつまでも眠れないということはまったくない。「定期テスト」があるときなどは、普段以上によく眠れました。だから「睡眠薬」は飲んだことがない。「違うだろう」とかみさんなら言いそうだが、実際には、睡眠薬服用の経験はない。かみさんが言いたいのは「酒」です。「浴びるほど呑んだ」と年中言われていました。「浴びるほど」というのは実に大袈裟です。彼女はいつも「お前は何でも大袈裟に言う」と非難しますが、「浴びるほど酒を呑む」というバク食いならぬ、バク呑みはしたことはない。寝ても一時間、起きても一時間です。早く起きて、少し外を歩く。気分がいい。それだけで、「十文の徳(得)」という気分になる。

 「朝飯前」という感覚に、確かに憧れていた。いくつかの使い方があるようですが、一般には「朝飯前の空腹のときにでも、あるいはそれぐらいの短い時間ででもできるような容易なこと。たやすいこと。あさめししごと」(デジタル大辞泉)を指す。そのような使い方を、ぼくもする。若い頃は、徹夜などをさかんにしたものでした。でも、それは大した結果を残さなかったと思う。駄文を書くのに夜を徹するということは年中でした。でも、書かれた文章(内容)がよかった試しはまったくないと、自信を持って言えます。若い時はそれはそれ、ある時期からは「三時起き」が習慣になったというより、三時に起きてする「つまらない仕事」がきっとあったということでした。それが、ぼくの場合は、「授業の準備」でした。それを簡単な、朝飯前の仕事というのは少し乱暴だという気もするが、中身は「大したことではない」というものでしたから、それでよかったのでしょう。

 勤め人時代を懐かしんでいるのではない。嫌なことばかりでしたから。三時に起きて「授業の準備」をし、それをやっつけ仕事で終えると、シャワーを浴びた。酒ではなく、シャワーを浴びる。これは毎日でした。そしてその後で「キツネうどん」を自分で作って食べる。これも毎日のこと。油揚げもうどんもいつも決まっていた。夏ころは「冷やしキツネ」に。作ることは楽しいというか、何も考えなくていい時間でした。その当時はまだ新聞を取っていましたから、それを読みながら「朝食」。かみさんは「ぐっすり」の朝方です。そして、ぼくはほぼ六時半ころに家を出る。まだ、かみさんは寝ている。「人生は朝から始まっているでしょ」そして帰宅するのは、翌朝(深夜一時ころ)が多かった。もちろん、かみさんは「爆睡中」でした。いつまで寝ているんだ? いつ起きてるの?

 他人から、通勤時間をしばしば尋ねられた。いつでもぼくの返答は決まっていた。「行きは一時間十分くらい」「(帰りは)八時間ほど」と。どうしても気分転換が必要で、ゆっくりと「道草」をし、そして江戸から房総まで、大河を三つ四つ超えなければ、気分が切り替わった気がしませんでした。時間がかかることはおびただしかった。そして朝三時には起きていました。睡眠不足は電車内で補ったし、土日などの休日でも取り戻せた。そんな生活を三十年以上も。(終点で目が覚めないで、駅員も起こさないで、また勤め先方面の、もっと先の駅まで運ばれたことは数えられないくらいあった。終電で、電車の車庫内に連れて行かれたこともあった)「浴びるほど呑んでいた酒」は一滴も呑まなくなって、十年経過です。

 ぼくが若い頃に学んだフランスの哲学者は、高校(リセ)の教師でもあった。彼は、毎日の授業に臨む際、子どもたちに「黒板に質問を書いて」と奨励していた。哲学問題に関して、生徒たちは彼に何でも尋ねることができた。それを授業開始前に板書しておく。教室に入ってきた教師は、その「質問」に答えるのを授業の導入にしていた。ある時の質問は「生きる意味があるのか、そんなものはないだろう?」という、青少年にありがちな投げやりなものだった。その教師は、板書の「質問」を消去して、次のように、あらたに書いた。「人生は朝から始まるのだ(la vie commence le matin)」

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徒然日乗(No.175~181)

◯ 2023/04/23・日 = 昨日ほどではないが、かなり寒い。雨が降る心配はなさそうで、昨日よりは庭の作業がはかどると思う。除草、花壇つくり、乾燥した草の焼却など。本日は珍しく、四、五時間も作業は続いた。庭全体の土いじりをもう少し頻繁にする必要がありそうだ。▼ 昨晩から、Chat GPTに関する動画を見たが、時代は、一面ではもうぼくなどの踏み込めない領域に入っている、そんな感想を持った。SNS が繰り広げる集団による「投資」や「暗号資産」など、これまで続けられてきたのとは、まったく趣をことにした「経済世界」がすでに出来上がっているようで、実体経済そのものが、投資経済母屋を乗っ取られてしまった感がある。にもかかわらず、需給関係に基づく市場が成り立つ経済社会も厳然と存在するのだから、経済社会の二重構造、そんなことがこれからいよいよ強まってくるのだろう。(181)

◯ 2023/04/22・土 = 朝から泣き出しそうな雲行き。寒暖差と言うが、一日置きに春と冬が交代する塩梅だ。猫たちも外に出たがらないのは、寒いから。五月も間近だと、ストーブをしまいかけていたが、また引き出して使う。午後から日差しも回復し、庭に出て草取りと花壇づくり。除草した分は、基本は燃やすことにしている。膨大な量だが、乾燥させて、時間をかけて焼却炉に。もちろん剪定した植木の枝なども同時に燃やす。五年ほど前に思い切り剪定した「柚子」の木が、かなり伸びた。柚子自体は豊作だったが、どうも食用にはならない。実は水分が多すぎてブカブカ。皮が厚い。これは夏蜜柑も同じ。三年ほど前に思い切って剪定枝、今年はかなり実がついたが、口には入れられない。同じ柑橘類ではレモン、これもたくさん実は付けたが、食卓には載せられなかった。多分、肥料の問題だと、見当はついている。今期は、これらもうまく処置。とまあ、次々に仕事が増える、年齢は嵩む、元気が失われる。さて、どうするか。(180)

◯ 2023/04/21・金 = 夏日の陽気。草取りも容易ではない。庭石を新しく入れたので、花壇の部分を作り直したり、新たに設置したり。できれば、この際、未整地の部分を直しておきたい。長い間考えていた「法面(のりめん)」に石垣を設ける作業にも手を出してみよう。石屋のミノルさんにコンクリート用の砂を頼んでおいた。また、この一、二年は清掃をしていない屋根や樋のつまりを除いて、梅雨に備えたい。とまあ、こんな宿題をかかえているが、なかなか体が動かないので、一体どこまで、どれだけできるか、本人も自信はない。▼ 夜、九時過ぎにソウルから、尹氏の電話。夫婦で韓国滞在中と言う。「どう生きたらいいか、人生は難しいね」と愚痴ですな。彼には彼の人生への期待や願望があることは分かる。ぼくには出来ない生き方だ。かれこれ、四十年に近い付き合いである。ぼくも彼も「変わらない」という点では選ぶところがない。「人生に対する不満」とか「他者への不平」は言えば言うだけ募ってくるもの。言わねばならないものがあるのだと思うが、言ってどうするということも考えなければと、怠惰なぼくは愚考するばかり。(179)

◯ 2023/04/20・木 = 午前中に草取り。そして乾燥させておいた分を燃やす。まだ、これでも全体の三分の一程度か。一回あたりの時間が少ないから、なかなか進まないのも道理、まあ、草取りを楽しんでいるという感じだ。雨模様がしばらく続いていたが、午後になると快晴。かなり気温が高くなった。「立夏」直前になるから、当然か。「真夏日」の地区が何箇所か出たそう。別の地域では雪だともいう。今夏も集中豪雨が心配される。▼ ハリウッドの「絶対的権力者」として君臨していたワインスタインに対峙し、果敢に告発を初めて報道した「二人の女性記者」の記録を読む。再読だ。この記録映画もある。それと比較するのではないが、この社会では「少年への性虐待」を長期間も繰り返し、タレント養成の教祖のごとく「君臨」していた故喜多川氏。それに歯向かうマスコミ(メディア)が皆無に等しいのは、この国の「人権意識」が地に落ちている証拠。Me too で燃えたこの国のメディアだったが、声一つ出さないのはなんだろうか。「稀有の性犯罪」と知りつつ沈黙を守るのは、少年虐待に加担していることだし、その犯罪に沈黙を守るとによって、企業利益を得ることになっているのだ。この社会のメディは完全に「死命」を制せられたといいたい。終わったのだ。公共放送を必要以上に宣伝する放送媒体「皆様の…」は、なおさら、「こと切れた」と思う。(178) 

◯ 2023/04/19・水 = 除草の続き。そして、筍掘りも。毎年、三回か四回は草取りをする。加えて、自宅前の町道の除草もするので、なかなか手間がかかる。引っ越し当座はまめにやっていたが、最近は年齢のせいばかりでもなく、なんだか中途半端になった気がする。スッキリした清潔な庭は好きではないが、あまりにも雑草然としているのも困る。適度に荒れているのがいい。この時期いろいろな草木が盛りを迎えている。かなり老木と思われる「フジ」も開花の準備が整ったようだ。しっからした藤棚をと考えていないわけでもないが、いつでも間に合わせの竹材などでごまかしている。それでも、フジは立派に咲いてくれるのだから、感心する。見習いたいもの。(177)

◯ 2023/04/18・火 = 午後、京都の T 君に無断で、会社のアドレスに出しておいたメールの返信がありました。孫の K 君が代理で返信をくださったとのこと。アドレスの無断使用をお詫びしなければなるまい。このお孫さんには、たった一度でしたが、彼の家(梅ヶ畑)で会った記憶がある。もう十数年前になろうか。まだ小学校入学前だったか。(男の孫は彼の他におられるかもしれないので、断言はできないが)そのお孫さん、今は大学生だと言う。O 大学、浄土真宗系の学校。京都にはいくつも仏教系の大学(学校)がある。元来、寺院は「教育機関」の役割を果たしていたものだ。奈良は以来、禅宗を含めて各派大寺(本山)は「大学」だった。叡山や高野山はその代表格。そこに入学したり、中退したものが鎌倉仏教の祖になった。爾来、千年余。今なお、お寺大学は、表面的には健在だが。実態はどうだろうか。ぼくの好きな人物がたくさんおられますが。ちなみに、愚弟は「花園」派でした。「妙心寺」系統ですね。(176)

◯ 2023/04/17・月 = 午後早くだったか、T 君から電話。都内私立学校の教員です。しばらく前にネットでストピの女性ピアニストを彼に紹介したことがあります。その人は奈良出身のプロの弾き手で、何枚もCDを出しているし、常にライブやライブ配信をされている方。数えきれないほど聴いてきたピアノ弾き。駅中や商店街、あるいは文字通り路上に、さまざまな場所に置かれているピアノ。それをいきなり弾くのですから、なかなかのものだし、ぼくには大枚を払って聴きたくなる演奏会よりも、比べられない感情の揺さぶりを与えられている。T くんは、その S.I. さんと「ズーム」でなにか喋ることになったので、小生にも参加しないかとの呼びかけ。あまり気乗りがしない。ぼくは、優柔不断と言うより、愚図なんだね。会わねばならぬ事情があれば、仕方なく会う(ズームには参加する)が、そうでなければ、静かに、今の状態(ネット)で聴いていたい。せっかくのお誘いでもあるし、さて、どうしたものか。▼ 少し草取りを。サツキが盛りを迎えているが、草種に栄養を奪われたか、あまり元気がない。購入した段階で、かなり樹齢を経ていたと思う。栄養不良の気味でもある。もう少し、手を入れて世話をしなければと思う。垣根にもしているし、一本立ちも、なんだかんだで三十株ぐらいはあるか。(175)

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