誰にも、言いそびれた「ごめんなさい」がある

 日本語の姓名(苗字)や地名には驚異的な多様性があります。奇名・珍名・難名・易名などなど、それこそ、それを調べるだけで年を取ってしまいそうになるくらいに、興味が尽きず、尽きない歴史の探求になるようです。ぼくは調べ魔では決してなく、実に淡泊質の部類ですが、この地名や姓名には興味をそそられてきました。もちろん、それぞれに立派ないわれや、実に安易な名付け方があります。それをどうこう言うのではなく、他者と識別(区別)できれば、用が足りたというばかりです。しかし、仮に地形や自然環境から借用したとなると、各地に似たような名前ができるのも頷けるし、それで別段困りはしないのでしょう。しかし、時には全くの別人同士が同姓同名、漢字まで同じだとなると、少しは混乱が生じるかもしれません。でも、それもまた、一つの愛嬌でしょうかな。

 今日は「後免」です。これは各地にあるようですが、ぼくが知っていて、訪れたことがあるのは高知県の後免町(現南国市)で、そこが主催している「ハガキでごめんなさい全国コンクール」という催しに立ち寄ってみたくなりました。殺伐としているのが、世の中ですが、それを認めたうえで、もう一つの世間(遊びの世界)をのぞいてみようという趣向です。「後免」については辞書の解説をご覧ください。「免」という字を含む言葉は多様ですね。現在地に移る前に住んでいた佐倉市井野に「油免」という地番名がついていました。もちろんぼくは調べました。別段珍無類ではなく、「油」(菜種油)を、何かの事情で免除されたことがあったことからつけられたのです。また、ぼくの後輩に「京免」という名字の研究者がおられます。広島出身です。由来は各種あり、ここでは省きます。

 さて、後免(ごめん)です。何年前になりますか、ぼくは高知へ行ったときに足を延ばしました。野中兼山という人に興味がり、それにかこつけて後免へ、という「ぶらり旅」でした。野中兼山は土佐藩家老で、藩政改革に辣腕をふるった。加えて朱子学に明るく、後年の山崎闇斎の師でもあった人。後免との関係では、農民に重い税負担を強いたのを、ここでは免除したとされ、そのゆかりから「ごめん」と地名に残されたと言います。電車に乗っていて、次は「後免」と耳にした時、思わず車掌を見ようとしましたが、ワンマン電車だった。「ごめんなさいコンクール」は「漫画家のやなせたかしさんの提案で、ごめん町まちづくり委員会が平成15年から行っています」と市のHPにあります。(https://www.city.nankoku.lg.jp/life/life_dtl.php?hdnKey=2307

◉ 後免(ごめん)=高知県中南部、南国(なんこく)市の中心地区。旧後免町。江戸初期に土佐藩の執政野中兼山(けんざん)が在郷町を設けたのに始まり、町の発展のために諸役(しょえき)を免じたので御免とよばれた。舟入(ふないれ)川が貫流し、近世はその河港でもあった。明治末期に高知市との間に土佐電気鉄道が敷設され、昭和初期には安芸(あき)との間に高知鉄道が開通し、香長(かちょう)平野における交通、経済の中心となった。その後、安芸との鉄道は1974年(昭和49)に廃止となったが、2002年(平成14)には安芸市の先、奈半利町まで土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が開通した。

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 ===人には誰にも、言いそびれた「ごめんなさい」があるものです。そんな「ごめんなさい」を、素直な気持ちで、1枚のハガキに託して、私たちの町『ごめん』に送ってください」===市のHPにある趣旨です。

 以下の三作品は昨年度の入選作だそうです。主なものだけを紹介させてもらいます。(ぼくはコンクールやコンテストは嫌いです。音楽コンクールはいうまでもなく、美人コンテストなどは「以ての外」という気がしますね。このコンクールは殺気立っていない分、いいですよ、と言っておきます。「◉✖賞」というのがなかったらもっといいね。「ごめんなさい」にランクはいらないですからね。まさかこんな「ありきたり」の企画や催事はないでしょうと、甘く見ていたぼくでした。それにしても、やっぱりやるんだね。

(「いい企画」を断りもなく使ってしまいました。『ごめんんさい』」・山埜)

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 (右)結婚二十年の女性の作品。「もしかしたら、気づいているかも」というあたりがいいですね。多分、夫は知らないと、ぼくには思われます。「知らぬが仏(Ignorance is bliss.)」というではないですか。でも「仏が知らぬ」ということがあるんですか。知らぬふりをしていたのは「お富さん」、だから「お父さんはお富さんだった」かも。(左)「夫は少し天然さん」の女性。「いい関係」というか、いやちょっと「臭い関係」でしょうね。この夫婦の気持ちが、ぼくにはわかりません。というか、ぼくにはこの「天然さん」ほど「かみさん」を受け入れていないですから。自分が(おならを)しなかったことは明らか、妻がこうして(ハガキで)「白状している」のですから。それでも「(少し考えて)俺が…」という、どういうつもりだったのか。ひょっとして、同時に「じつは、俺も…」やったんだね。それを気づかない妻が「あなたのせいにしてごめんなさい!!」というのです。「私が犯人だよ…」という妻の「ハガキごめん」作品を知ったら、夫はどうするでしょうか。「俺も犯人だよ」というのかしら。結局は「キツネとタヌキの化かし合い」、それが夫婦円満の秘訣ですか。ひょっとおおおして、公然と「のろけてるんや」というのですかねえ。

 (中)仮病の女性。本当は「母は知っていた」のですよ。でも、「たまには行きたくないこともあるさ、毎日行かなくてもいいじゃん、自分(母)もそうだったし」「学校なんて、つまらないんだ」とわかった上で、それ(仮病)を受け入れてくれたんですね。これを「同病相憐れむ」といってもいいでしょ。でも、母親に使った「仮病」は、一回だけだったと思う、そうでしょ。だって「いちご一会といいますけんね」それに、しょっちゅう「仮病」を濫用していると、それは「詐欺」「虚偽」になるから、逆効果になることは決まっています。この作品の女性もきっと、(もしおられたなら)自分の子どもたちに「仮病」で心配させられているかもしれませんね。これを「仮病の万世一系」というのでしょうか。

 ちょっと気になることがありました。このコンクールで「ごめんなさい」と六十三円を使って「謝罪」しているのが女性ばかりなんです。どうしてでしょう。訳はいろいろありそうですが、ぼくの直感では「女性の作戦勝ち」「負けるが勝ち」とか、「まずは謝罪を、文句はその後に」といいますから。これは「He who fights and runs away, may live to fight another day.」であり、「韓信(かんしん)の股くぐり」なんですね。女性は男性の上手を行っていますね。

 ぼくはかみさんと「喧嘩」はよくしますが、まず「勝とうと思ったことがない」、勝つはずがないという確信からです。相撲でいうと、どの場所も十五戦全敗。だから、いつまでたっても、かみさんの前では「序の口」なんです。世の有象無象との、やむを得ない「戦い」でも、ぼくはいつだって「七勝八敗」が関の山で、勝ち越したこと、勝ち越そうとしたためしがありません。「負けるが勝ち」って、ほんとにあるんだ! 反対に「勝つは負け」っていうのも、あるんですね。「勝つと思うな 思えば負けよ ♪」といいますよ。さらに進んで、「勝ちたくない」というのが、ぼくの実感、人生は「勝ち負け」では測れないんですな。「黒白」「黒白」を付けると言いますが、いつでも人生の難問は「灰色」なんです。アナログじゃ、解決なんかしないよ。

 (美空ひばり「柔」:https://www.youtube.com/watch?v=3sL0y-bbyT8

◉ かんしん【韓信】 =の 股(また)くぐり[=が股(また)]=(韓信が、若いとき町で無頼のに辱しめられ、その股をくぐらされたが、よく忍んで後年大人物となったという故事から) 大志ある者は目前の恥を耐え忍ばなければならないという意。(精選版日本国語大辞典)(上の絵は、歌川国芳筆「韓信胯潜之図」)

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 よーけ、なばとれたけー、こんやー、なば鍋にー、

 「キノコの駅」訪問記 一風変わった喫茶店が府中市の市街地にあると聞いて、おととい訪ねてみた。土曜と日曜にだけ開く店の名は、NAVA(なば)カフェ。「なば」はキノコを指す、中国地方おなじみの方言である▲白キクラゲ入りのマドレーヌ、天日干しのエノキダケ入りパンと並ぶ献立に吸い寄せられる。よくかむと滋味が広がる。店のあるじは藤原明子さん。「キノコの伝道師」として、陰陽を結ぶ中国やまなみ街道沿線で秋祭り「菌山(きんざん)街道」を催している▲店は、祖父たちがみそやしょうゆを造ってきた醸造所の母屋だった。畳んで20年近く、そのままになっていた。コロナ禍で免疫細胞の集まる腸内環境に関心が高まる中、食物繊維が豊富で「腸活」にもってこいのキノコでの再生を思いついたという▲客の途切れた頃を見計らい、蔵の跡に案内してくれた。時を止めたはずなのに、かび臭さなどの嫌なにおいが毛ほどもない。「蔵付き菌が生きている証しです」と藤原さんは誇らしそう▲キノコに限らず、紅茶も地元産だ。人と人、地域を菌糸のように結ぶ、道の駅ならぬ「キノコの駅」と呼びたくなる。キノコ尽くしの日曜限定ランチは冬の間、鍋物が出る。時節柄、一人鍋だと聞く。(中国新聞デジタル・2021/12/6 6:58) 

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 「なば (広島の方言) の解説=茸。きのこ。たけ。木の子。よーけ、なばとれたけー、こんやー釜飯にしよーやー(たくさん茸が採れたから今夜は釜飯にしようよ)」(デジタル大辞泉)

 「ところ変われば品変わる」と言いますが、それ以前に「ところ変われば、言葉が変わる」というべきでしょうね。「なば」が「キノコ(茸)」だということを知りませんでした。いい表現(言葉)だと思います。広島(出身)には先輩も後輩もいましたが、この言葉を、彼らから直接聞いたことはありません。「方言」と言いますが、むしろ「広島方面語・広島弁」とでも言ってほしい。ぼくは昔から、この劣島にはたくさんの日常(使用)言語があって(おそらく数百はあります)、それぞれが対等に扱われる必要があると言ってきました。津軽の殿様と薩摩の殿様が出会ったのが江戸城、そこで両者が話をするのですが、いっこうに通じないので「通辞・通事・通事」を介した。今でいうところの「通訳」「通弁」です。したがって、江戸城はまるで「国際連盟の会議場」、江戸時代にすでに「国際化」は日常になっていました。各藩は「諸国」だったし、生活や習慣も違い、何よりも言語が異なっていました。 

 やがて、江戸城が、「官軍」に明け渡され、宮城(皇居)となり、「天皇」が、京都からの新しい都見物に出かけて、すぐに帰る予定が百五十年も経ってしまった。京都では、首を長くして「天皇」のお帰りを待っている人たちが団体を結成して待機しています。この際ですから、「女帝」を担がれて、(南北朝ならぬ)「東西朝」並存などというのはどうでしょうか。江戸城という「国際会議場」はなくなりました。この場合の「国」は、諸国(邦・圀)という場合の「諸藩」を指していたでしょう。二百数十の大小取り混ぜた藩があった。これを「封建時代」という。封建時代は古い時代という観念が、ぼくたちの脳髄に植えつけられています。学校教育の「悪しき成果」ですね。確かに「現代」から見れば「前現代」ですから、古いと言えばその通り、でも、だからそれはダメであるということにはならないのです。そもそも「封建」というのは統治形態で、「古い新しい」には無関係だった、それに対するのが郡県制でした。人間が集団で居住するようになると、そこに権力争いが発生し、やがて特定の人間に権力が集められます。その後に、人民を統制する政治が始まる。その方法が「封建制」であり「郡県制」だったとされます。この島社会も「封建の世」を経て、姿形は変形していますが、一部は「郡県制」の形を取りつつ、実態は封建制であり続けて来たのかもしれません。社会の仕組みも、脳の構造も、今なお「封建」時代を過ごしているのがやたらにいるんじゃないですか。 

 この駄文で、ぼくが問題にしようとしているのは統治形態ではなく、明治政治が採用した「言語政策」です。明治以降、学校教育の普及を急いだのも、出発地点には国家の統一を果たすために、もっとも緊要な「共通語」の採用と普及を成し遂げる必要があった。国家統一は「国民創出」とその「結合(一億一心)」にかかっていたのです。つまりは、そのための「国語」の導入でした。ある言語学者に言わせれば、「国語」は「天皇の言葉」であり、国史や国民とセットになって、「近代国民国家」を目指してきたというわけです。その際に、目障り(邪魔)であり、「遅れている(未開)」という観点で目の敵にされてきたのが「方言」だった。「方言」を言語学(言語地理学というらしい)の方面から見れば、なんともうるさいことになっていますので、ぼくはそれには触れない。要は、一国・一言語=単一言語・単一民族という狭苦しい「民族主義」に支配されて、方言を撲滅するように、国を上げて学校教育の推進が図られてきたのです。(今でも、この亡霊である「単一民族・単一言語」信仰・亡者が彷徨(さまよ)っていませんか、いや「血迷っている」のかもしれない)

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〇 ほうけん‐せいど【封建制度】=〘名〙① 天子・皇帝・国王などの直轄領以外の土地を、諸侯に分割領有させ、諸侯はそれをさらに臣下に分与してそれぞれ自領内の政治の実権を握る国家組織。② 国王・領主・家臣の間に、封土の給与と忠勤奉仕を媒介として成立している、私的・人格的・階層的主従関係による統治形態。西欧では、六世紀頃に一般化。日本では、荘園制に胚胎し、鎌倉幕府の成立とともに発展、江戸幕府によって変質しながら、完成した。フューダリズム。※日本開化小史(1877‐82)〈田口卯吉〉六「徳川政府の組立は封建制度なり」(精選版日本国語大辞典)

〇 郡県制【ぐんけんせい】=中国,秦の始皇帝が完成した中央集権的地方行政制度で,周の封建制(封建制度)に対する。戦国時代から封建制が衰え,郡県化しつつあったが,始皇帝の全国統一完成により,全国を36郡(のち48郡)に分け,行政・軍事・監察を行う守・尉・監を中央より派遣し,郡の下の県にも令・尉・丞をつかわし統治させた。また漢代には封建制と郡県制を折衷した,郡国制を採用した。(マイペディア)

〇 方言【ほうげん】=日本では一地域にのみ使われる単語を方言ということがあるが,言語学,国語学では,標準形をもつ言語が地域によって音韻,語彙(ごい),語法の上で相違が認められるとき,そのおのおのの言語体系を方言という。この相違は,主として高山,大河,海峡などの地理的境界や政治的境界がある場合,各地域の言語がその地域の特殊性に応じて独自の発達を遂げた結果である。一般に地域的に近い方言同士の違いは小さく,遠い方言同士の違いは大きいが,文化的中心地に発生した新しい表現が周辺に影響を与えて次々に旧表現を外側に押しやるため,遠隔の地域に似た語が存在することもある。日本語の方言は,本土方言と琉球方言(琉球語)に2大別され,前者はさらに東日本・西日本・九州と3分される。日本語の方言の差はすでに上代からあり,万葉集では東国の歌を東歌(あずまうた)として分類している。室町時代には〈京へ筑紫に坂東さ〉(方向の助詞の差をいった諺(ことわざ))といわれるほどに方言意識が存在した。方言に対するものは標準語といわれたが,戦後は共通語という概念が広がっている。(マイペディア)

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 広島の言葉(広島弁)でいう「なば」という名前を付けた、「NV Cafe」が府中市の郊外にできたという記事に誘われて、よしなしごとを駄弁りました。三十頃までは、ぼくは無類の珈琲好き人間だったが、ある時期に胃腸を害してからは嗜(たしな)まなくなった。その代わりに(胃にはもっと害があるのに)「酒」を求めるようになった。「酒中に真あり」という中村光夫という評論家の言に刺激されたんです。それも、数年前にすっかりやめてしまい、今では珈琲と紅茶を、毎日あたり前に飲んでいます。家では当然ですが、外に喫茶店があれば道を遠しとせず(というのは大袈裟ですが)、通うことを厭いません。幸いに、山間僻地にも関わらず、近所に一、二軒ゆったりとできる喫茶店がある。ぼくが通い詰めている(いた)のが、拙宅と目と鼻の先にある一軒です。我が家から直線で二百メートルほどで、家の前から一望できる。これがなんと、週一回、月曜のみ、それも十一時から四時までという、飛び切りの「自主性の強い」「営業者本意」のお店です。もちろん、ぼくは毎週のように通いましたが、昨年来の「緊急事態」宣言等で、この一年は休業している。昨年の十二月八日(だったか)から、丸一年は閉店状態。店を開くときは、「狼煙(のろし)」を上げますと言われ、ときどき見るのですが、いっかな合図はかからないで今に至ります。

 店主(ご夫妻)は、今でも「花木のプロ」として活躍されている。ぼくが今少し若ければ弟子入りしたいとさえ考えたくなる。珈琲がおいしいのは当然として、その店内や店外の「緑のあしらい方」がじつに洗練されていると、さすがに「プロ」だと感心させられるのです。庭造りや植木も手掛けておられる。拙宅のすぐ隣のような場所に、こんな素敵なお店があるとは、引っ越して以来、何年も気づきませんでした。「灯台下暗し」というのかな。拙宅は灯台であるというつもりはないんですが。「Bloom」という表札が掛かっているので、なんだか洒落た洋服のお店なのかと敬遠していたのでした。年内は無理でも、一日も、いや一週でも早く再開してほしいですね。(右と左下の二枚は「Bloom」のHPから拝借)

 まだ京都にいたころ、街中(四条大宮や河原町など)に出ると「純喫茶」という看板がかかっている店がやたらにありました。上京して都内に住むようになっても「純喫茶」がいたるところにあり、中には「名曲喫茶」と称して、家ではなかなか聴けないようなレコードをかけていました。「田園」「ウィーン」「ランブル」「あらえびす」などなど、ぼくは、日夜入り浸っていた。そこへは、ほとんどが一人で入店、静かに耳を傾けていましたね。雑談でもしようものなら、白い目で睨まれた。つまらない授業などそっちのけで、終日音楽に聴き入っていたのです。一杯百五十円か二百円の珈琲で、二時間ではなく四時間も五時間も、あるいはそれ以上に、とぐろを巻いて陣取っていた。

 その「純喫茶」ですが、どうして「純」なんだろうという疑問が長い間消えなかった、言葉の由来を知らなかった。ぼく自身が「(単)純」だったんですね。「純」があるということは「不純」もあるに違いないとしきりに探したものでした。あったね、「不純」なやつが。「純」の何百倍もありました。いたるところが「不純」だらけで、ああこれが「都会」「繁華街」なんだと、合点した次第でした。人間もそうですが、「純」でなくなるのは実に簡単で、急坂を転げ落ちるように「不純」に染まるし、いったん「不純」になると、再び「純」には立ち帰れない。ぼくが大学生になってから入った、ほとんどの店が「不純喫茶」だったと知った時の驚嘆ぶりはなかったね。「俺もいっぱしの不純物となった」という感激ではなく、苦悩・後悔だったでしょうか。(これも長い間疑問だった。「不純異性交遊」とかいうやつ。どんなことですか、と質問しても教師は答えない、「わかるだろ」だってさ。それもやがて、ぼくは理解しました。実践はしなかったと思う。学校では「人生の大事」は教えられないんだ)(*「じゅんきっさ【純喫茶】=アルコール類を扱わず、コーヒー・紅茶類だけを出す純粋な喫茶店。◇古い言い方。」(飲み物がわかる辞典)(註、古い言い方が「純喫茶」なら、新しい言い方はなんでしょうか)

 府中市の「NAVA」なるキノコカフェ、「キノコ尽くしの日曜限定ランチは冬の間、鍋物が出る。時節柄、一人鍋だと聞く」。「一人酒」ならぬ「一人鍋」というのもまた、食事の原点であるのかも知れません。その昔は、全員がいっしょに食事をとるのが当たり前と受け止めるが、実は一人ずつというのが先にあったのではないか。これはぼくの勝手な想像ですから、真偽の証拠はない。しかし動物を見ると、必ず(乳児は除けて)、一人、一人前として別々に食しています。お膳もテーブルなかったのですから、自然にそうなるでしょう。固まって食べるようになるはの、固定し家族制が定着してからのもので、「私作る人、私食べる人」という、男中心の「役割分担」はその時以来のものです。

 人間の生活習慣の、今ある姿の前を知ろうとするなら、おサルさんや猫たちのやり方を観察すればいいと、ぼくは考えています。きっと人間もそのようにしていたはずだ。少しずつ洗練(?)され、見た目がよくなっただけで、実態は少しも変わらない。だから「一人鍋」というのも変ですが、それは「先祖返り」であって、まあ一興というものでしょう。しかし、時代が変われば、景色も変わるというか、「純喫茶(という規制が、今でもあるかどうか)」で「鍋物」が出される、いずれ「ノンアルコール」が、いやもうすでに、いたるところに「ノンアル」は「アルアル」でしょうね。(ぼくも、今年は、右の写真のように、さかんに授乳をしました、早朝三時起床して。猫三昧ではないつもりですが。哺乳瓶が十本近くあります。もう使わない、です)

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 鍋よ
涙には幾つもの 想い出がある
心にも幾つかの 傷もある
一人鍋 手取り鍋 
広島弁を聞きながら
ホロリ鍋
そんな夜も たまにゃなァいいさ

詫びながら 手取り鍋 
演歌を聞きながら 愛してる
これからも 
わかるよなァ鍋よ
わかるよなァ鍋よ   
(原曲は吉幾三(作詞・作曲)(昭和六十三年)さんです)

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 正義など、どこにもなかった…あるのは愛だけ

【明窓】刺し身と豆腐「料理をしないことこそ料理の理想である」。逆説的で、何やら禅問答のような言い方だが、これが日本料理の料理観なのだという。今年の文化功労者に選ばれた食文化研究の第一人者で、世界の隅々まで食べ歩いた石毛直道さん(元国立民族学博物館長)の見立てだ▼石毛さんが代表例に挙げるのが刺し身。新鮮な魚に「切る」という最小限の技術を加えて醤油(しょうゆ)とわさびで味わう、なるべく自然に近い状態で食べる文化だ。刺し身は昔から日本料理の王座とされ、会席などでは欠かせない。このため料理長が自ら手掛けていたようだ▼その分、こだわりも強い。刺し身を「引く」という言い方があるのもその一つ。切る際の包丁さばきから生まれた表現らしい。世界では珍しい片刃の包丁が発達したのも、魚の柔らかい身が潰(つぶ)れてうま味が逃げないように切るためだという。プロに言わせると、素人が切った刺し身は断面が滑らかではなく、身が潰れていて醤油がすぐに染み込むそうだ▼「料理をしない料理」のもう一つの例が冷や奴(やっこ)。豆腐を切っただけの淡泊な味を刺し身と同じようにして味わう。寒くなると湯で温めて食べる。「畑の肉」と呼ばれる大豆で作った豆腐は、肉食を避けていた明治維新までは魚以上に身近なタンパク源だった▼ここまで書き進めてきたら、もう今夜は刺し身と湯豆腐で一杯の気分。魚はアジにするか、ブリがいいか。(己)(山陰中央新報デジタル・2021/12/04)

 本日も家の前での道路工事が続けられています。年末いっぱいかかるかもしれない。あるいは年明けになるかも。もともとは、車がすれちがえないような細道だったでしょう。あるいは、人が歩く前は「獣道」だったかもしれません。だから、その道をわがもの顔に歩いたり、拡げたりするのは「先住権」の侵害ということになる。道を広げてくれというのはぼくではない、拙宅前に住んでおられる方が繰り返し町役場に陳情されたとか。そのために、拙宅の敷地をいくらか町に譲渡した。ぼくは狭いままでも結構という気持ちでしたが、救急車も消防車も入れない道は「町として、どうなんだ」とさかんに言われていました。(左上写真は「カツオ」)

 その人は茂原市に住んでいる。つまりは隣町。家にはご尊父が一人、今年、九十七歳とか。つい最近までは自家用車の運転をされていたが、この数日は車がなくなっているようですから、あるいは運転を止められたのか。その娘さんは毎日、車でここに来られる。親のお世話ということかもしれません。母親もおられますが、現在は誉田(ほんだ)という外房線の駅前の施設に入所されているそうだ。なかなか大変なお世話ぶりで、ぼく自身、頭が下がる思いがしているのです。その女性の陳情が、何年越しかで受け入れられ、工事中というわけです。おそらく、距離にして五百メートルほどの道ですが(町道)と名がついているのですから、規格もそれに合わせて四メートルか六メートルということになるのだそうです。大した道ではなく、一番奥に一軒、そこへの途中に三軒あるかぎりの田舎道です。

 ところが、毎日決まって何台かの車が通ります。狭くてまっすぐだから、スピードを出す。事故が起こる。ときどき、猫や狸が轢かれる。そんな時はよく拙宅に電話が来る。「何とかしてもらえまいか」というのです。ぼくが「猫好き」(ホントは猫好きではない、嫌いでもない。しかし生きているものを放置しておくことが出来ないだけ。それが死んだのだから放っておけるかというと、そうはいかない)とみなされていて、それで電話がかかってくる。スコップと軍手と段ボールを準備して出かけるという仕儀になる。今現在、拙宅の裏庭には五人分ほどの「猫墓」がある。まだ埋葬していない四人分の「お骨」も家中にある。つまらない話(いつだって、そうですね)になってきました。

 よく「猫が好きなんですね」と言われる。あるいは「猫を飼っているんですか」と言われる。かならず「好きではない」「飼ってはいない」と答えます。「飼育する」「ペットにする」という姿勢や態度は、ぼくにはない。共棲者だと心底から見なしている。好き嫌いで「生き物」を扱うという趣味は、ぼくにはないんですね。最近のニュースで「フランスでは犬猫等の動物販売禁止」「イルカショウ」なども禁止という。いいことですね。人身売買禁止に並んで動物売買も禁止されることを願っている。血統書付きだなんて、なんという時代錯誤の、能天気なんでしょう。これまでに出会ってきた猫(すべては野良育ちでした)は、おそらく三十は軽く超えているでしょう。保険制度のない時代ですから、医者通いには、何かと苦労している。現に、一人、毎日のように通院している。食事代も安くはない。これは慈善事業でもなければ、環境美化運動でもない。あるいは「小さな親切」運動でもない。その「猫」が大嫌いだというのが、拙宅前の住人(女性)で、彼女の子息さんは「猫アレルギー」だと言われます。よりによって、そのお宅の敷地内に入って、ぼくのところの猫たちが自由に走り回っているので、いささか気が引けているのです。(猫たちは、なかなか言うことを聞いていくれない)

 よく「〇✖運動」と言われる。ぼくはそれを全面的に否定はしませんが、「あいさつ運動」「交通安全運動」などと言われると逃げ出したくなる。何時だって必要におうじて「あいさつ」、車に乗れば「安全運転」これだけ。「あいさつ」はラジオ体操やフィットネスではないから、そんな運動はご免被っている。すべからく「運動」なるものは、一人でするものという観念がぼくにはある。つまり「徒党を組む」のが大嫌いなんです。夫婦だって仲良くもあり仲が悪い時もあり、実に「スリル満点」です。実際には、少々しんどい時もありますが。相手も同じですね。つまり「徒党を組まない」という一貫性が夫婦間にも出る。

 よく「飲み屋」なんかにあった「仲良きことは良いことなり」とかなんとか、ああいう掛け軸みたいなのが掛かっていると、酒がまずくなるので、そんな店には、まず入らない。知らないで入って、途中でトイレに入る、そいつがかかっていると、ぼくはきっと店を出ます(もちろん勘定を払って。自分の金で飲むのがぼくの呑み方。ただし、行きたくないのに誘われたら、当方はカネは出さない。それをケチだと勘違いしているのがいっぱいいました。そんなのとは酒を飲みたくないね)

 ようやく、本題(というほどのものではありません、何しろ駄文ですから)です。「刺身と豆腐」と来ました。お説の通りですね。おそらくぼくは、「刺身と豆腐」で三十年、いや四十年でしょう。学生時代から「晩酌」はやっていた。勤め人になってからは「飲み屋通い」でした。四十を過ぎてからは、行く店は決まっていました、元魚屋さんの「Mちゃん」が開いていた。今もあるかどうか。魚はうまかったというか、不味い魚は出さなかった。彼の店に鮪問屋の社長も来ていました。何時も魚談義。面白かったですね。ぼくは、決まって「鰹(かつお)」年中ある魚ではなかったけど、ほぼ半年くらいは、毎晩のように堪能しましたね、三十年以上。「舌の上小判消えゆく鰹かな」という川柳のような句があります。江戸の将軍にでも献上しようという魚でしたから、庶民の口にはいることは滅多になかった。お金をためて、やっと鰹にありつけたというのです。 

 志ん生の「まくら」にこんなのがありました。職人が鰹を食ったというので評判がたった。それを聞いた友達が、「どうだ、旨かったか」ときく。いや、「寒かった」と答えた。「どうしてだい」「着ているものを質に入れて、食ったから」当節はどうなんでしょう。海水温がやたらに高かったり低かったり、そのために異常をきたしているのは「気圧」ばかりではなさそうで、サンマがだめ、サケも見られない、もうどうしようもないほどの「異常状態」が日常になっているのです。これが、人間の行動・振舞いに影響しないなんてことがあるでしょうか。

 ぼくは豆腐もよく食べました。町の豆腐屋さんから、ほぼ三十年以上は求め続けてきました。豆腐屋が驚いていました「そんな豆腐を食べてもいいんですか」って。ある時は「豆腐は、そんなに美味いんですか」とも。豆腐屋が言うのだから、驚きます。使っている大豆もニガリもごく普通のもでした。作り方が好かったのかな。その豆腐も食べられなくなったのが、ぼくが酒を飲まなくなった理由かもしれません。山中に越したからでした。また、四十年ほども飲みつづけていた酒(「黒帯」という金沢の純米酒)も、山中に住みだしてからは、手に入りにくくなった。通い詰めた飲み屋がおいていた酒が「黒帯」で、これをいつだって少し冷やして飲んでいました。大体「一升」前後です。飽きが来ませんでした。ほかの酒は見向きもしなかった。山の中に来る前に、引っ越し先で飲む酒を探した。「梅一輪」という山武市の地酒がありましたから、それをしこたま仕入れてしばらく飲んでいた。しかし「刺身と豆腐」が手に入らなくなった。近間にスーパーはありますが、それは本物とは別種の「刺身と豆腐」、加えて「黒帯」、この三点セットに事欠いてしまって、ある日突然、「酒は止めや」となった。 小指を一本だして「これで~を辞めました」というのではなく、指三本で、酒を止めた。ついでに煙草も。それを信用しない悪友が、東京から山の中まで確かめに来ましたね。

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  というわけで、本日も無駄話。ぼくは雑談大好き人間で、これならいくらでも話せるんです。まるで「黒帯」みたいです。いくらでも飲める。雑談の締めくくりになりそうでもありませんが。このところ読みながら考えてきた「なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記」の終わりの方で、著者は一つの「戯曲」を紹介します。アーチボルド・マクリーシュという多彩多能な詩人でもあった人が書いた戯曲、「J・B」。

 「ヨブを思わせる人物 J・Bは、成功した実業家で、魅力的で愛情豊かな家族にも恵まれています。ところが、子供たちが一人、また一人と死んでいくのです。事業は失敗し、健康も損なわれます。ついには彼の住む街、それどころか世界の大半までが核戦争によって破壊されてしまうのです」(左写真はマクリーシュ)

 聖書の「ヨブ記」同様に、そこに三人の友だちが、彼を慰めに来ます。しかし、彼はその人々の誰からも慰めを与えられなかった。「慰め」とは言うものの、実は、それらはすべて、自らの立場や主張の押し付けでしかなかった。何時だって、困っている人を助けると言って、やってきて、実際に助けられるのは稀なんですね。精魂尽き果てた J・Bは神に抗議し、その不幸の理由を聞こうとするが、「竜巻の中から答えてくる神の荘厳さに圧倒」されるばかり。神は、彼の失ったものをすべて回復させて、苦しみから、ついに J・Bが解放されるというのではなかった。神からの祝福・報奨はこなかった。「J・Bは妻のもとへ帰っていき、二人でもういちど生きていく決意をし、新しい家庭を築いていくのです。神の寛大さではなく、彼らの愛が、死んでいった子供たちに代わる新しい子供たちをはぐくんでいくのです」

 聖書の「ヨブ」はなにか罪を犯したのではなかったにもかかわらず、あらゆる苦難に襲われた。しかし「義人」であることを少しも放棄しなかった「ヨブ」に対して、神は「苦しみの代償」として「新たな健康と財産と子どもたち」を与える。しかし「現代のヨブ」である J・Bはそうではなかった。神は何ものも与えはしなかったのです。その代わりというのでしょうか、J・Bは「神を赦した」のです。自らの受難を受け入れ、再び生きていくことを選ぶのです。 

 J・Bの妻は言う、「あなたは正義を求めていたのね。正義など、どこにもなかった…あるのは愛だけ」マクリーシュの戯曲は、じつに暗示的に終わっています。宗教・信仰・神というものを、ぼくたちはどうとらえてきたのか、どうとらえているのか、それを、もう一度根本から考えなおさせてくれるのです。その点について、クシュナーは言います。「マクリーシュのヨブは、人間の苦悩という問題に対して、神学や心理学ではなく、生き続けて新しい人生を築きあげようと選択することで答えたのです。彼は、正義が貫かれる世界を創らなかった神を赦し、あるがままの世界を受け入れる決心をしたのです。世界に正義と公平を求めることをやめ、愛を求めたのです」(前掲書)

 神に奉仕し、神から祝福されようと求める人間ではなく、「不正や不公正」を見逃している神、そんな神を赦して、自らの責任で生きようとする人間の生き方が、暗示されるのです。「現代のヨブ記」と呼ばれる所以ではないでしょうか。

教会のろうそくは消え、                                                                                          夜空の星もまたたかない。                                                                                                       心の灯をともしましょう、                                                                            そうすれば、やがて見えてくる… 

 ○ アーチボルド マクリーシュ(Archibald MacLeish)(1892.5.7 – 1982.4.20)=米国の詩人,劇作家,官僚。元・ハーバード大学教授。イリノイ州生まれ。大学卒業後弁護士を経験し1923年パリに渡る。エリオットイエーツ等の影響を強く受け作詞に没頭、’24年「幸福な結婚」、’25年「土の壷」等反戦の詩を発表し名声を確立。’28年帰国、’32年「征服者」でピュリッツア賞受賞、またローズベルト大統領の信任厚く、’39〜44年国会図書館長、’44〜45年国務次官補を歴任、’49〜62年ハーバード大学教授、’62年から名誉教授。他に詩集’53年「1917-1952」、’58年「J B」等の作品や評論、TV劇、伝記等広い分野で活躍。(20世紀西洋人名辞典)

 クシュナーさんの誠実な、彼自身の経験からの言葉を、ぼくは肝に銘じて生きてきたその軌跡と重ね合わせています。「人生はなにかに敵対して生きるべきものではなく、なにかのために生きるべきなのだ」(前掲書)

 「どうして私が苦しむのですか?」と問うのではなく、「この苦しみの中で、私どうすべきなのか?」と問いなおすこと、そこから「責任」(responsibility)という語が有する深い意味が現れてくるのでしょう。

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 「カフカの『ヘンタイ』ってあります?」

 【日報抄】「うろ覚えのことを話し相手にけげんな顔をされる。言い間違いだと分かると大爆笑。誰しもそんな経験があるだろう。図書館に書物を探しに来た人々が口にした、覚え違いのタイトルの数々を収めた本が人気だ。本紙の週間ベストセラーズにも入って▼その名も「100万回死んだねこ」。本に収録した実例から名付けた。正しくは「100万回生きたねこ」。佐野洋子さんの名作絵本だ。福井県立図書館が資料探しの問い合わせと回答をまとめて出版した▼「カフカの『ヘンタイ』ってあります?」「『変身』ですね!」。カフカも苦笑いするだろう。「『妊婦にあらず』って本なんですが…」「『奸婦(かんぷ)にあらず』でしょうか」。そっくりな字だしね。「『そのへんの石』ってあります?」「『路傍の石』のことでしょうか」。大まかには合っているか▼噴き出したり、突っ込みたくなったり。こんな問い合わせもあった。「独身男性が若い女の子を妻にしようとして色々失敗した話なんだけど…」。担当者の答えは「谷崎潤一郎の『痴人の愛』でしょうか」▼もちろん、利用者の覚え違いをあげつらうために出版したのではない。資料探しのサービスを身近に感じてほしいと企画されたという▼間違いもおおらかに受け止め、利用者と一緒に正解にたどり着こうとする。図書館司書の懐の深さとプライドが伝わってくるようだ。寛容で、かつ物事に真摯(しんし)に取り組む社会をつくるためのヒントが詰まっている、と言ったら大げさだろうか。(新潟日報モア・2021/11/25)

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 覚え違いタイトル集  本のタイトルがよくわからない、うろおぼえ。 図書館のカウンターで出会った覚え違いしやすいタイトル、著者名などをリストにしました。下線がついた本のタイトルをクリックすると、より詳しい本の情報が見られます。/ このリストでは、司書が本のタイトル以外の情報(著者、どこ・何でその本のことを知ったか、出版社など)をたずねて一緒に探した結果のみを「こうかも!」の欄に掲載しています。お探しの本が見つからないときには、ぜひ図書館のカウンターで質問して、司書と一緒に探してください。/ 覚え違いタイトル集へ掲載する、あなたの出会った覚え違いを募集しています。情報提供フォームから情報をお寄せください。福井県立図書館(http://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/tosyo/category/shiraberu/368.html)

 世の中に、こんな「間違い」「勘違い」をする人ばかりだったら、どんなに楽しく明るい時間を過ごすことが出来るでしょうか。図書館司書の方々の感覚が、ゆるくて朗らかで、そして根気強い優しさに満ちあふれているのが、すばらしい。(それが仕事なんですがね)なんともいいですね。ぼくには図書館勤めの友人がたくさんいました。皆さん、お堅い性格のようで、ユーモアを感じたことはあまりありませんでした。福井県編が続きます。このところ(いつでもか)、何かと話題が多いですね。「明日のハナコ」について、先日触れたばかりです。行政の長や経済界のリーダーが「利権には執念を燃やす」が、「権力」に相対して、かっらきし弱いのは何としたことか、と嘆いたところで、それが一面では真実でもあるのですから、無いものねだりはしない。といっておいて、それにしてももう少し、他者のために「いい仕事をしてオクレ」とねだりたくなります。

 比べるつもりはありませんけど、この「百万回死んだねこ」(講談社刊・2021.10)は秀逸でした。どうしてこんなに見事に「覚えまちがい」「まちがい覚え」を、人間はするのでしょうか。「とんでもなくクリスタル」「わたしを探さないで」「下町のロボット」「蚊にピアス」「おい桐島、お前部活やめるのか?」「人生が片付くときめきの魔法」「からすのどろぼうやさん」「ねじ曲がったクロマニョンみたいな名前の村上春樹の本」「八月の蝉」「大木を抱きしめて」「昔からあるハムスターみたいな本」などなど。まちがい覚えは作品名ばかりではありません。「だいぶつじろう」「 池波遼太郎」その他。これもどこかで書きましたが、NGKのアナウンサーが読んだニュースで、「鈴木大拙さんが◎月◎日亡くなりました、鈴木さんは蝉の研究の大家で…」と誤読し、地方に飛ばされたことがあった。(しかし、大拙さんが何者であるかを知らなかったのは、致命的でした)これは勘違いではなく、漢字が読めなかっただけ。それは何でもない、この島社会のソーリ大臣は「まともに漢字が読める方がどうかしている」と言われるほどですから。読めえなくっても構わないが、読めるようになる・なりたいというのは大切な心構えです。と同時に、その字が表わす「内容」を自分なりに知っておらなければ、話にならんね。

 すぐに学校教育を持ちだしてくるのは、さすがに気が引けるが、そこでは「間違い探し」をすることはあっても、ユーモアにあふれた勘違いやまちがいを、まず受け入れようとはしませんね。これはよほど、教師も学校も硬直している証拠です。小学校の五年生くらいだったか、国語の読み方で指名された子が「変人(へんじん)」という漢字を「恋人(こいびと)」と呼んだのには仰天したし、その後の長いあいだ、どうして読み間違えたのだろうかと、疑問が続いたし、いまだにそれがうまく理解できないでいる。彼女は「恋人」体験を持っていたのでしょうか。あるいは、そんな言葉(読みまちがいの)に「ドキリ」としたのは、「変人」のぼくだけだったか。なんで、「ドキリ」としたのか、それもわかりません。

 試験などでも、傑作な解答には二重丸を、それぐらいのユーモアが欲しいですね。定番のような事例ですが、「雪が溶けたら?」「春になる」、それは✖で、「水になる」が〇。なんとも、つまらんでしょ。学校における間違いは「人命にかかわる」ことはまずないのだから、もっと積極的に、教師は子どもたちと、この手の「間違い遊び」を工夫したらどうか。マジメだけを勧める・奨めるのは「マジメを装う教師の常」であったとしても、それを真に受けた子どもは後々、おおいに苦しむんじゃないですか。だとすると、それは罪なことですよ。不真面目や冗談を推奨しているのではなく、センス(マジメ)一辺倒は、人を歪(いびつ)なものにしてしまう危険性があると、それを言ってみたいだけ。そのためには満点主義や点取り競争を「茶化す」ようでないと。「お前は汚い」とのけ者にされた少女が、「きた(北)がないなら、日本は三角(▼)」と、堂々と切り替えしたという逸話を谷川雁さんの本で知った。この少女の「どっしりした、神経の太さ」に驚愕し、嬉しくなったことを覚えています。

 「『あだしはあだしでいぐがら』 ? ⇒  おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子∥著 河出書房新社 2017年刊」 

 間違いが秀逸というか、なんとも面白いということは、「正解」「正当」が、どんなにつまらないかと証明しているようなものでしょう。「(覚え違い?)角川文庫で「鳥居をくぐったその先は」瑞なんとかって作家さんの奈良県のお話 (こうかも!) 当館未所蔵『まほろばの鳥居をくぐる者は』芦原瑞祥∥著  KADOKAWA2021年刊)」「(覚え違い?)「おかしな間取り」⇒「『変な家』雨穴∥著 飛鳥新社 2021年刊)ーーここまでくると、なんともたくらんでいるんじゃないかと思いたくもなる。それほどに「間違い」というものが「真実をついている」ともいえるのでしょう。「成功は失敗のもと」といいますから、「間違いは正解のもと」となることがあってもいい、それ以上に、世の中で「正答」「正解」と言われているもの自体が、ぼくに言わせれば、おどろくほど「ナンセンス」なんですよ。正解は無数に(だと思うね)あるんだ。それを一つだけというのは新興宗教の教祖みたいな「ニセの権威権主義」が言わせるんだね。

 『もたれない』というタイトルの本    ⇒  『倚りかからず』茨木のり子/著 1999.10 筑摩書房、2007.4 ちくま文庫 (まるで胃薬を求めているような? 泉下の茨木のり子さんも、びっくりして、あるいは甦るんじゃないですか)

 「強い風が吹いてきた」という本   ⇒  『風が強く吹いている』三浦しをん著(上も、福井県立図書館HPより)(この質問者は「予言者」だったし、その通りになったよ)

 中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず。「中」と書いて「あたる・当たる」です。命中・的中などの例がありますね、そのように「的(まと)」に的中はしないけれど、実に惜しいという「間違い」を人間はするものです。時には「認知症」は深刻ではありますが、反面(半面)では「ユーモアの貯金箱」みたいなもの。その貯金箱を大事に守っていきたいですね、ホントにそう思っています。「正解を振りかざす」というのは「ナンセンス」、その「狭さと愚かさ」は地雷みたいなもの、ぼくはこれからも、それを踏まないための「歩き方」をさらに学んでいきたい。「誤答」の中に「深い真実」があるということでしょう。人間はでたらめに間違えるのではなく、筋道が通り、辻褄(つじつま)が合うように間違いをするものです。その筋道をたどること、辻褄を合わせようとすること、それが「他者との交わり」のもと(根っ子)となるのです。

 「ナンセンス」の効用を知ることは、「センス(常識・通念・慣習・しきたり・伝統などなど)」に凝り固まっている世間人(世のなかの人)には不可欠の学習じゃないか。センスを打破しよう。常識を笑いのめせ。ぼくは、この「巧妙な、たくまざる間違い」に、自分自身の処世の姿勢を反省させられているのです。「間違い」万歳、「勘違い」上等。自分の「間違い・勘違い」を自分で笑えるのは、実に可笑しいですね、しかも健康ですよ。(午前中、いつものように、一人で散歩しながら、大いに「笑って」いました。「変な奴」とみられていたのがわかりました。泣きたい時もあれば、笑いたい時もある、人間なんだからさ。なんだか、相田みつを風になってきたな)

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 旧来ノ陋習ヲ破リ,天地ノ公道ニ基クヘシ

 この「駄文録」では初めてのこと、山陰中央新報の「明窓」というコラムを二編一気に取り上げる。各都道府県にはそれぞれの地域新聞(「地方紙」「全国紙」というのは、都会方面からの発想法。「全国紙」という名称は「堕落の程度が全国レベル」という意味か)があり、それぞれに個性的な歴史を有しています。明治維新以後、自由民権運動が各地(都会からではなかった)から勃興し、「言論(政論)の自由」が強く求められたのでした。「山陰中央新報」もその一つ、明治十五年「山陰新聞」として発刊。松江においてでした。その後、幾度かの合従連衡があり、昭和四十八年に「山陰中央新報」と改名され、現在に至っています。来年には創刊百四十年を迎える。日本各地の大学(特に私立大学、その前身は「専門学校」とされた)の多くも、この明治十年代以降に創立されました。この私立大学のそれぞれが「創立の趣旨」を高々と掲げてきましたが、近年では完膚なきまでに権力の「軍門に降る」為体(テイタラク)、その後を負う(後塵を拝する)ように各新聞紙も「権力の威光」に靡いてきました。その意味からいうと、この島社会には「言論の自由」「民主主義の発露」がまったく失われてしまったということです。せめて、全国のなかで「一紙」だけでも「言論で抵抗し」「言論を死守し」、もって「腐った権力」に「一矢」を報いてくれないものか、と覚醒中にして「寝言を言う」始末です。

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 ● ごかじょう‐の‐ごせいもん〔ゴカデウ‐〕【五箇条の御誓文】=慶応4 (1868) 年3月 14日,天皇が天地の神々に誓うという形式で示された明治新政府の本方針。5ヵより成るのでこう呼ばれる。由利公正が起草し,福岡孝悌が修正を加え,木戸孝允が訂正したものとされ,内容は「一,広ク会議ヲ興シ,万機公論ニ決スヘシ。一,上下心ヲ一ニシテ,経綸ヲ行フヘシ。一,官武一途庶民ニ至ル迄,各其志ヲ遂ケ,人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス。一,旧来ノ陋習ヲ破リ,天地ノ公道ニ基クヘシ。一,知識ヲ世界ニ求メ,大ニ皇基ヲ振起スヘシ。」というものであるが,会議とは列侯会議のことであり,また庶民とは豪農豪商であって,全体としては国民の政治参加をきわめて限定的に認めたものといえる。「教育勅語」「軍人勅諭」とともに昭和初期まで国民の指導理念とされ,1946年1月の天皇人間言にも引用された。(ブリタニカ国際大百科事典)

GGGGGGGGGGGG

 この島にも「国会」はある。しかし、このところ、まじめに国会を開こうとしない輩たちが政権を掌握(盥回し)しているという仰天すべき事態が続いているのです。「万機公論に決すべし」ではなく、密かに、夜陰に乗じて「お手盛り」まがいの政治が罷り通っているのですから、「言論の自由」も地に堕ちたというほかありません。本日は、本当はこんな御託を並べるつもりではなかった。「全国紙対地方紙」のアナロジーで「標準(共通)語対方言」の問題を取り上げようとしていたのです。(「明窓」その①)

 因みに「明窓(めいそう)」はどこかで触れたことがあります。明るい窓、光が差す窓のことで、「寒炉に炭なく、ひとり虚堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する」(道元)欧陽脩「試筆」に出る言葉。ここから、「明窓浄机」という語が生まれた。ぼくが駄文を綴っている部屋は、南向きで、窓も二間幅をとってありますが、とても「明窓」とは言えない。窓の前には濡れ縁があり、そこには野良用の「猫部屋」が備えられているし、その机は「浄机」とはお世辞にも言えません。今このパソコンを使っている机は一間半の幅ですが、(この瞬間に、自分用の部屋だと錯覚している「ネコ君」が帰ってきた。つい先ほどまでは、生後一か月の「四人組の幼猫」(「一つ」は川崎にもらい子されました)が暴れまわっていた)

 「明窓」というコラムもよく読みます。数日前には、寂聴さんについて書かれていましたね。「人生の妙味を知り尽くす」というタイトルでした。本日は「方言の効用」としてありました。内容は以下の通り。

HHHHHHHHHHHHHHHHH

 明窓・方言の効用 増える一方のカタカナ語はすぐに忘れるのに、子どもの頃に接した言葉は、不思議なことに今でも覚えている。「おんぼらと」という言い方もその一つ。先日、雑談の場で年配の人が使うのを久々に聞いて懐かしかった▼国語辞典に載っていない方言らしく、穏やかなや、ゆっくりの意味だと記憶している。出雲地方だけでなく北陸地方や滋賀県では「おんぼらぁと」や「おんぼりと」という言い方をするそうだ。辞書などを手掛けた国語学者の故山田俊雄さんも、自分の母親が使っていたと書いていた▼あまりいい言葉とは言えないが、ばかやばか者を意味する「だらず」や「だら」は、子どもの頃には怒られる際だけでなく、軽い口調でも使っていた。「いけず」も、いたずらや悪さを注意されるときなどに何度となく聞いた。「いけず、すーなよ」といった具合に▼「いけず」は辞書では意地悪や悪者のことで、元々は大阪の方言らしい。使う地域や人によってニュアンスの違いがあり、芸者さんなどが使う場合は、好意的な意味が潜んでいるケースもあるとか▼方言や訛(なま)りは、料理で言えば「だし」のようなものだと思う。パソコンで打ち出す文字に比べ手書きの文字には人間味や温かさが感じられるように、方言には標準語とは違う味わいや温かみがある。子どもを叱るときや政治の言葉に、そんなぬくもりが交じると、聞く側にも伝わる。(己)(山陰中央新報・2021/11/18) 

HHHHHHHHHHHHHHH

 「おんぼらと」という語は、おそらく初めて聞くものでした。どこかでいつか、耳にしたのかもしれませんが、まったく記憶にない。あるいは石川県で使っていたのか、それもわからない。おふくろがいれば、聞けたのですが。「だら」という語は使った記憶がある。おそらく石川県ではよく使っていたらしい。京都に来てからも使っていた。 「いけず」は今でも使う、関西弁の三役格じゃないですか。「いじわる」という気味もありますし、「あの人、いけずしはったんや」とか何とかいっては、笑ったことが思い出される。根性が悪いという意味にもなった。

 コラム氏の仰せのように、「方言」が「だし」かどうか、ぼくには判断できない。もともと、その言葉しかなかったものだし、地域地域でふんだんに使われていたものです。これ、すなわち方言はりっぱな「日本語」だと、ぼくはずっと言いつづけてきました。日本語は、数百もある、実に言語感覚の豊かな地域だった。それを「撲滅」しようとしたのが、あるいは「五箇条の五誓文」の狙いの一つではなかったか。「方言」は汚い、遅れている、共通性がないなどと非難され、学校教育を通して、一貫して忌避されてきた。その典型が「方言札」でありました。近代社会となり、文明開化を成功させるには、「旧来ノ陋習ヲ破リ,天地ノ公道ニ基クヘシ」というくだりは、その気味が濃厚です。「方言には標準語とは違う味わいや温かみがある」と言われるのはその通り、おそらく数百千年を経て「育てられた」ことばだからです。地場育ちという語がすっかり当てはまります。「流行語大賞」などという決死済みのような毎は似ても似つかない、言葉には、驚くばかりの力があるんですね。

 ぼくは石川・京都・東京・千葉と、それぞれに長い時間を生活してきて実感するのは、土地の「老人(昔の若者)」たちの「普段着の言葉」で、つまり方言の使用感覚でした。一番耳にうるさく聞こえたのは「江戸弁」というか「東京言葉」でしたね。まったくの歴史も地域性も感じられない、即席の「共通語」だった、一面ではまるで「エスペラント」だったとも言えます。そこへ行くと、千葉県は言語数は豊富で、その感覚は鋭敏だった。房総半島にもいくつもの「地域語」がありましたし、今でも使われているものがあります。細かいことは略しますが、方言は「だし」などでがはなく、むしろ「主食」だったのだ。というか、たとえがまずいからそういうのですが、方言は「人間言語」「生活言語」だと言うべきでしょう。それを使用禁止(厳禁)にしたがったのが学校教育で、その責任には軽くないものがあります。寧ろ「標準語・共通語共通≒天皇の言語≒国語」という人造言語は「0と1」で作られた「二進法言語」のように味気ないですよ。奥行きもないし広がりもない。

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 ここまで来て来て、少し面倒になったのと、雑用に取り掛からなければならないので、中途半端ですけれど、本日はここまでにします。中根千枝さんに関しては、あまり間を置かないで触れてみることにします。「タテ社会の人間関係」は、もっともはやい時期に読んだ「文化人類学」の本だったと思います。一読後の印象は鮮やかだった。いまとなれば、いろいろと問題を指摘することもできますが、当時、ぼくは大学に入りたての頃。中根さんについても、いろいろと文献を漁った記憶があります。

 本筋ではありませんが、このコラムで気になるのは(ここだけではなく、いつも、どこにでも見られることです)「女性として初めて東京大教授」式の言い草です。このコラムの筆者は男性でしょ。

 まず女性記者なら、こんな書き方はしないね。これは「日本人(男性)の悪癖」です。少しも治らない。あるいは、「~初の文化勲章」とか。そのように言って、どうしたいんですか。「落語家初の人間国宝」とか「野球人として初の文化勲章」とか。なんの躊躇もなく、こういう記事を書くという、そもそもが遅れている、いや止まっているんだ。「知識ヲ世界ニ求メ」というのは「寝言」でもなければ、「掛け軸」でもない。生きた現実を表わす言葉であるわけで、もしそうでなけれな、言葉を使って何をしようというのか、なにがいいたいのか。

 男性優位を図らずも明示する表現は、それこそ「撲滅」すべきでしょ。新聞がそれをしないでどこがするんですか。それから、順位争い、ランキング競争の大肯定です。まったく気が付かないで書いているとするなら、もはや救いはない。「一番」病の感染力はえげつないし、何処までも後生大事に「一番病」を病んでいるがいいと、いまさらいうのも癪にはさわりますね。「男性だから」、「女性だから」と言っている時代はとっくに過ぎています。つまり、男社会は、存在しているように見えて、中身は腐っている、そのあおりで女性でも腐っているのがいます。下品な物言いですが、男だとか女だとか言っている、暢気で遅れた時代や社会は、確実に「絶滅種」なんですよ。もちろん、人類史で見れば、百年や五百年は「夢の内」ですからね。盤石に見えている「なにごと」も、すでに、とっくに「終わりが始まって」います。それは明治維新期であったかも知れないし、第二次世界大戦の敗戦時であったかもしれない。残滓(かす)は残りますけどね。

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 明窓・日本の癖 智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される―。夏目漱石の『草枕』は、処世の愚痴で始まる。理屈っぽいと敬遠され、かといって情をかけてばかりでは、足をすくわれかねない。このくだりについて、先月12日に94歳で亡くなった社会人類学者の中根千枝さんなら「半分当たっているが、残り半分は外れ」と見立てたのではないか▼中根さんの代表的な著作『タテ社会の人間関係』(1967年刊)は、人間関係を中心とする日本社会の特徴をあぶり出している。日本人がうすうす感じながら言葉に表現できなかった社会の「癖」のようなものを筋道立てて見える化し、日本を理解する手引として国際的にも高く評価された▼その癖の代表格が、論理より感情を優先させる日本的な組織風土。企業などで実務能力は抜群でも、やたらに筋張れば「面倒くさいやつ」になり、仕事ぶりは目立たないが、人間的に周囲を引きつける「情の分かる人」が出世頭になる▼冒頭の一節に中根論を当てはめれば、前段の「智に働けば…」はその通りだが、後段は意味が逆転する。「情に棹させば流される」どころか社会の勝者になる▼女性として初めて東京大教授になった中根さんは「学者の世界も論より情。世の中には変わるものと変わらないものがある」と説く。組織同士のヨコの連携は苦手で、部課長など上下のタテ関係にこだわる日本社会の癖は変わりにくい。(前)2021/11/17 04:00

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