菊は栄える 葵は枯れる 桑を摘むころ…

【小社会】きのうの本紙1面に写真が載っていたタチアオイは、高知市の久万川沿いでもよく咲いている。濃い赤、白、ピンク。大事に植え育てられた大形の花をめでながら毎朝、散歩している。▲別名を梅雨葵(つゆあおい)という。茎は大人の背丈よりも高く直立し、梅雨のころ下段から咲き上る。天保年間の書物「世事百談」には「花葵の花咲(さき)そむるを入梅とし、だんだん標(すえ)の方に咲終(おわ)るを梅雨のあくるとしるべし」とある(講談社学術文庫「雨のことば辞典」)。▲つまり梅雨入りのころ咲き始め、てっぺんまで咲くと梅雨明けのころといわれる。もっとも、久万川沿いのタチアオイはもう最上部の方が咲いているものも。いわば、気の早い組だろうか。▲高松地方気象台が一昨日、四国地方が梅雨入りしたとみられると発表した。気象庁の資料では、5月の梅雨入り自体はさほど珍しくはない。ただ、警戒すべきは気の早い台風2号だろう。まだ5月というのに大型で強い勢力。沖縄の南の海上を進んでくる。▲近年、西日本豪雨をはじめ毎年のように大雨による悲劇が相次いでいる。気象庁は昨年6月、線状降水帯の半日前予報を開始。今月からはその発生を伝える「顕著な大雨に関する気象情報」を最大で30分早く発表する運用を始めた。ともかく「早め早め」の行動を促している。▲気候変動もあるのか。昨今は季節の変化も早め早めと感じる。災害への備えも気が早いぐらいがよさそうだ。(高知新聞Plus・2023/05/31)(ヘッダー写真も高知新聞掲載)

 珍しいことに、高知新聞からの引用が続きます。もう何年も前のこと、高知新聞の若い記者と一緒したことがありました。M さんと名乗られた。今も元気で活躍されているだろうか。他の地方紙にも何人かの知人がいます。地方紙の限界を感じながらの記者生活に、ぼくは遠くから思いを馳せています。

 四国が梅雨入り 平年より7日早く 高松地方気象台は29日、四国地方が梅雨入りしたとみられると発表した。平年に比べ7日、昨年より13日早い。九州北部、中国、近畿、東海地方でも梅雨入りした。/ 高知市では、25日から曇りがちな天候が続いた。29日午前もやや暗い空模様で、雲の合間から日が差したり、隠れたり。曇天下でも江ノ口川沿いではタチアオイが赤やピンクの明るい花を咲かせ、散歩する人を和ませていた。/ 高知地方気象台によると、四国地方は前線の影響で、向こう1週間も曇りや雨が多い見通しという。平年の梅雨明けは7月17日ごろ。(河本真澄)(高知新聞Plus・2023/05/31)

 いつの頃だったか、おふくろから「家紋」は「剣片喰(けんかたばみ)」と教えられたことがある。ぼくの方から聴いたのではなく、話の折に出てきた。今も昔も、「家紋」になんの関心もないぼくでしたが、いくつかの紋所はよく知っていた。中でも「葵」、徳川の家紋ということで、「菊」の紋よりもよく知られていたかもしれません。この「葵」については触れると、なかなかの難敵で、一筋縄ではいかない代物だという先入観がぼくにはあります。先日拙宅に来てくれた卒業生の一人(法務省の官僚)が庭の花を見て、「立葵(タチアオイ)」と言い当てたのに感心しました。近所の野原に咲いていたものを一本だけ移植したのが、今では何本もが敷地のあちこちで育っている。強い植物なんですね。下部の蕾から徐々に上昇して、最上部の蕾まで咲き続ける。不思議な花(植物)だと、いつも見惚(と)れる。梅雨入りの頃に咲き出し、咲き終わると夏といわれ、かなり開花期間が長い。

 ぼくの敬愛する先輩に生物学者の「菊山」という名字の人がいた。なかなかの通人で、茨城の産。いつも「菊は栄える葵は枯れる」と謳っていた。戦時中に流行った流行歌でした。「伊那の勘太郎」(長谷川一夫、山田五十鈴主演)という映画の主題歌だったか、「勘太郎月夜歌」(作詞佐伯孝夫 作曲清水保雄)といった、小畑実さんの歌。昭和十八年発表。ぼくは小畑実さんが大好きだし(特に「湯島の白梅」)、四、五歳ころから「勘太郎月夜歌」もよく謳っていた(伊那谷にも強い郷愁?を覚えました)ので、その先輩とはすっかり親しくなりました。大変な学者で、内分泌学の権威でもあり、しかもラクビーのグラウンドに、かなり高齢になるまで、いつでも出ていた。よく一緒に飲んだこともありました。

 「菊は栄える 葵は枯れる 桑を摘むころ 逢おうじゃないか 霧に消えゆく 一本刀 泣いて見送る 紅つつじ ♫(三番)」

 なにかあると「菊は栄える葵は枯れる 桑を摘むころ逢おうじゃないか」と唱和したものでした。なかなかの洒落っ気もあって、男児が生まれたときには「嵐」と命名された(と記憶しています)。もちろん、ジャニーズからの借用ではなかった。「菊山嵐」、なんだかすごい猛者という印象を受けたものでした。ご当人は「菊山栄」と、実にスッキリとしたお名前だった。親子で「平仄」は合っていましたね。ある時期までは学者をしながら、競馬の解説でも知られていた。趣味が嵩じて、府中競馬場の横に移住された。招待されてお邪魔したが、二階のベランダから、場内が一望できた。いまは、かなりの高齢になっているはず、ご健在だろうか。(昨年三月末に亡くなられた O 先生とは、茨城県の高校の同級生だった)

 その「葵」です。葵は、今では普通名詞で、特定・個別の植物(花)を指していない。暇にあかせて「葵」という漢字表現を探したら、たくさんあったのに、驚いた。よく目にし口にもするのに「山葵(わさび)」があります。やがて咲き出す「向日葵(ひまわり)」、さらには東南アジアでよく見られる「蒲葵(びろう)」などなど。それらに、どうしてこの「葵」という字が使われているのか、よくわかりません。こじつけて説明しているものがほとんどで、それもこれも「当たらずといえども遠からず」「遠からずといえども当たらず)のようでもあります。徳川家の紋所は京都賀茂神社の「葵」から来ているというのは事実らしい。しかし、紋としての「葵」だけでも百種くらいはありそうで、それだけ人気がある・あったということでしょう。「家康の威光」の為せる技でしょうか。「家紋」に関わると、まるで迷路に入り込んだようになり、収拾がつかなくなります。一体どれくらいの種類があることか。数千、いや数万はあるでしょう。他国でも事情は同じ。「家」を誇り、「家門」を世に突き出す、そんな文化がまず栄えたということでしょうか。

● アオイ(あおい / 葵)= 普通はアオイ科(APG分類:アオイ科)のタチアオイ、フユアオイ、トロロアオイ、モミジアオイなどを総称してアオイというが、現在では単にアオイという和名の植物はない。アオイの名が日本で最初に表れるのは『万葉集』であるが、これをフユアオイとする説のほかフタバアオイなどとする説もあり、古来より「葵」の概念と扱いには混乱がある。たとえばカンアオイ類はウマノスズクサ科で、近縁のフタバアオイは別名カモアオイ(賀茂葵)ともよばれ、京都の賀茂神社の儀式植物として古くから用いられている。カツラ(桂)の枝に結び付けられて諸葛(もろかずら)として用いられることもあり、『古今和歌集』『枕草子(まくらのそうし)』や『源氏物語』にも取り上げられて、現代まで続いている。また有名な「葵の紋」とよばれる徳川家の三葉葵も、フタバアオイの葉を3枚組み合わせて紋章化したものである。/ 6世紀の中国の農書『斉民要術(せいみんようじゅつ)』には、野菜の筆頭にアオイをあげている。それをフユアオイとする説が強いが、ツルムラサキとみる中柴新の新説も出されている。なおツルムラサキの代表的な漢名は落葵である。(ニッポニカ)

 アオイ(葵)は日本原産ではないが、ワサビ(山葵)は日本産だとされます。「蒲葵(ビロウ)」は、東南アジアなどでは屋根葺(ふき)材にも使われている。萱や藁に同じ。時々、ネットでヴェトナムの女性たちが山野で家を作ったり農業を営み、都会から離れた生活を営む風景を映し出している番組( youtube )を見ることがあります。その際には、多くは屋根にこの植物を載せていますね。(上写真、左から「山葵」「向日葵」「蒲葵」)(右端は「蒲葵」を使った屋根葺き)

 まったく形状も種類も異なる植物に「葵」という字が使われているのは、それなりの理由があってのこと、調べてみたいが、今は面倒だし、無理。

 先日(五月十五日)、京都で「葵祭」が行われたニュースを見ました。小学生の頃、京都の堀川に少しの間住んでいたことがあり、この祭りに何度か遭遇しました。興味も何も湧かなかったし、遊んでいる側を「祭りの行列」が通っていたような気がするばかりでした。京都三大祭のひとつとされ、時代遅れをいささかも気にしないで年々、軽薄の度を加えて、観光用の行列は練り歩いています。

● 葵祭(あおいまつり)= 5月15日に行われる京都市北区上賀茂(かみがも)の賀茂別雷(かもわけいかずち神社(上賀茂神社)、左京区下鴨(しもがも)の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)両社の祭り。元来、かも祭(かもまつり)と称し、平安時代に祭りといえば賀茂祭をさすほど有名であった。また石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡(やわた)市)の祭りを南祭というのに対して、北祭ともよんだ。現在も岩清水祭、春日(かすが)祭とともに三大勅祭の一つ。祭日は、明治以前は4月中(なか)の酉(とり)の日(二の酉の年は下の酉の日)であった。葵祭の名称は、祭員の挿頭(かざし)に葵を用い、神社や家々に葵を飾り、物忌(ものいみ)のしるしとすることに基づくもので、同様の呼称は松尾(まつのお)祭(京都市西京区嵐山(あらしやま)宮町の松尾大社、4月下の卯(う)の日~5月上の酉の日)などにもみられる。(ニッポニカ)

● かも【賀茂】 の 祭(まつり)=京都の、賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)(=上賀茂神社)と賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)(=下鴨神社)の祭例。古くは四月第二の酉(とり)の日、現在は、五月一五日に行なわれる。祭の前の午(うま)または未(ひつじ)の日に、鴨川で斎院の御禊(ごけい)がある。京都鎮守の祭で、平安時代には特に盛大となり、単に祭といえばこの祭を意味した。葵の葉で牛車や簾(すだれ)、社殿や祭人の冠(蒼鬘(あおいかづら))などを飾り、賀茂の家々の門にも葵をかけたので、葵祭ともいう。石清水八幡宮の南祭に対して北祭といわれることもある。(精選版日本国語大辞典)

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 何気なしに、裏庭などで咲きだしている「立葵(タチアオイ)」の姿を見ていて、いろいろな雑念が浮かんでは消え、消えては浮かんだ、そのままの雑文です。何かの意見や見識があるわけでもなく、歴史の勉強をするつもりもない。花木にも謂れありということを痛感するばかりです。田舎に住んでいると、嫌でも植物の色彩や姿形の移り変わりが目に入ります。それだけでも「至福」というつもりはありませんが、その御蔭で気持の保養をさせてもらっているとありがたく思う。「葵祭」はまた、嵐山の松尾大社でも行われており、とても懐かしく思い出されています。この神社は「酒の神」が祀られており、しばしばお参りしたことがあったし、姉貴の結婚式が行われた神社(場所)でもあった。ぼくには信仰心は皆無で、まことに罰当たりだという自覚はありますが、神社仏閣へはよく出かけたものでした。その建築物を観察するためだった。彫刻を始め、組物など、今ではまったく見られなくなった「技術の粋」を確かめることは、ぼくには大きな意味がありました。

 寺社建築の技術は、ほとんどが大陸を通じてこの島に入ってきたものです。東海の孤島というのは地図上の幻影で、実のところは、世界(海外)に向かって、あるいは世界に対して開かれていたのでした。その証拠に「衣食住」のことごとくは海を通じて入ってきた(もたらされた)ものばかりだったのです。「原日本人」と言えるなら、そのような人々そのものが、大陸の各地から渡来してきたのです。祭りをとってみても、「日本独自」と言いたくなるような、洗練された景色・景観は極めて近代の産物で、その表面を覆っている幕を剥ぎ取れば、直ちに大陸の文化・文明圏に存在したものだということが瞭然とするのです。

 だから、歴史を学ぼうとしなければ、なんだって「日本の文化」「和国の伝統」「固有の美しさ」などと「非歴史」を元にした、荒唐無稽日本論を騙(かた)って憚らなくなる。無知ほど怖いものはない(Ignorance has no enemy ; there is nothing scarier than ignorance.)のですね。いい悪いを含めて、さまざまな表層の深部にある地層に思いを及ぼすことは、独りよがりを避け、他国を尊び、多民族を敬うための大切な姿勢の下地となるのではないでしょうか。

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 「漱石枕流」という往生際の悪足掻き

 巷間、「五月の花」と言われます。メイフラワー(May Flower)。この名を持つ船の乗員(二十五、六名)がが北米大陸に上陸し、そこを新天地として植民地開発を進めた。これが米国の起点になった。当地についたのは、1620 年秋のこと、我が邦の徳川初期にあたります。「五月の花」としてもっとも有名なのは、この船名でしょう。それには触れないのは、面倒な話になること請け合いだから。各国、各地でも「五月の花」にはさまざまな種類が数えられています。この呼称、特に英米で盛んに使われてきました。その代表は「サンザシ(山査子)」「アネモネ」などです。サンザシは、もともとは中国原産で、やがてこの列島に入り、大いに薬用にも使われるようになり、人口に膾炙しました。トチノキの親類のようなもの。「セイヨウサンザシ」(左上写真)は特にイギリスでは愛好されてきた植物です。

● サンザシ…この属の種を細分する研究者は1000種以上の種があるというが,実際にある種数は150~200種ほどであろう。欧米では春咲きの花木として観賞され,とくにヨーロッパからアフリカ北部に分布するセイヨウサンザシC.oxyacantha L.em.Jacq.はイギリスでは〈5月の花May flower〉の名がある。多くの種が園芸品種にも区別され,花色は白だけでなく桃色や紅色もあり,また八重咲きも知られ変異に富むが,日本での栽培はまだ一般的ではない。(以下略)(世界大百科事典)

アイリスの特徴 アイリスはアヤメ科の多年草で、花期は春~初夏です。すらりとした姿で、鮮やかな色の花を咲かせます。アヤメ科には、アヤメやアイリス、花菖蒲(ハナショウブ)、ジャーマンアイリスなど様々な植物があります。アイリスはそれらを総称したものとされています。/ 花色が七色の虹をイメージさせるアイリスの花名は、ギリシャ語の「イリス(虹)」に由来していると言われます。アイリスの種類 アイリスの中でも有名な種類は、アヤメ、カキツバタ、花菖蒲(ハナショウブ)、ジャーマンアイリス、ダッチアイリス、イチハツ、シャガなどがあります。紫色の花を咲かせる種類の多いアヤメ科ですが、その中でもジャーマンアイリスは紫や青、青紫、白の他に赤やオレンジ、ピンク、黄色などとても色鮮やかな花を咲かせます。(LOVEGREEN:https://lovegreen.net/languageofflower2/p28267/)

 駄文を何年も毎日書き殴っていると、「そんなことでいいのか?」と、誰かに詰問されているような気になり、なかなか書き出せなくなることがあります。ずいぶん昔のこと、ぼくの友人(政治学者)が「原稿の一行目が、なかなか書けないんだよ」と困った風に話した時、ぼくは「そんなの簡単さ。二行目から書けばいいじゃん」と言い捨てて、顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがあります。いわば、「季節の花」に触れて書こうとするのは「二行目から」に当たるのでしょう。この二行目から書き出すと、なかなか一行目には戻れないことも事実です。戻りたくない「話題」が待っているからです。それは第一に「殺伐」「頽廃」「虚誕」などを押し付けてくる政治向きの話題です。あるいは「殺戮」「強殺」「殴打」「強盗」「詐欺」などなど、毎日のように生じている事件や犯罪の問題群の軋轢によるのでしょう。

 「バラが咲いた」とか「牡丹が満開だ」とか、「花菖蒲は得も言われぬ美しい花ですね」と言っている分には、気分の悪くなる気遣いはありません。そればかりに没頭できる人は幸福であり、幸運だという気もします。とは言え、何事によらず、いいことばかりでないことも本当で、気候変動のせいにはしていますが、この直後に設定されている「母の日」の贈り物の定番、カーネーションが早く咲きだして、多くの栽培家が困っているというニュースもあちこちから届いています。「促成栽培」や「抑制栽培」の管理が利かないくらいに、異常気象が激しいということでしょうか。人間お勝手だって相当なものですがね。「促成栽培」などというと、ぼくなどはただちに「学校教育」を想定してしまう。これも異常気象ならぬ、異常現象ですし、それには、明治以来、百年をゆうに超える歴史と伝統が輝いています。子どもの頭に「大人の小利口さ」を導入する、そんな教育を指して、ぼくは「促成栽培(教育)」と詰(なじ)ってきました。まるで判断力も他者をいたわる感情も育っていない「AI 人間」を生産しているのではないかとさえ思ってきました。このような「促成教育」は大成功だったと思う。「十歳の頭に三十歳の智慧」といえば、どうでしょ。びっくりするような「幼稚」きわまる人間が生み出す喜劇ならまだしも、その大半は悲劇なのですから、心が震撼させられるほかありません。

 という次第で、喜んで書きたくなる「内容」が浮かんでこないのは、貧困を通り越した、ぼくの貧弱な資質のせいであることは自覚はしている。ところが、その「駄文」が、ときには命令調で「それを書け」という。書いた駄文に、書いた本人が命じられて、呆れるやら、情けなくなるやらです。でも、書くほかないないようですね。以下、本日も「二つのコラム」からです。コラム氏はプロですから、内容といいテーマといい、まことに時宜を得ていると思う。ぼくは、それに刺激され、いわば「呼び水」のように、よしなしごとを書くハメになる。

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 まず「強引な導入を謀るマイナカード」のこと。とてもタイミングのいい「天風録」の指摘でした。「不具合」を使って「欠陥」を隠すという姑息な根性に満ち溢れている世情を喝破しているとさえいえます。珍しく「広辞苑」の出番が効いていますね。どこのメーカでもやっている「自動車検査」の不正、ごまかし。その結果、その車が原因で事故を起こし、死者が出た。製造者は「不具合がありました」と言って逃げおおせるのでしょうか。お茶を濁したつもりになっているんですね。原発が事故を起こし、放射能が噴出した、多くの被害者が出た。にも関わらず「原発機器に不具合がありました」と、言を左右にして「欠陥」を認めず、未だに大電力会社は「不具合」を言い募っています。政府がそれにお墨付きを与えている始末です。末世というのはこのこと。「不具合」といえば、「誰の責任でもないと、すり替えるにはうってつけなのだろう」と、当事者たちは確信しているのです。社会全体にこの「不具合の精神」が蔓衍しています。

 「不具合」とは「状態・調子がよくないこと。また、そのさま」(デジタル大辞泉)というのは、日常愛用する辞書です。そこにも「補説」として「あからさまに『故障・欠陥』というのを嫌って『不具合』ということもある」と出ています。いよいよ辞書類も「AI 時代」に入っていることがわかります。

 急いで付け加えておきますが、ぼくはお金(ポイント)が欲しいからといって、「カード登録」する卑俗で惰弱な人間にはなりたくないんだ。不利益を被ることがあっても、この強引な導入には断じて反対という「節」を曲げません。このカード導入が誰のメリットになるのかについて、一度だって政府・役人は正直に説明したことがない。政治は「嘘」を、そのとおりに実行しているのですね。「嘘を本当と言いくるめる」、「欠陥」を「不具合」といい逃れる、これこそ「詭弁」と言うべき

● 詭弁=「道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ」「《sophism》論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法」(デジタル大辞泉)

 そういう不正直は唾棄すべきですよ。「欠陥」とは本来の「機能」などをうまく働かせるために欠けている、足りないり部分、部品のあること(不備)。不良品・不良状態のことです。「不具合」は、一面では、健康や機械の調子が悪いことを指します。しかし、その原因や理由を調べると「必要な部分」が壊れていたり不備だったりすることも多い。マイナカードにかかわる「不具合」続きはどっちなんですか。「不具合」は後を断たないね。それに加えるに、政治家や官僚の「不具合」も、絶えることはない。

 余談です。小説家の夏目漱石。その筆名「漱石」には出典があります。臍曲がりの作家らしい逸話です。本名は夏目金之助でした。「漱石枕流」がその原典・原語。その意味するところは「自身の失敗や負けを認めようとしないこと。または、何かにつけて言い訳ばかりすること」と、四字熟語辞典(オンライン)にあります。

 「孫子荊、年少時欲隠、語王武子当枕石漱流、誤曰漱石枕流。王曰、「流可枕、石可漱乎。」孫曰、「所以枕流、欲洗其耳、所以漱石、欲礪其歯。」(「世説新語」)

 「流れで口を漱(すす)ぎ、石を枕に、そんな暮らしをしてみたい」というのを聞き違えて、「石で口を漱ぎ、水を枕に」と言ってしまった。この孫氏荊という人物も大いに臍まがりで、負け惜しみが強かった。弁解するに「流れを枕にするのは俗世間の賤しい話で穢れた耳を洗いたいからだ。石で口を漱ぐのは俗世間の賤しいものを食した歯を磨きたいからだ。」(Wiktionary)と屁理屈を垂れたのだ。おのれの無知を認めない根性は「天下一品」ですな。

 そこにはなにか「一理」があるのか。負け惜しみが強いのは、あながち悪いことではなさそうですが、往生際が悪いのは困ったもの。ぼくの好きなことわざに「動いても(這っても)黒豆」というものがあります。「黒豆」が這って(動いて)も、「黒豆」といいはるのは、どうしてなんですか。官僚や政治家の諸君に、とくとお訊きしたいね。

【天風録】「不具合」のごまかし 「マイナ」の略称もあるマイナンバーカードで今週、異変が相次いだ。コンビニで受け取れる住民票の写しが赤の他人のものだった騒動に続き、健康保険証と抱き合わせたマイナ保険証の一部に別人の個人情報がひも付けられていたという▲閣僚の会見で気になる表現があった。「不具合」である。個人情報は独り歩きしやすく、まかり間違えば、特殊詐欺の食いものにされる。それが公の仕組みから漏れ出すとは、むしろ命取りの「欠陥」の文字が浮かぶ▲不具合の3文字に、慣れない世代もいるだろう。本紙紙面では、1980年代には1回しか登場しなかった。90年以降も年間1桁台だった登場回数はだんだんと2桁台に乗り、昨年は183回に上った▲読み返すと、3文字を発するのは大体、問題を起こした側と気付く。米国製の心臓ペースメーカーが壊れ、2人の命を奪った事故でも社長が口にしていた。誰の責任でもないと、すり替えるにはうってつけなのだろう▲ぴったりの語句説明が広辞苑第7版にある。<製品などの、具合がよくないこと。多く、製造者の側から、「欠陥」の語を避けていう>。「不具合」とごまかす人ほど、具合が悪い立場とみえる。(中国新聞デジタル・2023/05/13)

 「対話型 AI 」万能だという世評がぬか喜びに終わることを願っています。仮に諸々の仕事(作業)が「対話型人工知能(AI)」で済ませられるなら、それはそれで結構。人間でなければならぬというものでないなら、機械に変えたほうがいいでしょう。といって、役所の仕事や業務がすべて「AI 」にとって変えられるなら、一体どういうことになるのでしょうか。大いに前のめりになっている向きは、「天に唾する」ということにならないかどうか。いや、すでに「天に唾」しているんでしょうね。「政策は人間が現場に出かけて考えないといけない。機械が生み出した言葉だけで決めるのは民主主義の放棄だ」という知事さんもいる。「政策」どころか「政治」こそ、現場に出向く必要が大いにあるでしょう。言うまでもなく、機械に頼る前に「民主主義の放棄」が進んでいることも忘れてほしくはないですが。「AI と共存した未来。がらんとした役所で職員が端末に『人口を増やすアイデアを教えて』と打ち込む」、これを未来と捉える認識の貧困を、ぼくは嘆く。人の声で賑わっている役所においても「人口を増やすアイデアを教えて」と先例や成功例を追っかけているのではないかどうか。「AI 」型社会はとっくに出現していたのではなかったか。すでにその機能はいたるところで導入されてきているんですね。それに気が付かないなら、この先もどんどん「AI」の役割は増えてくるでしょう。もはや「人工知能」が手放せなくなっている、それが実情です。

 「賽は投げられた(Alea jacta est)」

【新生面】対話型AIと行政 アクセルとブレーキ。新型コロナウイルスを巡る経済対策と感染抑止の例えとして多く使われてきたが、今はこの話題の方がぴったりだろう。全世界で急速に普及する対話型人工知能(AI)のことだ▼人間のように質問に受け答えし、手紙や感想文の作成、詩や小説の創作、プログラミングなどを短時間でこなす。半面、回答に誤りや偏見が含まれたり、質問に機密情報を入力すれば漏えいする恐れがあったり。技術革新や利便性の向上を進めながらどうリスクと向き合うか、国内外でルール作りが始まっている▼行政の分野では、主に業務効率化のための導入が相次いでいる。神奈川県横須賀市は4月、広報文の作成や議事録の要約などに活用しようと、全国の自治体で初めて「チャットGPT」を試験導入した。大西一史熊本市長も、人口減少で職員確保が難しくなるなどとして活用に前向きな姿勢を示した▼一方、鳥取県は答弁作成や予算編成での使用を禁止した。知事は「政策は人間が現場に出かけて考えないといけない。機械が生み出した言葉だけで決めるのは民主主義の放棄だ」と語っている▼AIが「回答」を導いても、それが最適解なのか人間の判断が必要なことに変わりはない。多様な困り事にきめ細かく対応できるかも、不安がある。何より、答えを現場に求めない職員が増えるなら本末転倒だろう▼AIと共存した未来。がらんとした役所で職員が端末に「人口を増やすアイデアを教えて」と打ち込む…。そんな想像はしたくない。(熊本日日新聞・2023/05/13)(画像はAIsmily:https://aismiley.co.jp/ai_news/conversational-ai/)

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 山吹や草にかくれて又そよぐ(一茶)

 本日は二十四節気で「穀雨(こくう)」という。書いて字のごとく、「穀物に恵みの雨」の意でしょう。ここから、「立夏」までの二週間余を指す。「立夏」、本年は5月6日。将に夏の始まりとされます。つい先だってまで、寒いだの寒波だのと不平をたれていたものですが、気がつけば、もう「夏」というわけ。ただ今六時半過ぎ、ゴミ出しに行ってきたところで、雨が降り出しそうな曇り空ですが、なんと「夏日」になろうかという予報でもありす。庭先に出ると、まずこんもりと膨らんで咲いているモッコウバラ、その下に埋もれるように、でもモッコウバラの淡黄色とは似ても似つかぬ「黄金色」の山吹(そこにあるのは八重です)が風情豊かに咲いています。同じ黄色でも、こんなに違うのかと、見惚れてしまう。

● 穀雨(こくう)= 二十四節気の一つ。太陰太陽暦の3月中 (3月の後半) のことで,太陽の黄経が 30°に達した日 (太陽暦の4月 20日または 21日) に始り,立夏 (5月5日または6日) の前日までの約 15日間であるが,現行暦ではその第1日目をいう。春の季節の最後にあたる。その頃は季節的に種まきや育苗のために雨が必要な時期である。昔中国ではこれをさらに5日を一候とする三候 (萍始生,鳴鳩払其羽,戴勝降于桑) に区分した。それは,浮草が生え,はとがはばたき,かっこう (戴勝) が桑の木に現れることを意味している。(ブリタニカ国際大百科事典)

 昔から、田舎(能登半島)の野山、京都の広沢池や嵐山あたりの低い丘を遊び場にしていましたから、野に咲く花々は身近なものだった。やがて、都会に出て数十年。ほとんど野山に接することなく、紅灯の巷で過ごしたのが、大きな災いをもたらしたかと思う。時には南・北アルプスの山々に出かけはしましたが、それは登るための山歩きで、そこから得たものは「墜落」「遭難」の恐怖ばかりだったともいえます。やがて小さな土地を購入し、そのまた一角に「土の置き場」「箱庭」のような土溜まりを設(しつら)え、草木をたくさん植えて、その手入れや始末に往生したことでした。そして、少し早めに勤めを辞め、積年の宿願(大袈裟だな)田舎暮らし、それも小高い丘の片隅に苫屋を設けて、今に至っています。標高は百メートルですから、どうということもありません。しかし高山のない房総半島では、それなりの景観はありました。

 大して広くもありません。そこに庭をこしらえて、たくさんの草木を入れ、庭石なども配置して、いわば庭造りと洒落こんだまではよかったが、はたと気がついた。人間の勝手で、草木をいじっていいのか、そんな当たり前の鉄則を思い出したのは、引越してきた直後でした。以来、草々は勢いを得、植木も元気いっぱいに伸びだして、見るも見事な荒野・荒庭になったという次第です。種類も数もそれなりにある樹木や竹。あるがままに任せればいいのですが、樋はつまり、水捌(は)けは悪くなる、土留(どどめ)も水の勢いで傷んできました。見るからに「荒屋」になりつつあります。変にピカピカは好きではないし、いよいよ住めなくなれば、同時に当方も朽ち果てるまで、そういう心持ちで、我ながら焦る気配はない。(庭石を入れ、灯籠を据え、蹲(つくばい)を構えていると、かみさんいわく、「まるで、お寺じゃん。もう石はいらないね」と。そのうち、そばに「墓石」も備えるか)

 山吹(ヤマブキ)について、駄文を綴り始めていました。この島の自生植物だとされます。それはいつの頃からでしょうか。万葉集にも読み込まれていますね。山吹には「思ほゆ」「恋ふる」などが修飾語として付き物なのは、無粋人のぼくにはよくわかりませんね。

・花咲きて、実はならねども、長き日(け)に、思ほゆるかも、山吹の花

・山振(やまぶき)の 立ちよそひたる山清水 くみに行かめど 道の知らなく

 この山吹と双璧をなすともいうべき、ぼくの大好きな植物は「萩(はぎ)」です。どちらも濃厚妖艶ではなく、しとやかでさえあります。萩もまたこの島の原産といいます。(原産の意味が問われますね)綺羅びやかでもなければ、毳毳(けばけば)しくもない、そんな植物草花が好きですね。ぼく自身が「がさつ」だから、なおさらそんなものを好むのです。山吹を詠んだ俳句は数知れず、です。例によって、一茶の句をいくつか。いずれも「七番日記」から。これは一茶の作句の盛んな時期のもので、四十代後半から五十後半(死の前年)までの句が収められています。山吹の佇(たたず)まいそのままの句の姿ではないですか。拙宅の近くに「牡丹園」があり、今が見頃と宣伝されています。何年か前に一度、かみさんと出かけました。二度も見る必要がないと思ったことでした。あの「華やかさ」は苦手なんですね。いつも普段着、そんな風姿がなによりだと、人間に向かってもいいたくなります。

・山吹や四月の春もなくなるに

・山吹よちるな蛍の夕迄

・山吹や草にかくれて又そよぐ

● やま‐ぶき【山吹】=〘名〙① バラ科の落葉低木。各地の山野に生え、また、観賞用に庭園などに広く栽植される。高さ一~二メートル。葉は柄をもち長さ三~七センチメートルの長卵形で縁に不規則な鋸歯(きょし)がある。春、新しい短い側枝の先端に黄金色で径四センチメートル内外の五弁花を一個ずつ開く。果実は扁球形で約五ミリメートルぐらい。茎には白い髄があり、子どもが玩具の鉄砲の玉などに使った。八重咲きで果実のできないヤエヤマブキ、白花のシロバナヤマブキなどの品種がある。漢名、棣棠(ていとう)・棣棠花。《季・春》(精選版日本国語大辞典)

 ヤマツヅジ(山躑躅)、我が荒庭では盛りを過ぎました。背丈は二メートルほどでしょうか。花の色にはいろいろなものがあるのでしょうが、濃紅色とでも言うのでしょうか。数年前までは樹勢が衰えていました。なんとか勢いを盛り返して、今年は盛んに咲いていました。また数本はある「シャクナゲ」も、時期を順送りにして咲きだしています。ある時、植木屋さんに「シャクナゲの手入れはどうするんですか」と尋ねたら、「知らないな」と言われました。一瞬、驚きましたが、「ああ、あるがまま」、それがいいということだと納得した。初めて、ヤマツツジを観た時は身がすくみました。背丈の小さい、いかにも園芸用に作られた「躑躅(つつじ)」ばかりを見慣れていたからです。凛として、そんな姿が思い出されます。京都の「山越」というところに丘でした。その「つつじ」、「躑躅」と書いて「テキチョク」と読みます。足踏みする、たたずむことという解説がある。それがどうしてこの「ツツジ」という花の名になったのか。ぼくが出会い頭に「つつじ」に祝前とし、その場に立ち止まったということ?まるで、嘘みたいだな。

 この「ツツジ」には仲間が実にたくさんあります。日本だけでも「五十種」は数えられると言う。その一々を上げませんが、いつか整理してみたいですね。やはり、ぼくには「ヤマツツジ」が好ましい。西洋では、これは「アザレア(Azalea)」と称しているようです。原産とか土着というと、何かしら垢抜けないという気もするのですが、何事も、土着だったものが時間の波に翻弄されて、やがては洗練されてゆくのかも知れません。原産地はどこか、それを尋ねられたら「地球」とでもいっておくがいい。拙なる一句を。

・山吹に霧雨煙る郷の阜(無骨)

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 屋内から音楽を開放しよう、ストピしよう

 昨日は「春はあけぼの」と、珍しく「枕草子」を読んでみたくなったり、この社会では、同じ季節の定番曲になってきた、滝廉太郎の「花」を聴きたくなり、たくさんの歌手の中から秋本悠希さんを選んでみました。若い頃は、本当によく音楽会場にでかけた。子どもが生まれてからも、義母に預けてかみさんとしばしばでかけた。その殆どは、いやすべてがクラシックだった。演奏家や団体名を出せば、今でも高く評価されているような人ばかりではなかったか。ぼくは器楽は言うまでもなく、あらゆるジャンルの音楽を聴いてきた。それぞれに安価ではない入場料を払っての参加だったから、それに見合わない演奏家には文句を言ったこともあった。オルガンを聴くために教会に出かけたことも何度かあります。

 その音楽会場について、いかにも物々しいというか、一面では建築家の腕の見せ所ではあった。奇抜なものや、悪趣味という他ない建物もなかったとは言わない。もっとも、ぼくが理解できなかったのは、二千人も三千人も収容する器(会場の収容定員)の大きさだった。指定された場所によっては、まともに「音」が届かないところもあった。はたして数千人規模の聴衆を想定して「曲」が作られたのかどうか。音楽は大観衆相手の見世物ではないように思うが。この他にもいくつも、古典音楽演奏や演奏家について素人だからこその不満があるが、ここでは、あれこれ言わない。要するに、「格式」を無理にも重んじる雰囲気が、かえって音楽鑑賞の日常性を阻害しているのだと言いたかった。堅苦しい空気がいつも介助油を支配していた。それがとても嫌だったな。普段のまま、それがなかった。

 時代が変わって、ネットが世界中に普及する時代。しかも You Tube があらゆる種類の録画を届けてくれる時代です。そのすべてが受け入れられるものとは思えないところは、どんなことについてもいえます。ここではその「黒い部分」には触れない。テレビや新聞をわざわざ観る・読む機会が皆無になったのは、あるいはネットの普及があったからだともいえます。ほぼ毎日、かなりの時間をネットの閲覧に消費しています。その中でも楽しみは音楽鑑賞というのか、You Tube 番組です。視聴する番組(ジャンル)は限定されますが、比較的多くは、ニュース番組や音楽演奏の配信です。

 音楽鑑賞という観点から言えば、会場に足を運んで「ライブ」を経験するというのは至上の楽しみと考える人もいる。でも、ぼくの感覚からするなら、いろいろな環境条件の変化から、ネット配信の音楽番組で十分とも言えるのです。この「番組」への参加もさまざまでしょう。ぼくは実に素朴に、一人の視聴者として、ゆっくりと鑑賞(視聴)するだけであって、詰まらなければ、電源を切れば済むし、お茶を飲みながら鑑賞できるし、隣の席を気にすることもいらないという、くつろぎの時間を最大限に専有(独占)できるという楽しみがあります。

 ここまでがイントロ。ぼくは、この年齢になって、つくづく実感しています。音楽に限っても、受け入れる間口(許容量)が狭すぎたということ。耳にタコができるほど古典音楽を聴きすぎたから、それ以外の世界に対して寛容の度がきわめて低いという難点が残ったままでした。このところの楽しみは、ストリートピアノを始めとする街頭音楽演奏に出会うことです。細かいことは抜きにして、昨日の「花」を歌った秋本悠希さんの「ストピ」、かなり前のものですが、何度でも聴き直している。ネット配信の便利なところでしょう。今日、カメラを始めとする録音・録画機器の性能が日に日に技術改良され、驚くばかりの高性能で、画質音質に心置きなく接することができる。なんともありがたいこと。

 また、ある目的を持って配信を行う人々の技術や感覚も、それに伴い向上しているのでしょう。驚くばかりの臨場感がある。これまでにも幾多の「路上ライブ」を聴いてきました。かなり長い間、フラッシュモブという演奏形式に関心を持っていました。それにもいろいろな形式や方法があるようですが、一種の「どっきりカメラ」の要素があって、あっと驚かされて、音楽の核心に導かれるというスリルがあったし、ぼくはそういうものが好みだった。いまでもあちこちで、それは行われているようです。

 ストリートピアノの由来は知らない。いろいろな背景が相まって、このような路上・施設内設置が初められ、それを利用するユーザーが生まれたのかも知れません。設置箇所は、この島社会だけでも相当にあろようだし、それ専用の情報配信も行われています。ぼくは、家にいながら、時には思わない番組に出会うという偶然性を楽しんでいます。演奏者もプロもいれば素人もと、多用な経歴を持っているのでしょう。この演奏形式がいいのは、わざわざ出かけなくて、ネット上で出会えるということです。場所や時間に制約されないのは、ぼくのようなモノグサには何よりです。

 昨日の「花」の歌い手である秋本さんはプロの歌手です。ソプラノを主として、多方面にわたって活躍されています。ピアノも達者だし、番組配信もされていますので、語りも堂に入ったもの。彼女が、ネットでピアノ設置情報を確認して出かけたという、その束の間の「ライブ」がよかった。こういう演奏形式や方法が広がれば、音楽が多くの人に解放・開放される。ネット時代の利点も捨てたものではないと思う。物事には二面があるということだし、悪い方に引きずられる手はないでしょう。

プロオペラ歌手 ストリートピアノで日本歌曲を弾き語る:https://www.youtube.com/watch?v=B-3agqUgWv8&ab_channel

 欧州各地にはかなり古い時代から「吟遊詩人」という芸術家がいました。また辻音楽師と呼ばれた人たちもいました。いずれも、各地巡回の旅に生きた芸術家だった。またこの島社会にも、かなり長い歴史を持った、旅する芸人たちがいました。ストリート・ピアノ、あるいは街頭ライブは、それらとは発生要因も背景もことなります。しかし、音楽などを「持って歩く」というスタイルは、いつの時代にも見られたという点では、ストピなどの流行現象は面白い出来事だと思うのです。

● 吟遊詩人(ぎんゆうしじん)=11~13世紀にヨーロッパの各地で活躍した詩人たち,南フランスのトルバドゥール,北フランスのトルベール,ドイツのミンネジンガーなどの総称。戦争,宗教,女性を霊感の三大源泉とする。トルバドゥールは複雑な韻律を用いて騎士道と宮廷風恋愛の伝統をたたえる抒情的な歌をよくし,トルベールはより男性的で叙事詩を好んで歌った。第一級の吟遊詩人,ベルトラン・ド・ボルンとベルナール・ド・バンタドゥールを宮廷に迎えたエレオノーレ・ダキテテーヌの影響で,トルバドゥールの詩は,北フランスからドイツ,イギリスの宮廷に広がった。(ブリタニカ国際大百科事典)

● フラッシュモブ = あらかじめ申し合わせた行動を取るために、不特定多数の人間が公共の場に突如現れ、実行後すぐに解散する集団行動。2003年5月、米国ニューヨークの雑誌記者ビル・ワジクが電子メールで呼びかけ実現したのが始まりとされ、その後急速にヨーロッパ、ロシア、日本などに広がり、インターネットを通じた呼びかけにより盛んに行われるようになった。著名なフラッシュモブに、08年にニューヨークで200人以上が参加して行われた、駅構内で参加者皆が突然動きを止め、その後何事もなかったように一斉に動き出すものなどがある。意外性、非日常性、楽しみなどを観ている人に与えやすいため、プロポーズやダンスパフォーマンス、広告などに広く用いられている。(知恵蔵mini)

*Sound of Music ; Central Station Antwerp :https://www.youtube.com/watch?v=7EYAUazLI9k&ab_channel

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 「病は木から」、それってほんと?

【日報抄】休日に薬局に立ち寄った。見渡すと、2千円を超える高い目薬の棚が空になっていた。目のかゆみに悩まされている人が相当いるに違いない。かゆみに効く目薬は他のものも残りわずかだった。つらさから一刻も早く解放されたい心理が見えてくる▼環境省は今年の春に花粉が多く飛ぶことを早くから予測していた。スギの雄花を調べると飛散量が見通せるらしい。本県を含む北陸や関東は「極めて多くなる見込み」と公表していた▼「極めて」というのは「2021年までの10年間の最大値を超える」レベルだという。かなり手ごわそうだ。解説によると、前年の夏の日照時間が長く気温が高いと、飛散する量が多くなってしまう。夏の好天がうらめしく思えてくる▼大量飛散の予測は正解だったようで、くしゃみがあちらからも、こちらからも聞こえてくる。「きょうは多いみたいですね」。量を敏感に感じ取って、いたわり合うのがあいさつ代わり。電車内では、どこのクリニックがお薦めか、情報交換で盛り上がる姿があった▼マスクを着け続ける人が多いようだが、ウイルスへの警戒でなく、花粉症対策のためにやむなく、という人も多いのではないか。「春が嫌いです」という鼻声が、なんともかわいそう▼一粒ならなんてことはない小さな花粉も、束になって向かってこられるとかなわない。環境省の予測に添えられた一文がわずかな救いだろうか。「飛散が多かった年の翌年は量が減る傾向がある」。望むのは心軽やかな春だ。(新潟新聞デジタルプラス・2023/03/24)

 花粉症は勢いを削(そ)がれることなく、さらに「スギからヒノキへ」のバトンリレーもなされて、五月ころまで続くという気象庁の予報が出ています。天気予報が主務の気象庁では、かなり頻繁に花粉「飛翔情報」を発表して、警戒を呼びかけている。この不愉快な症状に関しては、駄文収録でも何度か触れています。ぼくの記憶が正しいなら、京都にいる時代(高卒まで)には「花粉症」の罹患者を見たことがなかった。当時も杉や檜は植林されていたのですから、考えてみるまでもなく、どんな因果がそこにあるのか、よくわからないままに半世紀以上が経過しています。国土の七割近くが山林であり、そのまた何割かは杉や檜の林だから、それらの花粉は爪に浴びていたはずだし、それが原因で花粉症が、毎年のように、季節的に起こったというのは、狭いハンデの経験でしたが、知りませんでした。

 ぼく自身、四十になるまでは未経験だった。ところが、不惑を過ぎた頃から、軽い症状が現れた。生活に支障を来すほどではなかったが、年齡とともに症状も変化し、この数年ではかなり重いと感じるようになった。花粉症は「アレルギーの一種」で、いろいろな原因が上げられ、それに応じて「処方箋」も示されてきた。つい最近では「免疫療法として、スギ花粉抗原エキスを舌下または皮下に繰り返し投与することで抗原に慣れさせる方法があり、原因に対する根本的な治療法となりえる」(下掲の「ニッポニカ」)とされている。なんのことはない、スギ花粉を体内の取り入れ、それに対する免疫(抗体)を作るというのです。(とても高価な薬ですな)

 高校卒業までは花粉症なんて知らなかったのは、ほとんどの人が日常生活において、さまざまな生活資材に木製品を使用しており、特に杉や檜が多かったこともあり、十分に体内に抗体ができていたからであるとされています。ぼくが四十歳頃になって「花粉症」罹患者になったのは、それまでに蓄積されていて有効に作用していた「抗体」の効力が消滅したからだともいえます。花粉症治療のために医者にかかったことはない。様子が知れていたからです。根本的な治療法がないということ、一時しのぎで済まされてしまうこと、などでした。その理由は単純です。年を追って、花粉症被害者が増加の一途を辿ってきたのは、治療の効果が決定力を欠いていたからです。季節性のものということははっきりしていたので、医者には行かなかった。

● 花粉症(かふんしょう(pollinosis)=花粉に対するアレルギー反応により、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎が引き起こされる現象。おもな症状は、鼻ではくしゃみ、鼻水(鼻漏)、鼻づまり(鼻閉)、眼(め)ではかゆみである。花粉が鼻腔(びくう)粘膜、結膜に付着することにより発症するため、原因となる花粉が飛散する季節にのみ症状がみられ、「季節性アレルギー性鼻炎」ともいわれる。 原因と対策 日本において原因となる花粉でもっとも多いのはスギ花粉であり、2019年(平成31)の調査では全人口の39%の人に症状がみられるとされているものもある。どの季節に症状がみられるかによって、原因となる花粉の見当をつけるが、スギは2~4月、ヒノキは3~5月、カモガヤは5~6月、ブタクサ、ヨモギ、カナムグラは8~10月、シラカンバは4~6月がおもなピークである。地域による差もあり、スギは北海道、南九州、沖縄を除く全国でみられ、シラカンバはおもに北海道でみられる。/ 対処法としては、花粉が鼻や眼に付着しないように、マスクやゴーグルをすることなどがある。スギ、ヒノキの花粉は遠くまで飛散するため、森や林に行かなくても影響がみられるが、雑草の花粉は飛散距離があまり長くないため、生えている場所に行くことを避けるという対策も有効である。 合併症 花粉症がある場合に、果物や野菜に含まれる類似成分に対してアレルギー反応がおこることがある。口の中やのどに限局したかゆみや違和感である場合には、口腔アレルギー症候群(oral allergy syndrome:OAS)といわれる。また、これは花粉症のある人にみられる現象であるため、花粉‐食物アレルギー症候群(pollen-food allergy syndrome:PFAS)ともよばれている。 治療 花粉症の薬物治療では、おもに内服薬と点鼻薬、点眼薬が用いられる。内服薬としては、くしゃみ、鼻水、眼のかゆみに対しては抗ヒスタミン薬、鼻づまりに対しては抗ロイコトリエン薬がある。点鼻薬はステロイド薬が中心である。点眼薬は抗ヒスタミン薬、メディエーター遊離抑制薬が中心である。症状が強い場合にはステロイド点眼薬、免疫抑制点眼薬を選択できるが、ステロイド点眼薬は眼圧の上昇に注意が必要である。免疫療法として、スギ花粉抗原エキスを舌下または皮下に繰り返し投与することで抗原に慣れさせる方法があり、原因に対する根本的な治療法となりえる。(ニッポニカ)

自覚症状がなくても油断は禁物 花粉症は、アレルギー性鼻炎の1つで、くしゃみや鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどが主な症状です。日本において花粉症を引き起こす植物はおよそ50種類ありますが、スギ花粉症患者がもっとも多く、人口の約16%のおよそ2000万人いるとされています。近年では、ヒノキ花粉症やその他の植物の花粉症患者も増えています。/ また、これまで花粉症にかかったことがないのに、急に発症したというケースも珍しくありません。これは、毎年花粉を体内に取り込んでいるうちに、花粉に抵抗しようとアレルギーを引き起こすIgE抗体と呼ばれる物質の量が、その人にとってアレルギー反応を引き起こす一定の許容量に達した(感作が成立)ためです。/ 一度感作が成立すると、体内に侵入してきた花粉をIgE抗体が異物とみなし、免疫反応を起こして花粉を追い出そうと攻撃します。つまり、花粉症は身体に備わっている生体防御システムが過敏にはたらくために、くしゃみや鼻水、鼻づまりといった症状を起こすのです。(以下略)」(全国健康保険協会:https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g5/cat510/h26/270201/)(以下の図も)

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 今年は早い段階(二月初旬頃)から、目鼻に症状が現れました。これまででもっともきつい症状だと思われます。それでも医者にはかからず、市販の目薬とティッシュで対処している。「休日に薬局に立ち寄った。見渡すと、2千円を超える高い目薬の棚が空になっていた」というコラム氏の指摘の通り、これまでのものよりも数倍も高額な目薬を使っています。高価(効果)覿面(てきめん)とはいかないのは、市販薬の常です。だから医者に行くとべしとなるか、そうなるとは思えない。医者に言われることと、施される治療(薬療法)は知れているからです。このまま、季節が過ぎるのを待つ他ないという気にもなる。そこへ、気象庁は、スギからヒノキへと花粉のリレーが始まったという予報を出した。

西日本のエリアでは、まもなくスギ花粉のピークは終了見込みですが、今年は飛散量が多いため、ピークが過ぎても油断はできません。ヒノキ花粉も九州・中国・四国の一部ではすでに飛散開始しており、3月下旬から4月中旬にかけて各地でピークが続くでしょう。東日本では、3月いっぱいはスギ花粉のピークが継続し、この先も3月下旬にかけて気温が平年より高い予想のため、東京ではヒノキのピークが例年より早い3月下旬から始まる見込みとなり、3月下旬はスギ花粉とヒノキ花粉のどちらにも注意が必要です。  今シーズンの東京・大手町の飛散量の様子を過去2年と比較したところ、今シーズンの飛散開始日は、2022年に比べると2週間早くなりました。2022年は飛散開始が遅かったものの、その後ピークまでの立ち上がりが早かったのが特徴です。一方で、今シーズンは2月末から3月頭にかけて、急激な大量飛散となったことで、3月9日時点で2021年、2022年のスギの総飛散量を超えています。(※スギ花粉のピーク定義:50個以上/㎠が2日連続した初日がピーク開始日)(気象庁:https://tenki.jp/pollen/expectation/)

 「西日本からヒノキ花粉の飛散が増えてきており、東京など関東南部でもスギ花粉からヒノキ花粉のシーズンを迎えました。/ ヒノキ花粉で症状を発症する方は万全な対策が必要です」(ウエザーニュース・2023/03/24 )(➔):https://weathernews.jp/s/topics/202303/230285/)

 拙宅は雑木林の真ん中にあります。その森林の一角には杉と檜が植林されている。林の一部を住宅用に開発したといった塩梅ですから、スギとヒノキの花粉なら、「売るほどあります」といいたいところ。少しでも窓を開けると、かならず鼻や目をやられ、「くしゃみ」の連発です。スギの花粉にはアレルギー反応が起こることは自覚しているが、同じ種類のヒノキはどうか、まだぼくには区別がつかないままです。檜でも花粉症が起こるなら、この状態は五月ころまで続くことになります。花粉が飛散しまくる劣島のある地域では、すでに「夏日」が到来しています。WBCで浮かれている間に、冬と夏を同時に経験するという「未曾有の事態」が生じています。  

 アレルギー源(アレルゲン)に処方箋が書けるのかどうか。すなわち、有効な対処法があるのか。ぼくにはわからないが、素人療法として、まず逃げないこと。後ろめたく感じないで、堂々とま向かっていけば、やがて「抗体」(免疫機能)も作られるはずです。これは「対人間」にのみ当てはまる方法かどうか、野蛮なことではあれ、ぼくは試しているのです。

 世間ではよくいうではないですか、「病は木から」と。あるいは「虎穴にいらずんば、虎子を得ず」「Nothing venture, nothing gain.」とも。

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 春なれや名もなき山の薄霞(芭蕉)

 早咲き河津桜、天草市の海に映える 「2月下旬には見頃に」  熊本県天草市深海町で河津桜[かわづざくら]が咲き始めた。青い海にピンク色の花々が映え、花びらの周りではメジロが蜜を求めて飛び交っている。/ ソメイヨシノより花色が濃く、早咲きの桜。海沿いの県道など数カ所に約50本が植えられている。深海地区振興会が2015年からホームページや会員制交流サイト(SNS)で花便りを発信し、桜映えの地域として人気を集めている。/ 好天に恵まれた14日、日当たりの良い木は既に四分咲きだったが、大半は一~三分咲き。振興会職員の濵元真矢さん(44)は「1月末の寒波の影響か、例年より2週間ほど遅れ気味。ただ、咲き始めたら早いので今月下旬には見頃になりそう」と話した。(坂本明彦)(熊本日日新聞・2023/02/17)(ヘッダー写真「海をバックに咲き始めた天草市深海町の河津桜」(熊日新聞・同上) 

 何度も、河津桜の発祥地へ出かけたことがあります。季節を問わず、です。伊豆へはこれまでに何度も足を伸ばしたもので、二十年ほど前にはそこ(天城)に土地を買い、勉強部屋を作ろうとしたこともありました。(まだ、その土地は所有しています)また、ぼくの先輩に当たる医者が伊豆高原に別荘を構えていたので、そこにも誘われて遊んだことがあります。伊豆に行くと、きっと少しはあちこちに出かけ、いろいろな景観を楽しんだのでした。何年も行っていないが、今でも「河津桜」は健在だろうか。

● 河津桜 = 桜の一種。学名「Prunus lannesiana Wils. cv. Kawazu-zakura」。オオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されている。日本で一般的な桜となっているソメイヨシノより花色が濃い早咲きの桜で、ピンク色の花を1月下旬~3月上旬にかけて約1カ月間つけ続ける。1955年頃に静岡県賀茂郡河津町で発見され66年に初めて開花、74年にカワヅザクラ(河津桜)と命名された。75年には河津町の木に指定され、毎年「伊豆河津桜まつり」が行われている。神奈川県・三浦海岸でも2003年より河津桜による「三浦海岸桜祭り」が開催されており、ほか山口県上関町長島にある城山歴史公園など河津桜の名所が広がっている。(知恵蔵mini)

 桜便りが熊本から発信されました。これからおよそ二ヶ月、この列島に桜前線が北上する、見事な景観が各地で見られます。ぼくは殊の外に桜が好きで、小さい頃から、折を見ては桜を追っかけていたように思います。いつも言うように、人混みが大嫌いで、まず人のいない頃合いを見計らって、桜を堪能しに出かけたり、偶然の出会いを楽しんできました。もちろん、花見時とは限りません。何時だったか、岐阜山中の根尾谷の「薄墨桜」を、秋の暮だったかに見に出かけたこともあります。ぼく以外には誰もいなく、山中深く実に奇妙な感じがしたことを、はっきりと記憶している。

 拙宅の殺風景な庭にも、十本ばかりの桜の木々が育っています。ほとんどは苗木からのものです。中には、竹やぶの中にかぼそく立っていた「山桜」を移植したものもあります。桜はおしなべて巨木になるので、とても庭に植えられるものではないと言われています。少しばかりの土地があるので、なんとか生活に支障をきたさないで、桜も育ちやすい状態を保っているつもり。

 目を転じれば、内外に楽しくないできごと、あるいは無慈悲な事件や事故が絶えないのは常のこと。それを嘆くだけでは仕方もないと思いはしますが、少しでも事態が好転するように祈りたくなります。何よりも「当たり前」が授けられることを念じたいものです。人並みの生活は、ぼくには至福の最たる贈り物でもあります。それは、別の表現を使えば、身の丈にあった、分相応の生き方ということでしょう。ぼくのような恥多い人生を食ってきた人間に、何の取り柄もないけれど、いささかでも、自分には「当たり前」と考えられ、感じられる生活を送る、それができれば、願ってもない喜びなんですな。 

 本日は、二十四節気では「雨水(うすい)」です。立春(2月4日)からおよそ十五日目に当たる。(あてにはなりませんが)雪から雨に変わる時期だとされ、また、季節風、いわゆる「春一番(キャンディーズ)」が吹くとされてもいる。この駄文を綴っている今、外ではかなりの風が吹いています。でもこれは「春一番」と、気象庁は言わないかもしれません。あまりにも「ズバリ」だし、近々、もう一度寒波が来ることが予想されているから、気象庁は(失言を)警戒しているからです。先日は H3 ロケットの打ち上げが上手くいかず、予定していた通りに打ち上がらなかったから、それは「打ち上げに失敗」、とはいわず、打ち上がらなかったのだから「中止」だとは JAXA の言い分。美しくないね。わけがわからん。打ち上げようとして、予定通りに上らなかったから、失敗ではなく「中止」だと。まるで関係者の意志がはたらいて打ち上げなかったように聞こえる。言葉が虚仮にされているし、その言葉を使う人間の神経が麻痺している証拠でしょう。あらゆるところで、言葉は死んでいく。「言語無用」(用をなさない)の社会ですね。この強風を「春一番」と言わないとは思わないが、それに無関係に季節は巡るんですな。

 あるいは、このような寒暖の繰り返しを指して、「三寒四温」というのでしょうか。古人は、長い冬の開けるのを待ち遠しく望んでいたでしょうし、その心持を暦の上に刻んできたのかもしれない。今では異常気象が方々で想定外の異変をもたらし、日常生活に多くの差し障りをもたらしていますから、暦通りの季節の運行が困難であることもまた、紛れもない事実でしょう。そもそも暦通りということが可笑しいのであって、現実は、盛んに吹いている「春一番」ですからね。現実の移り変わりを運んできては、人間の都合とは無関係に季節は凸凹を繰り返しながら、それでも意思があるかのように巡っている。もう半月もすれば「啓蟄(けいちつ)」です。冬眠から目覚めた虫たちや動物たちが這い出てくる。

● 雨水(うすい)= 二十四節気の一つ。陰暦正月のなかで、立春後15日、新暦では2月18、19日にあたる。雨水とは「気雪散じて水と為(な)る也(なり)」(『群書類従』第19輯(しゅう)「暦林問答集・上」)といわれるように、雪が雨に変わり、氷が融(と)けて水になるという意味である。春の季語。(ニッポニカ)

 この「雨水」(2月19日から3月4日あたりまで)を三等分して、①初候=「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」(2月19日〜2月23日頃)、②次候「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」(2月24日〜2月28日頃)、③末候「草木萠動(そうもくめばえいずる)」(2月29日〜3月4日頃)と、なんとも肌理(きめ)も細かい春の過ごし方であり、楽しみ方でもあります。このような感覚が、すべての人に共有されていたとは想えません。しかし、少なくとも、行き過ぎる季節に密着・接近していなければ、かかる細心・繊細な季節感が湧かなかったことは確かでしょう。「季節感」がなくなったと言われますが、それを感じる人間がいなくなったということです。更に言うと、人間がいなくても「季節」は巡る。でも、巡る季節に「命名」する人間がいなかれば、それを「四季」とか「季節」とか「雨水」とは言わないのです。とすれば、いまも、きっと「人間不在」なんだろうか。

 この時期になると、どうしても歌いたくなるのが「朧月夜」です。おそらく小学校唱歌の中でももっとも愛唱されてきたものではないでしょうか。いまや世界規模に広がる「日本の歌」といってもいいくらいに、多くの人々に愛好されている。(不思議なことに、この唱歌をどこで覚えたのか、その記憶はぼくにはまったくありません)人口に膾炙したという表現は不適切ですが、そのように言いたくもなるほどの歌われ方、好まれ方です。「作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一。発表年は1914年。2007年、文化庁と日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定された」(デジタル大辞泉プラス)

*NHK東京放送児童合唱団「朧月夜」:https://www.youtube.com/watch?v=djNC73V-X0c&ab_channel=yoshihoshi111

 雨水を詠んだ俳句を幾つか。意外にいいものは少ないようですね。加えて、「朧月夜」も。(いづれも順不同に)

*雨水より啓蟄までのあたたかさ (後藤夜半)  *鵯の尾のずぶぬれてとぶ雨水かな (原石鼎)   *春の日や水さえあれば暮残り  *長閑さや浅間のけぶり昼の月  *春風や牛に引かれて善光寺(この三句は、いずれも一茶)  *手をはなつ中に落ちけりおぼろ月(去来)  *一草も眠らず朧月夜なり(島田葉月)  *大原や蝶の出て舞ふ朧月(内藤丈草)

 南北に長い広がりを見せているこの島国、春の訪れも南から北へと徐々に北上していきます。やがて桜の花が開き、そして田植えも始まります。まるで二ヶ月の季節と人間の労働のコラボレーションを味わう思いがしてきます。その共同歩調も、少しずつ崩れてきているのは如何ともしがたく、ついには政治も経済も含めて、あらゆる人間行動が破綻をきたすのではないかとさえ危惧されます。悪しき農薬の多用でなければさいわいですが。「春になった。鳥は鳴かない」と書き出す「沈黙の春」を書いたのはレイチェル・カーソン。今を去ること六十年も前のことでした。沈黙の度はさらに深くなったと言われることがないのかどうか。

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