条件反射の領分を超えて、考える人間になるんだ

 〈Like or Dislike〉 ~ まるでこの時代は「オセロゲーム(Othello game)の」盤上の世界のようです。「いいね!」と押して、なにが、どのように「いいね!」というのでしょうか?はたして、それ(二択、選択)だけでいいのか。「いいね」という単語で掻き消された真意(本心・本音)を無視して(自分に隠して)、どうして「いいね!」なのか。「いいね!」と言わしめた「深層」になにがあったのか、それを求めようとしなくていいのですか。▼「いいね!」の乱発で、言葉が惨殺されている。人間の精神(心情)が切り刻まれている。「二進法」というネット社会(世界)を蹂躙する《Pandemie》は、一人の人間、一つの社会、一つの世界の「可能性(蓋然性・未来展望)」を驚くほど狭め、限りなく貶めている。あらゆる方面で強いられる、「いいね!」が人間の思考力を無化し、この世界を「無言(しじま)」という暴力の奔流に巻き込む騒擾を惹起しているようです。

 上海や北京では「習近平は退陣せよ」という人民の「声」がとどろき、権力の横暴に《抵抗》する姿勢を見せている。二年前でしたか、香港で「雨傘デモ」に象徴される、抗議活動が、北京政府の強引な弾圧で押しつぶされたかに見え、その後は強権的な政治運営が続いてきましたが、けっしてその「抵抗」「抗議」の活動は死滅してしまったのではないということでしょう。もちろん、今回の北京や上海の「抗議」行動も、一過性のもので、いずれは踏み潰されると見られるかも知れませんが、いったん火がついたものは、よほど強烈な消火活動(弾圧)が継続されなければ、必ず再発火します。強権であればあるほど、抵抗力も鍛えられるということであり、たった一時期の権力者の「我が世の春」は百年も続きません。こんなことはどこの歴史でも見られることですが、権力の座についたものは「思考停止状態」になり、権力維持そのものが政治だと錯覚するのです。

 ぼくは動乱や政治的混乱を求めるものではありません。でも、目に余る権力行使や権力の横暴が続くなら、それに対して「暴力も辞さない」という考えはいつでも胸にしまい込んでいるし、その姿勢や態度にカビ(黴)が生えないように、常時点検している。もしアメリカ社会で、度重なる黒人暴動が生じなかったら、黒人の解放(いまでもまだまだ解放されきってはいません)は一歩も進まなかっただろう、そのようなことをフランスの思想家だったフーコーは明言していた。暴力は禁物ですが、政治権力を守る側が圧倒的な暴力を剥き出しにしたら、それに抗するには暴力しかないではないか、抑圧される側の「専守防衛力」「正当防衛」です。

 《good !》、 《bad !》これだけで割り切れないのが人間の営みです。それを無理に割り切ろうとすると、大切なものを捨てることになる。「あれかこれか」という狭い範囲でしか自らの選択が許されないことが、この社会をどれほど狭隘で歪(いびつ)なものにしてきたか。これまでもこの駄文収録で繰り返し綴ってきたように、ほとんどの試験は選択問題です。「次の中から正しいものを選べ」と。選択肢の中に「正解」があるというのは神話であり、作り話です。その「正解らしい」答えを判断(決定)するのは教師、こんな愚かしい教育を十数年も経験してきて、精神や感情を毀損されなかった人はさいわいです。多くの教師は「いいね(good)!」ボタンを押すことを快楽としているのではないですか。逆に言うと、「よくないね(bad)!」を刻印する人間を発見する作業が「学校教育」の機能になってきたのです。教師によってたくさんの「いいね!」を押印された児童や生徒、学生はどういう道をたどるのでしょうか。現下の社会で評価されているのは、おしなべて「いいね!」を教師によって印字されたものばかりだというと語弊があるでしょうか。

 右か左か、前か後ろか、戦争か平和か、健康か病気か、善か悪か、…このような「二択」にあらゆる可能性を取捨して、無理矢理に閉じ込めるというのはなんと窮屈なことか。28センチの足に20センチの靴を履かせるようなもの。必ず弊害(症状)が出てくる。「いいね!」は、正しくそれですね。人間の精神(思考力)や感情(情操)が歪むのは避けられない蛮行に等しい。たかが「いいね!」ボタンじゃないかと言うなかれ、これは今に始まったことではなく、学校教育の延長なんですよ。人生はすべからく「二択・選択」で決定されているのです、大筋では。(その「いいね!」ボタンに金銭が掛かっているというのはどんなことなんですか。「いいね!」を貰う・得るために、人はどんなことを考える、するのでしょうか)

 

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 新型コロナウイルスの徹底的な封じ込めを図る中国政府の「ゼロコロナ」政策に反発する抗議活動が中国全土で広がっている。デモは首都・北京の中心部にも飛び火し、27日深夜から28日未明にかけて200人以上の市民が表現の自由の象徴となっている白い紙を持ち「自由をくれ」とスローガンを叫んだ。/ 抗議活動があったのは北京市中心部の各国大使館が建ち並ぶ区域。参加者は当初、花束やろうそくを持ち寄って新疆ウイグル自治区ウルムチ市で起きた大規模火災の犠牲者を追悼した。その後、川沿いの散策路でスローガンを叫びながら大通りへと移動。白い紙を持って「私たちには今、自由がない」「PCR検査はいらない、自由が欲しい」などと叫んだ。(略)全土で抗議活動が広がるきっかけになったのは、ウルムチ市で今月24日に10人が死亡した火災。厳格なコロナ対策が影響して被害が拡大したとみられている。インターネット上に投稿されたデモの動画では、習近平国家主席の退陣を求める市民の様子も流れている。(毎日新聞 2022/11/28 02:08)(https://mainichi.jp/articles/20221128/k00/00m/030/004000c

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 若し灯火の 漏れ来ずば それと分かじ 野辺の里

 時期は少し早いかもしれません。しかし、「秋の夕暮れ」がすっかり暮れきり、朝晩の冷え込みも身を震わせる、そんな季節になったと実感している。どこからともなく聞こえてくる、冬の露や霜に凍えそうな「幻の歌声」に唱和している自分がいます。それは「冬景色」(大正二年発行)でした。作詞作曲者は不詳となっています。この他にもたくさんの、誰が詞を書き誰が曲を作ったかが判明していない唱歌がたくさんあります。理由はいくつかあります。もっとも多いのは、学校に音楽を取り入れることに忙しかった明治初期から、その道の専門家が集まって音楽教育に資する(曲)作りを始めた。一つの曲にいろいろな人が関わり、今で言えば「集団合議」で仕上げていったとされます。何ごとにおいても出発する段階の姿勢や様子は、その方向を決めると同時に、多くの唱歌も複数人が関与して作られていった、その名残が「作詞者・作曲者不詳」というわけです。共同作業もまた、人間の生活には欠かせない機能を果たしてきました。まるで「短歌」や「俳句」を集団で作っていくような作業でした。

 誰が作ったかわからないのは気分がよくないと思われるかもしれません。しかし、ものに形があるというのは、その大半は誰かが作った(作り手あり)ということであり、時間の経過とともに作者がわからなくなったり、最初から集団で制作したがゆえに、個人名を留めていないものが伝えられてきたのです。その典型を一つ上げると、「法隆寺」です。この寺を作ったのは「聖徳太子」だと冗談のように言われますが、太子は大工ではなかった。だから正解は「大工を始めとした職人たち」でしょう。でも個々の名前はまったく消えています。その多くは朝鮮半島を渡ってきた渡来人です。建築者の名前がわからないから、この建物はだめだ、という人はいません。むしろ、個人名や作者がわからないもののほうが、人間の生活では圧倒的に多いのです。 

 一例を上げると、「火」は誰が作ったか、誰にもわからないでしょう。もちろん「唱歌」と火や法隆寺は同じように扱えませんが、作者がわからないものは怪しいというのは根拠のない理屈、あるいは「好き嫌い」だけの問題になるのです。この島の「学校唱歌」にはいろいろな思いが籠められてきました。学校教育の中核として、特に重視されたということはできませんが、むしろ、算数や国語並みの扱いを受けてこなかったから、唱歌が純粋にぼくたちの胸にも心にも響いているのではないでしょうか(唱歌)。音楽という科目は好きでも嫌いでもなかったが、音楽教師の何人かに個人的に教わったり、ピアノやアコーディオンの手引をしてもらったという些細な経験が後々に影響を与えたともいえます。二十歳過ぎてから、ぼくは、暇にあかせて「唱歌」に思い切り時間を使い、自分流に「唱歌の歴史」を学んだことがあります。戦後はもちろんでしたが、戦前のもの、特に明治大正期の唱歌を丁寧に調べたのでした。その結果、得たものがあったかどうかは怪しいが、唱歌に歌われてきたものは「日本の生活・風景」であり、そこに働く労働の尊さではなかったかと思い至るようになった。

 本日、取り上げている「冬景色」の場面はどこにもありそうですが、どこと特定されない、「幻の場所」です。でも、それが特定されない「不明」の場所の情景だからこそ、その歌を聞いたり謳ったりする人は、自らに親しい場の思い出を、その風景や場所に重ねることで、歌の味わいを深めてきたのではなかったか。この「冬景色」を想起すると、ぼくはいつでも、まずは、京都の嵯峨広沢の池(そのすぐ近所に住んでいましたし、親父やおふくろの「お墓」は下の写真に写っている「山(持ち主は広沢山遍照寺)」の地主が経営する墓所にありますので、なおさら、ぼくには「冬景色」は広沢池の景色と重なるのです。二枚目の写真の奥に写っているのは「愛宕山」で、何度も登った山でもあり、帰郷する時に新幹線のなかからこの山が見えてくるのを楽しみにしていたほどの思い出も山でした。(小学校の「校歌」に「高くそびえる愛宕山」と出てきます)

 「唱歌」は、明治・大正期には現実に生きられている景色や生活を歌いこんだものが多く、今日では跡形もなく消え去り、消されてしまったこの島の各地の「営み(生活・文化)」を、いろいろな曲調に載せて、幼い子どもたちに伝えようとしたものです。それを歌いながら育った人々にとっては、今はない過去の「人や生活」を偲(しの)ぶ縁(よすが)にもなっているでしょう。この「冬景色」の「詞」を繰り返し読んでみます。まさにこれは、和歌であり、俳句である、そんなことを言いたくなるような「言葉の世界」であり、風情や風景を描いた一編の画幅とも受け取ることができます。このように言って、ぼくは郷愁に浸るというのではありません。自らが生きた過去、多くの人と歩いた過去を、もう一度、自分に取り戻す、過去を自らの今に取り戻す、そんな意味合いを感じているのです。自らの細やかに過ぎる「歴史(人生)」を辿る行程でもあるとぼくは考えているのです。

 生涯に一度も雪を目にする機会のない人もいましたし、海というものを経験したことにない人がたくさんいました。そのような未経験の世界を満たしてくれたのも、多くは「唱歌」であったかもしれない。大声で謳ったり、季節を考えずに謳ってもいいでしょうが、季節に応じた歌が齎(もたら)す、感覚や感受性というものも大事に会いたい。わかったようなことを言っていますが、ぼくは、小学校の音楽の時間で唱歌を習った記憶がまったくないのです。不思議といえば不思議です。その大半は学校とは無関係に、学校を離れてから、いつもひとりでに歌い継いできたのではないかという気もしている。唱歌は、きっと、一人の人間の細胞に刻まれた季節感や場所のイメージに大いに貢献してきたと、ぼくひとりは考えているのです。

(一)さ霧消ゆる 湊江の 舟に白し 朝の霜 ただ水鳥の 声はして いまだ覚めず 岸の家              (二)烏啼きて 木に高く 人は畑に 麦を踏む げに小春日の のどけしや かへり咲(ざき)の 花も見ゆ                                                          (三)嵐吹きて 雲は落ち 時雨降りて 日は暮れぬ 若し灯火の 漏れ来ずば それと分かじ 野辺の里

*「冬景色」(https://www.youtube.com/watch?v=oA_KqAHgV-A

                                 

 (奥の山は愛宕山・(「京都旅屋」HPより)

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 都道府県別「学力」競争 ? 狂気の沙汰だ

 【有明抄】スマホを置いて 勉強やスポーツなど日常的な取り組みは質と量が大切。集中しても短すぎては成果が出ないし、長い時間を費やせばいいというわけでもない。質と量はどちらも重要になる◆本年度の全国学力・学習状況調査で、佐賀県は全科目で正答率が全国平均を下回った。要因の一つに、家庭学習の不足が挙げられている。授業以外の学習が平日1日当たり「1時間以上」と回答した県内の小学6年生は54・9%、中学3年生は60・1%で、全国平均よりもそれぞれ4・5ポイント、9・4ポイント低い◆正答率のわずかな差に一喜一憂する必要はないが、学習時間の短さは気にかかる。素人考えでは少し宿題を増やせばと思うが、そう簡単な話ではないようだ◆教育関係の会議で「勉強する環境が整っていない家庭がある」との指摘を聞いた。親子がそれぞれにインターネットの動画を見たり、ゲームに夢中だったり。一つ屋根の下は「個」や「孤」の空間になっており、改善には家庭との連携が重要だという◆内閣府の調査(2021年度)では10~17歳のネット利用時間は1日当たり4時間24分。有用なツールとはいえ、さすがに長すぎないか。依存や学力低下との関連も懸念されている。たまにはスマホを置いてみてはどうだろう。大人と子どもが触れ合って楽しく学ぶ「教育・文化週間」(1~7日)でもある。(知)(佐賀新聞・2022/11/05 )

 このコラム氏は何を言いたのでしょうか。佐賀県内の小学生は「学習時間が短い」「たまにはスマホを置いてみてはどうだろう。大人と子どもが触れ合って楽しく学ぶ『教育・文化週間』(1~7日)でもある」コラム氏の家庭では「子どもはこうです」「親と子はこうして触れ合って、楽しくな学んでいる」という事例を出してくださるといいのにね。この記者の「学習観」は、圧倒的な多数派でしょう。真面目に机に向かっているのが望ましいとでもいうようです。「勉強する環境が整っていない家庭がある」と誰かが言ったっそうですが、どんな環境が「勉強にふさわしい環境」なんですかと問いたいものです。じつに陳腐だし、おそらくこの平均的は「子ども観」「勉強観」「学校観」がこの島を覆っているのです。

 こんなことは当たり前すぎて言うのも気恥ずかしいのですが、どんなところでも勉強はできる、また、しているのです。それを「勉強」とみなし、「学習」と認めるかどうか、それが問われているんでしょ。ぼくは教室だけが「学習環境」だと思ったことは一度もないし、家庭で「一時間以上」勉強した記憶は少学校時代も中学校時代もない。第一、机なんてものがなかった、高校生になるまで。(だからだめなんだと、言われましょうが、それは「見解の相違」ですね)。いまさら、こんなお説教を聞かされても、そうですか? というほかない。昭和三十年代初頭、テレビが家庭に鎮座しだし、やがて、カラーテレビが猛烈な勢いで普及しだしたと見るや、テレビは一日何時間と、見る時間を制限する、チャンネル権は子どもに持たせない、休肝日ならぬ「休観日」を設けるべきだと、アホくさいことしか言わないと定評のある「教育学者」たちが、自分のことを棚に思い切り上げて、珍説を開陳していました(今でもそうかもしれない)。

 テレビが子どもをだめにした、あるいはこの国の衰退を引き起こしたといえますか。言ってもいいけど、テレビにはそんな馬力なんかなかったでしょう。現実を見てください。テレビは、ただの箱。だから、「テレビ番組が低俗だった」とは言えるでしょうが、そのために子どもや青年が痴呆になったのですかと、ぼくは聞きたい。ネットの時代でもそうです、同じように便利で楽しいから、あまりそんなものに時間を使うと、生きるための「偏差値」が下がるというのでしょうか。明治の初期に鉄道が敷設された際、人力車の組合が「鉄道反対」を訴えました。◯✖車界党といったような団体でした。しかし、数年も経ずして鉄道は社会にとって不可欠の「インフラ」になった。つまるところ、便利・娯楽にうつつを抜かすと人間がダメになると、いかにもそのように想われますが、じつは、そこにも明らかな「学習」があるのだと、どうして認めないのでしょうか。

 ぼくの持論を言っても仕方がありません。しかしあまりにも偏頗な教育論や人間論が未だに棲息しているのを見ると、一言いいたくなる。遊びはいけないと、ほとんどの人は言う。そうかもしれない。でも「遊びの中に勉強がある」と、ぼくは経験から学んだのですから、否定されようが非難されようが、少しも動じません。同じことです、「勉強の中に遊びがある、なければ勉強じゃない」と。遊びのない勉強は、文字通りに「強制」です。学ぶのではなく、学ばされる。学ぶとか学ばないという判断は、自分一個のものでしたね。個人の経験ばかりでは普遍性がないというか。そんなところに「普遍性」などを持ち出すまでもないでしょう。いいでしょうか。人間の歴史において、「学校のない時代」は「学校のある時代」の比ではないほどに長い歴史を重ねてきたのです。ぼくはまた聞きたいですね。縄文人や弥生人と呼ばれる人々と、我々「現代人(文化・文明人)」のどちらが賢いのか、と。答えは明白です。だから、ここでは言わない。

 なんのための勉強ですか、という肝心要の「核」が抜けているように思うのです。「賢く」なるためですが、それは「ずる賢く」なることではない。賢さは、点数や偏差値では測れませんね。だから、却って測定可能な「数値」を後生大事にするのです。「成績」というやつですが、これが学校や社会で幅を利かせて来たために、テレビやネットがもたらすであろう弊害の比ではないほどの災厄を子どもたちや親たちにもたらしたのではなかったか。縄文人や弥生人は、もちろん「スマホ」「プレイステーション」なんかは持たなかった。それで不足や不自由があったとは思われない。「賢い」というのは、仲間として生きている存在を押しのけない、意地悪をしない、やたらに優劣をつけないで、互いに助け合うことでしょう。その理由は、集団全体が崩壊しないためです。この「共助」とでもいう関わり方は、いい例ではありませんが、大災害が生じた時に発生する「ボランティア」のはたらきです。助け合うのはお互い同士であり、他者が困った時に助ける、この精神は、いつの時代でも存在していました。学校時代は、たかだか百五十年です。ぼくは、「やがて学校はなくなります」と断言してきました。百五十年ほどの制度が、この先も続くとは微塵も考えられない。そんなものがなくても、人間は学ぶことができるからです。むしろ学校は余計な「悪知恵」を植え付ける。植え付けたのではないですか。序列・席次・偏差値などなど、優劣感情、こんなものでは測れない「内容」をうちに秘めているのが人間です。

 「親子がそれぞれにインターネットの動画を見たり、ゲームに夢中だったり。一つ屋根の下は『個』や『孤』の空間になっており、改善には家庭との連携が重要だという」と件の教育会議の御託です。子どもが「勉強する」ために学校と家庭が連携するべしと、いとも簡単に言いますね。できるなら、とっくに実現しているでしょう。学校は、子どもが自分を見つける場です。仲間を発見する場でもあります。みんな仲良くもいいけれぞ、もっと大事なのは「仲良く喧嘩する」ことを学ぶことですね。この経験は、学校を放れてからも有効な働きをする。優等生を否定はしませんが、優等生になるための「勉強」や「学校」の押し売り、それは金輪際御免被るという一念で、ぼくは学校時代をくぐり抜けてきました。「勲章をもらう」ほどの人間には、さいわいにもならないできました。

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 秋桜好きと書かないラブレター

 秋風に揺れるコスモス 高根沢で次々開花 栃木県高根沢町宝積寺の鬼怒グリーンパークで、五分咲きとなったコスモスの花が秋風に揺れ、訪れる人たちを楽しませている。/ コスモスは広さ約2.2ヘクタールの花畑にあり、今後、4種類120万本が順次開花していく。同パーク管理事務所は「10月下旬まで楽しめそうです」としている。/ 大田原市加治屋、主婦木村雅子(きむらまさこ)さん(55)は「すてきな場所で、毎年来て楽しんでいます。一眼レフカメラは使い始めて2回目です。うまく撮れるといいのですが」と話した。(下野新聞・2022/09/30)

(右上の写真は、コスモスを撮ろうとしたのか、あるいは女性を撮るつもりだったのか。どうもピントは女性にあっているようにも見えます。カメラマンは「女性がコスモス」、あるいは「コスモスは女性」と見えたんでしょうね)

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 彼岸花(曼珠沙華)が今を盛りと咲き競っています。田んぼの畦道や農道の脇に、それこそ、まるで火炎(かえん)のような赤紅色の花があちらに数十本、こちらにも数十本といった具合に、あるいは邪(よこしま)は許さないぞ、というような激しさをうちに秘めて、秋色の景色にひときわ特異な印象を刻んでいる。彼岸花が好きかと問われれば、にわかには答えられません。好き嫌いを越えて、目に迫ってくるのですから。彼岸花は別名、「曼珠沙華 (まんじゅしゃげ) 。死人花 (しびとばな) 。捨て子花。石蒜 (せきさん) 。天蓋花 (てんがいばな) 。幽霊花。かみそりばな」(デジタル大辞泉)とも呼ばれています。この花については、すでにどこかで触れましたが、「まんじゅしゃけ」とも) (サンスクリット語のmañjūṣaka の音訳) 仏教語です。根に毒を含むというので、野ネズミやモグラを寄せつけないために「畦(あぜ)道」などに植えたと言われます。「死人花」などと称されるのも、この「毒性」と無関係ではないでしょう。お棺に添える花としても知られていますので、なにか「彼岸(あの世)」と深く因縁のある花として、ぼくにも強烈な印象があります。

 それと肩を並べるという風情・情緒は微塵もないのが、同じ季節を彩っているコスモス(和名は秋桜・あきざくら)です。秋桜(コスモス)はいいですね。でも、何千何万と咲き誇るのを見るのは、余り好きではありません。なんでもそうで、これでもかというように、どんなに美しいものでもたくさん並べられると、ぼくは辟易としてしまう。いかにも食傷の気味がしてきます。野道を歩いていて、遠くからかすかに、背の高い茎・幹と花が見えてくる、その瞬間がいい。よく歩く道は「彼岸花」一色ですから、その脇に秋桜は居つかないのでしょう、並んで咲いているのを見たことがありません。また付近の散歩道にも秋桜畑なるものが見当たらない。車を走らせて二十キロも行けば、それなりの群生秋桜(コスモス)が見られます。広大な敷地一面に花は満開ですが、そんな景色は、どちらかというと苦手で、ほとんど興味がない。逃げ出したくなる。遠くから眺めるのがせいぜいです。思いがけず、行き当たりに数本が所々に咲いているというのが、ぼくには好ましく見えるのです。例えば、「コスモスはどこにありても風少し」(細見綾子)という雰囲気ですね。

● 曼珠沙華= (「まんじゅしゃけ」とも) (mañjūṣaka の音訳) 仏語。赤色(一説に、白色)で柔らかな天界の花。これを見るものはおのずからにして悪業を離れるという。四華の一つ、紅蓮華にあたる。日本では、彼岸花(ひがんばな)をさす。《・秋》 (精選版日本国語大辞典) 

● し‐け【四華/四花】説法などの際、瑞兆ずいちょうとして天から降るという4種のはすの花。白蓮華・大白蓮華紅蓮華・大紅蓮華の称。四種の花葬送で、四方に立てる白色の蓮華。また、その造花。(デジタル大辞泉)

● コスモス:こんな植物です=コスモスの仲間はメキシコを中心に約20の野生種が知られています。その中でもコスモス・ビピンナツス〔Cosmos bipinnatus〕とその園芸品種を指して「コスモス」と呼ぶのが一般的です(以下、本種をコスモスと呼びます)。/ コスモスは春~初夏にタネをまいて夏~秋に花を楽しむ春まき一年草として扱います。野生種はメキシコの高原が故郷、夜が長くなると花芽を作る「短日植物」で秋以降に花を咲かせます。和名のアキザクラが示すとおりです。/ 園芸品種には一定の気温があれば日長に関係なく開花する早咲き系があります。早咲き系は春早めにまくと初夏には開花します。また、早咲き系に対して従来通り秋に咲く系統を遅咲き系と呼ぶこともあります。ちなみに、主力で広く普及しているのは早咲き系の品種です。 /野生種は草丈2~3mになりますが、園芸品種は矮性種で40cm、高性種で1.5mほどです。葉は細かく枝分かれして羽状になります。花径は大輪種で10cmを超します。色は白、ピンク、赤、黄色などがあります。白地に紅色の縁取りが入るピコティ咲きなど可愛らしいものもあります。一重のほか、花びらの付け根に小さな花びらが付くコラレット咲きや花びらが筒状になるユニークな品種もあります。 

▼名前の由来=コスモスは英語で「宇宙」の意味ですが、植物でいうコスモスはギリシア語の「kosmos」に由来し「美しい」という意味です。美しい花の姿に由来します。種小名のビピンナツスは「2回羽状の」の意で羽状の細かい葉姿にちなみます。                               ▼来歴=ヨーロッパへは17世紀末~18世紀初頭にスペイン人神父によりもたらされました。日本へは江戸時代末、文久年間に伝わりました。広く普及したきっかけは明治前期、イタリアから東京の美術学校に赴任してきたラグーザによって持ち込まれたタネによると言われています。(「ヤサシイエンゲイ」:http://www.yasashi.info/ko_00002.htm) 

 草花に思いを寄せるのは、現実逃避とも見られそうですが、そうではありません。時に草花に肩入れするのは、一種の精神の体操、あるいは深呼吸ですね。こんな不便な山中にいても、そこは浮世、ここも浮世、それと縁切りはできないのです。世間で問題になった事件、世界の騒動の種などは、否応なしに拙宅にも飛び込んできます。若い頃は、人並みに「政治行動」といえばいいのか、デモにもでかけたし、アジ演説もした。たったひとりで新宿あたりをプラカードを持って歩いたこともある。気休めだったかもしれないが、これもまた、ぼくの深呼吸の方法でもあったのです。この二十年近く、驚くべき頽廃や堕落が政治・経済を筆頭に、あらゆる分野で生じています。これはこの島だけの現象ではなく、洋の東西を問わず、大きな「海練(うねり)」のなかにぼくたちも取り込まれているのでしょう。しかし、この社会の独自の「悪性宿痾」が隠し仰せなくなった部分も小さくないのです。

 しばしば、「戦前に似てきた」「昭和初期の、嫌な時勢にそっくりだ」と、ぼくたちの先輩たちは、いまから三十年ほど前に言っていました。ぼくはまだ、四十代だったから、「なにを旧くさい経験を持ち出して」などと批判の目を向けていたと思う。しかし、戦争体験のないぼくのような世代でも、この二十年ほどの政治状況を見ていると、あるいはとんでもない方向をたどっているという実感を強くしてきました。隣国である韓国、北朝鮮、あるいは中国に、無理矢理に敵対せんばかりの虚勢が、いつのまにか「軍事大国」張りの防衛費を獲得するまでになっているのです。数年内に十兆円という。それだけの軍事費をどうするのか、まず第一にはアメリカの時代遅れ[(旧式)の武器を購入する、それも「言い値」で。第二に、自衛のための防衛力ではなく、敵基地を攻撃するための攻撃力をつけるために、と言うのです。「敵はどこ?」、と問えば、きっと中国や北朝鮮だというのでしょう。いま盛んに「台湾有事」をやかましく言い、必ずこの社会も戦争に巻き込まれるというのでしょう。アメリカが中国に挑む、ならば「集団的自衛権」だと、まるで夢にも及ばぬ、荒唐無稽です。白昼夢を見ていたんですね、権力者集団は。いやもっと明確にうと、防衛力や軍事力の増強を主張している連中には「仮想敵」も「現実敵」もいないのです。要するに、己たちの陣地を強化拡大知るための「図上演習」を噛ましているだけのことでしょう、ぼくにはそう見える。

 「歴史を学ぶ」というのは受験のためではないんですよ。歴史を学ばないものは、「過去という鏡」を持たないから、とんでもない間違いをする。過去に犯した間違いが記憶されていないから、いつだって初陣(初体験)のつもりでしょう。この十年は、特のこの印象が強くなるばかりでした。「無恥と無知」という二枚看板が、世間を席捲したんですから。怖いもの知らず、それも束の間、ご本人は誰よりも早く「彼岸」に逝かれた。

 韓国はけしからん、中国を制裁しなければ、北朝鮮は生意気だと、どの口をもって言えるのでしょうか。その「世界知らず」(「世間知らず」にあらず)ぶりに遭遇して、こんな辺鄙な山中にいて、一人「切歯扼腕」、悔しさに思わず「歯ぎしり」をし「腕を強く押さえる」ほどに怒りがこみ上げてきます。(ぼくは「義歯」ですけれども、歯ぎしりはできます)「統一教会」というカルト集団は、政権中枢にはいりこみ、まるで吸血鬼のごとくに権力中枢の血液を吸い付けてきたのが、戦後のある時期からこれまでの数十年でした。今回の銃撃事件で、ようやくその「闇」に光が入り込んだということでした。

 カルト集団との癒着(関係)を一切断つと、表向きは言いふらしていますが、それはまず不可能でしょう。あまりにも深く「絆(腐れ縁)」が結ばれているからです。まるで「血縁関係」を断つほどの、ありえない話です。もしそれが実現されたら、権力政党は瓦解するかもしれない、それほどの危機でした。しかし、その危機状況認識はほとんど真面目に受け取られてはおらず、「虚言」を繰り返して当座を凌げば、「すべて良し」とする風潮さえあります。一政権党が壊れるだけならまだしも、この社会の脆弱なところは、「寄らば大樹の陰」、「親方日の丸」という古色蒼然とした体質の表現は、「大樹」も「親方」も元気であればこそですが、今はむしろ驚くばかりにひ弱なもので、「D group」(広告会社を名乗る)「NTV group」(新聞テレビ会社を名乗る)に頼り切っている(支配されている)のが実情です。汚染された五輪、コロナ禍の悪質な「中抜き」泥棒・詐欺行為も、すべては、このような官と合体した「民間」が主導しています。つまらない話ですが、「国葬儀」を万端取り仕切ったのは「NTV」の子会社です。詳しくは言いたくない(虫唾が走っています)ので、このくらいにしておきます。 

 政権党のある議員が故元総理を「国賊」といった。ために当該党は「除名だ」「処分だ」と騒ぎ出しています。どうしてか、「図星だったから」です。よく「火(屁)の元、騒ぐ」といいます。すでに議員を辞めた「元法務大臣」「元副総理」は統一教会の顧問弁護士をしていました。現副総理(前財務大臣)は「教団」とは長い付き合いをしています。あるいは前総理(国葬で「弔辞」を読んだ)も、深い交際のある方ですよ。だから、個々の議員のあれこれの問題などではなく、党全体がひょっとして、エキスを吸収されていたと言ってもいいのでしょう。巣食われていたのです。「党は無関係」と早い段階で幹事長が叫んでいたのが印象的です。本体が侵されていた。

 この「教会」には、既成の「新宗教」(創価学会や生長の家、あるいは立正佼成会などを経た(除名や退会した)多くの信者がいましたから、「政治と宗教」などという問題はお手の物でした。いずれ書く機会があるかもしれませんが、そのような宗教猛者(もさ)たちにとって、一票欲しさに狂っている政治家など「赤子の手をひねる」ほどの容易さで「篭絡」できたのです。それが恐らくもう半世紀も続いていたと言ってもいいでしょう。この国は、落ちるところまで落ちているのです。その破滅的状況は、致命的と言うべきなのかもしれません。

 と、ここまで駄文を綴ってきて、深呼吸の必要を感じたという次第。それがコスモスであり、彼岸花だったのです。現役俳人の中でもぼくが好む鷹羽さんの一句。それに木村享史(きょうし)さんの一句も。

・情なき世となりぬ秋ざくら(鷹羽狩行)                             ・透きとほる日ざしの中の秋ざくら(木村享史)

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(タイトルの俳句について)

 《 秋桜好きと書かないラブレター 小枝恵美子 パッと読むと、「なあんだ」という句。よくある少女の感傷を詠んだにすぎない。でも、パッパッパッと三度ほど読むと、なかなかにしぶとい句だとわかる。キーは「秋桜」。つまり、コスモスをわざわざ「秋桜」と言い換えているわけで、この言い換えが「好きと書かない」につながっている。婉曲に婉曲にと、秘術(?!)をつくしている少女の知恵が、コスモスと書かずに「秋桜」としたところに反映されている。ラブレターは、自己美化のメディアだ。とにかく、自分を立派に見せなければならない。それも、できるかぎり婉曲にだ。さりげなく、だ。そのためには、なるべく難しそうな言葉を選んで「さりげない」ふうに書く。「秋桜」も、その一つ。で、後年、その浅知恵に赤面することになる。掲句で、実は作者が赤面していることに、賢明なる読者は既にお気づきだろう。以下は、コスモスの異名「秋桜」についての柴田宵曲の意見(『俳諧博物誌』岩波文庫)。「シュウメイギク(貴船菊)を秋牡丹と称するよりも、遥か空疎な異名であるのみならず秋桜などという言葉は古めかしい感じで、明治の末近く登場した新しい花らしくない。(中略)如何に日本が桜花国であるにせよ、似ても似つかぬ感じの花にまで桜の名を負わせるのは、あまり面白い趣味ではない。(中略)秋桜の名が広く行われないのは、畢竟コスモスの感じを現し得ておらぬ点に帰するのかも知れない」。さんざんである。同感である。》『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)(「増殖する俳句歳時記))*秋桜=あきざくら 「コスモス」の異称として使われていますが、それほど周知されているとは思われません。(注記 山埜)

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 

 せんせ、せんせ、それはせんせーい

 【日報抄】「先生と呼ばれるほどのばかでなし」などと言うことがある。ここで言う先生とは学校の教諭というよりも、先生とおだてられて得意げになっている人を指すのだろう▼本来は敬意を込めた呼称のはずなのだが、時には小ばかにしたニュアンスが漂う。気の置けない仲間内で「先生、しっかりしてよ」と言えば、からかいの色がにじむ。時と場合によって色彩や重みが変わってくる言葉である▼自分が偉くなったと勘違いしないよう戒めようというのか。大阪府議会の議長が、議員を「先生」ではなく「さん」付けで呼ぶことを提案した。国会議員を代表例として、政界には議員を先生と呼ぶ慣習が広く存在している▼確かに便利な呼称ではあるのだろう。先生と呼んでおけば取りあえず失礼には当たらない。この呼称を嫌がる議員は「さん」なり「議員」とすればいい。ただ、先生と呼ばれているうちに、自らを大物と錯覚するご仁もいるようだ▼「先生」は元々、読んで字のごとく「先に生まれた人」を意味した。それが先達や、知識・技能に優れた人を指すようになったらしい。今や先述のように意味合いはさらに広がり、呼称と実体との落差が大きいことが往々にしてある▼呼ぶ側がおのずと敬意を払いたくなるような人が先生と呼ばれるのは自然なことだ。問われるのは、当の人物がその呼称にふさわしいかどうか。呼ばれる側はよくよく自分の中身を見つめた方がいい。自らに向けられた呼称に嘲笑(ちょうしょう)やからかいの色はないだろうか。(新潟日報デジタルプラス・2022/09/27)

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 「先生」があるのですから、当然、「後生」もあります。これは「こうせい」と読む。(「ごしょう」という時もありますが、それは別の意味になります)「後生畏るべし」、「論語」の中にある。後から生まれた人間でも、きっと「先生(先に生まれたもの)」を超えてゆくものがあるから、「恐れなければならぬ」というのです。「後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや」(「後生可畏、焉知来者之不一レ今也」)「論語 子罕(しかん)」)。先に生まれた人と後から生まれた人。それでなんの不足もないのですが、「先に生まれたのが偉い」と、誰かが言ったのか、あるいは本人が言い触らしたのか。とにかく、この島では「先生」呼称が大流行しました。流行(はや)れば廃(すた)るのが世の習いですから、「先生と言われるほどの莫迦じゃなし」ということになりました。それでも「先生」と呼ばれたい輩(うから・やから)が後を断たないのは、どうした感染症(病気)なのでしょうか。

 先生ではなく先輩。後生ではなく後輩。それで十分じゃないですか。「輩」は「ともがら・やから」と読み、「並び」、「順序」、あるいは「並べる・連ねる」と動詞にも使います。どうして「先生」が好んで使われるようになったのか、あるいは「自称」「他称」としても好まれたのか、理由を話せばキリがないので書きません。明治以降の学校制度の開始以来(1872年以降)、「先生」が流通しだし、やがて巷間に溢れるようになり、今は末期症状として、「先生」と呼ばれたら、「俺はそんなに莫迦に見えるか」と怒り出す者も出てくる始末です。その挙げ句に、大阪府議会での「先生呼称」廃止提案でした。それもまた、税金で生活する議員さんが議論して多数決で決めるのでしょうから、民主主義も大変な事態なんだという気もしてきます。たかが「呼称」じゃないか。

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 森昌子さんの「せんせい」には驚嘆しました。これを歌った時が十五歳だったとか。その歌詞は阿久悠氏のものでしたから、ぼくは驚かなかったが、これを十五歳の中学生に歌わせるという大人社会の「頽廃」「堕落」の事態(時代)到来に、肝を潰(つぶ)したんですね。昭和四十七年七月、森昌子のシングル発売。キャッチフレーズは「あなたのクラスメート 森昌子」でした。それより十年前に舟木一夫さんで「高校三年生」が、ぼくたちの高校生時代に重なっていたので、ぼくはよく歌ったし、同級生もフォークダンスで女子高生の手を握っては照れていました。この十年の後に、中三が教師と恋をしたという、「高校三年生」との落差に、ぼくはやはり肝を潰したのでした。暇があったら、二つの歌の歌詞を比べられるといい。この違いは、歌手舟木一夫と森昌子との違いではなく、作詞家の阿久悠と丘灯至夫との違いです。

 「おさない私が 胸こがし  慕いつづけた ひとの名は」「誰にも言えない 悲しみに  胸をいためた ひとの名は」「恋する心の しあわせを  そっと教えた ひとの名は」という、この何とも言えない、叶わぬ仲の「悲恋物語」を十五歳の森さんが歌っていた姿を正視(あるいは、制止)できませんでした。「恋する心の しあわせを  そっと教えた ひとの名は」、それは「せんせい」だった。「せんせい、一体何を教えていたんですか」いまなら、どういうことになっていたか。格好のスキャンダルだったか。そんな程度では誰も驚かない時代になっているのでしょうか。

森昌子「せんせい」:https://www.youtube.com/watch?v=EYnuZLPbTsE

作詞:阿久悠 作曲:遠藤実

淡い初恋 消えた日は
  雨がしとしと 降っていた
傘にかくれて 桟橋で
  ひとり見つめて 泣いていた
おさない私が 胸こがし
 慕いつづけた ひとの名は
せんせい せんせい それはせんせい

声を限りに 叫んでも
  遠くはなれる 連絡船
白い灯台 絵のように
  雨にうたれて 浮んでた
誰にも言えない 悲しみに
 胸をいためた ひとの名は
せんせい せんせい それはせんせい
  

恋する心の しあわせを
  そっと教えた ひとの名は
せんせい せんせい それはせんせい

 「せんせい(先生)」問題を語る際に避けて通れなかったので、森さんに触れました。今だって「胸を焦がしている」人(教師の方が断然多いという気がします)がいて、悶々としているんでしょうね。「盗撮なんか、だめだよ、せんせい」と、言わなければならぬ時代でもありますね。。

 その「先生」という呼称について、この駄文集録のどこかで触れました。ぼくも「先生」の溜まり場みたいな職場の末席にいたことがありますから、教師同士が互いに「先生」と呼び合っているのにゾッとした経験があります。ある会議を主宰(司会)していた際、ぼくは「今後、固有名(名前)を呼ぶことにします。どうしても『先生』と呼べと言われる方は、事前に知らせください」と言って、大変に顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがあった。馴れ合いが嫌だったからでしたが、ぼくはそれを通した。学生にも「呼称は付けないで。名前を呼んででほしい」と前もって言っていました。大半は好きな呼び方で通してくれた。ファーストネームで呼びつける者もいました。

 先生、それは「愛称」みたいなもので、あるいは「蔑称」かもしれませんでしたから、ぼくは使わなかったし、使ってほしくはなかったが、慣習は一気に、あるいは、たった一人では変えることは不可能です。かくして、どこまで続く「せんせいぞ」でしたね。それが学校の外にも広がりだし、あらゆる場面で「先生」が飛び交ってしまった。ぼくが困ったのは「弁護士」相手でしたね。何かと弱み(?)を握られていたから、「尊称」使用で、少しは割引を計算していたかもしれませんが、何人かの弁護士には、世間の慣習に従ったこともありました。政治家の友人や知人はほとんどいなかったので「先生、それは先生」と呼ぶ機会はありませんでした。(こんなの、大した問題じゃないですよね)

 小話で、地方の飲み屋での出来事、「入口を開けて『社長!』と声をかければ、全員が振り向いた」というのがありました。飲み屋でもどこでも客を気分よくさせるために「社長」と呼ぶ。客も呼ばれたいのかな。これは営業上の基本らしい。「先生」もそうなんだと思えば、わざわざ、議会が廃止宣言のための議論をするまでもないではないかという気もします。今や、どこの世界(業界)でも「先生」流行りです。学校や病院ならともかく、落語会やお笑い界でも「先生、お一つどうぞ」ときます。大工などの職人の世界でも。それが駄目なんではなく、「先生」というのは便利な「符牒だ」と思えば、何の問題もないともいえます。「お前」とか「てめえ)などと言われるよりは、事が荒立たないんですから。

 ぼくは、他者に向かって、一貫して、氏名を呼ぶことで通しましたが、それが痛く気に障る人が、じつに多くいたのには驚きでした。地位や身分を名乗って、自分を名乗らないのは可笑しいじゃん、そんなことを考えていたからでした。その人のことを「社長と呼べ」とか、「先生と言いなさい」とよく言われましたが、違和感があったな。「地位や身分で、私を呼んでほしい」と言われれば、そうしたでしょうけれどもね。

 最後に、これは教師に限りませんで、自分で自分のことを「地位」「身分」で呼ぶという慣習でしょうか、ありますね。教師が子どもたちに「せんせいは、こんな本を読みました」というような場合など、これは媚態かな。気持ちはあるいですな。もともとは「親」から始まったんでしょうね。自分の子どもに対して「お父さんは、こうした」とか「ママはね、とっても忙しいの」などと、じつに気味の悪い習慣や慣習にハマっているのです。いかがですか。地位や身分で自分を表すことは間違いではありません。でもその前に「一人の人間」であって、という感受性がなければ、その点では、生徒や我が子と同じ(同輩・同胞)だというセンス(感覚)を育てないんじゃないですか。「教師と生徒」ではなく、「わたしとあなた」ですね、大事な関係は。

 組織や集団は、いろいろなやり方で「個」を抑圧します。ぼくのモットーの一つに「教育の世界(学校)に、人間性を取り戻す」というものがありました。「児童」や「生徒」に強制的に仕立て上げられることに抵抗してきました。また教職に就いたときからは「先生」になることを徹底して廃してきました。ぼくは「せんせい」ではなく「ひとりのにんげん」なんだと。家でも同様で「お父さんは、…」などとは言わなかったし、言いたくなかった。「一人称」をどこでも通そうとしてきたんですね。(ぼく・おれ・わたしなどなど)

 「地位と地位」(の関係の全体)が社会(集団)を作ります。この点に関しては、どこかで、まずいながらも書いておいたと思われます。まず「地位」や「身分」で自分を誤魔化さないこと、自分を隠さないことから始めたいですね。

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 答えようのない問いが続く、それが人生かも

 【河北春秋】○か×か。可能な限り早く答え、点数を稼ぐ。面倒くさそうな「なぜ?」が浮かんだら、適当にふたをした。30~40年ほど前の記憶である▼こうした学びの対極にある「子どものための哲学」。他者の発言に耳を傾け、対話を通じて正解のない問いを深く考える。1970年代に米国の哲学者マシュー・リップマン(左写真)が始めた活動だ。テーマは例えば「なぜうそはいけないのか」「なぜ規則はあるのか」。何を話しても否定されず、無理に発言を求められることはない。安心して話ができる場を設けることが対話を成立させる大前提だ。一定の結論に導くこともしない▼日本では道徳の授業に取り入れる学校が増えてきたものの、「誠実」や「礼儀」といった美徳の教え込みに慣れ親しんだ教員には違和感があるらしい。「あるべき姿」を伝えたくなる気持ちは理解できるが、思考と対話を無効にしてしまう▼『こどものてつがく ケアと幸せのための対話』を監修した哲学者の鷲田清一さんは「哲学とは問いを見つけることである。問いを育てるものである。問いを表現するものである」と寄せている▼解決が困難な事象に直面し、たじろぎながらも発する子どもたちの問いそのものを大切にしたい。多様性を認め、尊重し合える社会にきっとなるはず。(河北新報・2022/09/08)

 かなり前にも、小学生などを前にした塩梅で、「どうして人を殺してはいけないのか?」という問いがマスコミを賑やかにしていました。立派そうな大人が「これこれ、こういう理由で人を殺すのはよくない」などと卓見を披瀝に及んだ。そのどれもが「高論卓説」だったとぼくには見えました。だが、と疑問に思ったこともまた事実でした。人を殺したら、「自分も殺されるから、…」「殺されたくないから、殺さない」などという意見(御高説)が多かったようでした。しかし、それには大きな疑いが残りました。人を殺す理由はたくさんあるのに、殺してはいけない理由が似たようなものだったからです。いわゆる「文化人」とか「知識人」と称される(自称他称)大人が、精一杯力説していたのが、ぼくには異様に思われたのです。その殆どが、「説教」「垂訓」じゃないかとも思いました。

 ここで言いたいことがそんなにあるのではありません。率直に言えば、「本当に人を殺してはいけないんですか」「どうして駄目なんですか」という、もっと根本の問題にぼくは引きつけられてきたからです。それに対して、ぼくはたった一言、「ぼくは人を殺さない」、そのように覚悟するばかりです。もちろん、これは「人を殺してはいけない」という「理由」にはなりません。でも、その「覚悟」以外に、「人殺してはいけないのは、なぜか」という問いに向き合うことは、ぼくにはできそうにない。「人殺しは悪い」と言う前に、ぼくは人を殺すことはしないと、心中密かに決めているのです。

 この社会の刑法では「人を殺してはいけない」という規定はありません。なぜでしょうか。どんなに厳格な規則や法律を作ったところで、「殺人」はなくならないという「暗黙の了解」が存在しているからでしょう。人を殺せば、「死刑または無期懲役、または…」という条文があるのは、けっして殺人の抑止力としてではない。法律は道徳ではないからです。良い比較ではなさそうですが、よく問題にされる道路交通法に「第65条 第1項 何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」とあります。刑法では、このような条文は「殺人行為」に関しては準備されていません。その理由は何か?この問題は、法律よりももっと深い問題をはらんでいるように思われます。(寝起きの脳細胞にとっては、深くて面倒な問題ですから、今は深掘りはしないでおこう)

 「人を殺してはいけない」という条文はないけれど、もし殺人事件を犯したら「死刑または…」とあるのは、法律に書くまでもなく、人を殺すのはよくないと誰もが承知しているからだともいえます。そう思いはしますが、誰もが承知しているかどうか、ぼくには疑問です。江戸時代までは「仇討ち」は存在していたし、いまだって「正当防衛」には情状酌量の余地があります。(暗黙のうちに、「殺人にいたる行為」を認めていた・いる節があります)闇雲に、殺人はいけない、悪いことだというのではなく、時には「止むぬやまれず」ということだってある。あるいは「相手を殺さなければ、自分が殺される」ということも、いつだって起こりえます。なんでも規則で禁止してしまえば、人間に求められるのは規則を守るか、破るかの選択の問題でしかないでしょう。「死刑」制度があるから、「何人も殺人はしない」ということは断じてありませんね。また「国民」に対して殺人は懲罰・懲戒の対象だと言いながら、国家はその名において「死刑という殺人」を正当化しています。これはどうでしょうか。ほとんどの人は「それは当然だ」というでしょう。しかし、その殺人事件が「冤罪」だったと明かされたなら、「国家の死刑執行(殺人行為)」はどうなるのでしょうか。どうにもならないから、次善の方法として「賠償(金で解決する手法)」制度があるのでしょう。政治や法律の問題なら、そんなに面倒ではない、そうじゃないから「答えようがない」のではないでしょうか。

 国家は「殺人を犯したもの」を死刑にすると決まっているか。それはないでしょう。日本は死刑制度を維持していますが、そうではない国はたくさんあります。あるいは一つの国においても、死刑を容認する州もあれば、廃止(禁止)している州もある。また、死刑制度を途中から廃止する国もあります。このことは何を示していますか。国家及びそれが制定する法律と言うものの「恣意性」です。同じ事件(仮定の話)が、一審で無罪、二審で有罪ということもありますす。これは何を教えているんですか。問に対して答えは一つではないということだし、何が「正解か」、簡単には決められないということでしょう。

 「哲学とは問いを見つけることである。問いを育てるものである。問いを表現するものである」という鷲田さんの見解はそのとおりです。問いを見つけるとは、見過ごしがちな問題に、あるいは、誰も不思議に思わない事柄に「疑問」を持つ(発見する)ことです。「疑う」という姿勢こそが、他人に寄りかかったり、自分で考えることを放棄しないための最良の道(方法)です。「どんな問題にも、正解は一つ」という教条(ドグマ)が、人間を愚かにする最大の武器になっていると、ぼくは自らの学校教育(就学)時代、さらには教師の真似事をして身過ぎ世過ぎをして来た時代を通して肝に銘じてきたのです。「嘘をついてはいけない」と、偉そうに説教する人間が「自分は、一度も嘘をつかなかったか」と胸に手を当てれば、顔が赤くなるはずです。「交通信号は守りましょう」と教えられて、「青信号で横断した」子どもが車に轢かれることもあります。轢いた方が悪いということと、守るべきルールを守って、なおかつ「死ぬ」ということに、大きな割れ目があります。信号は無視しましょうというのではありません。青信号だから横断する、その前に「不注意な運転手」もいるから、車が来ないか確認する、むしろ、「確認」するほうが「規則」よりも根底になければ、いわゆる理不尽な事件や事故に遭遇してしまうのです。規則を守る以上に、その規則によりかからない「注意深さ」が大事なんですね。(それでも、事件や事故は起きます)

IIIIIIIIIIIIIIIIII

 8月末の新宿駅であった駅員のアナウンスが、それ以降も物議を醸していましす。「痴漢をされたくないお客様は…」と乗客にある情報を伝えたのです。埼京線は「痴漢最悪線」だと、知れ渡っています。この問題について、ぼくも実際に、いやになるような経験をしましたが、それは割愛しておきます。

 「駅係員 : 防犯カメラは多く設置しておりますが、痴漢は多くいらっしゃいます。痴漢をされたくないお客様は後ろの車両をぜひご利用ください。 帰宅ラッシュ時のJR新宿駅の埼京線のホーム。アナウンスの内容に違和感を覚え、カメラを回したという男性に話を聞くと… 撮影者: 「痴漢は多くいらっしゃいます」って、この辺の並んでいる男の中に必ずちょっとはいるよというニュアンスにも聞こえますし、私も並びづらくなりました。被害者側に「されたくなかったら移動しろ」っていうのは、女性の自己責任論にもつながりかねないと思います」FNNプライムオンライン:(https://news.yahoo.co.jp/articles/74812b4b69e4250593a77eacd38fe34ed9640430)

 痴漢行為はいろいろな条例や法律で禁止されています。でも犯行は絶えません。「なぜ痴漢はいけないのか」という問いを立てるのか、それとも、もっと別の角度から問題を掘り下げる必要があるのか。「正解のない問い」とコラム氏をはじめ多くの「識者」は言います。正解はないかもしれませんが、「ない」のは、たった一つとされる「正解」のことじゃないでしょうか。どんな事柄(問題)にも「正解一つ」はありえない。無数にあると言えば大げさですが、いくつも「答え」はある。その中から、今この状況で何が取られるべき答え(態度)か、その状況把握というか、場に即した応答、それがもっとも肝心なことではないか。その「願わしい答え」というのは、しかし、いつでも「仮の答え」「その場に合わせた答え」でしかありません。それが時間とともに修正を余儀なくされることは当たり前のこと。でなければ「唯一の正解」になってしまいますから。「正解は一つ」はドグマです。そうしないと、試験の採点が混乱するじゃん、と教師。それだけの話しです。

 問いの中にこそ、答えがあるんですね。問いと答えは「一対」ではないんです。だから、何度でも「問い直す」ことが重要になります。考える、考え抜く、考え直す、考えあぐねる、この姿勢を放棄しない限り、人は「思慮深い」「注意深い」という美点を育てられると思うのです。英語の think、あるいは thoughtful という語をぼくはとても好んで使ってきました。いろいろな解説がなされますが、その一例を以下に。

1〈人・表情・様子などが〉考え込んでいる,物思いに沈んだ,思いにふけった,思索している。2〈人・論文・講義などが〉思慮深い,用意周到な。 3〔叙述〕〈人が〉(…を)気にかける,注意する≪ofabout≫;〈人・行為などが〉(…に)思いやりのある,情け深い,親切なofaboutfor≫;〈贈り物などが〉心尽くしの」(デジタル大辞泉)

 「よく考える、考えられる」というのは、直面する問題にのみ妥当する態度ではなく、他者に対しても通じる姿勢であり能力でもある。「思いやりのある,情け深い,親切な」、それが「考える」という行為の真髄ではありませんか。優しくなりましょう、注意深い人間になりなさい、そう言われたから、たちどころに、そのようになれるものではありません。「人を殺してはいけない」といったところで、かならず過ち(間違い)は起こります。その過ちを起こさない力を付けるのはもちろんです。しかし、犯した過ちをどのように受けとめるか、過ちという経験を、その後に活かすための態度(思考)を育てるのも、「考える」という行為・態度の深浅に関わってきます。学校の教師は「よく考えてごらん」という。そう言って何を求めるのでしょうか。「考える」という行為がどういうものかがわからなければ「下手な考え、休むに似たり」です。「考える」を子ども自身が経験する、そのためには時間がかかる。時間をかけてはいられないのが「学校教育・授業」ということになっていませんか。

 「解決が困難な事象に直面し、たじろぎながらも発する子どもたちの問いそのものを大切にしたい。多様性を認め、尊重し合える社会にきっとなるはず」とコラム氏は言われます。たしかにそうですが、「子どもたちの問いを大切にする」というのはどういうことですか、ぼくはコラム氏にお尋ねしたい。「質問」ということも学校では評価され、推賞されます。「質問はありますか」「質問、ありませんか」と。「質問」というものをもっと大事にしてほしいね。質問とは、答えを見つける最良の方法なんですよ。質問する中に、答えらしいものは含まれているから。筋のいい質問は、それ自体、すでに一つの答えになっているんです。それを含めて「出された問題に、正解は一つ」という嘘とごまかしを、金輪際、止めてもらいたいですね。どう考えたって、それはありえないことですから。

 敢えて言います。「正解のない問いを深く考える」「解決が困難な事象に直面し、たじろぎながらも発する子どもたちの問いそのものを大切にしたい。多様性を認め、尊重し合える社会にきっとなるはず」と言うのは重要な指摘です。しかし、子ども時代にそのような経験を重ねなかった大人はどうなるのか、どうするのか。それが今の、この島社会の現実(リアリティ)であるということでしょう。「嘘をついてはいけない」と教えられたから、かえって「嘘つき」が増えるということだってあるんだな。

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 (『ちいさな哲学者たち』予告編:https://www.youtube.com/watch?v=0h2XbQVo4vA

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