「ごっこ遊び」に堕した時代に、ぼくは学校にいた。

<あのころ>こども郵便局にぎわう 貯金の大切さ学ぶ 1955(昭和30)年12月8日、「こども郵便局」に殺到する大阪・柏里小学校の児童。小中学生自らで集金の役割を決め、お金を地元郵便局に預けるシステムは、貯金の大切さを教えるために戦後の48年から運営され、2007年まで続いた。250万人以上が加入し、残高250億円に達した時代もあった。(共同通信・2022/12/08)

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 この「こども郵便局」の授業風景は、なぜだかよく覚えています。写真の昭和三十年、ぼくは十一歳でしたから、この風景の中の登場人物として、たしかに授業を経験した。よく見ると、左の写真にぼくが写っているかもしれない、そんなことはありえないのですが、京都の嵯峨小学校では、もっと大掛かりに「こども郵便局」は開局された。学校全体で、この授業を展開したように、おぼろげながら記憶しています。戦前と戦後では「教科目」に大きな変動があり、中でも「社会」科は大きく変えられました。中学校や高校では「地理」「歴史」「公民」などが解体された。この教科において、戦時中の「国威発揚」「軍国主義」に大きな役割りを果たしたとされたから、GHQの占領政策の導入で、社会科は停止されたのです。

 その後に、新たに登場してきたのが「社会科(social studies)」でした。アメリカの一州で行われていた「教科」がその手本だと言われました。

●社会科(しゃかいか)(social studies)=社会の制度,社会的諸機能,環境,生活などについて学習する教科。 20世紀に入り,アメリカでは,生活経験重視の見地から社会の総合的認識へ導く内容の統合や相関が考えられ,1916年全米教育協会NEAが社会科計画を提唱。第1次世界大戦後,新教育革新派は社会再建にこれを結びつけ,全米各地のカリキュラム改造で定着した。日本も大正期に生活教育,郷土教育の主張と試行があったが,教科としての社会科の成立は第2次世界大戦後である。社会科は,ときに価値観の問題にかかわる困難を伴い,またその経験主義的性質に対しては,伝統的教科主義や系統学習尊重の立場からの根強い批判もあるが,高度かつ複雑に発展しつつある現代社会に必要な教養を培う教科として重要である。(ブリタニカ国際大百科事典)

● しゃかい‐か〔シヤクワイクワ〕【社会科】=小学校・中学校・高等学校の教科の一。社会生活に関する基本的な知識・理解を与え、また、社会の成員として必要な資質を養成することを目的とする。昭和22年(1947)新学制の施行とともに新設。平成4年(1992)から小学校1、2年生では理科と合わせた生活科、小学校6年生から高等学校では地理t歴史科と公民科に再編された。社会。(デジタル大辞泉)

 学校のカリキュラムに関しては複雑な歴史があります。明治初期の学校制度開始以来、「臣民」「皇国民」「国民」などと、教育が目指すべき目的がその都度、時勢・国策に応じて唱道されてきました。中でも「社会」科はその目的に関わって、重用な科目として位置づけられてきたのです。戦後、新教科として導入された教科としての「社会」は、ある意味では、民主主義の担い手を育てるという新たな目的もあって、鳴り物入りでもてはやされた。その典型的なカリキュラムが「体験学習」としての「こども郵便局」でした。ぼくも、この授業に参加したはずです。でも肝心の成果というか、学習効果は、ことぼくに関しては皆無だったといえます。当時も、多くの批判がありましたが、その代表は「ごっこ遊び」というものでした。「郵便屋さんごっこ」と言われた。一種の郷土研究に属していたのかも知れません。いまでも、しばしば見受けられますが、地域の商店街などに出かけて学習する「見学」(見て学ぶ)でした。地域の商店は、さぞかし迷惑だったろうと思う。ぼくが、この手の授業に愛想をつかしたのは、日常生活の経験から学んでいるものを、わざわざ「調べ学習」とか「お店見学」などと称して、無駄な(とぼくには思われた)時間を使っていたからです。「総合的な学習」なども、この類(子どもの中心カリキュラム編成)だったという気もします。

 「ごっこ」とは「いっしょに、ある動作をすること。特に、児童の遊戯で、あることをまねていっしょに遊ぶことについていう」(精選版日本国語大辞典)とあります。もちろん、「こども郵便局」は遊戯ではなかったし、真面目に考案された学習形態だったとされますが、「郵便の仕組み」の表面をなぞるだけに終わったきらいがあります。とくに、長い期間を通して、この島の学校教育は「座学」というのか、教師から教え(与え)られ、その「内容」を記憶(暗記)することが「学習」だとされてきましたから、誰かの教育内容を受け入れるだけでは不十分で、自らが学ぶ(経験する)ことが求められ、その一貫としての「体験学習」だったのでしょう。でも、やはり、「ごっこ」という側面は拭い去れなかった。いわば「詰め込み」教育からの脱皮を図ったのですが、結果的には、一種の「徒花」で、いつしか元の木阿弥に戻ってしまいました。(ここでは、もっと言うべきことがありますが、面倒なので止めておきます)

 明治以降の日本の学校教育の問題点は「生活から遊離した学習」というものでした。児童生徒の生活に即した経験が学習の支えにならないがゆえに、教えられる教育内容は、ひたすら「覚える」ことを強いられるものにならざるを得なかったのです。教育内容に関しては「国定」教科書があって、教師はその内容を過不足なく「教授」することだけが求められた。戦前教育の「一斉教授」の埒から離れて、子どもの経験を豊かにするという目標を掲げて、大騒ぎされて始められた「こども郵便局」(体験学習)の授業実践でしたが、一瞬の煌きも見せないままで、立ち消えになりました。かくして、「学習は暗記すること」だという、この社会の抜き難い伝統は、百五十年、一貫して続いているのです。言い換えれば、学校教育はどこまで行っても「ごっこ学習」の粋を出ない、「勉強遊び」ではなかったか、自らの拙い学校経験からして、そんな印象を強く持つています。

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 自分で自分を運転する車、それが人間だ

 若い頃、名前だけでしたが、私立幼稚園(保育園併設)の理事をしていたことがあった。二十年も続いたでしょうか。取り立てて言うほどの仕事は何もない、ときどき園に行って、子どもたちと遊ぶ、運動会の力仕事をする、園庭の草取りなどをするぐらいでした。ごくたまに、保母さんたちの勤務時間が終わっても「お迎え」が来ないからと、園児を自宅まで送ったこともありました。静岡県裾野市の私立保育園で「暴力・虐待」容疑で三人の保母が逮捕されたという事件報道(12月4日)があった。どうにも理解し難いことです。漏れ聞こえてくるのは「躾(しつけ)の一貫」だったというようなこと。理屈はなんとでもつきますが、一、二歳児に対して暴力を振るうという大人の行為、「ごく普通」の人間の仕業だったのか。そんな「保母」たちは、どんな環境で生み出されたのか。事件は内部告発(通報)で判明したそうです。協力しあって「保育」「幼児教育」に精進すべき人たち(保育者)の世界に、防ぎようのない闘いがあったのでしょうか。職を賭して「虐待」する保母あれば、職を賭して「告発」する保母ありとは、何という「阿修羅(asura)の園」だったことでしょう。虐待を受けていた多くの幼児の「心境」(PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害))を緩和・解消するために何ができるのでしょうか。

 静岡 裾野 保育園児虐待 当時の保育士3人逮捕 暴行の疑い 警察 静岡県裾野市の保育園で、当時保育士として働いていた3人が、園児たちに足を持って宙づりにするなどの虐待をしたとして、警察は4日、暴行の疑いで逮捕しました。/ 警察は、園内で悪質な行為を繰り返していたとみて、実態解明を進める方針です。/ 逮捕されたのは、裾野市の認可保育園「さくら保育園」で保育士として働いていた三浦沙知容疑者(30)と小松香織容疑者(38)、服部理江容疑者(39)の3人です。/ 警察によりますと、3人はことし6月、1歳児のクラスの園児に対し、それぞれ顔を押したり、足を持って宙づりにしたりしたほか、頭を殴って虐待をしたとして、いずれも暴行の疑いが持たれています。/ 3人の認否は明らかにしていません。/ また、警察は4日に「さくら保育園」を捜索しました。/ この保育園では、3人が、ことし6月から8月にかけて園児の足を持って宙づりにしたり、カッターナイフを見せて脅したりするなど、15の悪質な行為が確認されたため、警察は3人から話を聞くなど調べを進めていました。/ 保育園の調査に対し「一連の行為はしつけや指導のつもりでやっていた。申し訳ないことをした」などと話しているということです。/ 警察は、3人が悪質な行為を繰り返していたとみて、実態解明を進める方針です。(以下略)(NHK:2022年12月4日)(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221204/k10013912591000.html)

 教育という名で呼ばれる仕事の範囲は驚くほど広範です。人間の関係する事柄すべてにおいて、「教育」という名で呼ばれる営みが生じているはずです。意図的教育(↔非意図的教育)、積極的教育(↔消極的教育)などと、面倒な理屈を言えば切がありません。要するに、一人の人間に関る(他からの)営みのすべてが「教育」に当たるでしょう。忌まわしい「虐待事件」の容疑者には、虐待を殊の外好む「愉快犯」の心情があったとは思われません。自分よりも遥かに「脆弱な幼児」に攻撃が向かうだけの理由は、必ずあったはずです。三人の虐待に向かう動機について、ぼくには心当たりがあると言ってもいいのですが、中途半端な予想や当て推量で、この事件に向かうべきではないと思っていますので、今の段階では自重して置きます。

 いい教育・悪い教育などと言われます。そのような「教育の良し悪し」は、どこにでも見られることですが、普遍妥当する、いかなる「教育」もないでしょう。ある教師や子どもにとって「いい教育」だとしても、他の教師や子どもには「我慢できない、いけない教育」であることはいくらもあるからです。教育学者は「これが本当の教育だ」というようなことを言いたがります。でも「本当の教育」は、現に行われている「教育実践」を除いて、他にあるのではないのです。その眼前の「実践」が、いい教育か悪い教育かと言われるのであり、「いい教育」とされるものも、他の人々にはそう思われないし、これは「よくない教育だ」と思われるものでも、それを悪いと判断しない人々も出てくるのです。

 よく「体罰」の是非をいいます。手を出すことは、理由のいかんを問わず認められないという立場がある一方で、体罰を容認する人々もいる。ぼくは単純に徹してきました。形式のいかんを問わず、強制(外から力を加える=暴力)することは「反・非教育」である、と。理屈を言う人はどこにでも、いつでもいる。殴ることで「誤ちを防ぐことができる」、それでも暴力はダメか、と。ダメだね。自分で「自分の過ちを防ぐ」、その力を育てるのが、ぼくが実践することを念じていた教育でした。「失敗」は取り戻せる。ぼくたちは、誤ちを防ぐという理由で、自分を制御できない、不注意な人間(自制する力のない存在)を生み出してきたんじゃないですか。(右は毎日新聞・2019年2月17日)

 デカルトやド・ラ・メトリでなくとも、人間存在は「一台の機械」です。ただ、この機械はエンジンもアクセルもブレーキも備えており、それを操作する「運転手」も自らのうちにいるのです。どういうことでしょうか。目に見える「車」にはエンジンが付いており、それを制御するのは車ではなく、人間です。アクセルを踏み、ブレーキを踏むのも人間です。人間が支配している車を操作する「制御力」に破綻を来たし、アクセルとブレーキを踏み間違えるという事故が多発し、多くの死傷者が出ているのです。事故を起こした際、問われるのは車ではなく、人間の「操作能力」(認知能力ではない)です。車は、自分で動くことはできません。自動運転といいますが、その運転の原動力は人間の機械操作によるものです。

 あまり適例にはなりませんが、人間というものを「自動運転車」とみる、つまりは「人間の言動のすべて」を人間自身が操作するという意味です。運転ミスで事故が起こる理屈はわかりやすいですね。それと同じように「人間という機械」は自分でする操作を間違えることで、大きな過ちを犯すのです。裾野市の保母の行為はどういうものだったか。一、二歳の幼児を虐待したわけでしょう。言うことを聞かなかった、動作が鈍い、返事が気にいらない、いろいろと、保母の「癇癪」の種は尽きず、その癇癪玉を爆発させた結果、幼児を逆さ吊りにしたり、折檻したり、ということだったかも知れません。「言うことを聞かない」と腹が立つ、怒りが湧く、これを抑えるためにブレーキ(自制)があるのに、あろうことか、アクセル(怒りの爆発)を踏み続けた。このようなことは、日常的に、ぼくたちは嫌になるほど経験済みです。アクセルとブレーキは役割りが違う。ブレーキを踏むべきときに、アクセルを踏み続けると、衝突するところまで行くのではないですか。車の場合は「事故」です。大きな事故を起こして、初めて「目が覚める・気がつく」ことがほとんどでしょう。

 人間は「一台の車」です。軽自動車か普通車か、あるいは国産車か外車かは問いません。当然、本物の車には運転手がついています。運転者がいなければ、単なる鉄の塊(かたまり)に過ぎません。ぼくたちが乗ったり運転したりする車と、人間という車の決定的な違いは、人間という車そのものが自分で自分を動かしたり止めたりする、つまりは「自動運転車」なんです。自分がしたりしなかったりすることは、すべて自分で「判断する」のです。この「判断力」にこそ、人間という車の、もっとも重要な価値(値打ち)が宿されているのであり、それを時間をかけて育て上げるために、いっしょに走ってくれる「自動運転の指導者」が、ある時期まで必要なのです。それをぼくたちは「教育」と称している。でも、この「判断力」を、子ども自身が自分で育てるために使うのでなければ、その教育は「アクセルとブレーキ」の分別のつかない人間を生み出すことになるでしょう。今回の三人の保母さんのように。

 ぼくは、自分でも嫌になるほど、同じことを繰り返してきました。「教育は、自分の足で歩く練習なんだ」、と。自分の頭で考え、自分の言葉で、その考えを発言する力、つまりは発話する能力を育てること、それこそが「教育」だといい続けてきました。自分が言うべきことを言う、それは権利ですね。あるいは人権と言ってもかまわない。その「発言」を封じる力は、自分であれ他者であれ、権利の侵害にあたります。言うべきことを発言するための力は、即栽培はできない。長い時間が必要です。成績とか偏差値などは、これとは無関係、いやむしろこの力を育てるためには「百害あって一利なし」です。(今の総理大臣や閣僚(だけではない)は、自分の言葉で自分の考えを喋っていない・喋れないんですから、話にもならないですね。この連中は「成績優秀者」「優等生」だとするような、箸にも棒にもかからぬ、劣悪「教育」を続けている、まさしく「学校の罪」ではないですか)

 他人より優れていたい、それもまた人間の弱さの現れです。その「弱さ」を強さに変えるためには、人より優れていたいという「情念」(劣等感か)を自制する力を自分の中に育てる他に方法はないのです。この先は、もう言う必要もないでしょう。これまで、このことしか言ってこなかったと思うからです。

 「人間という車」を運転するのにも、「免許証」がきっといるのでしょう。この免許証を、発行したり失効させたりして、管轄しているのは公安委員会などではありません。文科省ですらない。「自己管理」という方法であって、これに失敗すると、一時的に、あるいは相当に長い期間、「免許停止」を余儀なくされるし、場合によっては「免許返納」を強いられるのです。つまりは「人間失格」で、その烙印を押すのは、一見すると社会(世間)と見えますが、実際は「当人」です。自分を運転する(生きる)、その自分が、人間性の範囲を超えて、倫理的、あるいは道徳的な違反をすると、「人間やめますか?」と自らが、自らに問われるのです。(「自責の念」というものは、時間を必要としながらも、どんな人にも、必ずやってくる。これもまた一つの「感情」です。この間違いを犯した「感情」が克服されたときに生じるのが、「再生」したいという願いではないですか)

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 条件反射の領分を超えて、考える人間になるんだ

 〈Like or Dislike〉 ~ まるでこの時代は「オセロゲーム(Othello game)の」盤上の世界のようです。「いいね!」と押して、なにが、どのように「いいね!」というのでしょうか?はたして、それ(二択、選択)だけでいいのか。「いいね」という単語で掻き消された真意(本心・本音)を無視して(自分に隠して)、どうして「いいね!」なのか。「いいね!」と言わしめた「深層」になにがあったのか、それを求めようとしなくていいのですか。▼「いいね!」の乱発で、言葉が惨殺されている。人間の精神(心情)が切り刻まれている。「二進法」というネット社会(世界)を蹂躙する《Pandemie》は、一人の人間、一つの社会、一つの世界の「可能性(蓋然性・未来展望)」を驚くほど狭め、限りなく貶めている。あらゆる方面で強いられる、「いいね!」が人間の思考力を無化し、この世界を「無言(しじま)」という暴力の奔流に巻き込む騒擾を惹起しているようです。

 上海や北京では「習近平は退陣せよ」という人民の「声」がとどろき、権力の横暴に《抵抗》する姿勢を見せている。二年前でしたか、香港で「雨傘デモ」に象徴される、抗議活動が、北京政府の強引な弾圧で押しつぶされたかに見え、その後は強権的な政治運営が続いてきましたが、けっしてその「抵抗」「抗議」の活動は死滅してしまったのではないということでしょう。もちろん、今回の北京や上海の「抗議」行動も、一過性のもので、いずれは踏み潰されると見られるかも知れませんが、いったん火がついたものは、よほど強烈な消火活動(弾圧)が継続されなければ、必ず再発火します。強権であればあるほど、抵抗力も鍛えられるということであり、たった一時期の権力者の「我が世の春」は百年も続きません。こんなことはどこの歴史でも見られることですが、権力の座についたものは「思考停止状態」になり、権力維持そのものが政治だと錯覚するのです。

 ぼくは動乱や政治的混乱を求めるものではありません。でも、目に余る権力行使や権力の横暴が続くなら、それに対して「暴力も辞さない」という考えはいつでも胸にしまい込んでいるし、その姿勢や態度にカビ(黴)が生えないように、常時点検している。もしアメリカ社会で、度重なる黒人暴動が生じなかったら、黒人の解放(いまでもまだまだ解放されきってはいません)は一歩も進まなかっただろう、そのようなことをフランスの思想家だったフーコーは明言していた。暴力は禁物ですが、政治権力を守る側が圧倒的な暴力を剥き出しにしたら、それに抗するには暴力しかないではないか、抑圧される側の「専守防衛力」「正当防衛」です。

 《good !》、 《bad !》これだけで割り切れないのが人間の営みです。それを無理に割り切ろうとすると、大切なものを捨てることになる。「あれかこれか」という狭い範囲でしか自らの選択が許されないことが、この社会をどれほど狭隘で歪(いびつ)なものにしてきたか。これまでもこの駄文収録で繰り返し綴ってきたように、ほとんどの試験は選択問題です。「次の中から正しいものを選べ」と。選択肢の中に「正解」があるというのは神話であり、作り話です。その「正解らしい」答えを判断(決定)するのは教師、こんな愚かしい教育を十数年も経験してきて、精神や感情を毀損されなかった人はさいわいです。多くの教師は「いいね(good)!」ボタンを押すことを快楽としているのではないですか。逆に言うと、「よくないね(bad)!」を刻印する人間を発見する作業が「学校教育」の機能になってきたのです。教師によってたくさんの「いいね!」を押印された児童や生徒、学生はどういう道をたどるのでしょうか。現下の社会で評価されているのは、おしなべて「いいね!」を教師によって印字されたものばかりだというと語弊があるでしょうか。

 右か左か、前か後ろか、戦争か平和か、健康か病気か、善か悪か、…このような「二択」にあらゆる可能性を取捨して、無理矢理に閉じ込めるというのはなんと窮屈なことか。28センチの足に20センチの靴を履かせるようなもの。必ず弊害(症状)が出てくる。「いいね!」は、正しくそれですね。人間の精神(思考力)や感情(情操)が歪むのは避けられない蛮行に等しい。たかが「いいね!」ボタンじゃないかと言うなかれ、これは今に始まったことではなく、学校教育の延長なんですよ。人生はすべからく「二択・選択」で決定されているのです、大筋では。(その「いいね!」ボタンに金銭が掛かっているというのはどんなことなんですか。「いいね!」を貰う・得るために、人はどんなことを考える、するのでしょうか)

 

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 新型コロナウイルスの徹底的な封じ込めを図る中国政府の「ゼロコロナ」政策に反発する抗議活動が中国全土で広がっている。デモは首都・北京の中心部にも飛び火し、27日深夜から28日未明にかけて200人以上の市民が表現の自由の象徴となっている白い紙を持ち「自由をくれ」とスローガンを叫んだ。/ 抗議活動があったのは北京市中心部の各国大使館が建ち並ぶ区域。参加者は当初、花束やろうそくを持ち寄って新疆ウイグル自治区ウルムチ市で起きた大規模火災の犠牲者を追悼した。その後、川沿いの散策路でスローガンを叫びながら大通りへと移動。白い紙を持って「私たちには今、自由がない」「PCR検査はいらない、自由が欲しい」などと叫んだ。(略)全土で抗議活動が広がるきっかけになったのは、ウルムチ市で今月24日に10人が死亡した火災。厳格なコロナ対策が影響して被害が拡大したとみられている。インターネット上に投稿されたデモの動画では、習近平国家主席の退陣を求める市民の様子も流れている。(毎日新聞 2022/11/28 02:08)(https://mainichi.jp/articles/20221128/k00/00m/030/004000c

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 若し灯火の 漏れ来ずば それと分かじ 野辺の里

 時期は少し早いかもしれません。しかし、「秋の夕暮れ」がすっかり暮れきり、朝晩の冷え込みも身を震わせる、そんな季節になったと実感している。どこからともなく聞こえてくる、冬の露や霜に凍えそうな「幻の歌声」に唱和している自分がいます。それは「冬景色」(大正二年発行)でした。作詞作曲者は不詳となっています。この他にもたくさんの、誰が詞を書き誰が曲を作ったかが判明していない唱歌がたくさんあります。理由はいくつかあります。もっとも多いのは、学校に音楽を取り入れることに忙しかった明治初期から、その道の専門家が集まって音楽教育に資する(曲)作りを始めた。一つの曲にいろいろな人が関わり、今で言えば「集団合議」で仕上げていったとされます。何ごとにおいても出発する段階の姿勢や様子は、その方向を決めると同時に、多くの唱歌も複数人が関与して作られていった、その名残が「作詞者・作曲者不詳」というわけです。共同作業もまた、人間の生活には欠かせない機能を果たしてきました。まるで「短歌」や「俳句」を集団で作っていくような作業でした。

 誰が作ったかわからないのは気分がよくないと思われるかもしれません。しかし、ものに形があるというのは、その大半は誰かが作った(作り手あり)ということであり、時間の経過とともに作者がわからなくなったり、最初から集団で制作したがゆえに、個人名を留めていないものが伝えられてきたのです。その典型を一つ上げると、「法隆寺」です。この寺を作ったのは「聖徳太子」だと冗談のように言われますが、太子は大工ではなかった。だから正解は「大工を始めとした職人たち」でしょう。でも個々の名前はまったく消えています。その多くは朝鮮半島を渡ってきた渡来人です。建築者の名前がわからないから、この建物はだめだ、という人はいません。むしろ、個人名や作者がわからないもののほうが、人間の生活では圧倒的に多いのです。 

 一例を上げると、「火」は誰が作ったか、誰にもわからないでしょう。もちろん「唱歌」と火や法隆寺は同じように扱えませんが、作者がわからないものは怪しいというのは根拠のない理屈、あるいは「好き嫌い」だけの問題になるのです。この島の「学校唱歌」にはいろいろな思いが籠められてきました。学校教育の中核として、特に重視されたということはできませんが、むしろ、算数や国語並みの扱いを受けてこなかったから、唱歌が純粋にぼくたちの胸にも心にも響いているのではないでしょうか(唱歌)。音楽という科目は好きでも嫌いでもなかったが、音楽教師の何人かに個人的に教わったり、ピアノやアコーディオンの手引をしてもらったという些細な経験が後々に影響を与えたともいえます。二十歳過ぎてから、ぼくは、暇にあかせて「唱歌」に思い切り時間を使い、自分流に「唱歌の歴史」を学んだことがあります。戦後はもちろんでしたが、戦前のもの、特に明治大正期の唱歌を丁寧に調べたのでした。その結果、得たものがあったかどうかは怪しいが、唱歌に歌われてきたものは「日本の生活・風景」であり、そこに働く労働の尊さではなかったかと思い至るようになった。

 本日、取り上げている「冬景色」の場面はどこにもありそうですが、どこと特定されない、「幻の場所」です。でも、それが特定されない「不明」の場所の情景だからこそ、その歌を聞いたり謳ったりする人は、自らに親しい場の思い出を、その風景や場所に重ねることで、歌の味わいを深めてきたのではなかったか。この「冬景色」を想起すると、ぼくはいつでも、まずは、京都の嵯峨広沢の池(そのすぐ近所に住んでいましたし、親父やおふくろの「お墓」は下の写真に写っている「山(持ち主は広沢山遍照寺)」の地主が経営する墓所にありますので、なおさら、ぼくには「冬景色」は広沢池の景色と重なるのです。二枚目の写真の奥に写っているのは「愛宕山」で、何度も登った山でもあり、帰郷する時に新幹線のなかからこの山が見えてくるのを楽しみにしていたほどの思い出も山でした。(小学校の「校歌」に「高くそびえる愛宕山」と出てきます)

 「唱歌」は、明治・大正期には現実に生きられている景色や生活を歌いこんだものが多く、今日では跡形もなく消え去り、消されてしまったこの島の各地の「営み(生活・文化)」を、いろいろな曲調に載せて、幼い子どもたちに伝えようとしたものです。それを歌いながら育った人々にとっては、今はない過去の「人や生活」を偲(しの)ぶ縁(よすが)にもなっているでしょう。この「冬景色」の「詞」を繰り返し読んでみます。まさにこれは、和歌であり、俳句である、そんなことを言いたくなるような「言葉の世界」であり、風情や風景を描いた一編の画幅とも受け取ることができます。このように言って、ぼくは郷愁に浸るというのではありません。自らが生きた過去、多くの人と歩いた過去を、もう一度、自分に取り戻す、過去を自らの今に取り戻す、そんな意味合いを感じているのです。自らの細やかに過ぎる「歴史(人生)」を辿る行程でもあるとぼくは考えているのです。

 生涯に一度も雪を目にする機会のない人もいましたし、海というものを経験したことにない人がたくさんいました。そのような未経験の世界を満たしてくれたのも、多くは「唱歌」であったかもしれない。大声で謳ったり、季節を考えずに謳ってもいいでしょうが、季節に応じた歌が齎(もたら)す、感覚や感受性というものも大事に会いたい。わかったようなことを言っていますが、ぼくは、小学校の音楽の時間で唱歌を習った記憶がまったくないのです。不思議といえば不思議です。その大半は学校とは無関係に、学校を離れてから、いつもひとりでに歌い継いできたのではないかという気もしている。唱歌は、きっと、一人の人間の細胞に刻まれた季節感や場所のイメージに大いに貢献してきたと、ぼくひとりは考えているのです。

(一)さ霧消ゆる 湊江の 舟に白し 朝の霜 ただ水鳥の 声はして いまだ覚めず 岸の家              (二)烏啼きて 木に高く 人は畑に 麦を踏む げに小春日の のどけしや かへり咲(ざき)の 花も見ゆ                                                          (三)嵐吹きて 雲は落ち 時雨降りて 日は暮れぬ 若し灯火の 漏れ来ずば それと分かじ 野辺の里

*「冬景色」(https://www.youtube.com/watch?v=oA_KqAHgV-A

                                 

 (奥の山は愛宕山・(「京都旅屋」HPより)

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 都道府県別「学力」競争 ? まるで、狂気の沙汰だ

 【有明抄】スマホを置いて 勉強やスポーツなど日常的な取り組みは質と量が大切。集中しても短すぎては成果が出ないし、長い時間を費やせばいいというわけでもない。質と量はどちらも重要になる◆本年度の全国学力・学習状況調査で、佐賀県は全科目で正答率が全国平均を下回った。要因の一つに、家庭学習の不足が挙げられている。授業以外の学習が平日1日当たり「1時間以上」と回答した県内の小学6年生は54・9%、中学3年生は60・1%で、全国平均よりもそれぞれ4・5ポイント、9・4ポイント低い◆正答率のわずかな差に一喜一憂する必要はないが、学習時間の短さは気にかかる。素人考えでは少し宿題を増やせばと思うが、そう簡単な話ではないようだ◆教育関係の会議で「勉強する環境が整っていない家庭がある」との指摘を聞いた。親子がそれぞれにインターネットの動画を見たり、ゲームに夢中だったり。一つ屋根の下は「個」や「孤」の空間になっており、改善には家庭との連携が重要だという◆内閣府の調査(2021年度)では10~17歳のネット利用時間は1日当たり4時間24分。有用なツールとはいえ、さすがに長すぎないか。依存や学力低下との関連も懸念されている。たまにはスマホを置いてみてはどうだろう。大人と子どもが触れ合って楽しく学ぶ「教育・文化週間」(1~7日)でもある。(知)(佐賀新聞・2022/11/05 )

 このコラム氏は何を言いたのでしょうか。佐賀県内の小学生は「学習時間が短い」「たまにはスマホを置いてみてはどうだろう。大人と子どもが触れ合って楽しく学ぶ『教育・文化週間』(1~7日)でもある」コラム氏の家庭では「子どもはこうです」「親と子はこうして触れ合って、楽しくな学んでいる」という事例を出してくださるといいのにね。この記者の「学習観」は、圧倒的な多数派でしょう。真面目に机に向かっているのが望ましいとでもいうようです。「勉強する環境が整っていない家庭がある」と誰かが言ったっそうですが、どんな環境が「勉強にふさわしい環境」なんですかと問いたいものです。じつに陳腐だし、おそらくこの平均的は「子ども観」「勉強観」「学校観」がこの島を覆っているのです。

 こんなことは当たり前すぎて言うのも気恥ずかしいのですが、どんなところでも勉強はできる、また、しているのです。それを「勉強」とみなし、「学習」と認めるかどうか、それが問われているんでしょ。ぼくは教室だけが「学習環境」だと思ったことは一度もないし、家庭で「一時間以上」勉強した記憶は少学校時代も中学校時代もない。第一、机なんてものがなかった、高校生になるまで。(だからだめなんだと、言われましょうが、それは「見解の相違」ですね)。いまさら、こんなお説教を聞かされても、そうですか? というほかない。昭和三十年代初頭、テレビが家庭に鎮座しだし、やがて、カラーテレビが猛烈な勢いで普及しだしたと見るや、テレビは一日何時間と、見る時間を制限する、チャンネル権は子どもに持たせない、休肝日ならぬ「休観日」を設けるべきだと、アホくさいことしか言わないと定評のある「教育学者」たちが、自分のことを棚に思い切り上げて、珍説を開陳していました(今でもそうかもしれない)。

 テレビが子どもをだめにした、あるいはこの国の衰退を引き起こしたといえますか。言ってもいいけど、テレビにはそんな馬力なんかなかったでしょう。現実を見てください。テレビは、ただの箱。だから、「テレビ番組が低俗だった」とは言えるでしょうが、そのために子どもや青年が痴呆になったのですかと、ぼくは聞きたい。ネットの時代でもそうです、同じように便利で楽しいから、あまりそんなものに時間を使うと、生きるための「偏差値」が下がるというのでしょうか。明治の初期に鉄道が敷設された際、人力車の組合が「鉄道反対」を訴えました。◯✖車界党といったような団体でした。しかし、数年も経ずして鉄道は社会にとって不可欠の「インフラ」になった。つまるところ、便利・娯楽にうつつを抜かすと人間がダメになると、いかにもそのように想われますが、じつは、そこにも明らかな「学習」があるのだと、どうして認めないのでしょうか。

 ぼくの持論を言っても仕方がありません。しかしあまりにも偏頗な教育論や人間論が未だに棲息しているのを見ると、一言いいたくなる。遊びはいけないと、ほとんどの人は言う。そうかもしれない。でも「遊びの中に勉強がある」と、ぼくは経験から学んだのですから、否定されようが非難されようが、少しも動じません。同じことです、「勉強の中に遊びがある、なければ勉強じゃない」と。遊びのない勉強は、文字通りに「強制」です。学ぶのではなく、学ばされる。学ぶとか学ばないという判断は、自分一個のものでしたね。個人の経験ばかりでは普遍性がないというか。そんなところに「普遍性」などを持ち出すまでもないでしょう。いいでしょうか。人間の歴史において、「学校のない時代」は「学校のある時代」の比ではないほどに長い歴史を重ねてきたのです。ぼくはまた聞きたいですね。縄文人や弥生人と呼ばれる人々と、我々「現代人(文化・文明人)」のどちらが賢いのか、と。答えは明白です。だから、ここでは言わない。

 なんのための勉強ですか、という肝心要の「核」が抜けているように思うのです。「賢く」なるためですが、それは「ずる賢く」なることではない。賢さは、点数や偏差値では測れませんね。だから、却って測定可能な「数値」を後生大事にするのです。「成績」というやつですが、これが学校や社会で幅を利かせて来たために、テレビやネットがもたらすであろう弊害の比ではないほどの災厄を子どもたちや親たちにもたらしたのではなかったか。縄文人や弥生人は、もちろん「スマホ」「プレイステーション」なんかは持たなかった。それで不足や不自由があったとは思われない。「賢い」というのは、仲間として生きている存在を押しのけない、意地悪をしない、やたらに優劣をつけないで、互いに助け合うことでしょう。その理由は、集団全体が崩壊しないためです。この「共助」とでもいう関わり方は、いい例ではありませんが、大災害が生じた時に発生する「ボランティア」のはたらきです。助け合うのはお互い同士であり、他者が困った時に助ける、この精神は、いつの時代でも存在していました。学校時代は、たかだか百五十年です。ぼくは、「やがて学校はなくなります」と断言してきました。百五十年ほどの制度が、この先も続くとは微塵も考えられない。そんなものがなくても、人間は学ぶことができるからです。むしろ学校は余計な「悪知恵」を植え付ける。植え付けたのではないですか。序列・席次・偏差値などなど、優劣感情、こんなものでは測れない「内容」をうちに秘めているのが人間です。

 「親子がそれぞれにインターネットの動画を見たり、ゲームに夢中だったり。一つ屋根の下は『個』や『孤』の空間になっており、改善には家庭との連携が重要だという」と件の教育会議の御託です。子どもが「勉強する」ために学校と家庭が連携するべしと、いとも簡単に言いますね。できるなら、とっくに実現しているでしょう。学校は、子どもが自分を見つける場です。仲間を発見する場でもあります。みんな仲良くもいいけれぞ、もっと大事なのは「仲良く喧嘩する」ことを学ぶことですね。この経験は、学校を放れてからも有効な働きをする。優等生を否定はしませんが、優等生になるための「勉強」や「学校」の押し売り、それは金輪際御免被るという一念で、ぼくは学校時代をくぐり抜けてきました。「勲章をもらう」ほどの人間には、さいわいにもならないできました。

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 秋桜好きと書かないラブレター

 秋風に揺れるコスモス 高根沢で次々開花 栃木県高根沢町宝積寺の鬼怒グリーンパークで、五分咲きとなったコスモスの花が秋風に揺れ、訪れる人たちを楽しませている。/ コスモスは広さ約2.2ヘクタールの花畑にあり、今後、4種類120万本が順次開花していく。同パーク管理事務所は「10月下旬まで楽しめそうです」としている。/ 大田原市加治屋、主婦木村雅子(きむらまさこ)さん(55)は「すてきな場所で、毎年来て楽しんでいます。一眼レフカメラは使い始めて2回目です。うまく撮れるといいのですが」と話した。(下野新聞・2022/09/30)

(右上の写真は、コスモスを撮ろうとしたのか、あるいは女性を撮るつもりだったのか。どうもピントは女性にあっているようにも見えます。カメラマンは「女性がコスモス」、あるいは「コスモスは女性」と見えたんでしょうね)

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 彼岸花(曼珠沙華)が今を盛りと咲き競っています。田んぼの畦道や農道の脇に、それこそ、まるで火炎(かえん)のような赤紅色の花があちらに数十本、こちらにも数十本といった具合に、あるいは邪(よこしま)は許さないぞ、というような激しさをうちに秘めて、秋色の景色にひときわ特異な印象を刻んでいる。彼岸花が好きかと問われれば、にわかには答えられません。好き嫌いを越えて、目に迫ってくるのですから。彼岸花は別名、「曼珠沙華 (まんじゅしゃげ) 。死人花 (しびとばな) 。捨て子花。石蒜 (せきさん) 。天蓋花 (てんがいばな) 。幽霊花。かみそりばな」(デジタル大辞泉)とも呼ばれています。この花については、すでにどこかで触れましたが、「まんじゅしゃけ」とも) (サンスクリット語のmañjūṣaka の音訳) 仏教語です。根に毒を含むというので、野ネズミやモグラを寄せつけないために「畦(あぜ)道」などに植えたと言われます。「死人花」などと称されるのも、この「毒性」と無関係ではないでしょう。お棺に添える花としても知られていますので、なにか「彼岸(あの世)」と深く因縁のある花として、ぼくにも強烈な印象があります。

 それと肩を並べるという風情・情緒は微塵もないのが、同じ季節を彩っているコスモス(和名は秋桜・あきざくら)です。秋桜(コスモス)はいいですね。でも、何千何万と咲き誇るのを見るのは、余り好きではありません。なんでもそうで、これでもかというように、どんなに美しいものでもたくさん並べられると、ぼくは辟易としてしまう。いかにも食傷の気味がしてきます。野道を歩いていて、遠くからかすかに、背の高い茎・幹と花が見えてくる、その瞬間がいい。よく歩く道は「彼岸花」一色ですから、その脇に秋桜は居つかないのでしょう、並んで咲いているのを見たことがありません。また付近の散歩道にも秋桜畑なるものが見当たらない。車を走らせて二十キロも行けば、それなりの群生秋桜(コスモス)が見られます。広大な敷地一面に花は満開ですが、そんな景色は、どちらかというと苦手で、ほとんど興味がない。逃げ出したくなる。遠くから眺めるのがせいぜいです。思いがけず、行き当たりに数本が所々に咲いているというのが、ぼくには好ましく見えるのです。例えば、「コスモスはどこにありても風少し」(細見綾子)という雰囲気ですね。

● 曼珠沙華= (「まんじゅしゃけ」とも) (mañjūṣaka の音訳) 仏語。赤色(一説に、白色)で柔らかな天界の花。これを見るものはおのずからにして悪業を離れるという。四華の一つ、紅蓮華にあたる。日本では、彼岸花(ひがんばな)をさす。《・秋》 (精選版日本国語大辞典) 

● し‐け【四華/四花】説法などの際、瑞兆ずいちょうとして天から降るという4種のはすの花。白蓮華・大白蓮華紅蓮華・大紅蓮華の称。四種の花葬送で、四方に立てる白色の蓮華。また、その造花。(デジタル大辞泉)

● コスモス:こんな植物です=コスモスの仲間はメキシコを中心に約20の野生種が知られています。その中でもコスモス・ビピンナツス〔Cosmos bipinnatus〕とその園芸品種を指して「コスモス」と呼ぶのが一般的です(以下、本種をコスモスと呼びます)。/ コスモスは春~初夏にタネをまいて夏~秋に花を楽しむ春まき一年草として扱います。野生種はメキシコの高原が故郷、夜が長くなると花芽を作る「短日植物」で秋以降に花を咲かせます。和名のアキザクラが示すとおりです。/ 園芸品種には一定の気温があれば日長に関係なく開花する早咲き系があります。早咲き系は春早めにまくと初夏には開花します。また、早咲き系に対して従来通り秋に咲く系統を遅咲き系と呼ぶこともあります。ちなみに、主力で広く普及しているのは早咲き系の品種です。 /野生種は草丈2~3mになりますが、園芸品種は矮性種で40cm、高性種で1.5mほどです。葉は細かく枝分かれして羽状になります。花径は大輪種で10cmを超します。色は白、ピンク、赤、黄色などがあります。白地に紅色の縁取りが入るピコティ咲きなど可愛らしいものもあります。一重のほか、花びらの付け根に小さな花びらが付くコラレット咲きや花びらが筒状になるユニークな品種もあります。 

▼名前の由来=コスモスは英語で「宇宙」の意味ですが、植物でいうコスモスはギリシア語の「kosmos」に由来し「美しい」という意味です。美しい花の姿に由来します。種小名のビピンナツスは「2回羽状の」の意で羽状の細かい葉姿にちなみます。                               ▼来歴=ヨーロッパへは17世紀末~18世紀初頭にスペイン人神父によりもたらされました。日本へは江戸時代末、文久年間に伝わりました。広く普及したきっかけは明治前期、イタリアから東京の美術学校に赴任してきたラグーザによって持ち込まれたタネによると言われています。(「ヤサシイエンゲイ」:http://www.yasashi.info/ko_00002.htm) 

 草花に思いを寄せるのは、現実逃避とも見られそうですが、そうではありません。時に草花に肩入れするのは、一種の精神の体操、あるいは深呼吸ですね。こんな不便な山中にいても、そこは浮世、ここも浮世、それと縁切りはできないのです。世間で問題になった事件、世界の騒動の種などは、否応なしに拙宅にも飛び込んできます。若い頃は、人並みに「政治行動」といえばいいのか、デモにもでかけたし、アジ演説もした。たったひとりで新宿あたりをプラカードを持って歩いたこともある。気休めだったかもしれないが、これもまた、ぼくの深呼吸の方法でもあったのです。この二十年近く、驚くべき頽廃や堕落が政治・経済を筆頭に、あらゆる分野で生じています。これはこの島だけの現象ではなく、洋の東西を問わず、大きな「海練(うねり)」のなかにぼくたちも取り込まれているのでしょう。しかし、この社会の独自の「悪性宿痾」が隠し仰せなくなった部分も小さくないのです。

 しばしば、「戦前に似てきた」「昭和初期の、嫌な時勢にそっくりだ」と、ぼくたちの先輩たちは、いまから三十年ほど前に言っていました。ぼくはまだ、四十代だったから、「なにを旧くさい経験を持ち出して」などと批判の目を向けていたと思う。しかし、戦争体験のないぼくのような世代でも、この二十年ほどの政治状況を見ていると、あるいはとんでもない方向をたどっているという実感を強くしてきました。隣国である韓国、北朝鮮、あるいは中国に、無理矢理に敵対せんばかりの虚勢が、いつのまにか「軍事大国」張りの防衛費を獲得するまでになっているのです。数年内に十兆円という。それだけの軍事費をどうするのか、まず第一にはアメリカの時代遅れ[(旧式)の武器を購入する、それも「言い値」で。第二に、自衛のための防衛力ではなく、敵基地を攻撃するための攻撃力をつけるために、と言うのです。「敵はどこ?」、と問えば、きっと中国や北朝鮮だというのでしょう。いま盛んに「台湾有事」をやかましく言い、必ずこの社会も戦争に巻き込まれるというのでしょう。アメリカが中国に挑む、ならば「集団的自衛権」だと、まるで夢にも及ばぬ、荒唐無稽です。白昼夢を見ていたんですね、権力者集団は。いやもっと明確にうと、防衛力や軍事力の増強を主張している連中には「仮想敵」も「現実敵」もいないのです。要するに、己たちの陣地を強化拡大知るための「図上演習」を噛ましているだけのことでしょう、ぼくにはそう見える。

 「歴史を学ぶ」というのは受験のためではないんですよ。歴史を学ばないものは、「過去という鏡」を持たないから、とんでもない間違いをする。過去に犯した間違いが記憶されていないから、いつだって初陣(初体験)のつもりでしょう。この十年は、特のこの印象が強くなるばかりでした。「無恥と無知」という二枚看板が、世間を席捲したんですから。怖いもの知らず、それも束の間、ご本人は誰よりも早く「彼岸」に逝かれた。

 韓国はけしからん、中国を制裁しなければ、北朝鮮は生意気だと、どの口をもって言えるのでしょうか。その「世界知らず」(「世間知らず」にあらず)ぶりに遭遇して、こんな辺鄙な山中にいて、一人「切歯扼腕」、悔しさに思わず「歯ぎしり」をし「腕を強く押さえる」ほどに怒りがこみ上げてきます。(ぼくは「義歯」ですけれども、歯ぎしりはできます)「統一教会」というカルト集団は、政権中枢にはいりこみ、まるで吸血鬼のごとくに権力中枢の血液を吸い付けてきたのが、戦後のある時期からこれまでの数十年でした。今回の銃撃事件で、ようやくその「闇」に光が入り込んだということでした。

 カルト集団との癒着(関係)を一切断つと、表向きは言いふらしていますが、それはまず不可能でしょう。あまりにも深く「絆(腐れ縁)」が結ばれているからです。まるで「血縁関係」を断つほどの、ありえない話です。もしそれが実現されたら、権力政党は瓦解するかもしれない、それほどの危機でした。しかし、その危機状況認識はほとんど真面目に受け取られてはおらず、「虚言」を繰り返して当座を凌げば、「すべて良し」とする風潮さえあります。一政権党が壊れるだけならまだしも、この社会の脆弱なところは、「寄らば大樹の陰」、「親方日の丸」という古色蒼然とした体質の表現は、「大樹」も「親方」も元気であればこそですが、今はむしろ驚くばかりにひ弱なもので、「D group」(広告会社を名乗る)「NTV group」(新聞テレビ会社を名乗る)に頼り切っている(支配されている)のが実情です。汚染された五輪、コロナ禍の悪質な「中抜き」泥棒・詐欺行為も、すべては、このような官と合体した「民間」が主導しています。つまらない話ですが、「国葬儀」を万端取り仕切ったのは「NTV」の子会社です。詳しくは言いたくない(虫唾が走っています)ので、このくらいにしておきます。 

 政権党のある議員が故元総理を「国賊」といった。ために当該党は「除名だ」「処分だ」と騒ぎ出しています。どうしてか、「図星だったから」です。よく「火(屁)の元、騒ぐ」といいます。すでに議員を辞めた「元法務大臣」「元副総理」は統一教会の顧問弁護士をしていました。現副総理(前財務大臣)は「教団」とは長い付き合いをしています。あるいは前総理(国葬で「弔辞」を読んだ)も、深い交際のある方ですよ。だから、個々の議員のあれこれの問題などではなく、党全体がひょっとして、エキスを吸収されていたと言ってもいいのでしょう。巣食われていたのです。「党は無関係」と早い段階で幹事長が叫んでいたのが印象的です。本体が侵されていた。

 この「教会」には、既成の「新宗教」(創価学会や生長の家、あるいは立正佼成会などを経た(除名や退会した)多くの信者がいましたから、「政治と宗教」などという問題はお手の物でした。いずれ書く機会があるかもしれませんが、そのような宗教猛者(もさ)たちにとって、一票欲しさに狂っている政治家など「赤子の手をひねる」ほどの容易さで「篭絡」できたのです。それが恐らくもう半世紀も続いていたと言ってもいいでしょう。この国は、落ちるところまで落ちているのです。その破滅的状況は、致命的と言うべきなのかもしれません。

 と、ここまで駄文を綴ってきて、深呼吸の必要を感じたという次第。それがコスモスであり、彼岸花だったのです。現役俳人の中でもぼくが好む鷹羽さんの一句。それに木村享史(きょうし)さんの一句も。

・情なき世となりぬ秋ざくら(鷹羽狩行)                             ・透きとほる日ざしの中の秋ざくら(木村享史)

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(タイトルの俳句について)

 《 秋桜好きと書かないラブレター 小枝恵美子 パッと読むと、「なあんだ」という句。よくある少女の感傷を詠んだにすぎない。でも、パッパッパッと三度ほど読むと、なかなかにしぶとい句だとわかる。キーは「秋桜」。つまり、コスモスをわざわざ「秋桜」と言い換えているわけで、この言い換えが「好きと書かない」につながっている。婉曲に婉曲にと、秘術(?!)をつくしている少女の知恵が、コスモスと書かずに「秋桜」としたところに反映されている。ラブレターは、自己美化のメディアだ。とにかく、自分を立派に見せなければならない。それも、できるかぎり婉曲にだ。さりげなく、だ。そのためには、なるべく難しそうな言葉を選んで「さりげない」ふうに書く。「秋桜」も、その一つ。で、後年、その浅知恵に赤面することになる。掲句で、実は作者が赤面していることに、賢明なる読者は既にお気づきだろう。以下は、コスモスの異名「秋桜」についての柴田宵曲の意見(『俳諧博物誌』岩波文庫)。「シュウメイギク(貴船菊)を秋牡丹と称するよりも、遥か空疎な異名であるのみならず秋桜などという言葉は古めかしい感じで、明治の末近く登場した新しい花らしくない。(中略)如何に日本が桜花国であるにせよ、似ても似つかぬ感じの花にまで桜の名を負わせるのは、あまり面白い趣味ではない。(中略)秋桜の名が広く行われないのは、畢竟コスモスの感じを現し得ておらぬ点に帰するのかも知れない」。さんざんである。同感である。》『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)(「増殖する俳句歳時記))*秋桜=あきざくら 「コスモス」の異称として使われていますが、それほど周知されているとは思われません。(注記 山埜)

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