皐月の「皐」とはどんな言葉ですか?

 先日、友人から「五月は皐月(さつき)というけれども、皐月の『皐』とは、どんな意味ですか」と訊かれた。答えるのが面倒でしたから、ご自分でお調べくださいと言っておいたのですが、この「皐(こう)」という漢字には、実に多様な使われ方があります。今では旧暦五月の「異称」というのだけが知られていますが、なかなか、どうして。この字ひとつで「さつき」と読ませています。あるいは、「おか」(岡・丘とか阜)などを表す時もあります。地名には陽皐(ひさわ)村があります。長野県下伊那郡です。その昔、一度通過したことがあります。さらには岐阜県可児(かに)市には皐ケ丘(さつきがおか)があります。「皐(さわ)」とは、水辺あるいは沢辺・岸辺という意味に使われます。

 ぼくの悪癖(病)には「辞書にハマる」というのがありますが、たった一つの漢字にも長い歴史があり、それを調べているときは、何とも楽しい瞬間です。その履歴をさかのぼればさかのぼるほど、楽しさは倍増します。人名にあてて「すすむ」「たかし」などと読ませているようです。他よりも高い地形や土地の形状を言い当てたものですね。あるいは、これはまだ調べがついていませんが、「大声で叫ぶ・呼ぶ」という時にもこの字が使われることがあります。「皋(こう)」の原字で、「魂呼(たまよ)びの声の意に用いる」と、「角川新字源」にあります。(「魂呼び=死者の名を呼んで、離れていく魂を呼び戻す儀礼。枕頭 (ちんとう) や屋根の上で、あるいは井戸の底に向かって大声で呼ぶ。たまよばい」)(デジタル大辞泉)

 また、「詩経」が出典となって、しばしば使われてきたものに「鶴九皐に泣き、声天に聞こゆ」があります。(「鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)」あるいは「九皐鶴鳴」などともいう)どんな辺鄙な山の中に隠れていても、その鳴き声はいつしか天下に知れ渡るとでもいうのでしょう。いかにも「隠者」の名声というものの「目立つさま」をいうのですが、可笑しいですね、隠者はあくまでも隠者であってほしい、ぼくはそういう主義みたいなものを持っています。目立てば、隠者じゃではないじゃないですか。その「隠者」という因縁では、しばし昔の出来事を思い出します。

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 若いころに、スイス生まれで、イタリア系の思想家・ペスタロッチーに親しみましたが、彼の主著と目されるものに「隠者の夕暮(Abendstunde eines Einsiedlers)」というものがありました。我ながら、心して読んだものです。(彼について話せば、また際限がなくなります、本日はしません)ぼく個人にとっても、実に大事な人でしたね。彼はジャン・ジャック・ルッソオの思想から大きな影響を受けました。熱心な宗教家でもあった人で、この点では、放蕩者だったルッソオの後塵を拝するようなことはなかった。ぼくは、学生時代の友人といっしょに、彼の著作をよく読んだり、話し合う機会を頻繁に持っていたことを懐かしく思い出します。ペスタロッチーはいろいろなところで教育や保育にかかわる事業を実践したのですが、シュタンツ・ブルクドルフなどに交じって、ノイホフでも優れた実践を展開した。ぼくの友人はキリスト者でもあり、生まれた長男に「希望(Hoffnung)」と命名したのは、「ノイホフ(Neuhoff)」に因(ちな)んだからだということでした。ぼくと異なり、彼は保育の世界では優れた仕事を遂げられました。というように、ペスタロッチーにかかわって、よしなしごとがそこはかとなく偲ばれてきます。おそらく、彼はまぎれもない「聖人」の一人でしたろう。

 彼の言葉でぼくが、もっとも打たれたものがあります。「だらしない人間を教師にすることがどんなに危険か」というものです。ぼく自身、ついには「教師」ではなく「教師の真似事みたいなもの」しか、それもまことに不十分にしかできなかったという大いなる悔恨が、いまになっても疼(うず)いています。さらに加えれば、「生活が陶冶する」というのがありました。学校も家庭も、洋の東西を問わず、ひたすら「教える」ことに特化しているようですが、子どもが自らの経験から学び、己れ自身の生活を送ることが何よりの「ビルドゥング(Bildung)」となる、つまりは子どもを鍛えるのは「生活」だというのです。(こんなことにこだわっていると、ペスタロッチー論を書く羽目になりそうです。それにしても、ぼくには懐かしい人ですね)

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● ペスタロッチ(Pestalozzi, Johann Heinrich)[生]1746.1.12. チューリヒ [没]1827.2.17. ブルッグ=スイスの教育家。牧師を志してカロリナ大学に入学し,社会改良,政治改革を目指して活動したが,志望を弁護士,農業経営者と変えたのち教育事業に入った。ノイホフ,シュタンツ,ブルクドルフ,ミュンヘンブッフゼー,イベルドンなどで新教育を実践。彼は社会的新人文主義の立場にあるが,ルソーの自然主義思想の影響を多分に受け,自発性や直観を重視している。また宗教的,道徳的心情を中心とした調和的発達や社会生活,家庭生活による基礎陶冶を重んじた。主著『隠者の夕暮』 Die Abendstunde eines Einsiedlers (1780) ,『リーンハルトとゲルトルート』 Lienhard und Gertrud (81~87) ,『ゲルトルート児童教育法』 Wie Gertrud ihre Kinder lehrt (1801) ,『母の書』 Buch der Mutter (03) 。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 本日は、今を盛りに咲いている「ヤマボウシ(山法師)」の写真を数枚出してお茶を濁そうとしていたのです。拙宅にも一、二本、まだ若い木ですが、裏の庭にあります。遠くから見ると、白い塊が丸々と茂って、まるで季節外れの「雪だるま」のようにも見えます。この時期、似たような木々が青葉若葉に実をつけて、本当に「皐月」の爽やかさを感じさせてくれるのです。ところが、どういう事情か、この五月を「悪月(あくげつ)」ともいうのですから、さまざまですね。常用辞書では「陰陽道 (おんようどう) で、凶の月。 運の悪い月。めぐり合わせのよくない月。 《中国で5月を凶事の多い月とし、また、5月5日の出生を凶としたところから》陰暦5月の異称」(デジタル大辞泉)

 ところ変われば、「吉凶」「陰陽」も変わるというところですかな。ある場所の「北」は、別の場所からは「南」になる、「北には南が含まれている」というのですかね。

ああああああああ

 ヤマボウシ 新緑に映え 富山(写真 ⇑ ) 富山市新総曲輪の歩道脇で、ヤマボウシが花を咲かせている。雲間から時折日が差した12日は、小さな花を囲む白い総苞片(そうほうへん)が木々の新緑に映え、散歩する親子連れらを楽しませていた。(北日本新聞・2022/05/13)

HHHHHHHHHHHHH

 「ヤマボウシ」、どこにでも見られる木ですが、その名前がいろいろあるのは、面白いですね。ところ変われば、名前が変わる。実は、ことなった木に、同じ名前が付けられているのはよくありますが、これも、その一つです。ヤマボウシをヤマグワなどといっているところがまことに多い。似て非なるものは、森羅万象、どこにでも存在するので、それを区別するのも面倒だということでしょうか。四捨五入の思想ですね。もっと言えば、四九捨五一入、よく見なければ、違いがわからないという発想です。なかなかいいですね。大同小異ではなく、大同大異、小同小異です。それもこれも、みないっしょ。

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 下は、ヤマボウシの花と実です。

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● ヤマボウシ(やまぼうし / 山法師)[学] Cornus kousa Buerger ex Hance=ミズキ科(APG分類:ミズキ科)の落葉高木。高さ10メートルに達する。幹は灰褐色。葉は対生し、楕円(だえん)形または卵円形で長さ4~12センチメートル、全縁。花は6~7月に開き、淡黄色で小さく、多数が球状に集合し、大形の花弁状で白色の総包片が4枚ある。総包片のない大形の散房花序をつける同属のミズキより進化した植物と考えられている。果実球形で径1~1.5センチメートル、赤く熟し、食べられる。山地に普通に生え、本州から九州、および朝鮮半島、中国に分布する。名は、頭状花序を僧兵の頭に見立て、また白い総包片を頭巾(ずきん)に見立てたもの。果実が食用となるため、山に生える桑という意味からヤマグワともいわれるが、同名のクワ科のヤマグワとはまったくの別種である。材は器具材として用いる。(ニッポニカ)

● ヤマボウシ(山法師)Cornus kousa; Japanese strawberry tree=ミズキ科の落葉高木で,ヤマグワともいう。北海道を除く日本各地および朝鮮半島に分布し,各地の山野に普通にみられる。は直立し高さ 10mに達し多数分枝する。葉は対生し,楕円形ないし卵円形で長さ6~10cmになり,全縁で多少波状にうねる傾向がある。下面の葉脈の分岐点には褐色の毛がある。初夏から夏に,短枝の先端に短い柄のある頭状花序をつける。この花序全体を4枚の大きな白色の包葉が包み,これが花弁のようにみえる。本来の花は小さく,淡黄色の目立たない花弁4枚とおしべ4本,めしべ1本でできていて,数個ずつ頭状に集る。果実球形の集合果となり,秋に赤熟して食べられる。しばしば植物園や庭園に植えられる同属のハナミズキ (花水木)は,アメリカ原産で早春に開花し,総包片が淡紅色になるものがあり,果実は集合果とならない。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 下の写真、左二枚は「山椒・さんしょう」で、右がヤマグワです。このほかにヤマグミやサンシュユなどがあり、似ているというより、まるで親子姉妹・兄弟(親戚)のように見えてきます。元をたどれば、祖先はいっしょだったのかも。人間だって、そうですね。人種や民族と、似た者同士なのに、うるさいことをマジで言い募り、どっちが優れているかと、根も葉もないバカな物種を争う(三ミリ五ミリの違いに命を懸けて鎬(しのぎ)を削るという愚愚愚、愚愚愚、その挙句が「殺し合い」だということになれば、元も子もありません。先祖は同じ、これでどこが不満なんでしょうか。「あんなのといっしょだなんて、沽券(こけん)にかかわる」というなら、そんな「沽券」なんか捨ててしまえ。この「沽券」というのは…、と言い出すと終わらないので、ここまでにします。昨日は、猫(女の子)一人、本日は猫(男の子)が一人、「動物病院」で手術中(避妊と去勢)です。午後に迎えに行かなければなりません。四月末日には、また子猫が生まれ、家に住み着いています。「坂上家」ではありませんが、「軒を貸して、母屋を取られた」というのが実感です。(ええっ、いくつ生まれたかって、怖くって、とても話せません) 

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 ありがとうと言われたいボランティアはいない

『シンドラーのリスト』の「赤いコートの少女」が今、ウクライナ難民にもたらす希望 スティーブン・スピルバーグ監督のオスカー受賞作『シンドラーのリスト』(1993年)で印象的な幼女を演じた女性が、いまポーランドでウクライナからの難民を助けている。わずか3歳で「赤いコートの少女」に扮したオリビア・ダブロフスカだ。/ 今のダブロフスカ(32)はコピーライターだが、この3月からは戦火を逃れたウクライナの人々の支援にボランティアで走り回っている。/「あの少女は希望の象徴だった。もう一度、彼女をそうする」。ダブロフスカは映画のスチール写真と共に、そうインスタグラムに投稿した。

『シンドラーのリスト』は全編がモノクロで撮られているが、ダブロフスカの演じた少女のコートだけが鮮烈な赤い色を放つ。この少女は、虐殺されたユダヤ人が罪のない存在だったことの象徴だ。/ ポーランドの古都クラクフ出身のダブロフスカは、ポーランド国境に到着した難民を援助するボランティアグループを率いており、その活動内容をインスタグラムでフォロワーに伝えている。/ 3月13日には、長距離バスの近くに立つ自身の写真を添えて、こう書いた。「今日、ロシアはヤボリウを爆撃した。ポーランド国境からわずか20キロ。とても近い! 怖いけれど、だからこそ難民を助けようという思いが高まる」

「ありがとうと言われたいボランティアはいない」 翌14日にはインスタグラムのライブ配信でこう語った。「何かを期待しているわけじゃない。ありがとうと言われたいボランティアは一人もいない。みんな、やるべきことをやってるだけ」/「今日は10家族の住める家を見つけた……数え切れないほどの人を、クラクフなどに送り出した……私は、自分にできる限りのことをする。この人たちのこと、その顔、その目を、私は決して忘れない」/「心の準備はできないよ。でも想像してみて。これだけの人が苦しんでいる。子供も、お年寄りも、病人もいる」/ ダブロフスカは世界中から応援のメッセージを受け取っており、「疲れている」が「まだ助けたいエネルギーに満ちている」という。(以下略)(2022年04月21日(木)20時26分 エマ・ノーラン(Newsweek:https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2022/04/post-674.php)

*Schindler’s List (1993) – Full Expanded soundtrack (John Williams)sound (https://www.youtube.com/watch?v=p_TN2-8Rx2c)この演奏のパールマン、文字通りに「人を得た」というべきではないでしょうか。若いころから、彼の演奏は聞いてきました。屈託のない、おおらかな演奏で、聞いていて楽しくなるのはもちろんで、彼自身が「楽しくなければ、ヴァイオリンじゃないよ」といいたそうに弾くのでした。がこの映画の主題曲はまったく趣が違っています。彼の演奏によって聴くと、その音色は、ぼくのような穢れた人間の琴線にまでしみいるようでした。繰り返し聴いてみたい曲だと思います。主題が、パールマンの出自に重なって、耐えられないような、いくつもの場面が浮かび出てくるのです。

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◎シンドラーのリスト=1993年製作のアメリカ映画原題《Schindler’s List》。ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺をテーマにした、実話に基づく歴史映画。監督:スティーブン・スピルバーグ出演:リーアム・ニーソン、ベン・キングズレー、レイフ・ファインズほか。第66回米国アカデミー賞作品賞、監督賞、美術賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、作曲賞受賞。第51回米国ゴールデングローブ賞作品賞(ドラマ部門)受賞。第47回英国アカデミー賞作品賞受賞。(デジタル大辞泉プラス)

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 映画について、あるいは映画のもとになった「リスト」を作り、ユダヤ人を救った、オスカー・シンドラー(➡)についても,、本日は話はしません。「サウンド・オブ・サイレンス」ですね。一見、この世界はそれなりに平和そうな状況で、理不尽極まる事態が進行しているさなか、ひたすらシンドラーのなしえた「救済」を考え続けるばかりです。彼は、ある時期からはナチに入党し、その余得を存分に生かして財をなした人でしたし、ある意味では極めて享楽的な生活に浸りきっていた人でもあったのです。その彼が、なぜ、身を賭してまで「ユダヤ人」を救うようになったのか、これは一種の奇跡のような出来事であり、いや、それは人間の深いところにきっと存在している「良心の痛み」でもあったのでしょうか。いのちを足蹴にし、塵芥のように扱うことに対する、抑えられない怒りでもあったのか。

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 「彼は、同時代の人たちから見てくれよく育ってきた人間とみなされて、上流社会の中で立ち回り、良い身なりをし、女性たちからももてはやされ、金銭を湯水のように使っていた。/ そんな楽天的な工場主の経済的な関心は、ナチス党政権に対する不信感の前に次第に後退していった。(略)やがて出来る限り多くのユダヤ人を救済したいという願望の下に、最後には全財産をこの目的のために投じただけでなく、自らの生命まで賭けようとしたのである」(wikipedeia)(左の「リスト」はAFP記事中のもの。下記参照)

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 八十年後に、ポーランドの若い女性は、世間に強く呼びかける風でもなく、しかし自分にできる、大事なことに従事する気持ちを語っています。「私は、自分にできる限りのことをする。この人たちのこと、その顔、その目を、私は決して忘れない」「心の準備はできないよ。でも想像してみて。これだけの人が苦しんでいる。子供も、お年寄りも、病人もいる」というダブロフスカさんのような、今日の「シンドラー」は世界のいたるところに存在し、現実に身を挺して「命を敬っている」のです。このような危険な活動に積極的にかかわる、「今どきのシンドラー」を生んでいる「現実世界」の覇権競争にやり場のない憤りがわいてきます。しかし、若い人の働きがきっと今の世界を、少しずつではあれ、確かに人間が大事にされる方向に歩いている、そのことをぼくは確信しているのです。

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 「シンドラーのリスト」作成の元秘書、ラインハルトさん死去 107歳 (2022年4月9日 2:27) 

【4月9日 AFP】第2次世界大戦(World War II)中のポーランドで、ドイツ人実業家オスカー・シンドラー(Oskar Schindler)の秘書として、多数のユダヤ人をホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大虐殺)から救うためのリストを作成したミミ・ラインハルト(Mimi Reinhardt)さんが死去した。107歳。家族が8日、明らかにした。/ ポーランド南部クラクフ(Krakow)のゲットー(強制隔離居住区)に住んでいたユダヤ人の多くは、シンドラーの工場の従業員リストに載ったことで、ナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所への送還を免れた。シンドラーの下でラインハルトさんがまとめたリストは、約1300人のユダヤ人の命を救った。/ 自身もユダヤ人であるオーストリア生まれのラインハルトさんは、シンドラーに雇われ、1945年まで秘書を務めた。戦後は米ニューヨークに移住。2007年に一人息子が暮らすイスラエルに移り住んだ。(以下略)(https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2022/04/post-674.php)(c)AFP

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 「自分の理解を示すため」「支援の印」

 塗りつぶされても恐れない、平和の壁画描く画家 ロシア【4月19日 AFP】ロシアの首都モスクワから車で2時間の場所にある人口約1万人のボロフスク(Borovsk)。元エンジニア、ウラジーミル・オフチニコフ(Vladimir Ovchinnikov)さん(84)は、この小さな町で何十年も前から建物の壁に絵を描いてきた。だが、ロシアがウクライナに侵攻して以来、ウクライナや平和をテーマにした絵を描くと塗りつぶされるようになった。/ 最近、近郊の村の以前は店舗だった建物に立ち寄ったところ、壁に描いた青と黄のウクライナ国旗が白いペンキで塗りつぶされているのを見つけた。/ 鉛筆を取り出し、その上にハトの絵を描き始めた。すると、住民の男性がやって来て「警察を呼ぶぞ」と言われたという。/ だが、オフチニコフさんは絵を描く試みを続けることに恐怖は抱いていない。「この年になると、何も怖くない」と語った。 /ボロフスクでは、ウクライナ国旗の色の服を身に着けた少女の頭上に爆弾が三つある絵を描き、3万5000ルーブル(約5万4000円)の罰金を科された。この絵も白く塗りつぶされたが、オフチニコフさんはその上に1羽のハトを描いた。/ 罰金が科されたオフチニコフさんに、150人以上から寄付が集まった。(以下略)(https://www.afpbb.com/articles/-/3400986?pid=24426945)(https://www.afpbb.com/articles/-/3401150?cx_part=common_focus)(2022年4月19日 18:12 発信地:ボロフスク/ロシア(AFPBB)

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 「ペンは剣より強し」と、繰り返し言っています。この時、「ペン」とは,暴力をいっさい伴わない、しかも、じゅうぶんに「武力」と対峙しうる人間(個人)の姿勢であり態度であると、ぼくは疑わないのです。瞬間(刹那)的に見れば、どんな力強い「ペンのちから」も、一丁の機関銃の前では「虫けら」同然であります(個々の人間もまた「虫けら」と選ぶところがない扱いを受けることを、ウクライナの現実は嫌になるほど見せつけています)。しかし、その「ペンのいのち」は生き続けるし、時間と距離を超えて生きるのではないでしょうか。確かにオフチニコフさんの描いた「絵」は、ぼくのような無知であり、何事も一人前にできない老衰しきった人間のところにまで届き、「今少し活力を出しなさい」と教えてくれているのです。プーチンの、残忍至極の殺人行為のためのミサイルの爆裂も迫撃砲の嵐も、この房総半島の山中にまでは飛んでこない。飛んでくる力がないからです。すべてのいのちを「虫けら」と同然視しなければ、武力はなにひとつ破壊することはできないのです。戦時の殺戮の主役たちは、家に帰れば「よき父(母)」「よき夫(妻)」「優しい国民」であるのかもしれません。国家という「強制随伴装置」は、人間を劇的に作り変えるし、同じ国家は、その国民をいいように牛耳るのでしょう。「しかし、武を嫌い、文を求める人々」が、この世界にいる限り、「ペン」の潜在力は尽きることがないのではないか。「ペンは剣より強し」と、わがいのちのある限り、言い続けたいね。

 「オフチニコフさんは、ロシア社会が新たに『分断』されつつあり、『非常に悪い方向』に進みかねないと懸念している。一方で、平和を促進する芸術の力を信じており、これからも絵を描き続けるつもりだ。/『私が絵を描くのは、自分なりの理解を示すため。そして多分、他の人に影響を与えるためでもある』と話す。/『政治に無関心な人』『何が起きているかを知らず、ただテレビの前に座っている人のために』」( 映像は14日撮影。(c)AFP/Romain COLAS)

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 志を同じくする人はここにもいました。この人はフラスン人。「少しでも笑顔になって、人間らしさを取り戻せたら満足だ」とC215氏は言います。「パリの貧しい地区に生まれたギュミー氏は、過酷な人生を送ってきた。母親は10代で自分を産み、後に自殺した。自分自身もつらい別れを経験し、うつ病を患った。/ 破局後、グラフィティ・アートを制作するため仕事を辞め、娘の壁画を描いた。うつに対処するためだったと話す」(下記の記事参照)

 仏アーティスト、ウクライナに壁画 「笑顔と人間らしさを」【4月10日 AFP】仏パリを拠点とするグラフィティアーティストC215ことクリスチャン・ギュミー(Christian Guemy)氏(48)は、絵に最後の仕上げを施す。ウクライナの首都キーウのバス停に青と黄色のスプレーで描かれた少女の絵が、周りの破壊された建物とコントラストをなす。/ スプレー缶を持ったギュミー氏はAFPに、「支援の印だ」と話した。「厳しい状況の中で、人々が少しでも笑顔になって、人間らしさを取り戻せたら満足だ」(以下略)2022年4月10日 15:00 発信地:キーウ/ウクライナ(https://www.afpbb.com/articles/-/3399086?pid=24389453)(AFPBB)

 「子どもに罪はない」「子どもは戦争に耐える必要もない」とギュミーさんは言われる。ぼくはこれまでなんども「無辜の民」という語を使ってきました。「辜」とは「罪」「咎(とが)」「はりつけ」などという含意になるといいます。「書経」が典拠とされます。人災であれ天災であれ、その人自身にまったく「責任」がないことを指します。いきなり隣国からやってきて、「そこを明け渡せ、それは俺の土地だ。どかないなら、皆殺しだ」という、この「乱暴狼藉は」いった通りのことをする。「ジェノサイド(皆殺し」を、この時代にやってのけるし、それを世界はテレビなどを通してみているのです。「戦争についてのストリート・アートをやりたいなら、戦争が起きている場所で制作し、被害と現状を伝えるものでなければならない」とギュミーさんは話しておられます。「被害者の側に、自分はいたい」というのです。(右はチュニジアで描かれたギュミーさんの作品「猫」)

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 「戦車とことば」と並べて語る人もたくさんおられます。「ペンと剣」と同じような表現でしょう。「戦車」は語れないから、「砲弾」を連射するしかない。言葉を失っているから、自らの意図を「暴力」で表すしか方法を持たないのです。よく「問答無用」といわれるのは、この事情を表しているのではないでしょうか。「腕力に物を言わせる」とも言いますけれど、それは「相手に語るべき、人間に共通する言葉を持たない」ということを証明しているのです。戦争も、根っこには同じで、共通の「言葉の不在」ですね。「外交」とか「交渉」というのは、基本は言葉による「対話」です。対話は「言葉による(によって成り立つ)共同体」の必須の条件でもあります。その不可欠の条件を持たないということは、相手を仲間として認めないということと同義であり、あるいは「敵」視するからこそ、いともたやすく「暴力行使」に及ぶのでしょう。子どもの世界で問題になる「いじめ」の構図も同じです。共通の言葉を持たないから、敵対できる。これはいつでも、どこでも生じうることです。自分では持っていると思われた言葉が、いとも簡単に暴力に代わるのです。親子だったり、兄弟・姉妹だったり、あるいは親友や仕事仲間だと認め合っていたもの同士が、突如として「敵」になることで、事件(戦争)が発生するのです。

 自分は言葉を持っていると、自信を持ってい言えるでしょうか。持っていると思っていた言葉は、何かの拍子に奪われ、あるいは言葉の力が、根底から損なわれます。その瞬間には、暴力が芽生えているのです。「ペンは剣より強し」といいますが、その「ペン」は瞬時に「剣」に代わりうるのです。ぼくたちは、そんな危険性を冒しながら、日常生活を「綱渡りしている」というべきかもしれません。大切なことは「「戦車と言葉」というときの「言葉」、どんなことがあっても「戦車」に変えてしまわない、代わってしまわない、そんな「言葉」を、わが身のうちにいつでも育てておかなければならないのです。これは、実に至難の業ですけれど、それをやり遂げようとしなければ、何時でも「暴力」は蔓延(はびこ)る。

 ペンは剣より強し、それは単なる例えでもなければ、ことわざでもなく、何時でも、誰にでも、実際に経験してもらわなければならない「生きる方法」(文化)でもある。上に見た、二人の画家は、そのことを、実に雄弁に、ぼくに示されています。「無辜」とは「無実」であり、その事実(内容・中身)がないという意味になります。有名無実などという表現がそれを示しているでしょう。死の苦しみを受ける「覚え」がない多くの人々、そのような人々がどうして死命を制せられ、苦しみや不幸を背負わされなければならないのか。ぼくたちは、身代わりになれるのでしょうか、なれないのでしょうか。この「プーチンの戦争」が続く限り、ぼく(たち)は、この問いから逃れられません。

 (露軍の戦車等の「Z」マークにはいろいろな解釈がなされていますが、もっともはっきりしているのは「7」を逆向きに並べたものだというのが本当らしい。従来から言われている、「5月9日」は独ソ戦の「戦勝記念日」で、本年は77回目だというので、その記念日のために、「P」の戦果を顕彰したいという計画のための「ウクライナ侵略」であり、そのための「武力攻撃の」続行だという。なんともたまらない「頽廃」であり、「堕落」の極致だというほかありません。愚かしいこと無比、無双、無類です。残酷だというなら、ナチだってといいたくなりますが、一刹那にしか存在しない権力者「P」の顕彰のために、かかる残虐行為を遂行する、「愚」という点では、右に出るものなしですね、そんな「屑・塵の勲章」のために無辜無数の民は「殺戮」されたというのですから、「無念」やるかたなしです。
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 皇帝になった気になった男?

 

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◉ ラスプーチン(Rasputin, Grigorii Efimovich)[生]1864/1865. ポクロフスコエ []1916.12.30. ペトログラード=ロシアの神秘主義的修道士。皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラ・フョードロブナ寵臣。本名をノビフといい,シベリアの農民の子として生れた。キリスト教の一分派,むち打ち教に加わり,若いときは放蕩を尽したが,人並みはずれた体力と雄弁で,1902年頃から預言者,聖僧と噂された。 04~05年ペテルブルグの社交界に進出,やがて皇太子アレクセイの血友病に悩む皇后に近づき (一種の催眠療法によって皇太子の出血を何度か止めたという) ,またニコライの治世への神の加護を約して,次第に皇室に影響力をもつようになった。皇后への影響は,第1次世界大戦勃発後の 15年,皇帝がみずから前線の指揮をとるため戦場へおもむいて以来,特に強まった。その国政へのたび重なる干渉,彼を中心とする上流社会の醜聞に憤った皇太子フェリクス・ユスポフ,皇族のドミトリー・パブロビッチらによって暗殺された。(ブリタニカ国際大百科事典)

◉ ニコライ2世(Nikolai Ⅱ・Aleksandrovich)(1868 – 1918)=ソ連国籍。元・ロシアロマノフ王朝皇帝。ロシア出身。帝政ロシア最後の皇帝(1894〜1917年在位)で、1891年皇太子として訪日中大津事件にあう。父アレクサンドル3世の専制護持の教育を受け外交政策継承、フランスとの同盟強化、極東への進出を図るが日露戦争を起こし敗北1905年革命で「十月宣言」を発布するが革命が終息するとストルイピンを用いて革命運動を弾圧、第一次大戦中に退位を余儀なくされボリシェビキ政権を掌握すると’18年シベリアに幽閉され、後射殺される。(20世紀西洋人名辞典)

 (以下の「国旗」は、左から「クリミヤ」「モルドバ」「ジョージア」「ウクライナ」 野心家が狙ってきました)

◉ ストルイピン(すとるいぴん)「Пётр Аркадьевич Столыпин/Pyotr Arkad’evich Stolïpin)(1862―1911)=ロシア政治家。富裕な地主貴族の家に生まれる。ペテルブルグ大学卒業後、内務省勤務。1906年4月内相、同年7月首相兼内相となった。革命運動の弾圧に努め、多くのテロリストを処刑したところから、当時絞首台の縄は「ストルイピンのネクタイ」とよばれるようになった。他方、革命勢力に対抗するためにはロシア社会の改革、とりわけ農業の改革が不可欠であると考え、06年から11年にかけて、一連の土地改革に関する法律によって農民の自由意志による共同体からの離脱と、耕地の整理・統合を奨励した。彼は農業の資本主義化を目ざし、土地を共同体的所有から個人的所有に改めることによって、農民層を革命の防波堤にし、ツァーリズムの支柱にしようと考えた。この結果、16年までに全ヨーロッパ・ロシアの農家の約4分の1が共同体から離脱し、そのなかの比較的富裕な農民は資本主義的経営を行って、ロシアの穀物生産と輸出を増大させた。しかし他方では、その結果、農民が富農と貧農とに階層分化し、従来の地主貴族と農民との対立に、新たに富農と貧農との対立が付け加わることとなった。11年キエフで狙撃(そげき)され、死去。

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ロシアのプーチン大統領=21日、モスクワ(AFP時事)

 日ロ平和条約、交渉中断 ロシア外務省が表明 ロシア外務省は21日、北方領土問題を含む日本との平和条約締結交渉を現状では継続するつもりはないと発表した。ロシアによるウクライナ侵攻を受けた日本の対ロ制裁を批判しており、北方四島のビザなし交流や元島民らの自由訪問も停止する。北方四島での共同経済活動に関する協議からも離脱するとしている。/ ロシア外務省は「日本政府の決定に対する対抗措置」として声明を出した。「ウクライナ情勢に関連して日本がロシアに対し行った一方的な規制が、明らかに非友好的であることを考慮し[ 、措置を講じた」と説明した。(時事通信・2022年03月22日01時41分)(左写真・ロシアのプーチン大統領=21日、モスクワ)(AFP時事)

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 今回の「プーチンの戦争」で、何人かの歴史上の人物を思い浮かべました。もちろん、プーチンが、常に描いていた人々だったと、ぼくが想像している人に限ります。革命後では、レーニンやスターリンは、彼には問題にならないはずで、もちろんその後の「ソ連指導者」は彼の眼中にはなかった。ぼくは小説仕立てで考えることをしてみた。すると、プーチンは、遅く生まれた「ニコライ二世」ではなかったか、と思われてきました。世が世なら、「俺は皇帝だ」と。あるいは、それ以前だったら、彼は「非情な殺し屋」、つまりはストルイピンに、あるいは、時には、ラスプーチンを、みずからに重ねたかもしれなかった。しかし、幸か不幸か、時の運、無能大統領(エリツィン)時代に恵まれ、あっという間に、政治の頂点に上り詰めたのです。

 その先を、彼はどうしても極めたかった。そうすると、ニコライに至るという、実にわかりやすい「野望(ambiition)」ではなかったか。そこで気になったのが、帝国時代の領土、あるいは「ソ連時代」の国土でした。こんなに国土を奪われてしまった。これを取り戻すのが自らの存在証明になるという「大遠征」構想が浮かんだでしょう。「春の夜の悪夢」でした。この殺人鬼は、長年、この野心を太らせてきたし、そのためには何でも利用した。この島の愚劣な、歴代総理大臣どもは、格好の餌食になったというわけです。領土は返さないわ、金はただ盗りするわ、もっとも与しやすいのが「日本」と、彼は見くびっていたのでした。「ウラジーミルは友人、二十七回も会った」とほざいていた無能・嘘つきがいました。二十七回も、コケ(虚仮)にされていたということでしょ、まさに「売国奴」でしたね。(対日関係でいうなら、プーチン(に限らず)は、日露戦争の結果に憤懣やるかたない想いを抱いているに違いありません)

 「皇帝になりたかった男」という小説などはいくらもあるでしょうし、それはまず売れない。そこに、なにがしかの「人間味」や「歴史性」が感じられなければ、魅力も味(趣向)もまったくない「ロボット」が主人公になっただけのピカレスク(a picaresque novel)だということになるからです。そんな野心や野望をもった連中が野合して、一国を誤ったり、売ったりするのですから、人民はたまらない。一日も早く、虐政は終わらせたい。被害は、至るところに飛び火し、あたら犠牲者が出るばかりですから。

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 観覧車・ジェットコースター・バンジージャンプ

自覚症状少ない失明原因の1位 「ライトアップ・イン・グリーン運動」で緑内障知って

緑内障啓発のため緑色にライトアップされたモザイク大観覧車=6日夜、神戸市中央区東川崎町1(撮影・吉田敦史)

緑内障啓発のため緑色にライトアップされたモザイク大観覧車=6日夜、神戸市中央区東川崎町1(撮影・吉田敦史) 緑内障の正しい知識を広め、早期発見につなげてもらおうと、公共施設などを緑色に照らす「ライトアップ・イン・グリーン運動」が6日、全国各地で始まった。神戸市中央区ではモザイク大観覧車が、夕方から夜にかけて30分おきに、明るい緑の光を放った。/ 世界緑内障週間(6~12日)に合わせ、日本緑内障学会(東京)が2015年から続ける。今年は6日時点で、医療機関や公共施設など全国約700カ所の施設が取り組む予定。/ 神戸市内では神戸アイセンター病院(中央区)も建物をライトアップ。院内では緑内障の症状などを解説する動画を流し、医師らが緑色のTシャツを着用して診療に当たる。/ 緑内障は眼圧の上昇などが原因で視野が欠けたり狭くなったりする病気で、日本では失明原因の1位を占める。早期発見と治療が重要になるため、同センターは「病気が進行しないと自覚症状が出ないので、40歳を過ぎたら定期検診を受けて」と呼び掛けている。/ 大観覧車の緑色ライトアップは6日のみ。神戸アイセンター病院は13日までの午後5~9時に点灯する。(竜門和諒、金 慶順)(神戸新聞・2022.03.06)

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 この「青色の観覧車」を見て、その横に書かれていた「緑内障」とが直結して、観覧車に乗ると緑内障になるという、とんでもないニュースだと飛びついたのでした。ぼくも相当に深刻な「緑内障」いや「脳軟化」かもしれない。白内障とともに、よく聞く、目の異常を示す言葉ですが、ぼくにはむしろ、「(青)そこひ」という語が親しかった。いつ頃から知っていたのか、この「そこひ」という症状が、小さなぼくを恐ろしがらせたことは確かでした。今ではこんな呼び方はしないのでしょうが、「うわひ」と「そこひ」というように、目の組織異常によって作られる「翳」を示しているのでしょう。

 今はあまりしなくなりましたが、ぼくは医者通いは人並みにしていた時期がありました。最も多く通ったのが「胃腸科」でした。若い時からの悪癖で、酒と煙草に毒されていたから、どうしても胃腸がおかしくなったのでしょうか。若いころから、「胃潰瘍」という診断を下され、何度も吐血していましたので、そのつど医者通いでした。近所に「胃腸科専門」医院があって、苦しくなるとそこに駆け込んでいた。その当時は、年に数回は「胃カメラ」をのまされていました。いつか履歴書などを書く機会があって、「趣味は?」と問われたら、迷わず「胃カメラをのむ」と書いたと思う。ところがある時に、馴染みの医院で世代交代があって、息子がカメラをのませることになったが、それがとんでもない未熟者だったので、それ以来、ぼくの喉は「胃カメラ」を受け付けなくなった。

 もっとも最近の「胃カメラ」検査は八年前、この山中に越す直前でした。痛飲して胃潰瘍がひどくなり、大吐血。いつもの医者に行ったら、先代がいて「カメラ」だと言った。今回はうまく喉を通るかと、青息の中で、ぼくも思ったのですが、ダメでした。「寝かせてからにしよう」と麻酔をかけられた。相当時間が経って、気になったかみさんが様子を見に来た。先代に「どうでしょうか?」ときいたら、「まだ目が開かない」と言われて、びっくり仰天、「もう駄目なんですか」と急いで尋ねたそうです。そうこうしているうちに、ぼくは麻酔から覚めて、一部始終を聞いたのでした。そんなこんなの顛末があって、その直後にぼくは酒を止めた。ついでに(それ以前にか)煙草も止しました。

 眼科にも、しょっちゅう通っていましたが、大した成果はなかった。眼鏡を調整して、だましだましで「眼球を手なずけ」、今日に至っています。老眼というか近眼的状態が、かなり進行しているという自覚があります。しかし、まだ「交通信号」が見えるし、色も識別できているので、慌てることはないかという構えでいます。しかし、「青そこひ」が気になりだしています。まだ十分な調べもしていないのですが、今日では、目の手術の技術もうんと進歩したそうで、器械の導入と相まって、いざというときには、なんとかしたいとも考えています。

 視力や聴力はまだいけそうですが、「観覧車に乗ると白内障」などという「かんちがい」というか、はなはだしい誤解はどうでしょう。これには、薬も手術も間に合わないような気もします。「早とちり」、あるいは「早合点」は、ぼくの性分の一分でもありますから、これを治すのは不可能か、いや生きているうちは「アカン」でしょうね。いまのところは「そこひ」に効果があるかどうかわかりませんが、目薬が手放せない状態になっています。それにしても「目薬」の安価が気になります。こんな値段ではおそらく治る(症状改善の)はずはないということかもしれない。つまりは「気休め」なのでしょうかね。「水で目を洗っている」ようなものか。

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◎ 緑内障(りょくないしょう)glaucoma=あおそこひ。眼圧の異常上昇が続いて,そのため視神経がおかされ,眼の機能的あるいは器質的障害が起り,放置すると失明する疾患。多くは眼のちらつき,夜,灯火の周囲に虹のような輪が見えるといった視覚障害と同時に頭痛を伴い,視野が狭くなることもある。血液やリンパの循環障害のほか,素質や強い情動,ストレスの影響の認められる場合がある。緑内障は広隅角緑内障と狭隅角緑内障に分類され,通常,前者には保存的療法 (点眼薬による) ,後者には手術を行う。(ブリタニカ国際大百科事典)

◎ そこひ【底翳】(「ていえい」とも)=〈内障〉とも書く。眼内ないし視神経より中枢側の原因で視力障害(翳=くもり)を起こす状態をいい,角膜疾患の上翳(うわひ)に対応する。便利な言葉ではあるが外観では区別できない種々の病態を含み,診断ならびに病型分類の進歩した現在では医学的にあいまいな表現である。現在の病名にも,緑内障白内障黒内障の別名として残っている。(世界大百科事典第2版)

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 観覧車とジェットコースターとバンジージャンプ

 この三つの「遊具」(のうち、前の二つは経験しました、一回だけ、それで十分。だが、バンジーだけは未経験、「載りかけ、いや落ちかけ」たことがありましたが、直前で、理性が働いたのか、取りやめました)、ぼくはこの手の「遊具」は好きではありません。するなら、「木登り」だったし、自然にできるコース(田舎の、森に通じる長い坂道)でのスキーでした。自分でやれる範囲で、手作りの遊び道具が何よりと、昔から一貫していた。誰かに誘われて、たった一度だけ、ジェットコースターに、半世紀も前に乗ったことがあります、今の東京ドーム(当時の後楽園遊園地)でした。動き出す前に、ぼくは乗ったことを後悔した。案の定、動き出しても「後悔」がいっしょになって絶叫していたほどでした。今から見れば、回転木馬(メリーゴーランド)みたいな、実に他愛もないものでしたが、それでも、激しい上下移動は、ぼくの性分には合わなかった。「金をやるから乗ってみろ」と言われたら、ぼくは「金だけもらって」、乗らないね。

 観覧車はどこで乗ったか記憶がありませんが、確かに乗ったと思う。ゆっくりと登り、ゆっくりと降りる。この感覚がいいんでしょうか。(もっとも、ぼくは高所恐怖症ですから、観覧車といえども、二度と乗りたくないな、「金をやるから、乗れ」と言われて、やはり、ぼくは、金だけもらって乗ることは拒否するね)。今時風というのは、なんと観覧車とジェットコースターが合体しているんですか。時代の「暴走」には、無条件で負けますね。流行に関しても、(完璧な)「時代遅れ」です。ジェットコースターと観覧車の二派に分かれて、人生を例えるなら、断然、ぼくは「観覧車」派ですね。コントロールを抜け出したような株価のように、またはエレベータのように「過激な上下動」は、血流や血圧のためにもよくないし、ぼくは人生も、上下動のない、有無定かでない(微少な)「上下動」で、生きていきたいですね。その点では「観覧車」でしょうが、これだって、時々事故って、途中で動かなくなることもあるようですから、乗らないに越したことはない。最後に「バンジージャンプ」ですが、これは論外。(写真にあるのは、中国のもので、なんと高さ260メートルだそう) 

 そのうちに、「人間ロケット」よろしく、大気圏を突き抜けていく「遊具」(と言っていいのかどうか)が出現するかもしれない。いや、もう出ていますよ、と言われそうです。「そこひ」で苦しむどころの騒ぎではありませんね。自分の足で立って、歩くという「きほんのき」が好きではない人間、そんな当たり前のことをしたくない人が、実にたくさんいるんですね。ぼくには信じられないところです。

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