
緑輝く5月。どっしりと幹を伸ばし、四方に枝葉を伸ばしたセンダンが、薄紫の花を付けている。雲のようにこんもり、もこもこ。無数の花が風に揺れている。/ 本県では昔から、街道沿いや学校にセンダンを植えてきた。日傘のように、涼しい木陰をつくる木の下で、旅人らが休んだり、子どもたちが遊んだり。さらに葉は虫よけに、樹皮や果実は煎じて虫下しや整腸に、果肉はすりつぶして肌の塗り薬にと、さまざまに使われてきた。/ 薄紫の花を見ると、長さ1センチほどの細く白い花弁が星形に開いている。中央には、筒状の濃い紫の雄しべと黄色い葯(やく)がある。上品で美しい花だ。/ 一方で、牧野富太郎博士が「シロバナセンダン」と名付けた、白い花を付けるものもある。/ 県内で有名なのが、いの町神谷の神谷小中学校に生えているものだろう。藩政末期に、庄屋が村人の健康のために自宅に植え、学校が建った後も、庄屋をたたえるために残されたと伝えられる。かつては学校敷地内に4、5本のセンダンがあったそうだが、台風で倒れたり、体育館の建設のために切られたり。現在は白と紫の2本となっている。(以下略)(高知新聞Plus・2023/05/23

(ヘッダー写真は「暦生活」:https://www.543life.com/shun/post20220510.html)
● せん‐だん【栴檀/楝】1センダン科の落葉高木。暖地に自生する。樹皮は松に似て暗褐色。葉は羽状複葉で縁にぎざぎざがあり、互生する。初夏に暗紫色の5弁花を多数つけ、秋に黄色の丸い実を結ぶ。漢方で樹皮を苦楝皮(くれんぴ)といい駆虫薬にする。おうち。あみのき。《季 花=夏 実=秋》「―の花散る那覇に入学す/久女」2ビャクダンの別名。(デジタル大辞泉) ●せんだん【栴檀】 は 二葉(ふたば)より香(かんば・こうば)し= 白檀(びゃくだん)は発芽のころから早くも香気を放つように、英雄・俊才など大成する人は幼時から人並みはずれてすぐれたところがあることのたとえ。(同上)


「センダン」にはたくさんの異名・異称があります。その理由はなんだったか、ぼくにはよくわからない。なかでも「唐変木」などという名がつけられているのは、ぼくには興味があります。もう何十年も前、新宿の富久町あたりを歩いていて「唐変木」という喫茶店があったのを覚えています。そのときは、文字通りに「気のきかない人物、物分かりの悪い人物をののしっていう語」(デジタル大辞泉)だと即断して、変な店名だなとしか思いませんでした。それが「栴檀」の異称だと知ったのは、かなり後年のこと。その異名の代表的なものをを挙げてみると「アフチ・アウチ・オオチ・オウチ・アミノキ・楝木・雲見草・唐変木・千珠・金鈴子・苦楝子・川楝子・苦楝皮」などなど。まだありそうですが。今や、あちこちに「唐変木」は大流行です。木工材としては「白檀(厳密に言うと「栴檀」とは別種)」はなかなかの高級品で、木が硬いので多用されています。これが「頭が固い」に通じるのでしょうか。「わからず屋」とも言いますね、唐変木のことを。「栴檀は…」は、この白檀のことらしい。
栴檀の異名に「千珠」があります。曼珠もあります。文珠とも。珠は「真珠」のように、貝の中にできる丸い玉のこと、そこから美しく立派なものに冠せる言葉として使われています。「金鈴子(きんれいし)」とは栴檀の実のこと。これから「数珠(じゅず)」などを作る。念珠ともいう。というように、関連する言葉を取り上げてゆくと、どうも仏教に深い関わりがありそうな気配が濃厚です。今日はその方向に行くのは止めておきます。

どうしてこんなにたくさんの呼び名があるのか。もう少し調べたいですね。「アフチ・アウチ・オオチ・オウチ」は、昨日触れた「夏は来ぬ」の「詞」にありました。「楝」です。別表記では「樗」、高山樗牛の筆名にあります。(以下の辞書参照)樗木と犛牛(ヤクの別名)をあわせたもので、どちらも「大にして無用」とあります。「無用の長物」を指しているのでしょうか。だから「唐変木」となったとも言えますね。要するに、大きな木(大木)の代名詞として「栴檀・樗・楝」が上げられたということでしょう。
●「樗牛」とは「樗木と犛牛(りぎゆう)。大にして無用のもの。〔荘子、逍遥遊〕吾(われ)に大樹有り、人之れを樗と謂ふ。其の大本は擁腫(ようしよう)(こぶだらけ)して繩墨(じようぼく)に中(あた)らず、其の小枝は卷曲して規矩(きく)(ぶんまわしと、定規)に中らず。~今夫(か)の犛牛(りぎう)は、其の大いさ垂天の雲の若(ごと)し。~而れども鼠を執(とら)ふること能はず。(普及版字通)

樗牛氏についても触れたい気がします。山形鶴岡出身で、一時期は文壇に「樗牛あり」と言わしめたほどの人物でした。「日本主義」の主導者でもあった。「滝口入道」で文壇に出、その後は雑誌「太陽」を始めとして、さまざま領域で活動を続け、大きな影響力を誇示したこともあったが、若干三十一歳で死去。帝大時代の同級生には土井晩翠が、(予定されていた)欧州留学同期生としては夏目漱石などがいました。不幸にして、留学直前に喀血して、夭逝した。
それにしても、植物というものが、人間の生活にどれほど身近かであったか、この一本の樹木を見ていてもよくわかります。ウツギも咲き、センダンも香りを放つ時期、爽やかな皐月であると同時に、その側には「梅雨」も控えている、何とも賑やかそうな「小満(しょうまん)」の季節です。本年の「小満」は一昨日(五月二十一日)でした。「草木が茂って天地に満ちる」候、まさにその通りで、拙宅でも木々が緑成し、草は繁茂の限りを尽くしている。
ところで「栴檀は双葉より芳(かんば)し」という俚諺は知っているものの、そのように言い当てられる「人物」に遭遇したことのないのは、ぼくの身の不幸でしょう。「双葉より芳し」という栴檀は我が邦のものではなく、インドあたりが原産の種類(白檀)を言うらしい。だから、仏像・仏具なとも「白檀」が尊ばれたのでしょうか。同じ木ではあっても、別名の「唐変木」と渾名(あだな)される人間たちには、これまで嫌になるほど出会ってきました。もっとも他人から言わせれば、「お前こそが唐変木だ」と言うでしょうね。そのとおり、「図星」です。大木の代表はなんでしょうか。まず「欅」、そして「木蓮」。ついで「栴檀」でしょうか。このいずれにも、ぼくは小さい頃から親しくしてきたせいもあって、いまなお、それぞれに懐かしくもあり、親近感を感じもする。庭木としては手に余りますが、遠くから眺めて、本当に「どっしりした」風格がある木々ではあるでしょう。万葉の歌人も詠っています。
「妹が見し楝の花は散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに 」(「万葉集」巻五・山上憶良)

日本の学校の校庭に、どういうわけだか「サクラ」が植えられています。その理由は、どこかで触れた気もしますが、安っぽい理由だったと思います。「サクラはニッポン」と言わしめたいというもので、それは唱歌に謳われた「日本主義」「日本という観念」の具体的「対象物」だったという感想を持ちます。「日本の風景」「日本の文化」などと簡単に言いますが、こんな狭い島世間ではあっても、多様な言語や多彩な文化が生み出され、育てられてきました。樗牛らが主唱した「日本主義」は時代を経て、今に蘇りつつあるようにも見えるし、そんなものは観念の化け物で、実体は空無であるとも言えます。 「どこの国より、我が国は強いぞ」と言ってみたり、「歴史や文化の面ではこちらがすぐれている」と、どうして言えるのか、言いたいのか。唐変木のぼくには一向に理解できません。
● 日本主義(にほんしゅぎ)= 明治から第2次世界大戦敗戦までにおける欧化主義,民主主義,社会主義などに反対し,日本古来の伝統や,国粋を擁護しようとした思想や運動をいう。一定の思想体系をなしていたとはいえず,論者により内容が相違する。明治の支配層が押し進めた欧化主義への反発として,三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ,政治的には欧米協調主義への反対,国権や対外的強硬策の強調となって現れた。大正や昭和になって日本の資本主義の高度化が,階級対立を激化させ,社会主義やマルクス主義が流入すると,これら諸思想の対抗イデオロギーとして機能し,天皇を中心とする皇道や国体思想を強調した。(ブリタニカ国際大百科事典) ● にほん‐しゅぎ【日本主義】=〘名〙 日清戦争(一八九四‐九五)後、井上哲次郎・高山樗牛らが唱えた主義、運動。日本伝統思想と欧州近代哲学思想を折衷し、君民一体・忠君愛国・キリスト教排撃などを主旨とした。代表論文は明治三〇年(一八九七)六月に高山が「太陽」誌上に発表した「日本主義を賛す」。同年大日本協会の設立により機関紙「日本主義」も発刊された。(精選版日本国語大辞典)

語る気もしませんが、ある種の「妖怪」のように、その幻影が、誰かの頭にやどり、どから来るのかわからない異音が、どなたかの耳に聞こえるのでしょう。「台湾有事」は「日本有事」と勝手に難癖や屁理屈をこね回して、挙句の果ては「他国に押し出す」という愚の愚をもう一度繰り返しますか。ぼくは、「栴檀」にはなれませんが、「唐変木」にはなれるというのではない。どんなものにも「二面性」「表裏」があり、どちらか一方を主張するばかりでは、それは「短慮」そのものであるということでしょう。「核」の是非を巡って議論が喧(かまびす)しい。あらゆる「核を廃絶する」ことを、まず人類の選択・判断として実行すべきだとぼくは考えています。とはいえ、それに対して「R 国の核はよくない」が「A 国の核は抑止力になる」から、不用意に廃絶すべきではないと、世界の歴々面々が、わざわ一同に会して「言うべきこと」ですか。
「栴檀は双葉より芳し」、つまりは「英雄・俊才など大成する人は幼時から人並みはずれてすぐれたところがあることのたとえ」と言いいます。一体そんな人はいるのでしょうか。いたのでしょうか。そんな人間の存在など、「お釈迦様」でも気が付かないことではないでしょうか。「優等生」なら腐る程いたし、いるでしょう。それでは足りないんですね。同じように、隣国と競争して、なんか意味があるのかどうか。「昨日の敵は今日の友」の繰り返しで、時代は代わり続けるのでしょうね。

「樗牛」が出てきたついでに言いたくなりました。「独活の大木」、ぼくはこの表現も大好きです。「《ウドの茎は木のように長くなるが、柔らかくて材としては使えないところから》からだばかり大きくて役に立たない人のたとえ」(デジタル大辞泉)と解していますね。若芽は柔らかく、香りがあり、食用に供される。ぼくの好む食材でもあります。加えて、独活(ウド)は、成長すると「栴檀」にどこかしら雰囲気が似てくるんですね。もっとも、こちらは樹木ではなく草類です。「ウド」は「どっかつ」とも「つちたら」とも読んで、発汗・解熱・鎮痙(ちんけい」・鎮痛などに効果のある漢方生薬(草根木皮)として使われてきました。「漢方薬」について、もう少し学習を深めておきたかったですね。
本日は、まるで三月に逆戻りしたように、寒くもあり、小雨が降り続いています。駄文の調子も湿りがちで、少しも前に進まない。その乱調子のままの「起承転結」なしに彷徨(さまよ)っている。「これもまた 五月雨の滴(しづく) 土の上」(無骨)
(補足 表題句「どんみりと 樗や雨の花曇り」は元禄七年五月十三日、芭蕉、五十一歳)(*「どんみり=色合いなどが濁っているさま。また、空の曇っているさま。どんより」デジタル大辞泉)(「樗」は「あふち」か)
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