「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」

 【談話室】▼▽飾り臼は、新しいむしろの上にしめ縄を張った臼を据え、鏡餅を供えて祝う正月行事である。古来、農家はその年の福徳をつかさどる歳徳神(としとくじん)を祭る際、くわと鎌、臼を供えていたとされ、中でも臼は大切なものだった。▼▽〈あかねさす近江の国の飾臼〉。元東京大学長で文相も務めた有馬朗人さんの第3句集「天為」の巻頭を飾る句である。洗い清められた臼と真っ白な鏡餅が置かれた場に、あかね色の朝の光が静かに差し込んでくる。新しい年が穏やかに明けたことを告げる一句といえよう。▼▽山形市切畑で伝統の餅つき臼を手掛ける酒井平男さん(86)のなりわいにも明るさが見え始めた。おととしはコロナ禍の影響で注文が途絶えた。しかし昨夏から新品に加え、修繕の依頼も入るようになったという。加えて作業を手伝ってくれる青年の存在も心強いはずである▼▽長井市の林業平一貴さん(40)が木工技術を継承しようと酒井さんと共に製作に励んでいる。餅つきは祭りや慶事でも行われるが、新型コロナ感染防止のため取りやめた事例も多かろう。商店街などの行事で、子供たちが心置きなく餅つきを楽しめる日が早く来ることを願う。(山形新聞・2022/01/01)

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 もう六十年以上も前のことになりました、家の庭で「餅つき」をしたことを記憶しています。我が家ではなく隣家でのことで、近所の人が出て、鏡餅やその他の用意をするのでした。何年くらい続いたか、その後に引っ越しをしたので、餅つきとは無縁になった。ぼくはあまり「お餅」は食べない。嫌いではなく、他に食べるものがふんだんにそろっていたからでしょう。お雑煮も口にはしますが、「なんで、それを食べるの」という疑問ばかりが多くなりました。やがて、大学生になり、「民俗学」などを一人で調べるうちに、ぼくたちのしている、どんなにつまらないように見える「行事」にも、その初めには深い、あるいは深刻は理由があったことを知るようになりました。正月などの取り決めも、それぞれに「由緒」「謂われ」があったことを知り、ぼくは、その意味や背景を失った「行事まがい」「模擬行事」に、ある種の興醒めを感じたままで、青年期を過ぎ、年寄になってしまったのです。その昔、ぼくたちの先祖が大切にしていた年中行事で、信仰に基づかないものは何一つなかった。だから、「信仰」を喪失した、「信仰」を忘れたままの模擬行為は滑稽ですらあると、ぼくは考えるようになったのです。たまにお寺やお宮に出かける、その大きな理由は「建物」「建築」に関心があるからです。

 今でも各方面で散見しますが、「祭礼」、お祭りです。軽トラックに輿(みこし)を載せて、町内を巡回するという、まるで「廃品回収」のような「惨めな風景」には、言葉もないというか、可哀そうな「祭礼」という気がしてきます。(「廃品回収」を惨めとか、可哀そうというのではありません。それにしても、くだんの業者さんは、近年では、姿を見ませんね)田植えや稲刈りも同様です。耕運機やトラクターがやってくれる農作業、それは悪いことではありません。しかしその脇で「田植え」や「稲刈り」に纏わる行事は、かえって「厳かに」執り行われるのですから、ここでも滑稽というほかありません。皇室の田植えでは、農機具を使わないのは不要だからでしょうし、それだけに「稲に関わる行事」は厳粛を究めているんでしょうか。なにしろ、「瑞穂のクニ」です。新嘗祭や神嘗祭などというものも、民間でも行われていたもの。遥かの昔、苦労して育てた稲を収穫する喜びは、ぼくたちには想像すらできないほど大きなものがあったと言えます。収穫がもたらされたのは農薬や農機具などの御蔭ではなく、「田の神」のご加護があったという信仰は、それなくして人民の生活が立ち行かいないという宗教心に支えられていたのです。

 軽トラでお神輿、デパートの「お節料裡」、スーパで贖った「鏡餅」などなど、「もういくつ寝るとお正月」がシラケてきませんか。その景色をぼくは揶揄もしなければ、否定もしません。できない相談です。そうすると、ぼくに残る仕草は「嗤うしかない」ということになるのです。つまりは「年越し」「お正月」の真似事でもいいではないか、まあ、そんな時代になったのですから、と、民間信仰や年中行事にこめられていた、わが祖先の生活への願いや想いさえも、どこかに置いて行かれてしまったのです。子どもの頃は「初荷」といって、幟を立てて品物を運んだものです。新年の「松の内」は商店も会社も休みでした。劣島揃って冬ごもりだった。それがどうだというのではないのです。そういうことをするだけの理由を、わが先人たちはもっていたということを忘れたくないだけです。そして、できれば「まがいモノ」だけは止めてほしいねえという、個人の感慨です。そんなものがなくても、年は暮れるし新年は明けるのです。「民間行事」の大半は、今では迷信からのものとも言えそうですが、大本は、素朴な自然信仰、先祖のお陰・ご加護を感謝・祈願するものだったろうし、困難の際の嘆願や救援の意味合いもあって、ことのほか丁寧(煩雑)に行われていました。

 こんにちは、そのような素朴な信仰心や先祖への敬神の姿勢が薄れたり皆無になったにもかかわらず、表層だけ、あるいは換骨奪胎の真似事が横行する、その「軽薄な伝統踏襲」は、だれが、どうしてやるのだろうかという疑心だけがぼくには募るのです。その軽薄な「模擬・模倣主義」は、この社会の基底をなしてきた「文化」を浅薄なものにしてしまうし、その文化圏に生きていた「人間関係」そのものを軽薄化していることに、ぼくたちは手を拱(こまね)くしかないのです。かかる文化に生きていた民衆の生活感覚・感情に対して、いささかの尊崇の念も抱けないというのなら、それは、そこはかとない滅びへの道を、ぼくたちは歩いていることにならないでしょうか。

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 【有明抄】おさい銭と初心 新年を迎えた。初詣に出掛ける人も多いだろうが、おさい銭はいくら? 10円、100円、500円。一年の幸せを願うわけだから奮発してお札にしようか。いや、神様は少額でも機嫌を損ねたりはしないはず…。さい銭箱の前で瞬時、思いが巡る◆詩人の吉野弘さんが旅先でおさい銭をけちった思い出をエッセーに書いている。ポケットの中には100円玉3枚と10円玉が7、8枚。手を入れると、100円玉が3枚出てきた。行きずりの祠(ほこら)の神に300円は多すぎる。そんな気がしてポケットに戻し、もう一度取り出すと、また100円玉が3枚出てきたという◆〈祠の神が向こうをむき、声をしのばせてお笑いになったような気がした〉。吉野さんはさらに想像を膨らませる。神様が所望したのは人間の「初心」であり、実は人間も自分自身に対して初心を所望するのではないか、と◆「初心に帰る」「初心を忘れず」というが、日常はその場、その時の判断でやり過ごす。そうしなければやっていけないのも現実だが、気づかないうちに初心からは大きく離れてしまっている◆年が改まった元日は初心に帰るとともに、新たな初心を胸にする日でもあるだろう。できるだけ自らに初心を求めて、一年を歩みたい。さて、おさい銭はいくらにするか。けちらずにと思いながら初詣に出掛ける。(知)(佐賀新聞・2022/01/01)

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 神社本庁 お賽銭について お賽銭の意味や起源には諸説があります。現在では神社にお参りすると、お賽銭箱に金銭でお供えしますが、このように金銭を供えることが一般的となったのは、そう古いことではありません。/もともと、御神前には海や山の幸が供えられました。その中でも特に米を白紙で巻いて包み「おひねり」としてお供えしました。/ 私たちは祖先の時代から豊かな自然に育まれ暮らし、秋になるとお米の稔りに感謝をして刈り入れた米を神様にお供えしました。こうした信仰にもとづき、米を「おひねり」としてお供えするようになったのです。しかし、貨幣の普及とともに米の代わりに、金銭も供えるようになりました。/ そもそも米は、天照大御神がお授けになられた貴重なものとされ、人々はその大御恵(おおみめぐみ)を受け、豊かな生活を送ることができるよう祈ったのです。現在でも米をお供えする方もいますが、金銭をお供えすることも、この感謝の気持ちには変わりはありません。/ お賽銭箱にお金を投げ入れるところをよく見かけますが、お供物を投げてお供えすることには、土地の神様に対するお供えや、祓いの意味があるともいわれています。しかし、自らの真心の表現としてお供えすることなので、箱に投げ入れる際には丁重な動作を心掛けたいものです。(https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/osaisen)(すぐ上の「お賽銭箱」も、ヘッダーの写真も)

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 左写真の「お札」は「大麻」と言われます。この「大麻」販売が、神社本庁の資金源になっているのですから、どこかの組織に酷似しているでしょ。この「大麻」の名称を巡っても議論されていてで、「大麻取締り法」の名称変更を神社側が出しているそうです。「お札」の正式名称は「おおあさ」と読むようです。しかし「たいま」と呼んでいるところも多くあります。それはともかく、この「幣」と、あの「薬」はよく似ているんじゃないですか、効き目が。はまると止められなくなるところも。効き目を周りに拡げたくなるのも。

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◉ たい‐ま【大麻】=ぬさを敬っていう語。おおぬさ。伊勢神宮などで授ける神符。アサ別名。また、その葉や樹脂から製する麻薬麻酔鎮静催眠・幻覚などの作用がある。日本では大麻取締法で規制されている。マリファナ。ハシシュ。(デジタル大辞泉)

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 神社本庁という組織がどんなことをしているのか、ほとんど知られていません。それをいいことに、かなりの荒行・荒業をしています。正月三が日をはじめとする多額の「お賽銭」はどういう流れで、どこに消えるのでしょうか。詳しくは書きませんが、お寺さんといい、お宮さんといい、お金と権力をめぐる闘争は積年の見世物であり、まるで「得意芸」でした。今も、その闘いは継続しています。ヤクザ世界に発すると言われる「啖呵」「仁義」、特に「仁義」はもともとは、お寺から出たものです。それは脇において、この神社本庁という「宗教法人」が、全国のお宮さんの元締め(博打で言う「胴元」)です。近年に至っても、主導権争い(金を巡る争い)の死闘を続けているのです。これに「日本会議」や政治家が深くかかわっている。

 歴史のおさらいになりますが、昭和二十年末にGHQから「神道指令」が出され、国家と神道の関係が切り離されることになったのを受けて、翌年に組織されたのが神社本庁(*「全国大多数の神社を統括する宗教法人およびその中央事務所の名称。第二次大戦後、国家管理を離れた全国約8万の神社を包括する」デジタル大辞泉)です。しかし、他の領域にも見られる傾向ですが、旧来の姿を取り戻すような動きが政治を通して明らかにされてきました。その過程で、あるいはそれが原因で闘争が繰り広げられるようになったとも言えます。神社をランク付けするという「愚」を旨とするような人々ですから、カネをめぐって「死闘」を繰り広げるのは朝飯前でしょう。その「資金源」になっているのが、祈願料である「お賽銭」ですよ、初詣の参加者殿よ。

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◉ 賽銭(さいせん)=神仏への祈願が成就(じょうじゅ)したことの報賽(お礼)のしるしとして奉る銭貨をいう。いまは、社寺参拝して祈願崇敬の心の表れとして奉る金銭をもいう。社寺の恒例の神事・仏事に捧(ささ)げる供物(くもつ)とは異なり、個人的な随時の参拝を目的とした際の神供である。古くは貨ではなく紙に洗米(せんまい)を包んで献ずるオヒネリとか、米を散(ま)く散米(さんまい)の形から、庶民生活に貨幣経済が広まり、また室町時代以降に庶民の他の土地への社寺参詣(さんけい)の盛行に伴って、銭に移行した。本来は、供物としての幣帛(へいはく)の味と、個人の罪穢(ざいえ)を祓(はら)い清める科料の意義も込められていた。また近年では、外国人による銭も増加し、明治神宮では約800種のコインが捧げられている。(ニッポニカ)

 賽銭の「賽」は神に報いる、お応えするという意。外には「お礼まいり。むくいまつる」「競争する。優劣を競う「日本さい。さいころ。すごろくやばくちに用いる道具」と多様多彩な使われ方があります。お寺も神社も、それぞれが好みの「お賽銭」を自らの理解としているんでしょう。さらには、「賽の河原=無駄な努力のたとえ」「賽は投げられた」決めたのだから、後戻りはできないの意。というように、「賽」には、いわく言い難い「因縁」めいた含意が認められそうです。

 お賽銭と聞けば、ぼくは直ちに「寺銭」という語を並べたくなります。お寺は賽銭の外に「寺銭」まで収入源にしていたとするなら、大した儲けがあったでしょう。もともとは「博打の賭場」がお寺だったことから「ショバ代」を指した言葉が「寺銭」だった。それが実際にお寺に入ったかどうか、「割前」があったのは確かでしょう。ここで気を付けたいのは「賽」は、元は賽子(さいころ)であり、賽の目(数)であったという点です。始めは「ご利益に与った」ので、お礼参りとして出した(投げ入れる)ものでしたが、寺や宮に拝みに行く際に(ご利益がありますようにと)出す方法に定着しました。「先取り」というか、ご利益があってもなくても「取りはぐれないように」という魂胆が見え透いているんですよ。後でもいいけど、前の方が「ご利益」が多くなるとかなんとか言ったのか。神社仏閣は、商売上手なんだ。まるで、戎(えびす)さんですね。

 本日は正月二日です。各地の神社は「善男善女」で大混雑しているかもしれません。「家内安全」「商売繁盛」」「夫婦円満」「試験に合格を」「今の彼(女)とは別の、彼(女)と結婚できますよう」と、無理難題、荒唐無稽、倫理荒廃に関わる、あらゆる願いごとを「お賽銭」に託して「大枚」あるいは「ワンコイン」をお賽銭箱に投げ入れます。ぼくに言わせると、お正月は劣島上げての「大博打」の開帳日のような気がしています。そうでしょうね、どんな目が出るかわからないのに、カネを張るんですから。さて、「丁と出るか半とでるか」。晴れ着を着て博打かいな。

 それを集めて計算するのに、銀行の支店が総出だという神社もあります。総額いくらとは言いませんが。願いごとがかないますようにと、浄財を振り込んだ(奮発した、張った)のに、その金の流れは、上で述べたような「山分け」「取り分争い」、はては「政治献金」まがいまでと、庶民の「祈願料」とは無縁の使われ方をしているのです。文字通り「さいころを振るための金」だったんですかね。

 いくら「お賽銭」を払っても、すこしも願いが成就しないのは、おのれの身の不始末のせいではなく、こんな「特定抗争指定✖✖団」顔負けの争闘に費やされていたと、疑っていいのです。この島で最大の暴力団が「抗争分裂」したのは「金銭問題」からでした。その上手を行くような神社本庁VS大手神社の抗争劇には、まだまだ幕がおりそうにありません。上納金を払いたくない「大手神社」が脱退、分裂を勧めています。

 「阿弥陀の光も金次第」という、至言、いや名言があります。「地獄の沙汰も金次第」ともいいましょう。まだまだ、この手の「格言」「名言」は尽きることがないようです。これを作ったのは「お寺さん」じゃないかと、ぼくは睨んでいるのですが、次はお寺さんについても、駄文を書きましょうか。ネタには事欠きません、経験談ですから。ものすごく「エゲツナイ世界」ですよ。ぼくはお参りするために、寺へも神社へも行かないし、誰かの連れになることがあっても、「お布施」「賽銭」は投げません。まして「寺銭」には無縁を決め込んでいます。要するに、ぼくは、一面では「自力派」です。(「自助」派ではない)「困ったときの神頼み」というのは、これもまた、お宮さん関係の人が作った「名言」だね、きっと。しかも、賽銭は多いほどご利益があるというのですから、神仏を騙る人間たち。このような「(救済や大願成就を騙る)宗教」には、時の古今、洋の東西を問いません。「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸(さきは)え給へ」

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 この島を蹂躙する「横柄・傲慢株式会社」たち

 長いものには巻かれろ  オミクロン株が気にかかる年の暮れに、大組織をターゲットにした別の「病状」が相次いで報告されている。山口県では小松一彦副知事が、先の衆院選で現外相の林芳正氏の後援会に入るよう部下を通じて勧誘活動をしたとして、辞職に追い込まれた▲公正・公平を原則とする役所が特定候補の集票マシンとなっていいはずはない。なのに自民党候補のリーフレット配布は長年続く職場の慣例だったという。誰も異議を唱えなかったのか▲こちらは経費でカレンダーを買い、自民党国会議員の支援者らに配っていた。全国の郵便局長たちだ。日本郵便が今週発表した聞き取り結果によると、300人の局長が業務で得た顧客名簿を政治活動に流用していた▲三菱や日立のグループ企業では長らく検査不正がまかり通った。三菱では不正をためらう部下が上司に叱られ、自動車ブレーキを製造する日立では必要な検査を怠っていた。「安全」を「暗然」と言い換えたくもなる▲たちの悪い行為でも大勢で続けるうち、やがて後ろめたさは薄らいでいく。官民そろって「長いものには巻かれろ症候群」に侵され、自分を見失ってきたのかもしれない。大流行を食い止めなければ。(中国新聞デジタル・2021/12/25)

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 「長いものに巻かれろ」という、その「長いもの」とは何でしょう。あるいは「寄らば大樹の陰」という場合の「大樹」とはなにか。「親方日の丸」と、端的に言う時の、その「日の丸」が差しているものを、それぞれは表わしているとみられています。一義的には「国」でしょうが、その「国」はだれが動かしているか、だれが差配しているかという問題でしょう。つまりは「親方」はだれかというのです。さて、「親方は国」でいいんですか、どうですかね。それぞれの「俗言」の意とするところは、それで間違いはないのでしょうが、コラム氏が指摘されているように「「官民そろって…自分を見失ってきたのかもしれない」というお説に、ぼくは異論があります。名だたる「大企業」と自他ともに任じている会社(の名ばかりの代表者たち)や「官は国家なり」という驚嘆すべき自負心の塊のような官僚連中に、はたして「長いもの」や「大樹」などの「存在」が、そもそも目に入っているのでしょうか。

 むしろ、自らが「長いもの」であり、「大樹」だという、魂消た自己像をひけらかし、その結果、組織のあらゆるところがマヒしてしまっている「末端肥大」症の見本のような「自己誤認」「自意識過剰」が、このようなとんでもない「悪質」な典型的犯罪をいつでも維持してきたんではないんですか。「たちの悪い行為でも大勢で続けるうち、やがて後ろめたさは薄らいでいく」という、この程度の批判そのものが、じつは積年の「国家を恣(ほしいまま)にしている犯罪」意識にはいかほども痛痒を与えないし、むしろ、与えようとはしていない、報道の、その姿勢こそが、悪漢どもに見透かされてきたのだと、ぼくは言いたい。新聞やテレビなどのマスコミがどれほど騒ごうが、「痛くも痒くもない」という大ぴらの開き直りが罷り通っているのに、十年一日のごとく、「大流行を食い止めなければならない」と、まるで他人頼みの無責任です。寝惚けているね。「養う側」が「養われる側」の言うことを聞くのはどんな時か、広告掲載料で支えらていては、何事も中途半端であり、むしろ、「言わぬが花だ」ね。

 もうかなり前になりますが、M自動車の「不正検査」事件が発覚したことがあり、それをタネにしたテレビ番組が放映された。ぼくは、偶然それを見ていて、なるほどと、いやに納得したことがありました。このM社は、今回も「不正」が指摘されています。おそらく、どんなことがあろうとも「不正」(これを、この企業は「適性」と言い換えているし、その唯我独尊は、今でも罷り通っている)はなくならないと、ぼくはその番組を見て痛感した。元監督官庁の役人あがりがたくさん天下り、「調査の一部始終」を事前に漏らしていました。おそらく、同じようなことはあらゆるところ(職種・職場)で生じているし、それが指摘されるような「不正」であるという自覚は皆無でしょう、なぜなら、「不正」かどうかを決めるのは自分たちだという自負があるからです。自負というよりは「横柄」そのものです。傲慢であり、尊大です。手に負えない、愚連隊ですな。政・官の忠告や指導などは「歯牙にもかけていない」ということが、番組を見ていて分かったのです。

 こんな「企業社会」が国や自治体、それに人民たちを拉致し、その行く末(生命与奪の権)を牛耳っているんですよ。誰から何を言われても「痛くも痒くもない」という面の皮の厚さが物語っているんじゃないですか。(なんでぼくが、こんなふざけた問題指摘をしなければならないのか、いい加減にうんざりです)要するに、政治家や官僚を養ってやっているのは「俺たちである」という「殿様商人意識」そのものに支えられて、このような「不正」よばわり(指摘されたから「不正」という文字・表現は認めるし、謝罪したふりはするが)は、金輪際、自分たちはそれを「不正」とは認めないと、端から監督官庁を舐めてかかっているのです。「決めるのは俺たちだ」、そんな不遜な態度を貫いているから、かかる「不正」事件は続発しているのです。このところ、「天下り」問題が影を潜めていますが、むしろ増大しているから、こんなことが後を絶たないのであって、その証拠となるものじゃないでしょうか。警察権力の側の人間が「暴力団に天下り」したとして、され、、その後の取締りはどうなるんでしょう。「スパイ」を雇うようなものです。それとそっくりなことが、あらゆる企業で生じているのです。「飯を食わせてやっている側」が、どうして「食わせてもらっている側」の指摘に応諾(服従)するんですか。

 近年では国家予算は「百兆円」規模です。その内訳はともかく、百兆円の国家予算に、数次の補正予算や追加予算を組む。その「大枚の税金」をあらゆる手練手管を駆使して、すっかり「平らげる」、それが政治家や官僚が請け負わされている使命です。「長いもの」や「大樹」は実は「大企業」軍団だったと、ぼくは断言します。この大企業軍団には「二軍」や「三軍」「四軍」があり、それぞれがグループを形成して、国家予算の「分どり合戦」ならぬ「山分け合戦」をしてきたのが明治以降の島社会の「表街道」の歴史でした。そのありようが、火山の爆発のように、時として姿を現す。でも、地下は何時だって「爆発前夜」ですよ。例えば、今夏の五輪問題における「税金の濫費ぶり」、あるいはコロナ禍に実施されたもろもろの「給付金」「補助金」に関わる官民一体の「税金泥棒ぶり」など、ほんの氷山の一角、「火山の小爆発」を、ぼくたちは「チラ見」しただけです。見えないように、堂々と、(見つかれば、そのかぎりでは認める程度の)「不正」がいささかも悪びれるところなく行われてきたのです。政治家・官僚を「操っている」ともいえるし、「養ってやっている」ともいえる意識が消えてない。国家を動かしているのは「俺たちだ(誰のことだろう)」という強烈な自己慢心がスーツを着て闊歩しているのが見えないんですか、新聞屋さんたちよ。多分人口のかなりな部分は、この軍団のどこかに位置づけられている、だから、どんなにひどい腐敗政権であろうが、どこまでも続くのです。その状況(景色)が「見えてるけど、ホントのことは書けない、おっかなくて」、だろうね。その「新聞会社」も軍団の一部に入っているんだもの。

 大学受験や学歴問題の弊害がつとに指摘されながら、いっかな変えられようとしないのは、今の状況で「甘すぎる汁」を吸っているものが力を持っているからです。もうこんなことは反吐が出るほど、ぼくは言ってきたし、そろそろ開いた口が塞がらぬと、それを期待しているのですが、わが「虫唾」が黙ってくれないんです。大事なのは、「いい大学」だとか「いい企業」に入るという寝言を言う、そんな惰眠から、そもそも各自が目を覚ますことだし、「いいとか悪いとか」いう、世間の尺度を叩き壊す時期なんではないですか。自分の尺度を持ち、自分流に生きる道を創ることが求められています。「人が歩いた後から道はできる」と。

 「一寸の虫にも五分の魂」、あるいは「なめくじにも角」といいます。あまり好きではない言い方ではありますが、要するに、少しは「汚くない生き方」、あるいは、少しばかり「美しい生き方」をしたらどうです、そう自他に言い聞かせて、ぼくはここまでたどり着いたという気がするのです。「みっともない」「恥ずかしい」ということに無自覚になったら、なんだって平気でできます。「元ソーリ」のように、「恥ずかしい」「みっともない」「迷惑をかける」「権柄ずく」という軽薄丸出しの、その反動で、他者への意識が鈍麻してしまえば、どんなことだってヘイチャラです。いかにも「チャラい人間」というのは彼奴のことではないですか。彼には「無知・無能」という言葉が乗っている辞書はないんだ。じつに、恐るべき「桁外れの無神経人間」「多くの人民にとって、百害あって一利なしの存在」だと思う。

 ぼくは他人に誇るべき何ものも持たず、何事をも為さず、しかし、他人に後ろ指を指されない(指したい輩は無数にいたでしょう)(たとえ指されたとしても、思い当ることがないような)そんな歩き方をしてみたいと念じていたし、今も、それを念じています。ぼくは能力には欠けたところばかりだし、他人を凌駕したくなるような競争心もなかった。漱石ではありませんが「菫程な小さき人」として生きていたいと、今の今だって、懇望・懇願しているのです。それで、大切なものが何か欠けている、という感覚はぼくにない。それほどに「世間知らず」でありたいんですよ。

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◉ながい【長】 物(もの)には巻(ま)かれろ=権力勢力のあるものには反抗しないで、がまんして従っていた方が得だ。※随筆・老人雑話(1713)乾「汝家康へに往て間をよくすべし、長き物には巻れよと云事あり」(精選版日本国語大辞典)

◉ よら【寄】 ば 大樹(たいじゅ)の陰(かげ)=同じ頼るなら、のあるしっかりした人にたよるべきだということ。立ち寄らば大木の。(精選版日本国語大辞典) 

◉ おやかた【親方】 日(ひ)の丸(まる)=(親方日の丸、すなわち国の経営破綻をきたしても、国がその面倒をみてくれるからよいの意で、官庁や国営・公営企業などの安易な経営体質を皮肉っていうことば。※日本拝見‐八幡(1955)〈浦松佐美太郎〉「強兵」から「平和」へ「ここの従業員もある意味では恵まれた従業員だということになろう。『親方日の丸だ』という言葉がかつて流行したことがあるが、その言葉がよく当てはまる感じがする」(精選版日本国語大辞典)

◉ おう‐へい ワウ‥【横柄・押アフ柄】=〘名〙 (形動) (「おしから(押柄)」の音読。「おう」に「横」「大」、「へい」に「平」をあてることがある) おごりたかぶって、人を見さげたり無視したりする態度をとること。いばって無礼であること。また、そのさま。傲慢(ごうまん)尊大大柄(おおへい)。※虎寛本狂言・入間川(室町末‐近世初)「このあたりであのように某(それがし)におうへいにもうす者はござらぬ」※歌舞伎・韓人漢文手管始(唐人殺し)(1789)一「イヤ、押柄な侍、貴様はどこの者で、そういふ太平楽を言ふのじゃ」(精選版日本国語大辞典)

◉ いっすん【一寸】 の 虫(むし)にも五分(ごぶ)の魂(たましい)=どんなに小さく弱い者でも、それ相当の思慮や意地を持っているものだ。小さくても、ばかにできないたとえ。※極楽寺殿御消息(13C中)第四五条「たとへにも一寸のむしには、五分のたましゐとて、あやしの虫けらもいのちをはをしむ事我にたかふへからす」(精選版日本国語大辞典)

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 この「不正」は、いたるところで行われています。調べてみたから言うのではなく、この島社会の企業体質そのものが「不正の温床」になってきたからです。その不正企業を、上を下への大童で助けてきたのが政治家・官僚です。なにしろ、この「不正温床企業」は政・官タカリや軍団の「飯のタネ」だからです。「(作られた)不正」が発覚したら、予定通りのシナリオで、何事もなく収束、一件落着です。これを嫌になるほど繰り返してきたのが、近代日本社会ではなかったですか。儲けを大きくとろうとして「植民地経営」までも目指すことをいとわないでやってきました。その根幹を支えたのが「ハイエナ企業群」ではなかったでしょうか。戦争は商売の絶好の機会だと、これ幸いと、陰に陽に蠢動した、それが今も生き残って、戦地・植民地のような「悪逆非道」を働いているのです。

 今、この社会はどんな事態に陥っているか。並みいる悪徳企業は、「不正」問題をやり過ごせば、再び「わが世の春」が来るとみている(確信している)でしょうし、さしあたりは、いやなことだが、そうなるだろう。でも必ず、確実に人民・人心は放れる。(こんな悪徳企業に群がる就活生たちも、いつかは気が付く)(「大学が大学(就職予備校ではなく、さ)」になるのも、ここにかかっていると、ぼくは言いたいね。

 「他国の眼」は、この島の非道史をどのように見ているか。いま「日本は物価が安い」「時給も安い」と驚異の眼で他国から見られています。おそらく数十年前の東南アジア諸国を、この島人は「なんて物価が安いんだ」「月給が安い」と卑下していたでしょう。「貧しい国」「遅れた社会」と。でも、「貧しい」も「遅れた」も、欠陥ではないのです。そんなものは相対的なものであって、寸法の取り方でなんとでもいえます。しかも、その自覚があり、どうすれば社会的公正が得られるかに腐心すれば、ぼくたちは更生できるかもしれません。しかし、「自己を見る目」が曇っていれば、他者は見えないし、自己更生の道も閉ざされてしまいます。他者の「不正」や他人の「不幸」に目をつむり、「自助」だ「糸瓜(へちま)だ」と御託を並べて、誠実さや畏敬の念をいささかも持たないままでいることを恃(たの)んで。しかもそれを誇っている人間輩が幅を利かせるなら、その社会には、どうにも取り返しがつかない「不義」があると、ぼくは声を大にしていいたい。「貧しい」「遅れている」と言われる地域にも「誠意の溢れる」、他者に向かって「惻隠の情」を示すことのできる人々はいるのです。ぼくはそういう人にこそ、「ぼくも、その仲間になりたい」という感情を持つのです。

 ぼくたちは出口の見つからない、文字通りの「隘路」に堕ち込んでいるんでしょうね。他者に対する尊敬心も、自己にむけられる自尊心もない、あっても歪んでいる、そんな人間が大手を振って、「(あるか無きかの)天下」を睥睨している限り、あるいは闊歩している限り、後には、困難な道行だけが残されているのです。さてその処方はどこに見つけるのか、見つかるのか。

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 「はい、終わり」「ふざけんなって思いました」

 【余録】日本全土がバブル景気に沸いた1980年代末、大阪市役所で乱脈経理が問題化した。公金を私的な飲食に使っていた中堅幹部が逮捕され、裏金作りや職員同士の飲み食いが日常化していた実態が明るみに出た▲市民団体が返還を求めて提訴し、市側と争ったが、5年後に突然、裁判が終結する。被告全員が請求を認める「認諾」の手続きを取り、全額を返還したためだ。退任した前市長への尋問が3日後に予定されていたが、中止された▲似た構図ではないか。「森友学園」問題で財務省の決裁文書改ざんを苦に自殺した赤木俊夫(あかぎ・としお)さんの妻が損害賠償を求めた裁判。国が事前通告なしに認諾して審理が打ち切られた。お金ではなく真相が知りたいと訴えてきた妻、雅子(まさこ)さんが「ひきょう」と憤るのも無理はない▲高い壁が指摘される国家賠償裁判では、冤罪(えんざい)の元死刑囚への賠償さえはねつけられてきた。国が責任を全面的に認めるのは異例である。赤木さんの上司らが証人尋問に立つのがそれほどいやだったのか▲「他人の財産で寛大さを示すのはたやすい」はラテン語のことわざという。1億円余の賠償金は国民の税金である。鈴木俊一(すずき・しゅんいち)財務相は「国の責任は明らか」と語ったが、上司が改ざんを指示した動機も明確ではない。国民が納得できる説明が必要である▲「森友学園」に絡む不誠実な答弁は国会の場で繰り返された。国会の役割も終わっていない。再調査を求める雅子さんの手紙を「読んだ」という岸田文雄(きしだ・ふみお)首相の対応も問われる。(毎日新聞・2021/12/17)

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【水や空】幕引き「心からお悔やみを申し上げる」と大臣が目を伏せた。「できる限り丁寧に対応してきた」のだという。だが、少しもそんな印象を受けない。高額の損害賠償請求を主張の通りにそのまま認められた原告は、それなのに「ふざけんな」と吐き捨てた▲それがすべてを象徴している。裁判の目的はお金ではなかった。その人はなぜ死を選ばなければならなかったのか-望んだ答えは何一つ示されないままだ▲森友学園の国有地売却を巡る財務省の公文書改ざん問題で、改ざんを強いられたことを苦に自死した近畿財務局職員の妻が国を相手に起こした裁判が、国側の「請求認諾」で唐突に終わった▲国側は認諾の理由で、職員の自死の原因を〈…決裁文書の改ざん指示への対応を含め、さまざまな業務に忙殺され、過剰な負荷が継続した〉などと説明している。「含め」はおかしい。それこそが本質なのだから▲裁判の長期化は適切ではない-と言う。しかし、誰の意向がどう働いて改ざんに至ったのか、その経過が明らかにされるために時間を要したとしても、私たちはそれを〈いたずらに長引く〉とは呼ばない▲「はい、終わり」と声が聞こえる気がする。違う。一方的な幕引きは誰の決断なのか、幕の向こうに隠れたのは誰なのか。まだ、何にも終わっていない。(智)(長崎新聞・2021/12/16)

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森友公文書改ざん巡る国賠訴訟 国側が赤木さん側の請求を認めて終結

写真・図版

 学校法人森友学園大阪市)への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題で、改ざんを強いられ、自死した同省近畿財務局職員の赤木俊夫さん(当時54)の妻・雅子さん(50)が国に損害賠償を求めた訴訟は15日、国側が雅子さん側の請求を受け入れ、終結した。国側は請求の棄却を求めていたが、一転して賠償責任を認めた。雅子さんの代理人弁護士は「改ざん問題が追及されることを避けるため、訴訟を終わらせた」と批判した。/ 雅子さんの代理人弁護士によると、国側の代理人がこの日、大阪地裁であった非公開の訴訟手続きで、約1億700万円の損害賠償を求めた雅子さん側の請求を「認諾する」と伝えた。認諾は、被告が原告の請求を認めるもので、裁判所の調書に記載されると、確定判決と同じ効力を持つ。(中略)

 雅子さんは訴訟で、ファイルの内容などを踏まえ、同省が俊夫さんの抵抗にどう対応したのか、国に明らかにするよう求めていた。/ 雅子さんは記者会見で「なぜ夫が亡くなったのかを知りたいと思って始めた裁判。お金を払えば済む問題ではない」と話した。/ 国を訴えた訴訟の終結に伴い、今後は、佐川氏に550万円の損害賠償を求めた訴訟が続くことになる。/ 鈴木俊一財務相は15日夕、報道陣の取材に応じ、「国の責任は明らかとの結論に至った」などと説明。「公務に起因して自死という結果に至ったことにつき、心よりおわび申し上げます」と謝罪した。(米田優人・2021年12月15日 22時50分)

 国が請求を認諾する理由(裁判資料から)原告の夫が、強く反発した財務省理財局からの決裁文書の改ざん指示への対応を含め、森友学園案件に係る情報公開請求への対応などの様々な業務に忙殺され、精神面及び肉体面に過剰な負荷が継続したことにより、精神疾患を発症し、自死するに至ったことについて、国家賠償法上の責任を認めるのが相当との結論に至った。/そうである以上、いたずらに訴訟を長引かせるのは適切ではなく、また、決裁文書の改ざんという重大な行為が介在している本事案の性質などに鑑み、原告の請求を認諾するものである。(https://www.asahi.com/articles/ASPDH5G3QPDHPTIL029.html)

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 正真正銘の国家官僚の「犯罪(公文書改竄等)」でしたから、その「非」「曲」は、当然国家当局にあり、その責任が、白日の下に、問われるという構図でした。犯罪事実に関しては検察当局は、だれひとり起訴していません。やむを得ず、原告(赤木雅子さん)は国家賠償責任を問うという「民事裁判」に訴えたのが昨年でした。原告が求めてきた「事件真相解明」のためのもろもろの文書の公開などに対しても、改めて事件の経緯を含めた「当局による調査」なども、ことごとく否定されてきた果ての裁判でした。結果は「原告の請求を認諾」というもので、全面的に国家当局の「不正」「犯罪事実」を認めたことになります。しかし、果して、この裁判の結果は、原告が求めてきた「事件解明」の何ほどを満たそうとしたか。

 問題の発端は「総理大臣の側」にあった。しかし、事態は一省庁の、官僚の問題にされてしまい、さらには下級官僚に責任がさげられてきました。それすら、誰一人「責任を問われる」という問題には、なんら結び付けようとはされなかった。財務省の一職員の「自死事件」だったから、財務大臣の「最高責任」が問われたはずなのに、それすら肩透かしをくらわし、結局は「損害賠償額」を満額認めただけであったということになります。これはどういうことか。面倒くさい問題(公文書改竄の真相)は脇に置いて、要求されている(賠償金)を払えば、誰も傷がつかないで「丸く収まる」「全員一両損」とでも考えていたのだろうか。総理大臣の「椅子」を守るため、財務大臣の「椅子」を守るため、省局長の「椅子」を守るため、その他、もろもろの「椅子」を守るためなら、一億数千万円は「溝(どぶ)に捨てても惜しくない、はしたがね」と判断したからにほかなりません。

 ぼくは「国家」というものをまず信じていません。これまでもまったく信じてこなかったし、これからも、です。あらゆる社会組織(集団)というものは、規模の大小を問わず、人間個人にとっては外側的なものだということ、これをもっとも典型的に示しているのが「国家」でしょう。国家の非常時、例えば戦争状態になると、否応なく「兵隊」に駆り出されてきたのが民衆(庶民)です。そのような戦争で「戦死」「戦傷」を余儀なくされても、さらには空襲被害がどれだけあったとしても、国家は、自分の都合で「責任」を誤魔化してしまいます。あるいは帳消しにしてしまう。このことに加えて、ぼくには「成田空港」の問題が大きく影を落としています。「この地を飛行場にするから、農民どもはどけ」という、滅茶苦茶な理屈で、権力を行使してきたし、今もしています。農民を追い出すために「土地収用法」などというとんでもない法律まで駆使しての蛮行でありました。ぼくは成田空港から飛行機に乗ったことがありません。

 今回の「森友学園事件」というのは、まさしくそのような、横暴極まりない権力が起こした事案でありながら、その最高責任を問うとなると際限なく拡大するから、いっさいを誤魔化し、水に流し、挙句の果てには、権力者が座る「椅子」の責任にして、当事者どもは雁首揃えて逃走(トンずら)を図ったのです。イの一番に責任を問われるべき「総理大臣」はこの件に関しては「嘘八百」を並べて「一切、無答責」をごり押ししてきました。それが嘘であるということは、当人を含めて、誰一人疑うものはいなかったのではないか。その次のポストの「財務大臣」も「無答責」とはいえ、部下たちの「改竄の事実」は認め得ながら、その責任者の名を特定しないままでした。仮に「あれの責任です」といったとたん、事件は一気に「頂上まで行く」という構図が出来上がっていたのでしょう。ケースは似て非なるものでしたが、ニクソン大統領の驚くべき権力行使は「大東慮辞任」で幕が下されました。

UUUUUUUUUUUUUUUUUU

 「他人の財産で寛大さを示すのはたやすい」(「余録」からの引用)「国の責任は明らか」「心からお悔やみを申し上げる」「できる限り丁寧に対応してきた」(財務大臣)この事件発覚以来、何番目かの某大臣は「税金で寛大さを示した」のではないでしょう。「悪銭身につかず」ですが、並みいる悪辣な官僚・政治家どもは、「税金」をそのような呼び名に変えてまで、人民への尊厳をいたぶる、人民の名誉を弄ぶ、それが国家というものだし、その国家を動かしているのが、有象無象の「権力者」とその亡者たちです。彼や彼女だって、いったん事が起これば、「弊履の如く棄てられる」運命にあるから、結局は「もろもろの椅子」、それだけが「ご本尊」ということになります。実に、権力構造はお粗末君ですが、国家というものの正体はそれ、一つの機関であり、組織であり、集団であり、個々のメンバーはつねに替るけれども、この機関そのものは替らない、その「未来永劫に続く」と錯覚されている「機関」を護持するために、さまざまな責任が隠され、不問に付され、曖昧にされ、結局は「無責任」の連鎖が出来上がってしまうのです。

 「国家無答責の原理(法理)」というものが、かつてありました。戦争被害などを問われても、国家には賠償責任を追及されないという、勝手な「法理」でしたが、戦後に「国家賠償法」が導入されて以来、この法理はなくなったと思われてきました。しかし、現実には「法理」というのも建前で、直接に「当局の構成員」に対して責任を問えないことが今回の裁判でも明らかになったのです。いつまでたっても「三百代言」は消滅していないのです。

● こっかむとうせき‐の‐ほうり〔コクカムタフセキ‐ハフリ〕【国家無答責の法理】=国の権力行使により個人が損害を受けた場合でも、昭和22年(1947)国家賠償法施行以前の行為であれば国は賠償責任を負わないとする原則。(デジタル大辞泉)

 要するに、どこでも見られる、見飽きた景色、それも、実に醜悪な「殺風景」でしょう。「国家」というものは、時には「箸にも棒にも掛からぬ」という代物です。その「こころ」は「恥も外聞もない、厚顔無恥の権化」で、「何とも取り扱いようがない、手がつけられない」という危険極まりない機関なんですよ。その機関を動かしているのは、性悪の人間たち(政治家・官僚)なんですが、ついには「機関」そのものが裁かれるという「茶番」を、ぼくたちは嫌になるほど見せつけられてきたのです。自動車が人を轢いたが、運転手は裁かれずに、その自動車が「無期懲役」を科されるという、実に愚かしいことが堂々と、しかも裁判所を使って行われているのです。赤木さんと同じように「ざけんなって」言いたいね。

 ぼくは、自分は「善人である」という自覚はない。むしろ「悪者」だという自己認識に親しみを感じているものです。だからといって、ぼくはどんなに「悪」を敢行したとしても、国家権力者ほどの悪には到底及び難し、という実感は明らかにあります。国民の命を粗末にする、税金は使い放題、山分け勝手、人民のモノは自分のモノ、それが生き甲斐なのかもわかりません。誰でもではないでしょうが、「権力者」になりたがる輩は多い。まるで「浜の真砂の如し」ですな。権力者に不要な、いや、もってはいけないものは「誠実さ」「寛容の心」「憐憫の情」などという、社会集団にあっては、それなしではとても集団が維持されない、人間の付き合いに不可欠の「潤滑油」のようなものです。ここ何代かの「総理大臣(政治家)」や高級官僚とかいわれる御仁たちを見ていてぼくが痛感するのが、この潤滑油がいささかもないという、驚くべき「実態」(ぼく個人の判断ですが)でした。人間的空虚というのもを、見せつけられています。何処で「潤滑油」を失ってしまったんだろうか。「どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ」

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 その時生れていなかったので、責任はないのだ

 本日は十二月九日です。しかし、ぼくの意識の中では「十二月八日」のまゝです。時間が止まっているのでもなければ、日付けを錯覚しているのでもありません。この日付において、何をかいわんや。ぼくが生まれたのは「開戦」三年後の九月でしたから、この「開戦」の記憶はあるわけもない。しかしいつしか、ぼくはこの「真珠湾攻撃」の新聞記事を、その当時見たような気持ちにさせられてきました。ある女性政治家、その人は(今回の政権党総裁選挙に立候補した、威勢のいい発言をされる、奈良選出の議員です)、「私たちには『戦争責任はない』ですよ」と言われていたのを、その昔に聞いた時、なんという軽薄な、歴史無感覚の人間であろうと思った。なぜなら、「私は生まれていなかったから」といったのです。「私が起こした戦争ではないから」とも。この人は「自分」という「存在の根拠(身も蓋もないという時の容れ物である身)」をどこに置いているのだろうといかがわしく思ったし、その後「靖国参拝」を言い募っている姿勢に矛盾はしないのか、完全に矛盾してるじゃんと、ぼくは実に不審の念を払拭できないし、あんまり好まない人間の一人です。「戦争犠牲者であっても、尊崇の念の対象は日本人だけ」というのも、理解も誤解も、ぼくには不能です。

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(Bettmann via Getty Images日本軍の攻撃を受け、真珠湾で爆発炎上する米戦艦ウェストバージニア)

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 その考えが今も変わっていないかどうか。勇ましい主張は続いているのですから、きっと「戦争責任」なんかあるわけないという主張も変わっていないのでしょう。「敵基地攻撃能力の増強」「軍事予算の倍増」「北京五輪外交ボイコット」などなど、いかにも勇ましさを売り物にしている政治家ですし、その人を担いだり、それに雷同する連中がかたまりを作って、「蟷螂之斧」を任じていると、ぼくには思われてならない。ものには裏面があるとか、視点の置きどころで見方が変わってくるといいますから、いろいろな意見があることは否定しないし、それを大事にしたいとさえ考えてきました。それにしても「非現実的」というのではなく、政治は「武力」「軍事力」と同等視しているのには驚くばかりです。軍人が「政治家」を名乗っているのではないんですか。

  いろいろな立場や理論があるのは当然だと言っても、正邪善悪を混同していては話にならない。その「ならない話」を堂々と看板にしているジャーナリズムがあるのですから、時代は確実に進んでいるというか、退行しているというか。どんな理論があってもかまわない、政府を転覆させるような理論だってあり得るし、表現の自由という意味では認められるでしょう、理論に限定されている限りは。だから、どんなに驚愕すべき理論や意見でも、理論や意見の外に出なければいいのです。しかし、それだけに限定されている「理論や意見」を物好きにも、主張する人が大勢いるとは考えられません。少しでも同類や賛同者を増やしたいと思うのが当たり前です。理論を実地に試したくなるものです。

 昨日(ぼくの麻痺した感覚では「本日」)の各紙の「コラム」の中で、ぼくが読み得たものの、およそ四分の一くらい(あるいは、もう少し多かったか)が「真珠湾攻撃」「日米開戦」に触れていました。これも年中行事のようですから、珍しくもなんともないという感想を、ぼくは持ちますが、しかし、なんといっても、戦後日本を生んだし、もたらす「誕生日」だったことを考えれば、何か一言あってしかるべきと言いたくなります。大方は「二度と再び、このような事態が…」という姿勢が出ていたように読めました。ところが、一紙だけは、あからさまな「記念日記事」「あの日を忘れるな、もっとうまくやろう、そのためには準備を」という姿勢を強調しているのです。歴史は、何時だって書き換えられるという、修正主義が基本方針の新聞であるともいえます。全社一丸なって、「新しい『現代歴史』を生み出す」つもりのようです。(褒められたことではなく、気も進みませんが、時代状況に関してそれなりに参考になると、少し長いものですが、記事を引用しておきます)

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第1波攻撃隊の猛攻をうける米主力艦。戦艦「オクラホマ」(中央奥)には魚雷命中の水柱があがっている=1941年12月7日(現地時間)、ハワイ・オアフ島の真珠湾
(第1波攻撃隊の猛攻をうける米主力艦。戦艦「オクラホマ」(中央奥)には魚雷命中の水柱があがっている=1941年12月7日(現地時間)、ハワイ・オアフ島の真珠湾)

  真珠湾攻撃80年 あの日と今日は地続きにある 論説委員長・乾正人 あの日の東京の空は、限りなく青かった。/「いよいよはじまつたかと思つた。何故か體(からだ)ががくがく慄(ふる)へた。ばんざあいと大聲(おおごえ)で叫びながら駈(か)け出したいやうな衝動も受けた」/「ごん狐(ぎつね)」で知られる児童文学者の新美南吉は、昭和16年12月8日の興奮をこう綴(つづ)った。/ 日本人のほとんどは、海軍航空隊が真珠湾攻撃であげた「戦艦2隻撃沈、4隻大破。大型巡洋艦4隻大破」(当日の大本営発表)という未曽有の大戦果に沸き立った。/「こういう事(こと)にならぬように僕達(ぼくたち)が努力しなかったのが悪かった」とつぶやいたジャーナリスト・清沢洌のような人は例外だった。▼戦時中を扱ったNHK朝の連続テレビ小説でヒロインが、ラジオから流れる開戦のニュースを聞いて悲愴(ひそう)な顔をしていたら、脚本家や演出家が歴史を知らないか、意図的に史実を改竄(かいざん)したと思って間違いない。/ 昭和12年から始まった日中戦争が泥沼化する中、日本政府は、対米戦争を回避しようと外交交渉に望みを託した。だが、日本軍の中国撤兵をめぐって交渉は暗礁に乗り上げた。石油輸出禁止など米国の対日経済制裁は苛烈を極め、国民生活はみるみる窮乏化した。/ こうした中での真珠湾攻撃は、「妖雲を排して天日を仰ぐ」(作家・島木健作)出来事だったのだ。/ 同時に英米蘭への宣戦布告は、長く続いた白人によるアジアの植民地支配に終止符を打つ歴史的転換点となったのは疑いようがない。

 「時代は今 区切られた」「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。現在そのものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった」と詩人・高村光太郎が謳(うた)いあげたように。(引用は、いずれも「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」方丈社刊)/ もちろん、光がまばゆければまばゆいほど、闇もまた深い。/「だまし討ち」ととった米国民の怒りは凄(すさ)まじく、その結末を80年後の我々(われわれ)は、誰もが知っている。/ 終戦をもって、きれいさっぱり、身も心も「軍国ニッポン」とおさらばした、と思い込んでいるのは、おめでたい日本人だけである。/ 戦後76年を経ても米軍が沖縄のみならず、首都圏に巨大な空軍基地と軍港、司令部を保持し続けているのも真珠湾攻撃が米国に与えた衝撃が起点となっている。/ 中国や韓国、北朝鮮が戦後、ほぼ一貫して、ありもしない日本の「軍国主義化」を攻撃し、「反日教育」にいそしんできたのも同じ。

 教訓活かし有事備えよ 昭和16年12月8日と、今日という日は地続きにある。80年前と違うのは、米国の覇権に挑戦しているのが、大日本帝国から中華人民共和国にとって代わったことである。/ 異論があるのは百も承知しているが、戦時中に日本が掲げた「大東亜共栄圏」と中国の唱える「一帯一路」とは外形上、異様なまでに相似形をなしている。/ 昭和18年11月、東京で東条英機首相が主宰してアジア各国の首脳らが集(つど)った大東亜会議が開かれ、大東亜共同宣言が採択された。/ 宣言では、相互扶助によってアジア各国の共存共栄を図ることを基本に、経済発展によってアジアの繁栄を増進すると明言した。/ かたや中国の習近平国家主席は、「一帯一路」について「皆が心を一つにして協力し、互いに見守り助け合いさえすれば、たとえ千山万水を隔てていても、必ず互恵の光明に満ちた道へ歩み出す」と語っている。/ 大日本帝国も中国も海軍力を増強し、日本は南太平洋、中国は南シナ海に軍事基地を次々に建設し、米国の神経を逆なでしているのも同じ。/ 歴史を鑑(かがみ)とするならば、「台湾統一」の野望を隠さない習主席が、開戦に踏み切った東条首相の道を選ぶのか、はたまた民主主義国家と平和共存する道を選ぶのか、答えは一つなのだが、予断は許さない。/ 日本は、最悪の事態をも想定して準備を怠ってはならない。それが80年前の教訓を活(い)かす道である。(産經新聞・2021/12/08)

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 時代錯誤と言っていいのかどうか。そのように、お前が言うこと自体が「時代錯誤だ」と非難される状況下にあるようにも、ぼくには考えられてきます。政治は軍事であり、政治力は軍事力だという「主張・姿勢」はいつでもみられます。しかし、それが「政権党」の中に勢力を誇っているというのは、やはり時代の流れが逆転していると、ぼくなどは指摘しなければならないと思っている。隣やその隣の家が生意気で、勝手にふるまっているから、それなら当方も負けじと、物理的力を使って、いざという際に備えるのが「(政治の)常識(の政治)」だというのです。それが常識なら、地球の地図はとっくに変わっていたでしょう。まがりなりにも、二百近くの諸地域がそこそこやってきたのも、軍事力ではなく、交流・交際を旨とするという「付き合い精神」の深化や拡大ではなったでしょうか。(まだまだ、まったく、その努力は足りないのは事実です)

 「日本は、最悪の事態をも想定して準備を怠ってはならない。それが80年前の教訓を活(い)かす道である」と書く、その「80年前の教訓」とはなんでしょうか。ぼくは愚鈍ですから、記事の中からは「教訓」を読み取れませんでした。さらに歴史の問題として「80年前の教訓」を汲み出すとすれば、無謀な戦争は「平和の敵」であり、自国や他国に補い得ない被害を与えるような「戦争」は断じて避けること、それが「地獄の苦しみ」の末に「白旗を上げた国」に生きる人間の取るべき道、そうとしか、ぼくには考えられないのです。「日本は、最悪の事態をも想定して準備を怠ってはならない」というのは、よもや「日本の与り知らぬ平和」が中国を中心として成り立っては困るから、そのためには「戦争も辞さない、その準備」ということになるのでしょうか。(いうまでもありません、ぼくは「中国派」ではない、けれど、付き合いは必要だとみている国であると考えている。あたりまでしょ)

 「真珠湾攻撃80年 あの日と今日は地続きにある」という表題は、その通りで、地面はつながっているという以上に同じ地面ですし、そこに生活している人間も大半は、その当時の人々の子孫であることは間違いありません。勇ましいことを言っているようで、じつはこの記事の内容は支離滅裂だ、ともぼくには読めます。けっして理路整然と(していなければならぬとは言いませんが)書かれているのではなさそうです。「記事に(を)書く」意図がよくわからない、「書くために書く」のだろうか。

 「妖雲を排して天日を仰ぐ」(作家・島木健作)というのは「聖戦」の無条件受容だったのですか。漱石の弟子筋でした、この作家は。「探究派」も勇ましいんですね。さらに「同時に英米蘭への宣戦布告は、長く続いた白人によるアジアの植民地支配に終止符を打つ歴史的転換点となったのは疑いようがない」と歴史事実の意図的誤解・誤読・誤認、これはしばしば政治家の発言にも見られました。日本は悪いことばかりしたのではない、いいことだっていっぱいしたではないかと言い張る、その奇天烈な主張です。「アジアの植民地支配」の解放を、日本は国運をかけて成し遂げようとしたのだというなら、その前にどうして「朝鮮の植民地支配政治」を止めなかったのか、これには目を瞑るというのか、それとも、朝鮮支配は「植民地支配」ではなかったと虚言するつもりでしょうか。

 新見南吉や高村光太郎の「思想」は、「侵略や殺戮をしない」という点で一貫していたか、戦時中は「目がくらんでいた」と彼らは言わなかったか。「戦争責任」を自分の言葉で語れなかったのはどうしてか。「こういう事(こと)にならぬように僕達(ぼくたち)が努力しなかったのが悪かった」という「清沢洌は例外」だったから、切って捨てていいのですか。「体制翼賛」は二重の◎で、「戦争反対派」は例外だから、語るに足りないとでもいうのでしょうか。繰りかえしますが、同じようなまちがいを起す、その覚悟をもって記事が書かれている(風に見える)ね、記者にその自覚や直感があるかどうかは、ぼくにはわかりません。

 この新聞に代表される「陣営」(というほどのものかどうか疑わしい)が、さかんに担ぎ上げていた二代前のソーリは、ことあるごとに「戦後レジーム」からの脱却を「政治信条」まがい(というものではない、そんなものを持っている風には見えませんでした)にしていたし、そのための憲法改正を叫んでいた。今も叫んでいるようです、「心なくも」。その「戦後体制」を作り上げた「仇敵」に抱きつき、ぶら下がって、自らの政治力を「誇示」していた(のではなかったか)。ようするに、おのれの「権力」や「地位」「名声」が強まり高まるなら、なんとほざいても、恬として恥じないということだというのなら、ぼくたちは、一刻も早くかかる「迷妄時代」から「脱却」しなければならないでしょう。そのための「他山の石」となる・するなら、この新聞は「貴重な資材」くらいにはなるでしょう。

 もう一度、同じ個所を出します。「日本は、最悪の事態をも想定して準備を怠ってはならない。それが80年前の教訓を活(い)かす道である」という、この記事の「胆」(のつもりだろう、と思う)がまったく理解できないのですから、ぼくは愚鈍ですね、改めて確認しました。

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 自分の言葉をいかに育てるか、育てられるか

 

 いつもいうことですが、毎朝、ぼくはネットで各地域新聞の「コラム」を、まず読みます。「五大紙」とか「全国紙」などと、自他ともに任じているような新聞社のモノは畏れ多くて、よほど魔が差さなければ読まない、いや目にしないのをモットーにしているのです。理由はいくつかあります。いうほどのこともありません。ぼくの友人(後輩)が、M新聞のコラムを担当されていて、それまでに書いたものをまとめて送ってくれたことがありました。彼は大阪組でしたから、ぼくは滅多に目にする機会がなかった。ある時、どこかで「余録」ではなかったが、同じ新聞社の別のコラムを読んで、これはY君の文章だと直感したし、ありありと彼の顔が浮かび上がってきたことがあります。(彼はすでに引退したと思う)彼は健在だったと思うと、嬉しくなった。書かれた「内容」が優れているとか何とかではなく、彼が、彼女が書いたのだという、そんな文章をぼくはもっと求めたいですね。無理は承知していますが、ね

 今では平凡な表現のように言われますが、ぼくが好きなものに「文は人なり」というのがあります。その言わんとするところは、どうでしょうか。多く識者の理解するところは、いろいろな言い方(解釈)をしていますが、「犬は文を書かない」という程度のことしか、この表現の中から発見していないと、ぼくは思っています。「文さんは人間だ」と、まさか受け取ってはいないでしょうねえ。たしかに、犬や猫は文章を書かないが、では、「犬や猫と違って、人間は文が書けるんだ」ということで、何が言いたいんですか、その程度の識者面に、ぼくはいつも激しく、その面貌を疑っているのです。別に文句を言うのではないし、それが趣味なのだというのでもありません。でも、書かれた文章が人の目に触れると分かっているなら、もう少し物の言い方があるのではありませんか。文章のプロ、あるいは文を書くことが職業になっている人は、やはり、一読して、何かが残る文章が書けるといいですね。もちろん、これはぼくの好みですから、いろいろなとらえ方があるというべきです。

 これはA新聞の記事(コラム)であった事実です。とても小さなコラム(ぼくは大好きだった「生活面(欄)」にあった)に、一人の町工場の代表社員(社長)のことが出ていました。ぼくは、その人をよく知っていましたから、そのコラムの遺漏のない取材と文章の的確さに驚いたことがありました。昔は少しはお節介の気味があったので、その記事を読んでお礼が言いたくなった。確かメールで一購読者として、このコラムを読むことが出来たのを感謝しますと、担当者宛てに送ったことがあります。期待していなかったのですが、なんとその担当者(コラムを書かれた当人)から、メールが来ました。そしてあろうことか、ぼくが何ものであるかがバレていたのでした。いったいどうしてという疑問がありましたが、それが卒業生だったということが判明した、そんな経験がありました。わざわざ購読していた時代、ぼくは一面や三面などよりも、何面というのか「生活面」「文花面」が何よりも楽しみだった。いまでもきっと、政治部が新聞社では有力部局なのでしょうが、そこに出てくる記事は、物の一時間もたてば、すっかり既知のものになってしまう、じつにつまらない楽屋話(誰々が別れた、切れたとかいう)のような記事ばかりです。それに反して、生活面は、なんともいえない親しみや近しさが感じられて、新聞の「胆」だという実感を、ぼくは育ててきました。

 つまらない文章(にもならない、駄文)を書いています。言いたいことがらは一つ、「文は人なり」の奥義(というと大袈裟ですが)に叶う文章を読んでみたいし、それに出会うと、ぼくは幸せな気分になるという、ただそれだけの陳腐な願い求めているという話です。その反対だったら、ぼくは実に短気を起してしまいます。「文は人なり」というのは「その人自身がそこに現れる」ということでしょうか。若い頃に、少しばかり読んだことのあるビュフォンの言葉です。彼は「植物分類」では大きな仕事を残した人物でもあり、ぼくが何本かの拙い論文を書いたこともある、思想家のジャン・ジャック・ルッソオがしばしば言及していた人でもあった。その人自身(人柄)が文章に出るというのは、誰でも彼でもに妥当するのではないでしょう。人柄も何も出ない文章は、この世に五万とあるからです。ビュフォン流に言えば、それは文章ではないことになる。(まるで「自分のこと」を言っているようで、実に気分は穏やかではありませんね)似たような言い方で「名は体を表す」というのはどうでしょう。

 さらに、いわずもがなのことを付加するなら、文を読むというのは、それを書いた人自身を知るということ、見たことも会ったこともない書き手の「人物(人となり)」がわかるということをも言っているのでしょう。ぼくは、相当の昔から、文章を読んで、嬉しくなったり、深く教えられたという思いが働くと、その書き手に「お礼」を言う奇癖がありました。もちろん、書物などではなく新聞の記事の場合です。相手を特定しやすいのも一理ですし、それ以上に、こんな文章が読めたのが嬉しいという「読者の気持ち」を伝えたいからでした。もう十年ほども前になりますか、ある時、出版社から手紙が届きました。ぼくが書いた拙著を買われた方が、ぼく宛てに「送ってください」と、出版社が言付けられたからということでした。一読して、それは、かなり前になる、ぼくの担当していた授業に参加されていた方からでした。電話番号が書いてありましたので、さっそくお礼のあいさつをした際、「あなたはG県出身でしたね」と伝えたら、彼女は驚いておられた。たくさんの学生と教室で交流しているのは事実でしたが、その中の一人を、しかも卒業後何年も経過しているのに、ということでした。

 ぼくはその時、彼女に「こんな文章(レポート)を書かれたことがありましたね」(あるいは、「教室で、このような内容の話をされましたね」だったか)と言ったら、さらに驚いておられた。まったくの偶然だったとも言えますが、彼女が書かれていた文章(話の内容)は「文は人なり」だったという傍証にはなるでしょうか。こんな経験はいつでもしているというのではありません。教師の真似事をしていた時には親しくしていても、いまではまったく音信不通だという人の方がはるかに多いし、それは当然でもあります。話がそれてきましたが、「文は人なり」という、なんでもない表現を受けとめる深さが、実は他者との交わりの際に、自己の根底にあるかないか、それは文章というものが潜めている潜在力でもあると言いたいんですが、そのことが、じつは、いつでも「文と人が一体化」して受け取られるということでしょう。文は、たんなる「語の羅列」ではないのはもちろん、文章が整っているだけでは、いい文章だとは言い難いということです。しかし、誰でもが書ける文章(数式みたいな)というものもあるんですね(それは学校で、さかんに推奨されていませんか)。

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● 文は人なり=文章にはその書き手の人柄が表れる。文章を見れば、書き手の人となりがわかる。[使用例] ある人が氏の探偵小説「銀三十枚」に感心してかかる優れた作品を生むのは氏の人格のしからしめるところであろうと言ったのは私も大いに賛成である。全く「文は人なり」という言葉は氏に対して最もふさわしいものである[小酒井不木*国枝史郎氏の人物と作品|1930][解説] 一八世紀フランスの博物学者ビュフォンが、アカデミーフランセーズへ入会する際の演説「文体について」の中で述べたことばが有名になったもの。ビュフォンは、古代ギリシアの修辞学者、歴史家のディオニュシオス・ハリカルナッセウスのことばを引用したとされます。〔フランス〕Le style est l’homme lui-même.(ことわざを知る辞典)

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 【有明抄】あいさつは自分の言葉で 原稿を送信すると出来はさておき、ほっとする。でも、それもつかの間、さて次は何を書こうか。無い知恵を絞り、心もとない語彙(ごい)力、表現力でマス目を埋める。その繰り返しである◆国文学者の谷沢永一さん(1929~2011年)は「考えること、それは即ち、言葉を練ることである」と書いている。古い語法にくさびを打ち込んで砕いたり、手あかにまみれた語彙を清流に浸して洗ったり。そのために、氾濫する決まり文句からできるだけ身を遠ざける隔離が必要だと説く◆実に耳の痛い指摘だが、「自分で考えているだけましか」と思わせる記事を目にした。国会議員が地元の会合に出る際のあいさつ文や講演資料などの作成。こうした作業を厚労省職員に依頼していた事例が1年間で400件以上あったという内部調査の結果である◆調査は、省内の働き方改革を進めるために結成された有志職員チームの問題提起がきっかけだった。議員の政治活動を肩代わりさせられ、職員の負担増になっているとの指摘が出ている。同様の依頼は厚労省に限らないだろう◆公務と政務の線引きが曖昧になって、官僚と秘書まで混同してはいないか。ご多忙なのは察するが、考えず、言葉を練らずでは見透かされる。自らの言葉で語れば、決まり文句のあいさつよりは気持ちが伝わるはずである。(知)(佐賀新聞Live・2021/11/30)

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 ここまで書いてきて、もういいな、これ以上は、という気になりました。谷沢さんのものも結構読んだが、この文学者は人が悪い(「いけず」)というのか、辛辣でした。手加減なし、というのでしょうね。だから時には、ちょっと「言い過ぎ」じゃんというふうに思ったりしたことが何度もありました。彼の書かれたもので、ぼくがよく読んだのは、関西風の洒落やユーモアを集めた本でした。しかし、なんといっても彼は「紙つぶて」につきる(とは言わぬが)と言っても過言ではないほどの読書家であり、批評眼を有した文学者でした。

 政治家のゴーストライターは官僚であるというのは、誰だって知っていたでしょうし、その程度のことも自分でできないのが「政治家」だ、ということも天下周知の明白なる事実です。前ソーリは「挨拶(おはよう、こんにちはなど)まで、官僚(あるいは秘書)に書いてもらっている」ということを、ぼくはずっと言っていました。原稿を読み飛ばして「ページが糊で…」とウソ八百をついたのまで官僚たちでした。そのうちに、挨拶まわりまでも官僚が肩代わりするようになる(もうなっている)でしょう。となると、政治家というのは、外から動かされるままの「ロボット」だということになる。

 「挨拶ぐらい、自分でしろ」と、苛立ちながらゴーストライターを務めているんですから、まともな「挨拶」になる気遣いもない。洋の東西、時の古今を問わず、政治家の文章は「代書屋」が書いているというのが常識で、それまでも自分で認(したた)める政治家がいたら、大問題になる(ことはないけど)、評判にはなるでしょう。「どうして挨拶まで」という疑問が出るでしょうが、何処で話そうが、政治家の眼中には聴衆(選挙民も含めて)は入っていない。まるで「ナスかカボチャ」の山程度に見下しているから、他人に書かせた「挨拶」を読むのでしょう。書かされる方もいい加減なもので、テキトーに、という一本のスジは通っているんですね。この事態が続いていて「太平楽」でいられるのは政・管の「二人羽織」組ばかりです。ひどいことになったなあ、と嘆いてみても、その礫(つぶて)は、やがて選挙民の脳髄を直撃する(している)のです。人間は「ことば」でできていると、ぼくは露とも疑わないでこれまで、あちこちで喋ってきましたが、実は「ことばで、できていない」人もいるのだということに気付かされてもいたんですね。政治家だけではありません。ことばでできていないとなれば、何で、と聞きたくなります。まさか、「水と空気」でということではなさそうです。おそらく「地位と名誉」か、「富と権力」か、いずれそんなものが「ことば」よりも、よほど価値があるとみなしている人々が政治家に(全部とは言わない)なっているんじゃないですか。

 「自らの言葉で語れば、決まり文句のあいさつよりは気持ちが伝わるはずである」とコラム氏の指摘は、何処のコラムでも変わらない。これでコラムは、「いっちょう上がり」という職人芸で、もう一歩進んで、「このボンクラ、どうして自分の言葉で語れないのか」ということは、口が裂けても、先ず言わない。何故か。いろいろと「差しさわりがある」からです。この「さわり」を熟知していないと、「新聞社の社員」にはなれないのが当今の相場です。この具体例を挙げることが、ぼくにはできますが、各方面に「差しさわりがある」ので、それは止めておきます。全国紙とか五大紙とかいう新聞紙面から、広告分を取り除いたら、何が残りますか。「広告」は新聞社の命であり、血液です。これを制せられるのが購読者より怖い新聞社さんに、どんな「紙つぶて」が飛ばせますか、そういうことです。新聞社(全部とは言いませんが)も「言論」尊重を核として成り立っているとばかりは言えないようですね。 

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