持つものには与え、持たないものからは奪え

 昨日の昼頃から降り出した雪は、思いのほか積もりました。朝には十センチはあろうかというほどの雪の原が生まれていました。十月に生まれたばかりの猫は初めての積雪に興味深々、庭を駆け回っては足を冷たくしては、室内に飛び込んで、また飛び出すことを繰り返していました。「犬は喜び庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる」と、正反対のはしゃぎようでしたね。思わぬ初雪で、午前中には停電が発生。二度三度とついたり消えたりで、電気製品が対処に大童です。そのなかでもパソコンは、使用中に電源が落ちたために、被害というほどでもありませんが、なかなか立ち上がらなくなりました。このまま、本日はダメかなと半分は諦めていたところです。

 停電が回復し、パソコンも何度か起動や再起動を繰り返しているうちに、ようやく「立ち上がり」ました。それが午後三時ころでした。(ただ今、三時半過ぎ)本日の駄文は「止めておけ」という合図であろうと、ぼくはそのサインを受け止めるべく、昨日にも触れたプリーモ・レーヴィの「これが人間か アウシュビッツは終わらない」(朝日選書版)のページを繰っていました。この本の邦訳(竹山博英訳)が出たのは2017年でしたが、その時に購入し一読しました。類書にはみられない内容であったとぼくには思われたし、印象に残った著書になっていたのです。停電の余得というのか、パラパラしているうちに、本格的に読みだした。

 本日は別のネタを用意していたのです。しかし、上で言ったように「停電」「パソコン不調」などで「これが人間か」を再読する羽目になったので、触りの部分だけでも、その紹介をしたくなった次第。引用ばかりになりますが、何かの参考になればと、以下に書いておきます。昨日の続きのような按排になりました。

 幸運なことに、私は、一九四四年になってから、アウシュビッツに流刑にされた。それは労働力の不足がひどくなったために、ドイツ政府が囚人の勝手気ままな殺戮を一時的に中止、生活環境を大幅に改善し、抹殺すべき囚人の平均寿命を延長するよう決定した後のことだった。
 だからこの本で、不安をかき立てる抹殺収容所という主題に関して、そこで起きた残酷な事実が、世界中の読者の知っている以上に語られることはない。この本は新たに告発条項を並べ立てるために書かれたのではない。むしろ人間の魂がいかに変化するか、冷静に研究する際の基礎資料をなすのではないかと思う。個人にせよ、集団にせよ、多くの人が、多少なりとも意識的に、「外国人はすべて敵だ」と思いこんでしまう場合がある。この種の思いこみは、大体心の底に潜在的な伝染病としてひそんでいる。もちろんこれは理性的な考えではないから、突発的でちぐはぐな行動にしか現れない。だがいったんこの思いこみが姿を現し、今まで隠れていた独断が三段論法の大前提になり、外国人はすべて殺さねばならないという結論が導き出されると、その行きつく先にはラーゲルが姿を現わす。(p5)
 今日は良い日だ。私たちはあたかも視力を取り戻した盲人のようにあたりを見回し、顔を見合わせる。太陽の光を浴びながら顔を見合わせたことなどないのだ。ほほえみで顔をほころばせているものもいる。これで飢えがなかったら!
 人間とはこうしものだ。痛みや苦しみが同時に襲ってくるとき、人はそれをすべて合わせて感じるわけではない。ある一定の遠近法によって、小さな苦痛が大きな苦痛の影に隠されてしまうからだ。これは神意によるもので、だからこそ収容所でも生きられるのだ。また、自由人の生活で、人間の欲望には限りがない、とよく言われるのも、これが理由だ。だがこれは、人間が絶対的な幸福にたどりつけないことを示すよりも、むしろ、不幸な状態がいかに複雑なものか、じゅうぶんに理解されていないことを表わしている。不幸の原因は多様で、段階的に配置されているが、人は十分な知識がないため、その原因をただ一つに限定してしまうので。つまり最も大きな原因に帰してしまう。ところが、やがていつかこの原因は姿を消す。するとその背後にもう一つ別の原因が見えてきて、苦しいほどの驚きを味わう。だが実際には、別の原因が一続きも控えているのだ。(p91~92)
 …同時代の多くの人間が、こうして地獄の底に押し込まれて、つらい生き方をした。だが一人一人の時間は比較的短かった。そこでこういう疑問が湧いてくることだろう。この異常な状態に何か記録を残す意味があるのだろうか、それは正しいことなのだろうか、という疑問が。
 これには、その通りと答えておきたい。人間の体験はどんなものであっても、意味のない、分析に値しないものはない、そして今語っているこの特殊な世界からも、前向きではないにしろ、根本的な意味を引き出せる、と私たちは信じている。ラーゲルが巨大な生物学的社会的体験であったことを、それも顕著な例であったことを、みなに考えてもらいたいのだ。
 年齢、境遇、生まれ、言葉、文化、習慣が違う人々が何万人となく鉄条網の中に閉じこめられ、必要な条件がすべて満たされない、隅々まで管理された、変化のない、まったく同じ生活体制に従属させられた。たとえば人間が野獣化して生存競争をする時、何が先天的で何が後天的か確かめる実験装置があったとしても、このラーゲリの生活のほうがはるかに厳しかったのだ。
 人間は根本的には野獣で、利己的で、分別がないものだ、それは文明という上部構造がなくなればはっきりする、そして「囚人(ヘフトリング)」とは禁制を解かれた人間にすぎない、という考え方がある。だが私たちには、こうした一番単純で明解な考え方が信じられないのだ。むしろ人間が野獣化することについては、窮乏と肉体的不自由に責め立てられたら、人間の習慣や社交本能はほとんど沈黙してしまう、という結論しか引き出せないと考えている。(p109~110) 
 それよりも注目に値するのは、次のような事実が明らかになることだ。つまり人間には、溺れるものと救われるものという、非常に明確な区分が存在することだ。これ以外の、善人と悪人、利口ものと愚かもの、勇ましいものといくじなし、幸運なものと不運なものといった対立要素はずっとあいまいで、もって生まれたものとは思えない、どっちつかずの中間段階が多すぎて、しかもお互いにからみあっているからだ。
 ところが、この溺れるものと救われるものという区分は、普通の生活ではっずっとあいまいになっている。なぜなら、大体人は独りびぼっちではなく、成功する時も失敗する時も、身近な人たちと運命を分かちあっているので、普通の生活をしている限り、めったに破滅しないからだ。だからある人が際限なあく権力を伸ばしたり、下降線をたどって、失敗に失敗を重ね、没落することもない。それに普通はみな精神的、金銭的貯えをもっているから、破産したり、すべてをなくしてしまったりする可能性はひどく小さくなっている。それに加えて、法律や、心の規律である道徳律が、損害を和らげるのにかなり大きな働きをしている。事実、文明国になればなるほど、困窮者が余りにも貧しくなり、権力者が過大な力を握ることを防止する、賢明な法律が働くなるようになると、考えられている。(p112)

 この「これが人間か」の初版が出版されたのは一九四七年でした。以来、改訂版を重ねて、今ある形となったのです。ぼくは朝日選書版を読んだ。「強制収容所(ラーゲル)」に関わる文献は数限りなくあるでしょう。ぼくはその万分の一を読んだか、見たという程度です。何ごとも言えるほどの基盤を持っていないので、やむを得ず、このような著書からの引用や紹介をするほかないのです。いまだに「アウシュビッツはなかった」という、犯罪に等しい暴言がくりかえされています。その背景はなにか。まず、いかなる戦争でも「犠牲者は出る」のであって、問題は、その数の多少だけだという主張です。これに関しては言うべき言葉がありません。また第二に、一方の側だけの責任にしているが、同じように「虐殺」をしたのは、「そっち」だって同じじゃないかという理屈以前の話です。戦争の歴史をどこまで知ろうとするか、それは、再び戦争の愚を繰り返さないための、その後に生きている、一人の人間の責任(義務)に類することです。

 ぼくは「溺れるものと救われるもの」を熟読し、改めて「アウシュビッツ」の意味を知ろうとしています。この書物を書いた翌年に著者は「自死」されたという。稿を改めて、この問題を考察したいと願っています。ぼくは、この著者の作品を再読しながら、ラーゲリもまた「世間」だったのだという深い諦念のようなものに襲われています。あからさまな「世の中」、それを著者は「地獄」という。それを考えつめていくと、世間こそが「ラーゲル」だと思われてくるのです。

 「むしろ人間が野獣化することについては、窮乏と肉体的不自由に責め立てられたら、人間の習慣や社交本能はほとんど沈黙してしまう、という結論しか引き出せないと考えている」

 「持つものには与え、持たないものからは奪え」このような不正な法則が罷り通るところは、もう一つの「ラーゲル」ではないでしょうか。

 「溺れるものに歴史はなく、ただ破滅への一本の道が大きく開かれているだけだとしたら、救われる道は多様で、厳しく想像も及ばない」(「これが人間か」)

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 私には、何も罪はない。かけらも罪はない

 ホロコースト生存者の映画「ユダヤ人の私」が警告する危険な未来 今に通じるナチス「国や社会は簡単に転ぶ」

 ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生存者が波乱の人生を語る映画「ユダヤ人の私」が東京・神保町の映画館で公開された。ユダヤ人に起きた悪夢を「誰が想像できるだろう」と問い掛ける主人公マルコは、アウシュビッツ強制収容所などを生き延びた105歳。共同監督の一人、オーストリア人のクリスティアン・クレーネス氏はオンラインで取材に応じ「国や社会は簡単に危険な方向に転ぶ。その過去を忘れれば、過去はいつか未来になる」と警鐘を鳴らした。(共同通信=斉藤範子)  

 ▽語り続ける 主人公は1913年にハンガリーで生まれ、オーストリアの首都ウィーンで育ったマルコ・ファインゴルト。全編モノクロの映画の序盤、小さい頃の家族との思い出や、青年時代のビジネスでの成功を懐かしむように豊かな表情で語る。/ だが、オーストリアが38年にナチス・ドイツに併合されると、反ユダヤ主義が急激に広がり、人生が一変する。39年にナチスのゲシュタポ(秘密国家警察)に逮捕され、45年まで四つの強制収容所に収容された/「誰が想像できるだろう?あれは人間による所業なのだ」「ユダヤ人であるというだけで殺害された」「受け入れることなんて絶対にできない」/射るような目線を向け、マルコは語り掛ける。/ オーストリアで最高齢のホロコースト生存者だったマルコは70年以上、語り部として自らの体験を語り、ナチスの罪を明らかにしてきた。そして「哀れなオーストリアはドイツに侵略された」と言い逃れるのは間違いだと訴え続けた。映画では、併合の際にナチスを迎えたウィーン市民の熱狂ぶりを証言している。(以下略)(2022/1/3 © 株式会社全国新聞ネット)(https://nordot.app/848081904067690496?c=39546741839462401

 房総半島の山中の片隅に棲みついていますので、なかなか映画や音楽などの鑑賞の機会(ホールや映画館で)がありません。残念ではありますけれど、だからと街中に移ろうなどという気持ちは微塵も兆しはしていません。ある種の蟄居状態ですので、可能な限りで書籍やネット映像を渉猟しては、渇を癒そうとしているのです。「ユダヤ人の私」は何とかしてみたい記録映画です。前作の「ゲッベルスと私」は著作でも読みました。今、それを記憶の彼方から呼び戻そうとしているのですが、書物の内容の行方は杳として知れないという、恐慌状態にあります。何か特別の、驚くべき事柄が書かれていなかったからではないかと、勝手に解釈しています。その内容のかけらも浮かんでこないのですから、これは異常でもあると言うべきでしょうか。(https://www.sunny-film.com/shogen-series-introduction

 「ゲッベルスと私」のポムゼルは、何かナチのために特別の仕事をしたのではない。偶然、割り当てられた役回り(彼女は、それを人事異動といった)で、ヒトラーと「極悪のコンビ」を組んだ相棒の秘書だったにすぎない、ほんの三年ほど。それが事実であって、そのほかに何があるというのかしら、というのがポムゼルの偽らない信条でした。インタビュー当時、すでに百歳を超えていたブルンヒルデ・ポムゼル。冷静というか、みずからの感情を、固く誓って、深く心底に沈めてしまったかのような、かたくなな姿勢。そうしなければ戦後を生き続けられなかったのだろうか。彼女は、世間的に言う、賢い人だった。「何も知りませんでした。私に罪はない」、これがポムゼルの「本音」です。それ以上でも以下でもない。多くの戦争当事国の人民はそのようにするほかなかったのです。問われれば、「私にどうしろというのですか」と、誰でもそのように応えるでしょう。それにしても、彼女の深く刻まれた皺。これはゲッペルスやナチとはまったく無関係でしょうが、彼女の生きた、幾分かの証にはなるのか、いや、なるはずがないじゃないか。(https://www.youtube.com/watch?v=Zqd_krnWdy0)(https://www.youtube.com/watch?v=nZr45w7iubI)

 自分に与えられた場で働き、みんなのために良かれと思ったことをする、誰かに害をなすかもしれないと、わかっていても。それは悪いことなのかしら、エゴイズムなのかしら。
 それでも人はやってしまう。人間はその時点では、深く考えない。
 無関心で、目先のことしか考えないものよ。(ブルンヒルで・ポムゼル・2013年、ミュンヘン)(「ゲッベルスと私 ナチ宣伝相秘書の独白」ブルンヒルデ・ポムゼル+トーレ・ハンゼン著 監修・石田勇治 翻訳・も大居り内薫+赤坂桃子。紀伊国屋書店刊。2018) 
 何にでも言えることだけれど、美しいものごとにも汚点がある。恐ろしい物事にも明るい部分がある。白か黒ではわりきれない。どちらの側にもかならず、すこしばかり灰色の部分があるものよ。(略)
 自身の罪についての永遠の問いに対しては、私は早い時期に答えを出した。私には、何も罪はない。かけらも罪はない。だって、なんの罪があるというの?いいえ、私は自分に罪があるとは思わないわ。あの政権の実現に加担したという意味で、すべてのドイツ国民に咎があるというのなら、話は別よ。そういう意味では、私を含めみなに罪があった。(同上)
 私はこれまで生きてきた中で、自分で気づいている以上に多くの犯罪者とかかわったのかもしれない。でも、前もってそんなことが分かりはしない。たしかにあのころゲッベルスのもとで働いていたけれど、彼は私にとって、ヒトラーの次に偉い、とても高いところにいるボスの一人でしかなかった。そして私への命令は、省から来たものだった。戦地に送られた兵士たちはみな、ロシア人やイギリス人を撃ったけれど、だからといって彼らを殺人者とは言わない。彼らは義務を果たしただけ、私もそれと同じよ。私が誰か個人に不当なことをして大きな苦痛を与えたというのなら、非難されてもしかたないかもしれない。でも、そんなことをした記憶は私にはいっさいない(同上)

 真珠湾奇襲攻撃が始まり、日米が戦争状態に入った際、ある高名な評論家は、奇襲で沈んだ米艦隊の写真を見て、「美しい」という感銘を述べ、さらに、それ以前の満州事変に至る戦火の拡大に対しても、「国民は黙って戦争に身を処した」という意味のことを書いていました。若いぼくは、その人を優れた見識の人と見ていただけに、何か嫌なものを見た思いで、やがて彼からは離れしまいました。たぶん、彼はその時は四十過ぎだったと思われます。彼のように、好戦的とかタカ派だとみられていない人でも、戦時になると、当たりまえに「戦争支持」に身を置くのでしょう。つまり「大和民族」「皇国臣民」として、自分をそこに縛り付ける、そんな姿勢を多くの人は(自然に、だったと言えます)取ったのです。もちろん、積極的に戦争に加担した人も多くいた。(文学報国会への参加などで)このような状況下にあっては、直接に、あるいは格別に「戦時の役割」を与えられていない一般の民衆でも同じことだったかもしれない。

 「私はなにも知らなかった。だから、私に罪はない」という、ポムゼルの告白・弁明に偽りがあるというのではありません。問題は、無自覚に戦争の中に自らを投擲して、なんの痛痒も感じないという、その無神経さにあるのではないでしょうか。戦争の渦中にある者は、それがどんな状況下にあるのか知るすべもなかったという、厳しい一面もありました。大多数は戦後になって、ようやく事態が分かるというものでした。「私は何も知らなかった。私に罪はない」と。「私はどうすればよかったんですか」という、この姿勢が多くの人が選んだものであったでしょうし、それで何の不思議もないのです。それを非難する権利というものは、誰にもないのです。だから、「戦争」はいつだって、どこにだって起こりえるし、起っているのです。と、戦後何十年もたって、高見から「戦争のもたらす」ものを批判する、ぼくのような人間もいる。戦争のさなかにいたら、ぼくはどうしていただろうという、空想力はここでは、あまり意味を持たないのです。

HHHHHHHHHHHHHHHHHH

 ほぼ同時期に、こちらは再読したのですが、プリーモ・レーヴィ「これが人間か」という収容所体験記。彼は科学者であり文学者でもあった人。1919年、トリノで生まれ、44年2月、アウシュビッツ強制収容所に収容された。45年10月に解放されます。戦後は科学者として、あるいは文学者(詩人)として活動。87年に自死したとされています。作品には、「休戦」「溺れるものと救われるもの」など。

暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
夕方、家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。

 これが人間か、考えてほしい 
 泥にまみれて働き
 平安を知らず
 パンのかけらを争い
 他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。 
 これが女か、考えてほしい
 神はかられ、名はなく
 思老いだす力も失せ
 目は虚(うつ)ろ、体の芯は
 冬の蛙のように冷え切っているものが。

考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、に外に出ていても。
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい

 さもなくば、家は壊れ
 病が体を麻痺させ 
 子供たちはは顔をそむけるだろう。
(「アウシュビッツは終わらない これが人間か」竹山博英訳 朝日選書、2017)

 もう何年前になるか、ビクトール・E・フランクルという実存分析の領域を開いた精神科の医者が、最後の来日を果たした際、通訳をした友人から案内を受けたが、ぼくは出かけませんでした。会うことが出来ないと、ぼくは直感していたからでした。(いずれ、この経緯については、どこかで触れたいですね)彼の「夜と霧」は、レ―ヴィの本とほぼ同じ時期に公刊されたと思います。「一心理学者の収容所体験」として書かれた著書を、ぼくは何度読んだか。ドイツ語で、英語版で、もちろん日本語訳でも。その一字一句とは言いませんが、殆んどを諳んじていました。「自分を待つ人がいる」という期待が、収容所を生き延びさせたと語るフランクル。結婚したばかりの妻とまだ幼時だった娘、それに母親の三人も、同時に強制収容所に送られた。収容所の中で絶望に襲われたとき、フランクルはきっと、妻(テリー)と「言葉」を交わした。離れ離れではあったが、(夢の中で)二人は会話を交わし、励まし合った。やがて、フランクルは解放されます。妻や子、母が「ガス室」に送られたのは、収容所に入った直後だったということが判明した。

 「これが人間か、考えてほしい」「考えてほしい、こうした事実があったことを」

HHHHHHHHHHHHHHHH

 一時間ほど前から、雪が降りだしています。この雪景色を見て入ると、ぼくはいろいろな場面を思い浮かべます。今、ぼくの脳内のある部分に去来しているのは、「夜と霧」でフランクルが描く一場面です。収容所内における強制重労働に駆り出された収容者たち(「囚人」というべきではないでしょう)、寒さでコンクリートよりも固くなった雪に「つるはし」を当てて穴を掘る、そんな単純な重労働に、来る日も来る日も駆り出される。掘るのに疲れ、少しでも休もうとすると殴られる。そこで倒れてしまうと、自分たちが掘った穴の中に、監視人や仲間によって蹴り落される。

 監視する側も、重労働に喘ぐ人たちも、人間であることを止めているのでした。かかる事態が、当たり前の「人間の表情」をして、いつでもどこにでも(現に、いまだって)起こっているのです。「これが人間か、考えてほしい」という詩人・レーヴィの声をぼくは、断固として、とは言えないが、弱々しい腕力で受け止めているのです。

< Arbeit macht frei>労働は自由につながる)と、この島でも誰かが言っていなかったか。

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 つまり行ったり来たり、なんだ

 なったらおしまいではなく 今日は何年何月何日何曜日ですか。これから言う数字を逆に言ってみてください―。映画「明日の記憶」に、物忘れや体調不良を訴える主人公が医師からそんな質問を受けるシーンがある▲使われているのは「長谷川式スケール」と呼ばれる認知機能診断の物差しだ。高齢者向けの健康講座で見聞きした人がいるかもしれない。開発したのは、認知症医療の第一人者として知られる精神科医の長谷川和夫さん。92歳の訃報がきのう届いた▲スケールができた50年近く前、認知症の人は「何も分からなくなった人」としてひどい偏見にさらされていた。家で閉じ込められたり、精神科の病院でベッドに縛り付けられたり…▲そんな実情を目の当たりにしたからだろう。患者の尊厳を守り、その人らしさを大切にする「パーソン・センタード・ケア」の理念を広めるのに力を尽くす。「痴呆」という用語を「認知症」に変えるのにも貢献した▲4年前には自ら認知症を公表し、当事者としての思いや発見を著書につづった。認知症は「長寿の時代、誰もが向き合って生きるもの」「なったらおしまいではない」―。長谷川さんが身をもって示した数々の言葉が、未来を照らしている。(中国新聞・2021/11/21) 

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 本日は新聞記事を紹介するだけになりそうです。「認知症」に関して、ぼくは早い段階から深い関心を持ってきました。また、長谷川和夫さんについてもその研究内容や方法からは、たくさんのことを教えられた。この「長谷川式スケール」については、実際にぼく自身がそれを使ったことがありますし、最近では連れ合いが入院手術に際して、その病院の規則だとかで、受診したし、それにもぼくは付き添った。(病院での件に関しては語りたいことがありますが、いつの日かに譲ります。「物忘れ外来」で、長谷川式スケールを使った「認知機能検査」を担当したのは若い「心理療法士」だった(別の名称であったかもしれない)、あまりこの仕事に興味を持っているようにはとても思ええなかった)

 ぼくは後期高齢者で運転免許更新を経験しましたから、「認知機能検査」を受験したことがあります。これは長谷川式検査を利用していると言えます。「物忘れ」と運転技能が無関係とは言いませんが、直接関係しているとも思えない。アクセルとブレーキの踏み間違えによる悲惨な事故が多発しています。それは「記憶力の問題」が原因になっているなどとは、ぼくには考えられません。自動車の構造上の問題に起因しているのは間違いない。その証拠に、マニュアル式レバーの時代にはそのような、踏み間違え事故は起らなかったはずですから。たしかに高年齢になって事故の起こる確率は高くなることも考えられますが、今のような認知能力の衰えに結び付けるのは正しくないと言えます。(この問題はまた、どこかで触れるつもりです)

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 認知症診療の第一人者・長谷川和夫さん死去 自身の認知症を公表

写真・図版

 認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長で精神科医の長谷川和夫(はせがわ・かずお)さんが13日、老衰のため死去した。92歳だった。葬儀は親族で行った。喪主は妻瑞子さん。/ 聖マリアンナ医科大名誉教授。認知症診断のための簡易スクリーニング検査として広く使われている「長谷川式認知症スケール」を1970年代に開発。認知症診療の第一人者として、認知症への理解を広げることに力を注いだ。/ 侮蔑的な意味を含む「痴呆(ちほう)」という呼称の変更を国に働きかけ、「認知症」という新たな用語を提起した厚生労働省の検討会(2004年)にも、委員として参加した。

 17年に認知症との診断を受けた。その後、その事実を各メディアで公表した。朝日新聞のインタビューでは、「『隠すことはない』『年を取ったら誰でもなるんだな』と皆が考えるようになれば、社会の認識は変わる」と、専門医である自分が認知症になった体験を伝える意味を語っていた。/ その後も、「認知症というのは決して固定した状態ではなくて、認知症とそうでない状態は連続している。つまり行ったり来たり、なんだ」など、当事者としての言葉で、認知症についての発信を続けた。/ 認知症診断後の18年、子どもたちにケアの理念を伝えようと、認知症の祖母と孫の交流を描いた絵本「だいじょうぶだよ―ぼくのおばあちゃん―」を出版、自身の家庭で実際に起きた出来事をもとに、原作を手がけた。認知症の人が安心して暮らすために、人のきずな、つながりが大切であることを晩年まで訴えた。(朝日新聞デジタル・2021年11月19日)

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 「認知症と時間」                                編集委員 猪熊律子

2017年、認知症と公表した頃の長谷川さん

 「時間というのはね、わたくしが持っている唯一のものなんだ。時間以外のものはね、ボクは持っていないの。だから時間を人に差し上げるのは、自分の生きている貴重なものを差し上げるわけだから、大変なことなんだよ」(左写真は「2017年、認知症と公表した頃の長谷川さん」)

 認知機能検査を開発した長谷川医師が認知症に

 自ら認知症であると公表して、この10月で丸3年がたった精神科医の長谷川和夫さん(91)。3年が過ぎた感想はどうかと、先日、久しぶりに話を聞く中で印象に残ったのが冒頭の言葉だ。この言葉について語る前に、長谷川さんのことをよくご存じない方のために、簡単に紹介をしておきたい。/「今日は何年の何月何日ですか」「これから言う三つの言葉を言ってみてください。あとでまた聞きますので、よく覚えておいてください。桜、猫、電車」──。/ こんな質問を耳にしたことがある人は多いかもしれない。今や、高齢者の約6人に1人といわれる認知症。その診断の際、日本中で広く使われている認知機能検査「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発したのが長谷川さんだ。

約50年前、認知症の研究を始めた頃の長谷川さん

(左写真は約50年前、認知症の研究を始めた頃の長谷川さん)

 この検査ですごいと思ったことが二つある。/ 一つは、1974年という非常に早い時期に公表されたこと。現在、世界中で使われている検査に、アメリカで開発された「MMSE(ミニメンタルステート検査)」という長谷川式に似たものがある。それより1年前に開発・公表されていたのは画期的だ。/ もう一つは、たった9問(1991年に改訂される前でも11問)しかない質問がよく練られていること。例えば、「100から7を順番に引いてください」という質問がある。最初の「93」は比較的答えやすいかもしれない。しかし、そこからまた7を引く際には、「93」という数字を覚えておきながら7を引くという、二つの作業を同時にこなさなければならない。認知症になると、同時に複数の作業をするのが難しくなる(料理は典型)とされ、その状態をみているのがこの質問だ。/ そんなすごい実績を持ち、半世紀にわたって認知症と向き合ってきた長谷川さんが、自分も認知症となり、88歳の時に公表した。当初、自分ではアルツハイマー型認知症ではないかと思っていたが、専門病院で検査を受けたところ、 嗜銀顆粒 (しぎんかりゅう)性認知症という、高齢期になってから表れやすい、進行が緩やかなタイプとわかったという。

 認知症の人は何もわからなくなるわけではない

今年2月、91歳の誕生日を迎えた長谷川さん。妻と

 認知症と自覚・確信してからの長谷川さんは、それを隠すことはせず、「ありのまま」の姿や感じた言葉を社会に発信する行動に出た。/「認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではない。自分の住む世界は昔も今も連続しているし、昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいる」/「認知症になっても大丈夫。認知症になるのは決して特別なことではないし、むやみに怖がる必要はない」/「認知症の人と接する時は、その人が話すまで待ち、何を言うかを注意深く聴いてほしい。『時間がかかるから無理』と思うかもしれないが、『聴く』というのは『待つ』ということ。『待つ』というのは、その人に自分の時間を差し上げるということ」/ この最後の言葉は、冒頭の言葉とつながる。冒頭の言葉と併せ読むと、認知症の人は「時間を頂く」一方の存在ではなく、「時間を差し上げる」存在でもあるという、言われてみれば、ごく当たり前のことに気づかされる。(右上の写真・今年2月、91歳の誕生日を迎えた長谷川さん。妻と)

 認知症になると何もわからなくなり、「何を言っているのかよくわからない」「同じことばかり話す」と周囲からは思われがちだ。しかし、早期診断・発見の広がりもあり、自分の気持ちを自分の言葉で表現できる人が増えている。「本人が落ち着いて話せるような静かな環境を作れば、自分の気持ちを表現できる場合が多い」と話す認知症の専門家もいる。/ 要は、こちらに認知症の人の言葉を聴く気があるかどうか、もっと言えば、自分の時間を差し上げる気があるのかどうか ── 。問われているのは、相手ではなく、むしろこちら側。こちらの気持ちや態度ということなのかもしれない、と思う。

 認知症の人の声に耳を傾ける動き

 認知症の人の言葉に耳を傾ける動きは、自治体の間でも広がっている。2019年4月に「認知症の人とともに築く総活躍のまち条例」を施行した和歌山県御坊市は、本人たちの様々な声を聞きながら、認知症の人が希望を持って活躍できる街を目指す条例を完成させた。今年10月、「認知症とともに生きる希望条例」を施行した東京都世田谷区では、条例の検討委員会に認知症の人が複数参加。区は認知症施策の実施に当たり、「常に本人の視点に立ち、本人及びその家族の意見を聴かなければならない」と条文に盛り込んだ。/ 国レベルでも、認知症基本法案が昨年、議員立法で国会に提出された。コロナ禍の影響もあり、継続審議となっているが、本人たちの言葉が各方面で生かされるよう、その後押しとなるような法律を作ることが望まれる。

 「コロナは『時間泥棒』だ」

 最後に、「認知症と時間」に関して心に残った話を紹介したい。/ 話を聞いたのは今年4月で、発言者は認知症の妻を持つ、関西に住む70歳代の男性だ。男性には10歳年上の妻がおり、10年ほど前から認知症になったため、男性は自宅で介護を続けてきた。だが、在宅介護が限界となり、数年前、やむなく妻を介護施設に入れた。それから毎日のように面会に訪れていたが、新型コロナウイルス感染症の予防のため、2月末から会えなくなってしまったという。その時、この男性が言った言葉が忘れられない。/ 「認知症の妻が僕のことをわかる時間は残りわずか。僕たち夫婦にとっては、本当に貴重な時間なのに、それがどんどん奪われていく。コロナは『時間泥棒』だと思うんですよ」

 こちらも人生の折り返し地点をとっくに過ぎた年齢になったからだろうか。「認知症と時間」について、今年は、いろいろなことを考える時が増えている。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 20201216-OYT8I50031-1.jpg

プロフィル 猪熊 律子( いのくま・りつこ ) 社会保障分野の取材が長く、2014~17年、社会保障部長。社会保障に関心を持つ若者が増えてほしいと、建設的に楽しく議論をする「社会保障の哲学カフェ」の開催を提案している。著書に「#社会保障、はじめました。」(SCICUS、2018年)、「ボクはやっと認知症のことがわかった」(共著、KADOKAWA、2019年)など。(読売新聞オンライン・2020/11/13)

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● はせがわしき‐にんちしょうスケール〔はせがはシキニンチシヤウ‐〕【長谷川式認知症スケール】=認知機能検査の一。1974年、精神科医の長谷川和夫が認知症の可能性、および症状の進行具合を簡易的に調べる問診項目として考案。1991年に質問内容や採点基準が見直され、改定長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)がつくられ、2004年に現名称に改称された。年齢・時間・場所・計算品物記憶など、九つの質問項目からなる。長谷川式スケール。(デジタル大辞泉)

●認知症(にんちしょう)(dementia)=脳の器質障害によって,いったん獲得された知能が持続的に低下・喪失した状態をいう。記銘力・記憶力・思考力・判断力・見当識の障害や,失行・失語,実行機能障害,知覚・感情・行動の異常などがみられる。原因疾患にはアルツハイマー病ピック病老年痴呆脳血管障害てんかん,慢性のアルコール依存症アルコール中毒)などがある。発症時期によって,老年期認知症(65歳以上),初老期認知症(40歳~64歳),若年期認知症(18歳~39歳)と呼ばれる。厚生労働省は2004年,従来の「痴呆」ということばには侮蔑的な意味合いがあるとして,呼称を「認知症」に改めた。(マイペディア)

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 幼少の頃は「耄碌(もうろく)」という言葉や現実があったと記憶しています。まだ学校に入る前くらいだったか、近所に老人(男性)がおり、いつでもあちこちを歩き回っていた。今でいう「徘徊」であったと思われます。何もしないでただ歩きまわる。いい気持ちがしないで、ぼくはこの老人に対して「意地悪」をしていた。入学前の子どもだったが、きっと、その人に「異状・異様」を見たのだと思う。この悪戯は今でも「しこり」となってぼくの意識の中に鮮明に残っている。今から見れば、その老人は還暦を越えていなかったかもしれない。それでもぼくには十分に年寄りだった。今でも、なぜこの老人に「意地悪」をしたのか、誰かに唆されたのではなく、幼い子どもが一人で「耄碌」(その言葉は知っていたかもしれない)していた(と思っていた)老人に小石を投げつけていたのです。なん度だったか、おそらく、一度だけだったような気がします。怖かったのか、悪さをしても向かってこないと見下していたのか。ぼくは、この「老人への悪戯」を生涯忘れないだろうと思っていたし、まさにその通りになっている。その老人は、まちがいなく「認知症」だったと思います。初めて見た、歩き回る人、何も言わないで黙々と、怖い顔をした「歩く爺さん」だった。

 早くから、この問題に深い関心を持っていたと言いましたが、実をいえば、持たざるを得なかったのです。ぼくのこころないいたずらで、老人が怪我をしたとか、老人の家の人に怒られたというのではない。それはなかった。ぼくの内心の「邪心・邪念」がぼくを追い詰め、問い詰めつづけてきたのです。だから、「耄碌」という言葉にも「老人性痴呆症」という言葉にも、異常に過敏であった。やがて、長谷川先生のご尽力もあり、「認知症」という名称(診断名)に変更された際にも、なにかと調べたのでした。「認知機能障害」というのですが、なかなかに理解は困難でした。それは今も続いています。「ものを知る働き(認知機能)」の障害ということもあるでしょうが、場合によっては「記憶障害(記憶の衰え)」とも言われます。ものを見たり聞いたり判断したりすることはあっても、それを記憶にとどめるという働きが機能しなかったり、記憶されている(保存されている)けれども、それを「呼び出す機能」が働かないということもあります。

 一言で「認知症」といっても、驚くほど多種多様なんですね。病気(疾患)の名称は一つでも、その内容には一括りにできないグラデーションというか、段階や次元があるのでしょう。どの病気にも認められることです。認知症はその典型です。ここでは詳細は略しますが、老年になれば、身体機能が衰えるのを避けられないのと同様に、心理的精神的機能の障害(故障)がいたるところで見られるようになります。ぼく自身、記憶力の衰えは止めようがないくらいに進行が早いと感じます。医学や医療にはできる範囲・程度が決まっています。それは「寿命を延ばす」ことはある程度できるかもしれないが、寿命を永遠に長引かせることはできないのと同じです。長寿になったから、表出してきた病気は無数にあるでしょう。寿命が短かった時代、そのような病気が新たに巣食う前に、いのちそのものは尽きていたのです。

 自分の足で歩く、自分の頭(脳細胞)で思考する、これがどんなに拙劣であっても、可能であればぼくたちは幸いであると考えてもいいでしょう。しかしいろいろな理由でそうはいかなくなることがありますし、だけれども、そのために人生は値打ちがなくなると早とちりする理由はなさそうです。「老いの坂」は「幼児の坂」と真逆です。下りと上り、それはまったく、見える景色も異なるし、出会う人も違う。「生き始める人」と「死に行く人」の決定的違いは何か。どこかで接点があるのか。笑われるかもしれませんが、それが、老人の「乳幼児帰り」です。今まで可能だったことが徐々に(急激に)できなくなる。それは悲惨で惨めなことか。一仕事を終えた、一休みするために、寝床に帰る人です。誰もが一度だけ通る、必然・必須の道です。

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 長谷川先生の言われる通りだと、ぼくには「わかりたい」気が強くします。「認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではない。自分の住む世界は昔も今も連続しているし、昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいる」「認知症になっても大丈夫。認知症になるのは決して特別なことではないし、むやみに怖がる必要はない」「認知症の人と接する時は、その人が話すまで待ち、何を言うかを注意深く聴いてほしい。『時間がかかるから無理』と思うかもしれないが、『聴く』というのは『待つ』ということ。『待つ』というのは、その人に自分の時間を差し上げるということ」

 ーー まず「衰える」ことを怖がらない、年をとるというのは、これまでできていたことがなかなかでき難くなることだと自覚するなら、なんとかかんとか、生きていけるでしょうか。ぼくと連れ合いと、どちらも「認知症」になるかもしれないし(いや、もうなっているよ、という声があります)、どちらか一方がなるかもしれない。それを今から心配しても仕方がないので、まあ、足腰を鍛えるのと同じく、記憶力や判断力も鍛える、そんな日常を送っていくことです。(いまのところ、そのためのカーブスやライザップはなさそうです。要するに、自主トレだな)

 「耄碌」と「認知症」は同じではありません。でも、ここにも通路はあります。何かが通って(行き来して)いるんだね。ここに紹介した中で、赤瀬川さんの「老人力」は、たしかにその通りだと思いました。老人度が増すというのは「老人力(例えば、物忘れ・ひがみなどなど)」の強度が高まるということで、それは決して「悲観」ばかりするものでもないでしょう。それをどのようにして、ゆとりを持って、自他ともにですよ、受け止められるか。「耄碌寸前」(と思いたいが、もう始まっていますね、ぼくは)、この先にも、深まる秋と同じように、得体のしれない変化や変容が生まれてくるのでしょう。楽しくもあり淋しくもあり。

・露の世は露の世ながらさりながら (一茶)

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 差別用語を巡っては基本的人権の尊重が表現…

 作中に差別用語…高校演劇巡り広がる波紋 主催者が映像化を中止、創作者は表現抑圧と反発

 9月に福井県福井市内で開かれた福井県高校演劇祭の上演作品で、一部の表現を巡って主催者と創作者が対立する異例の事態が起きている。作中に差別用語が含まれ、演じた生徒に批判が及ぶ恐れがあるとして、主催者側は映像化や生徒への脚本集配布を取りやめる方針を示した。一方、脚本を担当した上演校の元指導者は「表現の抑圧がまかり通るようになってはいけない」と主張している。

 渦中の作品は、福井農林高校演劇部による創作劇「明日のハナコ」。ハナコら女性2人の掛け合いを通して、1948年の福井地震から現代に至るまでの県内の動きをたどる中で、原発建設や東日本大震災を経ての原発再稼働などを描いている。原発を推進する人物が、発言の中で身体障害者に対する差別用語を用いるシーンもある。昨年度まで演劇部顧問を務め、10月まで指導員として関わった玉村徹さん(60)が脚本を書いた。

 県高校演劇祭は9月18~20日、新型コロナウイルス感染防止のため無観客で開催され、12校が参加した。例年は12月に福井ケーブルテレビが上演作品をノーカットで放送しているが、同社側は「作中に福井農林高を卑下する表現や差別用語、原発問題が出てくる」として、主催者の福井県高校文化連盟演劇部会に放映について問題がないか問い合わせた。

 これを受けて同連盟演劇部会は9、10月に県内高校の演劇部顧問による会議を開き、対応を協議した。福井農林高生徒への聞き取りやスクールロイヤー(弁護士)の意見を踏まえ▽差別用語を含む作品の放送により、生徒の安全が脅かされる可能性があることをテレビ側に伝える▽上演のDVD化もしない▽例年行っている脚本集配布をしない-との方針を決めた。

 同テレビ側は、この方針を踏まえ、同校の出演シーンをカットするとしている。

 同連盟演劇部会は福井新聞の取材に対し「原発に批判的な内容については表現の自由であり問題はないが、差別用語を巡っては基本的人権の尊重が表現の自由を上回る。生徒が批判される可能性もある」と説明。演劇部の生徒は当初、映像化されないことを残念がっていたが、波紋が広がり困惑しているという。

 一方、玉村さんは「原発を巡る実際の発言を取り上げており差別意識はない」と反発している。県内の演劇関係者や日本劇作家協会のメンバーらと「『明日のハナコ』上演実行委員会」を結成。今回の決定の撤回や、演劇部員への謝罪、演劇表現の内容を理由に不利益な扱いをしないこと―などを求め、ネットで署名活動を始めた。現在6800人を超える署名が集まっている。(福井新聞・2021年11月17日)

 

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 福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!

――『明日のハナコ』の排除を撤回し、基本的人権の侵害を止めていただくための署名にご協力ください――

このたび、福井農林高校演劇部の上演にかかわる顧問会議の一連の動きを、重大な表現への抑圧だと考える有志が、実行委員会を立ち上げ、上演にむけて活動を始めることにしました。実行委員会の求めることは、以下の通りです。

・10月8日の顧問会議で顧問会議で行われた決定3項目を撤回すること。(ケーブルテレビでの放映の禁止/記録映像閲覧の禁止/脚本集の回収)・福井農林高校演劇部員たちへ誠実な謝罪をすること。・今後演劇表現の内容をもとにあらゆる不利益な扱いをしないこと。・表現の内容に理不尽な介入をしないこと。・人権侵害を行ったことへの真摯な反省を表明すること。

〇ブログをはじめました! / ​最新の情報をこちらで随時発信します。ぜひご覧ください。(https://ashitanohanako1108.blog.fc2.com/)(https://ashitanohanako1108.wixsite.com/home

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 詳細は「実行委員会」の記述を見てください。この問題が発覚したのが十月、場所は福井でしたから、地元紙(福井新聞)がどのように報じるか、ぼくは様子を見ていました。しかし、いっかな記事になる気配がなかった。そのうちに、問題が外部にも知られるようになり、事態は思わない方向に進んだようです。高校演劇の実態ついては、詳しい情報を持っていませんが、ぼくの後輩の何人かが演劇部の顧問をやっていたり、自ら脚本を書いて上演するということもあり、また全国レベルの大会で受賞するなどの報告もしばしば受けていました。ぼくは芝居に情熱を持っているとはいいがたい人間ではありますが、この「ハナコ」事件は看過できないと、どうしたらいいか自分なりに愚考していた最中で、新聞報道があったのです。

 福井県の高校演劇祭で「原発問題」を扱った芝居を上演したところ、各方面(「忖度」連合)が、屁理屈をこねまわして、何かと邪魔立てをしてきた、それが今回の筋立てだったでしょう。上掲の福井新聞を読んでくださると理解できますが、「作中に差別用語が含まれ、演じた生徒に批判が及ぶ恐れがあるとして、主催者側は映像化や生徒への脚本集配布を取りやめる方針を示した」(主催者側)という、まことに生徒想いの心情に溢れる(というのは「真っ赤あな嘘」で、それは表面上の、あるいは建前上の理由。いわゆる「御為ごかし」というやつ)横槍を入れてきました。「作中に福井農林高を卑下する表現や差別用語、原発問題が出てくる」(福井ケーブルテレビ)としているが、問題をわざわざ逸らしているという感を否定できない。「差別用語」は高校生(出演者)が使ったのではなく、元首長が原発推進の政治アピールで用いたもの。摺り変えや、誤魔化しで、この高校生の演劇を葬ることに躍起になっている、醜悪なさまが見て取れます。誰に気兼ねし・遠慮しているのか、堂々と「それは、原電にです」といえばいいじゃないか。薄みっともない大人(本当は未熟なガキですね)のすることが、これですよ。ぼくも、とっくに「薹(とう)のたった大人」を長くやらされているけれど、こんな恥ずかしい、自己欺瞞の骨頂はできないな。

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 似たようなことはいつだって起こっている。つい先ごろ、多くの人々が開催に賛成しないという状況下で「東京五輪」が開かれた。もう遥か昔の出来事だったような気がします。レガシーは皆無で、後に残されたのは膨大な「赤字」だけ。ぼくは、きっと「(ごく一部には)感動と(多くの人民には)赤字を残す」といったものですが、実際にその通りだった。それが本当の「遺産」だ。その多くは都民や国民の税金で穴埋めされる・するそうです。(当初、七千数百億円とされた予算が、最終的にはどこまで膨れ上がるのか、いまだに明かされていません。怖くて公開できないんじゃないですか。大方の推計では三兆円をはるかに超過しているとされます)この「開催」に国民大多数の「反対の意向や批判」を封じたのが「ダラクマスコミ」でした。

 福井県内の高校演劇における県内マスコミの姿勢が、すでに腰が引けているというか、腰が坐っていない、骨がないということ、それは先刻承知のことだった。つまり「原電から助成金を頂戴している」ので、それが言動をいちじるしく鈍らせているし、いやそれ以上に、ちょうちん持ち記事しか流せないという惨状をきたしていると思います。でも、この地のマスゴミに、その自覚は、多分ないであろうと、ぼくは確信している。「忖度」という嫌な言葉が。昨年来、劣島中に知れ渡りましたが、福井でも事情は同じ。県民の生命与奪の権を握っているのが「原電」「原発会社」だからです。新聞もケーブルテレビも、回り回って(直接間接に)、「原発」会社に死命を制せられているんだ。「原電から補助金をもらっているから、それを批判することはできない」と誰かが言っているが、莫迦もここまでくれば出来上がりですね。ぼくも「原発由来の夢のエネルギー」を消費している人間です。だからといって、東電に「何か」をぶつけることは止めたことはない。もう、人民の生命を剥奪するような「政商」とグルになるのは、金輪際止めた方がいい。

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 (劇中に、こんなくだりがあります)

ハナコ 一九七〇年福井県敦賀原子力発電所一号機稼働。同年、福井県美浜原子力発電所一号機稼働。一九七二年、福井県美浜原子力発電所二号機稼働。一九七四年、福井県高浜原子力発電所一号機稼働。一九七五年、福井県高浜原子力発電所二号機稼働。一九七六年、福井県美浜原子力発電所三号機稼働。一九七九年、福井県おおい原子力発電所一号機稼働(以下略)

小夜子 こんなのもあるよ。
「まあ原子力発電所が来る。電源三法の金はもらうけど、そのほかに地域振興に対して裏金よこせ、協力金よこせ、というのがそれぞれの地域にある。お宮さんの修理のために原電、動燃、北陸電力に頼んで三億円できた。そんなわけで短大は建つわ、高校はできるわ、五〇億円で運動公園はできるわ。そりゃもう棚ぼた式の街作りができる。そのかわり一〇〇年たってカタワが生まれてくるやら、五〇年後に生まれた子供が全部カタワになるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階で原発をおやりになった方がよい」
ハナコ それ誰。小夜子敦賀市長。石川県の志賀町で原発建設の話が持ち上がったときに地元商工会に招かれてしゃべったらしいのね。直後にマスコミに漏れて世論の批判を浴びて次の選挙で落選したけど」(以下略)(同台本から)

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 今回の農林高校演劇上演に対してイチャモンを付けた経緯はお判りだろうと思います。「差別用語が使用されているから、演劇はダメだ」という、何処をひっくり返せば、こんな屁理屈が通るのか、「差別」を、根本のところで、悪用しているのではないか。原発立地にたいする褒美として、様々な名目の「報奨金」が入ること、それを当てにして行政を進めていけるのに、このような状況下で高校生如きが「原発問題に首をつっこむ」のは風紀上、青少年健全育成上、きわめてよろしくない、(実際は、高校生にこれをしゃべらせた元顧問が張本人であるとは言わないし、そうではなく、高校生に被害が及ぶことを心配していると、猫なで声で、しかも嘘までついて囁く、なんとも気味が悪いさ)という本音を出さないで、いかにも「生徒指導上」よろしきを得て、あらかじめ「庇ってあげるのだ」ということが、「お為ごかし」だと、ぼくは言うのです。まったく正反対で「顧問」を含む大人たちをやり玉に挙げたいのは山々だし、それに唆(そそのか)された高校生も「不善・良」(言ってはいけないことを言い募っているから)ではある。しかしそれをぶち撒けたら、とんでもない方向に事態は進むから、「お為ごかし」という「見え見えの下等戦術」を演じて、「原電」からおこぼれ頂戴派は足並みをそろえたのです。薄汚いね。なんとも狡(ずる)い輩たちです。

○おため‐ごかし【御為ごかし】=〘名〙 (「ごかし」は接尾語表面は相手のためにするように見せかけて、その実は自分の利益をはかること。御為尽(おためずく)。じょうずごかし。※浄瑠璃・祇園女御九重錦(1760)二「『必油断なされな』と、お為ごかしに云ひ廻せば」(精選版日本国語大辞典)

● 御為ごかしの類語=裏切り・内応・内通・気脈を通じる・背信・背徳・背任・変心・寝返り・密告・讒言・讒訴・誣告・告げ口・垂れ込み・言い付ける・打算的・功利的・欲得ずく・算盤ずく・媚びる・へつらう・おもねる・取り入る・ごますり・阿諛・卑屈・媚び諂(へつ)らう・取り巻く・媚びを売る・胡麻をする・鼻息をうかがう・太鼓を叩く・機嫌を取る・尻尾を振る・歓心を買う・色目を使う・秋波を送る・気を引く・気を持たせる・調子を合わせる・追従(ついしょう)・おべっか・おべんちゃら・諂巧(てんこう)・諂阿(てんあ)・諂曲(てんごく)・諂笑(てんしょう)・諂媚(てんび)・諂諛(てんゆ)・阿付・迎合・へいへい・へいこら・ぺこぺこ・曲学阿世・味噌を擂(す)る・意を迎える(デジタル大辞泉)

● にほん‐げんしりょくはつでん【日本原子力発電】=原子力発電所の建設・運転および電気の供給などの事業を行う発電事業者東海発電所(平成10年(1998)運転終了)・東海第二発電所敦賀発電所を運営する。東京電力など電力会社9社と電源開発が出資して昭和32年(1957)に原子力発電専門の電力会社として設立された。原電。日本原電JAPC(Japan Atomic Power Company)。(デジタル大辞泉)

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 世界に類のない原発集中立地のこの県で、こうした表現の抑圧がまかりとおるようになれば、日本中の表現者にとって、重大な抑圧への一歩です。表現の自由は、基本的人権の最重要な一つです。生徒たちの表現への悪罵とも言える三項目の決定は、あらゆる人の基本的人権に対する敵対宣言と言えます。今これを看過したら、今後も権力者や学校当局などにとって不都合な表現は演劇部活動では抑圧・排除されることになるでしょう。

 すでにそういう動きが、他の学校の劇に対しても圧力としてなされています。これはとても危険な動きです。私たちは、歴史に汚名を残しかねないこの愚行を撤回させたいと思います。心ある市民の皆さんの署名の力で、撤回させたいと思います。ご協力お願いします。(「明日のハナコ」上映実行委員会)

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 「砂上の楼閣」という。「見かけはりっぱであるが、基礎がしっかりしていないために長く維持できない物事のたとえ。また、実現不可能なことのたとえ」(デジタル大辞泉)なぜだか、ぼくたち自身の人生も、同様に「砂上の明け暮れ」と思えてくるのですから、不思議・不可解です。どこかで「蜃気楼」に触れましたが、ここでもいたるところで「蜃気楼」現象が発生しているのではないかとさえ思えてくるのです。あるいは、蜃気楼と同じような現象である、真夏の「逃げ水」なのかも知れない。今回も、事件の現場は「学校」でした。「いい加減にしてよ、学校」「いい加減にしろよ、教師たち」と、怒りやら情けなさやらの塊を、各方面にぶっつけたいのですが、それが当方に間違いなく、跳ね返ってくるんだなあ。それは望むところ、それを避けていても仕方がないじゃん。「人権と差別」という問題を一から学びなおした方がいい「大人が五万」といるということが判明しただけでも、これが問題になった意味はあるさ。弁護士や学校「演劇」関係者のお偉いさんよ、目を開けて、居眠りしている場合じゃないですよ。

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 なぜ「ミルク」の名が海軍給油艦に冠せられる?

米海軍、給油艦をハーベイ・ミルクと命名 ゲイ公表の政治家

(米国の同性愛者運動家ハーベイ・ミルク氏の肖像をあしらった切手の発表式典。首都ワシントンで)(2014年5月22日撮影、資料写真)。(c)JIM WATSON / AFP

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 米海軍、給油艦をハーベイ・ミルクと命名 ゲイ公表の政治家

【11月6日 AFP】米国の政治家として初めてゲイ(男性同性愛者)であることを公表し、42年前に暗殺されたハーベイ・ミルク(Harvey Milk)氏の名前を冠した米海軍の給油艦が6日、披露される。◆全長227メートルの給油艦ハーベイ・ミルク(USNS Harvey Milk)の命名には、時代に合わせて変化しようとする米軍の姿勢が表れている。◆ミルク氏は、米軍が同性愛を禁止していた時代に海軍の潜水士として勤務。退役後は同性愛者であることを公言し、サンフランシスコ市管理委員会の委員に選出され、性的指向を理由とした差別を禁止する法律の成立に貢献した。◆しかし、公職に就いてからわずか数か月後の1978年、不満を抱いた元委員によってジョージ・モスコーニ(George Moscone)市長と共に射殺された。◆6日にサンディエゴ(San Diego)で行われる命名式には、カルロス・デル・トロ(Carlos Del Toro)海軍長官が出席する。◆デル・トロ長官は海軍のプレスリリースで「ハーベイ・ミルク氏のような先達は、経歴や経験の多様性が、わが国の強さや決意に寄与することを教えてくれた」と評し、「この艦に乗る未来の水兵たちが、ミルク氏の人生と遺産に触発されることは間違いない」と述べている。(c)AFP(2021年11月6日 16:11 発信地:ロサンゼルス/米国 )(https://www.afpbb.com/articles/-/3374614?cx_part=top_category&cx_position=1)

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 エプスタイン監督の記録映画が作られたのは1984年、その後に、ぼくはDVD版を入手し、繰り返し観たものでした。それ以前にも、「ゲイ」や「ホモ」という言葉や現象などに関しては興味本位の域を出ない範囲で、まことに無責任な扱いに終始していたのでした。学生のころ、新宿や上野の街で、それらしきバーなどにも通ったりした。しかし、問題の本質にはまったく触れられなかったというか、触れようとはしなかった。初めてこの「記録映画」を観たとき、ぼくは、大げさではなく「世界観」が変わった。「男と女」という枠内でしか人間を考慮しないことが、どんなに窮屈で、かつ独善的であったか、それを思い知らされたのでした。ミルクという人は実に勇敢であったと、いまさらのように考えています。「男」、「男らしさ」への、早い段階からの違和感、さらには異議申し立て、それが彼を政治家にして行った理由であったかもしれないと、ぼくはつくづく考えました。

 不思議なもので、いささかの問題意識を持ち始めると、今までに視野に入らなかった場面や状況が少しずつ見えてくるようになった。関心を持つということの大きな意味だったと言えます。ミルクの活動が明確なものであり、確信に満ちたものであることが明らかになると、彼を熱心に応援するサポーターが増えると同時に、彼を排除しようという勢力も、同時に顕在化していきます。それが78年の銃撃による暗殺事件でした。その前年、ミルクは三度目の立候補で初めてサンフランシスコの市会議員になっていた。だが、彼は市のホールで、市長とともに銃撃された。その瞬間も映像に残されていた。(奇異な感がしたのは事実です)銃撃したのは彼の同僚の市会議員だったダン・ホワイト。

 彼は逮捕され、有罪判決を受けたが、五年で「自由の身」になっている。ぼくはこの当時のサンフランシスコの新聞を取り寄せ、判決以降の経緯を知ることになった。彼は、ある種の英雄でもあったのだろうか、事件の背後にも、あるいは事件発生後にも大きな力が裏で働いていたという報道がなされていた。その後、ダンは、自宅の車庫で排気ガスを吸って自殺をしたという。

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● レズビアン・ゲイ解放運動【レズビアンゲイかいほううんどう】=家父長制社会は異性愛の強制によって維持される。たとえば社会が〈日本には同性愛者は存在しない〉と装うとき,あるいはメディアのなかで特殊な同性愛イメージを氾濫させるとき,現実の同性愛者は自分のセクシュアリティについて沈黙を強いられ,心理的・社会的・身体的な閉鎖空間(クロゼット)に閉じこめられがちである。レズビアンゲイ解放運動は,同性愛者が公的な空間において自分のセクシュアリティ(セックス)を明らかにすることでその存在を社会に知らしめ(カムアウト),日常的な他人とのコミュニケーションから法にいたるまでの,あらゆる場面の闘争に政治的に関わり,そこで自分なりの新しい生き方をつくっていく運動である。同性愛差別に対するそれまでの先駆的な努力と,1960年代の公民権運動ウーマン・リブなどを背景に,1969年のストーンウォール暴動をきっかけとして各国に波及した。その結果米国では1973年に同性愛が医学的に異常,倒錯とはみなされなくなり,サンフランシスコでは1977年ハーベイ・ミルクがゲイとしてはじめての行政執政官に選出された。またデンマークスウェーデンでは同性同士の結婚が認められるようになり,1996年には南アフリカ共和国憲法で性的指向による差別の禁止が世界で初めて明文化された。日本でも1970年代後半から様々な組織が誕生する。1991年には公共施設の使用問題をめぐり,レズビアン・ゲイ団体〈アカー・動くゲイとレズビアンの会〉が同性愛者の人権を求める訴訟を起こし,1994年からは毎年東京レズビアン・ゲイ・パレードが開催されるなど,独自のレズビアン・ゲイ解放運動が展開されている。ゲイ文学やレズビアン文学の抬頭も解放運動の一翼をになっている。(マイペディア)

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The Times of Harvey Milk Director: Robert Epstein 1984/ USA/ Documentary/ 87min/ Language: English/ Subtitles: Japanese(1984年/米国/ドキュメンタリー/87分/監督:ロバート・エプスタイン=1955年、米国、ニュージャージー生まれ。本作を含め二度、アカデミー最優秀ドキュメンタリー賞を受賞している。最新作はビート文学の詩人ギンズバーグを描いた『Howl(ハウル)』(2010)で、『セルロイド・クローゼット』(1995)、『刑法175条』(1999)同様にジェフリー・フリードマンと共同監督)

 ゲイたちが公の場で手をつなぐことも違法とされていた1970年代のサンフランシスコ。ハーヴェイ・ミルクは草の根運動で偏見と闘いながら、市政執行委員に当選する。彼は市長とともに、ゲイだけでなくマイノリティや弱者すべてに対する差別撤廃を訴えていった。が、公職に就いて1年足らずでふたりは保守派の凶弾に倒れる。しかも、狙撃犯の保守派政治家D・ホワイトの裁判は、驚くべき展開をみせた・・・。▼この映画は、ミルクの友人・知人へのインタビューや在りし日の記録映像によって、人物と時代を丸ごと描くことに成功した不朽のドキュメンタリーであり、普遍的な視点や社会へコミットする勇気と希望を与えてくれる作品である。(https://www.amnesty.or.jp/aff/about/archive_2011/the_times_of_harvey_milk.html)

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https://www.youtube.com/watch?v=AWC6-aVJhxQ

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 ぼくの性的傾向は世の中の定めた範囲内で収まって来たと思う。それは趣味でも冒険でもなく、傾向であり、性の志向性でもあるのですから、それが時には人を大きく動かし、変えることになるはずです。おそらくぼくは、この記録映画を十回以上は見ていると思う。その度に、ミルクという人の勇気(courage)、あるいはその振舞い(courageous behavior)に強く刺激されてきた。これを見てほしいと多くの人にも勧めました。もちろん若い人には積極的に。そのなかに、強く印象に残っている、一人の「女性」がおられました。いまはある団体の代表をされ、この問題(LGBTQ)に関して積極果敢な活動を展開されています。

 当時、ぼくの処へ来られて、「このDVDを貸してほしい」と言われた。何日か過ぎて返却に来られた。杉山文野さんでした。いまでは大変に精力的な活動をされていて、それを知るにつけ、ぼくは「ミルク」と重ねて杉山さんを見てしまうのです。この島社会でも時代とともに、問題に対する関心が深まっているように見えます。しかし、問題の関心が広まり、活動が活発になればなるほど、それに敵対する勢力も強大化していきます。ぼくに何かできるだけの余力はありませんが、杉山さんたちの活動がさらに前進することを脇の方から「応援」するばかりです。(杉山さんのHPのURLです。https://fuminos.com/)

 例えにしてはあまり適切ではありませんが、かかる活動が広がりと深まりを見せると、ある立場の連中の「モグラ」叩きが始まります。LGBTQの解放が進むと不都合であるという人々が、その活動そのものを「モグラ」に見立てて、阻害し、阻止することは止めないのでしょう。でもそれもある時期までで、ここまでが大変だったという思いは、ぼくのような人間にも感じられます。だからこそ、この流れを止めないこと、それだけでも大変な精力を必要とするでしょう。閉塞状況を打破することによってはじめて解放が達成されるのは、これまでの歴史が示しています。(「Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)、QueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング)の頭文字をとった言葉で、性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称のひとつとしても使われることがあります。以下略)(https://tokyorainbowpride.com/lgbt/)

 「ハーヴェイ・ミルクの時代」がそれを明確に示しています。すでに「賽(サイ)は投げられた( The die is cast.)」のだと言っておきたい。これまで蓋をされていた「禁忌」(に等しい状況や扱われ方でしたから)を突き破る行動が始まったのです。カエサルの顰に倣うと<Alea jacta est>であり、もうすでにルビコン川を渡ったのだと思います。現下の状況は、このぼくにしても部外者面をして、拱手傍観は許されないでしょう。けっして安閑とはしておれないし、高みの見物を決め込むわけにはいかないのです。若い人が大いに行動を強めていくことを、ぼくは熱望するし、それぞれが自らの「性的志向性」に忠実に生きることが求められる時代に入っているのです。

 ミルクがなくなって、四半世紀以上が経過しました。ぼくはアメリカの現状に詳しくはありません。しかし、大きな流れから見ると、猛烈な「反動」や「反作用」が来ているようにも思われます。黒人差別撤廃に至るための「公民権」運動の歴史を見ても、それが実感されるのです。この社会は、ことのほか旧態依然たる「ジェンダー文化」を誇りにすらしている始末です。それも、しかしある時期までのこと、それは「戦前と戦後」が一夜にして、価値観まで変わったかと思われるほどの変貌を示したように、ある意味では地殻変動はとっくに始まっていて、多くはそれに気が付かないままでいるのでしょう。戦前と戦後の一変を「演出した」のは「GHO」でした。この時代、この課題について、いったいなにが「GHQ」にとって代わるのでしょうか。

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 米国ウィスコンシン州に暮らすメモ・ファシーノさんと夫のランス・ミエさんは、5年前から自宅の玄関先にレインボーフラッグを掲げていた。ところが先月、地元の不動産管理組合(HOA)がアメリカ国旗以外の掲揚を禁止する方針を固めた。何でも近隣住人がBLMやシン・ブルー・ライン(警察への敬意を表すシンボルだが、BLMに反対を示すのに用いられている)などの旗を掲げていたのが、理由だという。/ その翌日、何者かが管理組合に通報したようで、ファシーノさんの元にレインボーフラッグを片付けるようメールが届いた。ファシーノさんは要請に応じ、レインボーフラッグを撤去。しかし、性の多様性を支持する方法はないかと考えたファシーノさんは、驚きの行動に出た。(FINDERS:https://finders.me/articles.php?id=2858)

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 最後に、疑問を呈しておきます。アメリカ海軍当局はどうして給油艦に、ハーヴェイ・ミルクの名前を付けたのでしょうか。真意というものがあるのでしょうが、ぼくにはよくわかりません。「時代に合わせて変化しようとする米軍の姿勢が表れている」「ハーベイ・ミルク氏のような先達は、経歴や経験の多様性が、わが国の強さや決意に寄与することを教えてくれた」このコメントは、たしかに理にかなったものとも言えそうですが、いかにも通り一遍(a superficial explanation)でしかないようにも思えます。「希望」という灯りを、自らのいのちと交換したかとも思われるミルクの名を、戦争の重要な武器の一つに付与するというのは、あまりにも冗談が過ぎると言えます。ミルクの生涯を冒涜するものではないでしょうか。

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