御迎ひの雲を待身も桜哉

 寺のシンボル 満開 津和野 【津和野】島根県津和野町後田の古刹(こさつ)・永太院(えいたいいん)のしだれ桜が満開を迎え、多くの桜ファンが撮影に訪れている。/ 桜は樹高10メートル、幹の太さ2・5メートル、枝張り15メートル。明治初期に植えられたが落雷のため上に伸びず、残った4本の枝が横に広がり、しだれ桜のように生育したとされる。/ バイク仲間2人と全国二十数カ所の観光地をツーリング中に立ち寄ったフランス人のフーゴ・ディレッテルさん(25)は「日本の桜はきれいだ。このしだれ桜は素晴らしい」と桜をバックに撮影を楽しんでいた。/ 森山道宣(どうせん)住職(32)は「中世に津和野を治めた吉見家が約500年前に開いた由緒ある寺のシンボル的な桜。多くの人に春の美しさを楽しんでほしい」と話した。(青木和憲)(山陰中央新報デジタル・2023/03/28)

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● こばやし‐いっさ【小林一茶】=江戸後期の俳人。通称、彌太郎。本名、信之。信濃柏原の人。三歳で実母に死別し、八歳以後継母の下に育てられる。一四歳の時、江戸に出る。のち二六庵竹阿(ちくあ)の門に入り、俳諧を学ぶ。全国各地に俳諧行脚の生活を送ったが、晩年は故郷に帰り、俳諧宗匠として安定した地位を得た。しかし、ようやくにして持った家庭生活は妻子に死なれるなど不幸であった。その作風は鄙語、俗語を駆使したもので、日常の生活感情を平明に表現する独自の様式を開いた。著に「おらが春」「父の終焉日記」など。宝暦一三~文政一〇年(一七六三‐一八二七)(精選版日本国語大辞典)

 以下、桜に因む一茶の句です。いずれも「文政句帖」所収。文政5年(1822年)から文政8年(1825年)にかけての句日記。一茶(1763.6.15ー1828.1.5)の六十代の初めのもの。ぼくには、句作当時の一茶の年齡を遥かに超えているにも関わらず、よく受け取りかねるものも数句もあります。思い半ばに過ぐるものもまた、いくつかあります。彼の桜を詠んだ句は、五十や百どころではない。桜は、一茶にとっては「生活」の背景であり、前景でもあった。自らを桜に見立てたり、桜を貶めたりと、一茶の面目がはっきりと伺える句題だったし、それほどに桜は一茶の身近にあった。

 これは、すでにどこかで触れていると記憶していますが、二句目の「日の本の山のかひある桜哉」、ぼくにはよく理解できないものです。ぼくたちが思うほどに、一茶は「日の本」に思い入れを保っていたとは考えられないのですが、この句以上に「大和魂」を詠みこんだものがあるのですから、面倒ですね、「桜花」は。この句と対局にあるのが、三句目でしょう。これはぼくにもよく分かるもの、とにかく、貧富を問わずに桜花、と、そこには、我が意を吐露した一茶がいます。

 津和野の永太院の「しだれ」について、数年前にも写真でしたが、見たことがあります。その時から見れば、随分と樹勢が衰えたように、見た目でもわかる。桜の寿命は、長いのは一千年を越えます。しかし、ぼくたちが「さくら」と慣れ親しんでいるものはほとんどがソメイヨシノで、長くて百年もつか、そんな樹齢ですから、なんとも咲き急ぎというか、急かされているという事情に、ぼくは桜の身に成り代わって、同情するものです。枝羽織る、根っこは踏む、飲めや歌えで、いくら木であっても、毎年一度は、辟易しているに違いない。桜・サクラ・さくら、三日見ぬ間の桜かな。人知れず咲いて散る、その奥ゆかしい山桜がいいですね。想像するだけでも満たされます。

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・人顔は下り闇也はつ桜

日の本の山のかひある桜哉

・吹けばとぶ住居も春は桜哉

・本降りのゆふべとなりし桜哉

・来年はなきものゝやうに桜哉

・御迎ひの雲を待身も桜哉

・桜咲く春の山辺や別の素湯

・何桜かざくら銭の世也けり

・今からは桜一人よ窓の前

・穀つぶし桜の下にくらしけり

・翌あらばあらばと思ふ桜哉

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 「来年はなきものゝやうに桜哉」というのは、桜の見納めを詠んだのだと思えば、溜息が出ます。この二年後に、一茶は身罷(みまか)るのですから。若い頃は、死というのは、ぼくにとっては「モーツアルト」が聴けなくなることと、浮いたことを言っていました。アインシュタインという音楽学者の言だったと思う。受け売りしていたものです。やがて、還暦も過ぎた頃から、「桜が見られなくなる」、それがぼくの「死」への想いになった。これも誰かが早くから言っていそうです。宣長さんの言いそうな「セリフ」ではないでしょうか。たしかにぼくは、桜大好き人間ですが、花見は好まないというより、大嫌いです。まず出かけたことがない。一人か二人で、人のいない、人の知らない山里に入って、偶然に桜木に出会うということを念じていたし、何度かそういう「桜】「花」を楽しんだことがあります。大袈裟に言うなら、花の色はもちろん、桜花の匂いまでが記憶に残っていると言いたいほどに、一瞬の桜花を堪能してきました。ぼくにとって、桜といえば、山中に隠れて咲く「山桜花」ですね。

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)