無理をしない、「ありのまま(自然)」に

 昨日、京都保津峡の保津川下りで観光船が転覆し、死者が出たというニュースがありました。現地は、山陰線の保津峡鉄橋の直下で、小学生の頃はしばしば遊んだところでもあり、事故の痛ましさと、懐古の情が混交して複雑な気持ちになりました。観光船の出発地は亀岡市です。ここにも想いが深く、数年前に友人と訪れて、いささかの変わりようも見せなかったのを懐かしみました(出かけたのは夜だったせいもあるかも知れぬ)。この地は大本教発祥の地であり、明智光秀が謀反の策略を思い立ち、信長を討つために亀山(亀岡)城に籠もり、その後愛宕神社にで「本願成就」を祈願、保津川を桂川まで下って、そこから北上して本能寺に向かったという。また、江戸時代に庶民の支持者を多く保った「石門心学」の祖、石田梅岩の生地でした。若い頃、先輩が「心学研究」の徒であったので、早くから梅岩を知ることになった。農・商人道の教義・哲学を広めた梅岩は、その集大成として「都鄙問答」を表しています。若さに任せて読破した記憶があります。「都」はみやこ、「鄙(ひ)」はいなか。

 本日の「日報抄」を読み、まず「梅岩」の記憶が呼び出され、「都・鄙」が浮かびました。加えて保津川下りの事故が思われ、大本教の聖地亀岡が思われ、…我が想念は千々に乱れたのでした。亀岡には中学校時代の担任であり、卒業後に文通を絶やさなかった、たった二人の教師の生地でもあった。昨日は思わず書き殴った「ありのまま」の続きを書こうとしたのですが、「亀岡」「保津川」がそれを阻止した格好です。「あるがまま」「ありのまま」「Let It Be」は生き方の流儀であり、それを身につけることは、それだけでも大変な態度のようにも思われてきます。しかし、そう思うのは、きっと、どこかで人生の「果報」「栄達」「出世」「成功」などという血迷いごとに冒された証拠でもあると、ぼくには感じられても来る。あるがまま、それは「今を生きている」姿勢そのまま、それがどうあろうと「あるがまま」「ありのまま」にきっと繋がるような、一種の改心をもたらすのではないかと考えてもいたのです。LET IT BE,が若者の「流儀」になるとは思われません。それなりに人生の道を踏み出していればこそ、「Let It Be !」で救われるのでしょうから。

 「ありのまま」「あるがまま」「Let It Be!」という流儀は「自然」「自然体」をいうのではないですか。取り繕(つくろ)わないこと、ですね。

 HHHH

 本筋かどうか、ぼくには断言できませんが、「自然」がいいですね。「自然=天然」といえる一面があって、「そのようにある」「あるようにある」ということ。一面では、人為・人工を受け付けない趣もあります。しかし人間が住むところに「自然(界)そのもの」は存在しないのも事実であり、いわば「自然に関わる」「自然に手を加える」という人間の生活(行為)が関与している「自然」があるのでしょう。自然への関わり、働きかけを「文化(culture)」といいます。無から有を生み出すのではなく、自然を活かすという、働きかけが問題となります。その「文化」が行き過ぎる・行き渡ると、自然的要素が、じょじょに失われます。多くの自然的要素が奪われた状態を「文明」と言ってもいいでしょう。「文明」と「文化」のせめぎ合い、そこから、だんだんに「文明」が覇権を奪ってきたのが「現代」という病なのかもしれない。「文明病(disease of civilization)」です。(右写真は、大本教本部。丹波亀山城跡です。亀岡市内)

 言わずもがな、ありきたりの「都鄙問答」に堕することをお断りします。

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【日報抄】ご近所の庭のハクモクレンが咲いた。ぷっくりと丸みを帯びた花が愛らしい。優しい乳白色の花びらが、青空によく映える。さあ春本番ですよ。花が語りかけてくるようだ▼別のお宅の庭では、シモクレンのつぼみが膨らんでいた。こちらはまだ紫の花の色がわずかにのぞく程度だが、間もなく白い花の仲間に追いつくだろう。鮮やかな紫と乳白色の共演が楽しみだ。心躍る季節である▼モクレンと聞いて人気バンド「スターダスト・レビュー」の「木蘭の涙」を思い浮かべる方もいるだろう。こちらは切ない曲だ。いとしい人が春の日に空へと旅立ち、モクレンのつぼみが開くのを見るたび涙があふれる-。こんな歌詞に触れると、にっこり笑って咲いているようなモクレンもどこか哀感を帯びて見える▼モクレンはコンパス・プラント(方向指標植物)として知られている。日当たりなどの条件にもよるが、北を指すようにつぼみをつける。春の暖かい日差しで、つぼみの南側の成長が進むため先端が北に向くらしい。一心に北を向いて咲く姿は、けなげでもある▼周囲を見渡せばモクレンに加え、黄色いレンギョウや青いムスカリもお目見えした。新潟市では一昨日、統計開始以降最も早く桜の開花が宣言された。上越市の高田城(じょう)址(し)公園の観桜会はきょう開幕する▼色彩にあふれる季節だ。鼻歌の一つも出てきそうになる。ただ「花の命は短くて」の例えもある。モクレンを見て大切な人をしのぶように物思いにふける。そんな春もいい。(新潟日報デジタルプラス・2023/03/29)

 都会に長く住みつき、そこから田舎に移り住んでほぼ十年。都と鄙と、いずれをとるか。好みは人それぞれでしょう。ぼくは明らかに田舎派です。かみさんは間違いなしに都会派。性格から趣味その他まで、ある意味では両極ですな。合うはずがありません。なにかと衝突する。しかし、ぼくの付き合い方、特にかみさんとの交際の眼目は「勝つと思うな、思えば負けよ」です。相撲で言えば、八勝七敗は勝ち越しでしょ、でも、ぼくはそんなところは狙わない。戦えば負けるという戦法に徹してきた。相手は、負けてたまるかという姿勢で一貫しています。だから、孫子の兵法かどうか知らないが、「負けるが勝ち」であり、「逃げるが勝ち」を貫いてきた。そうこうしているうちに、相手は「与しやすし」とたかをくくるようになり、以来、その態度はいささかの変化もない。

 ぼくが「破(わ)れ鍋に綴(と)じ蓋」という所以です。性格はまったく正反対というのでしょうが、極端な右と、極端な左は隣り合うというもので、だから「似た者同士」という逆説が成り立つのわけです。どっちが「破れ鍋」で、どっちが「綴じ蓋」か、言わないことにします。ヒビの入った鍋には、それにふさわしい綴じ蓋、つまりはそれに合うように修繕された蓋がある(必要だ)というのですね。自慢ではありません。これで、我らは「五十年」、昔風に言えば「金婚式」だそうで、何がキンコンか、ぼくにはわからない。普通に行けば、キンコン(金婚)、カンコン(冠婚)と目出度い狼煙が揚がる場面ですな。

● 破(わ)れ鍋に綴じ蓋 = 欠けたりひびが入った鍋にも、相応の修理したふたがある。どんな人にもその人にふさわしい相手がいること、また、それぞれ欠点があり、似かよった男女二人が所帯をもってともに暮らしていることのたとえ。[使用例] ひょっとすると、割れなべにとじぶたでうまくいくのではないかと、一同期待していたのだが[野坂昭如*真夜中のマリア|1969][解説] 破れ鍋は、欠けたりひびが入ったりしている鍋で、綴じ蓋は、閉じるふたではなく、修理したふたの蓋。〔英語〕Every Jack has his Jill.(どのジャックにも似合いのジルがいる)(ことわざを知る辞典)

 今春は、木蓮の花が、拙宅で初めて咲きました。苗木から育ったもので、十年は過ぎています。そのそばには「ムスカリ」も咲いています。植えた記憶はないので、どこかから飛んできたか、前からそこにあったが、気が付かなかったか。田舎住まいの取り所は、少し歩けば、いろいろな樹木や草花がいたるところに満ちているという点です。自然環境そのものが「植物園」であり「花園」です。またそれは、場所によっては「動物園」でもありうるのですから、まるで我々もその仲間に入っているような錯覚(自覚)に襲われます。

 散歩していて、少し目を上げると遠くの方で空を突くように枝を広げ白や紫の華をいっぱいに開いている木蓮(紫木蓮)に出会う。一本や二本ではない。まるで桜かと見紛うような鮮やかさです。今年も花を咲かせたかと、すれ違いざまに「お礼」がいいたくなる。まるで、今風に言うと「ランドマーク」ですね。それがあちこちにあるのですから、まるで、家々の「表札」のようでもある。さらに雑木林の奥深くには何本も桜が、その艶やかさ、静謐さを語っているようで、人がいてもいなくても、花を開き、花が散る、いかにも孤独な営みを繰り返しているのでしょう。足元を見れば、ムスカリの青。ムスカリはユリ科だという。いたるところに青い花をつけ、群れだって生えています。(*「木蘭の涙~acoustic~」・スターダスト☆レビュー)(https://www.youtube.com/watch?v=PXiDYEhsuS0&ab_channel

 やがて、田んぼでは水がはられ、一月も経てば、いよいよ「田植え」の季節到来で、弥生時代以来の悠久の歴史の舞台開きに、稲作民族の末裔の末裔、その弱々しい心臓が躍動するのが、いかにも春の証だと思う。幼児の農作経験者からすれば、万事が機械化の時代ですから、苗代、田植え、草取りと続く一連の農作業も、なんとも味気ないという寂しさを覚えますが、それは懐手をして歩く、非農耕民の感傷にすぎないのはよくわかっています。老人一人で、トラクターに乗り込んで、一日で五反も六反も植え付けするのに、文句も何もあったものではありません。

 昔から、「植え付け半作」と言われてきました。田植えが無事に済めば、収穫の半分は手に入れたも同然ということだったでしょう。「半作」の大部分は収税という名で取り上げられてきた歴史でもあります。「四公六民」「五公五民」という税率は有無を言わさぬ強制であった。今はいい時代ですね、といい切れないところに、今の「悪代官」「愚連領主」の暴力体質は江戸以前に通じているのですな。

 それ程に、田植えは大事な作業だった。それは、今日の機械化時代にも通用する表現でしょうか。気候変動に脅かされる時代ですから、いつ何時豪雨や暴風の襲来を受けるかもしれないとなると、「植え付け半作」などと言ってはおられないでしょうね。ともかく、「季節は巡る」ということに突きます。

・木蓮のみえて隣のとほきかな (久保田万太郎)

・木蓮の花ばかりなる空を瞻(み)る (夏目漱石) 

・はくれんや含羞の白おづおづと (鷲谷七菜子)

● しこう‐ろくみん【四公六民】= 江戸時代の年貢率の一。その年の収穫高の4割を年貢として領主に納め、6割を農民の所得とするもの。[補説 ]江戸時代中期以降は五公五民になったとされる。(デジタル大辞泉)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)