「当たり前」は偶然(奇跡)の重なりです

 

春たけなわ(闌)という頃合いです。しかし、このうららかな気候にはそぐわない心境が続いているような気がします。まあ、一種の「精神の花粉症」のようなものでしょうか。ぼくの心持ちが「くしゃみ」や「鼻水」に見舞われているといった塩梅です。ぼくの二十代は「経済成長期」と持て囃され、「社畜(company slave)」という言葉が蔓延したもので、日本型企業社会、つまりは会社第一主義の時代でした。やがて、経済大国とか先進国と言われたのを幸いに、自らも恥ずかしげもなく自称(僭称)するようになった段階で、実は下り階段を転げるように堕(お)ちだしていたのでした。バブル現象という「蜃気楼」を目の当たりにしたのも、その後の「堕地獄」の前兆だった。しばしば通っていた勤務先近くの、狭いのが取り柄だった「喫茶店」、よく知っていた出版社の社員だった女性が一念発起して始めたものでした。敷地は十坪あるかないか、そんな土地が、なんと「一億円」で買われたという。その直後に行って見ると「都合により閉店します」という張り紙がありました。また、毎日のように通っていた、近くの飲み屋、「まずい焼鳥 水っぽい酒」を売り物にしていたが、それも地上げにあって閉店。何ヶ月か後に、その店の女将さんと自宅(千葉市)近くでばったりであった。この時の売却費も半端なものではなかったと訊きました(喫茶店の二倍以上の価格で売れた)。(週刊エコノミストOn line:https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210817/se1/00m/020/024000c)

 つまらないことを綴っていますが、どんなに地道に生きていこうとしても「札びら」が飛び込んでくると、毎日(額に汗する」「何かと齷齪する」ことがなんか虚しいというか、バカバカしいという気になるのでしょう。何代も続いた老舗だから、この土地は売らないと頑張っていると、とんでもない連中が来て、「出て行け」「火をつけるぞ」と脅しや嫌がらせの襲撃を掛ける。これも実見に及んだ景色だった。裏に回って、表では暴力団を使っていたのがこの島の代表的な銀行群だったことが知られています。経済ではなく、有形無形の「暴力」がこの国の経済や政治を乗っ取っていたのでした。やがて「バブル崩壊」という大団円ならぬ「破局」が劣島を襲う。爾来、二十数年。「夢よもう一度」というのは、個人ばかりではなく、個人が姿を変えて参画している国家においても見られる現実です。「昔は良かった」「世界の経済大国」「先進国の仲間」などという古証文を振りかざすのは、決していい兆候ではないでしょう。

 十年ほど前まで勤めていた大学の「総長たち」は、機会あるごとに「我が難関大学」、あるいは「私立大学の雄」と自称してみた。あるいは、あろうことか「世界の中の名門大学」を騙って恥じるところがなかった。その分、ぼくは甚く恥じ入ったものでした。「恥知らず」と面罵してやりたかったが、大人げないので言わなかった。それをいいことに、「名門」「難関大学」をマクラに安眠を貪っていたのか、その後は凋落の一途を辿っていることを当然だと思っていました。歴代の総長たちは、自らの地位や名誉を「名門大学」という「看板」に賭けていたんですね。「凄い会社」ということで、その社員は自分も凄いと破廉恥にも思いこんでしまう。このような国を挙げての退廃が、もう何十年(ぼくの知る限りで)続いていることか。自己評価の甘さ、自己認識の過誤、これがいたるところで見られるのも、考えてみれば、「自己肥大症」「自国肥大症」の深刻な所以ですね。しかし、その実態は「自己無能症」という厄介な難病の一症状なんですよ。「自分を大きく見せたい」のは「あるがまま」「ありのまま」の否定ですね。

 自分はこんなに偉いんだと自己評価したいために「名門」とか「一流」「有名」などという「取ってつけたブランド」にすがり、それを誇ることで、自分の偉さを「確認」したつもり、実は「誤認」なのですが、「看板」というのは須(すべか)らく掛け替えられるものです。「看板に偽りあり」というのは、偽の看板がかかっていることを言い当てているのではなく、「看板は看板にすぎない」ということ、肝心なのは「ご当人」であるほかないという意味です。「名門」は、どのような理由で「名門」であるとされるのか。世界の一等国になりたがったこの「小島国家」は、「戦争をして大国を破る」という尺度を信奉していたのです。個人も同様、「一流」は二流や三流などと他者を睥睨することから得られる、ひん曲がった「優越感」の裏返し。物事の真実は、「底流にあり」ではないですか。地べたに足とつける生き方から見えてくるものの中に「人生の真相」があると思う。ぼくは「劣等」であることを情けないとは思うものの、決して恥ずかしいとは思わなかった。

 めったに見られなくなった表現に「帰真反璞(きしんはんはく)」という語があります。飾らない、作らない姿をいうのでしょう。「ありのまま」「あるがまま」がいいですね。なにもしないことが「ありのまま」ではない。今ある自分、今の自分こそが「ありのまま」「あるがまま」、それが振動と思うなら、少し休憩して「ありのまま」を見つめ直すと言いですね。自らの願うところを進んで、他者と交わる、そんな「社会」をこそ、ぼくは求めてい。「当たり前」というのは、自己流に言うと、それは「奇跡」なんですよ。自分の足で立つ、歩くというのは誰でもできるというが、それが当たり前であると「実感」するには「奇跡」の積み重ね欠かせません。「健康」を失って知る「当たり前」というでしょ。当たり前であることは「偶然」であり、偶然が幾重にも重なって生じるのが「当たり前」、それに気がつくと、日常の風景が以前とは異なって見えてくるでしょう。

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 徒然日常(147~153)

◯ 2023/03/26・日 = 昼過ぎに横浜の友人から電話。二十八年間勤務した大学を定年退職した。日韓関係、朝鮮古代史の専門家です。ぼくよりも十歳ほど年下ですが、何かとぼくが教えられた人でした。また、大学時代に担当する授業に参加されていた卒業生も次々に退職年令に達しています。先生は、やがて後生になる習い、それだけのことではありますが、やはり、ぼく一個の人生の流転を考えると、それなりの感慨が湧くというものです。Rさんは在日コリアン。そんなに頻繁に飲み歩いたという中付き合いではなかったが、その時々の遭遇にはいくつかの楽しみがあったと思う。その彼が七十歳を迎えた。怠惰なぼくからみると、なんとも勤勉で真面目なのだから、ぼくのような不真面目人間と付き合うことが不思議に思われます。無理をしていたか?あるいは、真面目の下地には「諧謔」「遊び心」があったのかも知れませんな。▼ 本日も「花冷え」の一日。満開の桜を見に行くゆとりというか、元気もなく、自宅や近所にある数本の「桜木」で桜花の春を堪能している。このはっきりしない天候こそ「花粉症」は好むんだなあ。(徒然日乗・153)

◯ 2023/03/25・土 = 朝から小雨が降る。夏日が一気に冬型の寒さに。温度差は十度超。雨が降るので、猫たちも外遊びが出来ず、ストレス発散に苦慮しているようだった。何日も散歩が思うように出来ない。雨の中を濡れながら歩こうとは思わない。ネットでいろいろな動画を見ているが、その中でも「DIY」をよく目にする。玄人はだしの人がいるから、驚くばかり。今の時代は、機械化現象がいたるところに及んでいるので、時には(玄人はだし」の素人が現れても驚かないが、世界の各地から出されている動画には、実に驚嘆するものがある。男性優位の時代ではなく、女性進出の時代でもない。要するに、それぞれが自らのやりたいことを活かすための方法を見つける時代になっているということを痛感するのだ。(徒然日乗・152)

◯ 2023/03/24・金 = 苗木を買って植えた、十年を過ぎた木蓮(白蓮)が、今年始めて花芽をつけ、数は少ないけれど、陽気に合わせて開花した。高さは5メートルくらいに成長している。また、ソメイヨシノと見られる桜も大きく成長し、今年はたくさんの花を見せている。李(すもも)も、枝垂れ桃(花桃)もよく咲いている。今春は、この時期、いろいろと花が見られるのは、嬉しいかぎり。庭は荒れ放題で、手入れも行き届かないが、それが逆に、花樹にはよかったのかもしれない。もっと前にすべきだった手入れが放置されたまま、ぼくは年齡ばかり重ねてしまった。気候がよくなれば、一気にとはいかないまでも、少しばかりは手入れを施さなければと思っている。このところ、猫にばかり手間暇がかかった。そろそろ手が離れそう(まるで人間の子ども並みに)、少し他に回す時間も取れそうだ。(徒然日乗・151)

◯ 2023/03/23・木 = T 銀行にキャッシュカードの再発行をしてもらいに行った。半年前ぐらいにも再発行をしてもらったばかりだったが。記憶力というのはどういう仕組みになっているのか、未だによくわからない。なんでもないことが突然できなくなる、それは驚きに値する。テレビだったか、独居老人(女性)が炊飯器の使い方がわからなくなり、近所の人に聞きに回ったという話があった。かみさんは、本人はそれほど重大なことだという自覚はないのかどうか。ぼくの判断では、記憶力が衰えてきているということを「認めたくない」という気持ちが強いと思う。勝ち気な人間なだけに、なおさら「認めたくない」とムキになるようなところがある。物忘れは年齢のせいばかりではない。だれしも、若い頃でも思わぬど忘れをしてしまうことがあったろう。認知機能の衰えというのは、物忘れとか、ど忘れという一過性のものではなく、その程度は徐々に重くなるのかもしれない。(徒然日乗・150)

◯ 2023/03/22・水 = かみさんが美容院へ出かけたが、直後に電話があり、銀行預金が下ろせなくなった(暗証番号間違いで)と言ってきた。すぐにお金を持って美容院へ来てくれということだった。カードが使えなくなるのは何度目か。常に使っているカードの番号を忘れるのである。理由はわかっているから、直ちに、入用の金額を持参して美容院へ行った。日常生活のさまざまな場面の九分九厘は問題がなくても、残りの一厘が上手くいかなければ、それなりの支障が出てくる。人はそれぞれに老齢を重ねて、ゆっくりと、あるいは足早に記憶力が衰えてくるし、それは避けられない。長生きすればするほど、問題の「一厘」が大きくなるのだ。かみさんは十年ほど前に大病(腫瘍)をし、手術をした際に、処方された薬剤(抗癌剤)がかなり問題だった。服用しづらいこともあり、頃合いを見て、素人判断ではあったが、服用を一切止めてしまった。今から思えば、その薬が記憶障害の一因となったと思われる。医者はなんとも説明をしなかったが、この薬の説明書(メーカが作ったもの)に、細々した文章の一部に「記憶障害が起こることもある」とあった。現下の「記憶障害」に、その薬害も無関係ではないとぼくは考えて来たので、これ以上に障害の範囲が大きくならないように「生活改善」を求めるのだが、彼女はぼく以上に頑固なので、うまくいかない。なるようにしかならないし、悪くならない方法があれば、それを求めるということはわかり切っているので、なんとかその方法を求めるばかり。十分な睡眠と散歩(ジョギング)だ。いくらでも歩くところがあるのだが、その習慣がないのか、なかなか抵抗が激しいね。「あるがまま」「ありのまま」を。(徒然日乗・149)

◯ 2023/03/21・火 = 花曇りというのか、時には小雨みたいなのが落ちてきたりする。この地域に越してきて十年目に入った。感慨のあるはずもなく、まさに、のんべんだらりと「十年一日」の生活が続いているばかり。暖かくなれば、あれもしようと頭の中では愚考するが、実際にはすることもなく時日を消費しているだけだから、なんともだらしないという気がする。「彼岸の中日」だが、まだ墓参りに行く予定はない。いずれ、腰を上げる時が来るのだからと、勝手に怠慢を決め込んでいる。(徒然日乗・148)

◯ 2023/03/20・月= 神奈川県川崎在住 O さんからメールがあった。日本の近代文学研究者で、「田山花袋」をていねいに追われてきた人。昨年、連れ合いを亡くされたとのご挨拶を年明けに戴いたのを受け、お彼岸に合わせて献花の意を込めて生花を送っておいたからだ。故人には、お会いする機会がなかった。勤め人の頃は、O氏には殊の外お世話になってきたので、その御礼も重ねる気持ちもあった。夜になり、故 O 先生の奥方から電話があった。昨年3月に突然亡くなられた。在職中は殊の外お世話になった。お知らせが届いたのは年末だったので、弔意も伝えられないままで、申し訳ない気持ちだ。やはり、お彼岸の日に重ねて生花を送った。先生のお墓は茨城の結城にあるという。故郷に帰られた塩梅であろう。ぼくよりも七歳の年上だと、今回、はじめて知った。いろいろなことがあったが、そのどれもが後生を慮る先生の配慮だったことに感謝のみ。帰らぬ人が、流石に続きます。いずれ近いうちに、当方も。その事は忘れることがない。(徒然日乗・147)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)