
一瞥したかぎりで、23日付の各紙コラムなどで「WBC決勝戦」に触れていないものはまずなかった。当然さ、という気もするし、それにしても、凄いですねと、驚いて見せたくなる。全体主義本番直前のような「横一線」、いや「縦一線」だったか。それを、どうこう言いたいのではない。各紙の独自性(得意芸)が、揃いも揃って「横並び」「右へ倣え」だったことが証明されたというだけのこと。各紙は、実は「一紙」だったのだ。だからこそ、実際の政治はやりやすい(容易い)、馬鹿でもやれるのかもしれない。それもいいね、というのでもない。駄目さ加減が「ここまで」「そこまで」来ていることを再確認させられた、ダメ押しされたのだ。▼ かくいう駄文子も「目くそ鼻くそ」であることを隠しません。言うも恥ずかしい付和雷同主義者であり、同調を潔く受け入れるところがある、いや、あった。それは、ぼくの致命的な欠陥であると自覚したのは、おそらく中学生になってから。このままで、あらゆる場面で「後塵を拝する」「先達の驥尾に付す」姿勢でいいのかと、少しは悩んだ記憶がある。
似たような表現で「他人の尻馬に乗る」とか、「他人の褌(ふんどし)で相撲を取る」ともいう。いずれも麗しい言葉使いではないのは、その「様・状態」に見られるなにがしかを指していて、一理ありそうだね。「狂人走れば、不狂人も走る」というのまである。こんなに多くの類語があるというのは、「付和」型人間も「雷同」主義者も、どんなにたくさんいることか、という証明であろう。「雷がなる」、いの一番に逃げ出すやつがいるもので、瞬時にそれに連れ立って飛び出すものがいる。人間の中にも「先導獣(Leittier)」はいるのだ。
「子曰、君子和而不レ同、小人同而不レ和」(「論語 子路」)ぼくは君子ではないから、「同じて、和さず」だったのだ。そこへ行くと、偉い人は「定見」というものがあって、いたずらに同調はしないけれども、他者とはなかよくするのだという。「主体性」「自主性」が問われていたんですね、中学生にも。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのは、今どきの「オレオレ詐欺」や「集団強盗」式の「付和雷同」だと言いたい。堕ちたものですね、人間性も。

我れながら、自らの悪癖に気がついた。「生き方」の芽生えというのは格好よすぎよう。それぞれの路・道には、優者や賢者がいるのは当たり前だし、そこからなにごとかを学ぶのは大事なこと。おのれの判断に、ゆっくり、あるいは直ちに従おうということだったかもしれぬ。ぼくには矛盾したところがたくさんある。歓喜の輪に加わりたくない、他人の喜びに水を差したいという「臍曲り」な面と、そこに入って「我を忘れたい」という同調したい気分が溢れるほどある、いやあった。▼ 中学入学以来、無駄な精進を重ね、「歓喜溢れるユニフォーム」は着たくないと誓った。「日の丸」という旗のもとに集まらないように生きよう、と。馬鹿な話だが、事実はその通りに、「孤立猿」を導師として生き存(ながら)えてきた。ちなみに、駄文子は「申歳」の産でした。
人混みが大嫌いなのも、このこととは無縁ではない。誰彼に「いっしょ」を強いられる筋合いはないぜ、それがぼくの「啖呵道」だった。他者の存在(の有無)にかかわらず、一人で「感動」、孤独に「感涙」などはいつでもあるのだ。その昔、酒飲みの時代にはもっぱら「一人酒」に徹しようとしていたね。人生は孤独な「競技(マラソン)」だ、だから「集団ゲーム」の闘争精神や勝負を探し求めるのかな。手に握るのが「バット」であるのは当たり前ではない、それが銃に変わらないための注意深さ(平和への願い)こそが、「WBC」の主眼ではなかったか。「野球ってすごいなと思ってくれたら」とは栗山監督の言。試合は「死闘」「決戦」であっても、破る訳にはいかない「ルール」があり、そのあからさまな判定者である審判がいる、そして、どんな闘(戦)争にもきっと、終りがある。「ゲームセット」(ゲームオーバー)は「ノーサイド」、つまりは「敵味方」なしということ。そこが「野球ってすごいな」の言わんとするところではなかったか。死闘を繰り広げた相手を「尊敬し合う」ということを、試合を通じて、グラウンドで経験しているのだ、それが監督の伝えたかったところでなかったか。〈⇩ 下の写真:(Getty Images)〉


【有明抄】フィールド・オブ・ドリームス 北海道栗山町にある野球場「栗の樹ファーム」。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の栗山英樹監督が2002年、名前を縁に私費を投じて造った。草木が生い茂る場所だったが、現在は少年野球大会も開かれ、子どもたちが駆け回っている◆野球場を造りたいと思っていた栗山監督。トウモロコシ畑を切り開いて野球場を造る米映画「フィールド・オブ・ドリームス」の感動が背中を押した。完成の2年後にプロ野球日本ハムの本拠地が北海道に移り、栗山監督は10年間、チームを率いた◆映画は「それを造れば、彼がやって来る」という謎の声から展開する。栗の樹ファームを造った後に日本ハムが来て、監督就任の依頼が来て、二刀流を目指す大谷翔平選手も入団してきた。映画の物語が重なるようだが、夢の続きを見せてくれた◆米フロリダ州で開かれたWBC決勝で、侍ジャパンは前回王者の米国に競り勝って3度目の優勝を飾った。栗山監督の下にやって来た精鋭による「ドリームチーム」は存分に力を発揮し、日本中の期待に応えてくれた◆栗山監督は「野球ってすごいなと思ってくれたら」と語った。すごいと感じた個々の選手や場面を挙げるにはマス目が足りないが、記憶に刻んだ次の世代がいつか続きを見せてくれる。そんな夢がつながる世界一だった。(知)(佐賀新聞・2023/03/23)〈⇧右上の写真:(Getty Images)〉
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