
【正平調】〈春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ〉。詞を見ただけでメロディーを口ずさんだ人もいるだろう。少女の切ない恋心を歌った松田聖子さんのヒット曲「赤いスイートピー」である◆この名曲が六甲山を走る摩耶ケーブルの出発メロディーになると聞き、お披露目式に行った。作詞した松本隆さんも訪れ照れくさそうに語った言葉がいい。「これが“春色の汽車”になったら、僕もうれしい」◆仕掛け人は「摩耶山再生の会」の事務局長、慈(うつみ)憲一さんだ。十数年前、閑古鳥が鳴きかけていた摩耶山を「大人の遊び場」に変えたアイデアマンである。昔から松本さんのファンで、山頂の施設で松本さんの詞の「朗読会」を開いたのが奇縁のはじまり◆行動の人である。今は神戸を活動拠点にする松本さんの快諾を得ると、知人の音楽家や造園家、地元住民に声をかけ、赤いスイートピーの栽培も始めた。〈線路の脇のつぼみは〉と歌詞にある通り、20個のプランターを摩耶ケーブル駅のホームに並べる◆実はこの曲が発表された当時、園芸用のスイートピーは白やピンクが主流で赤はなかったという。少女の恋心が咲かせた花なのだろう◆開花は4月中旬ごろになるという。春色のケーブルカーに揺られ、眼下に広がる海を眺めたい。(神戸新聞NEXT・2023/03/22)

昨年三月、聖子さんが還暦を迎えたという。不思議でもなんでもありませんが、懐旧の情に絆(ほだ)されてしまいます。ぼくは彼女のファンでもない。しかし、デビュー当時から、その音楽は耳に入っていたし、テレビでも、しばしば幼い「怪物」「女傑」という感じで眺めていました。理由は単純で、家の娘たちがいろいろな評価を交えながら、彼女を鑑賞・批評していた、その影響を受けたからでした。当時、まだ小学生だった娘たち(ツィン)の追跡の的は「アルフィー」だった。特に、高見沢さんの大ファンだったようで、大変なネツの入れようですね。そのアルフィーに入れあげていながらの「聖子ちゃん」だったから、何かと小学生なりの言い分があったのでしょう。かの「アルフィー」も曲折を経ながら、結成半世紀超。彼らも古希ですね。ともかく、ポップス界の黄金時代を開いたのが、これらの若者(当時の)でした。もちろん、その裏にはものすごい暗闇がありました。若者の「捕食者」はジャニー喜多川さんだけではなかったと思う。
神戸新聞のコラム「正平調」を読んで、六甲山の山肌を思い出しましたら、急に懐かしさがこみあげてきました。いつのことだったか、はるかの昔、まだ聖子ちゃんが生まれていなかった頃、六甲に登った。ぼくも小学生でした。以来、幾星霜がありました。そして、コラム氏に誘われて聖子さんを聴いてみた。詞は松本隆さん、曲は呉田軽穂(ユーミン)さん。この両名については言うまでもなく、赫々たる活動歴を誇っておられる。そして、二十歳前の聖子さん、とても大人びた歌を謳われていました。おそらく、この詞にある「感情」はすでによくご存知だった(お持ち)でしょうか。(https://www.youtube.com/watch?v=2Htj6AChzTE&ab_channel=FreeTime)

お彼岸だからというわけでもありません。でも、一昨年の師走に娘の沙也加さんが亡くなられたこともあり、なおさら、この時期に聖子さんを、という次第です。ぼくは、メロディとリズムがあれば、ジャンルは問わずになんでも耳を傾け、ついには魂を捕まえられてしまう。流石に、この年齡ではと思っていますが、なに、どうなるかわからんね。歌詞の一部ですが、以下に。
その後の松田聖子さんを予感させるに十分な、余韻というか余情というものが行間いっぱい、歌声の背後に漂っていますね。そして赤いスイートピー。「実はこの曲が発表された当時、園芸用のスイートピーは白やピンクが主流で赤はなかったという。少女の恋心が咲かせた花なのだろう」(コラム)流石に聖子さん、というほかないのではないですか。(本日はここまで。「聖子の日」になりそうで、こわっ!)

好きよ今日まで
逢った誰より
I will follow you あなたの
生き方が好き
このまま帰れない帰れない
心に春が来た日は赤いスイートピー
__________________________________________________