
賛否両論のある「チャットGPT(Generative Pre-trained Transformer)」。公開されてから半年も経たない段階で議論百出です。これに似たプログラムはいたるところですでに使われている。この AI の「凄さ」「怖さ」は、似て非なる他のものとは桁が違うようです。ぼくは「人工知能」に興味を持っていないし、それが世の中に蔓延るのも好まない人間です。しかし、好みの問題ではなく、広範に、かつ深く浸透していくのが「進化現象(renovation)」です。ぼくは便利を何よりも優先したような生活(生き方)を選ぼうとはしないままで、八十年近くまで生きてきました。だから、携帯電話が流行りだした頃から、見向きもしないで今に至っています。「便利(convenience)」は「不便(inconvenience)」を排除することから生まれます。排除は除去を意味しません。一時的に不便を抑制・抑圧しているに過ぎない、いわば、不便を、押入れかどこかに隠しているだけなんですね。
不便と便利は諸刃の剣のようで、両者は背中合わせであり、どちらか片一方だけを所有(利用)することは出来ない相談です。限りなく便利な時代は、恐ろしく不便な時代でもあるのです。オール電化住宅は「便利」がワンセットで家になっているものでしょう。でも、電源に不都合が生じると、不便極まりない箱でしかないものになる。ぼくたちの依拠し、必要としている便利は、そんなものです。あえて言えば、「砂上の楼閣(House of Cards on the Sand)」みたいなもので、なにも起こらなければ結構だし、一旦なにかが起これば、ご破産になるような代物でもある。
「人工知能(artificial intelligence (略 AI)」とは人間の生産物です。「(人工の) artificial」「〔人造の〕man-made」という言語が示しているとおり、どんなものでも人間が作り出したものだから、正しいことがあれば間違いもある。「正誤はセット」なのであって、「誤」を排除することは不可能でしょう。それが「人工」ということ。原子爆弾はどうでしょう。悪意・善意の有無にかかわらず、作られたら使いたくなる、使うために作る、それが人間の「欲求に根ざした性(さが)」ではないでしょうか。「核爆弾」の現実はどうなっているか。「便利」とは、一面では人間が「手を汚さない」ことを可能にするものです。あるいは人間の身体的・精神的能力を無用にするものでしょう。人間のロボット化、です。人間がロボットになることでもあり、人間の代用にロボットがなるという意味でもあります。味気ないことではないかな。

強大な時代の趨勢に背(そむ)きましょうというのではありません。一面では、究極の「人工知能」でもあるだろう「チャット GPT」 で変わるのは「人間の生活」ではなく、「人間性」「人間のあり方)そのものだという感想、あるいは直感を持っている。自分の脳がそっくり不要になるような場面が想定されているのです。でも、ここで長考します。自分の脳細胞をそっくり他人に支配されてしまうことを、ぼくたちは、早い段階から経験させられてきました。この劣島の学校教育の方法は、まさに「チャットGPT」の教育版だったからです。何をするにもしないにも、学校教育(教師)の与えたもの(学校智)が判断してくれる、それが「成績優秀」の代名詞となってこなかったでしょうか。「なぜ、人を殺してはいけないのか」と問われ、「先生がいけないと教えてくれたから」と答える。教師もまた、「チャット GPT」 の「洗礼」を受け、「先鞭」をつけてきた人でした。これが歴史であり伝統だというのはどうでしょう。
「剽窃」とか「盗作」は問題視されます。しかし「丸暗記」「無批判」は褒められこそすれ、非難されてはこなかった。「チャット GPT」 は、凄いことは凄いが、「暗記型」能力の一典型であるのです。覚えるべき「元手」「資本」は誰かのものです。
以下に挙げたパックンの記事の全文をお読みになることを進めます。「パックンはどんな人ですか?」という問いの表現を変えるだけで、「チャットGPT」によって、何通りもの「パックン像」が作られます。裁判や学校のレポートには格好の装置(アプリ)ですね。同じ問を出すと、まったく同じ答えが出てきます。「GPT」による「判決」は、裁判官を不要にするでしょうし、教師の機能(仕事)の何割かは削減されるでしょう。それはいいことか、悪いことか。偽りの問いを出しても、真面目に答えてくれるというのは、怖いこと。ぼくは、このような「チャット GPT」型反応にすでに何度か遭遇しているような気になっています。「よくある質問」には、同じ答えが返されます。人間の音声そのものと錯誤させる電話が何度も耳に届いていますから。オレオレ詐欺も集団強盗も、一種の「アルゴリズム」を使っているんじゃないですか。「模倣」「受容」「保守主義」時代は、「アルゴリズムの天下」「デジタル万能」だと言えそうじゃないかな。つまりは「先例」「前例」が幅をきかしているんだな。
++++++++++++++++++++++++++

<パックンが自分のことを話題のチャットGPTで調べたら、AIの恐ろしさが垣間見えました。AIの全面導入に踏み切っていいものか、チャットGPTと一緒に検討しました> AIってKOWAI!/ 始めまして。藤森慎吾とともに「レイザーラモン」というコンビを組んでいるパックンです。初耳ですか? 僕もです!/ でも、今話題の対話型人工知能、チャットGPT(ChatGPT)に「パックンは誰ですか?」と問うと、こんな情報が出てくるのだ。「お笑い芸人、俳優、タレントとして1990年代半ばから日本で活動している」など、正しい経歴も伝えてくれるが、その上で「2002年にはテレビドラマアカデミー賞の外国人タレント賞を、2003年には東京国際ドラマフェスティバルの最優秀タレント賞を受賞している」などと、空想の功績も創作してくれる。「こぼれイクラ飯」に負けないほどの「盛り方」だ。下手したら、人工知能で忖度まで学習できたのかな?/ もう有名な話だが、チャットGPTは真実とウソを見分けられない。良い・悪いも分からない。計算も間違えるし、凡ミスもする。なぜなら、チャットGPTのAIは、人間がこれまで書いた膨大な量の文章を参考に「この文脈の中では、次はこんな単語が来そうだ……」と推測を繰り返しながら自らの文章力を高める研究を重ねただけのものだから。つまり、真実じゃなくても、正確じゃなくても、倫理・道徳に反していても「文章として一番自然そうな言葉の羅列」を提供しているだけだ。僕のプロフィールでもなんでも、アルゴリズムに合った文章ならフィクションでも構わないってこと。(⤵)

チャットGPTは自分の「脳内」の矛盾もあまり気にしないようだ。聞き方を変えると、同じはずの情報でも答えがガラッと変わる。「僕は有名人のパックンです。僕の情報を教えてください」と、再度聞いたところ、今度はこうきた:「日本のテレビ番組やバラエティ番組でおなじみのお笑い芸人、パックンマックンとして知られる小島よしおさんですね」。違う! そんなの関係ない! そんなの関係ない!(中略)/ 人間を守るために開発されたAIが人間を滅亡させようとする。意識を持ったAIが自己防衛のために人間と対峙する。自己利益を求めるAIが人間をだまして利用する。などなど、ホラー気味なあらすじのSF映画や小説が多い。ゆくゆくはわれわれもそんな危険性も心配しないといけないが、今我々が目撃しているAI革命はそこまで極端な展開を見せていない。AIは意識も人格ももっていないし、人間と対立する構図にはなっていない。/ だが、シンプルで悪気の無いAIでも上記のような甚大なリスクを伴っているのだ。革命が起きる前にその対策を考えないといけないと、僕は思う。情報のソースや信ぴょう性、画像や映像の制作者の確認。公平な富の分配。AIの悪用防止。個人の経済的、社会的、精神的な安定保障。インターネットを維持可能なビジネスモデル。これらを構築できるまでは、AIの全面導入を遅らせるべきではないか。パンドラの箱の中身は見えている。急いで開けなくてもいいのでは?(⤵)

もちろん、AIの導入を遅らせることは、技術的進歩や競争力の損失につながる可能性があるため、必ずしも最善の選択肢ではありません。代わりに、AIの開発や使用に関する適切な規制や監督を行い、リスクを軽減することが重要です。また、AIの開発や使用に対して意識を高め、倫理的な考え方を重視することも大切です……。(⤵)
ちなみに、最後の段落は、チャットGPTが書いたものだ。怖っ! 「チャットGPTが反社の手下になったら、どうする?(パックン)」(https://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2023/03/gpt_1.php)
● アルゴリズム(algorithm)= ある特定の問題を解いたり、課題を解決したりするための計算手順や処理手順のこと。これを図式化したものがフローチャートであり、コンピューターで処理するための具体的な手順を記述したものがプログラムである。イランの数学者・天文学者、アル=フワーリズミーにちなむ。(デジタル大辞泉)
IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII
徒然日乗(140~146)

◯ 2023/03/19・日 = 昨日の続きのような。ぼくの悪癖の一つでもあります。朝からSP (ストピ)に狂っています。音楽を、いろいろな意味味で、それは解放したものと捉えたい。入場料を払い、定められた座席に座ったまま、ひたすら舞台上の演奏家に耳目を集中することが、求められる聴衆の資質だったものを(クラッシックの場合)、とにかく、路上や街中に拠点を据えて(時にはゲリラ的に場所を変えながら)ライブ演奏、聴衆の大半は、通りがかりの人々(strangers)です。今日の都会などでは、とかくの制約・規則があるにも関わらず、朝から夜まで、各地各所で路上(街角)ライブが行われています。欧米でも盛んな演奏形態が、この島でも認知されてかなり時間が経つ。それと並行して、従来の演奏会形式も廃れてはいません。しかし、ぼくの予感では「近代建築」に鎧われた華美なホールでのバッハやモーツアルト、あるいはベートベンやブラームスの演奏は、やがて姿を消すに違いない。あるいは国立演芸場のように、国家の援助や保護をさらに受け入れて、保存されるべき「芸術」(博物館化)となるだろう。なんのことはない。街角ライブこそが、この島(に限らない)の歴史に刻まれてきた、「演芸」「芸能」の発表の形式だったのです。それ故に、ここにおいても、ある種の「後退」「先祖返り」を果たしつつあるのではないかと思う。(徒然日乗・146)
◯ 2023/03/18・土=一人の女性ピアニストの演奏に惹きつけられた。いわゆるストリートピアニスト(SP)と称されるのでしょう。詳しくはわかりませんが、埼玉県在住らしい。「いいしょう」さん。奈良県(田舎だと、本人がいう)出身。主に歌謡曲やJ.Pops、あるいは洋楽(カーペンターズやビートルズなど)がレパートリーで、各地の「ストリートピアノ」の鍵盤をていねいに辿られているようです。▼ 何年か前は、フラッシュ・モブなるものが流行していた(今も続いていると思う)、今日では路上音楽家が、市民権を得ているのか、たくさんの奏者と聴衆がいるようだ。いいしょうさんは、腕前もプロで、立派に独自性が発揮されていた。なんと二時間以上も、彼女の「演奏」(YouTube)を聴き漁った。(徒然日乗・145)
◯2023/03/17・金 = 20度前後の高温が続いていましたが、それでも朝晩になると冷え込みが強い。夕方になると、どうしても暖房用にストーブを使う。春分の日が彼岸に中日。明日は彼岸の入りです。最近は墓参りもしていない。コロナ禍が収束したのかどうか、ぼくには判断が付きかねるし、相当な規模でインフルエンザが流行っているという。念には念を入れてというが、さて、それでどうするのかという問題は残されたままだ。ワクチン接種の効果と、反作用(未接種者の感染が少ないという)を照らし合わせると、どういうことになるのか。夫婦ともに未接種だ。(徒然日乗・144)

◯ 2023/03/16・木 = 早朝から悪戦苦闘して、一時間半ほど、ようやく♂二つをケージに入れ、病院に連れて行く。去勢手術のためである。午後に実施し、夕方に引き取りに行くことに。午後一時ころに病院から電話があり、「マダニが猫の体に発生中。院内の、他の犬や猫に感染すると困るので、マダニ退治の薬を使いたい」との連絡。このことは予想していたので「ぜひお願いします」「迷惑をかけて、申し訳ありません」と謝罪。温度が異様に高くなったので、野外ではマダニが発生したことはわかっていたが、まず「手術」とばかり、この猫たちにはまだ使っていなかった。他の猫の半分くらいは使用済み。マダニ」は怖いもので、近近年では人間が猫からマダニを移されたり、直接マダニに感染して死亡した例がいくつも報告されている。房総半島でも最近農家の人の感染死の報告があった。マダニ退治には高額の薬品「フロントランナー」が使われており、拙宅もそう。4週間に一回使うことにしている。数が多いので、何かと出費がかさむが、致し方ない。夕方、手術済みの二匹を引き取りに。残りは一つになった。なかなか捕まえるのが大変な「カンベ」君が最後に残っている。(徒然日乗・143)
◯ 2023/03/15・水 = ほとんど毎日のように買い物に行く。猫の食料と人間の食材と。初めの頃は、大きなスーパーに通っていたが、ぼくはこのところ、こじんまりとしたスーパーに決めている。混んでいないし、レジ待ちもないから。とにかく人混みが嫌いだから、できるだけ空いている店に行くことにしている。品物は変わらないし、値段は、物によってはこちらのほうが安いものもあるから、なおさら、繁盛している店には行かない。時々、「繁盛店」という看板のラ-アメンや町中華などのYTを見るが、偉いものですね。何事によらず、客商売というのは大変だと、いつも痛感する。一気に繁盛して、一気に寂れるのはどうか。ぼくは、少食だし、酒も呑まなくなったので、このようなお店に行くことはない。近所の蕎麦屋や寿司屋にはしばしば通っていたが、コロナ禍で、まず行かなくなった。それが終わっても、猫がひしめいている状態では家を開けることが出来ない。外食はまず無理ですね。(徒然日乗・142)

◯ 2023/03/14・火 = ネットで国会中継を見る。憲法は「政治権力の暴走」を阻止するためのものであり、国民の権利を守るための武器であるのに、それを「腐敗権力」は、自らの意のままに変更できるという、バカ丸出しの「憲法改正論」を展開してきた。それとまったく同様に「放送法」は、自民党のような腐敗した権力が「放送」に介入しないための、政治権力への抑制・排除を養成したもの、それが「政治的に公平であること」という四条の真意。腐った権力が自らに敵対するための番組を作ることを禁止すると曲解しただけ。そのような暴力に、どうして放送界は抵抗しないのか、ぼくには解せない。つまり、放送界の上層部は、権力と徒党を組むことに意を砕いている証拠だ。翼賛の度はさらに深まっている。(徒然日乗・141)
◯ 2023/03/13・月 = 確定申告の書類を作成して、税務署ではなく、役場に提出に行く。その前に、マイナンバー(本人用)と免許証を、コンビニでコピー。「本人確認」のためという。面倒なことになっている。ネット上での申告もあるけれど、アプリを入れるのは無料ではないと知って以来、それを使う気がしない。役場に着いて、かみさんの住民票を取る。申告書には彼女のマイナンバーが求められているからだ。(かみさんは、物忘れがひどくなりモノの整理がだんだんに杜撰になっている)準備を整えて、書類を提出した。これまでに何度申告してきたか。何度やっても嫌だな。しかし、しなければみすみす「税金」を取られる(奪われる)から、それは絶対に認められないので、嫌ではあるが、申告をしてきた。この後、何回続くのか。(徒然日乗・140)
______________________________________