あのころのことを忘れていないか

【国原譜】の折り込みチラシを見ていたら、買い取りのオーディオの中に所有のスピーカーがあった。買ったのは10年以上も前だが、半値以上の価格が提示されている。◆普通の電機製品なら10年以上前の商品に価値がつくことは、ほとんどないだろう。趣味性の高い音楽関係ならではだ。このスピーカーは気に入っているので売却するつもりはないが。◆認知症で入院している知人女性の話。自室に閉じこもり気味だったが、音楽のリハビリに反応を示し、懐かしの音楽を聴きながら思い出話を語るようになったという。◆新型コロナ感染防止のため好きなカラオケを自粛していた高齢者の中には、仲間と交流できず、「コロナ鬱」になった人も多いようだ。今後は徐々に解消されそう。◆このように音楽が人に与える影響は大きい。趣味、精神の安定、生きがい、文化、コミュニケーションの手段。音楽嫌いではない限り、音楽は人間の心の糧に。◆先日、奈良フィルハーモニー管弦楽団演奏会のパンフを見て法人会員の少なさに驚いた。音楽文化を理解しない企業は一流とはいえない。(栄)(奈良新聞DIGITAL・2023/03/19)

 昨日の午後から、今朝まで、どれだけ聞いているか。一人の女性ピアニストの street piano 演奏です。場所はさまざまで、茨城や奈良などの駅に置かれているピアノを弾いていることもありました。何度か耳にし目にしていたが、ゆっくりと立ち止まって聴いたことがなかった、すっかりはまってしまった感があります。おそらくは、小さい頃からピアノを弾いていたと思われますが、なにかのきっかけで、クラシックは止めて、もっぱら JPops や歌謡曲などがメインになったのでしょうか。詳しいことはわからないが、プロの弾き手と見受けます。何枚かの CD も出されていたり、リサイタル・ライブ(?)もやられているようです。奈良県の出身で、なにかがしたくて、親元を飛び出したと言われている。現在は埼玉県所沢近辺が拠点のようで、所沢駅のピアノをよく引かれているように思われます。

 これまでにも何度か触れましたが、ぼくは歌謡曲もクラシックも、何でも聴いてきました。バッハから都はるみまでと、昔は言っていましたが、今ではジャンルを問わずと言っておきたい。ネットが普及しだした頃、盛んに「フラッシュ・モブ」なる路上(街頭)演奏や演奏会がアップされていたし、それにかなり惹きつけられていました。今でもやられているようですが、最近は「路上ライブ」が大流行という状況にあります。ぼくは、それを見ながら暇をつぶしている。この「いいしょう」さんは、「ストピ(ストリートピアニスト)」と言っていいのでしょうか。かなり鍛錬されている方だと思う。あるいは、相当に名を知られている方で、知らないのはぼくばかり、そういうことかもしれない。立派な演奏会場にはそぐわない、開放(解放)されたピアノの声が聞こえてきます。

 street piano は欧米でも盛んに行われている。決して見下した表現ではなく「大道芸」の一種だろう。戦前までは各地で「門付芸人」と言われて、盲目の三味線語りがおられた。有名なのは「瞽女(ごぜ)」でした。あるいは、高橋竹山さんなどは典型でした。何度か、彼のライブに出かけて心を打たれた。東北や北陸に多く見られたもので、今も亡くなった友人がこれらの記録を残すために何枚かのレコードにまとめて、世に出したことがあります。大道芸、あるいは吟遊詩人(a wandering minstrel)ならぬ、放浪ピアニスト、そんな感じがすると、ぼくはとても嬉しくなる。その昔、しばしばクラシックの「演奏会」に出かけていました。いかにも上品ぶった装いで、なんとも堅苦しいものがほとんどでした。音楽は文字通り「喜怒哀楽」の表現の一つで、それが「裃(かみしも)」をつけて演じ、聴くものになっていた。ぼくにはそぐわないものだったという気がしていた。今でももちろんクラッシクは廃れてはいないのでしょうが、ぼく流に言うなら、すべてとは言わないが、多くは「博物館所蔵品」の如きものではないですか。演奏会そのものが、遠くない将来に「歌舞伎」のような「無形文化財」として保存されることによって生き残れないのではないかと愚考しています。(歌舞伎だって、ことの始まりは、京都三条の鴨川堤で、出雲の阿国が待ったと言われている。遊芸の根っこになったものだったろう。文化・芸術(文芸)の解放が出発点にあった。それが、時の権力と結びつくことで囲われれものになっていたのです。庶民の芸、庶人の文化だったものですから、それが時代を遥かに隔てて、街中や駅中に生まれても、一向に違和感はない。

 そこへ行くと、ストリート・ピアノは、今日あまり見かけなくなった「流しのギター弾き」のようなものでもあるのではないか。ぼくの後輩に、作曲も演奏も歌唱もやる音楽家の K 君がいます。今でもどこかで路上ライブをしているのか、あるいはぼくが知らないが、その筋では名が売れた音楽家になっているのか。ある時、彼は、ぼくのところに来て、「ビッグになりたい」と言われた。名が売れるのは「交通事故に遭うみたいなもの」「それは、危険ですよ」といったことがあった。彼は納得しなかったが、今でも、ぼくはそう思っている。名を売る、名が売れるというのは、「名は商品(売り買いの交換品)である」ということ、商品はいずれ消耗品として消えゆく運命にある。それでもという覚悟に反対する理由を、ぼくは持たない。言いたかったのは、いつしか自分の存念が通らなくなり、やがては不本意を託(かこ)つことになるかもしれないという「老婆心」ならぬ「老爺心」の発する言でした。

 「いいしょう」さんはどうでしょう。彼女の YouTube を見ていると、カメラワークもプロで、どうも「相方(あいかた)」さん(ギタリスト)が撮られているらしい。本格的で、まさに「芸術」の粋・域に達していると思う。加えて、何よりもぼくが感心するのは、演奏中に流される彼女の「紡ぎ出される言葉」が、とても地についているというか、自らの音楽の感覚にピッタリ重なっているという感想を持ちます。あえて言えば、やはり「吟遊詩人」ですね。

 *「人生を変えたストリートピアノ」(①https://www.youtube.com/watch?v=ODYvFranuRQ&ab_channel)(②https://www.youtube.com/watch?v=BnVu__eybEQ&ab_channel

 上の演奏①②に関して。コメント欄に書かれているものも、演奏者に引けを取らずに「素敵」なもの、率直なものでした。その一つ・二つを拝借しておきます。

①「やっと見つけた、テクニックで弾く人より、心から弾く人優しく響く」️「今まで感じた事の無い様な入混ざった感情が湧いてきました 何か忘れてきた様な、新しい何かを探してる様な 見つめ直すのにとてもいい曲ですね」① 

②「初めまして。今日初めて見させてもらいました。 寂しそうなピアノに命を吹き掛けてる様な優しいメロディ そして流れるメッセージにも感動しちゃぃ泣いてしまってました。 心が温まる演奏素敵です」「人に感動を与えられる貴方は 素晴らしい方です。こらからも音楽の素晴らしさを伝えて下さい。応援してます」

 教室(教育実践の場)と同じで、そこに学び合う経験が生まれれば、どこであっても、そこが「教室(meeting room)」です。同じように、ピアノが置かれていて、それを弾く人がいれば、そこが演奏会場。それをどんなふうに聴こうが、それは聴き手の好みです。上にも書いた「ビッグになる」「名が売れる」というのは、行き(生き)方が狭められるということであり、言い換えれば、自由を剥奪されることになるんでしょうね。ぼくには「籠の鳥の自由」はいらなかった、とどこかで「ストピ」をしているかもしれない、若い友人の K 君(→)に、いまからでも届けたい、余計な一言です。もうかれこれ十年ですかね、彼と一別以来。「いいしょう」(井伊翔子?)さんの演奏がこれからも、いまと同じような気持ちで聴きたいし、聴けるといいですね。ここにも「人生の流儀」のひとつがあります。コバケンさんにも、どこか(ネットであれ)でお目にかかれるような予感がしています。多彩に音楽を(囚われ状態から)解放するための、多くの「吟(弾)遊詩人たち」のご健闘を祈ります。

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)