捨てる人あり、捨てなくてもという人あり

【編集日記】彼岸の入り 幼い頃の記憶はどこまでたどれるものだろうと、自分の来し方を思い返すことがある。中学、小学生の頃までなら何とかさかのぼれるものの、その先になると段々とぼやけてくる▼映像作家の萩原朔美さんが、古い物から大切な人の記憶が鮮やかによみがえるさまを、エッセー「段ボールの中身」に書いている。捨てようか取っておこうか一切迷わずに捨てる性格の萩原さんが、なんでも捨てずに取っておく母親と同居することになり、ごみとの格闘が始まる▼やがて、主(あるじ)のいなくなった母親の部屋を片付けているとき、数個の段ボール箱を見つけた。中には萩原さんの小学生時代からの、いたずら書きや学芸会で舞台に立つ姿などあらゆるものが整理、保存されていた。「私は沢山(たくさん)の自分を発見した」と記し母親に思いをはせる▼幼い頃の写真を手にしたとき、一緒に納まっている人にとどまらず、向こう側で写真を撮ってくれた人の存在が呼び起こされることがある。何げない物にも、関わった人たちが一緒に織り込まれている▼大切な存在だった人を思い起こせば、その当時の自分に出会うこともある。話し足りなかったことを伝え、静かに手を合わせてもいい。きょうは彼岸の入り。(福島民友新聞・2023/03/18)

【編集日記】捨てなくとも いまは七十二候の「桃始笑(ももはじめてさく)」をちょうど過ぎた時期。桃の花の咲き始める様子がほほ笑むように見えることから「笑」の字が当てられている。季節のわずかな移ろいにも心を寄せる、日本人の感性を表す言葉だ▼わが家の花瓶の桃はすでに満開を迎えている。水を吸いやすいよう枝の下部に十字の切れ込みを入れ、毎日水を取り換えて1カ月余り。朝起きたら、前日までのつぼみが淡いピンクの花びらを広げていた▼じつはこの枝、知り合いの果樹農家で山積みにされていた剪定(せんてい)枝。「捨てるか風呂の燃料にする」というのを分けてもらい、初めて育ててみた。おかげで殺風景な部屋に春の華やかさが漂っている▼本県の2020年度の1人当たりのごみ排出量は2年連続で全国ワースト2位だった。震災がきっかけになった面はあるにせよ、なかなか下位を抜け出せない。本紙「窓」欄には減量に対する意識の低さを指摘する声が複数寄せられている▼最近はリサイクルのほか、廃棄ビニール傘をバッグに作り替えたりするアップサイクルが注目されている。捨てていたものを工夫して生かしてみる。案外楽しいし、得した気分にもなれる。次は何に挑戦しようかな。(福島民友新聞・2023/03/17)

 春の彼岸の入りです(3月18日~24日)。実に正直ですね、天候は。昨日までは初夏を思わせる陽気が、一転して「寒の戻り」というのか、雪すら降りそうな寒さです。いつでも思い浮かべるのは「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」という句です。子規が詠んだとされますが、明治25年11月、母と妹を東京に呼び寄せ、根岸で同居を始めます。実際には、この「彼岸の入りに寒いのは」は、母の言葉。それを子規が拝借したものでした。「お彼岸だというのに、寒いね」(子規)「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」(母八重)という顛末。毎年のように彼岸には「お墓参り」をしましたが、このところ、コロナ禍もあって、無精を決め込んでいます。

 珍しいこともあります。本日は福島民友新聞のコラムを二編。まるで「季語」のような内容が気になったからです。「暑さ寒さも彼岸まで」とは誰が言ったものか。江戸時代の本には、すでに諺(ことわざ)として出ています。すくなくとも、今年の春の彼岸の入りは、子規の母親の言うように「寒い」こと、冬に逆戻りのようです。開花した「ソメイヨシノ」は、早まったと悔しがっているでしょう。桜についても、少しばかり駄弁りたいのを堪(こら)えています。拙宅にも十本ほどの桜木がいろいろと取り混ぜて植えられている。すべて、移住してきてから植えたもの。開花には、まだ少し間がありそう。

 コラムのテーマは「捨てる」「捨てなくても」です。生きているといつかしらものが溜まる。手に負えないくらいに溜まる。それもこれも、定住という住まい方が原因でしょう。引っ越しを繰り返す人は溜めないし、溜まる前に越す。溜まらないために移住する、そんなところでしょう。ぼくは、これまでに六回移り住みました。多いのか少ないのか。それでも、気がつけば、嫌になるほどもの(本)が溜まっていました。ヤドカリだったらよかったのに、そんな思いが今更のように強くします。半分は道楽、半分は商売道具、そのようにして溜め込んだ本の数は万に達している。一度、大掛かりな整理をしたのですが、気がつけば、元の木阿弥です。それ以外は、物品はそんなにない。

 

 元々写真は嫌いだったのは、親譲り、だから、見るべき写真は殆どない。一種の「形見」のようにして思い出す縁(よすが)にするは事欠ききます。 「私は沢山(たくさん)の自分を発見した」という経験はまったくない。これは「彼岸」だからというのではなく、いつかおふくろに、「五歳くらいまでの自分」はどんな子どもだったか、ゆっくり聞いてみたいとしきりに思った時期がありました。もちろん、そんなことは訊きもしなかったし、時々の自分を知るにつけ、幼少の頃がどうであったかは歴然としている。

 「大切な存在だった人を思い起こせば、その当時の自分に出会うこともある。話し足りなかったことを伝え、静かに手を合わせてもいい」とコラム氏は書く。ぼくには、絶えてない経験です。大切な人はたくさんいましたが、折に触れて思い出すことはあっても、「その当時の自分」を発見することなんかないのです。天邪鬼ですね。思い出すというのは「歴史」ではなく、歴史を超えることでしょう。めったにないことですけれど、なにかの折に小学校の卒業アルバムを見ることがありました。五十年も六十年も前の自分と同級生が写っている。

 それを眺めると、ぼくの記憶は一気に半世紀前に遡(さかのぼ)る。その後に生きられた時間をすべて忘れて、「小学生」になるのです。誰とどんな話をしたか、そんなことはどうでもいい。喧嘩した連中も写り込んでいる。それも今はすべて「お蔵入り」です。ぼくには「彼岸」とは、こちら側(此岸)が存在ししている(ある)のだから、向こう側(彼岸)もあるに違いないというだけの想像裏の物語です。そこには美しい「蓮の花」が咲き匂っているのかどうか。(右上の写真は日比谷花壇から。彼岸に合わせて、この花屋さんに三件分の「花の贈り物」を注文しました)。

● 彼岸=〘名〙① (pāramitā 波羅蜜多を漢語として意訳した「到彼岸」の略) 仏語。絶対の、完全な境地、悟りの境界に至る修行。また、その悟りの境地。生きているこの世を此岸(しがん)として、目標となる境界をかなたに置いたもの。〔勝鬘経義疏(611)〕 〔大智度論‐一二〕② 春秋二季の彼岸会(ひがんえ)。また、その法要の七日間。俳諧では、秋の彼岸を「後の彼岸」「秋の彼岸」という。《季・春》③ 向こう側の岸。転じて、(こちら側の)人間的な世界に対して、それを超越した世界をいう。⇔此岸(しがん)。④ 植物「ひがんざくら(彼岸桜)」の略。(精選版日本国語大辞典)

 よく使われる流行り言葉に「断捨離」というのがあります。曰く因縁は、下記に引用しておいた辞書に譲ります。要らないものは溜めない、溜まったものは思い切り捨てる、物欲しそうな顔をしないこと。要諦は「物事に執着しないこと」です。この「断捨離」は商標登録されているということですから、物事に執着しないのは、どんなに困難であるか、この登録者は、その見本でもあるのでしょう。いわば、物事の「ストーカー」である執心を捨てなさいという。ぼくたちは、どんな些細なものでも「我が所有」にしたくなるのですね。

 大学卒業後、ある都内の大学の教員になった。そこに図書館司書だったと思うが、吉田さんという方がおられた。その父親が詩人の吉田一穂さんでした。「難解の三乗」くらいの難しさが詩になっているような文人だった。ぼくは何度か挑戦したが、弾き返された。ある時、その詩人の書斎らしいものを写真で見た。小さな文机が一丁、それきりで、書棚はおろか、一冊の本もなかった。仰天したことを覚えている。それを紹介していたのが(記憶違いかも知れないが)、音楽評論家の吉田秀和さんだった。こんな空間で仕事をしている、そんな人はどこにもいなかったし、むしろその反対に、これみよがしに書籍で溢れる書斎の真ん中で写真のポーズを取っている人ばかりだったから、正しく、驚天動地の経験をした。息子さんも難解な文を書いておられたようでした。この「断捨離」に徹するような生活の仕方、それは西洋にもあります。むしろ、ぼくにはこちらの方が親しい。「ミニマリスト」という言葉が示す「生活の流儀」でもあります。断捨離と似て非なるものかもしれませんが。

 断捨離やミニマリストという現象は、きわめて今日的風景でもあるでしょう。ことさらにそう言われるのは、「豊かに暮らす」ためには物をたくさん所有するという現実の生活態度の徹底ぶりを証明しているかもしれない。それはしかし、生活の貧しさを表しはしても、豊かさを示すとはとても考えられません。「方丈記」の作者の鴨長明はミニマリストでしたし、方丈庵はプレハブだった。持ち運びが容易だったのです。だから、ある時期からの長命さんは「ホームレス」と言ってもいいような生き方をしていました。リヤカーに家財道具と「家」を積んで、何度か宿替えをしています。ホームレスとは、文字通りに「住む家を持たない」生活者を言います。究極の生活スタイルだと思う。家を持たないのに「宿借り」があります。俗に「居候」でしょう。自分では家を持たないけれども、住む場所を誰かに借りる(厄介になる)人です。「居候三杯目にはそっと出し」という川柳がありますが、肩身が狭いのが相場でした。そこへ行くと「ホームレス」は納税の義務(強制)もなく、その日を暮らすという意味では、気が楽だともいえそうです。しかし、この節、世知辛い時代というものは酷いもので、この「ホームレス」を寒風吹きすさぶ街中に放り出すんですね。「家なし人」を抹殺しかねない時代であり社会です。

 「桃始笑(ももはじめてさく)」とばかり、果樹農家にあった桃の剪定枝をもらってきて、少し工夫をこらして花瓶に活ける。それが一ヶ月余も保ったというのですから、コラムの記事にしたくなる気持ちはわかります。「捨てていたものを工夫して生かしてみる。案外楽しいし、得した気分にもなれる。次は何に挑戦しようかな」と、期待されているのがよくわかります。「最近はリサイクルのほか、廃棄ビニール傘をバッグに作り替えたりするアップサイクルが注目されている」と言われています。ぼくの愚想はあまり美しいものでもないのが残念ですが、福島には捨て置かれて、行き場に困っているものがたくさんあります。「核燃料デブリ」「汚染土」「汚染水」「崩壊家屋」、その他、さまざまなものが捨て置かれている。少し工夫し、そこから楽しみが味わえ、得した気分になれるかどうか、直ちには分かり難いが、「次の挑戦」はこれだとなりませんでしょうか。もっと直截に言うなら、「福島原発」そのものを「活かす」「活ける」花瓶を作りませんか。常日頃から、ぼくも、ない知恵を絞っている問題(課題)です。(二年前の七月三日に発生した「熱海土砂崩壊」の中から放射性物質が発見されたという。以下の記事を参照)

 熱海盛り土、内部から放射性物質 福島由来か、大規模土石流の起点 静岡県熱海市で2021年7月に発生した大規模土石流を巡り、静岡大の北村晃寿教授(地質学)は17日、土砂崩落の起点となった土地に残った盛り土の内部から放射性セシウムが検出されたと明らかにした。11年3月に起きた東京電力福島第1原発事故で飛散したものとみられるという。/ 北村氏は静岡市内で記者会見し、地表から約2メートル下層で放射性セシウムが検出されたと説明。「11年3月以降も盛り土が続いていたことになる」と指摘した。/ 11年2月に起点の土地を取得した「ZENホールディングス」元代表取締役麦島善光氏は「盛り土のことは知らず、敷地に木を植えただけだ」と繰り返し主張していた。(東京新聞・2023/03/17)

● 断捨離=モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のこと。2009年刊行の『新・片づけ術「断捨離」』(やましたひでこ著、マガジンハウス)により提案された。断捨離はヨガの「断行・捨行・離行」から生まれた言葉で、「断」は入ってくる要らないモノを断つこと、「捨」は家にあるガラクタを捨てること、「離」はモノへの執着から離れることを表す。本書の刊行時から注目を浴び、16年4月時点で、やましたの著書は累計300万部を突破し、断捨離の公式メールマガジン登録者は8万2000人になっている。なお「断捨離」は、やましたひでこの登録商標となっている。(知恵蔵ミニ)

● ミニマリスト= 持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。物を持たずに暮らす人の意味では、2010年前後から海外で使われるようになり、その後日本でも広まったと見られる。何を持ち何を持たないかは人それぞれだが、少ない服を制服のように着回したり、一つの物を様々な用途に使ったりするほか、誰かと共有したり借りたりすることで、自分が所有する物を厳選している点が共通している。少ない物で豊かに暮らすという考え方自体は、環境問題の深刻化などを背景に以前からあった。近年は、物だけでなく多くの情報が流通する中で、たくさんの物を手に入れても満たされなかったり、多くの物に埋もれて必要な物が見えなくなったりして生きづらさを感じる人たちが増え、自分にとって本当に大事な物を見極めて必要な物だけを取り込むことで楽に生きたいと共感が広がっているようだ。必要な物だけを持つミニマリストの思想は、10年頃から流行した整理法「断捨離(だんしゃり)」などにも通じる考え方と言える。(同上)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)