【水や空】背中の景色 湖に浮かべたボートをこぐように人は後ろ向きに未来へ入る。フランスの詩人バレリーの言葉という。ボートをこぐ人が見るのは通り過ぎた風景ばかりで、ボートが向かう先、未来の景色は見えていない▲詩人の言葉ほど格調高くはないが、先は読めないものだとつくづく思う。マスク着用は人それぞれの判断で-という時が来たが、今更ながら個人的な「マスク問題」に突き当たる。コロナ禍の初めに買った数箱が今も自宅の隅に眠ったままで、すっかり持て余している▲その頃はマスク不足で、店先で見つけては手に入れていたが、着けていると耳が痛くなる。やがて掛けひもが柔らかいマスクが登場し、先に買った分は出番を失う…▲「不足」のはずが、3年後には「余剰」の物と化す。背中の未来はまるで見えていなかった▲振り返れば、全世帯に配られた「アベノマスク」は大量に余り、政府は処分に手を焼いた。3年前、大阪市長が医療現場で不足する防護服の代わりに雨がっぱを募ったが、集まりすぎて持て余した。はやる気持ち、勇み足は時に「余剰」を生む▲3年前、手作りマスクを地域のお年寄りに配る動きが盛んだった。雨がっぱもそうだが、不足は「余剰」だけでなく「心遣い」も呼び寄せた。小舟から見た美しい景色をいま一度、思い起こす。(徹)(長崎新聞・2023/03/16)

「呼び水」という。ぼくはしばしば、それを、有形無形のかたちで使います。いくつかの解釈(説明)がありますが、辞書には次のように出ています。「 1 ポンプの水が出ないとき、またはポンプで揚水するとき、水を導くために外部から入れてポンプ胴内に満たす水。誘い水。2 ある事柄をひきおこす、きっかけ。誘い水。「不用意な発言が議会混乱の―となる」3 漬物の漬け水の上がり方をよくするために加える塩水」(デジタル大辞泉)もちろん、もともとは、水くみポンプなどの用水不足を補うために上から注入される水のことです。このポンプは、今ではすっかり見られなくなったようですが、とてもおもしろい機械仕掛けのもので、幼い頃には拙宅でも、井戸水と共用で、手押しポンプを使っていました。
その「呼び水」です。もう何年も、ほぼ毎日、ぼくは地方紙を含めた新聞の「コラム」に目を通してきました。理由は単純です。書かれている内容に刺激を受けたいという、その一存です。何十人の記者がいくつかのテーマについて、その知性を傾けるのですから、ぼくのようなやわな精神でも、どこかしらから大いなる「刺激」や「啓発」を受けるのは当たり前ということでしょう。いくらポンプの柄を上下したところで、一向に水が上に揚がってこないことがあるように、ぼくの渇水状態の脳細胞も、そのままではうんともすんとも反応しないとうことが年柄年中あります。そんなときに、格好の刺激剤として、知的な「呼び水」として、各紙のコラムを使わせてもらうという段取りです。もちろん、ひたすら読むだけというのがいいのですが、駄文を綴ることに、脳細胞(記憶力)の鈍化と老化を同時に防止しようという欲張った願いがあってことですから、まるで向こう見ずの暴挙ともいえます。

本日のコラムの中で、ぼくの脳細胞への「呼び水)」となったのは固有名詞です。「バレリー」。それこそ、大学入学の頃から三十前まで、わからなくても読んだ。時には歯がたたないことを百も承知で、フランス語で読もうとさえした。無謀とはこのことでした。邦訳されているものはほとんど読んだと思う。当時(今も、か)フランス書籍の輸入元も兼ねていた「白水社」という出版社が都内神田にあり、間を置かずにそこに出かけていっては、読めもしないのになんやかやと物色していました。(ヴァレリーと表記していたので、そのままに使います)おそらく、一種の「知識人カブレ」「ジンマシン」が、当時のぼくには起こっていたのかもしれません。この本は誰それが読んでおられたとか、アンリ・ゲオンの「モーツアルト」は誰々が買われていきましたと、その時代の高名な学者や文人の名前が本屋の社員から次々に出てきました。そのカブレは、それ程長くは続かなかった。ぼくはやがて、日本の「歴史」「文化史」に興味や関心を移したからでした。その張本人は柳田國男さんだった。

ぼくは、一時期、ヴァレリーを暇にあかせて読んでいました。何がわかったか、今から考えてもとても怪しい。しかし、読んだ(つもり)という事実ばかりは残った。ぼくは修士論文のタイトルを「ジャン・ジャック・ルッソオの方法への序説」としたが、それはヴァレリーの「レオナルド・ダ・ビンチの方法への序説」からの剽窃だった。ぼくの論文の内容はお粗末で、話にはならないものだったが、ルッソオをひたすら読んだという経験には満たされるものがあった言っておきます。コラム氏が書かれている「湖に浮かべたボートをこぐように人は後ろ向きに未来へ入る」という表現は、ヴァレリーの何という本に出てくるか、まったく記憶にない。しかしヴァレリーなら、そんな言い方をするだろうとは思う。ボートを漕ぐ人は進行方向に背を向けている。しかし、過ぎゆく景色は手にとるようにわかる。それが「生きる」ということじゃないですかと言ったのかもわかりません。
大きな視点で「歴史」を見れば、ある事柄をすでに経験してしまった人もいれば、今経験中の人もいる。これから経験しようとするものもいます。世代間の経験の違いと言えるかもしれず、時代の違いであるとも言えそうです。本当にしばしば、今から三十年ほど前、ぼくの先輩(二十歳以上も年上の人)たちはさかんに「まるで、時代(今)は戦前のようだ」と話されていた。戦時経験をされた方々だったから、時代感覚を直感していたに違いありません。しかし,若輩のぼくは「そんな事があるものか」という反発・反感のようなものを抱いていました。今から見れば、ぼくの「鈍感」「愚かさ」の証明になるのですが、「戦時」の未経験者は、後ろ向きに漕ぐボートの上から、よそ見をしていたに違いない。あるいは後ろ向きになっていたのかも。だから「年寄は」というふうには感じたことはなかったが、「まるで、戦前のようだ」という景色にお目にかかったことがなかったものにとって、過ぎ去る前景の中に「歴史」、これからぼくたちが生きていく「歴史」が遠く近く見えていたはずだったのだと、今になって思い知る。そんな愚かな経験から、ぼくは「今は、新たな戦前なのだ」という地点に立つようになったのです。

「ボートをこぐ人が見るのは通り過ぎた風景ばかりで、ボートが向かう先、未来の景色は見えていない」とヴァレリーに倣って、記者がいうのでしょうか。「過去」にあるのは過ぎ去ったことばかりであるのは、そのとおりです。でも、その「過ぎ去ったこと」の中に「現在」も「未来」もあるとは考えられないのでしょう。「現在」というのは「過去と未来の逢着の場(接点)」です。過去と未来が相接する瞬間、それが「現在」だとは考えられないのはどうしてでしょう。「現在」という一瞬の時の場は「永遠」でもあると、どこかでヴァレリー言っていそうです。「時は永遠の鏡である」といったのはアランでした。アランという思想家もまた、過ぎ去る景色の中に現在や未来を見通していた人だったと、ぼくは懐かしく思い出します。

若さに任せて、無駄な時間を随分と読書に費やしたという気がします。ヴァレリーを読むというのはその典型ではなかったか。格好よく言うなら、一種の「青春の彷徨」だった。でも「彷徨」は青春時代の専売ではなかったことは、その後の人生が示しています。成年の放浪もあり、熟年の彷徨もあったでしょう。それが今では、老年の放浪、いや老人の徘徊ですね。自分がどこに向かっているのか、さっぱりわからないのです。前を向いているのか、後ろを向いているのかさえも判然としない。まさに、過去と未来が渾然一体となっている「現在」に深沈しているのではないかと、われながら愚かしい感想を抱いている。昨日も触れました、渡辺一夫さんにもヴァレリーに関しての文章がいくつもあったと記憶している。独特の諧謔と皮肉を重ねたかでの「人生の真贋」を語られていました。「寛容は不寛容に対して、寛容でありえるか」などという問い掛けをされたこともあった。「敗戦日記」を熟読したことがもります。時代の悪に対して、あるいは政治の愚かさに対して、痛烈な言葉の礫が飛び交っていました。また、「狂気」についてというエッセーもありました。いずれもヴァレリーに連なる趣のものだったという印象が残っています。
本日は「呼び水」の一例を示したもので、「アベノマスク」や「大阪の雨合羽」にはいささかの興味もありません。呼び水に使う水はどこから来ているのか、考えてみれば、組み上げる水は地下水であり、それはいたるところから集まっているもので、なんとも不可思議な感に襲われます。いろいろな水は混合されており、あるいは「海水」のごとく、西洋と東洋も一つながりであるのかもしれないという気もしてきます。まあ、一種の「幻想」ではありますが。だから、この年になるまで、随分遠くまで歩いてきたものだという感想を持ちますが、いや、実は生まれてこの方、ほとんど居場所は変わっていないという気もしてくるのです。

● バレリー(Paul Valéry)(1871―1945)= フランスの詩人,評論家,思想家。地中海の港町セート生れ。マラルメの門下に入る。創作の意識的方法論を述べた評論《レオナルド・ダ・ビンチの方法への序説》と小説《テスト氏との一夜》(1896年)を発表後,突然筆を捨て深い思索生活に沈潜する。1917年女性の夢から目ざめへの意識を歌った長詩《若きパルク》を発表,詩集《魅惑》に収められた詩がこれに続き,象徴主義の最後を飾る大詩人とうたわれる。1925年アカデミー会員となり,ヨーロッパ各地で講演,フランスの知性を代表する存在となる。文学,哲学,政治などにわたる分析的精神に貫かれた文芸批評を書き,これが《バリエテ》5巻となる。その他未完の遺作の戯曲《わがファウスト》,生涯書き続けられた覚書《カイエ》など。ド・ゴール政府により国葬。(ニッポニカ)
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